« [書評]ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン) | トップページ | クルーグマン教授曰く、スペインの悲劇 »

2010.02.13

[書評]中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)

 書名に惹かれて偶然選んだ本だったが、「中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)」(参照)は面白かったが、これを面白いと読める世代は、もしかすると昭和32(1957)年生まれの私が最後の世代かもしれない。いや、これをきちんと読み通せるのは、むしろ私より年長の団塊世代のほうが少ないのかもしれないとも思った。戦後の日本を冷静に見渡せるのはむしろ、ポスト団塊世代だろう。

cover
中国に夢を紡いだ日々
さらば「日中友好」
長島陽子
 私は、こういう本が読みたいと思っていたし、著者の長島氏のような、戦後日本の中国熱を相対化して見ることができる人が、団塊世代の上にかならずいることも知っている。ここにまた一人いたのだと本書を読み終えて奇妙な感動を覚えた。
 長島陽子氏は、本書には1929年の生まれとある。昭和4年である。あとがきを読むと、昨年の9月に傘寿を迎えたとある。現在80歳であろうか。高齢であるが、改めて1929年の生まれを見れば、私の父よりも若く、私の叔母たちの年代であり、そうして身近に引きつけてみると遠い時代の人ではない。ちなみにブルータスの最近号特集(参照)の思想家吉本隆明氏は1924年生まれで、長島氏の同年代よりやや年上である。
 本書あとがきには、本書が長島氏による初めて本だともある。80歳にしての処女作らしい。中国残留孤児の国籍取得を支援する会の機関誌「就友」に掲載していた中国雑感のコラムに目を止めた人が、長島氏一冊本を書くべきだと勧めて、本書が成ったらしい。該当のコラムは、本書の後半三分の一ほどにまとめられている。コラムは、長島氏が定年後中国で暮らした1994年からの一年間から、さらに2002年までの、中国に関連するできごとを平易に記している。
 この時代は、1989年の天安門事件から、江沢民氏の指導の下に中国が反日化を深めていく過程でもある。1990年代ですでに20代になっている人、つまり1970年前後に生まれた人なら、このコラムがすでに歴史の部類であろうが、長島氏が本書の大部で語る自身の歴史物語は、事実上、天安門事件のところで終わる。そこには、青春をかけて中国友好にかけた夢が悪夢であったことに、1970年代半ばに気がつき、そして天安門事件で完全に覚めた物語がある。あるいは、本当に中国を愛した人だからこそ、中国共産党という悪夢に目覚め、なお中国人に本当の友好を堅持することができた希有な記録でもある。
 本書が私にとって無償に面白いと思えたのは、彼女が、ある種、中国友好に洗脳されていくプロセスだった。長島氏は東女を卒業し、1949(昭和24)年に岩波書店に入社した。ごく平凡な国語科の学生だったと自身を語る。入社した岩波書店の当時の雰囲気が興味深い。

出版界では学術書の老舗として有名だったので、薄ぐらい、古ーい感じの会社だろう、と予想していたのに、意外にも社員はみんな左翼なの?と思わせる雰囲気だった。労働組合のチカラがきわめて強く、牛耳っているのは共産党であることは、私にもすぐ分かった。

 その雰囲気のなかで、自然に彼女は青年婦人部の「活動家」になったと言う。まだ日本が独立を果たしていない時代である。翌年に朝鮮戦争が勃発し、日本でもレッドパージが吹き荒れ、各分野から共産党員とそのシンパが追放されたが、岩波書店は及ばなかったかのようだったらしい。

しかしパージの嵐は、なぜか私のいた会社を避けて通って行った。

 岩波書店はどのように見えたものか。彼女はその後、共産党を離党するが、その離党を陰から支える人もいたという文脈でこう語っている。

党の権威で労働組合を牛耳り、役員をして経営者のお目にとまり重役に昇りつめた人も少なくない。労務担当者として君臨するヤカラまで出て、人々の間には不満がマグマのように溜まっていたのだ、とつくづく思わされた。党員同士で社内結婚するカップルが多く、ふところも豊かで別荘を持つ人々もいたので、口の悪い人は「共に産をなすから共産党だ」などと、冗談を言っていた。彼ら党員はあくまで岩波という「進歩的企業」でしか通用しない企業内左翼なのだ。事実、退職したあと、地域などで地道に活動している人など、お目にかかったことはない。

 レッドパージをすり抜けて、長島氏は共産党の活動にいそしむなか、1959(昭和34)年、まだ国交のない時代に初めて訪中することになり、そこで熱烈な歓迎を受け、中国友好に、彼女の言葉を借りれば、「洗脳」される。本書ではその訪中の過程の思い出と、後に「洗脳」が解けて見る考察が対比されている。
 さらに現在では彼女の最初の訪中時の中国の「大躍進」の実態が解明され、衝撃も受けたという。実態については、楊継縄「墓標」によるところが大きいようだ。同書は、本年日本でも翻訳されるというので、私も期待している。
 長島氏の初訪中の翌年、中国作家協会の招待で、野間宏、亀井勝一郎、松岡洋子、大江健三郎、開高健、竹内実らが訪中する。

(前略)あの大江先生が「ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた……一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」と書いているのを読んで目が点になった。私たちでさえ、中国に住みたいとなどと言い出す勇気のある人はいなかった。私は、ある意味で安心した。私などよりはるかに優れた知性をお持ちだろうこういう人々も、中国にイカレて帰って来たのだ。

 余談だが私は中学生時代、亀井勝一郎に傾倒したので、彼が周恩来と握手した写真もよく覚えている。70年代だった。
 長島氏の話は次に60年代安保とそして中国の文化大革命に移る。デモに参加した同時代人としてあの事件をどう見ているか。ここは簡単に記せば、戦争はこりごりとの思いはあったものの安保のことは理解してなかったと述懐している。また、文化大革命の行きすぎのことを知りつつも、革命には行きすぎが伴うものだと大目に見ていたようだ。現在でも南京虐殺は問題視してもチベット人虐殺は大目に見るような人たちの共通心理なのだろう。彼女の親中国「洗脳」は解けていなかった。64年には「日中国交回復を!」のビラ貼りで神田署に逮捕された逸話もある。
 そうした中、日本共産党が反中国の立場を取るようになり、長島氏は共産党を離れることになる。その体験はさらりと書いてあるものの、日共からのバッシングの怖さがわかる。事実上彼女の勤務の岩波にも圧力を掛けたようだ。が、岩波は彼女を結果的に守っている。岩波にはそういうところの芯はあるし、この時代、日共も変化していた。
 本書では触れていないが、日共の武装闘争放棄となる「六全協」が1955年であった。実質日共を創出した沖縄県名護市出身の徳田球一の北京での客死がここで伝えられた。徳球ら所感派と国際派の激しい対立を経て、志賀義雄や宮本顕治ら国際派が勝利し現在の日共に至るのだが、山村工作隊の解体のみならず、長島氏のような親中派の党員を失うことにもなった。また、翌年にハンガリー動乱(参照)が起きた。社会主義政権が軍事力によって民衆を弾圧する権力変質したことが明確になった。
 長島氏の「洗脳」が溶け始めたのは、しかし、こうした共産党や社会主義の変容の余波というより、1971年のニクソンショックによるものだったようだ。私も紅衛兵がかかげる小さな赤いビニール装丁の毛沢東語録を持ち、愛読していた少年だったからよくわかるのが、米帝は、やがて倒れる見かけ倒しの張り子の虎であったはずだ。が、その張り子の虎を毛沢東は受け入れてた。長島氏はこう語る。

 私たちが訪中前に確認した「アメリカ帝国主義と日本軍国主義に反対して闘う」という共通目標など、(案内してくれた中国側活動家はいざしらず)周恩来など当時の中国首脳部の眼中にはなかったんだ、と今にしてつくづく思う。
 こうした中国側のご都合主義の対するモヤモヤは、この頃からだんだん私の胸中に醸し出されて行った。私の中国認識の転換の始まりであり、徐々に中国を相対化して見るようになっていった。

 しかし、この時代の日本の知識人の反応は逆だった。私ももう中学生になったし、団塊世代に憧れて左翼文献も三島由紀夫も読み出していたころだ。総評事務局長の高野実の息子で、高野孟の弟、津村喬など、文化大革命マンセーの奇っ怪な東洋医学礼賛の文章を書きまくっていた。私は沖縄出奔のおり、その手の駄文を捨ててしまったが、取っといてブログに引用して晒せばよかったかとも悔やむが、いやそんなことはすべきじゃないな。
 余談になるが私はそうした影響を抜けても、10代の終わり、楊名時先生に太極拳を2年ほど学んだ。そのままその道を究めていたら、ぜんぜん違った人生もあったのかもしれないなとは思う。楊先生は穏和なかただったが、太極拳の真贋は見抜いていた。お弟子さんたちはみな踊りのような演舞をしていたが、先生の模範は武術の陰をきちんともっていた。私は先生が「私は政治家になりたかった」と語るのを直接聞いた。それももう昔のことになるな。
 長島氏の本に戻ると、その後、「洗脳」が解けるにつれ、工作的な友好ではない真の友好へと尽力され、その過程で北朝鮮拉致問題にも関わるようになる。こうした真摯な姿勢には頭の下がる思いがする。と同時に、そうした過程のなかで、長島氏本人はさして気に留めていないようだが、その思想行動はすでに日本人離れしていく。人が思想の結果として一つの、凡庸な側面を持ちながらも普遍に達する驚くべき実例としても、本書は際立っている。

|

« [書評]ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン) | トップページ | クルーグマン教授曰く、スペインの悲劇 »

「書評」カテゴリの記事

コメント

そうですか。
ちょっとワクワクしてきます。昔の人の体験とか、特に中国のことは母からも聞いているのですが、親からというよりも他に人の、特に中国に魅了された人の時代背景だとかは知りたいです。
昨年、産経ニュースで書評を見てブクマしてあったのですが、なんとなく買いそびれていました。読むのが楽しみです。
因みに産経ニュースはこちらです➠
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/091122/bks0911220812005-n1.htm

投稿: godmother | 2010.02.13 12:22

これは久々に面白そうだと思って買いました
結局、あの世代の考えてる事がまるでわからないというかわかってないんだなと感じていた次第で、タイムリーでした

投稿: rabi | 2010.02.13 13:27

で、あなたの洗脳はいつ解けるの? www

投稿: | 2010.02.13 14:29

面白く記事を拝見しました。
長嶋さんはもしかしたら、学生時代の後輩じゃないかしら、是非彼女の著作を読んでみたい。
当時岩波にはその様な空気があったし、学校にもあったとおもいます。
私は今でも育った街を懐かしく思い、親近感をもっています。学生時代に知り合った方々、懐かしくおもいだしています。
でも実際政治運動に参加した(共産党)方があったとは!おどろきました。
中国の良し悪しは中国で生活し、戦争中、戦後の動乱を経験経験したものでないとわからないと思います。
ただ冷静にかの国に住む人、国、社会をみつめていくことが必要だと思います。
只単に、利益だけを求めて中国に拠点をおき、情報(技術)
などを供給している企業などには不安感をもっています。
親中と知中とはちがうとおもいます。
昔西欧人は中国のことを眠れる獅子と称していました。
あの十数億の広大な中国をおこらしたら、という意味であったと聞いていました。
その中国に火をつけたのが日本であったのではないでしょうか?
彼らは日本人はあまりにも短絡的で、気短で馬鹿正直で怒りっぽい。外交上、利用しやすいと思っているのではないでしょうか?

投稿: カコちゃん | 2010.02.13 20:10

最近も中国かぶれの日中友好謳う本やマスコミ、ブログが増えましたが、歴史や政治思想を客観視、中共の対日政策、彼らの根底にある時代錯誤で狭窄の中華思想を見極めた上での関係を構築する視点に立つ本など、別視点が求めた上で付き合いを考えたいと思ってた上で、こういった角度からの本の紹介はありがいです。

投稿: | 2010.02.13 23:15

終風先生の少年時代の世の中の思潮の主流というのは、正直7年後生まれ程度の年齢差でもあまり実感できるイメージがわかないのですが、私の場合はこんなでした。

小学校時代は、周囲に創価学会の人たちが多かったので、そんなに共産党シンパの環境ではありませんでした。創価学会の会員の子供たちに友達が多かったので、いまでも創価学会には、まるで悪意がありません。

中学校時代に、ソ連のアフガン侵攻があったんです。それで、日本の社会から、急にソ連よりの意見が減少したと思います。その、ソ連のアフガン侵攻を直前に予言していたのが、故倉前盛通亜細亜大学教授で、倉前先生が、一躍時代の寵児になりました。わたしも、その当時の空気に影響されて、倉前先生の著書は何冊か読み、「艶の発想」などは何度も読み返しました。その当時、倉前先生の影響を受けて、私のように、すごく右翼的な考えを植えつけられた若い人たちは案外多いと思っています。

大学時代は、栗本慎一郎、浅田彰、中沢新一といった、いわゆるニューアカが流行していました。わたしは、ニーチェがすごく好きだったので、栗本先生の影響で、ジル・ドゥルーズとかをよろよろ読んでいました。

今振り返ると、もし倉前盛通先生が経済人類学に関心を持っていたら、倉前先生が熱心に研究していたチベットの社会や歴史や文化をモデルにして、来るべき情報化社会はどういう知識社会にすべきかのビジョンをより明確にできていたかもしれないと思っています。また、栗本慎一郎先生が地政学の知識を持っていたら、「パンツ」を禁忌や欲望の昇華だけに連想しないで、「パンツ」とは急所の防具であるというリアリズムに立脚した左翼思想を打ち出していただろうとも考えます。栗本先生に、「パンツは急所の防具」というリアリズムがあったら、上野千鶴子先生の女性学やフェミニズム論もずいぶん変質したと思います。もし、上野先生に、学生運動のゲバルトだけでなく、合気道なり少林寺拳法なりの武道の経験があれば、上野先生の男性観も変わったと思います。武道でなく、将棋か囲碁で多くの男性と対局した経験を持ったとしても、上野先生のフェミニズムは大きく変化したはずだと思います。

私の青少年時代とは、おおざっぱにこんな環境です。正直、岩波は、ほとんど力を失っていました。

投稿: enneagram | 2010.02.14 13:11

関係ないんすけどこの前のブルータスは何も引っ掛からなかったですか?

finalventさんの吉本文中毒者ですので、なんか読みたいんですが。

投稿: ネット的乾坤 | 2010.02.14 13:36

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/657/47553593

この記事へのトラックバック一覧です: [書評]中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子):

« [書評]ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン) | トップページ | クルーグマン教授曰く、スペインの悲劇 »