[書評]朝青龍はなぜ強いのか? 日本人のためのモンゴル学(宮脇淳子)
岡田英弘先生と宮脇淳子氏の著作の大半を私は読んでいるが、本書「朝青龍はなぜ強いのか? 日本人のためのモンゴル学(宮脇淳子)」(参照)については迂闊にも知らないでいて、先日勧められて読んだ。
朝青龍はなぜ強いのか? 宮脇 淳子 |
モンゴルが正式加盟しないままでいる理由は、二〇〇六年上海での首脳会議で「政治体制や価値観などの違いを口実に内政干渉すべきでない」と宣言に盛り込むなど、上海機構が反米連合の色彩を強めているからである。絶妙の位置取りと言えよう。
他方、中露と距離を置きつつ親米というのではないが、米国とも協調している。
アメリカとの関係はといえば、二〇〇三年三月に始まったイラク戦争の際、同年十月国連で「イラクへの多国籍軍派遣や復興計画を巡る決議」が全会一致で採択される以前から、モンゴルは英米ほか三十五ヶ国とともにイラクへ軍を派遣した。
イラクに派遣されたモンゴル軍は、九千百人(予備役十四万人)の兵力のうち百三十人にすぎなかったが、現在も少ない数ながら駐留を続けている。アフガニスタンにも軍を派遣している。軍事予算は、国家予算の三・三%程度であるが、だからこそモンゴルは国連の安全保障に注目し、PKOに積極的に参加したり、アメリカとの関係を強化して自国防衛を確保している。
もちろん、これは米国側からもモンゴルを使ううま味というのもあるし、いろいろどろどろした問題がないわけではない。が、小国ながら、あるいは小国だからか、自国の安全保障の意識は明瞭にある。
日本はどうか。日本はモンゴルをどう捉えているか。モンゴルへの対外経済支援の半分以上は日本が占めているのだから、日本としてもモンゴルを結果的には重視していると言えるし、モンゴルも二〇〇七年には国連の安全保障理事会非常任理事国の立候補を辞退し日本の改選を応援することで日本の顔を立てている。この結果が、日本提起の北朝鮮制裁にも有効に働いた。
本書は標題どおり「朝青龍はなぜ強いのか?」についても触れている。理由はモンゴル相撲の背景があることや、強い男を生み出すモンゴルの文化などだ。率直にいえば、このあたりの説明だが、文化の話は面白いがそれを朝青龍に結びつけるあたりは酒飲み屋の談義の粋を出ない。
モンゴル相撲と対応させて日本の相撲の歴史についても言及があるが、なぜか両者の史的関係については触れていない。少し残念なところだった。日本の相撲の歴史といえば、偽書でもあり神話にすぎない古事記は別として、日本書紀、垂仁天皇七年に野見宿禰の當麻蹶速と相撲(捔力)したとあるが、宮脇氏も触れているように、結果は野見宿禰が當麻蹶速を殺傷するに至ったことからも、「日本においても、モンゴルと同様、相撲の起源は、武術の一種であったことは明らかである」としている。
野見宿禰の武術についてはその筋ではいろいろ愉快な話があったり柔道の起源のようにも語られているが、私はこれはまさにモンゴル相撲ではないかなと思っていた。もちろん、垂仁天皇七年というのはありえない年代だし、騎馬民族説を採るわけでもない。が、そう思うようになったのは、沖縄暮らしで琉球角力を知ったからだ。
琉球角力なのだが、私が見た印象では朝鮮のシルムである。他、沖縄の綱引きも朝鮮のそれと似ている。朝鮮から琉球に庶民文化の伝搬があったのかはよくわからない。シルムの起源もよくわからないが、これはモンゴル相撲が起源ではないだろうか。いずれにしてもこのあたりの歴史がもう少し本書で言及されていたらと思った。
その他、へぇ知らなかったなと興味深く思ったのは、現代モンゴルで女性の学歴が高いことだ。朝青龍の母親は国立大卒だが父親は運転手とのこと。白鵬も母親は国立大学卒だが、父親は大卒ではない。朝青龍の夫人もドイツ留学を呼び戻して結婚したほどのインテリであるとのこと。なぜそうなのか。宮脇氏の説明では男は肉体労働でも食っていけるが女子は難しいのでまず高等教育を受けさせるということだ。
そういえば、昨今朝青龍の品行がまた話題になっている。私は仔細を知らないがざっと見聞きした範囲では朝青龍の非は明らかであるようには思えたし、もう少し日本人に配慮してくれたらなと思わないではない。が、どちらかというと私は、宮脇氏のようなさっぱりした朝青龍擁護論が好きだ。
日本相撲協会から二場所の出場停止処分を受けてモンゴルに帰った朝青龍は、ふたたび元気になって来日した。鬱になったのは嘘だったのではないか、というマスコミあるが、私はモンゴル人ならときどき草原に帰りたくなるのは当たり前だと思う。
日本に留学しているモンゴル人だけでなく、首都ウランバートルに住んでいるモンゴル人ですら、仕事のために仕方なく町で暮らしていると思っているらしい。
夏休みにモンゴルに行くと、大臣も中央官庁の役人も大学教授も会社の社長も誰一人ウランバートルにはいない。みんな故郷の草原でゲル(テント)生活をしている。こちらのほうがモンゴル人のほんとうの暮らしだと考えているのだ。
日本の大相撲にモンゴル力士を受け入れたのは、意識しなかったのかもしれないが、日本のためにまことに喜ばしいことだったわけだ。日本人もモンゴル人を見習って、少しくらいの違いには寛容になって、人生を楽しもうではないか。世界は広いのだ。
はいはい。
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