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2010.03.11

ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)遺跡のこと

 ネットで有名な文科系の知識リソースの一つに「世界史講義録」(参照)があり、はてなブックマークでは5000近いブックマークがされている。高校の先生が講義ノートをまとめたものらしい。久しぶりに訪問してみると、宗教史に関連する一部は「ものがたり宗教史 (ちくまプリマー新書:浅野典夫」(参照)となっているようだ。ちくま新書なのは、「[書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣): 極東ブログ」(参照)で触れた同書の推薦があったからではないだろうか。
 さて、私はといえば、このサイトの冒頭の話をざっと読んだとき、高校生の授業としては妥当な内容ではないかなと思ったが、率直にいうと、私が高校生のころの学校の世界史とあまり変わってなくて(ちなみに私は高校生のころトインビーも読んでいた)、自分では興味がもてないでいた。私が現在の高校生にこの分野の本で勧めるとしたら、「世界史の誕生 (ちくま文庫:岡田英弘」(参照)か「これでいいのか世界史教科書 人類の転換期に問う (カッパ・サイエンス:謝世輝」(参照)かなと思った。これらの本もしかし、もうだいぶ古くなった。
 「世界史講義録」に触れたのは、批判という意味では全然ないが、普通文明の起源は現在の通説でもこう考えられているのかなと思ったからだ(参照)。新石器時代に続き、農耕の起源が語られる。


 次に農耕の起源です。メソポタミア地方で最初の農耕が始まったというのが従来の定説でしたが、最近いろいろな発掘調査で、中国の長江流域ではそれより遙か以前、1万3千年前くらいから稲作が始まっていたことがわかってきました。
 長江流域で定住生活が始まったのはさらにさかのぼって、1万6千年前といわれています。人は定住して土器を作成しはじめます。先日(4月17日)朝日新聞に載っていましたが、日本でも1万6000年前の土器が出土しています。
 これからも世界各地で、さらに古い遺跡が発見される可能性は充分あります。農耕の起源、発生地については、今のところ不明です。
 メソポタミア地方では、約7000年前には麦作と牧畜が始まります。イラクのジャルモ遺跡が有名です。

 間違いということではない。きちんと「農耕の起源、発生地については、今のところ不明です」と触れているのはよいことかもしれない。そして、農耕の余剰生産物から宗教・都市・文明として語られる。

 農耕牧畜によって、食糧の収穫が予想できるようになる。うまくすれば、食べる以上に生産できる。その日その日を狩猟・採集で生活していたのに比べれば、どれだけ生活に余裕ができたことか。これを、食糧生産革命といっています。革命というのは、世の中がひっくり返るような変化に対する呼びかた、と考えておいてください。
 ここから、ちょっと難しい話です。
 さっき、食べる以上に生産できた、と言いました。これ、難しい言い方で余剰生産物という。農業技術も改良されていきますから、余剰生産物は増加します。この余剰生産物が文明を生んだとってよい。
 余分な食糧ができると、働かなくてもよい人々がでてきます。
 以前ならみんなが同じ仕事をしていたのに、違う役割で生きていく人たちが出現する。これを、階級の発生といいます。
 どんな人たちかというと、まずは神に仕えるような人たち、神官です。たぶん、農耕がうまくいくように天候を神に祈る人々が最初にでてきた農業をしない人たちだ。
 邪馬台国の卑弥呼も一種の神官です。彼女は、奥にこもってみんなには顔も見せずに神に祈っている。特殊な能力があると信じられていたんだろう。
 神官は、一般の人たちからその能力を恐れられるでしょう。そして、権力を持つようになるんだね。
 権力を持つ者は、必然的に自分が生きていくのに必要以上の土地や家畜を持つようにもなります。私有財産という。
 神官以外に、戦士も生まれてくる。他の集団から自分たちの集団を守るためにかれらも農耕を免除されて、特権階級になっていく。職人も、農業以外の仕事だけをする人々だ。
 マジカルな能力、人並みはずれた体力や体格、技能、あるいは人格的統率力、そういう力を持つ人々がリーダー層になる。階級分化です。
 やがて、指導者が支配者となって国家が生まれます。
 国家といっても、村がそのまま国になる、小さなものです。吉野ヶ里遺跡なんかは、そんなものの一つでしょう。
 この小さな国家を歴史学では、都市国家といいます。自分たちの集落を守るため集落の周りには城壁をめぐらせます。都市国家はみな、城壁を持っています。
 国家の支配者は租税を集める。誰からどれだけ税を徴収したか記録する必要がでてくる。文字はそのために発明されたともいわれます。
 階級、私有財産、都市国家、そして文明が生まれてきます。

 いわゆるマルクス史観であり、正確にはエンゲルス史観というものだが、だから間違っているというのではないが、この考えは否定されつつある。また同サイトではこの先に、高校の授業らしく四大文明が上げられているが、四大文明説を取っているのは日本独自の文化ではないだろうか。余談だが、マルクスのいう「階級」というのは、上下階級という意味合いよりも、従事する生産の様式の差を言っている。
 さて、では、どう違っているのか。
 最初に宗教があり、聖地と神殿ができ、その維持のために人が集まり、集まるために農耕や定住が進み、都市ができ、文明となった。
 私は高校生のころからそう考えていたのでこの考えにまったく違和感がない。当時私は、生産様式とは人間の内面において宗教化されており、同一の構造であるとぶちあげていたものだった。まあ、少年にありがちな妄想でもある。
 この考え方、宗教が最初だ、というのはどこの話か。先日ニューズウィークの記事で見かけて、それ普通だろと思っていたのだった。記事は「History in the Remaking(作り直される歴史)」(参照)である。日本語版でも、ところどころ抜け落ちがあるが、翻訳された。見るとわかるが、トルコ南東部ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)遺跡の話である。先回りしていうと、(1)この遺跡が例外である、(2)現在の同遺跡の研究成果は定説ではない、という二点の留保は当然ある。長江の稲作については宗教が先行したとは言えないだろう。

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ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)


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ギョベクリ・テぺ(Göbekli Tepe)
スミソニアン・マガジン

 ニューズウィークの記事では、ギョベクリ・テぺ遺跡研究が通説を否定するとして、ジャーナリズムの記事らしくあえて興味をひくように書かれている。


This theory reverses a standard chronology of human origins, in which primitive man went through a "Neolithic revolution" 10,000 to 12,000 years ago. In the old model, shepherds and farmers appeared first, and then created pottery, villages, cities, specialized labor, kings, writing, art, and --- somewhere on the way to the airplane --- organized religion. As far back as Jean-Jacques Rousseau, thinkers have argued that the social compact of cities came first, and only then the "high" religions with their great temples, a paradigm still taught in American high schools.

この理論は人間起源の通説の年表を逆転させる。通説では、原始人は1万年から1万2千年前の新石器時代革命を経由したとされる。この古い通説では、羊飼いや農民が最初に出現し、それから陶工や村落民、都市、専業労働、王、文字、技芸、そしてその延長を一っ飛びして、組織宗教に至るとされる。ジャンジャック・ルソーを回顧するまでもなく、知識人は社会的集約都市が最初に形成されて、その後、巨大寺院を伴う高度な宗教ができるとした。米国の高校などでもこうした考え方がいまだに教えられている。


 その先が興味深い。というか、やや勇み足な話にまで踏み込んでいるように見える。

Religion now appears so early in civilized life --- earlier than civilized life, if Schmidt is correct --- that some think it may be less a product of culture than a cause of it, less a revelation than a genetic inheritance. The archeologist Jacques Cauvin once posited that "the beginning of the gods was the beginning of agriculture," and Göbekli may prove his case.

宗教はこうして見直してみると、研究者のシュミットが正しければ、都市生活以前の初期の段階で出現している。つまり、宗教というのは文化が生み出したものや啓示によるといより、人間の遺伝的形質によるもだと考える人もいるだろう。考古学者ジャック・コーヴァンは「神々の始まりが農耕の始まりである」とつぶやいたが、ギョベクリ・テぺ遺跡が当てはまるかもしれない。


 それでも、通説に反したというほどの話でもないようにも思えるし、NHKなどで時折放送されるギョベクリ・テぺ遺跡の話でも、そこに力点はさして置かれていないようにも思えたものだ。むしろこの遺跡の、ある種、異常さ、つまり異常な古さのほうが重要かもしれない。

The site isn't just old, it redefines old: the temple was built 11,500 years ago --- a staggering 7,000 years before the Great Pyramid, and more than 6,000 years before Stonehenge first took shape. The ruins are so early that they predate villages, pottery, domesticated animals, and even agriculture --- the first embers of civilization. In fact, Schmidt thinks the temple itself, built after the end of the last Ice Age by hunter-gatherers, became that ember --- the spark that launched mankind toward farming, urban life, and all that followed.

この遺跡は古いだけではない。古さということの考えを再考させる。寺院は1万1500年前に建築された。ギザの大ピラミッドより7千年も古く、ストーンヘンジが最初に組まれたときより6千年以上も先行している。この遺跡は、村落、陶器、家畜、農耕、これら文明の曙光よりも古いのだ。実際、研究者のシュミットは、この寺院自体、狩猟採集民による氷河期最後の時代に続いて形成され、この遺跡こそが、人類が農耕や都市生活、そしてその後の発展に至る最初の曙光となったと考えている。


 シュミット氏の研究以外でも、小麦の栽培や動物の家畜化が始まったのもこの地域であると見なされつつある。
 シュミット氏は15年前この地を訪れ、この研究に取り憑くかれ、定着し、トルコ人女性と結婚し、近在に暮らしている。壮大な夢に取りつかれた幸福というものだろうし、おそらく、彼の夢が人類の歴史を書き換えるだろう。

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コメント

実は、古本屋で買って、謝世輝先生の「これでいいのか世界史教科書」を持っているんです。今読んでます。読み終わったら、自分のブログで書評を書こうと思っています。

投稿: enneagram | 2010.03.12 15:29

http://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000001063_all.html

ギョベックリテペ と日本人考古学者

投稿: a | 2011.08.23 13:08

 邪馬台国の卑弥呼も一種の神官です。彼女は、奥にこもってみんなには顔も見せずに神に祈っている。特殊な能力があると信じられていたんだろう。
 神官は、一般の人たちからその能力を恐れられるでしょう。そして、権力を持つようになるんだね。

これはなんでしょうね~

特殊な能力があると

そんな風に思うのは今でも前でもお前らみたいなやつだけですよ~wwwおほほほほほ~www

ほとんどの人はいつでもちゃんとした人がいるんだなといった程度の感覚で神官を見ているわけです。
具体的に行っていることだけが信用に当たるのです。

なんとなくの能力などはじめから一般庶民は見ないわけですから、特殊な能力 などという発想ははなから起こり得ないわけです。

一般の人は実際に行っている仕事から人の信用をあたりますので、そこからしか信用の評価はでないわけですが、
どこの一般人が特殊な能力などと突然言い出すでしょうか。逆に特殊な能力とはなにかといわれてしまいます。

神官はただ人のなすことの繊細なことをわきまえているだけでそれ以上のことがありません。神なども人と人の環境をあらわした繊細な言葉に過ぎず、実際は政治的な内容となっているのです。

ですから、政治で神官が王位につくような場合は大概が宗教的な理由ではなく、政治的な理由であるので、宗教といっても、政治的に用いられている程度なのであります。
これは宗教という面は軍人と同じということもできます。軍人は外政をつかさどり権を持ちますが、宗教とは内政をつかさどり権を持ちます。その違いがあるだけで、宗教は権力に反抗する力を直接持ちませんが、時には軍人と結託することもできるわけです。

歴史ではあれはあれ、これはこれと、明確に記述するために、ばらばらに書いて交流関係などもあるのに、それを誰も気にしないことがあります。
宗教とは軍人と結託することができますので、間接的に力を増し、政治にかなり口を出したり、内実的には国王の地位を奪ってしまうこともできなくもないのです。
がしかしやはり力は弱く、権力を奪い取るほどのことはできません。

実際には権力者の話の種になっている程度の働きしか持っていないものですので、政治や権力の場ではあまり効力を持たないものです。
民衆などはむしろ政治家の宗教に対する倒錯を疑いますので、直接恐れられるというよりは、その関係の誤りの末に政治が失敗することを恐れるといった具合なのです。

民衆の感情とは民衆の生活によって成り立っているものですので、常に信用に気を配るのであります。
ですので、いくら政治家や王族などが宗教に倒錯でき自分勝手な政治を行っても、民衆は倒錯しようにもできるわけがないのです。
民衆にとっては生活が壊れることが第一の恐怖ですので、一部の信仰心のある民衆を除いて普段の政治以上に信じるものはありません。

投稿: 羅王 | 2015.07.25 19:50

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