[書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)
本書「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)は、日本では、「フェルマーの最終定理」(参照)や「暗号解読」(参照上巻・参照下巻)で人気の高い科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏の近著として読まれているように思う。シン氏の著作の訳はどれも青木薫氏に統一されていて読みやすいことも人気の一つだろう。
代替医療のトリック |
本書には興味深い献辞がある。「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。なぜか。チャールズ皇太子が代替医療に関心をもち、どちらかと言えばその推進の立場にあるため、その科学性と有効性に再考を促したいとシン氏が願ったからだ。
科学的な見地から市民社会への評価として見ると、本書の主張のように、代替医療にはほとんど効果はない。であれば、効果のない迷路のような世界にチャールズ皇太子やその追従者が進む前に、もう一度科学的な指針を本書によって示したいと願うのも理解できる。
この問題意識は、現下の日本の民主党政権についてもいえる。民主党はマニフェストで代替医療の興隆を掲げているからだ。それが直接悪いわけではないが、本書に習えば、「鳩山由紀夫首相に捧ぐ」として読まれてもよいだろう。
しかし、私の主張の結論を急ぐようだが、日本での最大の問題は、本書が例示した代表的な代替医療である、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法の4分野が、鍼がやや馴染み深いとはいえ、日本の代替医療の現状ではそれほど重要ではないことだ。鍼もまた本書で言及されているのは、1970年代以降の中国大陸の鍼であり、日本の現状とは微妙に異なる。さらに日本には石坂宗哲(参照)のような鍼術の系譜もあり、本書のような一括は難しい。
そしてなにより日本の文脈で重要なのは、漢方の問題だろう。日本では漢方は代替医療として意識されておらず、しかも処方薬や市販薬としてあたかも確立しているかのようだが、その効果の大半は本書が提唱する科学の基準、つまり、二重盲検法などの臨床試験を経たものではなく、代替医療である。代替医療としての漢方がどれほど科学的にみて評価できるのかということが、今日本社会に問われている。
本書では、漢方については、訳語からすると直接触れていないが、付録の代替医療の総覧の「伝統中国医学」が相当する。その部分の記述を見てもわかるが、本書の評価はホメオパシーほど非科学的なものではなく、「評価が難しい」として判断は留保されている。留保の理由は、漢方に利用される薬草(ハーブ)には有効成分を含むものがあるということであり、ハーブ薬の問題と同質な議論に還元されている。
しかし、漢方の素材は、本書がハーブ薬として扱うような単味はほとんどなく、よってそれらの素材の単一の評価からは効果はわかりづらい(毒性はわかる)。
代替医療が日本に問われるなら、漢方をどう扱ったらよいのかという課題を看過することはできないが、その考察に本書はそれほど有効な手がかりを与えてはくれない。もともと、日本の漢方は吉益東洞(参照)のように中国の漢方と異なる歴史をもっている部分もあり、全体像を総括することが難しいものではあるが。
日本の文脈を離れると、本書は、英国的な書籍なのか、あまり米国的な印象を受けなかった。なぜなのか自問すると、おそらくクリントン政権下で実現した栄養補助食品健康教育法(DSHEA:Dietary Supplement Health and Education Act of 1994)の背景や実態についての考察が抜け落ちていたからだろう。なぜ、米国で代替医療が興隆しているのか、それを米国の市民社会はどのように考えDSHEAに結実したかという問題意識は、本書には見られない。
このことは、DSHEAを経由してハーブ薬に影響を与えたコミッションE(参照)の言及が見られないことにも対応する。ハーブ薬の章には、各種ハーブ薬の効果についての一覧表があるものの、典拠が明確ではない。共著者のひとり、エルンストがコミッションEをベースに独自にまとめたものかもしれないが、例えば、マオウの項目に「体重減少」が「可」とのみ記されていることなど、ある程度知識を持っている人には不可解な印象を与える(本書のような書籍を訳出する際は、薬草学や関連する専門家の監修を経たほうがよいのかもしれない)。マオウに「体重減少」が掲載されているのは、欧米圏では、マオウとカフェインを主成分とするMetabolife 356(参照)が想定されるからだろう。他の例として、イチョウについてもコミッションEをあたるとわかるが、ハーブ薬とするための規定はかなり厳密になっているが、本書にはそうした観点は欠落している(参照)。
補足になるが、米国の代替医療の現実の差異については、発行年がやや古いが「アメリカ医師会がガイドする代替療法の医学的証拠―民間療法を正しく判断する手引き」(参照)を参照するとわかりやすいだろう。こちらの書籍は米国に偏っているとはいえほぼ網羅的に代替医療についての医師会からの評価がわかる。本書よりも、代替医療の問題点が明確に描き出されている。
それにしてもかくも問題の多い代替医療がなぜ社会に蔓延しているのだろうか。本書の読者の多くは、非科学的なホメオパシーやカイロプラクティックを含め、本書の付録で一覧にされてい代替医療の一覧を見ていると、なんでこんな非科学的な療法に惑わされる人がいるのだろうかと、いぶかしい印象を持つ人が多いだろう。だが、この問題は本書が解説しているほど、そう単純ではない。
本書には、批判の対照として「セラピューティック・タッチ」について言及があり、それがいかに非科学的であるかという例証として、「[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク): 極東ブログ」(参照)や「[書評]すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン): 極東ブログ」(参照)で触れた同書と同様に、エミリー・ローザの事例を上げている。ウィキペディアなどもこの例を大きく取り上げて、非科学性の説明としている。
確かに、このエミリーの事例はいかにもありそうなこととして、この種の本では扱い易いのだが、この一事例をもってしてのみ「セラピューティック・タッチ」が非科学的であると判断するには、ドロレス・クリーガーの業績は重厚になっている。そうした一端は、邦訳書としては「セラピューティック・タッチの技法」(参照)や「ヒーリング・パワー」(参照)などからも伺える。実際、セラピューティック・タッチは米国市民社会ではすでに一定の承認をえている。
医学的検証も積み上がれている。なかには奇妙と思えるような研究もある。例えば、「Therapeutic touch affects DNA synthesis and mineralization of human osteoblasts in culture.」(J Orthop Res. 2008 Nov;26(11):1541-6)の概要より。
Complementary and alternative medicine (CAM) techniques are commonly used in hospitals and private medical facilities; however, the effectiveness of many of these practices has not been thoroughly studied in a scientific manner.補完代替の技法は一般に病院や個人医院で利用されているが、それらの効果の多くは科学的な手法からは十分に検証されているとは言い難い。
Developed by Dr. Dolores Krieger and Dora Kunz, Therapeutic Touch is one of these CAM practices and is a highly disciplined five-step process by which a practitioner can generate energy through their hands to promote healing.
ドロレス・クリーガーとドーラ・クランツが開発した、セラピューティック・タッチは代替医療の一つであり、五段階のプロセスで習得法が高度化されている。これによって、治療を促すエネルギーを手から生み出すことが可能になるとされる。
There are numerous clinical studies on the effects of TT but few in vitro studies. Our purpose was to determine if Therapeutic Touch had any effect on osteoblast proliferation, differentiation, and mineralization in vitro.
セラピューティック・タッチの臨床研究は数多く存在するが、in vitro(イン・ビトロ)の研究は少ない。我々の目的は、in vitroにおいて、骨芽細胞増殖、分化、石灰化の効果を持つか見極めることである。
結果はどうだったか。この研究では、効果があったとされている。
まさかと思うのが科学的な常識であり、そのような特異な研究は他の研究によって否定されるだろうと考えるのも頷ける。だが、その理屈はエミリー・ローザの事例にも当てはまるかもしれない。
私の個人的な考えを述べれば、セラピューティック・タッチは偽科学であろうと思う。だが、それをどう科学的に否定するかとなると、そう簡単な問題でもないとも思う。
なぜこんな事態になっているのだろうか。なぜ、本書のような啓蒙書ないし同種の啓蒙活動がそれほど効果を持たないように見えるのはなぜなのか。偽科学批判の啓蒙がまだ足りないからなのだろうか。代替医療に限定すれば、そこには他にも奇妙な陥穽のようなものがあり、本書の著者たちも十分には留意していないからではないか。
例えば、風邪にホメオパシーが効くとしてもプラセボ以上の効果はないとしながら、腰痛については本書は次のように言及する。
一番難しいのは腰痛などの場合で、医師にできることは限られているが、それでもホメオパシーのようにプラセボ効果だけに頼った代替医療よりは効果が見込める。二〇〇六年、B・W・コースとそのオランダの同僚たちは『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』誌に「腰痛の診断と治療」と大する臨床報告を発表した。
それは次のようなものである。
非ステロイド抗炎症剤は、偽薬よりも痛みを緩和するという強力な科学的根拠がある。継続的運動を勧めることは、患者の回復を早め、慢性の身体障害になる率を低下させる。筋弛緩剤は偽薬より痛みを和らげてくれるが、眠気などの副作用が起こるということを示す強力な科学的根拠がある。逆に、ベッドで安静にしていることや、腰痛の治療のための特別な運動(筋肉強化、柔軟体操、ストレッチ、屈伸、伸展などのエクササイズ)には効果がないことを示す科学的な根拠がある。
この話題はここで途切れているのだが、著者たちは、では、腰痛患者はどうしたらよい(どのような治療がよい)とみなしているのだろうか。
BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)の話の通りなら、「腰痛の痛みがあれば、非ステロイド抗炎症剤を服用しなさい。痛みがあっても、日常の活動はしなさい」ということだろう。そして、ストレッチや腹筋を鍛えるといった活動には効果がない、とも。それは科学的に間違っていない。だが、治療とも言いがたい。
実は、ここには、なぜ腰痛になるかという問題意識が欠落している。そこは科学的にどうなのだろうか。私の手元のBMJのクリニカル・エビデンス(参照)を見ると、腰痛の病因/危険因子については「症状、病理的所見およびX線所見はあまり相関しない。疼痛は約85%の人において非特異的である」とある。つまり、大半の腰痛には病理学上特異的な所見はない。なぜ腰痛になっているのかわかっていないことが大半なのである。
原因がわかっていなくても治療はありうるが、本書の筆者たちがBMJを引いている指針には、疼痛の軽減がNSAID(非ステロイド抗炎症剤)で可能だということと日常活動の継続が効果的だということで、治療は書かれていない。
BMJの同書には、腰痛の多くに心因の言及がある。心因であれば、まさに無意識を含めた心の問題であり、であれば呪術的な治療が効果をもってしまうこともあるのではないだろうか。心が病を生み出しているなら、薬剤の効果を知るための二重盲検法も難しい。
市民社会はEBM(根拠に基づいた医療:Evidence-based medicine)が優先されなければならないが、その臨界は腰痛の例のようにあまり明確ではない部分があり、実際の代替医療はそうした市民社会側の要請で実質成立しているのではないか。だとしたら、ただそれを非科学としてのみ排除することは難しいのではないか。そうした視点にまで本書が及んでいたなら、より広い問題提起となっただろう。
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