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2009.09.05

宇宙人は存在するか?

 宇宙人は存在するか? 私は、UFOを高校生のとき一度見たことはあるが、あれが本当に未確認なのか確認はできなかった。ましてUFOに拉致されたことはない。睡眠中に体外離脱して緑豊かな金星に行ったこともない。行った先は火星だった……いやそんなこともない。マクモニーグルさんのように地球にいて遠隔から見ていただけだ……いやそれもない。それでも私は宇宙人が存在することを知っている。なぜ? そう問われたとき、「宇宙より愛を込めて、地球という星に住むすべての人に贈る歌」を、私も歌う。このYouTube映像の8分12秒のところだ。



私もほんとは宇宙人
君もあなたも宇宙人
他の星の人から見れば
ちょっと変わった宇宙人

海があって山があって
地球はきれいな星なのに
空き缶ぽいぽい紙屑ぽい
どこもかしこもゴミだらけ
むこうにおなかがすいた人
こっちに山ほど食べ残し
自分勝手に暮らしてる

私もほんとは宇宙人
君もあなたも宇宙人
他の星の人から見れば
ちょっと変わった宇宙人 


 いい歌だなぁ。
 地球はきれいな星なのに空き缶ぽいぽい紙屑ぽいは、変わらない。いやペットボトルが増えたか。むこうにおなかがすいた人、こっちに山ほど食べ残し、自分勝手に暮らしてるも変わらない。時間が止まってしまったみたいだよ、モンキー。
 ということで、宇宙人は存在する。僕と、君と、鳩山総理と……。
 しかし夜空を見上げて、この夜空のむこうに地球以外に宇宙人はいるのかと考えると、わからない。ただ、Bible Blackという感じの孤独を覚える。
 どの本だったか書名を忘れてしまったが、ホーキング博士が、宇宙の他文明の存在を問われて答えていた。不確かだが今でも覚えている。博士も、宇宙人は存在するかもしれないと答えていた。だが、その先に悲観的な推測を加えた。高度な文明はそれ自体で自滅するから、宇宙の文明が遭遇するということはないだろう、と。
 そうだろうな。地球の文明もあと何年続くだろうか。人類が滅んだ後、進化の結果、別の種が人間のような知性として出現する可能性もあるだろうが、そこまで地球が保つかはわからない。そう考えると、そしてブラック-ショールズ方程式から考えても、その可能性はないとしてよい。プラクティカルに投資の対象として見るなら、宇宙人は存在しない、終わり。
 だったのだが、今週のニューズウィーク日本版「世界の新常識」の「地球外生命体は存在する」を読むと、へぇと思った。地球型惑星は銀河系2000億個の恒星の半数ほどにあるらしい。1000億個は地球みたいな惑星があるのか。
 実際に生命が存在する可能性のある惑星の探索といえば、ケプラー計画がある。いや、私は知らなかったのだけど、推進者のビル・ボルツキさんは、けっこうマジだったのだな。

 ケプラー計画を支えるコンセプトが生まれたのは最近のことではない。ボルツキは高校時代、学校の課題をサボってUFOにメッセージを送るための高度な送信機を自作していたという逸話の持ち主。

 日本で言ったら日向冬樹君みたいなやつだったのか。彼の場合はすでに宇宙人に遭遇しているのだが、上井草あたりで。

 探査計画に予算を付けるよう上司に働き掛けるようになったのは80年代に入ってから。上司の反応は冷たかったが、ボルツキのチームは諦めなかった。

 ケプラー計画ってけっこうマジだったわけだね。

ケプラー計画がうまくいけば「『生命体なんてどうでもいい。存在するかもしれないし驚異の文明とやらも、どうでもいい』なんて言う人はいなくなるはずだ」とボルツキは言う。

 けっこう痛いところを突いている。普通、科学が正しいとか装っている人は、「生命体なんてどうでもいい。存在するかもしれないし驚異の文明とやらも、どうでもいい」とうそぶいているものだし。

 ボルツキに言わせれば、最終的に目指すのは「光に近い速度で飛行して問題の惑星まで行き、写真を撮ってわれわれに見せたり、現地のラジオやテレビを受信したりして、その星についての理解を深めるのに役立つ探査機」の打ち上げだ。

 すげーな。
 しかし、私としては、やはり、ホーキング博士が言うように、宇宙の文明は時間的には遭遇しないだろうし、知性というのはそれ自体で自滅していくものだろうと思う。そして、あと二つ思うことがある。一つは意外と宇宙に存在する知性体は我々だけかもしれないなという、三浦俊彦著「多宇宙と輪廻転生―人間原理のパラドクス」(参照)みたいなことと、もう一つは知性と生命の関わりにおいて、いわゆる生体に知性が存在せずとも、その情報だけで存続させる別の形式があるのではないかということだ。
 後者についてはけっこう考えるのだが、最近それって無理かもしれないと思うことが多い。「私」という意識存在は、情報の集積を越えたものなんじゃないか。鬼界彰夫著「ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951」(参照)ではないが、「私」の存在の神秘みたいなものに行き着く。困ったなと思っている。大森荘蔵は「私」は存在しないと言ったが、そうでもないのかもしれない。わからないな。
 ところで、こうした問題をもっとシンプルに考える人もいる。英国テレグラフ紙に今日付で「The fashion for UFOs」(参照)という短い社説が掲載されていた。

Aliens abducted the wife of the new Japanese prime minister. “While my body was asleep, I think my soul rode on a triangular-shaped UFO and went to Venus,” Miyuki Hatoyama wrote last year. “It was a very beautiful place and it was really green.” So one would hope.

異星人はかつて日本の新首相の妻を拉致した。「私の身体が眠りに就いた間、私の霊魂は三角形のUFOに乗り、金星に行った」と鳩山幸は昨年書いた。「美しい場所で、本当に緑だった」 かくのごとく、人は望むものだ。


 けっこう英国では話題だったようだ。テレグラフ紙社説はこの先、幸さんにサフォークへの旅を勧めている。英国人ならけっこう誰でも知っている「レンドルシャムの森の事件」というUFOの話があったそうだ。
 とはいえ、テレグラフ紙はUFOは、超常現象というより流行現象でしょとする。

Whether this is a likely explanation is neither here nor there. UFOs come in and out of fashion quite independently of the evidence in their favour. In this they have much in common with nudism, ley lines, poltergeists, vegetarianism, Tupperware, rockeries, yoga, tattoos, barbecues, beards, Jim Reeves, bull-terriers, ESP and cider.

妥当な説明についてはいずれでもない。UFOというのは、望む証拠とは関係なく、流行に沿って出たり消えたりするものだ。共通するものには、ヌーディズム、レイライン(線上の古代遺跡)、ポルダーガイスト、菜食主義、タッパウェア、岩石庭園、ヨガ、タトゥー、バーベキュー、あご髭、ジム・リーブス(歌手)、ブルテリア、ESP、シードルがある。


 UFOというのは流行り物だということ。で、オチはこう。

Perhaps one day, the wife of a British prime minister will believe in UFOs, too.

いつの日か、英国首相の妻もまたUFOを信じることだろう。


 そういえば、ブレア元首相の妻シェリー・ブレアさんが若い頃、絵のヌードモデルをしていたというのが話題になっていた。その絵の写真も現地の新聞に掲載されていたけど、まあ、リアルな描写じゃなかった。首相の妻には明るい話題があったほうがよい。
 テレグラフ紙が書いたように、UFOはまたまたブームの時代なのかもしれない。グーグルの今日のロゴもUFOを描き、"unexplained phenomenon"と謎を掛けていた。

logo

 一昨日"Japan's first lady: 'Venus is a beautiful place'"(参照)の記事を掲載したガーディアン紙は、グーグルの悪ふざけに付き合って「Why will we always be captivated by UFOs(なぜ我々はいつもUFOに拉致されるのか」(参照)を掲載していた。


The fact the Guardian's Bad Science column has now surpassed 300 articles may indicate that the public's interest in debunking myths is nearly as voracious as the appetite for the paranormal and unexplained - the subject of a special edition Google logo today.

ガーディアン紙掲載の悪しき科学コラムが300本を越えたという事実は、公衆の都市伝説を暴こうとする関心が、超常現象や不可解現象を望むと同じくらい強いということを意味しているだろう。つまり、それが今日のグーグル・ロゴのテーマだ。


 ガーディアン紙はテレグラフ紙ほどのユーモアセンスもなく、真面目にDistrict 9(参照)とかの展開になっていくので、割愛。

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2009.09.04

心配ご無用、ハトヤマはチャベスに遙かに及ばない

 著名な外交評論家の岡本行夫氏が、鳩山民主党代表のニューヨーク・タイムズ紙寄稿を読んだ米人識者の言葉を、こう伝えていた。「ハトヤマはチャベス(ベネズエラ大統領。激烈な反米主義者)と全く変わらない」参照)、と。そしてこう補足した(産経新聞「外交評論家・岡本行夫 鳩山さん、よく考えてください(2009.9.1)」より)。


 鳩山さんが傷つくこの英文を、なぜ誰もチェックしなかったのか。チャベスはともかく、この論文と同じようにアメリカ一極主義のおかげで世界が悪くなったとやったのは、プーチン・ロシア大統領(当時)、2007年2月のミュンヘン演説だ。欧米の猛反発をかったが、そのプーチンですらグローバリズムまでは批判しなかった。鳩山論文の内容は、むしろ、グローバリズム反対を叫んでG8サミット妨害を繰り返す欧米NGOの主張に近い。

 心配ご無用、ハトヤマはチャベスに遙かに及ばない。
 チャベス大統領の反米主義は断固たるものがある。その一端を、8月30日のしんぶん赤旗「平和地域として強化 南米諸国連合首脳会議が共同宣言」(参照)が伝えている。米国とコロンビア間で麻薬取り締まりを名目に、米軍がロンビア国内の7基地を向こう10年間利用する米軍増強計画について、チャベス大統領は批判した。南米諸国連合首脳会議で、コロンビアのウリベ大統領が米軍の支援を求めたことについて。

 これに対しベネズエラのチャベス大統領は米軍の関連文書を示し、米軍増強が「戦争の種」をまくものであり、「米国によるグローバルな支配戦略の一環だ」と批判。

 チャベス大統領の反米主義は口先だけ批判ではない。行動も伴う。7月29日付けニッケイ新聞「FARC=高性能武器を入手=スウェーデン製武器がゲリラに」(参照)より。

 コロンビア政府とスウェーデン政府は二十七日、ベネズエラへ売却したはずのスウェーデン製武器がコロンビアのFARC(コロンビア解放前線)で使用されていることで、ベネズエラのチャベス大統領に説明を求めたと二十八日付けエスタード紙が報じた。
 武器は、ロケット砲AT4と対戦車砲。コロンビア政府軍が昨年七月、FARC野営地を急襲し、押収したもの。ロケット砲と対戦車砲及び弾薬は、スウェーデンがEU(欧州連合)のどこかの国へ売り、めぐり巡ってベネズエラに至ったとされる。
 ベネズエラのチャベス大統領とエクアドルのコレア大統領は、FARCの影の協力者と見られている。ベネズエラのマドゥロ外相は、コロンビア政府軍こそ米軍支援のもとに冷酷無比な掃討戦争を展開と非難した。

 チャベス大統領は、FARC(コロンビア解放前線)に武器供与を行ったのだ。
 本当? また西側報道による陰謀ではないのか? 
  8月10日FujiSankei Business i.記事「ベネズエラ・コロンビア対立深刻 第三国の介入は逆効果」(参照)によると、チャベス大統領はFARCへの武器供与を本人が公言しているとも言い難い。

 チャベス大統領は記者会見でFARCに供与したと指摘された携行型対戦車ロケット弾AT4について、1980年代にスウェーデンから購入したものの、95年にベネズエラ海軍から盗まれたと主張。

 それでも赤旗が伝えるところの「戦争の種」を撒く米軍に、きちんと真正面から軍事で対抗しようとしているのが、芯のある反米主義者というものだろう。

 チャベス大統領は、FARCへの武器供与疑惑に対するコロンビアの非難は、米軍との軍事協定から目をそらすための「煙幕」と主張している。ベネズエラは7月末、全外交官をコロンビアから召還し、2200キロメートルに及ぶコロンビア国境線への軍配備を強化した。

 しかし、武器と言っても携行型対戦車ロケット弾AT4でしょ。そんなに大した武器かよ、と、やはり西側報道によるきな臭さを感じる人もいるかもしれない。
 大丈夫、まだ先がありそうだ。8月15日ニッケイ新聞「ウナスール=亜国で28日に開催=明確な安全保障協定締結を」(参照)より。

 コロンビアは、外部機関との関係で詳細を明かさない。ベネズエラとロシアの軍事協定も内容が明白でない。チャベス大統領は、ロシア製スーホイ戦闘爆撃機など新兵器を三十億ドル購入した。
 コロンビアが米軍事同盟の改正更新を明らかにしたことで、ベネズエラはロシアからコロンビアに優るとも劣らぬ軍装備を急ぎ出した。チャベス大統領は、プーチン首相の後押しに謝すと述懐した。それがなければ、ベネズエラは米帝国主義の蹂躙に屈するしかないと考えているようだ。

 「武器がなければ米帝国主義の蹂躙に屈するしかない」それがチャベス大統領の男粋だ。口先だけで友愛を説く鳩山氏とは比較にもならない。
 反米主義の輪を広めるべく、チャベス氏はイランへも反米主義の力強い連帯を広げている。8月24日付けワシントンポスト「Advantage, Mr. Chávez」(参照)より。

N THE COURSE of the past month, Venezuelan President Hugo Chávez has been exposed as a supplier of advanced weapons to a terrorist group that seeks to overthrow Colombia's democratic government. In his own country, he has shut down 32 independent radio stations. His rubber-stamp National Assembly has passed laws to gerrymander districts in next year's parliamentary elections and eliminate the autonomy of universities. Mr. Chávez has pledged to purchase dozens of tanks from Russia, and he has scheduled a trip to Tehran next month to reinforce his support for beleaguered Iranian President Mahmoud Ahmadinejad.

 過去一か月でベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、コロンビアの民主主義政府の転覆を求めるテロリストグループへの高性能兵器供与者であることが明らかになった。チャベス大統領のベネズエラでは、32の独立ラジオ局が閉鎖されもした。チャベス大統領を追認するだけの国民会議は、来年の議会選挙のために、勝手な選挙区改定し、大学自治を排除する法案を可決した。さらにチャベス大統領は、ロシアから数十台もの戦車購入を確約し、来月には窮地に立つイランのアフマディネジャド大統領支援強化のために、テヘラン訪問をすることになっている。


 友愛を越えたチャベス氏への支援は、ロシアやイラン以外に中国からも期待されている。8月24日付け産経新聞「中国、ベネズエラ基金に40億ドル積み増し 反米政権と関係強化」(参照)より。

中国が21世紀の社会主義建設を唱える反米左翼大統領チャベス政権のベネズエラとの関係を深めている。中国共産党機関紙、人民日報(電子版)によると、中国政府は22日までにベネズエラからの原油調達を目的とした共同基金を40億ドル(約3760億円)積み増し、160億ドルに拡大することでチャベス政権と合意した。


中国は海外からのエネルギー調達ルート拡大と供給態勢の安定化を国家戦略として進めており、今回の基金積み増しもその一環。反米姿勢を強めるチャベス政権との関係強化は米国に対する牽制(けんせい)の意味もありそうだ。中国は昨年、四川省でベネズエラの人工衛星を打ち上げに協力している。

 反米主義こそ現在の世界において友愛の基本になるものなのかもしれないし、チャベス氏は鳩山氏がそこに気がつくことを注視しているかもしれない。1日付け日経新聞記事「衆院選結果に「日本の変化、興味深い」 ベネズエラ大統領」(参照)より。

中東歴訪中のベネズエラのチャベス大統領は31日、日本の衆院選結果について「日本で起きている変化は興味深い。中道左派の勝利は重要だ」と語った。ベネズエラのテレビ局の電話インタビューでの発言で、大手紙ウニベルサル(電子版)などが伝えた。チャベス大統領は「鳩山氏は米国主導の市場原理主義から距離を置き、人間の尊厳回復を政策に掲げている」と、対米政策の変化を注視する構えを示した。

 チャベス氏はしかし、鳩山氏の理念が、「人間の尊厳回復」よりも、人類を超え、さらにその愛のパートナーさんの語る金星の緑豊かな自然(参照)に到達するものかもしれないことは理解できないだろう。鳩山氏の公式ホームページ「わがリベラル友愛革命 <その1>」(参照)には、その理念が語られている。

宇宙意識にめざめつつあるこの時代に、国とは何なのか、私たちは何のために生きているのかを、いま一度考え直してみるべきではないか、政治の役割をいま見つめ直す必要があるのではないかと思う。

 むしろ、その宇宙の視点に立った国家観こそ、鳩山氏がチャベス氏に伝えるべきものかもしれない。
 鳩山氏のニューヨーク・タイムズ紙寄稿に問題があるとすれば、「宇宙意識にめざめつつある」ことをもっと直裁に、世界の人にわかりやすく伝えることができなかった点だろう。

cover
知られたくなかった2012創造説 (地球防衛軍)

『宇宙のメカニズムは
 科学的に解明できていない
 ことが大半です。
 説としては興味深い
 一冊でした。』(鳩山由紀夫)

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2009.09.03

[書評]命の値段が高すぎる! - 医療の貧困(永田宏)

 倫理的に考えれば命に値段が付くわけもないのだから当然、書名の「命の値段が高すぎる! - 医療の貧困」(参照)は比喩である。実際はというと、後期高齢者医療制度にかかる費用が莫大で日本は高齢者医療を維持できるのだろうかという問題だ。

cover
命の値段が高すぎる!
医療の貧困
 本書の趣旨にかかわらず、この問題は非常に深刻でこれからの政治に大きな影を投げかけるはずだった。

 高齢者医療費が高すぎて、もはや国民には払えない。高齢者も現役世代も、これ以上の負担には耐えられそうにない。だからいって、このままじっとしていては何も解決しない。
 ではいったいどうすればいいのか。
 いくつかの選択肢がすでに用意されている。(中略)
 しかしその前に、医療制度の「抜本的解決」はありえないことを理解しておいていただきたい。
 どの政党も医療制度の「抜本的解決」を訴えている。ところが中身はお粗末なものばかりで、具体的な解決案はほとんど示されていない。国民は待てど暮らせど具体策が出てこないため、イライラを募らせている。
 しかし最初から「抜本的解決」などありえない。政治家はそのことを熟知している。だからこそ、どの政党も具体案を提示しないのである。

 国民はイライラに耐えられず、堪え性なく、民主党が示す「抜本的な解決」を選んでしまった。
 民主党政権の成立により、後期高齢者医療制度は廃止される。民主党のマニフェストにはこうある。

後期高齢者医療制度の廃止と医療保険の一元化
 後期高齢者医療制度は廃止し、廃止に伴う国民健康保険の財政負担増は国が支援します。国民健康保険の地域間の格差を是正します。国民健康保険、被用者保険などの負担の不公平を是正します。
 被用者保険と国民健康保険を段階的に統合し、将来、地域医療保険として、医療保険制度の一元的運用を図り、国民皆保険制度を守ります。

 後期高齢者医療制度は廃止される。かくして「後期高齢者医療制度」という問題も消失する。これ以上の「抜本的な解決」はない。
 しかし、対応する現実が消えたわけではない。高齢者の医療は、若い人の医療とは異なり短期に治療して終わる種類のものではなく、特に統計的に見て75歳以上の場合、慢性型疾患で長期にわたって支出が続く。その現実はどうなるのか。
 現実への対応は本書が指摘するように、四通りしかない。(1)最低福祉・低負担、(2)低負担・中福祉、(3)中福祉・高負担、(4)高福祉・超高負担である。
 麻生総理は、中福祉・中負担と言ったがそのチョイスは存在しないと国民に見抜かれて否定された。
 民主党のマニフェストを普通に読むと、高齢者医療は「保険」として国民健康保険に組み込まれ、その財源には公費を充てるということのようだ。
 もともと高齢者医療費をどう負担するかというのは、本書も指摘しているように、三つの選択しかない。(1)公費、(2)曲がりなりにも公的保険、(3)自由診療・混合診断の拡大、である。小泉改革では2番の公的保険維持が選ばれた。民主党政権下でも、「保険」の枠組みは保たれているかのようだが、実質は1番目の公費ということになる。
 その結果到達する未来は、(4)高福祉・超高負担になるだろう。現状ですら、負担のなすり合いだったのに、それがさらに重くなる。

 増え続ける高齢者医療費を負担するのは誰だって嫌なのである。高齢者本人たちもそう思っている。負担のなすりあいは、結局のところ誰も納得できないところで決着したが、現役世代により強く負担を強いる形となった。

 その納得も破局し、さらに公費に裏付けられることで、さらに現役世代により強く負担を強いる形になる。
 民主党政権により「後期高齢者医療制度」の廃止後、高齢者医療はあくまで「保険」制度の枠組みの国民健康保険となりる。そして、それではカネは足りないからどぼどぼと公費、つまり税金をつぎ込んでいく。
 現在でも公費をつぎ込んでいるのだが、それではあまりに無理なことになる、というので小泉改革の一環として後期高齢者医療制度が検討されたものだった。
 しかしもし、民主党政権が現実にぶちあたって、この問題が国民に重税ではなく、再考という形で戻されるならどうするのだろうか。本書はそのときに大きな指針となるだろう。

 足掛け五年にわたって医療費について、とりわけその負担の配分について、あらゆる議論が徹底的に行われた。したがって誰が政権をとろうとも、小泉時代に提案された案のどれかに類似した医療政策に収束してしまうだろう。しかも選択肢がごく限られていることも、ご理解いただけたはずだ。

 問題を現実的に理解するなら、選択肢はそれほどない。

 政党の中には今でも高齢者の保険料を下げ、自己負担率も下げ、さらに介護と年金を充実させるといった夢のような政策を掲げているところもある。よほど勉強不足で状況認識ができていないか、さもなければ所詮はマニフェストと割り切っているかのどちらかであろう。その点ではむしろ小泉内閣のほうが、はるかに現実的だった。

 国民は負担の痛みから現実に直面して、小泉内閣のほうが、はるかに現実的だったなと向き合うときが来るのだろうか。

 結論としては、元に戻すよりも新しい制度を考える方が簡単だし、無駄も少ない。政党の中には世論に迎合して「後期医療制度を廃止して元に戻す」と宣言してしまったころもあるようだが、あまり意地を張らず、現実的な解決策を模索するほうがよさそうだ。

 新しい制度を考えるほうがよいことになるとしても、大筋では小泉改革の継承となるだろう。その時代に誰がきびしい政治を率いるだろうか。

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2009.09.02

[書評]不透明な時代を見抜く「統計思考力」(神永正博)

 例えば、小泉改革で格差は拡大したとよく言われる。本当だろうか。いろいろな議論はあるが、議論の大半は論者の主観であったり、論者の身の回りの生活感覚から導かれた、ごく局所的な状況報告であったりする。
 それ以前に、「小泉改革で格差は拡大した」という命題はいったい何を意味しているのだろうか。命題は真または偽として評価されるものだ。「それが本当であるか、あるいは嘘であるか」という判定は、このケースでは格差の定義とその評価法に依拠している。一番明快な説明は、数値的・数学的に格差なる社会現象を定義し、実際に統計データに当たってみて、その正否を見ればよい。それが方法論ということでもあり、統計学はその数値的な表現から方法論によく利用されている。

cover
不透明な時代を見抜く
「統計思考力」
 本書、「不透明な時代を見抜く「統計思考力」(神永正博)」(参照)は、統計から各種議論の正否を考えるための参考書でもあり、加えて統計を使って考える際の勘所を比較的平易に解説している。学生やビジネスマンにとっても、一読して有益な書籍であり、また書架に残し、「そういえばべき分布ってなんだっけ」と疑問に思ったときに該当部分を読み返してもよいだろう。帯にアルファブロガー「小飼弾氏絶賛!!」とエクスクラメーションマークが重ねられているが、いかにも氏が好みそうなタイプの明晰さで書かれている。
 本書では実際に「小泉改革で格差は拡大したか」が詳しく議論されているので、少し追ってみよう。まず、「ジニ係数」を使って所得のデータが検討される。ジニ係数とは国民間の所得の偏りを示した指数で、国民が同一の所得ならゼロ、特定の一人が独り占めしているなら1になる。ゼロから1の間で所得格差を数値で知ることができる。本書ではジニ係数の計算に必要なローレンツ曲線を解説し、実際に公式統計値からジニ係数の計算、およびその年ごとの変遷を見ていくことになる。
 結果はどうか。1996年から1999年の間にジニ係数の大幅上昇があることがわかる。つまり、この間に格差は広がったのだ。さて、では、小泉政権の期間はというと、2001年から2006年である。あれ? 小泉改革は格差の広がりと関係ありませんね、という結論が出る。では、1996年から1999年の間のジニ係数の大幅上昇理由はなにか? 統計値を仔細に見ていくと、社会の高齢化であることがわかる。
 いや、「小泉改革で格差は拡大した」というのはジニ係数だの所得格差のことではない、完全失業率の問題だ、という主張もあるだろう。雇用が悪化したのは小泉改革の弊害であるといった議論だ。そこで、「日本統計年鑑」による統計値のグラフ「完全失業率と有効求人倍率の推移」を見る。すると、小泉政権の初期には完全失業率が上昇しているものの、その後は徐々に低下している。むしろ、完全失業率の増加は小泉政権以前から見られるので、小泉改革が失業率を減らしていると言えそうだ。あれ? それでいいのか。では、単に働いていない若者を数えるとどうか。これも1990年代からの増加で小泉政権下での目立った増加はない。つまり、ここでも「小泉改革で格差は拡大したか」というと、どうやらそうではない。
 では、話題になっている非正規雇用者の増加はどうだろうか。これも統計を見ていくと、同様に特に小泉政権下との関連はなく、それ以前からの変化が続いていたとしか言えない。では、ワーキングプアの増加はどうだろうか。これは統計の扱いが難しいが、やはり同様の結論が出てくる。ではでは、生活保護世帯の増加はどうか。これも小泉改革との関係はわからないとしかいえない。さらに、ホームレスとネットカフェ難民もと統計値を見ていくと、むしろ減っているように考察できる。結局どうなの?

 本稿のテーマは、小泉政権が格差を拡大したのかどうかを検証することでした。
 これまで見てところでは、わたしたちの実感とは異なり、それをはっきりと裏付けるデータは、公式統計からは見当たりませんでした。

 え? そうなのか。いや、そうなのだ。それが、各種統計を見て出てくる結論であって、逆に、小泉改革で格差は拡大したという議論は、おそらく、特殊な方法論を使っているか、ごく主観的な主張に過ぎないだろう。
 しかし、その結論でいいのかためらった著者は、「とはいえ、小泉改革との関係が疑われるデータが、まったくないわけではありません」として、自己申告ではありながら「貯蓄のない世帯」の増加は顕著に見られるとし、こうも述べている。

 小泉政権下で景気は拡大していましたが、84ページの図24で見たように、平均給料は下がっています。景気拡大の恩恵は、ふつうの給与所得者にまでは及んでいない、ということになります。日本全体がお金持ちなっているにもかかわらず、平均給与が減少するというのであれば、格差が問題になるのも当然だと言えるでしょう。

 しかし、それは国家としての再配分の課題で、小泉政権が格差を拡大したという議論とは違うように私は思う。また「貯蓄のない世帯」が問題視されてもいるが、個人で住宅ローンなどが組みやすい時代でもあったと言えるのではないだろうか。
 そのあたりの、いわば、明白に統計からは議論できないところで本書の限界が見える。それが誤りというのではなく、議論と統計処理の限界がきちんと見えるというべきだろう。
 本書の魅力は、こうした実際の統計値の実技的な扱いの指針になることに加えて、統計学の背景になる分布についての基礎概念をていねいに解説していることだ。特に、正規分布と「ブラック・ショールズ評価式」の問題についての詳しい説明は、ナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」(上巻参照・(下巻参照)の数学的な解説になっていて有益だ。ただ、おそらく出版年度から考えてもまた、タレブ氏の前著「まぐれ - 投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」(参照)の言及に偏っていることからも、「ブラック・スワン」は著者が読まれていても本書には直接的な影響を与えていないようだ。
 率直にいえば、統計の扱いは素人にはむずかしく、「統計思考力」を本書によって付けることも難しいだろうと思う。それでも、統計データからものを考えるときの勘所や、専門家が統計値を使った議論のどこで躓くのかという疑わしい領域は理解できるようになる。

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2009.09.01

民主党政権への米英紙の関心は日米同盟

 フィナンシャルタイムズ、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストの社説で民主党政権成立の話題が掲載されていた。結論から言えば、政権交代でようやく日本も民主主義の仲間入りができてよかったねという期待と、日米同盟について指針を出してほしいという懸念の二つが軸になっていた。欧米ならではの上から目線という印象もないではないが、基本には彼らの歴史意識としては、日本の自民党は冷戦のために米国が作成した政党なのだから、そういう視点もしかたがないだろう。以下、ざっくりメモ風に見ておきたい。
 フィナンシャルタイムズは「Sun rises on a new era for Japan(新時代の日が昇る)」(参照)で新政権の期待を述べたあと、日米同盟を基軸に外交について意見を出している。


Finally, on foreign policy, where the new government wants to re-calibrate relations with the US and the rest of Asia, particularly China, it must quickly graduate from opposition posturing to practical politics.

最後に外交についてだが、新政権は米国、アジア諸国、特に中国との関係を改めようとしているようだが、なんでもかんでも反対の野党を早急に卒業して現実の政治に向き合わなければならない。

It is perfectly acceptable to point out that Japan’s future is intertwined with that of Asia and that a one-dimensional foreign policy of subservience to Washington is inadequate. But there are ways of reaching out to Asia and of asserting Japan’s national interest without causing jitters in Washington.

日本の未来がアジアに織り込まれること、また米国政府にべったりの外交は適切ではないということは、まことにごもっともな話だ。しかし、アジアに手を伸ばすにしろ、米国政府を不安に陥れずに国益を主張するにしろ、物事にはやり方がある。

Japan must tell the US clearly what it can and cannot do, both in terms of military support, say in refuelling ships in the Indian Ocean, and in other areas, such as transfer of environmental technology, where it has much to offer.

日本は米国に対して、はっきりと、軍事支援とその他の分野で何ができて何ができないかを言うべきだ。つまり、インド洋上給油活動と、より提供可能な環境技術の移転についてだ。

Critics are right to point out that the DPJ is a mixed ideological bag. Now it has gained power, it must prove it can rally around a coherent and pragmatic set of principles. Japan’s voters have revealed themselves to be extremely skittish. They will not settle for anything less.

日本民主党は各種イデオロギーの詰め合わせセットだと批判するのはもっともなことだ。が、政権を獲得しちゃったんだから、一貫して現実的な原則のもとで結集できることを示す必要がある。今回の選挙で日本の有権者の尻が極めて軽いことは明白になった。党内一致すらできなければ、有権者の気は変わるだろう。


 いちいちごもっともなところだが、たぶん、こうしたご意見は通じないのではないか。
 ニューヨークタイムズ紙社説「Japan’s New Leadership(日本の新しい指導体制)」(参照)は、政権交代に概ね好意的だが、鳩山論文(参照)を掲載したこともあり、その文脈から懸念を表明していた。

One concern: Mr. Hatoyama’s suggestion that Japan not renew the mandate for its ships on a refueling mission in the Indian Ocean in support of United States military operations in Afghanistan. President Obama is implementing a new Afghan strategy. Japan should continue its risk-free mission, at least through next spring.

気がかり:鳩山氏が、アフガニスタンにおける米国軍事活動支援のためのインド洋上給油活動の指令を継続しないと示唆していること。米国オバマ大統領は新アフガニスタン戦略を遂行中だ。日本は、リスクのない活動を、少なくとも来春末まで継続すべきだ。


 日本叩きで朝日新聞と仲むつまじいリベラルなニューヨークタイムズが、親切にもインド洋上給油活動はリスクがなくてよいよと提言するの図なのだが、しかし民主党はよりリスキーな選択をすると、元小沢党首は、2007年岩波書店「世界」11月号「公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を 川端清隆氏への手紙」(参照)で確言していた。

もちろん、今日のアフガンについては、私が政権を取って外交・安保政策を決定する立場になれば、ISAFへの参加を実現したいと思っています。また、スーダン(ダルフール)については、パン・ギムン国連事務総長がかつてない最大規模のPKO部隊を派遣したいと言っていますが、PKOは完全な形での国連活動ですから、当然、それにも参加すべきだと考えています。

 この見解が小沢氏個人のものではないのは、次の明言からわかる。

貴方は海外にいらっしゃるから、民主党の政策論議の結論をご存知ないのかもしれませんが、昨年末まで2ヵ月余の党内論議の末、先ほど私が述べたような方針(「政権政策の基本方針」第三章)を決定しています。このことは正しく認識しておいていただきたいと思います。

 「政権政策の基本方針」第三章(参照)を見ると、次のとおり。

8.国連平和活動への積極参加
 国連は二度に亘る大戦の反省に基づき創設された人類の大いなる財産であり、これを中心に世界の平和を築いていかなければならない。
 国連の平和活動は、国際社会における積極的な役割を求める憲法の理念に合致し、また主権国家の自衛権行使とは性格を異にしていることから、国連憲章第41条及び42条に拠るものも含めて、国連の要請に基づいて、わが国の主体的判断と民主的統制の下に、積極的に参加する。

 おそらくニューヨークタイムズはそのリスクを考えに入れたうえで、先の懸念を表明していると言えるだろう。
 ワシントンポスト紙社説「Shake-Up in Japan(日本の変革)」(参照)は、フィナンシャルタイムズやニューヨークタイムズよりも踏み込んだ意見を述べている。自民党政権の失敗から小沢一郎氏へ言及する指摘が興味深い。それは単なる批判ではなく、現実政治への期待でもあるようだ。

Can the Democratic Party of Japan, a mix of former LDP politicians, ex-socialists and civic activists, succeed where the LDP has failed? One irony of the party's reform message is that its behind-the-scenes leader is Ichiro Ozawa, a former LDP boss with a knack for power politics.

元自民党議員や元社会主義者、市民活動家のごちゃ混ぜである日本民主党に、自民党が失敗した諸問題を解決できるだろうか? 民主党の改革案の皮肉の一つは、陰のボスである小沢一郎だ。彼は力の政治の才覚をもった自民党のボスでもあった。


 日本経済についても言及している。

Japan needs further restructuring of an economy that depends heavily on exports to support less-efficient sectors such as construction and agriculture. Greater reliance on domestic demand would help both hard-pressed Japanese families and the United States, insofar as such a policy might reduce Japan's trade surplus: The DPJ has several pro-consumption proposals, from lower highway tolls to increased support for couples with children.

日本はさらなる経済の構造改革を必要としている。現状では、建築業や農業など効率の悪い分野を支援するために輸出への依存度が高い。民主党の政策は日本の貿易黒字が削減できるという意味で、国内需要への依存が増せば、逼迫した日本の家計と米国の双方を援助することになる。例えば、高速道路料金を下げることから、子育て家族の支援を増やすなど、消費を活性させる政策がそれに当たる。

Alas, the party has been less clear about how it will pay for these goodies, no small omission given that the national debt is already almost twice Japan's gross domestic product. Unfortunately, too, the DPJ bought the votes of Japan's farmers with promises of money and protection.

嘆かわしいことだが、民主党はその財源を明らかにしてこなかった。国内総生産(GDP)の二倍の財政赤字があるというのにだ。しかも、民主党は農家の票を得るためにバラマキと保護まで約束したのは、残念な話だ。


 日米同盟についても、当然言及している。

There will no doubt be room for negotiation with the Obama administration, perhaps over such issues as the basing of U.S. Marines in Okinawa. But the threat of a nuclear North Korea makes Japan's neighborhood too dangerous, we think, for the government in Tokyo to seek a rupture with Washington or for the Obama administration to let one develop.

沖縄海兵隊基地問題などでオバマ政権と交渉の余地がないわけではない。しかし、北朝鮮の核化で日本近隣は非常に危険なので、思うに、日本の政府は米国政府と決裂するわけにはいかないし、オバマ政権にとっても放置するわけにはいかない。


 英語でさらっと目を通したときは、この米人の感覚は知っておいたほうがいいかなと思ったが、改めて読み直してみると、米国様沸騰寸前という印象がある。
 引用中、"the basing of U.S. Marines in Okinawa"というのは、日本で言うところの普天間基地移設問題である。すでに選挙後、即座に米国は言及した。朝日新聞記事「「普天間移設、再交渉しない」米国務省、民主政権牽制」(参照)より。

米国務省のケリー報道官は8月31日、総選挙で大勝した民主党が沖縄県の米軍普天間飛行場の移設計画見直しに言及していることに関連し「米政府は普天間飛行場の移設計画や(在沖縄米海兵隊の)グアム移転計画について、日本政府と再交渉するつもりはない」と記者団に述べ、同飛行場の移設や海兵隊グアム移転を計画通り進める考えを示した。

 この文脈を事実上踏まえて、先のワシントンポスト紙社説は、そうはいっても交渉の余地はあるだろうとしているわけだ。その余地というか、自民党案とは異なるシグナル(参照)もまったくないわけでもない。

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2009.08.31

God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret

 衆院選が終わった。事前にマスコミが想定したとおり民主党の地滑り的な圧勝となり、政権交代が実現する。自民党は大敗した。国民選択の結果である。それがもたらす成果も国民が享受していくことになる。日本国憲法に書かれているように(そう書かれているのを知ってましたか?)、民主主義とはそのような制度だという以上はない。個人的には、二大政党による政権交代を目指し、自民党を割って出た小沢一郎氏を長期にわたり、それなりに共感をもって追ってきたので、達成の日を見ることには感慨がある。が、政治とは所詮妥協の産物であるとはいえ、ここまで大きなを国家を志向する政府の実現を素直に喜ぶこともむずかしい。
 私は前回の小泉郵政選挙を支持した。いわゆる小泉改革も、それが小さな政府を志向している面において支持した。その後の自民党政権は、小さな政府志向から逸脱し、しかも年ごとに入れ替わる短期政権でもあり、期待感は失せた。麻生政権ができたときも私はそれほどの関心はなかったが、その後、罵声のなかで、いわば負け戦に挑む姿を見て、自然に判官贔屓の思いは増してきた(罵声を浴びるブロガーだからかな)。自民党を支持するものでもないし、麻生政権の方針を支持するものでもないが、麻生さんという人には好意を持つようになった。そして、実質その最後の仕事となる、敗軍の将の言葉を昨晩は待っていた。待った甲斐があった。
 表向きの敗北宣言は現在、NHKのユーチューブチャネル「動画 衆院選・みるきく選挙 自民・麻生総裁の会見」(参照)に掲載されているが、これ続いてNHKの質疑応答があった。その部分は、まったく報道されないわけではないのだが、オリジナルと違うので、私が感銘を受けた部分を書き起こしてみた。


NHK 麻生総理、民主党を中心とする新政権にはどのようなことを望みますか。
麻生 マニフェストにいろいろ謳われておられますんで、そのマニフェストを実現して行かれるということだと存じますが、いずれにしても国際金融を含めてきびしいものがいくつも我々を取り巻いております。そういったものに関して、きっちり対応していただける民主党の勝利というものを祝福と申し上げると同時に期待も申し上げております。

 その言葉をリアルタイムに聞いていて、はっとした。自分を負かした相手の勝利を褒め称える政治家というのは、日本にいただろうかと即座に思った。いたかもしれない。が、私の記憶にはない。米国大統領選挙では、負けた候補は相手の勝利を称える。なかば制度になっているに過ぎないともいえるが、勝者を称えることで敗者の品位が保たれる。麻生さんは、スポーツマンであったからかもしれないが、それが普通にできる政治家であったのだなと私は感銘を受けた。
 もう一つ、はっとしたのは、「祝福」という言葉だった。「敗者が勝者を祝福する」という表現はそれほど現代日本語として違和感のあるものではないが、麻生さんの「祝福」は、少しぎこちなく「祝福と申し上げる」という文脈で、「祝福」に実体的な重さを感じた。あまりこじつけた発想もなんだが、私としては麻生さんのカトリック教徒(キリスト教徒)としての、自然な生き方を感じた。祝福というものの、最終的な起源を普通に神に感じるような生き方がある。
 民主党勝利への祝福発言はこう続いた。

NHK 麻生総理、民主党を中心とする政権には協力をしていくというようなことでよろしんでしょうか。
麻生 我々は常に、お国のためになる、国家・国民の利益になるというように判断すれば当然のこととして賛成をするということは存じますが。

 私の思い込みにすぎないのかもしれないが、ここにもキリスト教徒の心情を感じた。普通に日本語で考えるなら、「お国のためになる」という表現は、戦時下の国家主義を連想して自然だろう。しかし、キリスト教徒は、お国というとき、それが神の国の秩序のこの世の延長のように感じている。いや、すべてのキリスト教徒がそうだというのではない。しかし、ロマ書13章の次の言葉は、西欧型のキリスト教徒にはごく自然な感性になっているものだ。

すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背く者である。背く者は、自分の身に裁きを招く者である。いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れない事を願うのか。それでは善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。

 この言葉は、しばしばキリスト教徒が国家主義になる理由として批判される。悪しき国家に従うことを宗教が覆い隠しているといった類の宗教批判だ。たしかにそういう面もあるが、批判者たちは「彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである」という言葉の意味合いが感受できていない。眼前の王も、皇帝も、キリスト者には、神の奴隷として普通に見える感性というものがある。
 麻生さんの祝福発言の前には、敗因として解散時を見誤ったからではないかという質疑応答があった。この話は今回に限ったものではなく、麻生さんもいつもどおりに答えていた。

NHK 麻生総理、きびしい戦いの中で与党の多くの前議員たちが当選を果たせないという見通しですが、ご自身の解散についての判断については正しかったとお考えですか。
麻生 解散は昨年の11月に直ちにすべしいうご意見は当時からもあったと存じます。しかし私は、少なくともあの段階できわめてきびしい経済情勢に追い込まれた日本にとりましてはまずは国民の暮らしを守る景気対策、経済対策という政策が解散総選挙という政局より優先されるべきだとそう判断をし、おかげさまで四度の予算を通さしていただき、結果としては経済成長率、少なくとも先進国のなかではこの四月六月でプラス3・7パーセントまで行けたということに関しましては政策を政局より優先させたということは間違っていなかったと思っています。

 冷ややかに見れば、麻生さんの采配による経済対策が功を奏するのを国民が理解すれば、選挙に有利になるだろうという計算もあっただろう。そして同じく冷ややかに見るなら、昨年の11月に解散していたら、ここまでの自民党の惨敗はなかっただろう。自民党を守るというなら、その総裁の采配は失敗したとも言えるだろう。
 だが麻生贔屓と化した私は、彼が自民党の存立より、「お国のためになる、国家・国民の利益になる」と見ていたのではないかと思う。無駄遣いを止めますと連呼する民主党に、あの財政出動が出来ただろうか。できなかったのではないか。
 想定されない大被害を論じた、ナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」(参照)に報われない英雄の話がある。

 あるところに、勇気と力と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた政治家がいて、二〇〇一年九月一〇日に法律をつくり、即座に全面的に施行したとしよう。この法律よると、飛行機の操縦席には防弾ドアをつけて、ずっと鍵をかけておかないといけない(業績不振の航空会社には大きな負担だ)。テロリストが飛行機で、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだりする万が一を防ぐためである。妄想みたいな話なのはわかっっている。単なる思考実験だ(勇気と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた国会議員なんてものが、この世にいないのもわかっている。思考実験とはそうしたものだ)。航空会社の職員には喜ばれない政策だ。彼らの生活がややこしくなるからである。でも、間違いなく、九・一一は防げただろう。
 操縦席のドアの鍵を閉めさせたその人の銅像が広場に立ったりすることはないし、お葬式の死亡記事でも「九・一一のテロを防いだジョー・スミス、肝臓病の合併症で亡くなる」なんて書いてもらえることはない。彼の政策が行きすぎで、資源の無駄遣いだと思った人たちが、航空会社のバイロットの助けを借りて、彼を引きずり下ろすかもしれない。vox clamantis in deserto(荒野で呼ばわる者の声)というやつだ。彼は失意のままで引退し、自分は負け犬だと思い込んでしまう。

 飛行機の操縦席に防弾ドアを設置した政治家はいなかったが、日本国の経済をどん底に落とすことを防いだ政治家はいたかもしれない。
 God Bless You, Mr. Aso!

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