« 2009年8月30日 - 2009年9月5日 | トップページ | 2009年9月13日 - 2009年9月19日 »

2009.09.12

蛮勇なる鳩山氏の一手とフィナンシャルタイムズは称賛する

 政権交代という希代のギャンブルを勧めていた英国高級紙フィナンシャルタイムズだが、ご指導どおりの鉄火場となった日本にご満足してか、鳩山次期総理による温室効果ガス排出削減政策(2020年までに30%削減)も絶賛していた。いわく、蛮勇なる鳩山氏の一手(the Bravery of Mr Hatoyama's Move)を打ったというのだ。9日付けの社説「Japan’s green gift to Copenhagen(コペンハーゲンへ日本からの緑の贈答品」(参照)より。


But the toughness of such cuts serves to emphasise the bravery of Mr Hatoyama’s move. To criticise the DPJ for lacking a detailed roadmap is unfair when their man is not yet premier. That Japan is raising its game ahead of Copenhagen is to be applauded; other countries must now follow suit.

しかしこのような削減が困難であること自体、蛮勇なる鳩山氏の一手を強調するなによりもの証拠なのだ。鳩山氏が首相に就任していない時点で、具体案の欠落をあげつらうのは公正ではない。デンマークのコペンハーゲンで開催される第15回気候変動枠組条約締約国会議に先立ち、ゲームの醍醐味というものをトランプゲームのように釣り上げたことは称賛されるべきだ。今や他国も鳩山が出したトランプの絵柄に合わせなくてはならない。


 国際政治というのがトランプゲームのブリッジみたいなものだという感覚は、政権交代をギャンブルと見なすように英国流の感覚なのかもしれない。日本としては、二階俊博経済産業相による「極めて難しい」というコメントに賛同する人も少なくないだろう。また温室効果ガス排出削減を2020年までに30%削減することは1世帯につき年間最低でも36万円程度の経済負担になると、その意味を知ってから驚く人が大半だろう。NHKのニュースでは太陽光発電を現在の55倍に普及させ、次世代車は新車販売の90%、保有台数の40%にする必要があると報道していた。そう聞くと普通は無理なんじゃないのと思うのではないか。グリーンニューディールのような新産業が起きるとしても、実質国内総生産(GDP)を3.2%、失業率を1.3%押し下げるという試算もきついなと感じる。
 しかし、そうした困難こそが鳩山氏の蛮勇を輝かせるのである、というわけだ。フィナンシャルタイムズとしても困難がわかってないわけでもない。

Given Japan’s existing energy efficiency – far greater than the US – further cuts could be painful. Some business leaders, but not all, warn that growth could be crushed, with political consequences for the DPJ.

日本が現状すでに、米国とは比較にならないほどの高エネルギー効率を達成していることを考えると、これ以上の削減は社会的な痛みを伴ことになる。産業界の指導者は、全員がそうだというわけではないが、経済成長は破壊され、民主党にとっても政権維持は終わるだろう警告している。


 そこまでして日本の沈没を英国が望む、とかいうわけではない。よくわからないとも言えるが、フィナンシャルタイムズはコペンハーゲンで開催される第15回気候変動枠組条約締約国会議の成否に必死になっているようだ。しかし、なぜそこまでして地球を救いたいのか。地球を救うのは24時間分の愛だけでは足りないのか。

More importantly, Japan’s move will boost faltering momentum for a meaningful outcome to the Copenhagen climate summit in December, and remove an excuse for other nations, including developing ones, still dragging their feet on emissions’ targets.

より重要なのは、コペンハーゲン環境サミットの結果を有意義にする上で、現状のずるずるとしたダメダメ感を日本のこの一手がシャッキーンと立ち直させることだ。この一手を打てば、開発途上国を含め排出量基準について曖昧な態度を引きずっている諸国の弁解を封じることができる。

Two weeks ago, Jairem Ramesh, India’s environment minister dared the developed world to call his country’s bluff by offering more substantial emissions’ cuts. Mr Hatoyama’s pledge, while less than the 40 per cent demanded by China and India, and the conditional 30 per cent offered by Europe, is a welcome riposte.

二週間前のことだが、インドのジャイラム・ラメシュ環境相は、先進諸国の世界に向けて、インドならより多くの実質的な削減をするいうブラフ(はったり)をかましてきた。鳩山氏の宣誓は、中国やインドが求める40%削減や、欧州連合による条件付き30%削減より少ないとはいえ、好ましいしっぺ返しになっている。


 なるほどね。そういうことか。MD(ミサイル防衛)と同じだ。昔はスターウォーズ計画というばかばかしい冷戦戦略があったが、あれを真に受けてソ連が失墜したように、現下、資源国有化や資源囲い込みに武器をばらまいている開発途上国対、自由貿易によって立国しようとする先進諸国との冷戦における、ファンタジックなグリーン作戦というわけか。それならわからないではないな。さすが鳩山氏、視点がグローバルだ。
 しかし、だというなら、「極東ブログ:民主党公約、高速道路の無料化案について」(参照)でも触れたが、二酸化炭素を増やす民主党の高速道路の無料化案はどうよ、と思うが、いやあれはまずいよいねと、フィナンシャルタイムズも3日付け「Road to nowhere(何処へも通じない道)」(参照)で一応述べている。

“And the future is certain, give us time to work it out,” sang the Talking Heads in Road to Nowhere, a lyric that fits the Democratic Party of Japan well. After its crushing victory at the polls last Sunday, the DPJ deserves some time to work out how to turn a populist manifesto into a coherent plan for government, but in doing so it should modify at least one ill-conceived policy: the elimination of Japan’s highway tolls.

「未来は確かにある、僕らに実現させる時間をくれ」と「何処へも通じない道」で歌ったのはトーキング・ヘッズだが、この歌詞は日本民主党にふさわしい。先週日曜日の破壊的な勝利の後だから、ウケ狙いの政権公約を施策として一貫性もたせるべくねじ曲げるのには民主党とて時間がかかる。その過程で、最低でも、間違った政策は変更すべきだろう。つまり、日本の高速道路の無料化がそれだ。


 フィナンシャルタイムズは、高速道路無料化を断念すべき理由を4つも上げている。(1)現状より多くの人が利用するにはコストがともなう(先進国ではむしろ有料化の流れなんだぞKY)、(2)どうせ国債化するつもりんだろうが赤字をちゃんと見ておけ、(3)鉄道など他の輸送機関に悪影響が出る。そして4番目は。

Finally, there is the environmental cost. The DPJ’s manifesto promises to “strongly promote measures to prevent global warming”; unrestrained road use achieves the precise opposite.

最後は環境コストだ。民主党のマニフェストでは「世界の温暖化防止を強く推進する」と公約している。無制限の高速道路利用は公約とは真逆だ。


 フィナンシャルタイムズはどちらかというと英国視点なのでこの程度だが、米国的なフォーブスとなるともうちょっときびしい。11日付け「Japan's Carbon Conundrum(日本の二酸化炭素難問」(参照)では、前半でごく普通に、民主党の高速道路無料化案が温室効果ガス排出削減政策にそぐわないと説明した後、後半は下品な内容になっていく。

And then there’s a potential public relations time bomb ticking under Hatoyama. Rubber has financially underpinned the new prime minister’s political career, or more precisely tires. He owns perhaps as much as $70 million of shares in Bridgestone, the world’s leading tire maker and owner of Firestone in the U.S. His mother, Yasuko Hatoyama, daughter of the company’s founder, owns more.

鳩山氏はマスコミがばか騒ぎしそうな時限爆弾を抱えている。ゴム産業のカネが新首相の経歴を支えてきた。ゴムというのは、つまり自動車のタイヤだ。鳩山氏は推定では60億円相当のブリジストン社の株を保有している。ブリジストン社は世界の主要タイヤメーカーであり、米国ファイアストンのオーナーでもある。鳩山氏の母、鳩山安子は同社の創業者の娘であり、さらに多くの株を保有している。

The math is simple: more cars driving more miles burns more rubber. That Bridgestone stands to benefit would seem an obvious conclusion. There is no suggestion that the DPJ or Hatoyama is motivated by a need to help out the tire maker, but the Bridgestone connection has already become a murmur among the nation’s bloggers.

単純な算数がここにある。多くの自動車が長距離走ればタイヤは擦り切れる。儲かるのがブリジストン社だというのは明白な結論だろう。もちろん、民主党や鳩山氏がタイヤ産業への支援という動機を持っていると言いたいわけではない。しかし、ブリジストン社と鳩山氏のコネクションは日本のブロガーで間で噂になっている。


 あー、そうか? 鳩山氏の背景とブリジストンの関係は知っているが、日本のブロガーである私はそれが話題になっているなんて知らないな。この手の政界ゴシップ好きのどっかのブログかなんかで噂されているのだろうか。
 問題はしかし、その手のありがちな噂より、この手の話がフォーブスなんかに、ファイアストンの文脈で掲載されていることなんだが。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2009.09.11

[書評]脳の中にいる天才(茂木健一郎編・竹内薫訳)

 「脳の中にいる天才」(参照)は、脳科学、心理学、人類学などの第一人者らによって学際的な視点から人間の創造性ついて語った講演録を翻訳・編集した書籍である。

cover
脳の中にいる天才
 元になる講演会は、2004年4月イタリア、ボローニャ近くのベルチノロ村の古城でソニーコンピュータサイエンス研究所主催で開催され、後、2007年3月、同研究所の所眞理雄氏と脳学者茂木健一郎氏の編集によって英書「Creativity and the Brain」(参照)として出版された。本書はこれを科学ライターの竹内薫氏が翻訳した形になっているが、竹内氏自身も2004年の講演会に参加しており、訳者あとがきを読むと氏も実質編集に参加したように受け取れる。
 講演では「創造性と脳」というテーマの下、7つの講演があり、本書に収録されている。以下専門分野については同書には言及がない場合は私の判断で補った。

アラン・スナイダー(Allan Snyder:神経生理学)
1章 脳の中にいる天才
エルンスト・ペッペル(Ernst Pöppel:心理学)
2章 脳の不思議な3秒ルール」
北野宏明(システムバイオロジー)
3章 アキレス腱と創造性
フィリップ・ロシャ(Philippe Rochat:心理学)
4章 赤ちゃんは創造的か?
正高信男(比較行動学)
5章 ベイビー・トーク
茂木健一郎(脳科学)
6章 ジキル博士とハイド氏とクオリア
ルック・スティールス(Luc Steels:コンピューター科学)
7章 天才は孤独ではない

 講演の個別テーマは、講演者のポジションによって扱う角度によって当然ながら異なるが、講演者が後になるほど、全体のテーマに配慮し、議論に重層性が出てくる。特に茂木氏の講演にそれが顕著になる。
 講演内容のレベルだが、学会報告とは異なり、一般向けを対象にしているのでそれほど難しいことはない。竹内氏の目の入った翻訳も読みやすい。また講演録にはそれぞれ、竹内氏の起草しただろうコンサイスな解説も付加されていて理解の補助になる。講演の時間は1時間くらいだったのではないだろうか。あまり深い問題にまでは触れていない。2004年の講演ということもあり、内容的には若干最先端研究からずれている印象もあるが、ミラーニューロンなどの話は一般的には昨年あたりから話題となっているとも言えるし、原書も2007年出版でもあるように、現時点で読んでもそう古いといった印象は与えない。
 個別には誰が読んでも、アラン・スナイダー氏による「かぶるだけで天才になる帽子」や北野氏による独自の癌治療研究などは面白いだろう。研究の方向性は意外ともいえる。
 私個人としては、ペッペル氏が指摘する、「今」という時間意識の問題が、大森荘蔵哲学の「今」と重なる部分があり、哲学的な時間論から見ても示唆深かった。
 意外といっては失礼だが、茂木氏の話は一番エキサイティングだった。私は氏のクオリア論を分析哲学的にはナンセンスではないかと思っていたが、脳機能の構造における非局在と反応の時間調整の統一の機能の視点からクオリアを再考すると、なるほど十分に脳機能の問題として重要性があるかもしれないと、ようやく理解できた。
 また「極東ブログ:[書評]サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代(下條信輔)」(参照)で扱った問題も茂木氏の指摘に重なる部分があり、面白かった。特に、脳内の快楽が報酬となる経済学の基礎に、確率を持ち込む発想が刺激的だった。通常、「神経経済学」として語られることが多いが、茂木氏は次のように的確に指摘していた。

 ところで、「神経経済学」は名称としてはおそらく誤っていると思います。というのも、人々が脳科学によってお金を儲けるチャンスがあるかのように聞こえてしまうからです。そうではなく、この分野では、どうすれば脳が確固たる方法で不確定性に対処できるかに関心があるのです。これこそが非常に基本的な問題なのです。

 この問題は、既読だがまだ書評を書いていない、ナシーム・ニコラス・タレブ氏による「まぐれ 投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」(参照)や、「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質」(上巻参照下巻参照)とも関係する。タレブ氏は行動心理学や神経心理学に目配せをしつつも、確率論側の持つ、本質的な不確定性に人間がそもそも対処しえないか、あるいは対処しようとする傲慢を問題にするが、茂木氏の射程では、こうした不確定性は、現象の側から発生するのではなく、脳機能の対応の相互作用として現れることを示唆している。おそらく、そこに隠された重要性があるように私も考えている。
 以下書評の文脈から逸れるが、私個人としてはこの問題、つまり、この不確実性への対処としての脳機能のありかたは、バラス・フレデリック・スキナー(Burrhus Frederic Skinner)氏による古典的な行動分析学の中に、脳やマインドを除去した形ですでに包括されているのではないかと思えてならなかった。スキナー氏は、これを古典的な科学として定式化していったが、しばしば因果論的に理解される「随伴性(contingency)」には、現象としての不確実性と脳機能のマインド・セットの先行性を総括する含みがあるだろう。
 本書の講演では、ミラー・ニューロンの研究の影響もあるのだろうが、人間の認知や創造性といったものを、コミュニケーション的な文脈のなかで捉えようとする傾向が見られる。おそらく創造性も、従来個からの創発のように思えたものだが、むしろ人間を含めた環境要因に随伴する現象だとしてよいのではないか。すると、旧来「操作」としてチョムスキー氏などから単純に否定された部分には別の視座が広がるだろう。あえて言えば、下條信輔氏の文脈を借りた表現になるが、コミュニケーションを含む対人的なインタラクションの環境が人の創発のサブリミナルな操作条件を作り出すと言えるだろう。
 そこまで延長できるなら、脳というものは我々の意識や創造性をその内部から生み出す箱のようなものではなく、むしろコミュニケーションを含む対人的な環境を、外的要因に見せる随伴性の条件を含めて、世界としてプロジェクト(投射)する仕組みなのだと言えないだろうか。創造性はそこでは、むしろその世界の自己運動の随伴的な現象として扱えるのではないか。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009.09.10

[書評]僕は人生を巻き戻す(テリー・マーフィー)

 なんど手を洗ってもまた手を洗わずにはいられない。ベッドのシーツにシワやヨレがあるとそれだけで眠ることができない。家を出て五分後に鍵を本当にかけたのかどうしても確認に戻る。普通の人でもそういう理不尽な行動をとることがある。それが過度になり、本人も非常な苦痛に感じ、日常生活に支障を来すようになると、精神疾患として強迫性障害が疑われる。

cover
僕は人生を巻き戻す
 診断については「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引」に基準があるが、強迫性障害は、本人の意志と無関係に不快感や不安感を伴って脳裏に浮かぶ強迫観念と、強迫観念を打ち消すために行われる強迫行為から構成される。強迫行為は、家に戻って毎回する鍵の確認のように、それなりに誰でも了解できるものから、他人にはまったく理解できない行為もある。指と指が触れてはならないといった強迫行為の理由は、他人には理解できないが、強迫性障害者本人は了解している。理不尽ということを理性的に了解していても、恐怖や不安からその行動をとらざるをえなくなっている。
 本書「僕は人生を巻き戻す(テリー・マーフィー)」(参照)は、強度な強迫性障害患者であるエド・ザイン青年と、彼に献身的に取り組んだマイケル・A・ジェイナク医師、エド君の家族、心豊かな隣人たちを描いたノン・フィクションだが、実際に読んでみると、いわゆるライターが思いを込めて書いたノン・フィクションとは微妙におもむきが違う。著者テリー・マーフィーも強迫性障害の子供を育てた母でもあり、筆致の背後にこの問題への深い洞察が潜んでいるからだろう。
 読み進めるにつれ、強迫性障害の克明な描写や、人の心をむしばむ恐ろしい迫力に圧倒され、なにか人間の想像を絶する、壮絶なものに向き合っていくような気分になる。私は途中いくどか嗚咽した。スリラーではないが、人間本質の恐ろしさ、その底の果てしない深さのようなものに失墜していくような無力感に襲われる。実際のところ、なんども読むのを中断したし、食欲すら失せた。そこまでして読む本なのかと自問すらしたが、山を登るように読み終えた。そしてそこには山頂のような眺望もあった。年を取ると生涯、心に残る本は少なくなるし、感動というのも二時間ほどの映像で埋めることができるメディアの対価のようにも思えてくるものだが、そうではないものがこの書籍の中にはある。よくこんな本を書いたものだし、出版したものだと思う。
 エド・ザイン青年は1970年代後半の生まれであろうか。たたき上げの厳格な父親と優しい母親のもと、兄弟姉妹の末子として生まれた。彼の強迫性障害の由来としては、幼い彼を残して死んだ母のエピソードが中心になり、きびしい父や問題もあった両親の夫婦関係もあったことが描かれている。だが、母の死から即座に強迫性障害を起こしたわけではなく、内面に母の死の恐怖に抱えながら、それでも高校から大学まで過ごしてきた。強迫性障害がひどくなったのは大学在学中だ。
 母のように父や親族に死が訪れるという強迫観念から、すべての自分がなした行為を想念のなかで巻き戻し打ち消さなければならないという強迫行為として、「時を巻き戻す儀式」に捕らわれる。日常の歩行後には、その逆に後ろ向きに歩かなくてならなくなり、さらには、地下室に閉じこもり、糞便まで貯蔵するようになる。
 本書は腐臭漂う地下室にこもったエド青年にマイケル・A・ジェイナク医師が真摯に向き合うところから始まり、その献身的なジェイナク医師の人生の物語も語られる。だからジェイナク医師の情熱によって青年は救出されるという物語として展開するのではないかと読みながら思ったものだが、そうではなく、不思議な、奇跡的な展開になっていく。
 エド青年の話には、医師の鏡のようなジェイナク医師のほかに、米国には善意のかたまりのような人がいるのだと思わせる人たちも登場してくる。そのディテールも面白い。と同時に、オバマ大統領が推進している医療保険改革の必要性を痛感させるような医療の問題も克明に描かれ、社会勉強にもなる。
 読後、私は強迫神経症的なところが皆無といえる人間ではないが、強迫性障害を内面から共感的に理解できるほどの洞察力はもってはいないと思ったものだが、それでも、内面を見つめると、ところどころ魂の奥底にちくりちくりと触れてくるものがあった。広義で言うなら、エド青年は死を防ぐために孤独に戦ってきたのだが、同様に、私も心のなかの悔恨や死の恐怖を巻き戻そうとするかのように思念していることがある。その意味で、本書のエド青年から、人が人生の未来のページをどうめくるものなのか、私は深い示唆を受けた。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2009.09.08

自民党の未来は霧深き「森」のなか

 私は政局にはほとんど関心はないが、政権交代があり、日本も二大政党化するというなら、代替政党として野党となった自民党にも関心が向けられることだろう。現状、自民党の総裁指名選挙はどうなっただろうかとニュースを見たら、未だにもめているようだった。情けないことだなという思いと、すでに小泉内閣で離党した党員を安倍内閣で復党させた時点で、自民党は終わっているのだから現状は終わりの確認という程度かという思いと相半ば。民主党も自民党も大きな政府を志向している点で、もはや時代にそぐわなくなっているのだが、それがはっきりと可視になった時点で、深い傷を負った日本に新しい政治の枠組みができるかどうか心配といえば心配だが、それこそ国民の総意の問題だろう。ブロガーとしては時代を記録し、そして自分の意見をわずかに孤独に書くばかり。
 先日の選挙で自民党が大敗し、敗軍の将として麻生さんが語っているなかに、正確な言葉は忘れたが、敗北の責任を取って引退するとさらりと述べた後、党内のこともあるから自分の身の振り方は自分勝手に決められるものではないかと、留保していたのが心にひっかかった。私としては麻生さんらしい粗忽と配慮だなと微笑ましく思ったが、まさかその後、ここまで自民党がぐだぐだするとも想定していなかった。
 渦中「麻生降ろし」がうでうでと画策されていたのだから、その玉がぞろぞろと上がってくるのではないかと思っていたが、そうでもない。今朝未明時刻の読売記事「麻生首相、16日に総裁辞任へ…混乱収拾図る」(参照)を見ると、自民党内の混乱を収拾すべく、麻生さん自身が自民党総裁指名選挙前に自ら身を引く決意をしたようだ。どんだけ麻生さんに頼っているだよ、というのと、この体たらく自民党を知って敗軍の将を勤めることが人生最後の仕事になる運命というのもあるのだと、歴史というものの感触を学ぶ。個人的には麻生さんは引退後、しかし、もう一つ大きな仕事をされるのではないかなと期待している。
 「麻生降ろし」とはなんだったのだろう。冒頭書いたように私は政局には関心ないし、前二首相がころころと政権を放り投げる状態で、またぞろ首相に政権を投げ出せるわけいかないだろうに、なんなんだろうこの動きはと思っていた。反面、その「麻生降ろし」の本丸が中川秀直自民党元幹事長だというのも知って微妙な思いはあった。
 私は大雑把に言えば、小さい政府を志向する点では小泉改革は間違っていないし、「新自由主義」というのは無内容なレッテルに過ぎない、また靖国神社参拝問題など右翼・左翼が騒ぎ立てるような問題は日本の存亡における疑似問題というか雑音に過ぎない、と考えている。そうした立場にもっとも近い政治家というと、自分がその政治家を好きか嫌いかというのを別にすれば、上げ潮派の中川さんということになるし、御神輿に載せるなら、これも自分の好悪とは別に小池百合子元防衛相というのもありだろうと思っていた。
 で、あれば、「麻生降ろし」など姑息なことをやらずに、どうせ衆院選で自民党は敗北するのだから、小泉チルドレンをつれて約束の地へエクソダスしてもよいのではないかと思ったが、その気配もなかった。「おい、小泉チルドレン、君たち、存在しなくなるんだよ、逃げろよ」と思ったが、政治観において、ええ塩梅の力の抜け加減にして熱量足りずの私としては、その気概がない政治家なら最初からだめでしょと見ていた。
 渡辺喜美元行革担当相はそれとは別に離党し、誰のものでもない「みんなの党」という面白政党を作ったが、恐らく平沼赳夫元経済産業相と同じく、キャスティングヴォート狙いだったのだろうが、後が続かなかったし、読みを大きく損じた。渡辺さんに中川さんが続くなら本物だろうになとは思ったが、なかった。そのあたりで、政局ってわからんものだな、中川さんが自民党にへばりついて、小泉チルドレンを全滅させるだけのメリットがあるのか、わからんなと思っていた。
 政局というのは多様に語られ、むしろ語りの面白さが売りのつまらぬ物語なのだが、この背景はいったいなんなのだろうとは、いぶかしく思っていたし、それなりに筋の通った物語でもないものかとは見つくろっていたが、私が目にしたものでは、「フォーサイト」9月号「深層レポート 日本の政治 198 『現実路線』へのシフト図る民主党の敵は『楽勝ムード』(参照)がそれに一番近い。政局に疎い私のことだから、この話は誰もが知っているということかもしれない。話題のシーンは、今となれば、「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」みたいな自民党両院総決起集会のことだ。


 満場が大いに盛り上がった。だが、こんな勢いも見かけ倒しにすぎない。実際の自民党は、解散に至るまでのドタバタ劇で、深く傷ついてしまっていた。それを象徴するような場面が、この決起集会が終わるころにあった。町村信孝前官房長官が「反麻生勢力」の急先鋒である中川秀直元幹事長に近寄って、こんなふうにささやいたのだ。
「これから戦いが始まります。党や派閥の結束を乱すようなことを言うのはやめてください」

 町村さんの苦言は、あの状況なら特段の含みはないようにも思うが、同記事はそれを受けた中川さんの心中のドラマを面白く描いている。「麻生降ろし」をするなら、自民党議員総会開催を求める署名も順調に進んでいたのだから、最後のチャンスだった。状況的にもそれは面白いドラマになるが、問題はその先だ。このあたり政局話の真相がいつもわからないところではある。

 これに対して、麻生擁護派は情報戦を仕掛けてきた。十四日夜、中川氏が仲間とともに自民党を離党し新党を旗揚げするとの怪情報が政界を駆けめぐったのだった。

 この怪情報話はフォーサイト記事だけの話ではない。7月15日付け産経新聞系Zakzak「麻生降ろし不発…中川秀直“新党結成”の怪情報」(参照)にもある。

 その情報とは「中川氏が、加藤、武部両氏に加え、塩崎恭久元官房長官らとともに小泉チルドレンを引き連れて離党し、新党結成に動き始めた」「先に自民党を離党した渡辺喜美元行革担当相が目指す新党に合流するらしい」などというもので、メンバーには日本郵政の西川善文社長の続投問題で麻生太郎首相と対立する鳩山邦夫前総務相の名前も挙がっていた。

 「鳩山邦夫前総務相の名前も挙がっていた」という点で面白ろ情報だとすぐわかる仕立てではあるが、「加藤、武部両氏に加え、塩崎恭久元官房長官」というくだりのメンツの密談はあったようだ。逆に言えば、だからそこを突かれた形だったのだろう。名指しが効いた。
 私はミクシはほとんど利用しないのだが、Zakzak記事によると中川さんのミクシでは「さて、今夜は、とんでもない謀略情報がかけめぐりました。私に賛同する議員を疑心暗鬼にさせて、お前も離党するのかと切り崩すのが目的なのでしょう」とあったそうだ。また、

 中川氏は14日夜、記者団に「一切ない。話したこともないし、考えたこともない」と否定。さらに、「官邸の方から、そんな謀略情報が流れているようだ」と述べた。官邸サイドが、両院議員総会から総裁選前倒しという流れを求める勢力を分断しようとしたのだろう、という見方だ。

 ある意味、よくある怪文書による陰謀だし、私もこの時は、くだらねーなと読み過ごして、「官邸の方から」については考えていなかった。というより、自民党としては引き締めとして当然だろうくらいに考えていた。しかし現時点でから振り返ると、微妙に面白い話ではある。フォーサイト記事に戻る。密談メンバーの思いについて。

 メンバーたちは、ほっと胸をなで下ろしたが「派閥の上の方」とは誰か。その場にいた全員が暗黙のうちに、それは森元首相のことを指していると理解した。


情報戦を仕掛けたのが、本当に森氏だったのかどうかという真相は霧の中だが、いずれにしても、偽情報は効果覿面だったわけだ。

 フォーサイト記事はお茶を濁しているが、それでも森元首相だろうなとは誰もが思うだろう。安倍政権以降のドタバタの影にはいつも森さんがいる。
 もっとも、かくいう森さんも今回の選挙ではしょっぱい目に合っているのだから、そんな力があるのかわからないし、麻生政権で「ああ玉砕」となるのもわからないわけもないだろうにとも思う。
 だが、現状の自民党の総裁指名選挙の混乱を見ていると、逆に、自民党のグリップを握ったのは森元首相だろうし、そもそも小泉チルドレンを一掃することがそのグリップのメリットだったのだろうと思えてくる。かくして残る自民党ってなんなの?

| | コメント (15) | トラックバック (2)

2009.09.07

米国オバマ大統領の人気低下原因としての医療保険改革

 米国オバマ大統領の人気がずるずると落ちている。識者には予想されていたことでもあり、驚きはない。いくつかの要因があるが、その一つは「極東ブログ:オバマの戦争」(参照)で触れたオバマの戦争ことアフガン戦争の行方が芳しくなく、米国民からの支持が落ちてきていることだ。オバマ政権としては同盟国から確たる支援が欲しいところだが、主要な同盟国はというと、現下微妙なことになってしまっていて心許ない。その他の要因には経済問題などもあるが、最大の下げ要因となっているのはオバマケアと呼ばれる医療保険改革問題だ。
 ごく簡単に言えば、日本のようによくできた医療皆保険を米国でも実現することだが、重税という負の側面が予想され国民から大きな反対にあっている。正確にいえば問題はもう少し複雑で、その複雑な側面に踏み込まないと、話題となっているペイリン前アラスカ州知事・共和党副大統領候補の言動も理解しづらいのだが、ここでは触れない。
 オバマ人気の低落と医療保険改革の関係について、まずメモ的に日本語で読める報道を拾っておく。まず象徴的なニュースとして、8月21日付けCNN「オバマ大統領支持率50%割れ、医療改革が不人気 フロリダ」(参照)より。


 米大学が20日に発表した世論調査によると、オバマ大統領のフロリダ州での支持率が、ついに50%を割り込んだ。
 調査は米キニピアック大学がフロリダ州の有権者を対象に実施。支持率は6月よりも10ポイント以上低い47%となり、不支持の48%に逆転された。
 支持率低下の原因は主に医療保険改革にあると見られる。オバマ大統領の医療保険改革を支持すると答えたのは38%のみ。同改革は制度の改悪になるとの見方が45%と多数を占めた。


 オバマ大統領の最近の支持率は、全国規模の世論調査でも50%台前半にまで落ち込んでいる。

 ワシントンポスト紙のネタをまとめた8月22日時事「「大統領判断正しい」5割切る=医療改革で不支持逆転-米世論調査」(参照)では、まだ支持率が多少高い。

米紙ワシントン・ポストは21日、ABCテレビとの合同世論調査の結果を報じた。それによると、オバマ大統領が「国のために正しい判断を下す」と答えた人は49%で、4月より11ポイントも下落した。
 オバマ大統領が目指す医療保険改革への反発などが影響しているとみられる。特に昨年の大統領選で勝敗を左右した無党派層の落ち込みが大きいという。
 また、「国が間違った方向に進んでいる」との回答は4月より7ポイント増え55%に達した。大統領支持率は同月のピーク時の69%から57%に下がった。
 世論を二分している医療保険改革に関しては、オバマ大統領の取り組み方を支持する人は4月より11ポイント低い46%で、不支持の50%に逆転された。

 医療保険改革で支持率を下げていることがわかる。
 現状、野党の米共和党との逆転までに落ち込んでいないことは、9月5日CNN「米政党の政策支持で民主党、共和党を依然上回る 世論調査」(参照)からもわかる。

 米国2大政党のうち、与党・民主党の政策が国を正しい方向に導いているとするのが52%、野党・共和党が43%を得たことが最新世論調査結果で4日分かった。CNNとオピニオン・リサーチ社が共同実施した。
 民主党の比率は今年5月に実施した類似調査から5ポイント減、共和党は4ポイント増となった。今年1月に就任したオバマ大統領の支持率は最近じり貧傾向を示しており、民主党の政策支持率の減少もこれと連動しているとみられる。
 ただ、共和党は大統領の支持率減少から大きな恩恵をまだ被っていない。

 口達者なオバマ大統領は事態打開のために異例の議会演説を9日に行うことになっている。これで不人気を乗り切ることになるのか見ものだが、難しいのではないか。ここで失点を重ねると来年の中間選挙にもひびく。
 医療保険改革が抱える問題は複雑で、また保険会社の仕組みも日本とは異なるのだが、大枠の問題としては明確だ。そこをワシントンポスト紙コラムニスト、ロバート・サミュエルソンが執拗に追求している。
 彼のコラムのいくつかは日本版ニューズウィークのサイトで日本語で直訳ではないが無料で読める。まず「オバマ医療「改革」の幻想」(参照)がわかりやすい。オリジナルは「Health ‘Reform’ That Isn’t」(参照)。

 バラク・オバマ大統領が描く改革プランには、みんなが満足するだろう。無保険者を減らす一方で、医療費の膨張を抑制し、未来の世代に財政赤字のツケを残さず、医療の質を高める......。こうした主張は人気取りのための誇張で、政治的な幻想にすぎない。そのばら色の約束が、真剣な国民的議論を封じ込めている。
 改革が抱える矛盾をオバマ政権は隠そうとしている。4~8年といった短期間で、無保険者を保険に入れて、なおかつ医療費の伸びを抑えることなど不可能だ。
 なんらかの抑制手段を取らない限り、保険加入者が増えれば当然、医療費は膨らむ。オバマは無駄をなくし医療費を抑える必要性をしきりに訴えているが、治療と医療費の仕組みを変えていくには何年もかかるし、痛みも伴う。
 例えば患者の負担が増えたり、医師や病院の選択肢が制限されかねない。しかし、オバマはこうした問題を軽くみている。実際には、どんな措置が有効かはっきりしないこともあり、なんら抑制策が取られないまま保険加入者の拡大が進むことになりそうだ。

 訳の対応が不明で「痛みも伴う」という変な表現もあるが、原文中"These claims are self-serving exaggerations and political fantasies. They have destroyed what should be a serious national discussion of health care."が重要だ。こと医療問題は、ばら色の理想を政治家が説きまくることで、国民が真剣に考えなくてはならない問題を破壊してしまうものだ。

 医療費の膨張がエスカレートすれば給与から天引きされる保険料が上がり、連邦政府や州・地方自治体の提供するその他の公共サービスの予算が圧迫される。税金は上がり、財政赤字は増える。
 オバマはこうした問題にも触れているが、その解決に真剣に取り組む気配はない。改革の幻想をばらまき口先でコスト抑制を唱えつつ、福祉を拡大するというお決まりのやり方を踏襲するばかりだ。メディアは改革という言葉をカギカッコ付きで使うべきだろう。この「改革」はむしろ事態を悪化させかねないからだ。

 国家支出についてのなんらかの抑制の仕組みに政治が取り組まないと、政治そのものが破壊されてしまうことへの懸念がある。
 なぜ医療費が膨れあがってしまうのか。これも米国ならではの医療費の積み上げ方式などいろいろ複雑な問題があるが、それでも大枠で見て最大要因となるのは、高齢者層の増加である。サミュエルソンの別コラム「ベビーブーマーという重荷」(参照)が扱っている。オリジナルは「Boomers Versus the Rest」(参照)。

 オバマ政権下で、世代間の緊張や対立が起きるのは避けられない。アメリカ社会は高齢化しつつあるからだ。65歳以上の高齢者は1960年には11人に1人だったが、現在は8人に1人。2030年までには5人に1人に増えると予想されている。
 だが高齢化社会では、若者より高齢者が政治的に優遇されるということは意外と認識されていない。アメリカ社会は今、未来ではなく過去に投資するというリスクを冒そうとしている。
 アメリカの自動車産業の窮状をみれば、それがいかに危険なことかがわかる。ビッグスリー(米自動車大手3社)は以前から、退職者にかなりの額の年金を支給し、その医療費の一部も負担してきた。だがこうしたコストは経営を圧迫し、若い労働者が犠牲に。退職者を守るために若い世代の賃金や福利厚生が減らされた。
 同じように、今後退職するベビーブーム世代に向けた公約をオバマが実行すれば、そのコストは社会を圧迫しかねない。増税が行われ、政府のプロジェクトの足を引っ張り、長期的な経済成長の鈍化を招く可能性もある。ここでもツケを払わされるのは若者だ。

 決めの言葉は、原文中の"What's less understood is that the political system favors the old over the young in this fateful transformation. We risk becoming a society that invests in its past."だろう。どの国家であれ、高齢者が優遇されるもので、その反動で若い人への投資がおろそかになり、国家的なリスクを招く。
 このコラムの結びはこうだ。

 高齢者は団結し、約束された権益を必死に守ろうとしている。一方で、政治に情熱はあるが焦点はばらばらの若者たち。どうやら若者の側に勝ち目はなさそうだ。

 しかし、常にそうであるとも限らないだろう。あるいは、米国のように出生率をある程度維持でき、かつ移民を受け入れて若い世代の人口を維持していく国家の場合は、それによってある均衡も維持できるだろう。
 日本のように早晩、高齢者と若い世代の均衡が大きく崩れると、国家の未来への投資の削減によるリスクより、もっと明白な社会的リスクが現れかねない。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2009.09.06

過ぎ去った後期高齢者医療制度についての麻生失言を振り返る

 ちょっと気が重いが後出しじゃんけんみたいな話をしてみたい。気が重たいのは、麻生首相の失言弁護がしたいわけではないし、原理的にそうなる話でも全然ないのだが、背景が複雑なので、渦中取り上げていたら、政局の枠組みで「おまえは麻生支持だからだ」という毎度の的外れな罵倒を受けるくらいだろうとげんなりしていた。しかしもう選挙も終わり、国民は選択してしまったのだから、その意味を考えるうえで少し言及しておいてもいいだろう。
 話は昨年11月20日のこと。その日の経済財政諮問会議の麻生首相発言が26日に議事録として公開され、失言として話題になった。読売新聞27日記事「「何もしない人の医療費、なぜ払う」 麻生首相、諮問会議で発言」では、波紋を呼ぶだろうという読みで伝えていた。


 麻生首相が20日に開かれた政府の経済財政諮問会議で、社会保障費の抑制を巡って「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが、26日に公開された議事要旨で分かった。
 与謝野経済財政相が社会保障費の抑制や効率化の重要性を指摘したのを受けて、首相は出席した同窓会の話を紹介しながら「67歳、68歳で同窓会にゆくとよぼよぼしている。医者にやたらかかっている者がいる」、「彼らは学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているから」と発言した。
 病気を予防することが社会保障費抑制につながることを強調する物言いとみられるが、病気になり医療サービスを受ける人が悪いとも受け取れる発言で波紋を呼びそうだ。
 首相は19日に行われた全国知事会議で「医師には社会的な常識がかなり欠落している人が多い」と発言し、謝罪に追い込まれたばかり。

 「波紋を呼びそうだ」の思惑どおり、即座に波紋が呼ばれた。読売新聞は同日夕刊記事「医療費不適切発言 麻生首相「おわびする」」は麻生首相の陳謝を伝えた。

 麻生首相は27日昼、社会保障費抑制に関し、20日の経済財政諮問会議で、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言したことについて、「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と陳謝した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
 首相は「ふしだらな生活をしないで、(病気の)予防をきちんとすべきだというのが趣旨だ。予防に力を入れることで、医療費全体を抑制できる」と釈明した。
 首相発言に対しては、公明党の太田代表が27日昼、「言われている通りなら不適切だ」と批判。河村官房長官も同日午前の記者会見で、「(病気の人が)心を傷つけられたとしたら、表現が不十分だったと思う」と語った。民主党の鳩山幹事長は同日午前、「このような方が首相にふさわしいのか、首をかしげる。本質的な考え方が我々と違う」と、首相を批判した。

 翌日の読売新聞記事「麻生首相また陳謝 医療費発言に批判の嵐 与党が自重求め、野党は非難」ではさらにその広がりを伝えていた。

与党「細心の注意を」/野党「保険制度の否定」
 麻生首相は27日、社会保障費抑制に関し、20日の経済財政諮問会議で「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言したことについて、記者団に対し、「病にある人の気分を害したなら、その点はおわびする」と謝罪した。27日の自民党臨時役員会でも、首相は「色々とご迷惑をおかけした」と重ねて陳謝。同日夜は記者団に、「全然健康管理をしない人と、した人の差は年を取れば取るほど付いてくる。結果的に医療費の増額を抑制することになるので、予防医学をもっときちんとしないと駄目なのではないかという話をした」と真意を説明した。
 これに対し、民主党の鳩山幹事長は同日、記者団に、「病気になりたくてなっている人はいない。恵まれた人が社会的に恵まれていない人を支え合う(保険の)仕組み、理念をまるで分かっていない」と非難した。
 共産党の志位委員長も記者会見で「公的医療保険制度の否定で、一国の首相がこういう発言をすることが恐ろしい。根本的な資質にかかわる問題だ」と語った。
 一方、与党でも「言われている通りなら不適切だ」(公明党の太田代表)などと問題視する声が上がった。自民党の津島雄二税制調査会長は記者団に、「表現に十分な配慮がないと誤解を招く恐れがある。特に指導的な立場にある方は細心の注意を払ってもらいたい」と自重を求めた。
 首相の相次ぐ問題発言の釈明に追われる河村官房長官は27日の記者会見で、「できるだけ釈明しなくて済むに越したことはないが、私はその本意を理解していただく努力をしなければならない立場だと思う」と語った。

 他の報道も拾っておこう。共同は27日付けで「首相、何もしない人の分なぜ払う 医療費で発言」(参照)で報道した。

 麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが26日に公開された議事要旨で分かった。
 首相は19日の全国知事会議で「医師は社会的常識がかなり欠落している人が多い」と発言し、陳謝したばかり。病気になるのは本人の不摂生のためとも受け止められる発言で、波紋が広がりそうだ。
 20日の諮問会議では、社会保障制度と税財政の抜本改革などを議論した。首相は同窓会に出席した経験を引き合いに出し「(学生時代は元気だったが)よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる」と指摘した。
 その上で「今になるとこちら(麻生首相)の方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからだ。私の方が税金は払っている」と述べ、努力して健康を維持している人が払っている税金が、努力しないで病気になった人の医療費に回っているとの見方を示した。
 さらに「努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブ(動機づけ)がないといけない」と話した。

 朝日新聞も27日に似たような記事「「何もしない人の分を何で私が払う」医療費巡り麻生首相」を出した。懇切に失言の意味を「保険料で支え合う医療制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言」と解釈まで加えていたので、怒りのポイントがわかりやすかった。

 「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」。麻生首相が20日の経済財政諮問会議で、こんな発言をしていたことが、26日に公開された議事要旨で明らかになった。自らの健康管理を誇ったうえで、病気予防の重要性を訴えたものだが、保険料で支え合う医療制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言だ。
 首相は社会保障費の効率化の議論の中で「67、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらかかっている者がいる。学生時代はとても元気だったが、今になるとこちら(首相)の方がはるかに医療費がかかってない」と指摘。自ら日課にしている朝の散歩が役立っているとしたうえで、「私の方が税金は払っている。努力して健康を保った人には、何かしてくれるというインセンティブがないといけない」と強調した。

 国民がどう受け止めたかという一端を伺う点で、同記事に寄せられたはてなブックマークのコメント(参照)を振り返って読むと興味深い。麻生失言を責めるコメントから少し拾ってみよう。

floi 政治, medical 「この人の精神の一端がわかる名言ですね。全く為政者にふさわしくない。」 2008/11/27
kyo_ju これはひどい, 政治, 民度 「居酒屋でクダまいてるおっさんじゃないんだからさぁ。あ、ホテルのバーだっけ。」 2008/11/27
lakehill 医療, health, それはひどい 「お前は何言っているんだ!努力しただけで健康が保たれるのなら、誰も苦労しないよ。だいたい、みんなでお金を出し合って支えあう国民皆保険の理念を否定してどうする。/ ブログに書いた」 2008/11/27
ichikojin2001 news, 失言ドミノ 「太郎を語るには、漫画と失言だけで十分だな(笑)」 2008/11/27
kowyoshi 麻生太郎 「太郎をブコメで擁護している人たちが「たらたら飲んで、食べて、何もしない人」だったら笑ってやる」 2008/11/27

 実は、はてなブックマークのコメントでは麻生失言批判はそれほどは多くはない。
 ここで少し背景を説明すると、麻生失言は問題があるが、全体の話の流れのなかでは、この話の主導は麻生首相が担っているものではなかった。後で触れたいが、実際には麻生首相はむしろ逆の懸念を持っていた。
 そこで話の流れだが、「極東ブログ:[書評]命の値段が高すぎる! - 医療の貧困(永田宏)」(参照)で触れた同書の説明がわかりやすい。話の発端は、小泉医療改革にあった。

 残りの政策はすべて次代の内閣に引き継がれることになった。(中略)
 それらは本来、小泉内閣の正当な後継者と目されていた安倍内閣において、実施に移されるはずだった。ところが就任わずか一年にして、何の前触れもなく首相自ら政権を放り出すという前代未聞の珍事が生じたため、後を継いだ福田内閣によって実施に移されることになった。
 後期高齢者医療制度、メタボ対策、レセプト並み領収書などである。
 しかし二〇〇八年九月になると、今度は福田首相が突然「辞める」と言い出した。ねじれ国会の運営の行き詰まりが理由だが、後期医療制度にもかなり足を引っ張られた観がある。
 かくしてこれらの三つの政策は麻生内閣に受け継がれることになったのである。ところが、当の麻生首相は、最前述べたように心が大きく揺れている。

 本来なら小泉医療改革として安倍内閣で進むはずの話だった。他でもそうだが麻生首相は前二首相の尻ぬぐいでしかなかった。しかも後期高齢者医療制度はころころ首相が変わるのととは別に、経済財政諮問会議では、なんとか方向性を持って継続していた。麻生首相としてもその方向にお墨付きを与えるように一言、失言した、ということであって、麻生首相が主導した話ではなかった。なお、民主党政権では経済財政諮問会議は解体されるし、後期高齢者医療制度自体が廃止される。
 はてなブックマークのコメントから今度は、朝日新聞記事に警戒的なコメントも眺めてみよう。

wizyuyu 政治 「メディアは、何を考えてこのような主張をするのだろうか。今週のエコノミスト誌に『森元首相以来、首相の失言を追いかけることがメーン』とあって、日本人として恥ずかしくなったのを思い出した」 2008/11/27
roadman2005 media 「言葉尻をとらえて焚き付けているのはメディア.原文では、「それほど深刻でない健康状態の人が受診することで医療費が圧迫されている」との意.http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdfの11ページ目」 2008/11/27
ringtaro 「記事の内容を鵜呑みにしている人が多くて絶望した。id:roadman2005 さんのコメントを見て発言の全文を読んでほしい。」 2008/11/27
Lunaetlinetito 朝日新聞, これはひどい 「ひどく偏った記事です。議論の中の言葉だけ抜き出し強調している。社会保障と財政の会議でまともに給料から引かれる話です。その概要すらろくな説明がない記事。麻生で釣ってる場合じゃない思う。」 2008/11/27
rajendra 医療, 政治 「予防医療に傾注すれば医療専門職の負担を今より減らすことが出来るし、見えにくくなっている健康へのインセンティブを意識させたいというのなら間違っちゃおらんな。http://www.keizai-shimon.go.jp/minutes/2008/1120/shimon-s.pdf」 2008/11/27
y-kawaz これはひどい, 医療, マスゴミ 「確かに失言ではあるが、原文では「それほど深刻でない健康状態の人が受診することで医療費が圧迫されている」との意。文脈無視した悪意ある切り貼りはどうかと思う。せめて前後の文脈くらい合わせて紹介しようよ。」 2008/11/27
p_wiz 麻生太郎, 医療, 政治, 印象操作 「麻生太郎首相が一番まともな事を言っている件について ⇒ http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20081127/p3」 2008/11/27
rose 受験に朝日新聞 「これ、予備校で原文を読ませて 【問】傍線『何』の例を本文から探し、簡潔にまとめよ(40字以内) とかやってみ? 大抵「近所の病院に通うのに、二週間続けて、タクシーを使わず徒歩にする事」みたいな答えになるよ。」 2008/11/28

 マスコミ報道に警戒的なコメントは、大別して、(1)この報道は公正か、(2)麻生首相の趣旨を失言としてのみ葬ってよいのか、という点にある。
 元になった失言を見てみよう(参照PDF)。

(麻生議長) 67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっている者がいる。彼らは、学生時代はとても元気だったが、今になるとこちらの方がはるかに医療費がかかってない。それは毎朝歩いたり何かしているからである。私の方が税金は払っている。たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金を何で私が払うんだ。だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。 病院をやっているから言うわけではないが、よく院長が言うのは、「今日ここに来ている患者は 600人ぐらい座っていると思うが、この人たちはここに来るのにタクシーで来ている。あの人はどこどこに住んでいる」と。みんな知っているわけである。あの人は、ここまで歩いて来られるはずである。歩いてくれたら、2週間したら病院に来る必要はないというわけである。その話は、最初に医療に関して不思議に思ったことであった。 それからかれこれ 30年ぐらい経つが、同じ疑問が残ったままなので、何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。

 これが失言のオリジナルだ。この発言は単独ではなく、与謝野議員の話に挟まれている。

(三村議員)それは、効率化案の示し方ということもあるのではないか。具体的には、イセンシティブな内容まで立ち入るかどうか、この辺については、どういう示し方をしたら良いのか議論の余地がまだあるのではないか。
(舛添臨時議員) そうである。
(与謝野議員)ただ、社会保障は放っていたら幾らでもお金が出ていってしまう。これは相当注意深く物事をやっていかなければいけないし、効率化というのは大事な目標である。 (中略)
(麻生議長) (前略)だから、努力して健康を保った人には何かしてくれるとか、そういうインセンティブがないといけない。予防するとごそっと減る。(中略)何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうかと思う。
(与謝野議員) 今日の議論を次のようにとりまとめたい。(中略)

 三村議員から当面のテーマとして後期医療制度の支出削減のイセンシティブが提起され、舛添臨時議員も同意し、与謝野議員も支出を抑えるための効率化を述べるという流れで、麻生失言になるが、話の流れ上は失言ではない部分が議論の文脈につながっている。
 さて原文を読んで、報道との差を感じるだろうか。
 率直に言うと微妙なところだろう。
 「たらたら飲んで、食べて、何もしない」という品のない表現も失言のうちだが、自分の税金を不摂生な人に取られるのはいやだということは明瞭に述べており、首相の言としては好ましいものではない。
 だが、要点は、「何かまじめにやっている者は、その分だけ医療費が少なくて済んでいることは確かだが、何かやる気にさせる方法がないだろうか」にあり、国民の税金を低減させる方策はないかということにある。それが諮問会議の方針でもあり、この時点の話の流れにあった。
 しかも麻生首相はさらっと「税金」と述べているが、ここは彼なりに本質を喝破していたところで、後期高齢者医療制度が保険ではない含みがあった。ここが非常に難しいところだ。
 朝日新聞記事に「保険料で支え合う医療制度の理念を軽視していると受け取られかねない発言だ」とある記者の理解をそのまま受け取ってしまったのかもしれないが、はてなブックマークのコメントでは、麻生首相の失言を皆保険の否定として捉えているものもあった。

lakehill 医療, health, それはひどい 「お前は何言っているんだ!努力しただけで健康が保たれるのなら、誰も苦労しないよ。だいたい、みんなでお金を出し合って支えあう国民皆保険の理念を否定してどうする。/ ブログに書いた」 2008/11/27
ko_chan *政治 たらたら飲んで、食べて、「何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払う>保険の概念をわかってない。努力して健康を保った人には、何かしてくれるというインセンティブがないと>民間保険じゃあるまいし」 2008/11/27
biconcave 麻生, 社会保障, 医療・介護 「正論だと思うなら堂々と国会で皆保険制度の廃止を訴えればいいと思います!」 2008/11/27
ssuguru memo 「保険料に差をつけるとかいう話だと思ってたけど(国民皆保険で可能?)、「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の 分の金を何で私が払うんだ。」の一文がそれを突き抜けてる。まさに失言。」 2008/11/27
annoncita 麻生太郎 「全部読んでも失言です。相互扶助の健康保険制度っていうものを根本から解ってません。」 2008/11/27
kogarasumaru 政治 「これは経済財政諮問会議の議論の流れと合わせて考えると非常に怖いのだが/元を読んでも皆保険制度否定でしょう」 2008/11/27

 ここも非常に難しい。朝日新聞記者も含めて麻生失言を皆保険の否定だと理解するのは、後期高齢者医療制度が国民皆保険だという、厚労省の建前を前提にしている。ところがここに問題の難所がある。次のコメントが問題の行方を示唆していた。

zu2 「健康な人の医療費なんてたかが知れてると思うなあ。統計ないかしら?」 2008/11/27

 もちろん「健康な人の医療費」は健康だからたかが知れているというのはあまりに言葉尻を受けた話でどうでもよい。「健康な人の医療費」とは、ようするに健康な人でも病気にかかることがあり、その医療費をどうするかということだ。それは、まさに国民皆保険の原型に合致する。疾病によっては数カ月の入院ということもあるが、慢性疾患で終身発生する費用ではない。
 別の言い方をすると、国民皆保険は長期に継続する失費を想定して作られた制度ではない。しかし、この制度に長期に継続する失費が含まれてきたことで、制度自体に財政的に破綻が見えてきていた。
 経済財政諮問会議の流れをやや誇張していうなら、麻生首相が構造的な費用削減を想定したように、現時点ですら遅すぎるが、それでなんらかの手を打たなければ、問題は皆保険全体に及び、むしろ皆保険が否定される事態になることだった。
 先の「命の値段が高すぎる!」は背景の歴史をこう説明している。

 もちろん医療制度に対する国民感情の自己矛盾は、昨日今日に始まったことではない。すでに一九八〇年代初頭から専門家の間で取り上げられてきた。当時すでに少子高齢化の到来が予想されていたため、医療制度を根本から見直す必要性に迫られつつあった。
 ところが不幸なことに、当時の人口予想はかなり楽観的であった。そのため、少子高齢化の進展速度を見誤ってしまった。
 (中略)
 そしてバブル崩壊と、その後の「失われた一〇年」である。
 日本の経済も社会も完全に沈滞し、もはや医療制度の未来を論じる気力も体力も残されていなかった。医療保険財政は悪化の一途をたどったが、保険料と患者自己負担率の引き上げを繰り返すことによって、何とか辻褄を合わせるより他なかった。本格的な改革にまったく手を付けられないまま、空しく時間だけが経過していったのである。

 小泉政権に国民の支持が高く長期に続いたこと、さらに政府主導が可能であったことから、ようやくこの問題に着手できるようになった矢先というのが、麻生失言の背景だった。
 後期高齢者医療制度はこうした流れで、現役世代の負担と皆保険を維持するために、慢性疾患に継続的に支出を必要とする部分を切り離す形で形成された。
 現状でも支出の45%は公費が担っていて、麻生首相が「税金」と喝破したのとおりである。国が30%、都道府県が7.5%、市町村が7.5%になる。さらに健保・国保から支援金が36%となっている。
 これらが今後の高齢化でさらに膨れあがることにはなるが、それでも本人負担が10%、またこの制度による高齢者間の保険が9%を占める。総額で約20%を高齢者世代が負担してもらうようにして、他世代が利用する皆保険への影響を極力少なくしたいということだった。
 とはいえ高齢者に負担を分担して増やすだけではなく、できるだけ高齢者同士の保険の制度にすることで自覚を促し、健康を維持することで全体の医療負担を軽減したいというのが麻生首相の趣旨だった。
 75歳という線引きは統計的に慢性疾患となり医療の質が変わる年代として採択されたが、財政面的には、扶養率(何人で保険を支えるか)が、65歳の人口から75歳を切り離すことでかなりの軽減ができる。別の言い方をすれば、65歳から75歳までできるだけ医療負担を減らすような制度を求めなければならないということだった。
 しかし、すべて終わった。
 後期高齢者医療制度は民主党政権で廃止される。それが現役世代を含め国民が望んだ未来であった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2009年8月30日 - 2009年9月5日 | トップページ | 2009年9月13日 - 2009年9月19日 »