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2009.11.28

[書評]「亡国農政」の終焉(山下一仁)

 「「亡国農政」の終焉(山下一仁)」(参照)は、農政アナリストの山下一仁による新刊の新書である。民主党政権になったことを踏まえて書かれた農政のヴィジョンがまとめてある……と言いたいところだが、そうした関心で読み進めるとやや困惑感もあるかもしれない。「極東ブログ:[書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁)」(参照)で触れた名著といってよい同書のエピローグ的な内容も含まれているが、書籍としての骨格は残念ながら散漫な印象を与える。

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「亡国農政」の終焉
山下一仁
 本書では民主党政権下で日本農政がどのように変化するかについて、かなり明確に描かれている。私が受け止めた部分を、あえて結論だけ言えば、自民党政権下で形成された農政のトライアングル「自民党農林族・農協・農水省」から、新しいトライアングル「民主党農林族・兼業農家・農水省」になる。つまり、農協が退出する。農協という不思議な金融機関の消滅は、それ自体興味深いが、票田のために兼業農家の利権を維持する新しい民主党農政トライアングルの機能は、日本国の農政の未来としては、自民党下のそれとたいして変わらないだろう。
 農協がこのまま消滅するのかについては多少首を傾げるところがあるが、いずれにせよ民主党下で日本農政の根本的な変革は期待できない。山下氏は民主党後に期待を寄せている。変化への期待も、当然といえば当然だが、民主党後の政治状況へのイマジネーションとして語られる。だがその部分は、現時点では各種ブログなどに語られる政界再編成の夢想レベルに近く、農政の議論からは逸脱した印象を与える。
 農政の問題がすでに民主党政権後にあるのは確実だ。内閣が成立して100日も経たないが、島国大国日本の存亡の最大条件である安全保障と経済における生産性向上および金融立国のビジョンを見失った民主党政権はすでに死線に向かっており、できるだけ早期に政権を解体することが望ましいには望ましい。だが、依然国民の支持を失ってはおらず、しかもその支持は来年の参院選を越える可能性も高く、日本の混迷はさらに続くだろうし、その混迷しか残されていないのかもしれない。
 この状況下で農政の未来における確実な条件は、山下氏も指摘しているが、兼業農家のさらなる高齢化だ。現状、農業従事者の半数を70歳以上が占めており、おそらくその子世代にあたる団塊世代の大半は都市部から農村に帰還しない。その時点でこれまで自民党および民主党が期待していた兼業農家の票田が崩壊し、ようやく日本農政に未来が開ける可能性が見えてくる。あと10年というところだろうか。中国の崩壊や首都震災といったブラックスワンを除外しても、あと10年日本が先進国として持ちこたえることができるかもきびしいには違いない。
 名著「農協の大罪」の続編的な位置づけを除けば、本書の大半の叙述は言わば官僚山下一仁物語になっている。1955年2月27日生まれの著者は、私より3学年上の世代に所属し、全共闘世代の一番末にあたる。私の世代からは、団塊世代・全共闘世代が終了し、非歴史的な世代の最初の白け世代となる。3年差とは言え、この世代の差からは、私は山下氏に微妙に上の世代特有の発想が伺えるが、それでも世代が近いこともあり、私の世代の高級官僚の生き方を内側から見る物語でもあった。あの時代に国家に希望を持った官僚青年がどのように人生を送ったのか、興味深いケーススタディとも言える。
 同時に、1977年に農水省に入った山下氏の物語は、1980年代から1990年代、そして2000年代の日本農政の国側から見た歴史にもなっていて、その点でも面白い。この時代を生きた人間にとってはナマの歴史の資料である。
 奇譚もある。いや奇譚と言ってはいけないのかもしれないが、国側から見た農政史の一つの暗部の象徴として、山下氏は2007年5月28日の松岡利勝農水相の自殺に一章を充てて取り上げている。私もこのことを以前ブログに書いたことがある(参照)。山下氏は、松岡氏の自殺をいわゆるスキャンダルの結末ではなく、農水に人生を賭けた政治家の死として見ている。

 安倍総理は5月29日夜、首相官邸で遺書の内容について、次のように明かした。
「大変短いものだった。『ありがとうございます』という言葉と日本農政について『この道を行けば必ず発展していく』という趣旨のことについて書かれていた。松岡農相の大変無念な気持ちが伝わってきた」
 この遺書の内容は、事務所費や緑資源機構事件をめぐる疑惑が自殺の原因であるという通説とは、逆の見方があることを裏付けている。(中略)
 私のように農政にかかわったものとして、最も興味が引かれるのは、遺書に書いた「この(農政)の道」とは何だったか、ということである。

 山下氏は松岡氏の農政理念を探っていく。そしてこう自身の総括をする。

今さら私が松岡にゴマスリをしてもなんのメリットもない。それどころか、松岡を評価すれば、私への評価も下がるかもしれない。
 しかし、歴史の評価が下される際の材料として、あえて私の意見を述べさせていただければ、とかく批判の多かったことは事実であるが、彼が人生の最後のやろうとしていたことは、日本の農業だけではなく、日本という国にとっても間違いなくよいことだった。

 山下氏の理路からそう述べられることは本書で理解できるだろう。そして薄らと山下氏は松岡氏の死の真相について何かをまだ語っていない印象も残る。
 あの火だるまとなった安倍政権のなかで、「日本という国にとっても間違いなくよいこと」があったということは、どういうことなのか。安倍政権から、福田政権、麻生政権と自民党は失墜していった。それは自民党が迎えるべくして迎えた終焉の光景であったかもしれない。農政についていえば、自民党農林族のトライアングルは宿痾であったことだろう。しかし、この失墜の歴史は、やがて民主党政権崩壊後になって見える地平からまた別の評価もあり得るだろうと思う。

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2009.11.25

[書評]Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶(仲正昌樹)

 80年代のニューアカ系譜にある浮薄な現代思想の分野で一番まともな仕事をしているのが金沢大学法学類教授仲正昌樹氏ではないだろうか。あるいはその独自のアイロニカルな舌鋒が私の好みに合うというだけかもしれないが。彼の学究の根底には若い日の統一教会信者体験が関わっていることは、自身も各所で述べていた。それはどういうことなのか。そこに関心を持つことは、対象が思想家であるなら、そうプライベートな領域を覗き込む下品なこととも言えないだろう。思想というもの根幹にも関わる秘密には独特の魅了性がある。だが、その、社会的に異質な宗教の信者であったという、仲正氏の過去の体験に正面から立ち向かった著作はこれまでなかった。「〈宗教化〉する現代思想」(参照)などを読んだ印象からすると、その部分は語られないのかもしれないとも思っていた。

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Nの肖像
統一教会で過ごした
日々の記憶
仲正昌樹
 しかし、仲正氏は本書で語りだした。私は本書が出たと知ったときにためらうことなく読み始めた。インタビューを元に編集されたらしいこともあって、読みづらい本ではないし、内容量も多くはないが、ある心情がこみ上げて、あえて一気には読めなかった。
 不遜な言い方だが、書籍として面白いか面白くないかといえば文句なく面白いと思う。エンタテイメントではないにもかかわらず、仲正氏が現在どういうポジションにあり、どのような仕事をされているかをまったく知らない人にとっても、面白い本だろうと思う。
 しかし、私の個人的な読後感だが、予期していたような統一教会信者体験の核がなんであったかについては、非常に表現しづらい感触が残った。これはブログに書評などは書けないのではないか。別段書く必要もないのではないかとも思った。また率直に言えば、当時の入信の心情の本当の部分はまだ書かれていないのではないかという猜疑にも似た奇妙な思いも残った。奇妙というのは、どう書けば「入信の心情の本当の部分」になるのだろうか。私は、彼に罵倒を浴びせる匿名者の一人にでもなりたいのだろうか。そうではないと言いながら、その奇妙な思いに立ち止まっていた。が、先日、ツイッターで「食口」という言葉を見かけ、本書を思い出し、少し感想のようなものを書いてみたいと思った。
 統一教会がなんであるかについてだが、知らない人がいるならウィキペディアなどを見ていただくとよいだろう。韓国発祥のキリスト教系新宗教団体であり、教祖の直感で信者の結婚を決めて集団で行われる「合同結婚式」や、壺や宝石などを詐欺のように高額で売りつける「霊感商法」などから、日本では反社会的なカルトとも見なされこともある。簡単に言えばいかがわしい宗教であると見なされている。そこになぜ、仲正氏ほどの聡明な頭脳が「迷い込んで」しまったのか。なぜそのような宗教を信じることが可能だったのか。その釈明のようなものを本書に期待することもあるだろう。
 そうした「期待」が読者にあることは仲正氏もある程度了解していて、本書はそれに答えようともしている。だが、本書のたらたらとした青春期の話からすれば、それは偶然の成り行きだった、というのがかなりの近似解として提出されているだけだ。むしろ、そうした奇遇・邂逅というものの、ある動かしがたさのようなものに直面する。
 また彼自身、その宗教に堅い信仰を持っていたのかといえば、本書が語るところは、まったくそうではない。どちらかといえば、偶然の成り行きでその共同体に所属していたものの、信仰者としては落ちこぼれであった。特に、「万物復帰」と呼ばれる商売活動では明白な落ちこぼれであったようだ。霊感商法とも呼ばれるような、独自の宗教観で物を売りつけるのが下手というより、およそ商人のセンスが仲正氏にはなかったということのようだ。
 本書を読み仲正氏の指摘で気がついたのだが、世間で言われる霊感商法について、私はまったくの誤解をしていた。彼のような信仰の浅い人間にはそのような霊感商法など実践してはいないかった。

 反統一教会活動をしている人や、統一教会を追いかけているマスコミの人は、どうも勘違いをしているような気がする。統一教会の万物復帰のすべてが、霊界に関わる物の販売ではない。また、全員が「霊感商法」に関わっているわけでもない。私の相対者になった女性は、ハッピーワールドで化粧品を売っていたというし、魚屋をやっている部署もある。


 冷静に考えればわかると思うが、霊界についてのトークをして、高額の物を買ってもらうというのは、たいへんなことである。販売の技術からいっても、「原理」に対する信仰の面からいっても、信頼されている人間でないとまかせられない。
 だから、お茶売りや珍味売りで大きな実績を出しつづけ、信仰者の鏡とされているようなメンバーでないと、霊的な商品の販売をやらせてもらえない。私など、最初から論外だった。

 実際の販売手法には本部は関わっていないという話もあった。もっとも、以上の仲正氏の話は、彼自身が所属していた15年以上の前のことで、教団から離れた現在の状況はわからない、という大きな留保はついている。
 統一教会について「マインドコントロール」つまり、洗脳が行われているという批判についても、仲正氏はごく冷静に体験的な実態を明かしている。もちろん、「マインドコントロール」という批判が何を意味するかは曖昧だが、仲正氏自身を例にしても、別段「マインドコントロール」されて信仰を持っていたというわけではないと言えるだろう。
 では、なぜ成り行きとはいえ仲正氏はその共同体に所属してしまったのだろうか。この背景には、彼が入学した東京大学の寮における左翼活動への反発があった。
 仲正氏は1963年生まれ。私よりも6つも年下で、その大学生時代にいまだ全学連崩れのような左翼活動が活発だったというのは、私にはまるで実感がないが、実感がないといえば私がそもそも日本の大学のことがよくわかっていないこともある。本書を読むかぎり嘘が書かれているわけでもないのだろうし、むしろ、私より6つも年下の世代に、そんなアナクロニズムの左翼学生がいたのかと驚くとともに、半面、昨今のはてなダイアリーなどを見ていると、なるほどねと思う部分もあった。
 仲正氏が信仰というか共同体を脱していくのは、先ほどの引用にあった「相対者」が大きな契機でもあったようだ。相対者とは合同結婚式で娶合わすことになる相手である。若い仲正氏にとってはその相対者との出会いと関係に大きな違和感を持ったようだった。そのあたりの話は、なるほどとも思うが、逆に、では魅了されるほどの相対者であったら、統一教会の信仰が続いただろう、ともいえるだろう。エマニュエル・ミリンゴ大司教などもそうなのかもしれない。
 本書を読みながら、実際のところ何が仲正氏を現在の氏に至らせたか、外側から見れば、案外単純に氏の知的探求力とその才能でなかったか。20世紀という一世紀を支配しいまだ各所に残存の残る巨大な共産主義に知的に対応すれば、その鏡像的なカルト的な思想・信仰の体系ができるのもしかたがないのかもしれない。若い日の仲正氏にとって、その鏡像は思索の根を伸ばしていく仮の土壌にすぎなかったのではないか。だとすれば、本書は、統一教会脱出者の記録というより、一人の知的な青年の青春期に過ぎない。
 私は、本書を読み終えたあと、ちょっと下品な感想なのだが、仲正さんはいいなアカデミックの世界に生き残りかつきちんとしたポジションまで持って、と羨ましく思った。その現在の成功に羨望の思いがある。もちろん、私は彼ほどの知性はないし、他者に愕然と向き合うほどの強靱な自我はないのだから、自分はしかたがないと思う。そしてその半面、これも下品な感想なのだが、青春とは、誰にとっても、本質的にはなんと残酷なものだな、残酷な青春は私だけの運命でもないな、とも思った。
 ユーミンは青春の終わりを甘く歌っていた。「青春を渡ってあなたとここにいる。遠い列車に乗る。今日の日が記念日」。しかし、そうきれいな記念日などないものだ。それでも、青春を渡り、遠い列車に乗ることは誰の人生にもあるし、それはなかなか個人的には壮絶な体験であったりもする。仲正氏はたんたんと綴られていたが、人生に潜むある種の壮絶さの比喩の一つが、仲正氏にとっての統一教会体験だったのかもしれない。

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2009.11.24

民主党によるアフガン民生支援金問題、補遺

 民主党によるアフガン民生支援金については先日「極東ブログ:鳩山政権によるアフガン戦争支援は懐かしの湾岸戦争小切手外交」(参照)ですでに触れたが、オバマ米大統領訪日の手前をとりあえず繕った拙速感が強く、予想されていた問題や看過されていた問題点は多い。備忘としても補足のエントリーをメモ書きしておきたい。
 まず昨日の共同「日本のアフガン支援に二つの壁 財政難、治安悪化で曲折も」(参照)が、民主党によるアフガン民生支援金問題の現状について、(1)日本の財政難、(2)現地の治安悪化という「二つの壁」を取り上げていた。財政難については次のように述べていた。


 外務省はまず約800億円を早急に支出し、元タリバン兵への職業訓練制度づくりや警察官給与の負担などを実施する方針で、2009年度第2次補正予算案での確保を目指している。
 続く10年度のアフガン支援については、900億円程度を想定しているが、無償資金協力枠は概算要求で1572億円。このため外務省はアフガン支援を「特別枠」としたい考えだが、財務省は従来の無償枠で対応するよう求めている。そうなるとアフガン支援を優先すれば他の国や地域への援助が減り「大打撃」(幹部)となりかねない。

 現在進行中のどたばたの事業仕分けでひねり出しつつある財源は2009年度補正予算に組み込まれるのかわからないが、いずれにせよそこから早急に約800億円の支出が求められている。苦労して捻出した財源も日本国内の予算には充てられないのかもしれない。民主党政権の成立過程を見ると当初想定されていなかった支出だろうが、そもそもの総額の決定過程が不透明でもあるので、今後の問題となるかもしれない。
 財源関連で最も問題なのは、「財務省は従来の無償枠で対応するよう求めている」という点で、「アフガン支援を優先すれば他の国や地域への援助が減」るということだ。つまり、他の支援にしわ寄せ来るのではないか、ということだが、これがどうなるのか。
 今朝の読売新聞社説「国際機関援助 「倍加」を表明して削減とは」(参照)が関連の話題で懸念を表していた。

 政府は先に、アフガニスタンの民生支援のため5年間で最大50億ドル(約4500億円)を拠出することを表明した。旧タリバン兵士の職業訓練や農業開発などだ。
 だが、現地の治安状況が改善せず、日本人が現地で活動することは容易ではない。このため、日本の支援の実態は、UNDPなどに資金を渡し、各機関のスタッフや派遣ボランティアに活動してもらう形となる。
 そうした活動経費は、通常の拠出金とは別に予算を確保するつもりかもしれない。しかし、国際機関に頼らざるを得ない現状を思えば、主に国際機関の運営費に充てられる拠出金を大幅に切り詰めることが、適切とは思えない。

 民主党によるアフガン民生支援金が機能するには、さらに別途国際機関援助への補助が必要なのだが、削減が模索されているようだ。それはすでにしわ寄せなのではないだろうか。
 共同記事が指摘した二点目の現地の治安悪化は深刻で展望が見えない。20日の政府答弁書は、アフガン大統領選に派遣した選挙監視団が作業変更や見送りを余儀なくされるほどの治安悪化を述べていた。
 今週中には、オバマ米大統領がアフガン増派を決定すると見られているので、治安の改善については、米軍増派の成果を期待することになるだろう。増派が失敗すれば、日本の民生支援も宙に浮くことになる。日本としては結果として米軍増派を支援する形となるだろうし、社民党・国民新党を含めた民主党が米軍増派支援をまとめたことにもなる。
 ところで米軍増派というと兵力の増強を意味するのだが、その他の対応も含まれている。13日のNHK視点・論点「アフガニスタン支援」(参照)で、日本エネルギー経済研究所理事田中浩一郎氏が指摘しているように、2010年度の米国国防予算には、アフガニスタン武装勢力をタリバンから分離するための買収工作費が含まれており、増派でも活発に買収工作が進展するだろう。だとすれば、日本からの民生支援金は実際には米国のこの費用の穴埋めともなるのではないだろうか。以前、インド洋上給油は何に使われているかという議論があったが、同質の問題にもなりそうだ。
 同番組での田中氏の指摘は、民主党によるアフガン民生支援金拠出が、さらに暗澹たる帰結になることを予想させた。

警察官育成の最大の障害は腐敗です。その彼らに給料を払い続けるだけでは、腐敗を蔓延させるだけに終わりかねません。質的な向上を図ることが不可欠なのです。それから、職業訓練を受ける元ターリバーン兵士への給与の支払いにも通じることですが、こうした給付金の上前を撥ね、武装勢力に回流させる危険な構造があります。その対処を怠ると、給与支援が、かえって仇となってしまいます。

 別の言い方をすれば、現カルザイ大統領の政権の根幹から組織化されている汚職の構造が改善されないかぎり、民主党案の民生支援金は武装勢力に行き渡ることになり、当初の目的とは逆の結果になる。
 さらに、民主党案の「民生支援」という美辞麗句自体が機能しない可能性がある。

また、本質的な矛盾も抱えています。このままでは、悪事に手を染めた、ターリバーン兵士を優遇することになりかねません。一般の、貧しい、けれども真っ正直に生きてきた市民も、現に、職業訓練を受けようとしてきたわけです。彼らに対する生活保障が与えられない中、ターリバーンだった、ということを理由に特別扱いすることは、差別に他なりません。


同時に、現在のターリバーンが、ほぼ100%パシュトゥーン人であることからすれば、他の民族は何の恩恵も得られない、ということになります。各地に、「にわかターリバーン」が出現することを、助長することにもなりかねません。そもそも、誰がターリバーン兵士であるかを、特定することが難しい場合も多いのです。

 番組ではパシュトゥン人の地域の地図も表示されたが、その地域は南部、またパキスタン側に偏っている。同地は当然、戦闘地域でもある。
 アフガニスタンは多民族国家で、民族問題も深刻である。アフガニスタンの民族構成だが、ウィキペディアにもあるが、パシュトゥン人が45%、タジク人が32%、ハザラ人が12%、ウズベク人が9%といった構成で、以前のタリバン政権と対立していた北部同盟はタジク人が主体になっている。今回の選挙の分裂も、パシュトゥン人とタジク人の対立があった。なお、ハザラ人はモンゴル系とも見られ、日本人の相貌に近い。日本人は現地では通常ハザラ人として見られるようだ。
 いずれにせよ、こうした民族の対立も融和に結びつけるように民生支援を行わなければならないのだが、かなり難しいうえに、日本政府が責任の取れないかたちの丸投げになるのではないか。

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2009.11.23

[書評]ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)

 先日トゥイッターで、蛍雪時代、ラ講、百万人の英語といった話を少しして、「そういえば、J・B・ハリス先生は日本人」という話を投げたら、驚かれた人がいた。2004年にお亡くなりなったJ・B・ハリス先生の国籍は日本。戸籍名は平柳秀夫である。しかし、ハリス先生は産まれたときの英国籍の名前、James Bernard Harrisを自身のアイデンティティーとされていた。
 英国人を父、日本人を母として1916(大正5)年9月4日、神戸に生まれ、ほどなく横浜に転居しそこで育った。震災後は米国に移り暮らし、12歳で日本に戻った。ジャーナリストであった父、Arthur Montague Harrisは、1933年、肺炎がもとで死去した。46歳だった。ハリス先生は当時16歳。残された母子は日本国籍を選び、このとき「平柳秀夫」となった。日本語は話せるものの漢字などは十分に読めず、軍人訓などを暗唱させられる兵役では苦労された。

ぼくは日本兵だった
ぼくは日本兵だった
J・B・ハリス
 その話は、「ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)」(参照)にある。彼が後に取締役となる旺文社から1986年に出版され、今では絶版のようだ。場所によっては図書館にもあるかもしれない。アマゾンを見るとまだ中古本が安価で入手できる。ここだけの話だが、もし未読であったら、そして私に騙されてちゃってもいいやという人がいたら、今買っておくことをお勧めしたい(そしてできるなら古書店はプレミアム価格をさけていただきたい)。245ページほどの小品でいかにも昔の参考書的な装丁で、文章もやや稚拙なところがあるが、この本は屈指の名作である。震災を体験した世代で、日本語も十分ではなく英国人にしか見えないハリス先生の中国従軍記でもある。一人の人間から見た本当の戦争、しかも中国での戦争の一端がここに描かれている。
 話は、1941年12月8日の朝から始まる。「その朝、ぼくの一日のはじまりにふだんと変わったところは何もなかった」という。寒い朝の街を抜けて、すでに勤務していた英字新聞社、Japan Advertiserに辿り着き、開戦の知らせを聞く。編集部でこの大事件の見出しを議論しているなか、25歳の若造であるハリス青年の案、"WAR IS ON"で決まり、そしてその場に乱入してきた憲兵に逮捕された。理由は、敵国人だからということである。
 ハリス青年は自分は日本国籍者平柳秀夫であると述べても通じず、手錠がかけられ、留置場に二週間入れられ、その後、横浜の外国人収容所に移され、外国人として本国への交換船を待つこととなった。彼は日本人であるのに、交換名簿に掲載されていた。母一人を日本に残す無念さのまま、出航まで数日になったころ日本国籍が認められ、釈放された。家に待っていたのは、召集令状だった。
 ハリス青年は26歳にもなって初めて徴兵検査となりペニスのサイズまで計測された。スポーツで鍛えた身体は甲種合格となった。折り紙付きである。数日後、召集令状が届き、軍歌を背に山梨東部第63部隊に入営。同部隊はその後、全員北支、新郷に送られた。新郷は現在の新郷市で、マイペディアによれば、「中国,河南省北部の都市。衛河水運の要衝で,京広鉄路(北京~広州)に沿い,新焦鉄路(新郷~焦作)の起点。河南省黄河以北の経済・文化・交通の中心地」とのこと。当時も城壁都市であり、日本軍の中国侵略といっても北支では点在的な駐留であり、八路軍(参照)などの襲撃対象となった。本書ではその壮絶な戦闘も描かれているが、その他の奇譚ともいえる各種のエピソードが興味深い。
 その後、ハリス青年は新郷から近くの湯陰に移り、城壁都市を結ぶ交通路の警備にあたり、また新郷に戻りそこで終戦を迎えることになるのだが、1945年5月、体を壊し、野戦病院に入院。そのことから思わぬ転機で英語力を買われ、情報機関に移った。そのため8月11日にはポツダム宣言受諾も知っていた。
 敗戦後、同地の日本軍は重慶の国民党政府下に置かれる。軍が内部から解体されていくようすは山本七平著「私の中の日本軍」(上巻参照下巻参照)とも通じるものがあり、日本人というのはこういう民族なのかなという奇妙な感慨を持つ。
 中国大陸から本土帰還の経緯でも奇譚のような話が続く。東京でジャーリストに戻ったハリス青年は、東京裁判を扱うことにもなった。被告人名簿を見て、「自分でも驚いたのは、この中で知っている名前が、東條英機や重光葵などほんのわずかしかいないことだった。ぼくが属していた陸軍の関係者が十一人もいるのに、そのほとんどははじめて聞く名前だ」と一兵卒から見た感想も述べている。
 本書にはハリス青年のように、外見は欧米人にしか見えない日本籍の兵が数名登場する。また、日本兵のインテリが英語を使いこなし、国際状況を冷徹に見ていた話も描かれている。戦争というものの持つ、単純化されえない何かが描かれている。読みながら、なんどか涙がこぼれるシーンもあった。

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