« 2009年9月6日 - 2009年9月12日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »

2009.09.19

[書評]『Shall we ダンス?』アメリカを行く(周防正行)

 先日『Shall we ダンス?』の日米版の映画を見て、ノベライズも読んだ話は「極東ブログ:[書評]Shall we ダンス?(周防正行)」(参照)に書いた。その後、本書、「『Shall we ダンス?』アメリカを行く(周防正行)」(参照)を文庫本のほうで読んだ。

cover
『Shall we ダンス?』
アメリカを行く
周防正行
 『Shall we ダンス?』日本版の映画が公開されたのは1995年。その後、この映画に目をつけたアメリカの映画配給会社とのやりとりを周防監督自身が紀行文風にまとめたもの。随所の写真も独自の味わいを添えている。文庫化の前は1998年に同題で大田出版から出版されていたものだ(参照)。本書の経緯についてはそれ以上私は知らないが、一部は文藝春秋にも掲載されたようだ。
 話は時間順に展開され、途中同じような話がぐるぐると循環しているような印象もあるが、映画産業論としても、また映画を基軸にした日米欧の体当たり文化論としても非常に興味深い。随所で「ああ、そうなんだよ」と頷くことしきり。
 1995年からの数年といえばインターネットが興隆し、ヤフーやグーグルが現れた時期で日本からするとシリコンバレー的なITビジネスとして新しいトレンドのようにも受け止められたが、本書に描かれる映画配給ビジネスにも同質の熱気が感じられた。映画を見ている人でなくても、そのあたりからの興味で読み通せるだろうし、なんとなく気になったら、騙されたと思って読んでご覧、と言いたくなるようなタイプの書籍であった。
 話の発端は『Shall we ダンス?』を北米で公開したいというオファーを持った若いユダヤ人女性が映画監督である周防正行氏を訪れるところから始まる。そこから、驚くような独白が監督から漏れる。「僕自身には映画を売る権利がない」。

 多分ここで説明しておかなければならないことがある。僕は映画『Shall we ダンス?』の原作者であり、脚本家であり、監督であるにもかかわらず、一切の商業的な権利を持っていないである。なぜなら僕は原作者であり、脚本家であり、監督ではあるけれども、一銭の金も出資していないからだ。この金を出した者だけが一切の権利を持つという、奇妙な原則こそ、日本映画が後生大事にしているルールなのだ。

 映画界の現状は知らないが、そうした実情を聞くと私などは驚く。その意味では周防さんにしてみると、映画を作るというのは仕事でもあるけど、趣味みたいなものとも言える。だから、北米上映についてのオファーを受けてもどう対応してよいのか困惑するというとこから、この物語は始まり、その後も類似の困惑に次ぐ困惑という、一種の謎の世界の冒険譚といったおもむきがある。
 北米での上映が決まると聞けば、あとは字幕を付けるくらいなものだろう。プロモーションは多少大変かもしれないと、そのくらいは推測が付くのだが、これがとんでもないほどの仕事になっていく。まず監督を悩ませたのは、北米上映の映画は2時間以内という暗黙の決まりがあり、2時間を超えている『Shall we ダンス?』がずたずたにされる。さすがにそれはないだろうということで、結局周防監督自身が乗り出す。このカットの話が、逆に映画というものの内面を分解する独自の映画論になっていて面白い。
 プロモーションのためには、北米各地でなんどもインタビューを受けることになり、本書の大半はその各地での紀行文になっているが、うんざりするほど典型的な対応や、理不尽な対応を受ける。ここまでやるかというのが延々と続く。そこが楽しめると本書の価値は高い。結局のところ、周防監督が日本文化を伝える巧まざるミッショナリーになってしまう。
 個人的には、カナダとイギリスでの対応がアメリカとかなり違っているところが興味深いものだった。逆にアメリカにおける映画というもののが独自の文化現象なのだと言えないこともないが、同じ英語を話す国民とはいえ、国民を形成する文化的な情感の形成というのは大きな違いがあるものだ。トロントでは。

 マークの話を聞いているとカナダと日本はとてもよく似ているような気がした。つまりアメリカ文化の大きな影響下にあり、若者は皆アメリカの方を向き、経済的にもアメリカの大きな影響を受けざるを得ない。アメリカとの関係がなければ成立しないような国家体制の中で、国としての独自性は一体どこに求めればいいのだ、という悩み。

 ロンドンでは。

 もちろん探偵はアメリカ以上に大受けだった。そしてこれには驚いたが、ブラックプールが映るだけで大爆笑。どうやら、なんでこんなダサイ街がいきなり出てくるのだという笑いらしいのだが、本当にイギリス人でさえあの街で全英選手権が行われていることを知る人は少なく、もっぱらブラックプールは時代に取り残された労働者階級のダサイ保養地としてのみ認知されているらしいのだった。
 考えてみれば、イギリス人と日本人のジョークの質は近いのかもしれない。お互い、自分のことを皮肉るのが好きな国民だしね。つまり自分を客観的に見て笑い飛ばすのが好きでしょ。わざと自分を貶めたりして。

 1995年は現在の若い人からすると、私が70年代を懐かしむような感覚かもしれない。本書に描かれている文化摩擦のような感覚もすでに終わった時代かもしれない。ただ、今ふうの三行でまとめられない微妙な、人が文化の中で生きているということを伝える不思議な紀行文に今でもなっている珍しい書籍であった。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.09.18

[書評]データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問(小峰隆夫, 岡田恵子, 桑原進, 澤井景子, 鈴木晋, 村田啓子)

 米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻が日本に伝えられたのが昨年の9月16日。世界金融危機が本格化した契機として、リーマンショックと呼ばれることもある。あれから1年が経ち、振り返る。なぜあの金融危機が起きたのか、今後は防ぐことができるのか、今後の世界経済、また日本経済はどうなるのか。日本では政治経済の話題は新政権の発足に押されていたが、このブログも6年も書いてきたことあり、私なりの総括も考えていた。その際、書籍として一番拠り所となったのが、本書「データで斬る世界不況 エコノミストが挑む30問(小峰隆夫, 岡田恵子, 桑原進, 澤井景子, 鈴木晋, 村田啓子)」(参照)であった。

cover
データで斬る
世界不況
小峰隆夫他
 本書が出版されたのは4月下旬。しかも内容の原型はオンラインで刻々と公開されたものをその時点でまとめたものだった。私もその時点で読んでいたのだが、むしろ今の時点で書籍として見直すほうがいろいろと得心することが多い。この一年を歴史として振り返るなら、本書は歴史書としても十分な価値があるだろう。むしろ今こそ読み直されてもよい。本書の4月時点での予測は、失業率の予想も含めて、その後も多く的中している。
 内容は標題どおり、経済統計データから今に続く現下の世界不況を考察したもので、議論は事実に依拠している分だけ強固になっている。反面、いわゆる一般者向けの解説書ほど簡単には書かれていない。ある程度の経済知識を持つ人を前提にしている。むしろそれゆえにこそ、浅薄な常識を越えた、意外なほどスリリングな論考が随所に見られる。執筆者を代表した小峰隆夫氏も前書きでそれを本書の特徴として述べている。

 データに基づいて考えると、通常何気なく言われていることとは違った側面が現れてくることがあります。私は、こうして世間に流布している常識を覆すことが、データに基づく経済論議の醍醐味だと思っています。本書でも「ヨーロッパではアメリカに上回る住宅バブルが生じていた」、「金融危機の経済的影響はこれからも持続する」、「日本は必ずしも貿易立国だとは言えない」などの常識破壊型の議論が登場しますので、ぜひ堪能していただきたいと思います。

 実際にデータで裏付けられた現下の不況を見ていくと、浅薄な政治的議論の問題点も同時に明瞭に見えてくる。同じく小峰氏によって書かれた、ある意味での総括は、現下の日本の政治・経済が直面する問題の大枠の歪みを適切に指摘している。

 別の例を挙げましょう。ある論者は「働く人の暮らしよりも、お金を生み出す効率を優先するという新自由主義の考え方が行き着くところまで行っての大破局だ」と指摘しています。しかし筆者は、「働く人の暮らしよりも効率が優先だ」という議論を聞いたことがありませんし、そのように主張する人に会ったこともありません。
 そもそも、働く人の暮らしを豊かにするためには、働く人1人当たりの平均付加価値生産性を高めなければなりません。そのためには効率化が必要で、最も有効な効率化の手段は、市場原理に基づくインセンティブを働かせることです。つまり市場原理をできるだけ生かすことによって経済活動を効率的にしようとするのは、人々の暮らしを豊かにするためなのです。どちらがどちらかに優先するという話ではありません。
 要するに、今回の危機を契機として市場原理的な考え方を批判する人たちは、もともと存在しなかった主張を対象に批判を展開しているように思われます。こうした批判が行き過ぎて、市場原理が本来持っている利点を発揮できないような社会になっていくと、それによって国民の福祉水準は低下してしまうだろうと思います。

 世界金融危機の課題は、「新自由主義」というようななんでも放り込めるごみ箱概念で安易に処分することではなく、世界と各国がさらなる生産性の向上に向けて、より危機を発生しづらい制度設計を論じることだ。この問いかけは世界第二の経済を抱えた日本にとって重要な課題である、あるいは、あったはずだ。
 本書が歴史的な意味を持つのは、危機が深刻さを増した渦中の2月での小峰氏の指摘の的確さもある。経済のL字型の回復が避けられないとしてこう述べていた。

 では、こうした事態に経済政策はどのように対応すべきでしょうか。この点については、筆者は2009年2月に、2つの「モラトリアム(機能停止)」を提案したことがあります。
 1つは、政治抗争のモラトリアムです。危機的な経済状況の中で、与野党が手柄競争や足の引っ張り合いをしていたのでは、結局国民全体が大きな被害を受けることになります。経済危機を乗り切るためには、超党派での経済対策の立案と実施が必要です。

 具体的に2月の日本の政治状況において、経済的には政争のモラトリアムがもっとも求められていたとして、実際にはどうであったか。逆ではなかっただろうか。マスメディアは、私の印象ではヒステリックなほどに「ねじれ解消」と称して内閣の解散と衆院選挙を求めていた。特に2月17日の中川昭一財務・金融相の辞任には解散の声が高まっていた。民主党管代表(当時)は2月19日の衆院予算委員会で「国民の信頼を得られていると思うなら衆院解散すればいいし、そうでないなら即座に辞めてください」と麻生首相(当時)にきびしく迫った。
 しかし、あの時点で選挙を実施すれば自民党はその時点で崩壊し、危機の対応は確実に遅れた。実際、ぎりぎりになった衆院選挙後の政権交代で予想通り出現した民主党新政権は、二兆円規模の予算について今年度中の執行を停止しており、次年度の実施にはかなりの財政ラグが発生する。それだけでもすでに失政といえる。実質的な政治的なモラトリアムを担った麻生前総理の決断は正しかったと私は思う。
 もう1つの指摘も痛烈だ。

 もう1つは、長期プランのモラトリアムです。短期的な危機と同時に、日本経済が長期的な課題を抱えていることは事実です。財政の健全化、年金の立て直しなどがそれです。しかし長期的課題に取り組むには、ある程度の確からしさを持った経済展望が必要です。財政の健全化目標を設定するためには税収の見通しが不可欠ですし、そのためには成長率の想定が必要です。

 2月の提言とはいえ、そして現在世界不況はどん底からは立ち直ってきたとはいえ、本質的にはまだ小峰氏が主張する長期プランのモラトリアムであるべき時期だろう。よって、現在も長期プランのモラトリアムを取るべきだろう。しかし、国民の選択はその全くの逆であった。鳩山総理が麻生元総理に「首相経験者として指導、助言を賜りたい」と要請したとき、「ぜひ頑張ってほしい。日本の針路を間違わないようにしてほしい」と応じたのは、その懸念を覚えたからだろうと察する。
 本書の構成だが、副題に「エコノミストが挑む30問」とあるように、問題を立ててそれに答えるという形式になっている。

Q1 住宅バブルはなぜ起きたか?
Q2 経済理論はサブプライム問題をどう説明するか?
Q3 証券化が急激に進んだのはなぜか?
Q4 住宅バブルはどのように崩壊したか?
Q5 日本のバブルと比較すると何がわかるか?
Q6 世界経済が急降下したのはなぜか?
Q7 アメリカよりヨーロッパのほうが深刻か?
Q8 金融危機のインパクトはどれほど大きいか?
Q9 住宅バブルがどのように消費を刺激したか?
Q10 アメリカの金融対策は効果があるか?
Q11 大恐慌と何が同じで何が違うか?
Q12 ケインズ主義が復活したのか?
Q13 国際協調はうまくいったか?
Q14 ビッグスリー救済の問題は何か?
Q15 日本の政策の方向感覚はおかしいか?
Q16 日本の景気はどこまで悪化するか?
Q17 日本の金融機関への影響は本当に軽いか?
Q18 雇用削減はどこまで進むか?
Q19 産業界への影響はどれほど深刻か?
Q20 家計はどれくらい打撃を受けたか?
Q21 日本でデフレは進行するか?
Q22 アメリカ経済はいつ反転するか?
Q23 デカップリング論は幻だったのか?
Q24 ドルは基軸通貨でなくなるか?
Q25 金融監督は厳しくすべきか?
Q26 グローバル化は反転するか?
Q27 金融立国論は幻だったのか?
Q28 アメリカの過剰消費体質は改善されるか?
Q29 パラダイム転換は起きるか?
Q30 日本経済はどこへいくのか?

 考察はどれもデータに裏付けられており、議論はデータと照合しやすい。もっとも、どのデータを選び、どのように切り出し、どこに重点をおいてどのよう議論するかについては異論もあるだろう。だが、データを抜きにした「新自由主義」批判といった幻想は避けられる。
 コラムの他に以下のような付録的なまとめもあり、これらも今という時代が歴史に変わっていくなかで歴史書的な価値を高めている。

補論1 IS-LMモデルによる危機の拡大の説明
補論2 テイラー・ルールによる“FRB犯人説”の検証
付表1 各国の金融対策一覧
付表2 年表

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2009.09.16

鳩山内閣組閣、雑感

 鳩山内閣の閣僚名簿が発表され、今日から民主党政権が発足する。閣僚名簿を見てのごく簡単な感想をブログとして書き留めておきたい。名簿は次のようになった。


首  相         鳩山由紀夫(民 主)62
副総理・国家戦略     菅  直人(民 主)62
総  務・地域主権    原口 一博(民 主)50
法  務         千葉 景子(民 主)61
外  務         岡田 克也(民 主)56
財  務         藤井 裕久(民 主)77
文部科学         川端 達夫(民 主)64
厚生労働・年金改革    長妻  昭(民 主)49
農林水産         赤松 広隆(民 主)61
経済産業         直嶋 正行(民 主)63
国土交通・防災      前原 誠司(民 主)47
環  境         小沢 鋭仁(民 主)55
防  衛         北沢 俊美(民 主)71
官  房         平野 博文(民 主)60
国家公安・拉致問題    中井  洽(民 主)67
行政刷新・公務員制度改革 仙谷 由人(民 主)63
少子化・消費者      福島 瑞穂(社 民)53
郵政・金融        亀井 静香(国民新)72

 一番の感想は、年寄りが多いなあというものだ。顔ぶれだけ見てると、政権交代、新政権、刷新といった印象は受けない。年寄りの顔が変わったかなくらいだ。逆にそのあたりがそれなりに落ち着きのある政府ということでもあるのだろう。中でも、ほぼ決まっているはずなのになかなか正式な蓋が開かなかった財務相の藤井裕久さんは77歳。前政権の麻生元首相が、今後の日本は高齢者も元気なら働いてほしいといった趣旨のことを言っていたが、それを民主党も実践しそうだ。
 しかも今回の閣僚名簿で、一番の注目は最長老の藤井財務相だろう。というのも、民主党政権の命運は端的に言えば景気の動向によって決まる。これから年末から来年に向けて、日本の景気が低迷すれば、いくらバラマキをやったところで政権は支持されない。どうなるのか。その一番のキーマンになるのがこのご老体である。
 藤井財務相はすでに任に当たる前から、円高に好意的、かつ為替介入に否定的な発言を繰り返してきたこともあり、今日は円高が1ドル=90円22銭前後まで進み、その後少し戻した。おそらく90円台を切って80円台という数値を見ることになるのではないか。反面、株価は上昇した。新政権の産業面からの不安は顕在化していないし、このまま推移すればよいだろう。
 藤井財務相への懸念は、以前鳩山総理が述べた、これ以上赤字は増やさないという発言(参照)をどの程度受け止めているかだが、すでに赤字国債もありうると取れる発言もあった。13日読売新聞「景気次第で新対策、赤字国債も…民主・藤井氏」(参照)より。

 民主党の藤井裕久最高顧問は13日、テレビ朝日の番組で、新政権誕生後の経済政策に関し、「景気が『二番底』になってきたら、景気対策をやる」と述べ、景気が悪化した場合、新政権は新たな対策を講じるとの考えを示した。
 財源確保のための国債発行についても「あり得る」と述べ、赤字国債発行の可能性もあるとの見方を示した。

 読売だけの思い入れ了解ではないことは、同日日経新聞「国債発行「ありうる」 民主・藤井氏」(参照)からもわかる。率直なところ、各国が財政出動しているときでなければ財政出動の効果は薄いのだから、麻生政権のように景気に柔軟に対応する可能性が出てきたという点では好ましい。
 それでも、7月8日読売新聞記事「民主バラ色公約、イバラの財源」では、民主党政策の財源について気がかりな報道があった。

「空想と幻想の世界で遊ぶのは楽しいが、国民生活がそれによって保障されるという錯覚を与えることはほとんど犯罪に近い」
 与謝野財務・金融相は6日の記者会見で、実現に疑問を呈した。
 民主党でも、「想定通り歳出をカットするには、相当の抵抗がある」という声が少なくない。
 1.3兆円を捻出するとしている「公共事業の半減」には、地元自治体の強い反対が予想される。目玉政策の子ども手当を実現するため、これまで子育て支援の役割を担っていた所得控除を見直すことにしているが、子どものいない世帯には増税となるため、批判を懸念する向きもある。衆院定数の80削減による歳費カットを行うには、比例選の議席減に反対する社民党を説得しなければならない。
 財源を重視する岡田幹事長は「税収などはもっと厳しく見積もった方がいい」と指示し、新規政策の総額も小沢前代表当時の20.5兆円から16.8兆円に下方修正した。それでも、「政権を獲得しないと財政の内実は分からないし、財源を作れと言えば出てくるはずだ」という楽観論が根強い。
 7日の常任幹事会。大蔵省OBで蔵相を務めた藤井裕久最高顧問は、財源を論じる若手議員にこう語りかけたという。
 「財源にはそこまで触れなくていいんだ。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」

 小沢幹事長も同種の意見を述べていたものだが、実際に、「ごめんなさい」と言われる局面にならないことを祈りたい。
 新閣僚の顔ぶれに戻ると、年寄りに交じって、40代50代を見渡すと、厚生労働・年金改革担当の長妻昭氏など、該当分野の専門家を当てており、困難な実務での活躍が期待できる。岡田克也氏が外務相であるのはしかたがないだろう。ただ、防衛相には北沢俊美氏が適任ではないとは思えないが、前原誠司氏を当てるべきだったのではないかとは思った。
 連立として社民・国民から閣僚が入ることは不自然ではなく、どこに嵌めるのかというパズルは興味を引くもので、事実婚でありながら母親として子育ての経験を持ち、また未婚者から子供を持たないという選択をした女性にまで配慮できる福島瑞穂氏を少子化・消費者担当に当てたのは良い人選だっただろう。
 亀井静香氏が郵政・金融担当になったのは、率直に言って驚いた。金融相は英語では"bank minister"とされるように銀行行政に関わることから、内外の銀行関係者も驚いたようだ。亡き新井将敬議員が自決したとき妻以外に遺言を託したただ一人の人、亀井静香氏にはほかにもいろいろ華麗ともいえる経歴があり、今後マスコミなどの話題になるかもしれない。銀行関係者にしてみると、業績悪化の中小企業に対して銀行からの借金の元本返済を猶予する「支払猶予制度」(モラトリアム)を導入するの意向を示していることが当面の不安材料だろう。今日の銀行株は下がった。銀行収益の悪化が予想されたためだが、おそらくモラトリアムは法的に実現は困難なので、明日以降はもち返すのではないだろうか。
 亀井氏のサプライズには郵政担当もあり、もとより小泉政権の郵政民営化に反対して結党した国民新党であることから、郵政民営化見直しに活躍されるのだろうと期待される。まず、連立合意でもある日本郵政などの株式売却が凍結されるだろう。また、日本郵政の西川善文社長には「自発的な辞任」を求めていくと明言している。
 というところで、なぜ「自発的な辞任」を求めるのかと考えてみるわかるが、日本郵政の監督権限は総務相にあり、郵政担当相といってもその権限はない。そしてもう一方の郵政会社への権限として株主権を考えるとこれも財務相にあって、やはり郵政担当相にはない。そう考えてみると、「郵政担当相」という看板は誰が考えたものか、絶妙な仕掛けになっている。小沢さんの創案であろうか。
 郵政民営化から国営化への逆戻しはすでに財投改革の逆転もできないことから、郵貯・簡保については見直しは難しいだろうし、不便が問われているのは津々浦々の窓口業務なので、郵政担当相の実質的な仕事は郵便のユニバーサルサービスに限定されるのではないだろうか。
 他に閣僚人事については、菅直人氏が副総理と兼任する国家戦略担当が重要だが、どのような機能をするのかはまるで予想が付かない。実際には指揮系の混乱に帰着するような懸念もある。
 閣僚人事以外では、ネットでは話題になっているが、以前約束された記者クラブの廃止の公約については、反故になりそうな雲行きだ。民主党しては今後の漸進的に開放する予定があるのかもしれないが、政権へのリスクとして閉鎖性は維持されそうな印象がある。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2009.09.14

[書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁)

 農政アナリストの山下一仁さんは、昨年までだったか、私が毎朝聴くNHKラジオで決まった枠をもって農政関連の話をしていた。その切れ味の鋭さから氏の意見をその後もおりを触れて傾聴してきたが、今年の年頭、本書「農協の大罪」(参照)が出て少し驚いた。著作は専門的な内容に限定されるとなんとなく思っていたのに、一般向けの書籍でわかりやすうえ、過激であったことだ。

cover
農協の大罪
山下一仁
(宝島社新書)
 「過激」という表現は正確ではない。高校生でもわかることが普通に理路整然と書かれているに過ぎない。農協がいかに日本の農業を滅ぼしたか、すっきりわかる。つまり、それが「過激」であると言うことになる。フォーサイト9月号記事「どこへ言った民主党『農政の理念』」で知ったのだが、本書は全国農業協同組合中央会(全中:JA)の「禁書」に指定されたらしい。妙に納得した。
 日本という国の空気を多少なり知った大人なら、農協批判が逆鱗に触れる話題であることはわかる。以前の山下さんのラジオの話でも概要はわかったが、ここまではずばりと踏み込んでいなかった。本書を読みながら「山下さん、農水省を辞められてからずいぶん腹を括ったものだな」というのと、いわゆる愛国者を標榜する人とはまったく異なり、「こういう人こそ本当の国士なんだろう」と感慨深かった。
 テーマは標題どおり、日本国の農業を滅ぼした「農協の大罪」である。主張はそれほど込み入ってはいないが、仔細に読むと、農政学者でもあった柳田国男の論考など戦前の農政史の課題から、戦後直後のGHQ改革などもきちんと踏まえており、かなり骨太な著作になっている。こういうと逆に失礼かもしれないが、「極東ブログ:[書評]新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)」(参照)で触れた同書のように、岩波新書のほうがラインナップ上は適合しているという印象は否めない。宝島新書の気概の一冊でもあるだろう。
 本書が出てから半年以上経つ。深い感銘を与える書籍でもあり、多くの日本人が読まれるべき著作だと確信しながらも私は、今回の政権交代の状況で本書がどういう意味をもつのかは考えあぐねていた。
 本書で指摘されるように、農政の問題をこじらせたのは、農協のみならず、本書の副題に「農政トライアングル」とあるように、農協・自民党・農水省という権力のトライアングルである。自民党が農協下の農民票を期待して農水省にその便宜のための政策を提言する。農水省は提言を受けて農協に補助金を回す。わかりやすい仕組みだ(こうした仕組み自体が悪いわけではない)。しかし、政権交代によって自民党の農林族は事実上消えることになる。では、民主党がこのトライアングルを崩し、山下氏の指摘する農政問題が解決に向かうのか。そこが私にはずっとわからないままでいた。劣勢に立たされることになる農協はどうなるのだろう。この間の変化を本書を念頭に見ていた。
 農協の苛立ちは、すでに「極東ブログ:日米FTAについて民主党の七転八倒」(参照)で触れたが、民主党マニフェストの日米FTAの変更および個別補償の純粋バラマキに結実している。率直のところ、民主党の見事な腰抜け具合だ。自民党がブレる政党と揶揄していたが、ぶれない自民党のほうがはるかに問題でもあった。
 「だめだ、民主党」と思ったが、小沢大明神は「農協がわいわい言っているケースもあるそうだが、全くためにする議論だ」(参照)とつっぱね、民主党の真の屋台骨が小沢さんであることを示した。これがどう維持されるのかは、インド洋給油停止後の氏の国際治安支援部隊(ISAF)論と同様、不明だ。
 個別補償のバラマキだが、先の農政トライアングルでいえば、農協の下にある農家への補償を農協をスルーして行うという意味もあり、農協潰しの含みがある。とはいえ、この問題はそう単純ではない。山下氏も個別補償に賛成しているが、それどころかこの政策自身山下氏に帰するもののようでもあるが、重要性は専業農家への選抜にある。だが、民主党にはそのビジョンはなさそうだ。ちなみに、民主党も同意見かは知らないが、私は山下氏と異なり、「兼業農家も含めてただばらまけばよい」と考えている。兼業農家は実質高齢者問題であり、バラマキは一種の年金だと割り切ってよいだろうと。なんだかんだいっても国土を守ってこられたお年寄りに国は見返りをすべきだろうと。そう思っている。
 民主党によって農政の根幹問題は変化するだろうか? 難しいだろう。農政トライアングルの問題は、農協を日干しにすれば解消するものではなく、農水省の実質的な解体を含む。そこまでのビジョンも民主党にはなさそうだ。それに参院選を前に農協側からの最後の抵抗が予想され、大きな改革はそもそも打ち出せないだろう。
 話を本書の基本の枠組みに戻し、農協の何が問題なのか? 簡単に言えば、農協が日本の農業という点では農家を代表していないことだ。では農協とは何か。ごく簡単にいえば、金融機関である。大雑把に言えばと、留保はするが、GHQの農地解放によって小作から自立した農民は、ある意味で無償で土地を得た。これが日本の経済成長によって実質資本化され、農協という金融機関が吸い込んだ。こうした農民は小規模経営でもあり、国際市場に晒される農産物の生産者としてみれば、大半は兼業であり、勝負にならない。そこで農協は、いわば半農の層を農業専門に自立しないように片手間の稲作に保証金を付けるように農政トライアングルを形成した。これが米価の仕組みでもあり、当然ながら、兼業農家は潰れないが日本の農業は衰退することになった。
 もっとも日本の農業がすべて兼業の稲作ではない。むしろ専業的に自立している農家は、こうした農家に言い方は悪いが、農協に飼い慣らされているわけではない。それでも、農協下の兼業農家は異様なほど大きく、奇妙なパラドックスが発生する。

 日本における06年の農業総産出額は8.5兆円である。これはパナソニック1社の売上額約9.1兆円にも及ばない。パナソニックの従業員は30万人弱なのに、農業では、農家戸数は285万戸、農協職員だけで31万人、農協の組合員は約500万人、准組合員は約440万人もいる。GDPに占める農業の割合は1%にすぎなのに、日本の成人人口の1割が農協の職員、組合員、准組合員ということになる。

 ひどい言い方になるが、パナソニックにやや劣る規模と社員数を持つノーキョーという企業を想定するなら、この企業は会員の政治力で政府を介した配分によって成立していると見ていいだろう。では日本の農業は?

 06年の農業のGDP(国内総生産)は4.7兆円だ。しかしこの数字は、関税や価格支持(高い価格で農家所得を保証する政策)の農業保護によって実現されたところが大きく、OECD(経済協力開発機構)が計測した農業保護額(PSE)は、農家のGDPとほぼ同じである。つまり、保護がなければ、日本の農業のGDPはゼロとなってしまうのだ。

 こうした日本の農業をどうするのか。食の安全保障はどうなるのか。本書ではその具体的な打開策を展開しており、理論的にはそれしか解答はないだろう。また、今後のWTOやFTAの動向についてもきちんとした枠組みを説明している。
 悲観的な私はというと、そうした解決の道に日本が進むとは思えない。おそらく10年、20年のスパンをかけて、金融機関としての農協がじり貧に崩壊し、農家も高齢化でじわじわと解体していくのだろうと思う。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2009.09.13

米国オバマ大統領の核兵器廃絶論が行き着く平和

 「サイボーグ009」を衛星放送で見た。昨年だっただろうか。白黒番組で、かつてリアルタイムで見た記憶がよみがえり、不思議な思いに駆られた。私は知らなかったのだが、後、カラー・アニメになってからコスチュームが赤で襟巻きがやたらと長くなっていた。ビッグエックスとか食パンマンのような白コスチュームだとずっと思っていた。カラー化作品ではキャラも少し変わっていた。元のサイボーグ009の各キャラは現代からすると考えようによってはとんでもないのだが、それが時代というものだろう。あのころのキャラはそれぞれに思い入れがあるが、赤ん坊の001も強烈だった。TVで見たのか雑誌で見たのか忘れたが、001の超能力で世界の核兵器が無効化されるという話があった。核廃絶の祈りはこうして世界に広まるのかと子供ながらに感動したものだが、後になって考えてみると、そんなの赤ん坊の夢という意味だよな、バブー。
 赤ん坊の夢を未だに追っている人たちもいて、その夢には001のようなバブーなヒーローが必要になる。米国オバマ大統領が4月5日チェコの首都プラハで行った演説を「核廃絶へ具体的な目標示す」と報道しちゃう朝日新聞(参照)とかもある。バブーな夢だろ? それが具体的かよ?


 その目標に向けた道筋として、核軍縮や核不拡散の国際的な制度強化を主導する考えを打ち出した。具体的には、(1)核軍縮(2)核不拡散体制の強化(3)核テロ防止を柱として挙げた。
 (1)核軍縮 ロシアとの間で第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約を12月までに結ぶ目標を確認した。議会の一部に反対が根強いCTBTの批准実現には「早急かつ意欲的に取り組む」と表明。核兵器の原料となる兵器級核物質の生産を停止する新条約(カットオフ条約)交渉の妥結を目指す考えを示した。
 (2)核不拡散 国際的な核査察体制を強化するのに加えて、北朝鮮やイランのようなルール違反の国への対応として、国連安保理に自動的に付託する措置など、罰則強化に取り組む考えを示した。一方、原子力の民生利用促進のため、核燃料供給を肩代わりする国際的枠組みも提案した。
 (3)核テロ防止 4年以内に世界中の核物質防護体制を確立することをめざすと表明。核の闇市場の撲滅に向けて、核管理に関する首脳級の国際会議を1年以内に主催する方針を明らかにした。

 具体的といえば具体的かもしれない。が、それって普通に「核廃絶へ具体的な目標」ではなく、「冷戦後の米国イデオロギー秩序維持のための軍事優位の目標」でしょ、と思う。意外とそう思っていない人もいるのを最近になって知って驚いた。我ながらどうも浮世離れしている。今更だが、オバマのプラハ演説を振り返って見よう。オリジナルはホワイトハウスに(参照)、公式翻訳は米国の日本大使館に(参照)ある。
 これがチェコの首都プラハで行われたのにはベタな理由がある、というかそんなの誰でもわかるでしょと思っていたが、そうでもない人がいるかもしれない。簡単に触れておく。まずオバマ大統領、曰く、

 私が生まれたころ、世界は分裂しており、私たちの国は今とは大きく異なる状況に直面していました。当時、私のような人間がいつの日か米国大統領になると予想する人は、ほとんどいませんでした。米国大統領がいつの日かこのようにプラハの聴衆を前に話をすることができるようになると予想する人は、ほとんどいませんでした。そして、チェコ共和国が自由な国となり、北大西洋条約機構(NATO)の一員となり、統一されたヨーロッパを指導する立場になると予想する人はほとんどいませんでした。そのような考えは、夢のような話として片付けられたでしょう。
 私たちが今日ここにいるのは、世界は変わることができないという声を意に介さなかった大勢の人々のおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、壁のどちら側に住んでいようとも、またどのような外見であろうとも、すべての人間に自由という権利があると主張し、そのために危険を冒した人々の勇気のおかげです。
 私たちが今日ここにいるのは、プラハの春のおかげです。信念に基づき、ひたすら自由と機会を追求する行動が、戦車と武器の力で国民の意思を弾圧しようとする人々を恥じ入らせてくれたおかげです。

 重要なのは「プラハの春」だ。ウィキペディアを見ると(参照)と「プラハの春(プラハのはる、チェコ語:Pražské jaro〔プラジュスケー・ヤロ〕、スロヴァキア語:Pražská jar〔プラジュスカー・ヤル〕)は、1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動」とあり、その先いろいろ書かれていて大間違いもないのだが、どうも要領を得ない。
 大辞泉を借りると「チェコスロバキアで1968年の春から夏にかけて、新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた状況をいう」と簡素だ。つまり、冷戦下、社会主義ソ連の弾圧の下、チェコの市民が自由を求めて立ち上がろうとした春のことだが、その夏には「ソ連・東欧軍の介入により弾圧された」ということ。
 社会主義国は、天安門事件でもそうだったが、戦車がだだだと市民の前に進み出て弾圧に入るものだった。
 冷戦が本格化する前に日本は偶然、沖縄以外の内地は冷戦構造で引き裂かれずに済んだ(なのですっかり内地は沖縄の戦後ことを忘れた)。もっとも内地はイデオロギー的には引き裂かれ、今の民主党政権にまで至るのだが、逆にその橋頭堡たるべき西側の資金もつぎ込まれ自民党ができたりしていた。それでもカネで済めばいいほうだ。チェコ市民は自由を求めれば他国から軍の介入があった。そのソ連を継いだロシアの脅威をいまだチェコの人々は感じている。実際、現在でも生活に必要な天然ガスはロシアの意のまま、ミサイルも射程距離内、別の国を圧力のための傀儡に使うかもしれない。「だから、オバマさん、いざとなったら助けてね」ということで大歓迎したのであって、核廃絶に共感というだけのものではない。で、オバマ大統領はそれに答えられるか。ちと照れていた。

 私たちが今日ここにいるのは、今から20年前に、約束された新しい日の到来と、あまりに長い間与えられないままだった基本的人権を求めて、街頭デモを行ったプラハの市民のおかげです。「Sametová revoluce」、すなわち「ビロード革命」は、私たちに多くのことを教えてくれました。平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界の出来事に極めて重要な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができること、そして精神的なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということを教えてくれたのです

 このあたり、ぶっちゃけ「いや米国にそんなに期待されてもね、ウクライナやグルジアみたいな期待はだめよん、平和にやってちょーだい」という弁解。笑いを取るところだろ、なのだが、当事者となるとなかなか笑えない。オバマの演説ってこういうところが、実はすごく難しい含みがあったりする、いや皮肉じゃなくて(先日の医療保険改革の議会演説とかも)。
 先の「プラハの春」の引用に戻る。重要なのは「プラハの春」の含みもだが、もう一つ重要なのは、NATO(北大西洋条約機構)だ。「そして、チェコ共和国が自由な国となり、北大西洋条約機構(NATO)の一員となり、統一されたヨーロッパを指導する立場になると予想する人はほとんどいませんでした」と。これ何を言っているかわからん人がいるかもしれない。
 この先に関連があるのを読んでみよう。

 今年は、チェコ共和国はNATO加盟10周年を迎えます。20世紀には、チェコ共和国が参加することなく決断が下されたことが何度もありました。大国が皆さんを失望させ、あるいは皆さんの意見を聞かずに皆さんの運命を決めることもありました。私はここで約束します。米国は決してチェコ国民に背を向けることはない、と。

 これがまた微妙な話。ようするに「プラハの春」で米国がチェコ市民を見捨てたのは許してくれ、と、それを理由に米国を見捨てるのも止めてくれというのだが、あれ? 大国米国を見捨てるというのは、いかなる意味だろうか? こういうこと。

 米国が攻撃を受けたとき、チェコ共和国の国民はこの約束を守りました。何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに呼応しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークからロンドンまで各地を攻撃してきた、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的とし、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために提携できることを実証しています。そして私は、米国民が、この努力に際してチェコ国民が払った犠牲に敬意を表し、犠牲となった方々を追悼していることをお伝えしたいと思います。

 セプテンバー・イレブンで米国が「アルカイダ」という敵の攻撃にあったとき(と米国民は理解している)、その敵と目される勢力が潜む拠点としてアフガニスタンの戦争で「NATOとしてチェコの人が戦ってくれてありがとう」というのが、米国を見捨てないでくれという意味だが、もうちょっとぶっちゃけて言わないとわからん人もいるかもしれないので、繰り返すと、「アフガニスタン戦争にチェコが参加するならロシアから守ってあげるよ」ということだ。さらにぶっちゃけてチェコを日本に置き換えると……いやまあ、そのくらいわかれよと思うのだけど。
 こうした前段があって、いわばチェコ市民との双務的な軍事同盟の確認ができて、それから、核問題の話に入るというのがプラハ演説の仕組みだ。つまり、基本的にこの軍事同盟のフレームワークが核問題の意味を決めているということだなのだ。だから、その前段を済ませてこう始まる。

 今日私が重点を置いてお話しする課題のひとつは、この両国の安全保障にとって、また世界の平和にとって根本的な課題、すなわち21世紀における核兵器の未来、という問題です。

 冷戦時代は、冷戦核が巨大化しているため米ソを互いに刺激するのはとんでもない危険であり、ちょっとやそっとでは軍は動けなかった(代理戦争をするくらい)。そのリスクを考えて擬似的な平和があり、日本みたいに一歩引いたところだとたまたまマジな平和だったが、チェコみたいな地域では米国が一歩引くから痛い目にあった。
 冷戦時代は終わり、今更大国が冷戦核を使うわけにはいかないし、ソ連をついだロシアだってそんなことはわかっているから、冷戦核の廃絶については、米ロは日本を巻き込んでとても順調にやっている。
 その点では米ロの合意はできているのだが、問題は、ミャンマーのように国内貧困をどうにかしたらの途上国とか、途上国的な市民社会しかないのにやたらとでっかい国土を背景に軍事独裁をやっている国とか、同じイスラム教国でも宗派が違って核武装で君臨したい国とかが、冷戦のパロディのような冷戦核を保持しようとしている現在、そいつら相手に冷戦核のゲームをやるわけにはいかない。じゃあ、どうしましょうかという話が、オバマさんの話の流れだった。だからこういう話が続く。

 今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、核攻撃の危険性は高まっています。核兵器を保有する国家が増えています。核実験が続けられています。闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。核爆弾の製造技術が拡散しています。テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、全世界的な不拡散体制を軸としていますが、規則を破る人々や国家が増えるに従い、この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
 これは、世界中のあらゆる人々に影響を及ぼします。ひとつの都市で1発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、「イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと、何十万もの人々が犠牲となる可能性があります。そして、それがどこで発生しようとも、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして究極的には私たちの生存など、その影響には際限がありません。

 冷戦核後のいわば途上国核武装時代をどうするかというが問題であって、「テロリスト」はむしろ比喩的なものだ。「全世界的な不拡散体制」も冷戦時代のように、途上国と先進国が技術的に隔絶したような時代では機能しない。
 核兵器廃絶の夢を語りながらも「おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう」と夢から現実に引き戻して、ではどうするか。

 では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。冷戦時代の考え方に終止符を打つために、米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求めます。もちろん、核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します。しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。

 ここがとても重要で、「米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し」であって、米国から廃絶することはない。
 それと、米国は「いかなる敵であろうとこれ(核兵器)を抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持」するということだ。冷戦核時代の核競争はしないし、また途上国にそうさせないような軍事的圧力をかけるが、しかも核オプションは捨てない、ということだ。ただ、そのオプションは事実上使わない。
 かくして「安全かつ効果的な兵器(a safe, secure and effective arsenal)」というオチに向かっていく。というか、オバマ演説の意味はこの、新しい軍事体制の宣言というところが新ネタであって、核廃絶はむしろ冷戦核という時代認識的な背景描写でしかない。
 「安全かつ効果的な兵器(a safe, secure and effective arsenal)」とは何か?
 オバマの演説のリライト前の資料を条件から推測すれば容易にわかる。条件は、非核(Conventional)である、効果的(Prompt)である、イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと」(Global)を覆う、核施設を空爆(Strike)だろう。Conventional Prompt Global Strike(非核迅速広域空爆)(参照)だ。

 全米研究会議(NRC)はこのほど、国防総省(DOD)が検討中の新たな攻撃用ミサイルシステム「Conventional Prompt Global Strike: CPGS」に関する調査報告書を公表した。
 同書でNRCは、「戦略爆撃機と巡航ミサイルを主体とした現行のCPGSが”1時間以内に目標到達”という要求条件を満たす射程距離は500海里(約950km)程度となってしまい、比較的短距離の目標に限定される。テロ発生などの有事に際し世界中のどの目標でも迅速に攻撃するためには、トライデントやミノタウルなどの長距離弾道ミサイルによる新システムを構築することにより、緊急時に核兵器を使用すべきか否かを選択するジレンマを解決できる」として、短期(1~2年)、中期(3~5年)、長期(5年以降)を見据えたCPGS開発計画への投資の必要性を提言している。

 核廃絶の期待に盛り上がる祭の御輿が奉納されるのは、こういう世界なのである。これが核廃絶後の平和の世界なのか。チェコの市民にしてみれば、プラハの春を思えば、それが歓迎されるべき平和なのである。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2009年9月6日 - 2009年9月12日 | トップページ | 2009年9月20日 - 2009年9月26日 »