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2010.02.27

[書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)

 本書「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)は、日本では、「フェルマーの最終定理」(参照)や「暗号解読」(参照上巻参照下巻)で人気の高い科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏の近著として読まれているように思う。シン氏の著作の訳はどれも青木薫氏に統一されていて読みやすいことも人気の一つだろう。

cover
代替医療のトリック
 私もそうした文脈で本書を読んだのだが、読後、本書は科学ジャーナリストとして十分に書かれているものの、この分野はサイモン・シン氏にとっては不慣れなままではなかったかという印象が残った。おそらく、シン氏もその点は理解していて専門であるエツァート・エルンスト氏と共著したのだろう。
 本書には興味深い献辞がある。「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。なぜか。チャールズ皇太子が代替医療に関心をもち、どちらかと言えばその推進の立場にあるため、その科学性と有効性に再考を促したいとシン氏が願ったからだ。
 科学的な見地から市民社会への評価として見ると、本書の主張のように、代替医療にはほとんど効果はない。であれば、効果のない迷路のような世界にチャールズ皇太子やその追従者が進む前に、もう一度科学的な指針を本書によって示したいと願うのも理解できる。
 この問題意識は、現下の日本の民主党政権についてもいえる。民主党はマニフェストで代替医療の興隆を掲げているからだ。それが直接悪いわけではないが、本書に習えば、「鳩山由紀夫首相に捧ぐ」として読まれてもよいだろう。
 しかし、私の主張の結論を急ぐようだが、日本での最大の問題は、本書が例示した代表的な代替医療である、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法の4分野が、鍼がやや馴染み深いとはいえ、日本の代替医療の現状ではそれほど重要ではないことだ。鍼もまた本書で言及されているのは、1970年代以降の中国大陸の鍼であり、日本の現状とは微妙に異なる。さらに日本には石坂宗哲(参照)のような鍼術の系譜もあり、本書のような一括は難しい。
 そしてなにより日本の文脈で重要なのは、漢方の問題だろう。日本では漢方は代替医療として意識されておらず、しかも処方薬や市販薬としてあたかも確立しているかのようだが、その効果の大半は本書が提唱する科学の基準、つまり、二重盲検法などの臨床試験を経たものではなく、代替医療である。代替医療としての漢方がどれほど科学的にみて評価できるのかということが、今日本社会に問われている。
 本書では、漢方については、訳語からすると直接触れていないが、付録の代替医療の総覧の「伝統中国医学」が相当する。その部分の記述を見てもわかるが、本書の評価はホメオパシーほど非科学的なものではなく、「評価が難しい」として判断は留保されている。留保の理由は、漢方に利用される薬草(ハーブ)には有効成分を含むものがあるということであり、ハーブ薬の問題と同質な議論に還元されている。
 しかし、漢方の素材は、本書がハーブ薬として扱うような単味はほとんどなく、よってそれらの素材の単一の評価からは効果はわかりづらい(毒性はわかる)。
 代替医療が日本に問われるなら、漢方をどう扱ったらよいのかという課題を看過することはできないが、その考察に本書はそれほど有効な手がかりを与えてはくれない。もともと、日本の漢方は吉益東洞(参照)のように中国の漢方と異なる歴史をもっている部分もあり、全体像を総括することが難しいものではあるが。
 日本の文脈を離れると、本書は、英国的な書籍なのか、あまり米国的な印象を受けなかった。なぜなのか自問すると、おそらくクリントン政権下で実現した栄養補助食品健康教育法(DSHEA:Dietary Supplement Health and Education Act of 1994)の背景や実態についての考察が抜け落ちていたからだろう。なぜ、米国で代替医療が興隆しているのか、それを米国の市民社会はどのように考えDSHEAに結実したかという問題意識は、本書には見られない。
 このことは、DSHEAを経由してハーブ薬に影響を与えたコミッションE(参照)の言及が見られないことにも対応する。ハーブ薬の章には、各種ハーブ薬の効果についての一覧表があるものの、典拠が明確ではない。共著者のひとり、エルンストがコミッションEをベースに独自にまとめたものかもしれないが、例えば、マオウの項目に「体重減少」が「可」とのみ記されていることなど、ある程度知識を持っている人には不可解な印象を与える(本書のような書籍を訳出する際は、薬草学や関連する専門家の監修を経たほうがよいのかもしれない)。マオウに「体重減少」が掲載されているのは、欧米圏では、マオウとカフェインを主成分とするMetabolife 356(参照)が想定されるからだろう。他の例として、イチョウについてもコミッションEをあたるとわかるが、ハーブ薬とするための規定はかなり厳密になっているが、本書にはそうした観点は欠落している(参照)。
 補足になるが、米国の代替医療の現実の差異については、発行年がやや古いが「アメリカ医師会がガイドする代替療法の医学的証拠―民間療法を正しく判断する手引き」(参照)を参照するとわかりやすいだろう。こちらの書籍は米国に偏っているとはいえほぼ網羅的に代替医療についての医師会からの評価がわかる。本書よりも、代替医療の問題点が明確に描き出されている。
 それにしてもかくも問題の多い代替医療がなぜ社会に蔓延しているのだろうか。本書の読者の多くは、非科学的なホメオパシーやカイロプラクティックを含め、本書の付録で一覧にされてい代替医療の一覧を見ていると、なんでこんな非科学的な療法に惑わされる人がいるのだろうかと、いぶかしい印象を持つ人が多いだろう。だが、この問題は本書が解説しているほど、そう単純ではない。
 本書には、批判の対照として「セラピューティック・タッチ」について言及があり、それがいかに非科学的であるかという例証として、「[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク): 極東ブログ」(参照)や「[書評]すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン): 極東ブログ」(参照)で触れた同書と同様に、エミリー・ローザの事例を上げている。ウィキペディアなどもこの例を大きく取り上げて、非科学性の説明としている。
 確かに、このエミリーの事例はいかにもありそうなこととして、この種の本では扱い易いのだが、この一事例をもってしてのみ「セラピューティック・タッチ」が非科学的であると判断するには、ドロレス・クリーガーの業績は重厚になっている。そうした一端は、邦訳書としては「セラピューティック・タッチの技法」(参照)や「ヒーリング・パワー」(参照)などからも伺える。実際、セラピューティック・タッチは米国市民社会ではすでに一定の承認をえている。
 医学的検証も積み上がれている。なかには奇妙と思えるような研究もある。例えば、「Therapeutic touch affects DNA synthesis and mineralization of human osteoblasts in culture.」(J Orthop Res. 2008 Nov;26(11):1541-6)の概要より。

Complementary and alternative medicine (CAM) techniques are commonly used in hospitals and private medical facilities; however, the effectiveness of many of these practices has not been thoroughly studied in a scientific manner.

補完代替の技法は一般に病院や個人医院で利用されているが、それらの効果の多くは科学的な手法からは十分に検証されているとは言い難い。

Developed by Dr. Dolores Krieger and Dora Kunz, Therapeutic Touch is one of these CAM practices and is a highly disciplined five-step process by which a practitioner can generate energy through their hands to promote healing.

ドロレス・クリーガーとドーラ・クランツが開発した、セラピューティック・タッチは代替医療の一つであり、五段階のプロセスで習得法が高度化されている。これによって、治療を促すエネルギーを手から生み出すことが可能になるとされる。

There are numerous clinical studies on the effects of TT but few in vitro studies. Our purpose was to determine if Therapeutic Touch had any effect on osteoblast proliferation, differentiation, and mineralization in vitro.

セラピューティック・タッチの臨床研究は数多く存在するが、in vitro(イン・ビトロ)の研究は少ない。我々の目的は、in vitroにおいて、骨芽細胞増殖、分化、石灰化の効果を持つか見極めることである。


 結果はどうだったか。この研究では、効果があったとされている。
 まさかと思うのが科学的な常識であり、そのような特異な研究は他の研究によって否定されるだろうと考えるのも頷ける。だが、その理屈はエミリー・ローザの事例にも当てはまるかもしれない。
 私の個人的な考えを述べれば、セラピューティック・タッチは偽科学であろうと思う。だが、それをどう科学的に否定するかとなると、そう簡単な問題でもないとも思う。
 なぜこんな事態になっているのだろうか。なぜ、本書のような啓蒙書ないし同種の啓蒙活動がそれほど効果を持たないように見えるのはなぜなのか。偽科学批判の啓蒙がまだ足りないからなのだろうか。代替医療に限定すれば、そこには他にも奇妙な陥穽のようなものがあり、本書の著者たちも十分には留意していないからではないか。
 例えば、風邪にホメオパシーが効くとしてもプラセボ以上の効果はないとしながら、腰痛については本書は次のように言及する。

 一番難しいのは腰痛などの場合で、医師にできることは限られているが、それでもホメオパシーのようにプラセボ効果だけに頼った代替医療よりは効果が見込める。二〇〇六年、B・W・コースとそのオランダの同僚たちは『ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル』誌に「腰痛の診断と治療」と大する臨床報告を発表した。

 それは次のようなものである。

 非ステロイド抗炎症剤は、偽薬よりも痛みを緩和するという強力な科学的根拠がある。継続的運動を勧めることは、患者の回復を早め、慢性の身体障害になる率を低下させる。筋弛緩剤は偽薬より痛みを和らげてくれるが、眠気などの副作用が起こるということを示す強力な科学的根拠がある。逆に、ベッドで安静にしていることや、腰痛の治療のための特別な運動(筋肉強化、柔軟体操、ストレッチ、屈伸、伸展などのエクササイズ)には効果がないことを示す科学的な根拠がある。

 この話題はここで途切れているのだが、著者たちは、では、腰痛患者はどうしたらよい(どのような治療がよい)とみなしているのだろうか。
 BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)の話の通りなら、「腰痛の痛みがあれば、非ステロイド抗炎症剤を服用しなさい。痛みがあっても、日常の活動はしなさい」ということだろう。そして、ストレッチや腹筋を鍛えるといった活動には効果がない、とも。それは科学的に間違っていない。だが、治療とも言いがたい。
 実は、ここには、なぜ腰痛になるかという問題意識が欠落している。そこは科学的にどうなのだろうか。私の手元のBMJのクリニカル・エビデンス(参照)を見ると、腰痛の病因/危険因子については「症状、病理的所見およびX線所見はあまり相関しない。疼痛は約85%の人において非特異的である」とある。つまり、大半の腰痛には病理学上特異的な所見はない。なぜ腰痛になっているのかわかっていないことが大半なのである。
 原因がわかっていなくても治療はありうるが、本書の筆者たちがBMJを引いている指針には、疼痛の軽減がNSAID(非ステロイド抗炎症剤)で可能だということと日常活動の継続が効果的だということで、治療は書かれていない。
 BMJの同書には、腰痛の多くに心因の言及がある。心因であれば、まさに無意識を含めた心の問題であり、であれば呪術的な治療が効果をもってしまうこともあるのではないだろうか。心が病を生み出しているなら、薬剤の効果を知るための二重盲検法も難しい。
 市民社会はEBM(根拠に基づいた医療:Evidence-based medicine)が優先されなければならないが、その臨界は腰痛の例のようにあまり明確ではない部分があり、実際の代替医療はそうした市民社会側の要請で実質成立しているのではないか。だとしたら、ただそれを非科学としてのみ排除することは難しいのではないか。そうした視点にまで本書が及んでいたなら、より広い問題提起となっただろう。

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2010.02.26

ダルフール危機は終わったのか?

 ダルフール危機について初めてこのブログで書いたのは2004年4月10日のことだった(参照)。私がこの問題を知ったのは同年同月3日付けワシントン・ポスト紙社説「Crisis in Darfur」(参照)からだった。
 当時、国境なき医師団のサイトに日本語で読める関連情報があったが、日本のジャーナリズムではこの問題に触れていなかった。スーダン政府が民衆の殺戮、つまりジェノサイドに加担していると思えるような状況が発生しているのに、黙っていてよいものだろうか。人類は、ホロコーストがあり、ルワンダ・ジェノサイドがあり、もう二度とジェノサイドを起こしてはならないと言いながら、当時、刻々とジェノサイドは進行していくように思えたものだった。
 なぜダルフール危機について国内で十分な報道がなされていかったのだろうか。いずれにせよ、そういうことであれば、ブログこそがジャーナリズムを補完すべきかもしれないと思い、この問題をその後も追ってきた(参照)。
 その後もしばらく日本のジャーナリズムではダルフール危機が語られなかったが、おそらく背景には、スーダン政府に武器供与を行っている中国への配慮があったのだろう。私も、中国バッシングのネタとしてダルフール危機問題を取り上げるのだというような避難も浴びたものだった。しかし問題は直接的には中国ではなく、とにかく国際世論によってジェノサイドを停止することなのだが、そういう話題にはならなかった。
 それ以前に、進行していた事態がジェノサイドであるという認識が得にくいものがあった。ダルフール危機の実態は、スーダン政府に対立する勢力による、いわば内紛にすぎないと見る見方もあった。たしかに、ダルフール危機は、政府対反抗勢力がもたらした地域紛争であるとも言える。しかし、事態の本質は政府が無辜の民衆を組織的に殺害していくことにあった。
 ブッシュ元米大統領はダルフール問題にそれなりに配慮を示した。オバマ大統領もダルフール危機をジェノサイドであることを明言した(参照)。また、国際刑事裁判所(ICC)は2009年3月4日、スーダンのオマル・バシル大統領に対し、人道に対する罪と戦争犯罪の容疑で逮捕状を出した。ようやく明確に戦争犯罪として国際的に認識されるようになった。
 しかしこの時点では、ジェノサイドの罪が問われていたわけではなく、むしろ微妙に避けられていたふうでもあった。が、2010年2月3日、国際刑事裁判所(ICC)は再考の上、オマル・バシル大統領をジェノサイドで追訴することを決めた(参照)。
 こうしたなか、2月20日、ダルフールの反政府組織で最大規模の「正義と平等運動」(JEM)がスーダン政府と停戦合意した。同種の停戦は2004年時点にもあったが、今回は、国連とアフリカ連合(AU)の口添えに加えカタールの協力が入っていること、また、実質的な戦闘は2008年時点から鎮静化に向かっていることもあって、この合意で紛争の側面が解消されると期待されている。この間の反政府組織の動向は2月23日付ロイター記事「TIMELINE-Darfur Rebels to sign peace agreement with Sudan」(参照)が詳しい。
 沈静化の動向と近年のダルフールの状況については、ジェフリー・ジェットルマン(Jeffrey Gettleman)氏が1月1日付ニューヨーク・タイムズに書いた記事「Fragile Calm Holds in Darfur After Years of Death(ダルフールの死者の歴年の後、壊れやすい鎮静が続く)」(参照)が詳しい。
 この記事は示唆深く、なかでもAUの指揮官ダニエル・オーグストバーガー(Daniel Augstburger)氏による、「人々は狼だと叫んでいたが、危機の中の危機はけして起きなかった」という指摘は、受け止めようによっては、ダルフール危機を叫んだ人々はイソップ寓話の狼少年であっただろうかという内省を促すものでもあった。
 また、現状30万人と推定されている死者だが、英医学誌「ランセット」は死者の八割は生活環境の悪化による病死と推定した。2月3日付け共同記事「ダルフール死者数の8割超が病死 英医学誌に発表」(参照)では、「紛争が最も激しかった04年は暴力行為が主な死因だったが、05年以降は、劣悪な衛生環境の避難キャンプで栄養不足や下痢、汚れた飲み水が原因の病気などで死亡するケースが大半だったとの結果を導き出した」とも伝えている。
 さて、ダルフール危機はもう終わったのだろうか?
 私はエントリ冒頭、この問題を2004年のワシントン・ポスト紙で知ったと描いた。同じくワシントン・ポスト紙は25日付社説「Sudan truce offers some hope for peaceful change」(参照)で、まさにそこを問いかけている。


The war in Darfur, which is estimated to have caused more than 300,000 deaths and prompted a global campaign to defend its 2 million refugees, may have ended.

推定30万人の死者をもたらし、200万人もの難民を阻止しようと国際運動となったダルフールでの戦争は、終わっているのかもしれない。


 2009年の夏を終えた時点で現地の国際平和維持部隊は戦闘終結を宣言している。その後、数か月にわたり戦闘は見られない。なぜだろうか?
 ワシントン・ポスト紙の記事は、まずバシル大統領が国際刑事裁判所(ICC)の逮捕を免れようとしている可能性を指摘している。

Mr. Bashir's peacemaking is partly driven by his desire to free himself from the war crimes charges and sanctions against his government.

バシル氏の平和志向には、戦争犯罪容疑と彼の政府への制裁を免れたいとする動機も多少はある。


 しかし、それだけではないとして、同紙は2点の重要な指摘をしている。(1) 4月11日に予定されている26年ぶりの総選挙で大統領としての信任を得なくてはならない。他の候補に弱みを握られてたくない。 (2) 来年1月に予定されている南部スーダンの独立に備え、西部ダルフール危機を悪化させたくない。
 2点は連鎖している。バシル大統領としては、やや難しい橋を渡る時期になっている。大統領に再任されたとしても、ダルフールとは異なり戦車も保有している南部の独立は阻止しがたい。
 バシル大統領は、このままおとなしくしているのだろうか。どうもそうではないようだ。

The potential for violence in all this is enormous. Fighting along tribal lines is growing in the south, along with accusations that the fighting is being fueled by Mr. Bashir's government.

全体として暴力の潜在性はかなり大きい。南部では部族間の戦闘は拡大しており、その戦闘をバシル政権が焚きつけていると非難されている。


 南部独立を阻止するために、バシル大統領は、また酸鼻な戦闘に持ち込もうとしているのかもしれない。こうした挑発がダルフールに及ぶ可能性もある。
 米国オバマ政権は現状、当面のスーダン大統領選挙が民主的に実施されることを期待しているようだし、バシル大統領の再選を阻止することが好ましいわけもない。米国としてはバシル政権を安定させ、とりあえず南部の独立という道筋を付けたいのだろう。
 ダルフール危機は終了したのか? こうした文脈で考えてみると、まだそのようには到底思えないのではないか。

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2010.02.25

アムネスティ・インターナショナルに問われる良心

 十分にフォローしていた話題ではないが気になるうちに書いておこう。日本語として読める関連記事は、ニューズウィーク日本語版に寄稿されたクリストファー・ヒッチェンズ(Christopher Hitchens)氏による「問われるアムネスティの良心(Suspension of Conscience)」である。実際のところ、この記事が話題の起点にもなっているようだ。オリジナルは「スレート(Slate)」の同記事(参照)で読むことができる。この記事がニューズウィークに転載された形になっている。なお、同種の記事は14日付タイムズ紙「The conscience stifled by Amnesty」(参照)も扱っている。
 ヒッチェンズ氏の記事では冒頭、アムネスティ・インターナショナルの歴史的な背景に触れている。どのような理念で形成されたかを確認したいためだ。それは今更に言うまでもなく、「良心の囚人」を支援するものだった。人が良心にしたがって発言したことが国家の処罰の対象になることに反意を示すものだ。
 話題はこうだ。アムネスティ・インターナショナルがタリバン支持者を人権活動家とみなしたことを、アムネスティ・インターナショナル上級職のギータ・サーガル(Gita Sahgal)氏が「大きな間違い(a gross error of judgment)」だと批判したところ停職処分となってしまった。
 獄に捉えられたわけではないが、良心に従って行動するはずのアムネスティ・インターナショナルがその組織のなかで良心の声を封じたに等しい結果になってしまった。
 ブログを中心にサーガル氏支援の声が上がり、現在では専用のサイト「Human Rights For All」(参照)も設置されている。アムネスティ・インターナショナルがこの問題への対応に変化をつけるか、あるいはサーガル氏を中心に新しい人権団体が創設されるかは、現状ではよくわからない。
 私の関心は2点ある。1つは、こうした、政治団体にありがちな分派的な問題なのかということ。もう1つは、サーガル氏が正しく、アムネスティ・インターナショナルの下した判断が間違っていると言えるのかということだった。
 前者については先に触れたようによくわからない。後者についても難しい問題があるようには思えた。問題となったタリバン支持者は、2001年のアフガニスタンの戦闘で逃れパキスタンで逮捕された英国国籍のモアゼム・ベッグ(Moazzem Begg)氏である。彼はグアンタナモ収容所に収監されたが釈放され、人権団体「ケージプリズナーズ(Cageprisoners)」に参加し、グアンタナモ収容所閉鎖運動を展開している。
 アムネスティ・インターナショナルがベッグ氏と協調したのは、このグアンタナモ収容所閉鎖運動の接点だったようだ。それはそれで理解できる。
 が、ケージプリズナーズの幹部アシム・クレシ(Asim Qureshi)氏は、イスラム過激派組織ヒズブド・タフリル(Hizb-ut Tahrir)の集会に同席し、聖戦擁護発言を行っている。サージ氏が問題視したのはここだ。 彼女は、クレシ氏とアムネスティ・インターナショナルの同席が、「囚人の権利団体を超えた活動("way beyond being a prisoners' rights organization" )」に思え、批判し、停職処分となった。
 背景を知ると、それなりに難しい問題だということはわかる。そして、この問題は視点によって判断は異なるだろうし、アムネスティ・インターナショナルの判断が必ずしも誤りとはいえないだろう。
 記事を執筆したヒッチェンズ氏は、良心に基づく言動活動の帰結と、実際の思想活動の間に線引きをしているようだ。つまり、言論活動であればアムネスティ・インターナショナルは支援するが、それが実際の過激派の活動に関与している部分への加担と見なされる行為は避けるべきだということだ。私も、どちらかと言えば、そう考える。
 あと余談めいた話になるが、日本版ニューズウィークの翻訳記事では、以下の部分が省略されている。が、この部分は非常に重要であると思われる。日本版ニューズウィークはなぜこの部分を省略したのであろうか。


Cageprisoners also defends men like Abu Hamza, leader of the mosque that sheltered Richard "Shoe Bomber" Reid among many other violent and criminal characters who have been convicted in open court of heinous offenses that have nothing at all to do with freedom of expression.

ケージ・プリズナーズは、アブ・ハムザような人物も擁護している。彼は、靴爆弾のリチャード・ライドを匿ったモスクの指導者であり、他にも、凶悪犯罪公開法廷で有罪とされた武装活動家や犯罪者も匿ってきた。これらの犯罪は、表現の自由とはなんら関係はない。


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2010.02.24

地球温暖化防止には気象観測所を増やしたらどうかという間違った提言について

 地球温暖化を防止するにはどうしたらよいか。温室効果ガスの削減が望ましい。「黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果: 極東ブログ」(参照)で触れたようにブラックカーボンの低減も重要だ。ブラックカーボンは二酸化炭素に比べ大気中にとどまる時間が短いとはいえ恒常的に排出している現状は率先して改善されなければならないし、対策費用に対して効果は比較的高い。これに加え、意外な地球温暖化防止の方法が見つかった。気候観測所を減らすことである。
 この提言は、グラフから簡単に読み取れるだろう。「科学と政策研究所(Science & Public Policy Institute:SPPI)」から1月23日に公開された、「ウエザーチャネル(the Weather Channel)」の共同創設者で初代気象学ディレクターのジョセフ・ダレオ(Joseph D'Aleo)氏と「サーフェイスステーション・オーグ(SurfaceStation.org)」の創設者であり気象学者のアンソニー・ワッツ(Anthony Watts)氏共著の報告書「Surface Temperature Records: Policy Driven Deception?」(参照・PDF)によると、地球の温暖化と観測所の数は反比例の関係にある。

photo
棒グラフがGHCNで観測された平均気温、折れ線グラフが観測所の数

 地球温暖化が加速する1990年代以降、気温の観測所の数が激減している。グラフを一見する限りでは、観測所数の低減が地球の温暖化をもたらしているようにも見える。
 なぜなのであろうか。地球温暖化についてはまだまだわからないことが多いが、このデータからは、観測所の数を1990年代以前にまで増やすことで、温暖化防止が実現できるのではないかという期待がもてそうだ。

 そんなわけないです。
 すいません。悪い冗談でした。
 以下は真面目な話。

 いや、悪い冗談というのは、観測所を増やせば地球温暖化が防止できるという話であって、グラフ自体には冗談は含まれていない。このグラフを含めダレオ氏とワット氏の報告は科学的になされている。つまり、地球温暖化の統計の背後に、観測所の低減という事実は存在すると指摘している。
 しかし、有効な観測所を残し、旧態依然の不正確な観測所を統合しても、別段観測に問題はないのではないか、観測所の数は地球温暖化統計に意味ある影響を与えてはいないのではないか。そう思う人もいるだろう。またまた質の悪い地球温暖化懐疑論なのではないか、そう思ってついでバッシングしたい気持ちを持つ人もいるかもしれない。
 が、そうでもない。
 話は、先のSPPIの報告書に詳細があるが、ニュース報道的には10日付フォックス・ニュースのジョン・ロット(John Lott)氏による「The Next Climate-gate?」(参照)が要点をまとめているので紹介しよう。ただし、公平を期して言えば、フォックス・ニュースは温暖化懐疑論を面白おかしく取り上げることが多いので、その側面が注目されるということはある。気になる人は原典にあたるとよいだろう。


In a January 29 report, they find that starting in 1990, the National Oceanic and Atmospheric Administration (NOAA) began systematically eliminating climate measuring stations in cooler locations around the world.

1月29日発表の報告書で、ダレオ氏とワット氏は、1990年から、米国国立海洋大気圏局(NOAA)は世界の寒冷地における気候観測所を組織的に削減しはじめた。

Yes, that's right. They began eliminating stations that tended to record cooler temperatures and drove up the average measured temperature.

本当にそうなのだ。NOAAは低気温になりがちな観測所を削減し、観測された平均気温を釣り上げた。

The eliminated stations had been in higher latitudes and altitudes, inland areas away from the sea, as well as more rural locations. The drop in the number of weather stations was dramatic, declining from more than 6,000 stations to fewer than 1,500.

削減された観測所の所在地は、高緯度で高地、また海から離れた内陸であり、より非都市部の地域であった。観測所の低減は6000カ所から1500カ所へと劇的なものだった。


 ということで、観測所は地球気温を効率良く計測するために削減されたものではない。もっとも、地球が温暖化しているというデータを捏造するために削減されたわけでもない。
 ここで疑問もあるだろう。地球温暖化の基礎データは重層的に採集されているのではないだろうか。ところが、そうでもないらしい。そこが今回の報告書の興味深いところでもある。

All three terrestrial global-temperature datasets (National Oceanic and Atmospheric Administration/ National Climatic Data Center, NASA Goddard Institute for Space Studies, and University of East Anglia) really rely on the same measures of surface temperatures.

NOAA、米航空宇宙局(NASA)ゴッダード宇宙研究所、イースト・アングリア大学という3つの地球気温データ源は、実際には、同一の地表気温測定に拠っている。

These three sources do not provide independent measures of how the world’s temperatures have changed over time. The relatively small differences that do arise from these three institutions result from how they adjust the raw data.

これらの3つの情報源は、歴年の地球気温変化の状態について、独立した計測値を提供してはいない。3つの組織に比較的小さな差異があるのは、生データの調整手法によるものだ。


 NOAA、NASA、アングリア大学の3ソースについては、出所はほぼ同じと見てよく、ダレオ氏とワット氏の指摘は当てはまるようだ。もちろん、これにも異論もあるだろう。
 ダレオ氏とワット氏の報告は、別の視点からも興味深い考察を促している。「どうやらあと20年くらい、地球温暖化は進みそうにない: 極東ブログ」(参照)で、BBCによる地球温暖化の話題を紹介したが、そのなかでこの10年間地球は温暖化していないという話があった。この問題については各種の議論があるが、今回の報告では、観測所削減によるのではないかという指摘もある。

One of the major ones questions has been the divergence in temperature data recorded by satellites in space and down here on the ground.

大きな問題の一つは、衛星から計測した気温と地表測定の気温に差異があることだった。

That difference was very small when satellites first started being used during the 1980s but has grown over time, with ground observations showing a rise in temperature relative to the satellite data.

1980年代に観測を始めたころはその差は小さいものだったが、年を重ねるにつれ大きくなった。衛星観測より地表観測が比較的高くなったのである。

The urban warming effect may not only explain this, but also why land warming has been so much greater than ocean warming.

この都市部での温暖化効果のみでは説明が尽くせないし、なぜ海洋温暖化が地表より進むのかも説明しづらい。


 ダレオ氏とワット氏は、この疑問の根は観測所数による錯誤ではないかと想定している。
 いずれにせよ、観測所の削減は、地球温暖化データを取得したいがための捏造というわけではなく、単に科学的方法論の適切さへの科学的な批判と受け止めたほうがよい。
 さらにいえば、今回のダレオ氏とワット氏の報告によって、そのまま地球温暖化が間違いであったという結論に結びつくわけではない。この点はきちんと留意したいし、政策の決定はまた別のプロセスになる。
 政策という点では、22日付ワシントン・ポスト社説「Climate insurance」(参照)の2つの原則が参考になるだろう。

The first is to acknowledge a level of uncertainty in the predictions and make the case for taking out an insurance policy, as would any prudent homeowner.

第一は、予測における不確実性の水準を認めつつ、思慮深い自宅所有者のように、事態に備えて保険をかかるという指針を持つことだ。



And all the more so when -- and this is the second key point -- the action that would have the most beneficial effect with regard to climate change is in the national interest anyway.

さらに重要なのは、これが第二になるのだが、気候変動に関するもっとも有益な対応は、とにかく国益にかなうということだ。


 ワシントン・ポストの指摘は米国に対してのものだが、日本により当てはまるとも言えるだろう。

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2010.02.23

[書評]医薬品クライシス 78兆円市場の激震(佐藤健太郎)

 書名「医薬品クライシス 78兆円市場の激震」(参照)は刺激的だ。78兆円規模の医薬品市場に激震が走るというのである。いつか。2010年、つまり、今年だ。帯に大書されているフレーズ、「2010年、もう新薬は生まれない」が象徴的だ。

cover
医薬品クライシス
78兆円市場の激震
 帯ではまた「崇高な使命、熾烈な開発競争、飛び交う大金、去っていく研究者」として激震が語られている。だが単に危機を煽った書籍ではないことは、著者佐藤健太郎氏が二年前まで現役の熟練創薬研究者であり、この数年の動向を踏まえていることからわかる。
 なぜ、激震が及ぶのか。私としては二点で理解した。一つは、創薬のハードルが年々高くなってきているということだ。効果のある新薬を生み出すのはノーベル賞受賞より難しい。しかも、医薬品に付きものの副作用に対する安全性にも厳しい目が向けられている。
 二点目が、2010年に関わる。これまで製薬会社のドル箱であった医薬品の特許期限が今年を中心にバタバタと切れ、安価な後発医薬品に追われるようになることだ。創薬の製薬会社の利益確保が格段に難しくなる。
 しかし、ここで医薬品市場ではなく、医薬品を使う側の市民の視点に立つなら、一見話は逆のように見える。成分が同じであるがゆえに効果が同じと見られる後発医薬品が安価に購入できるなら、利用者の負担も減るし、国家の医療費負担も減ることで税の圧迫が抑えられる。確かに、その側面はある。が、反面には、個々には利用者の少ない難病患者のための医薬品開発がより難しくなる現象もある。本書は、医薬品にまつわる各種の側面をバランスよく捉えている。
 本書は、医薬品市場と創薬の現場について焦点を置いているものの、一般の読者にとって興味深いのは、創薬とはなにかという解説だろう。化学者はどのように医薬品を創造するのか。また、創薬の世界にも流行があるといった話は、普通に科学に関心をもつ市民にとっても知的に興味深いところだろう。
 むしろ、書籍としては医薬品市場や創薬の話というより、またクライシスという危機についてよりも、現代の医薬品を総括的にわかりやすく語った点で広い読者層に読まれるべきだろう。ふんだんに散りばめられた各種のエピソードも興味深い。個人的には、遠藤章先生の執念の話や、思わず社内でボツになりかけたハルナールの話などは、もっと知られてよいようにも思えた。

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2010.02.21

鳩山首相が共産党に言われて検討したかった企業内部留保問題について

 ちょっとまとまりのないエントリになるかと思うが、内部留保問題について少し思うことがあったので簡単に記しておきたい。話の発端は17日、鳩山由紀夫首相と共産党・志位和夫委員長が国会内で会談し、志位氏が「大企業の内部留保が日本経済の成長力を損なっている」との指摘に、鳩山首相が「内部留保に適正な課税を行うことも検討してみたい」と応答したことだった(参照)。
 会談での話題は他に、所得税の最高税率引き上げや、証券優遇税制の見直しもあったようだが、内部留保課税についての鳩山首相の発言はまたしても予想通り即座に問題化した。
 企業の内部留保課税は国際競争力を低下させることになりかねないとして、産業界からすぐに反発の声が上がった。一例だが、日本商工会議所の岡村正会頭も「一般論として企業の国際競争力の面からは不適切だ」との認識を示した(参照)。
 その後の経緯からすると鳩山首相のまたしても単なる軽薄な失言の部類らしく、平野博文官房長官も翌日ビジネスライクに火消しに回り、「首相が検討すると言い切った、とは思っていない。税制として一般的に考えていかなければならないこと、として引き取られたのではないか」と述べた(参照)。峰崎財務副大臣も同日、共産党提案の内部留保課税について「税調にない。税調の課題としても出ていない」とすげなく否定した。
 その後、労働団体からも共産党に同調する意見もなく、だいたいこれでこの話は終わった形になった。労働団体としても、勤め先の企業の内部留保課税はデメリットがあると見ているのだろう。
 今回の鳩山首相の不用意などたばたで若干残念だったのは、亀井金融担当相の大立ち回りが見られなかったことだ。亀井氏は「大企業は200兆円を超える内部留保を持っているにもかかわらず、一般国民の懐は段々貧しくなっているという現実もある。そういう意味では政府が直接懐を暖かくすることも大事だ」(参照)や、日本経団連御手洗冨士夫前会長に「あなたたちは、下請け・孫請けや従業員のポケットに入る金まで、内部留保でしこたま溜めているじゃないか。昔の経営者は、景気のいいときに儲けた金は、悪くなったら出していたんだよ」(参照)の持論があるので、もっと派手な問題化に焚きつけるのではないかと、若干期待感はあった。
 ところで話の根っこのもう一つ、共産党の言い分はどうだったのだろうか。これがちょっと面白い。「大企業に責任果たさせよ 志位委員長の質問 衆院予算委」(参照)より。


 志位氏はさらに、大企業が空前の利益を上げながら、なぜ国民の暮らしも経済も豊かにならないかについて質問を続けます。
 この10年間の大企業の経常利益と内部留保、雇用者報酬の推移を示すグラフ(1面参照)を使い、大企業の経常利益が15兆円から32兆円に増えた一方、労働者の雇用者報酬が279兆円から262兆円(09年は253兆円)へ大きく落ち込んだことを指摘。問題は、大企業が増やした利益がどこへいったかです。志位氏が、大企業の内部留保がこの10年余で142兆円から229兆円へと急膨張した事実を示すと、他党議員席からも「その通りだ」と声が上がりました。日本経済のカラクリがここにあったのです。


志位 国民がつくった富を、大企業のみが独り占めにする。日本経済をまともにしようと思ったら、このシステムを改める必要があると思うがどうか。
首相 グラフを拝見すると内部留保が大変に増えている実態はあると思う。それをどうするか、一つの判断はありうるのではないか。

 ところで、企業の内部留保とは何かだが、ブログisologue「政治家のみなさんに向けた会計の初歩の初歩」(参照)が詳しく解説している。典型例としてわかりやすいのは、内部留保が多くても借方の大半が固定資産等になっている企業の例だ。こうした場合、内部留保といっても大半はキャッシュとして企業内にだぶついているわけではなく、企業活動のための投資に回されていている。

 固定資産を買うということは、取引先の企業の売上に繋がるということです。そして、その取引先の企業で雇用も生まれるわけです。
 この会社が自分の従業員に資金を分配することだけが正義じゃないわけです。
 企業の内部留保や労働分配率だけを見て、いいの悪いの言う政治家の方もいらっしゃいますが、経済全体に目が向いていないんじゃないでしょうか?
 固定資産というのは未来の収益のための投資です。
 従業員に分配するだけでなく、会社が他の会社のものを購入することでも社会に貢献しているのに、なんで内部留保(右側)だけを見て課税されたり、「行き過ぎた金融資本主義」なんてことを言われないといかんのでしょうか?

 問題は共産党はこうした理屈を踏まえた上での提言であったか、鳩山首相も簿記の基本を踏まえた上の検討であったか。おそらく、どっちでもなく、簿記のいろはがわかってなかった皆さんのお騒がせという笑話っぽい印象はある。
 ただし。
 ここで共産党や亀井氏の肩を持つわけでは全然ないが、気になることがあって、三点ほど関連して私は少し考えていた。
 一つは、先のisologueエントリにもあるが、内部留保ではないが、固定資産などを除いた預金が企業に貯まっているなら課税してもよいという議論なら正しいのではないかということだ。その実態はどのくらいあるのだろうか。
 二点目は、共産党志位氏の指摘に次のようにフィナンシャルタイムズを論拠付けに参照した部分があったことだ。8日、衆院予算委員会の志位委員の発言(参照)を追ってみたい。

 イギリスの新聞、フィナンシャル・タイムズは一月十三日付で、日本の困難な数十年から何を学べるかと題する論評を掲載しています。
 そこでは、なぜ日本経済が世界規模のショックにこれほどまでに脆弱だったのかと問いかけ、企業が過剰な内部留保を蓄積したことを日本経済の基本的な構造問題の一つとして指摘しております。そして、内需主導の成長のために最も重要な要件は企業貯蓄の大規模な削減であり、新政権は企業の行動を変化させる政策を実行すべきだと述べています。私は一つの見識だと思います。

 このフィナンシャルタイムズ記事はマーティン・ウルフ氏寄稿"What we can learn from Japan’s decades of trouble"(参照)だ。gooに翻訳がある(参照)。志位氏もこの翻訳文を読まれたのではないだろうか。

私自身は、追いつけ追い越せの高度成長が終わった後に、企業による過剰な内部留保と投資機会の減少が組み合わさったことが、構造上の根本的問題になったのだと思う。ロンドンにあるスミザーズ&カンパニーのアンドリュー・スミザーズ氏によると、日本で住宅関係を除く民間の固定投資は1990年で対GDP比20%で、アメリカの2倍近くだった。これは2000年代に微増したものの、現在では13%まで下落している。しかし企業の内部留保については同じような減少は起きていない。1980年代には、こうした企業貯蓄を吸収するべく金融政策がとられたため、資金調達コストはゼロに留め置かれ、無駄な投資はそのまま続いた。2000年代の企業貯蓄対策は輸出と投資ブームで、主に対中貿易がけん引役となった。


日本は今、内需主導の成長実現を目標としなくてはならない。最重要な要件は、企業貯蓄の大幅削減だ。スミザーズ氏いわく企業貯蓄はそもそもが、過去の過剰投資の産物である資本消費が元なのだから、企業内部留保は自然に減っていくだろう。

 原文と簡単に照合してみたがgooの翻訳に誤訳はないように思えた。「内部留保」については、原文では"corporate savings (retained earnings)"となっている。定訳語としてもこれでよいのだろう。
 マーティン・ウルフ氏寄稿と志位氏の理解が合致しているだろうか。ずれているように見える。
 まず、ウルフ氏は現下の日本企業の削減が重要だが、スミザーズ氏の指摘を受けて、それは自然に減少すると見ている。過剰投資は減価償却の赤字分で相殺されるだろうということだろう。だから、この点では、志位氏が主張するような「企業貯蓄の大規模な削減であり、新政権は企業の行動を変化させる政策を実行すべき」という政策論には結びついていない。
 また、政策論であれば、80年代の「企業貯蓄を吸収するべく金融政策」が有効だったとしているので、これは現代の文脈で言えば、リフレ政策に相当するものだろう。
 実際ウルフ氏のこの先の主張もリフレ政策に親和的な論調になっていて、志位氏の理解では文脈に合わない。

デフレももう止めなくてはならない。そのために日本銀行は、円高の行き過ぎ回避のため政府と協力しなくてはならない。最近の円高基調の中、本来ならもっと積極的な通貨政策があってしかるべきだった。日本が意味のあるインフレ(2%というのはギリギリ最低限だ)をついに達成して初めて、日本にまだ必要な実質マイナス金利が実現できるようになる。

 ウルフ氏は、通貨政策を基本に最低でも2%のインタゲ政策を実質的に推奨している。「内部留保」は、企業経営の結果ではあるが、むしろ高度成長期以降の日本経済の必然的な構造でもあるという指摘として理解したほうがよいだろう。
 三点目は、他の論点と重なる点もあるのだろうが、私が好きなピーター・タスカ氏のコラム「鳩山首相のトゥ・ドゥ・リスト」(日本版ニューズウィーク2・17)の次の指摘だ。子ども手当ての財源として。

財源はある。巧みな会計処理で赤字を計上している多数の企業から、しっかり徴税すればいい。

 これは欠損金の繰越控除を使って、多くの金融業者が事実上法人税を免除されていることなどを指すのではないかと思うが、それを課税しても、子ども手当ての財源に及ぶのだろうか。タスカ氏一流の毒舌であろうか。これらは内部保留とは別の話だが、企業課税の税制の変更の必要性という点では重要な指摘ではないのかと思えた。

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2010.02.20

胡錦濤国家主席にノーベル平和賞を

 中国側から米国に報復措置も辞さない(参照)として強い反発のあった、オバマ米大統領とチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の会談だが、米国時間18日、ホワイトハウスの「地図の間」でつつがなく実現した。ただし、会談場所は、大統領執務室ではなく私的な会談向けの地図の間となり、「米国としてはダライ・ラマを政治的指導者と認めていない」というメッセージを明確に示すことで、中国にそれなりの配慮した。
 米国の大統領がダライ・ラマと会うのは、2007年の10月のブッシュ前大統領以来のことで、政権交代があったとはいえ一年半近い空白がある。この間、昨年の秋、オバマ大統領はダライ・ラマとの会談を持つチャンスがあったが、この時は初訪中を控え、過大に中国に配慮したかたちでキャンセルした。中国は当然キャンセルを歓迎したが、オバマ大統領としては内政的に失敗した。議会の与野党から、人権侵害や文化的ジェノサイドが問題となるチベット問題を軽視し過ぎると強い反発を受けた。
 今回の会談実現は、見方によっては、中国からの反発と米内政の反発のトレードオフで、内政に苦戦が強いられるなか、米国国内世論を選んだといえる。対する中国側では、報復を言明した手前、なんらかの形は付ける可能性はある。だが、それがどこまで進むか、どう意味を読み取るかが、今回の会談後の一番重要な点になる。その点で言えば、会談それ自体にはさしたる意味はないだろう。
 現在米中間では、「中国の軍事脅威に救われた普天間問題先延ばし: 極東ブログ」(参照)で言及した、台湾への武器売却や、Googleに関連する検閲問題・サイバー攻撃問題、実質核兵器開発に着手したイランへの制裁可否などの問題で対立が深まっている。簡単に考えれば、ダライ・ラマ会談は中国側の怒りの火に油を注ぐ形に見える。
 どうなるだろうか。私はさしたる問題はないと見ている。中国側、特に胡錦濤政権はダライ・ラマ問題を慎重に配慮し、かなり非常に上手に扱っている印象があるからだ。印象を深めた一つの事例は、「中国・チベット・インドの国境問題とそれが日本に示唆すること: 極東ブログ」(参照)で触れた、昨年11月のインド・中国間国境紛争地域へのダライ・ラマ訪問がさしたる問題もなく終了したことだ。
 胡錦濤政権側のチベット問題への配慮の理由だが、簡単に言ってしまえば、中国の内政における反胡錦濤勢力、つまり反共青団の勢力が、ナショナリズムを高揚することで政権の弱体を狙っている構図への対処がある。胡氏側としては、こうしたナショナリズの罠にできるだけはまらないようにしているためだ。
 さらに胡錦濤政権側には、従来のようなチベット政策、つまり漢民族を送り込み産業を興隆させつつ、チベット民族を近代化された漢民族文化のなかに取り込む政策への反省がある。この見解は、中国のチベット政策について触れた、Newsweek"China Finally Realizes How Badly It Bungled Tibet"(参照)も明快に指摘している。


First, the restive plateau it had treated for decades as a colony is central to its national plan: development and stability are "vital to ethnic unity, social stability, and national security," President Hu Jintao recently told his Politburo. And second, a corollary realization: China's government has been mishandling the issue of Tibet all along.

第一に、数十年に渡り植民地と見なしてきた、この不安定なチベット地域の高地は、国家計画にとっても中心課題である。国家計画とは、胡錦濤国家主席が政治局で語ったところでは、開発と安定が、民族統合、社会安定、国家安全保障に重要であることだ。第二に、前項の帰結でもあるが、中国政府はこれまでずっとチベット問題の対応を間違っていたことだ。


 共産党政府側としてはチベットの開発に多くの資金や知財を投入してきたが、チベット住民からの賛同は得られないどころか、反対の結果になっている。これは、「植民地(as a colony)」政策としては失敗と呼ぶしかないだろう。
 となれば、中国側の新しいチベット政策は、チベット住民側の統合をどのように共産党政権に宥和させるかでしかない。そして、この時点になってみれば、Newsweek誌の記事もこの後の文脈で指摘しているが、残された接点はダライ・ラマしか存在していない。
 ダライ・ラマ側も最後の接点になっている。2008年3月、チベットのラサで発生した大規模な暴動は、むしろダライ・ラマの忍耐強い非暴力活動に甘んじない新世代のチベット人の活動という側面が強く、暴動で問われたのは、ダライ・ラマがチベット仏教最高指導者として、チベットの政治にも指導者たりえているかという問いでもあった。
 ダライ・ラマも胡錦濤氏と同じように、内部に反発憂慮を抱えつつ、しかも両者ともに、宥和の道しか残されていない。さらにダライ・ラマは高齢であり、胡錦濤政権もあと3年しか残されていない。
 この構図において、米国側も穏和に後押しするしかない。冗談のようだが、先のNewsweek誌記事の結語は痛快でもある。

It would be naive to expect President Hu to recant overnight the Tibet policies that he himself devised and executed over the years. But it's not quite so farfetched to see him inching in that direction during his last few years in office as China's supreme leader, or even organizing a face-to-face meeting with the Dalai Lama before he leaves.

胡錦濤国家主席が数年にわたり策定し実施してきたチベット政策を一朝一夕に変更すると期待するのは子供じみている。しかし、彼が政権を維持している残りの数年のうちに、少しずつ変化に方向に向かうと見ることは、そう無理なことでもない。彼が政権を離れる前に、ダライ・ラマとの面談をもうけることもありえないことではない。

It would not only make him a frontrunner for a Nobel Prize but also bring China the respect and admiration that it so acutely lacks.

それなれば、胡錦濤氏をノーベル平和賞候補の先端に押し出すだけではなく、中国に書けている尊敬と称賛をもたらすことにもなるだろう。


 お伽噺のような話のようにも見えるかもしれないが、これは存外にうまい戦略なのかもしれない。上手に、ダライ・ラマと胡錦濤(共青団)が立ち回り、胡錦濤氏にノーベル平和賞をもたらせば、中国内でナショナリズムを煽る勢力を押さえ込むことができる。

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2010.02.18

[書評]中国の大盗賊・完全版(高島俊男)

 誰が読んでも面白い本というのがある。当然、ある程度大衆受け的な部分のトレードオフがあり、「ちょっと単純化しすぎるかな」「世俗的だな」という部分がデメリットになるものだ。これに対して、一部の人が読むとバカ受けに面白い本というのもある。痛快な本書「中国の大盗賊・完全版(高島俊男)」(参照)はどちらか。その中間くらいにある。誰が読んでも面白いとまではいえないし、一部の人にバカ受けということもないだろう。ただ、そこのトレードオフでいうなら、おそらく最適化された書籍だろうし、中国史の理解に自負がある人を除き、普通に中国史と中国文化に関心を持つ人なら、依然必読書だろう。「完全版」でない1989年版は多くの人に既読かもしれない。完全版は2004年に刊行された。何が「完全版」なのか。それは、筆者高島氏が本当に書きたかった終章が再現されていることだ。

cover
中国の大盗賊
完全版
高島俊男
 1989年版つまり平成元年版が書かれたのはその前年か前々年、いずれ昭和の時代であったらしい。出版社から何か一冊書いてほしいという要望で、高島氏が「中国盗賊伝」を提案した。高島氏は当時地方大学の教員で、新書の単著は晴れの舞台とばかりに執筆し420枚に及んだところ、新書なのでということで270枚に縮小を余儀なくされた。
 元の原稿と縮小後の原稿は性格も違うとも述べている。それもそうだ、元来の原稿のテーマは、最後の盗賊王朝中華人民共和国とその皇帝毛沢東を描くことだった。歴代の盗賊皇帝はその前史に過ぎなかった。だが、当時は前史のみが出版され、毛沢東はつけたしで終わった。版元としても、中国批判とも取られかねない書籍の出版にひるんだこともあったようだ。
 初版であとがきに著者高島氏が毛沢東についての部分を割愛した旨を記したところ、そこに関心を持つ人も増えた。本書の前版も、15年も読み継がれ、支持され、なにより平成に入り中国も日本も変化し、中国批判もようやく解禁ムードになり、1994年にはややスキャンダラスな「毛沢東の私生活」(参照参照)も出版されるようになり、ようやく元の原稿の毛沢東部分を可能な限り復元したのが、この完全版である。
 完全版で読み通してみると、なるほど、他の歴史はすべて毛沢東という希代の大盗賊の前史となっていることがわかるし、おそらく毛沢東は大盗賊として理解すべきなのだというのも腑に落ちてくる。また大盗賊らしい豪快なエピソードは読みながら痛快そのものなのだが、さて、これが自分の国のできごとだったらと思うとぞっとしないでもない。
 実は先日「[書評]中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)」(参照)を書いたおり、長島氏が中国の認識を決定的に変えることになった天安門事件が1989年4月であり、そういえば本書の初版が出たのも同じ年であったな。あの時点で完全版が公開されたらどうであったかとしばし夢想にふけっていた。
 本書では盗賊皇帝として、陳勝・劉邦、朱元璋、李自成、洪秀全、そして毛沢東が各章で語られる。劉邦や朱元璋などは、日本の豊臣秀吉に似た成り上がり者の物語としてよく知られているし、本書も概ねそのノリで書かれている。いわゆる漢民族のナショナルな高揚も付きまとう。高校生などが読んでも痛快な物語だろう。殺人の多さには辟易とするにしても。
 歴史に関心がある人にとって面白いのは、李自成ではないだろうか。李自成は明を打ち倒したのち、三日天下ではないが四十日間ほどの国を北京で打ち立てたが、早々に清に破れた。盗賊から反乱者に終わり皇帝にはなれなかった。本書で面白いのは、この李自成について従来語られたことの大半が嘘歴史であったことの研究成果がよく考慮されていることだ。しかも、李自成の伝説は、造反有理の毛沢東を伝説化するためのものであったらしく、清朝の小説から歴史が創作されていった。そして、偽史化の中心は郭沫若であった。
 洪秀全については、それ自体の話としてはそれほど面白くない。が、私も覚えているのだが、私が高校生時代(1970年代だ)、洪秀全はけっこう評価されていたものだった。これも、毛沢東革命の前段として、農民による共産主義的革命という文脈でもあった。偉そうに語られていたが、そういうことだったのかという感慨のある章である。
 そして復刻された最終章なのだが、率直にいえば、今となってはたいていの読書人なら知っていることがらに満ちている。が、人によっては次のような指摘は今でも衝撃的かもしれない。

「林彪事件」の真相はわからないが、宰相(国務院総理)の周恩来が決定的な役割をはたしたであろうことは推測できる。これは国際関係にもかかわっている。周恩来がアメリカ(具体的にはニクソンおよびキッシンジャー)と手を結ぼうとし、林彪がこれを阻もうとし、毛沢東が周恩来のほうに傾いたので、危機感をいだいた林彪がクーデターを企て、周恩来が機先を制して林彪を殺した、というのが一番ありそうなシナリオである。

 ちなみにウィキペディアに林彪事件がなんて書いてあるかなと見たら、意外やそれなりにしっかりと書かれていた。とはいえ、本書の完全版が平成元年に出版されていたら、このあたりの慧眼は際立ったことだろう。

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2010.02.17

ウラン濃縮にいそしむイラン動静

 11日イランの革命記念日にアハマディネジャド大統領は、新たなウラン濃縮作業で目標の濃縮度20%のウラン製造に成功したと述べたらしい。ざっと日本での報道を振り返ると、11日付け共同通信「イランが濃縮度20%ウラン 革命記念日で大統領演説」(参照)や11日付け日経新聞記事「イラン大統領「ウラン20%濃縮成功」 欧米諸国、一段と警戒」(参照)がある。この宣言に対して、米国、ロシア、フランス3カ国は国際原子力機関(IAEA)にイランのウラン濃縮活動は正当化できないと書簡を送った(参照)。欧米ではこれが大きな話題となっていた。が、日本ではそれほど大きな話題にはならなかったようだ。
 アハマディネジャド大統領は今後濃縮度80%のウランも製造できると述べた。普通に考えれば核兵器開発の宣言にも聞こえるが、日本の隣国がかつてそうであったのとは違い、核兵器開発を明言したわけではない。そのせいか、日本の反核団体から抗議の声が上がったという話も聞かない。
 日本の大手紙社説では、私の記憶では、12日に朝日新聞のみが「イラン核疑惑―安保理の結束が試される」(参照)としてこの問題に触れたが、日本の問題とは切り離された印象の、やや他人事感が漂っている。


 イランは濃度3.5%の低濃縮ウランを保有している。アフマディネジャド大統領はこれを20%まで濃度を高めてウラン燃料にすると発表した。核兵器用には90%以上にまで高める必要があるが、そこへ向かいかねないとの懸念が国際社会で広まっている。

 結論を先にいえば、朝日新聞のこの冷やりとした視点は間違っていない。その後の論評も的確である。

 昨年6月の大統領選挙で、アフマディネジャド大統領の対外強硬路線を批判する改革派候補を支持する動きが広がった。長引く経済制裁と国際的孤立は国民生活に打撃を与えている。政権基盤に弱みを抱えるアフマディネジャド氏は国民の不満をかわすため、国際協調に進もうとしたが、保守派の批判で強硬策に逆戻りしたようだ。

 アフマディネジャド大統領自身のイランでの立ち位置の問題が強く反映しているといってよい。ただし、彼の立ち位置は不安定ゆえに弱いのかというと、不安定だからこそ軍事的な独裁へ向かう危険性を孕みだした。
 クリントン米国務長官もアフマディネジャド大統領の不安定さを認識している(参照)。加えて、多少面倒くさい陰影もある。16日産経新聞記事「クリントン米国務長官、対イラン制裁強化で包囲網強化狙う」(参照)より。

イランによる20%の高濃縮ウラン製造開始を受けて、クリントン米国務長官は14、15の両日、ペルシャ湾岸の親米アラブ産油国カタールとサウジアラビアを訪問し、対イラン追加制裁への理解と支持を求めた。長官は15日、サウジのアブドラ国王、サウド外相と会談したが、サウジ側は「段階的な措置ではなく、即効性のある措置が必要」(サウド外相)と主張、イランの核開発に強い懸念を示した。

 日本ではあまり指摘されないが、イランのイスラム教であるシーア派は、中近東地区非シーア派諸国にとって脅威になっている。露骨にいえば、米国は非シーア派イスラム諸国に対してシーア派イランからの脅威を防ごうと提唱する、いわば分断戦略でもあり、同時に、イスラエル問題での宥和的な要素も含んでいる。ガザ問題などもイランの代理戦争的な意味合いがあると見られているからだ。
 実際のイランの脅威という点では、率直なところ、それほど問題はない。イランのウラン濃縮技術自体はまだまだ未熟で、今回のアハマディネジャド大統領の声明も専門家からはただのフカシと見られている。それでも、放置しておけば核不拡散条約(NPT)をナンセンスなものに変容させかねないが、米国がイラン攻撃をするといった事態にはならない。むしろ、米国としては、イスラエルの暴発をどう欧州やサウジを中心としたイスラム諸国を巻き込んで押さえ込むかという問題になっている。言うまでもなく、イランに親和的でやたらと足並みを乱してくれる中国も問題だが現状、そこに焦点を当てて中国問題をさらにこじらせすわけにもいかない。
 この間、ニューヨークタイムズ(参照)やワシントンポスト(参照)など高級紙の対イラン主張を見ると、オバマ政権に対してイラン制裁を強化すべきだという意見が目立つ。ちょっと驚いたのは13日付けワシントンポスト「It's time for U.S. to consider targeting Iran's gas imports」(参照)でガソリンの禁輸措置が提言されていることだ。産油国であるイランにガソリンの輸入禁止というのも不思議なようだが、イランには原油の精製能力が足りないためだろう。ちなみにこの制裁がそれほど効果的とも思えないのは同記事でも言及されている。
 で、どうなるかなのだが、朝日新聞の展望とは異なり、恐らくそれほどどうという展開もないだろう。ただ、イランの弱点は内政の不安定さにあるので、数カ月後にイラン国内で不可解な突発的な動乱でもあれば、いろいろと背後のお仕事が実を結んだのかなという陰謀論みたいな感想も否定しづらくなる。

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2010.02.16

二番底は避けられたか

 政権交代後、鳩山政権が慌てて麻生前政権の残した成長戦略に舵を切り直したことが功を奏したのか、昨年10月から12月の国内総生産(GDP)の実質成長率が4.6%増となった。二番底の危機感は薄らいだ印象はある。が、GDPデフレーター前年同比マイナス3%とデフレは進行しているので、名目GDPの伸び率で見ると年率0.9%である。
 景気が上向いた理由は、日本を取り巻く諸国の経済成長にあるだろう。中国は雑伎団的な成長率を進めているし、ヘリコプター・ベンの米国も伸びている。為替も先ほど1ドル90円を切ったが、これまでのところ安定している。とはいえ、税収の落ち込みから見てもわかるように昨年のピークには及ばない。景気が回復したという実感は伴わない。
 海外ではどう見ているかというと、フィナンシャルタイムズが小言を言っていた。昨日の社説「Japan’s fleeting glimpse of growth(日本は束の間の経済成長を瞥見する)」(参照)である。今回の好調はちょっとしたまぐれに過ぎないという雰囲気は標題からも感じられる。
 フィナンシャルタイムズは、まず、菅財務省がこれでぬか喜びをしないように、また日本の経済統計はすぐに修正されるからそれほど当てにならない、と釘を刺し、たとえ統計値が正しいとしても、日本のリーマンショック後の落ち込みが異常であり、もち返すといっても輸出増回復による対外依存であると指摘している。
 また、麻生政権下のバラマキ型経済成長戦略も評価しつつも、やはり日本経済の最大の問題はデフレだとしている。そのあたりの論点が重要なので、原文を追ってみよう。


The bad news is the outlook for future private demand. Deflation is becoming entrenched: prices are 3 per cent lower than a year ago and in accelerating decline. Japan’s corporations continue to staunch possible demand by locking up savings. Dividends are a measly 3.5 per cent of GDP. In Germany, where operating profits are comparable, they are four times larger.

凶報は将来的な民需の展望にある。デフレが定着している。物価は昨年より3%低落し、さらに急速に下降線を辿っている。日本企業は、内部留保を高めることで可能な需要をいまだ手控えている。配当はGDPのわずか3.5%にすぎない。営業利益で比較できるドイツは、その四倍も大きい。


 デフレが進行しているため、企業にとってもっともよい投資が箪笥ならぬ内部留保になってしまっているのだが、配当の悪さについてはフィナンシャルタイムズの言ってることもわかるものの、トヨタの事例などを見てもなかなか、ドイツと比較というだけでの対応は難しいだろう。
 それでも、政府がきちんとデフレ対策をするなら状況は変わるはずであり、その点をフィナンシャルタイムズも結語で指摘していく。

Though fiscal policy may be Mr Kan’s most accessible tool, what Japan really needs is vigorous anti-deflationary monetary policy and reforms to make companies less tight-fisted. Achieving those would be a real triumph.

菅氏にしてみると財政政策が扱いやすいだろうが、日本が真に必要としているのは、企業が糞づかみしている手を緩めさせるための強力な金融政策と改革である。金融政策と改革の達成が真の勝利となるだろう。


 末文の「勝利」は、省略したが冒頭に今回のGDP成長を勝利とするなという修辞との対応であった("He must, however, curb any temptation to be triumphalist.")。
 財政政策はいわゆるバラマキだが、フィナンシャルタイムズがいうほど菅財務相がその手を使うようには見えない。亀井金融担当相がさらに暴れまくるか、どっかから菅氏が好む煽てをぷうぷう吹き込むかでもしないと無理だろう。なにより財政政策の裏では消費税が控えている。というか、どうも消費税のほうが菅財務相の念頭にある。菅氏にしてみると、再配分による人気で権力を維持することが重要で、日本の経済成長は実質的には念頭にはないように見える。
 フィナンシャルタイムズが菅財務相に勧めているのは、金融政策と改革だが、それが何を意味するかは明確には書かれていない。が、前者はいわゆるリフレ政策と見てよいだろう。そしてデフレ下での有効な金融政策なのだから、いわゆる非伝統的な手法というものが想定されるだろう。改革についても、明瞭にはわからない。いわゆる日本の構造改革のことだろうか。
 率直にいえば、現在の民主党および菅財務相の方向性としては、なんらデフレ阻止の金融政策と改革の方向は見えない。GDPは好調という大本営の裏で、もうしばらくはじりじりと日本はデフレに沈んでいくしかないだろう。
 というところで、白川方明日銀総裁が今日の衆議院予算委員会で、2001年から06年の量的緩和政策について総括している(参照)。

 白川総裁は5年間の量的緩和の経験について「金融システムの安定維持には大きな効果があったと評価している。内外のデフレの歴史を振り返ると、ほとんどが金融システムが不安定化したときに、デフレの怖さが顕在化している」としたが「人々の支出活動を刺激し、その結果、物価が上がっていくということになると、この効果は非常に限定的だった」と指摘した。

 量的緩和政策は金融システムの安定には効果があったが、デフレ退治には効果はあまりないというご見解。

 また「量を潤沢に供給する用意はあるが、量だけで(緩和度合いを)判断するということについては必ずしも納得していない」と述べた。
 実質金利については、日本と欧米の長期金利と物価上昇率を比較したうえで、日本だけが高いということはないと指摘した。
 金融政策については「金利は下げるところまで下げて、かつ、現在の低い金利情勢、極めて緩和的な金融情勢を粘り強く続けていくことを明確にしている」と強調した。

 いちおう低金利は維持するが、それ以上には当面金融政策に変化はなさそう。

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2010.02.14

クルーグマン教授曰く、スペインの悲劇

 現下、欧州連合(EU)ではギリシャの財政が問題になっているが、スウェーデン銀行賞受賞者のクルーグマン教授はスペインのほうが問題だと指摘している。そのあたりを、今後の動向理解のために簡単にまとめておこう。
 クルーグマン教授の言及で一番明確なのは、4日付けテレグラフ紙「Fears of 'Lehman-style' tsunami as crisis hits Spain and Portugal」(参照)だろう。標題は「リーマンショック並の衝撃がスペインとポルトガルを襲う」ということ。


In Spain, default insurance surged 16 basis points after Nobel economist Paul Krugman said that “the biggest trouble spot isn’t Greece, it’s Spain”. He blamed EMU’s one-size-fits-all monetary system, which has left the country with no defence against an adverse shock. The Madrid’s IBEX index fell 6pc.

スペインで債務不履行保険が16ベーシス・ポイント上昇したのは、ノーベル経済学賞受賞エコノミストであるポール・クルーグマンが「最大の問題はギリシャではない、スペインだ」と述べた後のことだった。彼は、スペインの経済的な逆境への防衛手段を奪ったままにする欧州経済通貨統合(EMU)の万能式通貨制度を非難した。


 これには、スペインの財政当局からの反論もあり、同記事に掲載されている。しかし、ここではクルーグマン教授の視点を追ってみよう。
 当面の問題だが、スペインは2007年まで黒字基調だったが、2008年の不動産バブルの崩壊から税収が減少し、急速に財政赤字が膨らみ、ここに来て、ギリシャ財政破綻に次ぐ危機感をもって見られるようになった。そこで、スペイン政府は国債発行を控えるように舵を切った。事実確認として、8日付け日経新聞記事「スペイン、国債発行34%削減へ 信用不安の波及を懸念」(参照)より。

スペイン政府は8日、2010年の国債発行額を、09年比34%減の768億ユーロ(約9兆3000億円)に圧縮すると発表した。同国政府は今後3年間で歳出を500億ユーロ削減する計画を打ち出したばかり。南欧諸国の過大な政府債務に関心が集まる中、財政の健全性をアピールする狙いがある。
 10年の国債残高は5535億ユーロとなり、国内総生産(GDP)の約55%に相当する。地方債も含めた公的債務は同65.9%となるが、スペイン財務省は声明で「欧州の平均水準を下回る」と強調した。

 実際、スペインでは財政赤字には問題がない。クルーグマン教授の5日付けブログ・エントリー「The Spanish Tragedy」(参照)でもOECDによる財政赤字の統計でまずそれが示されている。スペインは目立たない。なお、右端の断トツが扶桑国である。

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Government debt as % of GDP

 では何が問題なのか。


So what happened? Spain is an object lesson in the problems of having monetary union without fiscal and labor market integration.

何が起きたのか。スペインは、財政と労働の市場統合を欠いたまま通貨が統合された際の問題の実例である。

First, there was a huge boom in Spain, largely driven by a housing bubble — and financed by capital outflows from Germany. This boom pulled up Spanish wages.

スペインでは最初に、ドイツから流入する資金でまかなわれた不動産バブルによる大規模な急成長があった。これがスペインの労賃を引き上げた。

Then the bubble burst, leaving Spanish labor overpriced relative to Germany and France, and precipitating a surge in unemployment. It also led to large Spanish budget deficits, mainly because of collapsing revenue but also due to efforts to limit the rise in unemployment.

不動産バブルは弾けたが、スペインの労働者はドイツやフランスに比べ高賃金に留まり、失業率が急騰した。

It also led to large Spanish budget deficits, mainly because of collapsing revenue but also due to efforts to limit the rise in unemployment.

それが財政赤字をもたらした。大半の理由は労働者の収入が崩壊したことだが、失業率悪化に歯止めをかけようとしたことも理由になる。


 スペインでは国家がバラマキをやって財政が悪化したというのではなく、不動産バブルにつられて上がった労賃が、バブル後も硬直化したため失業率を悪化させ、さらに失業率悪化に対応しようとした政治がさらに財政の悪化をもたらしたということだ。このあたりの説明は、鳩山由紀夫首相とその愉快な仲間たちを除くと、普通の日本人にもけっこうチクチクくるところでもある。
 スペインはどうすべきか。クルーグマン教授には対処法はないようだ。別インタビュー(参照)で" I wish I had some clever suggestions.(いいアドバイスでもできるといいのだが)"と無策としているが、同エントリでは、ユーロの問題して見るなら、二つの解決策を暗示している。

If Spain had its own currency, this would be a good time to devalue; but it doesn’t.

スペインに自国通貨があるなら、(リフレ政策などで)通貨価値を下げるよい機会だ。しかし、スペインはこれができない。



On the other hand, if Spain were like Florida, its problems wouldn’t be as severe.(中略)And there would be a safety valve for unemployment, as many workers would migrate to regions with better prospects.

他方、スペインがフロリダのようであれば問題はここまで深刻にならなかった。(中略)(保険などの)セイフティーネットがあれば、多数の労働者はよりよい地域に移動できただろう。


 やはりここでも自国通貨をもつ強みが問われる。また、労働の流動性も重要になる。
 ここでもまた日本を顧みざるをえない。日本の経済問題も通貨価値の固着にあるし、労働者には流動性が少ない。
 クルーグマン教授は、「スペインの悲劇」をスペイン固有の問題というより、ユーロが本質的に持つ問題として見ているが、別の言い方をすれば、欧州連合のような通貨運営と労働市場の流動性の不活発さが想定されれば、他でも起こりうるし、実際、日本でも起きていると言ってよさそうだ。
 なお、スペインの問題を扱ったフィナンシャルタイムズ9日の社説「Deficit windmills」(参照)もクルーグマン教授とほぼ同じ前提になって論じているが、具体的に次のようなアドバイスも掲げている。

Ms Salgado must not think credible medium-term plans require immediate drastic action. She can commit to cuts without front-loading them, especially when markets see Spain as credible: its 10-year bond yields are 4.08 per cent -- just 0.88 points above Germany’s and lower than a year ago.

サルガド財務相は、中期計画に信頼をもたせるべく短兵急な激変を考案してはならない。市場がスペインの信頼を維持しているなら、前倒ししなくても財政削減は可能だ。スペインの10年物の国債利率は4.08パーセントであり、ドイツを0.88パーセント上回るに過ぎないし、昨年より低下している。

What Spain must achieve is growth --- sustainable this time. For that, chronic underemployment in rigid labour markets is a greater problem than high deficits.

スペインに今必要なのは持続可能な経済成長なのである。そのためには、財政赤字よりも、労働市場の硬直性からくる慢性的な不完全雇用がはるかに大きな問題なのだ。


 と、訳を考えつつ、フィナンシャルタイムズの示唆を考えなおすと、これは、ようするに労働者の賃金を下げろという意味になりそうだなと思った。
 エントリにまとめみると、ユーロの問題としてみれば日本にとっては間接的だが、問題構造としては日本もまった他人事ではなさそうだ。しかも、すっきりとした政策提言となると、なにかと問題もありそうだ。

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2010.02.13

[書評]中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)

 書名に惹かれて偶然選んだ本だったが、「中国に夢を紡いだ日々 さらば「日中友好」(長島陽子)」(参照)は面白かったが、これを面白いと読める世代は、もしかすると昭和32(1957)年生まれの私が最後の世代かもしれない。いや、これをきちんと読み通せるのは、むしろ私より年長の団塊世代のほうが少ないのかもしれないとも思った。戦後の日本を冷静に見渡せるのはむしろ、ポスト団塊世代だろう。

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中国に夢を紡いだ日々
さらば「日中友好」
長島陽子
 私は、こういう本が読みたいと思っていたし、著者の長島氏のような、戦後日本の中国熱を相対化して見ることができる人が、団塊世代の上にかならずいることも知っている。ここにまた一人いたのだと本書を読み終えて奇妙な感動を覚えた。
 長島陽子氏は、本書には1929年の生まれとある。昭和4年である。あとがきを読むと、昨年の9月に傘寿を迎えたとある。現在80歳であろうか。高齢であるが、改めて1929年の生まれを見れば、私の父よりも若く、私の叔母たちの年代であり、そうして身近に引きつけてみると遠い時代の人ではない。ちなみにブルータスの最近号特集(参照)の思想家吉本隆明氏は1924年生まれで、長島氏の同年代よりやや年上である。
 本書あとがきには、本書が長島氏による初めて本だともある。80歳にしての処女作らしい。中国残留孤児の国籍取得を支援する会の機関誌「就友」に掲載していた中国雑感のコラムに目を止めた人が、長島氏一冊本を書くべきだと勧めて、本書が成ったらしい。該当のコラムは、本書の後半三分の一ほどにまとめられている。コラムは、長島氏が定年後中国で暮らした1994年からの一年間から、さらに2002年までの、中国に関連するできごとを平易に記している。
 この時代は、1989年の天安門事件から、江沢民氏の指導の下に中国が反日化を深めていく過程でもある。1990年代ですでに20代になっている人、つまり1970年前後に生まれた人なら、このコラムがすでに歴史の部類であろうが、長島氏が本書の大部で語る自身の歴史物語は、事実上、天安門事件のところで終わる。そこには、青春をかけて中国友好にかけた夢が悪夢であったことに、1970年代半ばに気がつき、そして天安門事件で完全に覚めた物語がある。あるいは、本当に中国を愛した人だからこそ、中国共産党という悪夢に目覚め、なお中国人に本当の友好を堅持することができた希有な記録でもある。
 本書が私にとって無償に面白いと思えたのは、彼女が、ある種、中国友好に洗脳されていくプロセスだった。長島氏は東女を卒業し、1949(昭和24)年に岩波書店に入社した。ごく平凡な国語科の学生だったと自身を語る。入社した岩波書店の当時の雰囲気が興味深い。

出版界では学術書の老舗として有名だったので、薄ぐらい、古ーい感じの会社だろう、と予想していたのに、意外にも社員はみんな左翼なの?と思わせる雰囲気だった。労働組合のチカラがきわめて強く、牛耳っているのは共産党であることは、私にもすぐ分かった。

 その雰囲気のなかで、自然に彼女は青年婦人部の「活動家」になったと言う。まだ日本が独立を果たしていない時代である。翌年に朝鮮戦争が勃発し、日本でもレッドパージが吹き荒れ、各分野から共産党員とそのシンパが追放されたが、岩波書店は及ばなかったかのようだったらしい。

しかしパージの嵐は、なぜか私のいた会社を避けて通って行った。

 岩波書店はどのように見えたものか。彼女はその後、共産党を離党するが、その離党を陰から支える人もいたという文脈でこう語っている。

党の権威で労働組合を牛耳り、役員をして経営者のお目にとまり重役に昇りつめた人も少なくない。労務担当者として君臨するヤカラまで出て、人々の間には不満がマグマのように溜まっていたのだ、とつくづく思わされた。党員同士で社内結婚するカップルが多く、ふところも豊かで別荘を持つ人々もいたので、口の悪い人は「共に産をなすから共産党だ」などと、冗談を言っていた。彼ら党員はあくまで岩波という「進歩的企業」でしか通用しない企業内左翼なのだ。事実、退職したあと、地域などで地道に活動している人など、お目にかかったことはない。

 レッドパージをすり抜けて、長島氏は共産党の活動にいそしむなか、1959(昭和34)年、まだ国交のない時代に初めて訪中することになり、そこで熱烈な歓迎を受け、中国友好に、彼女の言葉を借りれば、「洗脳」される。本書ではその訪中の過程の思い出と、後に「洗脳」が解けて見る考察が対比されている。
 さらに現在では彼女の最初の訪中時の中国の「大躍進」の実態が解明され、衝撃も受けたという。実態については、楊継縄「墓標」によるところが大きいようだ。同書は、本年日本でも翻訳されるというので、私も期待している。
 長島氏の初訪中の翌年、中国作家協会の招待で、野間宏、亀井勝一郎、松岡洋子、大江健三郎、開高健、竹内実らが訪中する。

(前略)あの大江先生が「ぼくらは中国でとにかく真に勇気づけられた……一人の農民にとって日本ですむより中国ですむことがずっと幸福だ、とはいえるだろう」と書いているのを読んで目が点になった。私たちでさえ、中国に住みたいとなどと言い出す勇気のある人はいなかった。私は、ある意味で安心した。私などよりはるかに優れた知性をお持ちだろうこういう人々も、中国にイカレて帰って来たのだ。

 余談だが私は中学生時代、亀井勝一郎に傾倒したので、彼が周恩来と握手した写真もよく覚えている。70年代だった。
 長島氏の話は次に60年代安保とそして中国の文化大革命に移る。デモに参加した同時代人としてあの事件をどう見ているか。ここは簡単に記せば、戦争はこりごりとの思いはあったものの安保のことは理解してなかったと述懐している。また、文化大革命の行きすぎのことを知りつつも、革命には行きすぎが伴うものだと大目に見ていたようだ。現在でも南京虐殺は問題視してもチベット人虐殺は大目に見るような人たちの共通心理なのだろう。彼女の親中国「洗脳」は解けていなかった。64年には「日中国交回復を!」のビラ貼りで神田署に逮捕された逸話もある。
 そうした中、日本共産党が反中国の立場を取るようになり、長島氏は共産党を離れることになる。その体験はさらりと書いてあるものの、日共からのバッシングの怖さがわかる。事実上彼女の勤務の岩波にも圧力を掛けたようだ。が、岩波は彼女を結果的に守っている。岩波にはそういうところの芯はあるし、この時代、日共も変化していた。
 本書では触れていないが、日共の武装闘争放棄となる「六全協」が1955年であった。実質日共を創出した沖縄県名護市出身の徳田球一の北京での客死がここで伝えられた。徳球ら所感派と国際派の激しい対立を経て、志賀義雄や宮本顕治ら国際派が勝利し現在の日共に至るのだが、山村工作隊の解体のみならず、長島氏のような親中派の党員を失うことにもなった。また、翌年にハンガリー動乱(参照)が起きた。社会主義政権が軍事力によって民衆を弾圧する権力変質したことが明確になった。
 長島氏の「洗脳」が溶け始めたのは、しかし、こうした共産党や社会主義の変容の余波というより、1971年のニクソンショックによるものだったようだ。私も紅衛兵がかかげる小さな赤いビニール装丁の毛沢東語録を持ち、愛読していた少年だったからよくわかるのが、米帝は、やがて倒れる見かけ倒しの張り子の虎であったはずだ。が、その張り子の虎を毛沢東は受け入れてた。長島氏はこう語る。

 私たちが訪中前に確認した「アメリカ帝国主義と日本軍国主義に反対して闘う」という共通目標など、(案内してくれた中国側活動家はいざしらず)周恩来など当時の中国首脳部の眼中にはなかったんだ、と今にしてつくづく思う。
 こうした中国側のご都合主義の対するモヤモヤは、この頃からだんだん私の胸中に醸し出されて行った。私の中国認識の転換の始まりであり、徐々に中国を相対化して見るようになっていった。

 しかし、この時代の日本の知識人の反応は逆だった。私ももう中学生になったし、団塊世代に憧れて左翼文献も三島由紀夫も読み出していたころだ。総評事務局長の高野実の息子で、高野孟の弟、津村喬など、文化大革命マンセーの奇っ怪な東洋医学礼賛の文章を書きまくっていた。私は沖縄出奔のおり、その手の駄文を捨ててしまったが、取っといてブログに引用して晒せばよかったかとも悔やむが、いやそんなことはすべきじゃないな。
 余談になるが私はそうした影響を抜けても、10代の終わり、楊名時先生に太極拳を2年ほど学んだ。そのままその道を究めていたら、ぜんぜん違った人生もあったのかもしれないなとは思う。楊先生は穏和なかただったが、太極拳の真贋は見抜いていた。お弟子さんたちはみな踊りのような演舞をしていたが、先生の模範は武術の陰をきちんともっていた。私は先生が「私は政治家になりたかった」と語るのを直接聞いた。それももう昔のことになるな。
 長島氏の本に戻ると、その後、「洗脳」が解けるにつれ、工作的な友好ではない真の友好へと尽力され、その過程で北朝鮮拉致問題にも関わるようになる。こうした真摯な姿勢には頭の下がる思いがする。と同時に、そうした過程のなかで、長島氏本人はさして気に留めていないようだが、その思想行動はすでに日本人離れしていく。人が思想の結果として一つの、凡庸な側面を持ちながらも普遍に達する驚くべき実例としても、本書は際立っている。

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2010.02.11

[書評]ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン)

 昨日のエントリ「「ローマの休日」でアン王女のベッドシーンが想定されている箇所について: 極東ブログ」(参照)で、「ローマの休日」の話に触れ、それの解釈のある「ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン)」(参照)を引用したが、同書は非常に面白い本なので、もう少し触れてみたい。

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ニホン語、話せますか?
マーク・ピーターセン
 余談だが、昨日田町駅の前の虎ノ門書房に寄ったら、「日本人の英語 (岩波新書)」(参照)が、現代人の必読書のように陳列されていた。「続・日本人の英語 (岩波新書)」(参照)と併せてそうかなとも思うが、本書、「ニホン語、話せますか?」のほうは、ピーターセン氏の文学的な資質が浮かびあがってきて興味深い。ネタバレ的な話になるが、はっとさせられた話の印象を書いてみたい。
 以前、「国民による国民のための国民の政府: 極東ブログ」(参照)というエントリを書いたことがある。the peopleは「人民」じゃなくて「国民」でしょ、という話だった。毎度のことながらブログの話は争論になる。ちなみに、今、手元のロングマンを見ると、ちゃんとpeopleの項目に、the peopleが項目として分けられ、次のように説明されている。

4 the people
all the ordinary people in a country or a state, not the goverment or ruling class

国または国家における一般民のこと。政府または支配階級を意味しない(含まない)


 ということで、明確に国家が意識され、政府(the goverment)の対比なので、やはり、「国民による国民のための国民の政府」でよいのではないかな、つまり、「人民による人民のための人民の政府」は誤訳なんじゃないか。
 このとき、その話題以外に、of the peopleについて、ちょっと変わった訳があったので、こう触れたことがある。

で、ほぉと思ったのは、この注釈、of the peopleを、「統治される対象が人民であることを指しているのだ」としている点だ。そういう考えがあるのかいなとちょっと考えたけど、日本国憲法とかのべた性を見ても、西洋国家論のスキームを見ても、これは国民の所有ということでしょ。

 として、私としては、of the peopleが、「統治される対象が人民であることを指しているのだ」という説はありえないでしょと思っていた。しかし、そういう説の信奉者さんのコメントなども戴いた。
 その後、ピーターセン氏の本書「ニホン語、話せますか」を読んだのだが、彼もこの、of the peopleが、「統治される対象が人民であることを指しているのだ」という説に出くわしてびっくりしていたことを知った。彼はこの説を「丸谷才一の日本語相談」(参照)で知ってこう本書で述べている。

英語圏で141年以上も続いてきた常識的受け止め方がひっくり返される、リンカーンも驚くにちがいない、突拍子もない文法解釈だが、(後略)

 後略は、日本語の「の」の話である。また、こうも述べている。彼は「the people」を特に考察なく「人民」としているが。

リンカーンの言葉について簡単に言えば、"government (which is) of the people, (which is) by the people, (which is) for the people"(ちなみに、中国ではこれは「民有、民治、民享受的政府」と訳されているようだが)の of the peopleは、いわば、「人民の合意の上で出来た」や、「人民の間から生まれた」などのような意味を表している。

 本書を読んでから、of the peopleが「統治される対象が人民であることを指しているのだ」説はたぶん、ただの間違いとしてよさそうに思った。
 国に関連して、「神の国」話も興味深かった。ピーターセン氏は森喜朗元首相の「神の国発言」で、それが英語報道で"divine nation"と英訳されるのに奇異な感じをもった。

(前略)"divine nation"と言ってしまうと、おそらく一般の日本人が「神の国」から連想するものとはかけ離れた印象を英語圏の人々に植えつけるだろう。つまり、その場合は、「神々がいる国」や、「神々が創った国」、「神々が守る国」のように「国土」のことを想起させる要素はまったくなく、「神なる国民」といったニュアンスが強い。

 なぜそうなるのか。"nation"の意味合いによるらしい。

"nation"は、「国」や「国家」という意味として使われることもあるのだが、基本的には、慣習や起源、歴史、言語などを共有する「人間の集まり」という意味なので、たとえば、the French nationといえば、ヨーロッパの一区画を占める国、フランスという意味ではなく、フランス民族である。「チェロキー族」という一部族でも、the Cherokee nationという。

 なので、"divine nation"というと、日本民族は神聖なり、という含みになるそうだ。
 ピーターセン氏は触れていないが、アウグスティヌスの「神の国」(参照)は、英語だと「Augustine's City of God: A Reader's Guide」(参照)のように「City of God」である。ちなみに、2002年に製作されたブラジルの映画「シティ・オブ・ゴッド(Cidade de Deus)」(参照)と似ている。が、アウグスティヌスの「神の国」のラテン語は"De Civitate Dei"。
 脱線になるが、日本語の「神の国」だが、「神国日本 (ちくま新書:佐藤弘夫)」(参照)のように、歴史的には本地垂迹説、つまり、仏が神として現れる国という意味だろう。
 話を戻して、"nation"それ自体に「族」、民族の含みがあるというのは、重要で、日本国憲法なども、"nation"と"state"の使い分けを、きちんと訳し直したほうがよいのかもしれない。よく話題になる9条もこれが分けられている。

article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
 In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. the right of belligerency of the state will not be recognized.

 訳文では分けられていない。

第9条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 "a sovereign right of the nation"とthe right of belligerency of the stateでは、「国」の意味合いが違うが、訳文からはわかりづらい。
 「ニホン語、話せますか?」からもう一例紹介してこのエントリは終わりにしよう。話は、「失われた世代」だ。これが、誤訳だというのだ。
 この言葉は、ヘミングウェイの「日はまた昇る」で、ガートルード・スタインの次の名句に拠っている。

"You are all a lost generation."

 これを従来は、「君たちはみな、失われた世代なのだ」というように訳していた。が、これは誤訳。

 これは、別段難しい英語ではなく、The police finally found the lost child.(警察は、やっと迷子を見つけた)や、Without a compass, they soon were lost.(彼らは磁石がないので、すぐに道がわからなくなってしまった)などに表されている方角を見失う状態を比喩にして、たとえば、
 He was lost after his wife died.(彼は、妻に死なれて、どうしようもない状態になってしまった)
 のように、"人生の方角"を見失い、駄目になったことを表現しているだけである。


 「失われたお金」なら、誰かがそのお金を失ったはずだ。では、ある世代が失われた場合、いったいなにものがその世代を失ったというのか。

 まあ、それはそうだ。言葉が一人歩きすると、なかなか再考することは難しいものだ。

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2010.02.10

「ローマの休日」でアン王女のベッドシーンが想定されている箇所について

 先日といっても、一昨日の夜だったか、ツイッターをしていたら、その時間帯でNHK BSで映画「ローマの休日」をやっていたらしい。いやそれならステラで前もって知っていたのだが、私はこれのデジタルリマスター版(参照)を持っているので、とりわけ放送を見ることはないなと思っていた。

cover
ローマの休日
製作50周年記念
デジタル・ニューマスター版
 が、与太話ついでに、アン王女のベッドシーンが想定されている箇所について言及したところ、ご関心をもつ人がいたので、じゃあ、エントリにでも書きますかとかつぶやいたものの、ベッドシーンより世界経済に関心が向いてしまったので、昨日は書きそびれた。その後、あれ、書かないんすかみたいな話があったので、ほいじゃ、書いてみますかね。
 映画「ローマの休日」だが、ウィキペディアなんかにも情報があると思うが、名作映画の一つ。話は、欧州のどっかの国の王女であるアン王女一行がローマを訪問したおり、その夜、睡眠薬のあおりとちょっとしたいたずら心で勝手なお忍びでローマ市街に抜けだし、そこでイケメンのちょいとやくざなアメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーと出会い、朝からローマを駆け巡り、そして王女という素性を明かさず恋に落ちるものの、翌朝未明に王女は別れ、お忍びを終え、新聞記者もはかない恋は終わったというもの。
 ローマ観光案内といった趣向もあり、お子様でも見ることができる楽しい映画だし、まあ、主役のオードリー・ヘプバーンがあまりに美人で快活としてぐっと惹かれる。大人が見ても、けっこう、くる。「真実の口」のシーンは、監督はヘプバーンにも知らせずに、いわばその場のハプニングの一発撮りだったようだ。このシーンなんか、ヘプバーンの魅力炸裂でちょっと鳥肌もの。
 オリジナルは「Roman Holiday」で、1953年製作のアメリカ映画。同年に1953年度のアカデミー賞でオードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞得た。最優秀脚本賞を得た脚本はイアン・マクレラン・ハンターによるものだが、これが実際の脚本はドルトン・トランボが書いたもの。当時、ドルトン・トランボは、レッドパージ(社会主義・共産主義者の追放)のさなか、疑われてハリウッドから追放されていた。1993年になって、アカデミー賞選考委員会は、この事実を明らかにし、ドルトン・トランボへ最優秀脚本賞をトランボの代わりに未亡人に授けた。
 私のデジタルリマスター版では、現代のデジタル技術を使って、イアン・マクレラン・ハンターからドルトン・トランボに修正されている。これ、背景風景もデジタルに作成しちゃったらしい。実際やるきになれば本編もかなりデジタル修正できるらしいのだが、あえてそれはしないということになった。なお、NHKの放送はどっちだったんだろうか。

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アナログ版:イアン・マクレラン・ハンター

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デジタル版:ドルトン・トランボ

 ところで、アンの初夜、ベッドシーンだが、レッドパージの時代だからというわけもなく、普通に映画では事実上の禁止(参照)。なので、そんなシーンは存在するはずはない。
 が、話の流れでは存在している。そして、それは、ここだぜ、というシグナルも脚本にしっかり書き込まれている。そんなに難しい箇所ではない。だって、恋に落ちて一晩のことなんだから。
 アン王女とジョーが夜、水辺の酒場で王女の国の追ってに捕まりそうになり、川に飛び込み逃げるというシーンから。

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水辺から上がり、ふたりともしっぽりびしょ濡れ

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その場でびしょ濡れで、キッス

 そして、二人はジョーの住処へしけ込むのだが、その間、やっている。ので、しばらくやってます、映画はしばらくお待ち下さいのシーンで止まる。

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むこうの宿のお二人の初夜を遠くでまったりお待ち下さい

 ことが終わったので、二人のシーンに戻る。

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アン王女がジョーのものを羽織ってバスから出てくる

 重要なのはこの会話。

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ジョー:Everything ruined? / アン王女:No. They'll be dry in a minute.

 男曰く「みんな台無しになっちゃったかい?」 おお、深いその言い方。しかし、ここで表層的に言っているのは、水に濡れた服装のこと。
 女曰く「ちがうわ。服ならもう少しで乾くわ」 おお、深いその言い方。もうしばらくすると、服は乾くわ、つうのは、その間、服は着とらん。その時間が、じっくり、服が乾くまでの時間でした、と。いや、いくら乾燥したイタリアの空気だからって、長過ぎか。
 というわけで、先ほどのお待ち下さいシーンが、ベッドシーンでした。
 その後の男の台詞もぐっとくる。

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ジョー:Suits you. You should always wear my clothes.

 それが合っているなら、毎回ボクのそれを着てもいいんだよ、ということ。つ・ま・り、今後も、そうしてくれてもいいんだ、つうこと。
 いやはや、なかかか短い台詞のなかに、ドルトン・トランボは深い意味を込めているし、脚本、これはすごいなという代物。

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ニホン語、話せますか?
マーク・ピーターセン
 で、私がこれを少年時代見たときわかったか? わからん。その後もわかったかというと、それほど台詞を気にしてなかったので、関心がなかった。はっきりわかったのは、「日本人の英語 (岩波新書)」(参照)や「ロイヤル英文法」(参照)で有名なマーク・ピーターセン氏の「ニホン語、話せますか?」(参照)でじっくり解説してあったから。
 別れの車の中のシーンについてピーターセン氏はこう述べている。

 アンの歳は、台本では具体的に示されていないが、役柄から推すと、18から22くらいだろう。そして、2、3時間前までは処女だった。ここで、彼女は初めて男を知り、しかもその初めての男に、もう二度と会えないのだ。こういう彼女の置かれている立場を考えれば、その非常に切ない表示に初めて納得がいき、このワンシーンは、初めて泣ける場面になるのである。
 逆に言えば、初体験ではなく初キスで終わった、というつもりでこの映画を観てしまうと、『ローマの休日』は車の中のこの場面のせいで、まるでアイドルが出演するテレビドラマ程度の味気ないものになってしまう。ダルトン・トランボは、『いそしぎ』『ジョニーは戦場に行った』など、長いキャリアで数多くの傑作を書いたのだが、どれも洗練されたものばかりで、子供向けの作品は一つもないのである。

 同書は他にもいろいろと解説があって面白いし、その他、村上春樹の翻訳などいろいろな話題もある。
 「ローマの休日」の脚本対訳は「名作映画を英語で読む ローマの休日」(参照)が便利だけど、該当部分の訳はそっけなく、「全部台無し?」「いいえすぐに乾くわ」なので、ちと詳細がわかりづらい。


追記
 違うだろゴラぁコメントを多数戴いたが、各人の解釈はあるだろうと思う。ピーターセン氏はエントリ引用部以外にももう少しじっくり解説しているが、それ以外に私から2点サポートできるとすれば、(1)Hays Code(参照)はこの時代映画制作者のみならず鑑賞側にも前提となる文脈だったこと、(2)この物語の構造は2つの夜の差異を描いていること、がある。
 二度目の夜は最初の夜との対比としてコード化されている。では、その最初の夜はどう差異化されいるかがわかると、その差異の対応として次の夜の予告がわかる。
 最初の夜が明け、朝目覚めてジョーと会話しているとき、アン王女は着ているものが違っていると知って自身の身体をまさぐっている。手は明白に下半身に伸びている。なにかを確認したい。

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着せられたパジャマの下を手でさぐっているアン王女

 次のシーンの会話が大人は笑うところ。

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ジョー:Did you lose something? / アン王女:No

 ジョー曰く、「何か喪失した?」、もちろん、それは比喩的含みがある。アン王女は、「いいえ」と答える。下半身をさぐって何かを確認したから。
 その後の会話も示唆的。

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アン王女:So I've spent the night here with you?

 アン王女曰く、「あなたと一晩ここで過ごしてたわけね?」なのだが、それが、当時の英語でどういう意味を持っているかは、ジョーが解説する。

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ジョー:Well, I don't know that I'd use those words exactly.


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ジョー:but from a certain angle, yes.

 ジョー曰く、「そうだね、そういう言い方が正確かわからないが、しかし、見方によっては、そうだと言えるね」
 ということで、最初の夜でも、ある見方ではそうだった。それが、第二の夜でどうexactlyになるかというのが、この台詞の予告だし、この物語はそういう構造でできている。

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2010.02.09

フィナンシャルタイムズ曰く、日本の財政赤字は問題じゃないよ

 昨日のエントリ「ギリシャ財政悲劇は笑えない」(参照)にも書いたが、菅直人財務相は先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)で日本の財政赤字が問われるのではないかと心配していたようだ。経済のことわかってないものね。しかたない。日銀出のかたから少しレクチャーを受けましょうか……おーっと、ちょっとぉ、待った。
 昨日付のフィナンシャルタイムズ社説「Japan’s debt woes are overstated(日本の財政赤字問題は深刻に悩まなくてよろし)」(参照)から学んだほうが256倍ましかも。
 国内総生産(GDP)比でギリシャより財政赤字を積み上げている日本は、ギリシャみたいになっちゃうのだろうか("Is Japan, mired in debt and deflation, the next Greece? ")とまずフィナンシャルタイムズは問い掛ける。
 不穏な動きはある。亀井金融相はゆうちょ銀行の国債保有率を下げて、米国債を買えとか言っているぞ。


Those incendiary comments came just as Standard & Poor’s, alarmed at escalating debt levels and sluggish growth, warned that it might lower Japan’s credit rating.

亀井金融相の発言は、米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が、日本の財政赤字の拡大と経済成長の停滞から、長期国債の格付けを引き下げるかもしれないとの警告のさなかに出て来た。


 ついに来るべきものが来たか。引き金を引いたのは亀井金融相だったか。
 いや、そんなことはない。日本はギリシャのように債務不履行にはならないとフィナンシャルタイムズは説明する。まあ、知ってる人にはごく普通の常識でもあるのだが、日本の経済は他の先進国とはかなり違っていて同じ物差しでは測れない。理由は4つ。

First, gross debt levels are misleading. Japan’s debt, after netting off the state’s own holdings, is less than 100 per cent of GDP.

(1) 債務の全体が誤解されやすい。日本国の債務は、国の保有分を相殺すれば、GDPの100%以下になる。

Second, the cost of servicing its debt is low, at roughly 1.3 per cent of GDP. That compares with 1.8 per cent in the US, 2.3 per cent in the UK and 5.3 per cent in Italy.

(2) 日本の国債償還費は低く、GDPの約1.3%である。対するに、米国は1.8%、英国は2.3%、イタリアは5.3%である。

Third, Japan has fiscal wiggle room: sales tax is just 5 per cent.

(3) 日本の財政には遊び余地がある。消費税は5%にすぎない。

Fourth, 95 per cent of Japan’s debt is domestically owned. Fickle foreigners have almost no sway.

(4) 日本の債務の95%は国内で消化されている。外国人が気まぐれに影響を与えることはできない。


 なので、日本の財政赤字は、ギリシャみたいな当面の問題にはならない。
 では問題はないのかという、大有り。

Indeed, Japan’s problem is still an excess of savings. Banks are awash with deposits that they need to place somewhere. For some time yet, the government will not find it hard to secure buyers for JGBs. Japan’s debt problem will be worked out in the family.

つまり、日本の問題は依然貯蓄の過剰にある。日本の銀行には預金がじゃぶじゃぶしていて、投資先が必要になっている。しばらくの間は、日本政府が国債の安定した買い手を探すことにはならない。日本の財政赤字問題は、お家の都合で解消されうるものだ。


 まだまだ、日本人は日本国債を買いますよ、と。ほんとかね、という感じもしないでもないが、まあ、そうだろう。
 ようするに財政赤字をタートルネックで気にしているより、デフレ対策しろよ、と。

In short, Japan does not need to apply the fiscal brakes just yet. Better to consolidate the recovery through loose fiscal policy a while longer. In one area, though, it is being too complacent. That is in the fight against deflation.

つまり、日本は財政支出にまだブレーキをかける必要はない。もうしばらく財政緩和政策をすることで、景気回復を確たるものにするとよい。とはいえ、あまりに野放図な分野があるぞ。それはだな、デフレ対策だよ。


 ついでなんで、その先の処方箋までフィナンシャルタイムズに伺うと。

In Japan, hoarding cash is clever investing. Just as bad, debt-to-GDP levels have deteriorated along with nominal GDP, the denominator in that ratio.

日本では箪笥預金が一番賢い投資法になっちまっている。他にもひどいのは、名目GDPの下落に伴い、GDP比の債務が悪化していることだ。

The BoJ should do more. It could increase its purchase of JGBs, monetising part of the debt. Though the fiscal situation is not as bad as it appears, a bit of nominal growth would make it look a whole lot better.

日銀、仕事をしろよ。日銀は国債買い上げをして、その分市場に貨幣供給ができるのだ。日本の財政状況は見た目ほどには悪くはないのだから、もうちょっと名目成長率を上げれば、全体の見た目も大きく改善できる。


 つうわけで、今回のフィナンシャルタイムズは、べたなリフレ提言でした。
 これってどうよ、なんだが、概ね正解なんじゃないの。
 民主党も新成長戦略基本方針で、2020年度までの平均で、名目成長率3%、実質成長率2%を上回る成長を目指すと明言しているんだから、それにもかなうはず。
 ただ、民主党はその方法を「新たな需要創造」でとか言っているけど、とりあえず、当面のデフレ対策には、リフレ政策をしたほうが早いだろう。

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2010.02.08

ギリシャ財政悲劇は笑えない

 5日に閉幕した先進七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)には、二つの注目点があった。一つは、経済学の基本でもある乗数効果も知らない菅直人財務相が、「すわっ泥酔」と思われるような発言をしないか、ということだった。懸念を見越して日銀出身の大塚耕平副金融相が同行した。冷やりとさせられたのは、ガイトナー米財務長官との会談だった。菅財務相は「ボク、一年生なのでよろしく("Kan introduced himself as a 'freshman' on financial topics")」と切り出したことだった(参照)。大学一年生で学ぶ乗数効果はまだ苦手なんだ、ボク、ということ。それで務まるのか日本の財務相。大丈夫。ジョークは飛ばしたものの結果的には慎重な発言に終始し、本人がジョークになるのは避けられた。本当によかった。
 ネタはさておき本来の注目点は、菅財務相が飛ばしたジョークのほうにある。8日付け読売新聞記事「G7デビューの菅財務相、ジョークで笑い誘う」(参照)より。


 菅財務相は会議で、ギリシャの財政悪化問題に関連し、「ギリシャという名前がジャパンではなくてよかった」とジョークを飛ばし、会場の笑いを誘った。
 ラガルド仏経済相は会議後、「ウイットが効いていて面白かった」と菅財務相に話しかけたという。

 ちなみに笑いのポイントはラガルド仏経済相の皮肉の効いた、おフランス風のエスプリのほうだ。日本の財政状況を知ってますよ、自虐ギャグですよね、ということ。
 とはいえ、当面の課題はギリシャだ。ユーロ参加時の上限に対してすでに四倍にも膨れあがったギリシャの財政赤字問題は、ポルトガル、スペインに飛び火している。4日のニューヨーク株式相場は1万ドルの大台を3カ月ぶりに割り込んだ。投機筋の圧力も受けている。投資家は新規発行のギリシャ国債の買いに殺到した。ドイツ国債の利回りの倍だ。親方日の丸ならぬ、親方欧州連合(EU)と見られている。
 欧州中央銀行(ECB)トリシェ総裁は、G7閉幕後、ギリシャの財政赤字問題について、2012年までに国内総生産(GDP)3%以下とする目標達成は可能だと述べた(参照)が、スウェーデン銀行賞受賞のジョゼフ・スティグリッツ、コロンビア大学教授者は、欧州共同体(EU)が早急にこれらの国の財政支援を行う必要があるとの認識を示した(参照)。
 どうなるのか。経済面だけで考えれば、スティグリッツ氏の意見のように支援するしかないだろうと思うが、問題は政治なのかもしれない。
 ニューヨークタイムズ「Euro Debt Crisis Is Political Test for Bloc」(参照)は政治危機として見ている。

Anxiety about the health of the euro, which has spread from Greece to Portugal, Spain and Italy, is not simply a crisis of debts, rating agencies and volatile markets. The issue has at its heart elements of a political crisis, because it goes to the central dilemma of the European Union: the continuing grip of individual states over economic and fiscal policy, which makes it difficult for the union as a whole to exercise the political leadership needed to deal effectively with a crisis.

ギリシャに端を発し、ポルトガル、スペイン、イタリアと伝搬してきたユーロの健全性への不安は、単に負債や格付け機関、不安定な市場の危機といったものではない。問題の核心は、政治危機にある。というのは、これは欧州連合(EU)の根幹的な矛盾なのだ。参加国は経済と財政政策を継続的な権限を持っており、それが効果的な危機対応に必要な政治的指導力をEUが行使することを難しくする。


  私が誤解しているかもしれないが、EU参加国の経済を均質に健全化することで全体を改善するといったことは、危機対応にはならないということなのだろう。 各国政府の独自性が、EU全体の経済指導力を削いでいる。
 逆にEUに参加せず、やや反EU的なスタンスだった英国のテレグラフでは3日付け社説「Dealing with a budget deficit: a Greek tragedy」(参照)で事態を嘲笑気味に飛ばしている。
For countries constrained by membership of the euro, the shock absorber that currency depreciation and cutting interest rates can provide is not available, so the full force of the crisis measures will impact on domestic institutions, in terms of tax rises, pay freezes and other measures likely to foment unrest. The option of leaving the euro is considered untenable by a political class which has staked so much on being an integral part of the European project, a dream that threatens to become a nightmare for its people.

ユーロの縛りを受けた国では、通貨切り下げと金利削減によって、財政のショック緩和ができない。だから、危機対応の圧力は国内の各種制度に及ぶ。つまり、増税、賃金凍結、さらには社会不安を醸し出す手段にも及ぶ。ユーロ離脱という選択肢は、ヨーロッパの一員と見なされたとこだわってきた政治支配層には受け入れがたいだろう。だが、その夢はギリシア国民には悪夢となる。


Short of domestic insurrection, the Greeks will not leave the euro. However, they are about to suffer the consequences of an EMU that has been flawed from the beginning --- underlining the wisdom of successive British governments in staying outside.

国内動乱でもあれば別だが、ギリシャはユーロを離脱しないだろう。たとえ、もともと問題だらけの経済通貨同盟 (EMU)の帰結に今後どれほど苦難が待ち受けようとしてもだ。同時に、このことは傍観者に留まった英国政府の賢明さをも示している。


 このあたり、欧州から王家を押しつけられた近代ギリシア史を思い浮かべると、英国の底意地の悪さのようなものがじんわり伝わってこないでもない。
 話を経済に戻せば、ギリシャ財政の問題は対外債務によっていること、ユーロの縛りを受けていることにある。その点、日本の財政赤字は国内で消化されているし、日銀が本気になればリフレ政策も可能だ。
 こうした問題を世界の経済政策者集団の一年生になった菅財務大臣はどう見ているか。こう言っている(参照)。
「日本の財政状況について伝えた。もっと話題になるかと思ったが、どちらかといえば、ギリシャの問題が多く意見交換され、結果として日本の財政赤字そのものを問題にするやりとりはなかった」

 わかってないよね、この人、全然。

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2010.02.07

プリウス問題、雑感

 トヨタのリコール問題について私はあまり関心をもって来なかった。よくあることではないかと思っていた。4日付けフィナンシャルタイムズ社説「Warning to Toyota: speed can kill」(参照)も、"A recall is a routine occurrence in the industry. (リコールは自動車産業につきもの出来事である)"と割り切っていた。だが、そうとも言い切れなくなったようだ。問題も錯綜してきた。自分なりにまとめておきたい。
 今回の一連の騒動のきっかけは、昨年8月28日のこと。カリフォルニア州サンディエゴ郊外の高速道路で、トヨタのレクサスES350が時速190キロで道路柵に激突。乗車4人が亡くなった。カリフォルニア州高速警察隊員マーク・セイラーさん(45)、妻クレオフェさん(45)、娘マハラさん(13)、クレオフェさんの弟のクリス・ラストレラさん(38)。レクサスは整備期間中の代車だった。暴走するレクサスを他に被害を与えなず車を制止させるためにマークさんはあえて道路柵にぶつけたのかもしれない。哀悼したい。
 事故原因は、代車に別車種の合わないマットが装着され、アクセルペダルが戻らなくなってしまったことらしい。事件後、他のレクサスでも、ゴム製マットが固定されずにペダルの下に入り込むと、ペダルが引っかかり戻らなくなることがあると判明。トヨタは昨年9月29日、レクサスなど約380万台を対象にマットを外すためのリコールをした。その後、ペダル改造のリコールにもなった。その数は約430万台に及んだ。トヨタの米国年間販売台数の二倍になり、費用は数百億円かかるとみられる。それでもトヨタは黒字を出すのだが。
 日本でも問題は起こらないか。国土交通省は、トヨタと限定されないが、その前年にフロアマットにアクセルペダルが引っかかって起きた事故を13件とアナウンスした。トヨタとしては、フロアマットが適切に使われていれば問題なく、自動車自体に欠陥はないとして国内ではリコールしない。
 ここまでの経緯で見れば、確かに自動車自体の構造的な欠陥があったとは思えない。整備がきちんとなされていたら問題もないかに見える。いや問題は事前にわかっていたという報道もある。5日付け読売新聞記事「レクサスの異常、米当局は2007年に把握」(参照)は、問題を米当局は把握していたかのように報じた。


 NHTSAが08年4月にまとめた報告書によると、レクサス「ES350」の保有者1986人を対象にした調査で、約3%にあたる59人が「意図しない急加速を経験した」と回答した。このうち35人は、ゴム製の全天候型マットを運転席側に敷いていた。NHTSAは当時、マットに問題があるなどの指摘にとどまっていたほか、トヨタも「フロアマットがペダルにひっかかるのが原因」として、約5万5000台のリコールを実施しただけだった。

 同内容の4日付けワシントンポスト記事「2007 federal probe of Toyota complaints resolved nothing(参照)」の印象は異なる。当局が知っていて公開しなかったという印象の読売記事に反し、2007年からNHTSA(運輸省道路交通安全局)はレクサスES350を購入し調査をしてきたたものの、問題点を見つけられないでいたことを伝えている。そう単純な問題でもないようだ。
 その後、問題はレクサスES350に留まらなくなった。今年に入り、さらにトヨタは米国で販売しているカムリなど8車種、230万台をリコールした。またもアクセルペダルの戻りの問題だが、今回は部品の欠陥を認めたうえでの正式なリコールだった。米国ではこの問題で米下院エネルギー商業委員会で公聴会が開かれた。なお、日本で販売されている同車種には、問題となったアクセルペダルは使われてないので、リコールはない。
 なぜトヨタはこのような事態になったのか。海外調達部品の品質に問題があったのではないかと指摘された。しかしこの時点でも、私などは、規模が大きくなって騒ぐのはしかたがないが、それほど明確に設計上の問題ではないと思えた。いずれ沈静化するのではないかと見ていた。むしろトヨタが誠意に対応していけば、さらに信頼を回復するチャンスにもなるかもしれない、と。
 だが、プリウスの問題はこれらのリコールと質が違う様相を示している。その分、難しい。
 大規模リコールによって注目されたこともあるが、3日に米国メディアは、プリウスのブレーキの不具合情報が日米で100件を越え、米運輸省が実態調査に乗り出したと伝えた。電子制御系統が疑われている。
 ラフード米運輸長官は、3日の米下院歳出委員会の運輸小委員会で、トヨタのリコール対象の車には乗るなと発言し、騒動になり、撤回した。フォードの大量リコールの際には、米当局に類似の発言はなかった。トヨタの株価にも影響を与えることになる。不要な、バッシングやら陰謀だと誤解されないかねない発言だったからだ。
 プリウスのブレーキ制御系に問題があるのだろうか。現時点ではわからない。4日のトヨタの釈明会見(参照)で、横山裕行常務役員はこう説明した。

雪道などでガガガッと車輪が動く経験などでご存知だと思いますが、ABSは車輪のロックを防止するために、ブレーキを一時的に緩めるという機能を持っている。この時、回生ブレーキを油圧ブレーキに切り換わった時に時間差が生じる。そこでいろいろなお客様からご指摘をいただいているのが”空走感”。短時間ブレーキが利かなくなることがある

 つまり、ブレーキそのものが利かないのではなく、切替のタイミングの問題だというのだ。
 今日付の毎日新聞社説「プリウス問題 安心と信頼の回復を」(参照)はこの釈明を切り捨てる。

 トヨタによると、ブレーキの瞬間的な作動・解除を電子制御しているシステムが「運転手にブレーキが利かなくなったと違和感を持たせる」ような設定だったという。あくまでも感覚の問題で、設定を変えれば違和感も消え、「構造的、設計上の欠陥はない」と主張している。
 メーカーにすれば、「欠陥」と呼ぶほどの重大性はないのかもしれない。しかし、安全のカギを握るブレーキに違和感のある車は不安で仕方ない。凍結路面などで起きやすいのなら、なおさらである。だからこそ、トヨタも昨秋に苦情を受け、先月以降は製造段階での設定変更に乗り出したのだろう。
 こうした措置を「品質改善活動の一環」として公表しなかったのも釈然としない。

 6日付け読売新聞社説「プリウス不具合 技術への過信がなかったか」(参照)も同じ論法で切り捨てる。

 今回の不具合は、凍結した路面などを走行中にブレーキが利かなくなるというものだ。トヨタは、クルマの横滑りやスリップを防ぐ「アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)」の制御に問題があったと説明する。
 プリウスには通常のクルマと同じ油圧ブレーキと、減速時に発電もする回生ブレーキを搭載している。走行状況によっては二つのブレーキとABSの働きがうまくかみ合わず、瞬間的にブレーキが利かない感じがするという。
 「その時間は1秒未満で、再度ブレーキを踏めば車は止まる。欠陥ではない」というのがトヨタの言い分だ。だが、事はクルマの基本性能にかかわる。ドライバーの「違和感」で片づけていい問題ではなかろう。
 トヨタは先月の生産分からABSのプログラムを改良し、それ以前に販売した車についても、無償で修理する方向だ。妥当な措置だが、昨秋にこの問題を把握していたにしては、対応が遅すぎる。
 ハイテク装備を過信し、利用者の声を軽視していた面は否めまい。苦情処理の在り方について、見直すことが大事だ。

 この論法では、安全性のために改善できるものを放置して許せないということになる。
 また、今回のトヨタのアナウンスメントや黙って修正していく対応にも批判が多い。たしかにトヨタの不手際は責められるだろう。今後、トヨタ側の説明とは異なり、設計・構造上の問題が発見される可能性もある。
 私は現状、この問題の判断は保留している。ABS技術改良があっても、技術が十分に向上するまでは、プリウスのような省エネ自動車には、ガソリン車とは違う運転方法を採らざるをえない、ある種のトレードオフが潜んでいるのではないかという印象を持っているからだ。
cover
トヨタ・ストラテジー
危機の経営
 余談だが、書評は書かなかったが、昨年「トヨタ・ストラテジー 危機の経営(佐藤正明)」(参照)を読んだ。2009年春までのトヨタの苦難から栄光に至る物語である。帯には、「危機の中にこそ、次の成長の芽がある。大不況を生き抜くビジネスの教科書」とある。今のこの状況となれば、どこかしら皮肉な響きを持つことは否めない。本書では、プリウスの逸話もきらきらと描かれている。
 しかし、プリウスの真価が世界に問われ、トヨタが危機を生き抜くのは現在の新しい課題になった。二年後に本書と同じだけのボリュームのある再起の本が書かれることを望みたいし、日本にとってもそうであって欲しいと思う。
 本書は、伝説的な豊田佐吉から喜一郎といった懐かしい物語もある。トヨタが米国に乗り出す経営の話は確かに「ビジネスの教科書」でもある。個人的にはバブル時代のグリーンメーラーの話も興味深かった。トヨタに食らいつくカネの亡者たちの顛末が懐かしくもあった。

追記
 コメント欄で教えたもらった「緊急!! トヨタ リコール問題を清水和夫が検証する」(参照)の動画説明が詳しい。この問題に関心のあるかたは参照していただきたい。

追記
 この問題に関連して、9日に行われた、郷原信郎氏(名城大学教授)、畑村洋太郎氏(工学院大学教授)、永井正夫氏(東京農工大学教授)による記者会見(press conference, Recorded on 10/02/09 videonews.com on USTREAM. Other News">参照・USTREAM)も興味深いものだった。

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2010.02.06

[書評]日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一)

 先日、日中双方10名ほどの有識者による歴史共同研究の報告書が公開されニュースになった。大手紙の社説などでも言及されていた。共同研究は2006年10月安倍晋三首相(当時)が訪中に際し、胡錦濤国家主席との会談で合意されたものだ。近代史については中国側の都合で非公開となったとのことだが、読める部分はどんなものだっただろうかと思っていたら、外務省で電子文書で公開されていた(参照)。
 中国側の見解もまとめられていたが私は中国語が読めないのでわからない。この部分も翻訳・合本し、政府補助で安価に販売されたらよいのではないかと思った。新聞などの報道では、暴発ということでほぼ定説化しつつある盧溝橋事件について中国側でも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との理解が示されたといった点に着目していたが、他も全体にバランス良く書かれていて、存外にというのもなんだが、よいできだったことに驚いた。なお、盧溝橋事件経過についての日本側の認識は秦郁彦「盧溝橋事件の研究」(参照)によっている。
 報告書を少し追ってみよう。盧溝橋事件だが、日本政府側また石原莞爾も戦闘拡大は望んでいなかった。


現地で断続的な交戦が続く中、7 月8 日、参謀本部作戦部長の石原莞爾が療養中の今井清次長にかわって参謀総長に説明し、参謀総長名で事件の拡大を防止するため、「更ニ進ンテ兵力ヲ行使スルコトヲ避クヘシ」と支那駐屯軍司令官に命令した。翌9 日、参謀次長名で、中国軍の永定河左岸駐屯の禁止、謝罪と責任者の処分、抗日系団体の取締り等の停戦条件が指示された。停戦交渉は、北平特務機関と第29 軍代表との間で実施され、7 月11 日、29 軍は①陳謝と責任者の処分、②宛平県城、龍王廟に軍を配置しない、③抗日団体の取締り等の要求を受け入れ、11 日午後8 時に現地協定が成立した。
 一方、近衛文麿内閣は8日の臨時閣議で事件の「不拡大」を決定したが、不拡大は華北への動員派兵の抑制を意味しなかった。

 満州事変全体を見れば、それ以前の柳条湖事件は日本の謀略であり、日本側に「中国」侵略の意図はあったと言える。中国側がそうした大局観を取るのも理解できるところだ。

1931 年9 月18 日夜、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破された。関東軍の作戦参謀・石原莞爾と高級参謀・板垣征四郎を首謀者とする謀略によるものであった。鉄道守備を任務とする関東軍はこれを中国軍の仕業とし、自衛のためと称して一気に奉天を制圧した。
 柳条湖事件発生の数ヵ月前、陸軍では省部(陸軍省と参謀本部)の課長レベルで、在満権益に重大な侵害が加えられた場合には武力を発動する、というコンセンサスが成立していた。彼らの構想では、武力発動の前に内外の理解と支持を得るために1 年ほどの世論工作が必要とされ、したがって柳条湖事件の発生は早すぎたが、関東軍が武力行使に踏み切った以上、それをバック・アップするのは当然と見なされた。

 すでに言われているように石原としては満州までは維持し、それ以上の戦闘拡大は当面望んでいなかった。対ソ戦、さらには長期的には対米戦への布石として満州を固めたかったのだろう。
 報告書の西安事件以降の蒋介石の話もそれなりによくまとまっている。蒋介石は対日戦争の準備を盧溝橋事件とは別に、この間着々と進めていた。しかも、ドイツの援助のもとでだった。

そもそも蔣介石は、満洲事変以後、安内攘外の方針に基づき日本との妥協を図ってきたが、究極の場合の対日戦の準備を疎かにしていたわけではない。国民政府は剿共戦を戦うためドイツから軍事顧問を招聘し、軍事組織・戦略・戦術の近代化を図るとともに、その助言に基づき、対日戦に備えた軍事的措置を講じつつあった。

 対日戦争の準備はドイツの支援によるものだった。報告書もそこが明記されている。最近の高校の教科書とかはどうなんだろうか。
 ドイツの支援については報告書では当然とも言えるが簡単にしか触れられていない。

1936 年4 月には、ドイツとの間に1 億マルクの貿易協定を結んだ。ドイツからの武器の輸入とタングステン等の輸出によるバーター協定であった。中国はこのようなドイツとの密接な経済的・軍事的関係によって日本を牽制しようとしたが、同年11 月の日独防共協定の成立により、親独政策による対日牽制は頓挫した。

 タングステンはドイツにとって重要だったようだ。報告書の、この記述は概要としてはよいのだが、「軍事的関係」というには実際にはかなり念のいったもので、盧溝橋事件以前からドイツ側が起案した上海戦を想定した準備が進められていた。いわゆるゼークトラインである。
 ハンス・フォン・ゼークトは1933年から1935年まで中国で蒋介石の軍事顧問を勤め、後任はアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンがあたり、上海での日本軍壊滅させるために入念な作戦を練り、さらに最新の兵器を中国に渡し、訓練にもあたっていた。
 この時点で、中国軍は実質ファルケンハウゼンの指揮下にあり、第二次上海事変も彼の戦略に従った。その意味で、日中戦争というより、傀儡化した中国を使っての日独戦争ともいえる側面があった。が、他方、この共同宣言にもあるように、1936年には日独防共協定が成立しており、結果的には「親独政策による対日牽制は頓挫」ということになる。だが、この変化の過程は漸進的なものであり、簡単に言えば、この間ずっとドイツは日本を欺き続けていた。中国にかかわるドイツ人が実質的にはこの時代反日的であったことは関連資料を読む際の前提になる。
 報告書では日本側はおおむね中国との戦争を避ける方針であったことも記している。

日本の国防方針において、中国は仮想敵国のひとつであった。したがって、陸軍は毎年、中国と開戦した場合の作戦計画を作成した。中国の軍備強化に伴い、1937 年度(1936 年9 月から1 年間)の対中作戦計画での使用兵力は、前年度の9 個師団から14 個師団に増加した68。ただし、対ソ戦に備えての軍備拡充を焦眉の急としていた参謀本部では、中国との戦争は極力回避すべきであると考えられていた。

 異論はあるだろうが、中国軍を指導していたファルケンハウゼンは国際世論の向かない満州ではなく、日本が中国を侵略するという図柄が見えやすい上海戦に日本を引き込み、国際世論とともに日本の侵略を壊滅させようとしていた。
 歴史を見ていて、悲劇に思えるのは、ここでファルケンハウゼンの策略が成功しているほうが日本にとっても良かったかもしれないことだ。上海戦に多大な被害をもたらして勝利した後の日本は、日本国民を含めてまさに暴発してしまったかに見える。
 大局的な対中侵略という視点でなければ、盧溝橋事件から第二次上海事変への流れはそう連続しては見えない。報告書もそこは記している。

 海軍の動向に眼を向けると、事変勃発後、軍令部や中国警備を担当する第3艦隊には強硬な空爆論も存在したが、米内光政海相は外交的解決に期待し、水面下で進んでいた船津工作に望みを託していた。しかし、上海での8月9日の海軍将兵の殺害事件(大山事件)は海軍部内の強硬論を刺戟した13。佐世保に待機中の陸戦隊が急遽派遣され、上海は一触即発の危機に陥った。
 8月12日、国民党中央執行委員会常務委員会は、戦時状態に突入する旨秘密裏に決定した。14日払暁、中国軍は先制攻撃を開始し、空軍も第3艦隊旗艦「出雲」及び陸戦隊本部を爆撃した。蒋介石が上海を固守するために総反撃を発動したのは、ソ連の介入や列国の対日制裁に期待し、さらに日本の兵力を分散し、華北占領の計画を挫折させるためでもあった。上海防衛戦には国民政府軍の精鋭部隊が投入され、その兵力は70万人を越え、戦死者も膨大な数にのぼった。
 8月13日の閣議は、派兵に消極的であった石原作戦部長らの意見を抑えて、陸軍部隊の上海派兵を承認した15。米内海相も陸軍の上海派兵には積極的ではなかった。

 米内光政海相も石原作戦部長もこの上海での戦闘には消極的だった。
 日本では当時はファルケンハウゼンの万全の戦略は知らされてはいなかったようだが、70万人のドイツ式先鋭部隊に未対応の日本の現地治安部隊、さらにその後の対外軍も勝てるはずはなかった。全面戦争は日本側では想定されていなかった。というか、具体的な軍事行動として想定されていなかった。

 15日に下令された上海派遣軍は、純粋の作戦軍としての「戦闘序列」としてではなく、一時的な派遣の「編組」の形を取っていた。その任務も、上海在留邦人の保護という限定されたものであった。しかし、上海戦は中国軍の激しい抵抗のなかで、事件を局地紛争から実質的な全面戦争に転化させる。

 奇跡的にと言ってよいかと思うが、上海戦に勝利した日本軍は、南京攻略まで暴走していく。この暴走の不合理さは以前、小説風に「時代小説 黄宝全: 極東ブログ」(参照)に書いた。「黄宝全」はファルケンハウゼンの駄洒落だが、彼を模したものではない。また、現実には蒋介石はこんな弱気ではなかった。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。

 現実のファルケンハウゼンは、予期せざるゼークトライン突破後は、対応として蒋介石が南京を捨てることを提言していた。この話は報告書にはない。
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日中戦争は
ドイツが仕組んだ
上海戦と
ドイツ軍事顧問団のナゾ
 その話は、「日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一)」(参照)にある。もっとも、同書は歴史研究の書籍ではなく、いわゆる戦争物の読み物に過ぎないが、同書に「秘史発掘」とあるように、ファルケンハウゼンと上海戦の関わりについては、あまり解明されていないように思う。ただ、秘史といった類ものでないことは、先日のNHKの番組でも言及があったことでわかる。
 同書の評価だが、こうした歴史の側面に関心をもつ人には興味深いものだろう。だが、とりわけ驚愕の真実といった話もなく、大半は上海戦の日本軍の戦闘に頁がさかれている。また巻末資料を見ても、日本で発刊された書籍や翻訳書などばかりで、ドイツ側の資料を当たった形跡はない。史学的な価値はないに等しい。
 驚愕すべき真実はないとは言ったものの、迂闊にも、えっと絶句した話はあった。言われてみればごくあたりまえなのだが、想像もしてないことであった。盧溝橋事件が1937年(昭和12年)7月7日であったことを念頭に読まれるとよいだろう。

 しかし、ファルケンハウゼンの対日戦の進言は執拗に続けられた。昭和十一(一九三六)年四月一日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだと、蒋介石に進言する。
「ヨーロッパに第二次大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に含みきるべきだ」
 ひと月前、二・二六事件が起こって日本軍部が政治の主導権を握り、軍部の意向が疎外される可能性は少なくなり、その一方、ドイツがラインラントに進駐してイギリスの関心はヨーロッパに向き、中国の争いに介入する余裕がなくなった、そのため、英米の関心が少しでも中国にあるうちに中国からの日本との戦争に踏み切るべきである、というのである。
 このとき、日本の航空戦力の飛躍的増強で黄河での抗戦はむずかしくなったとも判断し、日本軍が支配している地域でゲリラ戦を展開し、中国内のみならず満州、日本本土にも、情報収集と破壊工作を展開するスパイ網をもうけるべきだという新たな戦術も示した。
 これら献策は蒋介石の取るところとならなかったが、九月三日、広東省北海市で日本人が殺害される事件が起こり、日本軍から攻撃が予想されるようになった九月一二日、ファルケンハウゼンは改めて河北省の日本軍を攻撃するように進言した。
 皮肉なことに、これらの蒋介石とファルケンハウゼンのやりとりは、なんと日本語で行われていた。日本語こそ、二人に共通の言語であったのだ。

 堪能とは言えるかわからないが、両者とも日本語が使えるし、それしか共通の言語はないというのは、考えてみればわかるが、言われてみるまで想像もしていなかった。もっとも、この話も歴史学的に確定したわけでもないが、毛沢東の共産党も初期では内部では日本語が話されていたらしいこともあり、中国の近代化の共通語は存外に日本語であったかもしれない。
 本書の終章には帰国後のファルケンハウゼンの逸話もある。有名なヒトラー暗殺計画に参加した話もある。彼は幸運にも処刑を免れ、連合国側の裁判でも寛大な処遇を受けたが、その背景には蒋介石の友情もあったようだ。あらためて二人の年齢を見ると、ファルケンハウゼンは蒋介石より10歳ほど年上で兄弟のような関係でもあったのかもしれない。両者ともに長生きであったが、生涯にわたり友情が続いたことも本書で知った。

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2010.02.05

[書評]「CO2・25%削減」で日本人の年収は半減する(武田邦彦)

 いわゆるという限定が付くが、反環境問題で話題の論者、武田邦彦氏の近著「「CO2・25%削減」で日本人の年収は半減する(武田邦彦)」(参照)を勧められて読んだ。

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「CO2・25%削減」で
日本人の年収は半減する
武田邦彦
 以前、ベストセラーということで武田氏の「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(参照)をざっと読んだおり、ペットボトルのリサイクルやダイオキシンについての見解は、大筋で武田氏の視点が正しいのではないかと思った。が、温暖化問題については、ジャンルが多少ずれているような印象を持った。その後、同書はネットでも話題になり、反論や武田氏へのバッシングもよく見かけた。現在出版界では武田氏はドル箱的な著作家の一人でもあり、最近の動向はどうなんだろうか。また本書のコンセプトである日本の経済成長阻害の問題や、さらにこのブログでも「クライメイトゲート事件って結局、何?: 極東ブログ」(参照)で扱ったクライメート事件なども言及されているようなので、そのあたりに関心を持って読んだ。
 書籍として読みやすく面白い本ではあった。ただ、本書のテーマである、鳩山イニシアティブがもたらす日本経済発展阻害については、率直に言うとやや大局的過ぎ、経済学的な視点が足りないように思えた。本書で述べられているのは、国家の経済発展には必然的に二酸化炭素の排出増加を伴うという原理性である。この原理的な主張は鳥瞰図的に見れば私も正しいと思うし、中国の対応やその他の国の対応を見てもこの原理は前提になっている。あまり大っぴらに語ることは好ましくない風潮が日本にはあるが、国際社会上はごく常識の部類だろう。
 では、災厄的ともいえる鳩山イニシアティブによって、日本の経済発展は半減し、標題のように国民の年収も半減すると予想できるかというと、そこが本書の妙味ともいえるのだが、日本政府側や民主党政権側の言い逃れのロジックをきれいによくなぞっていて示唆深い。
 私が本書を読んで、「ああ、なるほどね」と思ったのは、いろいろきれい事が言われていても、鳩山イニシアティブは、結局は排出権取引で片付く問題であり、テーゼ的に言うなら、本書にもあるように、「ロシアから排出権を1兆円で買う」ということに落ち着きそうだ。比較的簡単な落としどころの伏線はあるもんだなと思った。もちろん、そのあたりが真実かどうかは今後、他の動向と併せて関心を持つ必要はある。
 本書では前半、日本に環境問題報道には問題があるとし、特にNHKが槍玉に挙がっていた。私はこの問題に対するNHK解説委員の各動向をそれなりに継続的に見ているので、必ずしもNHKが一枚板ではないことは知っている。それでも、日本の環境問題報道に疑問に思うことはある。本書では最近の事例としてクライメート事件の報道の遅れを取り上げていたが、確かにあの遅れはなんだろうという点では同意できるものだった。
 関連した余談になるが、IPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change)は、第4次評価報告書(Fourth Assessment Report)記載の「ヒマラヤ氷河が2035年までに消滅する」という予測がまったくのでたらめであることを認めて最近謝罪したが(参照)、実際にその地域の問題に、「黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果: 極東ブログ」(参照)で言及したブラックカーボンが関与しているという話題(参照)については、ほとんど日本国内報道では言及を見ない。そもそもブラックカーボンの言及すら少ない。ちなみに、本書でもブラックカーボンについての言及はない。
 本書後半では、各種エネルギーの考察が一巡あり、人によってはそれぞれに反論もあるのだろうが、簡素にまとまっていてわかりやすかった。原発の安全性や天然ガスとメタンの関係など、私もそうかなと思って読み進めた。
 最後に余談に属するが、そして本書でも余談としているが、以下の話は面白かった。日本の二酸化炭素排出の増加率0.78%について。

 余談だが、この年率0・78%増加という数字について、本書を担当した文系編集者が計算し、私に質問を投げてきた。「計算すると先生の書かれている数字と違っていてわからなくなっています」というわけだ。
 文系編集者の答案は、次のようなものだった。
《・ 13トン(2007年排出量)÷ 11.4トン(1990年排出量)= 1.14
 ・ 17年間のCO2増加率は、14%
 ・ 14% ÷ 17年 = 0.82%
 ・ 0.78%にならない?

 私の書籍の批判には、このようなところのものが実に多い。文系理科系を併せても95%以上は同じような計算をしているものだ。理科系でも、10%くらいしか正答はないから情けないことだ。

 本書にはずばり正答は書いてないけど、どこが間違っているかはその後にフォローされている。が、その後。

 担当の文系編集者は一応、自分の頭で考えようとしたことを評価して温情的に採点すると、20点である。理系でもレベルが低くなっているので、めげることはないが、こういうところにも落とし穴が潜んでいることを覚えていてほしい。

 そうだろなと思う。担当の文系編集者さんもよくがんばりました。
 こうした傾向は若い人に限らない。昨今の日本では、理系でも乗数効果を知らずに財務相が務まり、各国の経済要人と渡り合うことができるようになった……たぶん。

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2010.02.03

明日、民主党小沢一郎幹事長は不起訴となるか。各社報道を巡って。

 明日になればわかることを慌ててブログに書くまでもないかと思いつつ、どうにも奇妙に思えるので、その感覚から書いてみたい。話は、民主党小沢一郎幹事長不起訴の報道である。
 最初に不起訴報道をしたのは、昨晩11時のTBS「検察、小沢氏不起訴の方向で最終検討」(参照)のようだ。そのころ私もたまたまTwitterしながら、目にしたニュースで気がつき、おやっと思ってそのままTwitterのつぶやきに乗せた。TBS報道の核心は次のとおり。


 一方、小沢幹事長については、現状では関与を立証する事が困難として、不起訴とする方向で最高検などと最終的な検討を行っています。不起訴処分について、一部に異論も出ているということですが、特捜部は3日午後に最終的な結論を出すとみられます。(03日11:13)

 Twitterでは「リーク?」という応答もあったが、これはTBS側の取材と読みによるものではないかと私は思った。さらに、その時点でこの報道をどう私が受け取ったかというと、読みとしては随分踏み込んだなというのと、それはそれとして妥当な判断ではないかと思っていた。
 その後、共同で同種の報道が続いた。「小沢氏、不起訴の公算 東京地検、現状では「立証困難」」(参照)は、全体構図がわかりやすい。

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、東京地検特捜部は2日、政治資金規正法違反容疑で逮捕した元私設秘書の衆院議員石川知裕容疑者(36)らの共犯として告発された小沢氏について、現状では立証が困難として不起訴の方向で検討を始めたもようだ。

 重要な点は、市民団体から「共犯として告発された小沢氏」という点だ。小沢氏への被疑者聴取聴取もこの告発を受けて行われたもので、それがなければ、検察側のプロセスとしてはおそらく任意の聴取ということだったはずだ。その意味では、被疑者聴取聴取という別筋の流れに相応の判断を示して小休止としたということでもあるだろう。
 当の問題である、小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」を巡る政治資金規正法違反容疑についてだが、2日付けのNHK「石川衆院議員 4日にも起訴へ」(参照)では、石川衆議院議員については、拘留期限の4日に政治資金規正法違反の罪で起訴すると報道されている。同会の会計責任者だった公設第1秘書大久保隆規容疑者と元私設秘書池田光智容疑者の扱いは、現在検討中のようだが、3日付け朝日新聞「大久保秘書、虚偽記載の了承認める供述」(参照)では、大久保容疑者は虚偽記入関与を認める供述をしたと報道されている。池田容疑者もすでに虚偽記載を認める供述をしている。

 「陸山会」の土地取引事件で、会計責任者だった公設第1秘書・大久保隆規(たかのり)容疑者(48)=政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で逮捕=が東京地検特捜部の調べに対し、事務担当者から虚偽記載の報告を受けて了解したことを認める供述をしたことがわかった。
 関係者によると、元事務担当者で、元秘書の衆院議員・石川知裕(ともひろ)(36)と池田光智(32)の両容疑者は既に虚偽記載を認め、「大久保秘書にも報告した」と供述。

 大久保容疑者と池田容疑者の刑事処分については、現時点ではそれ以上の報道はないようだ。
 話を戻して、小沢氏不起訴の報道だが、報道各社に珍しいほどの違いがある。J-CAST「小沢氏4億円不記載 朝日、毎日、共同など「不起訴方針」報じる」(参照)はそこに焦点を当ててネタを作っていた。まとめると、不起訴報道はTBSから共同へ、そして、新聞社では朝日新聞と毎日新聞が続いたものの、読売新聞と日経新聞は「共謀を裏付けるには十分でない」「共謀関係の立証は難しい」といった表現で抑えている、といったところ。時事通信と産経新聞は、小沢氏不起訴に言及していない。私が、このエントリー執筆時に見回してもそのようだった。併せて、小沢疑惑に独自の切り込みをしている中日新聞も不起訴言及はないようだ。
 私が小沢疑惑で一つの水準と見ているのはNHKニュースなのだが、これも不起訴報道はない。それどころか、若干奇妙に思える報道がある。3日11時のNHK「冷静に推移見守る」(参照)である。

 鳩山総理大臣は、3日朝、記者団に対し、民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件に関連して、「検察の捜査が行われている最中なので、冷静に推移を見守る」と述べ、あらためて事態の推移を見守りたいという認識を示しました。
 この事件をめぐっては、逮捕された民主党の国会議員のこう留期限を4日に控え、東京地検特捜部が詰めの捜査を進めています。これに関連して、鳩山総理大臣は、「今、大事なことは、検察の捜査が行われている最中なので、冷静に推移を見守るということだ。わたしとしては、その立場しかない」と述べ、あらためて事態の推移を見守りたいという認識を示しました。

 このニュースだけ見るとさして不思議もないようだが、具体的な質問の文脈が抜けている。NHKの放送では映像内に質問は含まれていた。質問内容は、同一の鳩山首相の対応と見られる3日付け毎日新聞記事「鳩山首相:小沢氏不起訴検討報道で「冷静に見守る」」(参照)からわかるように、小沢一郎幹事長の不起訴処分報道であった。

 鳩山由紀夫首相は3日午前、東京地検が民主党の小沢一郎幹事長を不起訴処分とする方向で検討を始めたとの報道について「仮定の話であり、検察の捜査が行われている最中だから、冷静に推移を見守る。私としてはその立場しかない」と述べた。首相公邸前で記者団に語った。

 最初に不起訴報道をしたTBSはその文脈をむしろ強調している。3日10時TBS「鳩山首相「冷静に捜査の推移見守る」」(参照)より。

 鳩山総理は3日朝、特捜部が小沢幹事長について不起訴処分とする方向で検討してることについて、「憶測の域を出ていないし、仮定の話」とした上で、捜査の推移を冷静に見守る姿勢を改めて強調しました。
 「今大事なことはやはり、検察の捜査が行われている最中ですから、冷静に推移を見守ると。私としてはその立場しかありません」(鳩山首相)

 失言の多い鳩山首相であり、今日と限らず小沢疑惑には「冷静に推移を見守る」以外の発言をしなくなっているのでそれほど報道価値もないようだが、このNHK報道を見ると、小沢氏不起訴処分報道すら多少抑制しているように見える。
 単純な話、何が報道各社で起きているのだろうか。何が、小沢氏不起訴報道の有無を決めているのだろうか。単純に考えれば、小沢氏不起訴報道の難しさということなのだが、いまひとつしっくりとこない。4月の検察内の人事異動も関係しているのだろうか。
 不起訴は視点を変えれば、しかし存外に形式的なことかもしれない。私が司法に詳しくないのピントがずれているのかもしれないが、確か今回の政治資金規正法違反容疑は時効を見据えてのどたばたという面があったはずだ。当面石川容疑者を起訴しておけば、小沢氏を含めて時効は延長のような形になるということではだろうか。だとすれば、現時点での検察としては、時効を止めるための形式的な手順として、一応立件しておくものの、当面はあまり騒ぎ立てず小沢氏不起訴に留めることもあるだろう。
 そもそも論に戻ると、小沢氏不起訴だとして、今回の検察からの枠組みは、文春・新潮などでは金丸事件の連想から脱税の線でお話をひっぱってはいるが、基本的には、政治資金規正法の枠組みである。なので小沢氏の政治資金の出所の問題は枠組み上は問えない。
 もちろん、そこに裏献金なり、賄賂性の高い金銭が混入していれば、別の枠組みとなっただろうし、年明けからこの一か月間の報道の疑惑の焦点はそこに向けられていた。その流れからすると、4日に政治資金規正法違反容疑の枠組みで小沢氏不起訴となっても、小沢氏の政治資金を巡る疑惑全体に終止符が打たれたという話ではないだろう。
 加えて、政治・外交点から、小沢氏をこの時点で起訴するのは好ましくないとする文脈も、検察側の配慮してあるかもしれない。2日国会内で小沢氏とキャンベル米国務次官補による、米軍普天間飛行場移設を巡る対談があったが(参照)、民主党政権成立以前にクリントン長官との面談があったことを例外とすれば、これまで米側との接触を避けていた小沢氏と会談が、小沢疑惑が深化する過程を経ることでようやく可能になったものだ。しかもその会談の相手である小沢氏は、マニフェストの目玉であるガソリン税の暫定税率維持を独断で変更(参照)できるほどの鳩山政権の最高の権力者である。今回のキャンベル会談は、この実質の最高権力者に、米側が普天間飛行場移設問題を直談判するという意味合いがあった。普天間飛行場移設問題に決着を付ける前に唯一政治決断が可能である小沢氏が政治失脚すれば、米国側としてもようやく出来たチャンネルを失い困惑することになる。


追記
 エントリ掲載後にNHKで不起訴報道が出た。「地検 小沢幹事長不起訴の方針」(参照)より。


2月3日 18時12分
 民主党の小沢幹事長の政治資金をめぐる事件で、東京地検特捜部は、市民団体から告発されていた小沢氏本人について、収支報告書のうその記載にかかわった明確な証拠はないとして不起訴にする方針を固めました。一方、逮捕されている石川衆議院議員と大久保公設秘書については、こう留期限の4日、政治資金規正法違反の罪で起訴する方針です。
 この事件で、東京地検特捜部は、市民団体から告発されていた民主党の小沢幹事長についても、▽収支報告書の内容を把握していなかったのかや、▽土地の購入資金に充てた4億円をどのように工面したのかなどについて、小沢氏から2度にわたって事情聴取を行うなど解明を進めていました。関係者によりますと、逮捕された衆議院議員の石川知裕容疑者(36)は、これまでの調べに対し、「資金管理団体の収入や支出の概要は小沢氏に報告していた」と供述する一方、収支報告書のうその記載については、小沢氏の積極的な関与を否定しているということです。また、公設第一秘書の大久保隆規容疑者(48)や元私設秘書の池田光智容疑者(32)も、小沢氏の関与を否定しているということです。小沢氏本人も、土地の購入に充てた4億円は個人の資金だとしたうえで、収支報告書の記載については「担当の秘書を信頼し任せていたので把握していなかった」と事件への関与を否定しています。こうしたことから特捜部は、小沢氏がうその記載にかかわった明確な証拠はないとして不起訴にする方針を固めました。一方、特捜部は、石川議員と大久保秘書については、うその記載が多額に上るなど悪質だとして、こう留期限の4日、政治資金規正法違反の罪で起訴する方針で、池田元秘書についても詰めの捜査を進めています。

 NHKなりの裏取りに時間がかかったということだろう。これでだいたい明日の動向は明らかになったと言えるのではないか。まとめると、小沢氏は不起訴で、石川議員と大久保秘書は起訴。池田元秘書は不明。いちおう今回の政治資金規正法違反容疑については検察なりに形を付けたことになるだろう。

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2010.02.02

[書評]タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)

 「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本(岡本螢)」(参照)は1991年の作品で、何か雑誌に連載されたエッセイをまとめたものではなく、徳間書店からの書き下ろしのようだ。手元のものは7月31日付けの初版だが版を重ねたふうもくなく、現在では絶版に至っているのかもしれない。おそらく、1991年の映画「おもひでぽろぽろ」に合わせた企画として出版された本だろう。帯にも「7月20日、全国東宝洋画系公開映画『おもひでぼろぽろ』の原作者がつづる、永遠のコドモ時代」とあり、それを意図したものであることをうかがわせる。

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タエ子ちゃんといっしょ
おもひでぽろぽろ読本
岡本蛍
 内容もさらっと読むと、昨日のエントリ「[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子): 極東ブログ」(参照)で触れた原作、ないしジブリ映画の、著者からの補足と受け取れないこともない。あるいは原作で書き忘れていた、もう少しの裏話といった風に読まれもするだろう。
 だが本書は、筆者も出版社も想定してない不思議な絵を結果として描いている。結論から言えば、映画「おもひでぽろぽろ」が描いた大人の岡島タエ子とは異なる、もう一人の大人の岡島タエ子をきちんと描き出している。そのことで、映画との関係で、不協和音ということではないが、ある種の精神的な緊張を作り出している。
 映画に描かれた大人のタエ子像は多様に解釈されるだろうが、その設定は映画「おもひでぽろぽろ」の監督高畑勲氏の創意によるものだ。その創意もまた映画作品から多様に読み解かれてよいものだが、「おもひでぽろぽろ」集英社版(参照)には高畑自身氏による、一種の解説とも言える「透明さという喚起力」という文章が収録されており、ここで氏は非常に興味深い、ある意味で、多少言い過ぎかなと思える主張をしている。どのように原作から映画作品を作り出すかという苦闘の過程で、原作のエピソードをコラージュ化するか、あるいは、原作の本質から新しいストーリーを生み出すかを彼は考慮するのだが、前者のプロセスにこう触れている。

せつないエピソードを並べれば、タエ子は可哀想な「暗い子」にしか見えない。現に、わたしが後に二十七歳の成人したタエ子を設定したとき、原作を読んだスタッフのひとりが、「あんな暗いタエ子があんな大人になるはずがない」と言ったのである。わたしはおどろいた。十一歳の女の子ならば、誰に起こってもおかしくない心の残る「おもひで」だけを原作マンガは実にうまくすくい取っているのに、それこそがこのマンガの見事さなのに、それを一般の「物語」として受け取り、主人公に固着した「性格の表現」としか読み取れない人もいるのだ。

 高畑氏の視点は、「この年頃の女の子の何たるか」つまり、女の子というもののある本質を描き出した作品として原作を読解し、そしてその本質が、未来に開示されたものであるからこそ、大人の結実(種から花となる)を描き出したと言える。そこには、本質看取による個別性が捨象されてしまうか、個別性は本質的なものの一つの例示的な顕現として了解される。
 しかし私は、率直にいえば、このスタッフの女性の視点も、高畑氏の視点も微妙にずれていると思う。もう少し高畑氏寄りに、しかし、対比的に言うなら、読み出された普遍性は、それゆえに暗いものだった。その結実は、映画に描かれたタエ子とはまったく異なるものだったと思う。
 そのことを、本書「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本」は、原作のマンガとは異なる肉声で、しかもその結実の側から語り出すことで、逆に原作に込められている暗さの別の意味を切り出している。例えばこういう箇所だ。フウセンガムに借りた話題のなかで。

 思い起こすと、チビのころの私はずいぶんひがんでいた。そりゃもう、ひガム、ひガム。
 私は三姉妹の末っ子だったので、だれにも喜ばれずに、この世に誕生したのだった。ご同類の方もいらっしゃると思うが、あなたもきっと期待はずれで生まれたんでしょ?
 もし、そんなことはないわ、と言うならば、それはたぶんあなたの親が大嘘つきか、あなたが鈍い子だったのいずれかである。

 諧謔の文体にヤイバのような鋭い問いが、そしてそれこそ「この年頃の女の子の何たるか」を示す問いが提出されている。それは「私は誰からも期待されずにこの世に生まれた」という意識であり、それが悲しみと恐怖に、さらに女性特有の性の衝動に色づけられる。
 もちろん世の中には、望まれて生まれた子どもこの世にはいるだろうし、親もその子を本当に愛していると子が確信できる子どもいるだろう。だから、こうした岡本氏の指摘は修辞でしかないとも言えるし、氏もそれは織り込んでいるだろう。
 だが、本質はといえば、何も変わらない。「私は誰からも期待されずにこの世に生まれた」という本質的な問い掛けは、ある時、事故のように気がつくか気がつかないかでしかない。気がついてしまったとき、親とはなんだろうか?と問うことにもなる。
 原作「おもひでぽろぽろ」が卓説しているのは、この本質的な問いに、昨今の風潮のような甘ちょろいヒューマニズムを描いていないところだ。特に、父親がタエ子を殴るシーンにそれは鮮明に描かれている。それは親が愛していたゆえに子に暴力を振るったのではない。親が「オキテ」であるから殴った。そしてこの大人のオキテこそが、子供を、大人に、親に、するものであり、タエ子もまた、そのオキテのなかで大人になることで、このぞっとする問題を生き抜くことで、解決しようとしている。そして本書は、そうした過程を経た大人の冗談に満ちている。
 そこに描かれた大人たる結実は、高畑が描いた自然的な伝統性でもなく、また、おそらく、そうした親和としての「愛」でも、「友愛」でもない。
 昨今、鳩山政権の奇妙な影響で「友愛」という言葉が、100年近い眠りから覚めた亡霊のように日本でまた一人歩きするようになったが、この「友愛(fraternity)」というのは、市民の連携の原理であり、市民とは、話を端折っていえば、親子の情や伝統社会の情を断ち切った孤独を抱える個人の上になりたつものだ。ドラッカーの父が子のピーターにフリーメーソンの会員であることを明しはしないような断絶でもある。だから、私は冗談めかしてであるが、「市民とは鬼畜」と言うことがある。親子の情や自然の情を、自身の孤独で突き破ってから連帯を求める人々は、伝統社会からは鬼畜のようにしか見えない。それが市民というものであり、そうした市民に、大人が成熟するには、幼い子供の心の傷に真正面から向き合って、ごまかさずに生きることしかないと思う。そうした「友愛」というもの生成を本書の次のような指摘で思う。

 子供のころの傷つき方というのは、今思えば、まったくあどけなかったのかもしれなくて、”思い出”という言葉で風化してしまっていることも多い
 でも、本当にそうなんだろうか、と思う。子供時代は、ただのどかで、懐かしいだけのものでは決してなかったように、私には思えてならないのだ。


大人は、いつまでも傷ついていることが嫌いだし、そんな暇もないって、たぶん思っている。
 けれど、でもでも、やっぱり擦り傷は擦り傷なのだ。擦りむいたのだ。かさぶたっちゃったのだ。痛かったのだ。せめて、それだけは覚えていたいと私は思う。
 それは、もしかすると、なーんの役にもたたなくて、思い返せば、うっとおしいだけのもんかもしれない。
 でも、そういうをポイちゃうのはキッタネーぞと、私はつっかりたい。

 情けない話だが、私もそうして生きてきたし、それ以外に生きることができない。自分の心の傷をごまかして、美しい画餅を描き、「いのちを守りたいのです」とかいうやつには、キッタネーぞとつっかかる。いのちに国籍なんかない。いのちを守りたいというなら、国境無き医師団のように国を越えていくしかない。なのに国のなかで「いのちを守りたいのです」と言えば、国の鉄壁の外に別のいのちを放り出すくらいしにかならない。キッタネーぞ。大金持ちならビル・ゲーツ夫妻みたいに国際的な慈善団体を運営すればよいのだ。おっと話がそれまくり。
 人は偽善からは逃れられない。逃がしてくれないのは、子供のときの深刻な痛みだし、痛みを捨てて幸せなシュラムッフェンなることを押し止めてくれるのは、幼い痛みを引き受けてくれた何者かだろう。人はおそらくその「はてしない物語」(参照)を生きなくてはならない、子供であることを捨てずに。
 ただし…。
 岡本の、そしてすっかり同化しちゃった私の、こうした思いは、この世代特有のものかもしれないとも思う。

 ヤエ子ねえちゃんは、昭和二十四年生まれである。世にいうベビーブームというやつで、赤ん坊がどんちゃかどんちゃか生まれた。一方、私は昭和三十一年生まれである。翌年の昭和三十二年をどん底に出生率はぐんぐん減っている。つまり、私が生まれたときのほうがヤエ子ねえちゃんのときよりも子供がぐうんと少ないのである。
 この事実をどう見るか。私としては、どんちゃか生まれたときのほうが雑な子が生まれると思うのだが、事実はそれに反して、二十四年生まれのほうが精巧にできている。
 生まれたご時世はどうか。二十四年というのは戦争の傷痕がまだ残っている。三十一年は「もはや戦後ではない」といわれた時代である。
 うまり、先に言った、ごちゃまぜ時代が始まりつつあった季節である。

 本書が書かれた1991年、筆者が35歳の年である。すでにその下の世代は台頭していた。

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2010.02.01

[書評]おもひでぽろぽろ(岡本螢・刀根夕子)

 映画「おもひでぽろぽろ」(参照)を見たあと、原作はどうなんだろと、なんとく気になっていて、ようやく先日読んだ。私が読んだのは1996年版の集英社文庫コミック版(参照参照)だが、後で知ったのだが、2005年に青林堂版(参照参照)があった。支持されての復刻という意味合いがあるのだろう。
 集英社版もまた復刻のようでもある。1991年徳間の「タエ子ちゃんといっしょ おもひでぽろぽろ読本」(参照)の巻末を見ると、徳間版の三巻本の「おもひでぽろぽろ」がある。書籍としてはこれが最初のようだ。映画「おもひでぽろぽろ」は1991年の作品で、原作は当然それ以前にあるのだが、徳間版から構想されたのか1987年初出の週刊明星連載によるものかはわからない。

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おもひでぽろぽろ (上)
 不確かな私の記憶だが、映画化は宮崎駿が高畑勲に頼んだものらしい。だとすると着目したのは宮崎駿ということになる。集英社版にはその経緯を高畑勲が綴った「透明さという喚起力」という文章が収録されていて興味深い。また、集英社版の2巻を見ると、初出について1987年から飛んで1991年の明星の8月1日号と28・29日号が記載されているがこれは「おもひでぽろぽろスペシャル」に対応するものだろうか。
 高畑の先の文章では映画化にあたり「原作に忠実」としている。さらに高畑は映画化にあたり岡本螢へのインタビューなどもしていてその成果も映画には取り込まれている。私が映画と原作を見た印象では、たしかに「原作に忠実」はそう受け取ってよいと思ったが、微妙に違う作品に思えた。
 原作「おもひでぽろぽろ」だが、作者岡本螢の子供時代と想定される小学校4年生の岡本タエ子の一年間の思い出エピソードが中心になっている。その点では、集英社「りぼん」に1986年から掲載された、さくらももこの「ちびまる子ちゃん」に似ているともいえる。余談だが、私は「ちびまる子ちゃん」の初版本が出たときに購入している。
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おもひでぽろぽろ (下)
 さくらももこは1965年生まれだが、岡本螢は1956年生まれで世代差がだいたい10年ある。私は1957年生まれなので岡本より一歳年下で、ほぼ同年代に近い。ただし、岡本は2月の生まれらしく、学年的には私より2年年上で、タエ子ちゃんが4年生のとき私は2年生であり、微妙に文化的な嗜好は違う。とはいっても大半は同じなので、原作を読むと、胸がきゅんとなるような思い出でありながら、その時代を子供として生きた人にしかわからない何かが描かれていて貴重な体験になった。
 「ちびまる子ちゃん」もその世代にとっては貴重な思い出なのだろうが、そこにはローカルなおかしさや日常の愉快さというものがある種、演出的に描かれているのに対して、「おもひでぽろぽろ」には戦後という時代の最後の暗さのようなものと、思い出話として演出的に還元されない何かが残っている。その特異な時代性とある種のアキュートネスの感覚の点で、映画の「おもひでぽろぽろ」は原作と絶妙な違いがあると思った。しいていうと、高畑勲の戦後世界的なそして団塊世代を理解したいタイプのヒューマニズムによって、曲解ではないが解釈に無理を感じる部分がある。それは映画で、大人になったタエ子が農村的な自然性に回帰するところで最大の差異となるのだが、つまりは「原作に忠実」でありながら、まったく別の作品になっていることを意味している、と私には思えた。それが悪いわけではない。ただ、同世代の人間としては「おもひでぽろぽろ」に描かれている、戦後の暗さ・残酷さのような部分、おそらくそれが結果としてタエ子の子供心に恐怖として反映されている部分の希有な表出を損なっているかもしれないと思えた。
 映画とのズレでもう一つ、「ああ、これは違うな」と思ったことは「性」の問題だ。映画のほうで描かれていないというわけでもないのだろうが、原作では読み方によっては、子供にとっての性の問題が強く露出してくる。そしてそれは、ヒューマニズム的な家族愛から微妙にはみ出すものとして描かれている。
 うまく言いづらいのだが、現代ですら、愛だの思いやりだの家族愛だのはフィクションだと子供は感じているものだ。しかし、豊かさや戦後の知性の累積がそれを上手に覆っている。それでも覆えない部分はあり、そこは社会に奇っ怪な違和として浮かびあがってくる。もっと単純にいえば、誰からも愛されない自分を抱えた子供はいつの時代もかならずいる。その部分を時代のなかで映し出し、戦後の暗さが終わる部分での、ある偽悪的な露出は、むしろ人の心の欺瞞を解く点で一種の救済でもあるだろう。
 原作にただよう奇っ怪な異質性を高畑が感受しなかったわけではない。彼の文章の締めにはこの言及がある。

なお、映像的な「雛熱」など、好きだったエピソードが盛り込めなかったことを大変残念に思っている。

 雛熱は、岡本の命名による造語だが、ひな祭りのころの、おそらくインフルエンザがもたらす高熱による幻想を描いたものだ。身体が離脱したような感覚で雛人形が列を作って歩きだしたり、巨大化するように感じられる。この作品は、特にその幻想シーンの表現だけ見ると「おもひでぽろぽろ」の他のエピソードとは異質な印象を与えるのだが、高畑がどうしてもひっかかるように、ここに「おもひでぽろぽろ」という不思議な思い出がなぜ大人の女性に残ったのかという秘密に通じる本質がある。むしろ、「雛熱」の意識こそが、この特殊な思い出というものを存在させている基軸なのではないかと思えてくる。
 私にとってはと限定すべきだろうが、原作「おもひでぽろぽろ」が同世代人には貴重な思い出の物語であることよりも、「おもひでぽろぽろスペシャル」の4つの連続した話のほうに、作品として衝撃を受けた。
 スペシャルの四話では、タエ子は幼稚園生から中学生まで年齢変化をするのだが、ひとつひとつの作品に、奇妙なカタツムリが登場する。最初の作品では、墓の前でおばあちゃんに「カタツムリかけるかたつむりってなに?」とタエ子が問い掛け、それにおばあちゃんが不思議な答えをしているシーンにそっと登場する。この作品だけならカタツムリの意味は問われないかのようだが、サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」(参照)の「バナナフィッシュにうってつけの日 ( A Perfect Day for Bananafish )」のバナナフィッシュを巡る会話のような奇っ怪さを持つ。
 それが二話では一人暮らしの老人が巨大カタツムリとなり、まったくの幻想的な奇譚の世界に入る。しかし、これが奇怪であるがゆえに怖いのではなく、おなかがよじれるほどおかしいのだ。なんど読んでも笑える。なぜおかしいのか知的に理解できず、脳の一部が恐怖でしびれてしまって自分は笑っているのではないかとすら思える。その後の二話も、カタツムリの幻想の物語だが、なにかを比喩していると読んでもよいのだが、必ずしもそうした比喩の中心性はない。日常のなかに、あるいは思い出という幻想のなかに奇っ怪なカタツムリが違和として出現する。そして、消える。比喩というなら、思い出というものの存在論的な意味の奇っ怪さであろう。
 このスペシャルの漫画がどのようなプロセスで岡本螢と刀根夕子で作成されたのかわからない。おそらく、こんなんでいいんじゃない、面白いんじゃない、ゲラゲラという雰囲気で無意識に作成されたのではないかと思うが、その偶然のような過程でとんでもない名作に仕上がった。私は漫画に詳しくないのだが、この幻想性を有した類似の漫画や文学を知らない。この「おもひでぽろぽろスペシャル」が映画化されたら、どれほどか面白いだろうと、あるいは、その幻想のなかから、「雛熱」を通して、本編の「おもひでぽろぽろ」が描かれたらどうだろうか。そういう作品も見てみたいと切望してやまない。

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