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2010.02.26

ダルフール危機は終わったのか?

 ダルフール危機について初めてこのブログで書いたのは2004年4月10日のことだった(参照)。私がこの問題を知ったのは同年同月3日付けワシントン・ポスト紙社説「Crisis in Darfur」(参照)からだった。
 当時、国境なき医師団のサイトに日本語で読める関連情報があったが、日本のジャーナリズムではこの問題に触れていなかった。スーダン政府が民衆の殺戮、つまりジェノサイドに加担していると思えるような状況が発生しているのに、黙っていてよいものだろうか。人類は、ホロコーストがあり、ルワンダ・ジェノサイドがあり、もう二度とジェノサイドを起こしてはならないと言いながら、当時、刻々とジェノサイドは進行していくように思えたものだった。
 なぜダルフール危機について国内で十分な報道がなされていかったのだろうか。いずれにせよ、そういうことであれば、ブログこそがジャーナリズムを補完すべきかもしれないと思い、この問題をその後も追ってきた(参照)。
 その後もしばらく日本のジャーナリズムではダルフール危機が語られなかったが、おそらく背景には、スーダン政府に武器供与を行っている中国への配慮があったのだろう。私も、中国バッシングのネタとしてダルフール危機問題を取り上げるのだというような避難も浴びたものだった。しかし問題は直接的には中国ではなく、とにかく国際世論によってジェノサイドを停止することなのだが、そういう話題にはならなかった。
 それ以前に、進行していた事態がジェノサイドであるという認識が得にくいものがあった。ダルフール危機の実態は、スーダン政府に対立する勢力による、いわば内紛にすぎないと見る見方もあった。たしかに、ダルフール危機は、政府対反抗勢力がもたらした地域紛争であるとも言える。しかし、事態の本質は政府が無辜の民衆を組織的に殺害していくことにあった。
 ブッシュ元米大統領はダルフール問題にそれなりに配慮を示した。オバマ大統領もダルフール危機をジェノサイドであることを明言した(参照)。また、国際刑事裁判所(ICC)は2009年3月4日、スーダンのオマル・バシル大統領に対し、人道に対する罪と戦争犯罪の容疑で逮捕状を出した。ようやく明確に戦争犯罪として国際的に認識されるようになった。
 しかしこの時点では、ジェノサイドの罪が問われていたわけではなく、むしろ微妙に避けられていたふうでもあった。が、2010年2月3日、国際刑事裁判所(ICC)は再考の上、オマル・バシル大統領をジェノサイドで追訴することを決めた(参照)。
 こうしたなか、2月20日、ダルフールの反政府組織で最大規模の「正義と平等運動」(JEM)がスーダン政府と停戦合意した。同種の停戦は2004年時点にもあったが、今回は、国連とアフリカ連合(AU)の口添えに加えカタールの協力が入っていること、また、実質的な戦闘は2008年時点から鎮静化に向かっていることもあって、この合意で紛争の側面が解消されると期待されている。この間の反政府組織の動向は2月23日付ロイター記事「TIMELINE-Darfur Rebels to sign peace agreement with Sudan」(参照)が詳しい。
 沈静化の動向と近年のダルフールの状況については、ジェフリー・ジェットルマン(Jeffrey Gettleman)氏が1月1日付ニューヨーク・タイムズに書いた記事「Fragile Calm Holds in Darfur After Years of Death(ダルフールの死者の歴年の後、壊れやすい鎮静が続く)」(参照)が詳しい。
 この記事は示唆深く、なかでもAUの指揮官ダニエル・オーグストバーガー(Daniel Augstburger)氏による、「人々は狼だと叫んでいたが、危機の中の危機はけして起きなかった」という指摘は、受け止めようによっては、ダルフール危機を叫んだ人々はイソップ寓話の狼少年であっただろうかという内省を促すものでもあった。
 また、現状30万人と推定されている死者だが、英医学誌「ランセット」は死者の八割は生活環境の悪化による病死と推定した。2月3日付け共同記事「ダルフール死者数の8割超が病死 英医学誌に発表」(参照)では、「紛争が最も激しかった04年は暴力行為が主な死因だったが、05年以降は、劣悪な衛生環境の避難キャンプで栄養不足や下痢、汚れた飲み水が原因の病気などで死亡するケースが大半だったとの結果を導き出した」とも伝えている。
 さて、ダルフール危機はもう終わったのだろうか?
 私はエントリ冒頭、この問題を2004年のワシントン・ポスト紙で知ったと描いた。同じくワシントン・ポスト紙は25日付社説「Sudan truce offers some hope for peaceful change」(参照)で、まさにそこを問いかけている。


The war in Darfur, which is estimated to have caused more than 300,000 deaths and prompted a global campaign to defend its 2 million refugees, may have ended.

推定30万人の死者をもたらし、200万人もの難民を阻止しようと国際運動となったダルフールでの戦争は、終わっているのかもしれない。


 2009年の夏を終えた時点で現地の国際平和維持部隊は戦闘終結を宣言している。その後、数か月にわたり戦闘は見られない。なぜだろうか?
 ワシントン・ポスト紙の記事は、まずバシル大統領が国際刑事裁判所(ICC)の逮捕を免れようとしている可能性を指摘している。

Mr. Bashir's peacemaking is partly driven by his desire to free himself from the war crimes charges and sanctions against his government.

バシル氏の平和志向には、戦争犯罪容疑と彼の政府への制裁を免れたいとする動機も多少はある。


 しかし、それだけではないとして、同紙は2点の重要な指摘をしている。(1) 4月11日に予定されている26年ぶりの総選挙で大統領としての信任を得なくてはならない。他の候補に弱みを握られてたくない。 (2) 来年1月に予定されている南部スーダンの独立に備え、西部ダルフール危機を悪化させたくない。
 2点は連鎖している。バシル大統領としては、やや難しい橋を渡る時期になっている。大統領に再任されたとしても、ダルフールとは異なり戦車も保有している南部の独立は阻止しがたい。
 バシル大統領は、このままおとなしくしているのだろうか。どうもそうではないようだ。

The potential for violence in all this is enormous. Fighting along tribal lines is growing in the south, along with accusations that the fighting is being fueled by Mr. Bashir's government.

全体として暴力の潜在性はかなり大きい。南部では部族間の戦闘は拡大しており、その戦闘をバシル政権が焚きつけていると非難されている。


 南部独立を阻止するために、バシル大統領は、また酸鼻な戦闘に持ち込もうとしているのかもしれない。こうした挑発がダルフールに及ぶ可能性もある。
 米国オバマ政権は現状、当面のスーダン大統領選挙が民主的に実施されることを期待しているようだし、バシル大統領の再選を阻止することが好ましいわけもない。米国としてはバシル政権を安定させ、とりあえず南部の独立という道筋を付けたいのだろう。
 ダルフール危機は終了したのか? こうした文脈で考えてみると、まだそのようには到底思えないのではないか。

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