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2009.08.01

自民党の実質マニフェストが出ての雑感

 正確にいうと「マニフェスト」は公示日に提出されるものらしく、民主党の、一般的にそれと見られる文書は公示日を合わせて、各部修正されることがすでに確認されている。しかも、重要な政策においてそうなのだから、期待したい。そうしたなか、自民党版の類似の文書「自民党の政策「みなさんとの約束」」(参照)が出た。
 方針を示すプレゼンテーションである「要約版」を自民党マニフェストとして民主党のそれと比較しようとした、アルファブロガー弾氏のおっちょこちょいエントリ(参照)があるが、政策面では「政策BANK」を見るほうがよいだろう。ただ、こちらも弾氏が指摘しているような曖昧さはあるが、それを言うなら民主党の実質マニフェストもそう違ったものではない。
 自民党のマニフェストを私はどう見たか? 特にこれと言って日本の存立を危うくするような政策変更はなく、よって、現状の麻生政権のまま、この方向を進めると理解してよいのではないかと思えた。
 私は、マスコミとは異なり、麻生政権に特段の失政を覚えないので、であれば、現状維持でよいのではないかと納得するにやぶさかではない。世界の金融危機で経済が逼迫し、雇用の悪化が懸念されるなか、なんでもいいからこの閉塞状況を変えたいと思う人々の気持ちもわからないではないが、こういう時期は大きな進路を誤ることがなければ、我慢して次の好機を待つほうがよいものだ。昔の人は、これを堪え性と言ったものだが、今の日本に必要なのはそれではないか。
 では、現麻生政権の自民党でよいのかと言えば、私は、それほどよいとは思っていない。これには三点あって、一点目は、現下の日本経済の低迷の大きな要因としては、世界経済の沈没の他に、高橋洋一氏も指摘してように(参照)、2006年から2007年の金融引き締め失政があるという説に同意している。そして、この失政を推進した勢力は、財務省派の、かつての財務金融経済財政経済産業大臣兼実質総理大臣とも言える与謝野氏ではないか。自民党はそのあたりの総括が必要だと思う。
 だが、これは結果的に今度の政権交代で、率直に言うといびつな形で実施されることになるだろう。財務省がこの件、与謝野財務相のような政権グリップを手放すことについてなんら打つ手もないとも思えないが、民主党との関係も見えない。財務省は民主党をどう見ているのだろうか気になるがよくわからない。なお、日銀については現下の混迷の一端は総裁選のときの民主党の行動に原因があると私は見ているので、まったくもってどっちもどっち。
 二点目は、地方分権が見えないことだ。自民党は、私が賛成する「道州制の導入」を掲げているが、実際のところその道筋がよくわからない。この点は、民主党も同じで、民主党のマニフェストでは「道州制」の言葉もない。私はこの分野ではいわゆる「小泉改革」の三位一体改革でよいのではないかと思っている。
 三点目は経済発展のビジョンだが、民主党はそもそも国家経済の発展のビジョンを描いていないように見えるが、自民党は多数の企業献金を受けた政党だけあってその意識はある。が、方策は明確ではない。であれば、これも両党同じには見える。
 他の点については政治観による。私は、国家はできるだけ小さいほうがよいと考えるのでその方向を支持し、反面、生活関連の政策はできるだけ地方に移管するほうがよいと考える。その面からいうと、今回の民主党のマニフェストも自民党のそれも、いかに「国がきちんと」国民を保護するか、よってその財源をどうするかということで、どっちもあまり関心がもてない。
 しかも両者ともに、背後に消費税議論が隠されている。私はこの構図をやめてもらいたい。特に、消費税を国家に所属させて「国がきちんと」国民を管理するのはやめて、消費税は道州なり地方行政の財源とし、地方行政が福利厚生を行うようにすればよいと考える。
 地方分権が確立すれば、地方行政が失敗したり、一部の地域的な権力が発生したら、住民はもっといい地域に逃げることで、その地方行政を実質的にリコールできる。日本人も多様化しているのだから、その多様性を棲み分けるような自由な幅を持ちたい。
 さらに言えば、日本国はでかすぎる。福祉問題や教育問題などで北欧の国がよく参照モデルとしてあげられているが、国家の規模が小さいから重税国家の合意をもとりやすいのであって、日本のような大所帯の国家ではそれは、より官僚の権限を増やすだけになり、官吏と国民の格差が広がるか、官吏に民間が実質支配される強権ができあがる。やめていただきたい。
 国家を小さくすべきだという反面で、最小化した国家には逆にきちんと存立のビジョンが必要になる。特に安全保障が重要な課題になり、しかも憲法と整合して行う責務がある。
 この点、民主党マニフェストについては、「極東ブログ:民主党は給油活動についてマニフェストに明記していただきたい」(参照)で指摘したが、その後の経緯からすると正式マニフェストに記載されるかどうかは依然わからないものの、給油活動は停止する方向になった。当然ながら、民主党外交が進めば、別の形での国際貢献が求められることになり、この問題に民主党がどう志向しているか推定すれば、かつての民主党党首であった小沢氏によるISAF(国際治安支援部隊)参加論に行き当たる。つまり、日本人から国連軍なりへ派兵する、つまり、日本国家の紐を外した、いわば公的な傭兵のように日本人の戦士を送るということになり、NATO諸国のように結果的に国民の血をもって同盟を維持するという方向に向かうだろう。
 自民党はこの帰結をなんとかごまかしても避けようとして給油という対価で過ごした。民主党にもそのような別の対価で逃げる方策が出てくるのか、ISAF論が出てくるのか現時点ではわからない。この点では、自民党を選択しておけば、日本は矛盾を抱えながらも、現状ママに近いかたちでの国家の体面を持つことができる。普通の国民からすれば自民党に安心感があるのは否めないが、国民はこの問題をよく理解していない(両党別の思惑から事実上隠蔽してきたし)。
 似たことは「極東ブログ:民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう(参照)でも触れた沖縄問題についても言える。自民党なら辺野古に米軍基地を作ろうとする反面、対価をもって沖縄県民を納得させるという方向性を模索するだろう。が、民主党にはそれはできない。その先は、現公約のように米軍を他県に移すか、他国に移す、つまり、日米の軍事同盟を破綻させる志向を持つ政策になるだろう。日本国の自立、つまり自己防衛を含むことに必然的になるのだが、それを求めるなら、民主党の選択もありだろう。問題は、今回の選挙でそれが結果的に選択されることを、たぶん、国民は自覚してないだろうということだ。民主党の政権では日米同盟がゆらぐことになり、その不安の対極としてみるなら、また自民党に安心があることになる。
 まとめると、今回の両党のマニフェストでは、国民福祉の美名のものに「国がきちんと」肥大化し、また国家存亡に関わる外交意識は民主党側は不在に近い。また、自民党のマニフェストでは堪え性がなければこのままの鬱々した状況を耐えるしかないともいえる。
 私は今回の選挙後に政権交代が起こるだろうと思う。この国民に堪え性などないことは、この数年の経緯でもわかる。そして、民主党政権になってみて、そこに隠れていた問題に気がついて、政治の意識、もっといえば国家存亡を考えてもよいだろう。しいていえば、おそらくその可能性はないだろうと思うが、民主党単独、あるいは社民党・国民党を含めた形の勢力が衆院の三分の二を握ることには恐怖感を持つ。私は、社民党・国民党を論外だと思う点で、今回の民主党を支持しないし、まだ決心しているわけではないが、暑気に当てられ民主党人気が沸騰するようなら、その恐怖感を薄めるように投票をするのではないかと思案している。

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2009.07.31

崖の上のポニョ(宮崎駿)

 DVDになって初めて見た。面白かった。公開時よく言われていたように不可解な映画でもあり、なるほどこれは一部の人々に謎解きを迫るような仕掛けが随所にあるとは思った。そして率直に言って、私にはこの謎解きができるだけの文学知識はないと早々に観念もしたし、さらに率直に言えば、謎解き用に見える各種の鍵はポエジーとしての手法の部品であって、いわゆる謎解き風に謎を解くことはこの映画理解の本質ではないのではないか、そうも思った。

cover
崖の上のポニョ
宮崎駿
 この手法は私には、吉本隆明の、おそらく詩人としての最上の仕事である「記号の森の伝説歌」(参照)や、西脇順三郎の、これも最上の仕事である「旅人かへらず」(参照)を想起させる。個人の人生に出現する具体的な体験の情感を、その具体個物から共有的な無意識に移し、瞑想的に深遠なるものを暗喩する手法である。なぜこの手法が存在するかといえば、個人の人生の体験とは、おそらく個人の人生を場として顕現せざるを得なかった、この世ならざるものの啓示の意味合いを帯びているからだろう。
 この暗喩の手法はまた、具体的な個物と瞑想的な直感で解読者を迷路に誘うことで共感を成立させる。重要なのは、共通する無意識の層の、その共通性をどこまで掘り下げるかということになる。
 そこには、時代的な無意識、国民的な無意識、近代世界という無意識、人類という無意識の各層があり、それらへどのように達成しているかは、結果的に世界の人々に受容されたときに見えてくる。創造とは、人々の内面において、共同的に表出されようとする新しき無意識の実体であり、歴史存在とはそのようなものの生成から成るものだ。
 その意味で、私の見た印象では「崖の上のポニョ」は人々の無意識の各層に渡りながら、かなり普遍的な部分まで、つまり、人類からさらに生命という古層(カンブリア爆発に代表される生命の跳躍)に到達しようとしているように思えた。そこが多分に、この作品において無数の死の累積の超越を意味しても、やはり死というものを臭わせるところでもある。
 無意識の深層性とは、そのままにして神話でもあり、子どもにそのままに伝えるものとして立ち現れる。だから、と言えるだろう、謎解きは、この映画に熱中する子どもたちの無意識の躍動を捉え損なうという点で、先験的に失敗しまう。子どもたちの理解に批評が及ばないとき、批評の意味は逆になる。子どもたちは、この不可解な、古いような新しい神話をきちんと無意識に掴み、いつの日はそれがその人生のなかで開花する。
 どう開花するのか。野暮ったくいえば、魚でもあり半魚人でもあり人でもある存在としての人を愛せよとする決意だ。洗脳的とも言えるかもしれないこの仕掛にぞっとしながら、たぶん、それこそ宮崎駿氏がこの作品をおそらく彼の息子のために、育て損なった親としての贖罪というモチーフを持って作成した理由なのだろう。
 「となりのトトロ」のように、多くに人に開かれた作品というより、「崖の上のポニョ」は、人々が、自身が赤ん坊から親となり老人となり死んでいくプロセスで、再び子をなし愛を見いだしていく存在として措定され、無意識ではあるが、先の「愛する決意」としての倫理的な訴求性から個的なトーンを強くもつ。
 私の個人的な無意識に情感的に強く呼びかけた部分は、時代的な無意識・国民的な無意識が大きい。宮崎氏の年代に特有の、日本の戦時の戦後の生活の質感である。彼は1941年、まさに戦中に生まれ、物心付く時代は戦後ではあった。戦中から戦後の、科学に夢見る少年の心は無線、モールス信号、ポンポン蒸気船などに強く表出されている。私はそれらの歴史の質感を死んだ父から受け取ったものだった。水没した村のゆく村人たちの姿も、どことなく戦中・戦後の日本の庶民の連帯の情景を喚起させる。あの時代の無意識の連携としての証人として、この作品では老女たちが描かれているのだろう。
 公開時に不可思議な映画と言われたものだが、私が前半を見ている限りは、よくあるファンタジーの形式であり、それはそれとして見れば特段の奇怪さの印象を与えない。観世音菩薩・アフロディテ(泡から生まれた)の登場も、出て来いシャザーンのようなアニメ的な表現手法でしかない。奇っ怪さが現れるのは、水没した町で宗介とポニョが残され、母であるリサを探す展開からだ。ここから先、リサは水中に現れて、もはや日常の生存者ではなくなる。
 ポニョの嫌がる、毎度のトンネルの向こうから世界の成り立ちが大きく変わる。死後の世界であると言ってもよいのだろうが、そう呼ぶことでなにかを解き明かすことにはならない。この特異な世界で、宗介の母であるリサと、ポニョの母であるグランマンマーレの対話を遠く見ることになる。
 あのシーンは、おそらく誰の心でも自身の存在を生み出した母なるものたちの無意識的な表出だろう。この前段に、宗介とポニョは水上の母子にきちんと遭遇して、彼らは母なるものと子なるものを受け取っているが、この配列は無意識的、瞑想的に導かれたものだろう。
 夢の中のような場で遠く見える母たちの会話は、作者宮崎氏の亡き母への思いであり、また息子にとっての母の意味の問い返しでもあったのだろう。そのために、父フジモトは多くの魔法を使い、人間を捨てた。つまり、フジモトは、宮崎駿氏、その人であろう。

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2009.07.30

日米FTAについて民主党の七転八倒

 民主党を批判したいがために批判しているように思われても困るが、民主党マニフェストに記載された日米FTAについての七転八倒劇には困惑した。さらに、この問題を日米FTA推進派がどう見ているのかも気になるが、まだ議論を見かけない。今後出てくるのかもしれないが、出て来ないような重たい空気も感じる。「小泉改革」とやらの是非についてもそうだが、なんとなく、日米FTA推進も「小泉改革」も、バズワードのような「新自由主義」とかの弊害ということで自民党支持層も同意しているような曖昧な空気のうっとうしさを覚える。
 今回のどたばた劇は民主党のマニフェストから始まる。「民主党政策INDEX2009」の「外務・防衛」(参照)の「新時代の日米同盟の確立」には次のように、日米FTAを推進すると明記されている。


 日米両国の対等な相互信頼関係を築き、新時代の日米同盟を確立します。そのために、主体的な外交戦略を構築し、日本の主張を明確にします。率直に対話を行い、対等なパートナーシップを築いていきます。同時に国際社会において、米国と役割を分担しながら、その責任を積極的に果たしていきます。
 米国との間で自由貿易協定(FTA)を推進し、貿易・投資の自由化を進めます。
 日米地位協定の改訂を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方等についても引き続き見直しを進めます。

 私はそれほどラディカルではないがWTOの基礎理念を理解するくらいには自由貿易主義であり、WTOが瀕死の状態にある現状、FTAは重要だと考えている。また、かつてABCD包囲網で発狂した国家の国民として、公海の自由と自由貿易に依存しないかぎり日本の存立は危ういとも考えている。なので、民主党のこのマニフェストはよい方向なのではないかと考えていた。
 しかし、FTAに大きな問題があることを知らないわけではないし、隣国では国を挙げての大騒ぎをしてまでその国内的利害の状況を示してくれた経緯もある。また、現在宙ぶらりんの日豪FTAの経緯もある。結論を先にいうと、民主党マニフェストはアジアや世界のFTAの議論はあるのだが、日豪FTAや環太平洋諸国との連携の発想はないので、そのあたりからもよく練られた政策集ではないというのは、最初からわかっていたことと言えないこともない。
 補助線となる日豪FTA交渉が開始されたのは2007年で、すでに懐かしい歴史になってしまったかのようだが当時の安倍総理大臣とハワード首相の蜜月的な関係でようやく口火を切ることができたものだったが、その時点から反対は激しかった。理由は大別して2点あり、(1)輸入農産物である、牛肉、小麦、乳製品、砂糖の四品目で国内農業が壊滅的な打撃を受ける、(2)このFTAが割れ窓のようになって他国、特に日米FTAに及ぶ、というものだ。
 なのになぜそこまでして日豪FTAが推進されたかというと、これも大別にして2点ある。(1)対中政策で米国寄りの同盟関係を強化する、(2)WTOの弱化と、他国のFTA活性への遅れ取り戻し、である。日豪FTAが宙ぶらりんになっているのは、一点目の要請が両国ともに弱くなっていることもあるだろう。
 日豪FTAの経緯が陰画で日米FTAの必要性も示していたとも言えるし、さらに隣国韓国の背に腹は代えられない式FTA展開に追い立てられてきた面もあるが、逆にこれらの経緯から日米FTAの困難さは十分想定されたので、民主党マニフェストがこの明記を敢行するのは、あっぱれという印象があった。なにより党内での反対意見たとえば山田正彦衆議院議員の見解(参照)などもまとめたとすれば、政権与党たる結束力を示した。
 そんなわけねーよな。民主党マニフェストが公開されたあとで民主党議員から問題提起が出てきた。日本農業新聞「「日米FTA締結」~民主農林議員「寝耳に水」と困惑」(参照)より。

 民主党が衆院選マニフェストに「米国との自由貿易協定(FTA)締結」を盛り込んだことに、同党農林議員からは「寝耳に水」と困惑の声が広がっている。
 最大の疑問は、政権公約発表の4日前の23日に民主党がまとめた「2009年版政策集」との違いだ。政策集は政権公約の土台となるものだが、米国とのFTAを「推進」との表現にとどめていた。これが政権公約では、なぜか「締結」という踏み込んだ文言に置き換わった。4年前の衆院選の政権公約では、FTAについて米国の国名を挙げずに「締結を推進」とだけしていた。

 民主党内部からこうした後出し異論の声が出てくるのは、民主党マニフェストがどのように形成されたか、聖書学的な考察が必要になりそうだが、それにしても「同党農林議員」というのが、自民党と代わりばえしない政権与党の貫禄で香ばしい。
 同記事では、「世界貿易機関(WTO)農業交渉が正念場を迎えている極めて重要な時期に、なぜ日米FTA締結という言葉が政権公約に盛り込まれたのか」との民主党小平忠正WTO検討小委員会座長の声や、「次の内閣」元農相は「日米FTAなどありえない話だ。米国側も簡単に飲める話ではない。現場を大混乱させるもので、党としての正式な説明が必要だ」との篠原孝衆議院議員の声も合わせている。党の内外の差という感覚がちと麻痺しているような印象も受ける。
 先にも指摘したが、今回の民主党による日米FTA確言は、貿易や農政の範疇ではなく、「外務・防衛」の「新時代の日米同盟の確立」のくくりにあり、そのあたりから、外交関係の議員と内政の議員との摺り合わせがなかったかもしれないという雰囲気はあったが、そのとおりだったようだ。日本農業新聞「民主・細野政調副会長が釈明、「自由化前提ではない」」(参照)より。

 民主党の細野豪志・政調筆頭副会長は28日、日本農業新聞の取材に対し、政権公約(マニフェスト)に日米FTAの締結を盛り込んだことについて「日米関係を安全保障だけでなく、経済などを含めた重層的な外交をしなければいけないという観点からも盛り込んだものであり、農産物貿易自由化が前提ではない」と釈明した。

 率直にいうとこのあたりの腰砕け感が、内部でごたごたしている自民党と代わらないなあ、和もって謀となすという日本の伝統が守られているという安堵感にもつながる。
 話をFTAのありかたに戻すと、既に述べたように私は普通に自由貿易を評価するもだし、「極東ブログ:[書評]出社が楽しい経済学(吉本佳生, NHK「出社が楽しい経済学」制作班)」(参照)でもふれたが、リカルドーの比較優位説をそれなりに理解しているつもりだ。しかしでは内政についてリバタリアニズム的でよいかというとそうは考えていない。率直にいって、バラマキ大いに賛成だという立場を取る。特にWTOが頓挫しつつある現状、関税がかけられなければ、バラマキするしかないだろう。荘子曰く、「昨日、道をまかりしに、あとに呼ばふ声あり。返り見れば、人なし。ただ車の輪跡のくぼみたる所にたまりたる少水に、鮒一つふためく」の教えである。民主党が日米FTAの保証で1兆円規模の戸別所得補償をするのは大いに賛成だと考えていた。
 1兆円規模の戸別所得補償については、そうした文脈で民主党マニフェストに織り込まれているとばかり思っていた。日本農業新聞「米国とのFTA締結を明記、農業所得補償に1兆円/民主が政権公約」(参照)より。

 民主党の鳩山由紀夫代表は27日、衆院選のマニフェスト(政権公約)を発表した。官僚から政治主導への転換と、年金や子育てなど社会のセイフティーネット(安全網)の構築が柱。主要政策には、2007年の参院選に続き、年間1兆円規模の農業の戸別所得補償制度導入を盛り込み、2年後の11年度からの実施を明記した。一方で、外交方針として米国の自由貿易協定(FTA)締結を盛り込んだ。農業界で波紋を呼びそうだ。

 曖昧に書かれているが、1兆4000億円にも及ぶ戸別所得補償制度がバーターになって日米FTAに臨んだだろうと思った。正確にいうと、日豪FTAをかっ飛ばしたのはそれだけ米国側から安全保障面でせっつかれたのだろうかとも思ったが。
 ところが、民主党さん、ここからがすっかり本気な展開になってきた。先の記事だが、こう続くのだった。細野豪志・政調筆頭副会長の見解として。

 同氏は、民主党が日米FTAと表裏一体で1兆円の戸別所得補償を実施するのではとの見方が出ていることについて「戸別所得補償は農業再生のための国内政策であり、自由化をするための手段ではない」と否定し、日米FTA交渉は「日本農業への影響を回避することが条件になる」と述べた。

 バーターじゃないよというのだ。バラマキは純然たるバラマキだというのだ。昭和の香りをアゲイン!
 兵法で重要なのは機を見ることだ。相手がびっくりしてひるんだところで更に突く。いや、驚いてないで、話を聞け。日本農業新聞「農産物自由化を否定/民主党が声明、日米FTA公約を事実上修正」(参照)より。

 民主党は29日、衆院選マニフェスト(政権公約)に盛り込んだ米国との自由貿易協定(FTA)締結についての声明を発表した。米国とのFTA交渉で「日本の農林漁業・農山漁村を犠牲にする協定締結はありえないと断言する」とし、農産物貿易の自由化を前提にしたFTA締結を強く否定した。
 声明は、日米FTA交渉で「米など重要な品目の関税を引き下げ・撤廃するとの考えをとるつもりはない」とも強調。23日にまとめた2009年版政策集では、日米FTAは「推進」の表現にとどめており、政策集の内容に事実上修正した形だ

 きちんと民主党マニフェストは訂正された。ソフトウエアの改変履歴のようなものがあるとよいのだが、ないかもしれない。うだうだ書いたが、このエントリで代用にされてもいいかもしれない。「新時代の日米同盟の確立」エラータ。

 日米両国の対等な相互信頼関係を築き、新時代の日米同盟を確立します。そのために、主体的な外交戦略を構築し、日本の主張を明確にします。率直に対話を行い、対等なパートナーシップを築いていきます。同時に国際社会において、米国と役割を分担しながら、その責任を積極的に果たしていきます。
 米国との間で自由貿易協定(FTA)を推進し、貿易・投資の自由化を進めます、なーんてしないケロ。
 日米地位協定の改訂を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方等についても引き続き見直しを進めます。

 さらに菅直人代表代行は29日の会見で、「わが党として米などの主要品目の関税をこれ以上、下げる考えはない」と言明したそうだ。ありがとう。
 これからどんだけ民主党マニフェストにエラータが出てくるのか、国民は民主党理解が難儀だなと思ったら、こういうことらしい。時事「国・地方協議、公約に追加=「27日発表分は正式ではない」-民主代表」(参照)より。

鳩山氏は「この間(27日)出したのは政権政策集で、正式なマニフェストは公示日からしか配れない」と述べ、追加は可能と強調した。

 あれ、正式なマニフェストではなかったそうですよ。
 ラジャー。正式なマニフェスト、待ってます。

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2009.07.29

民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう

 民主党のマニフェストに示された沖縄問題の取り組みを読みながら、これは自民党同様の失敗に終わるだろうと思った。失敗してくれと願っているわけではなく、むしろ自民党の沖縄政策よりよいとも思えるのだが、以前の民主党の主張からの後退や、幹部発言の混乱からして、現時点での実効性はほぼないと思えたということだ。まとめておきたい。
 だらだらと曖昧な美辞麗句が続くが民主党のマニフェストでは沖縄問題にこのように触れられている。


沖縄政策
 沖縄は先の大戦で、国内で唯一、地上戦が行われ、数多くの犠牲者を出す悲劇に見舞われました。敗戦後も米軍による占領を経験したうえ、復帰後の経済振興も期待どおりに進んでいません。この状況を重く受け止め、1999年7月に「民主党沖縄政策」、2002年8月に「民主党沖縄ビジョン」を策定し、2005年および2008年には「民主党沖縄ビジョン」を改訂しました。
 「民主党沖縄ビジョン」では、従来型の補助金や優遇措置に依存する活性化ではなく、沖縄本来の魅力や特性を最大限活用することを基本的な方向として、経済振興、雇用創出、自然環境政策、教育政策等、沖縄の真の自立と発展への道程を示しています。また地域主権のパイロットケースとして、各種制度を積極的に取り入れることを検討するとともに、ひもつき補助金の廃止・一括交付金化についても、まず沖縄県をモデルとして取り組むことを検討します。沖縄には依然として在日駐留米軍専用施設の多くが集中するなど、県民は過重な負担を強いられています。これらの負担軽減を目指すとともに、基地縮小に際して生ずる雇用問題にはセーフティネットの確保も含め十分な対策を講じます。また、当事者としての立場を明確にするため、在沖米軍の課題を話し合うテーブルに沖縄県など関係自治体も加わることができるように働きかけます。

 日米間の問題としてもっとも重要な沖縄問題である、普天間飛行場移設と、実際には沖縄には限定されないものの少女暴行事件で問題が鮮明になった地位協定改定の二点が、キーワードとしては言及されていない。
 沖縄の地域振興などは、基本的に、本土独立時に沖縄は内地側から見捨てられ米軍軍政下に置かれ本土復帰に遅れたことと、それに端を発するが、占領地だった内地からの米軍移設による在沖縄米軍基地が、沖縄本土復帰にかかわらず沖縄から本土に戻されていない状況に放置されていること、この2点に従属する問題なので、まずこの根幹を是正していくことが基本となる。
 こうした問題に、自民党では復帰直後の沖縄開発庁長官である山中貞則氏、10代の小渕恵三氏、最後の橋本龍太郎氏、さらに「沖縄は自分の死に場所だ」としていた梶山静六氏などが尽力をされ、市街地の海兵隊基地である普天間飛行場の移設が日米間で約束されたものの、すでに当初の予定時期から大幅に遅れ、現状でも移設のめどは立っていない。理由は移設先が、明確に決まらないためである。
 自民党政権では移転先を沖縄本島内北部としていたが、民主党は県外移設を提示していた。
 また地位協定についても自民党は運用の見直しで押し通していたが、民主党は6月時点のマニフェスト原案では「日米地位協定の抜本的改訂に着手、思いやり予算など米軍関連予算の執行を検証」として、既存の改訂プランに着手することを公約に盛り込む方向だった。が、実際の公約では、「日米協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方も引き続き見直す」と変更され、地位協定改定の着手が実質破棄された(参照)。
 現在の沖縄問題の重要点である、普天間飛行場移設地位協定改定が民主党のマニフェストから消えた時点で、沖縄問題について自民党と大差のない政党であるとも言えるが、再度マニフェストを読むと、これらの問題は詳細として、2008年改訂「民主党沖縄ビジョン」に従うと理解できないこともない。
 そこで2008年改訂「民主党沖縄ビジョン」なのだが、2005年8月と放置されたように見える「民主党沖縄ビジョン【改訂】」(参照)がそれに該当するものか、私が勘違いしているのかもしれないが、ここでは普天間飛行場移設についてこう言及されている。

4) 普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定
普天間基地の辺野古沖移転は、事実上頓挫している。トランスフォーメーションを契機として、普天間基地の移転についても、海兵隊の機能分散などにより、ひとまず県外移転の道を模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。民主党は、既に2004年9月の「普天間米軍基地の返還問題と在日米軍基地問題に対する考え」において普天間基地の即時使用停止等を掲げた「普天間米軍基地返還アクション・プログラム」の策定を提唱している。なお、いわゆる「北部振興策」については基地移設問題とは切り離して取り扱われるものであり引き続き実施する。

 これは私が理解している民主党の沖縄政策と合致し、非常に明瞭なものになっている。つまり、普天間飛行場はまず県外に移設し、その後、条件が合えば国外移転する、という二段階になっており、なにより県外移設、つまり内地への返却が明記されている。
 当然ながら県外移設となればその候補地が明記されなければ実現に乏しい。この点についてなぜか産経新聞「民主、普天間移転で九州2基地を検討」(参照)に出所のわからない情報が公開された。

 在日米軍再編に伴う米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、民主党が、県外移転先の候補地として宮崎県内の航空自衛隊新田原(にゅうたばる)基地と、福岡県の航空自衛隊築城(ついき)基地を検討していることが明らかになった。


 関係筋によると、鳩山由紀夫代表は周囲に移転先として新田原、築城両空自基地を挙げたという。鳩山氏は19日、沖縄県内の集会でも「最低でも県外移転の方向で積極的に行動したい」と発言している。

 出所が「関係筋によると」なのでどう評価してよいかわからないが、根も葉もない噂ではないのは以下の経緯があるからだ。

 両基地は平成18年の在日米軍基地の再編に関する日米合意で、「武力攻撃事態」や「周辺事態」の際、新設する普天間代替基地で収容し切れない部隊が展開することを認め、滑走路や隊舎の整備も進んでいる。
 ただ、普天間飛行場の主力である米海兵隊のヘリ部隊を移すには敷地が手狭だとされ、民主党内にも実現性を疑問視する声がある。

 鳩山氏自身による公言はないが、民主党の岡田克也幹事長はこの情報を否定する側にまわっている。琉球新報「民主岡田氏、普天間県外移設「変わらず」」(参照)より。

 具合的な移設先については「政権を取って米側と信頼関係を築いた上でいろいろな可能性を検討していくことになる」と述べるにとどめた。24日付の一部報道で「民主党が(普天間の)県外移設先の候補地として航空自衛隊の新田原基地(宮崎)と築城基地(福岡)を検討している」と報じられていることについて「(その事実は)ございません」と否定した。

 しかし、県外移設の方向性については岡田氏も否定していない。

民主党の岡田克也幹事長は24日の定例記者会見で、23日に公表した民主党政策集「インデックス2009」で米軍普天間飛行場の移設問題について同党が主張する「県外移設」の表現がないことについて「基本的に普天間に関する民主党の考えは変わっていない。(政策集に)書いた書かないということは関係ない」と述べ、県外移設を目指す考えに変わりがないことを強調した。

 こうした大問題を「(政策集に)書いた書かないということは関係ない」とする見識に驚くものがある。民主党マニフェストは他の部分においても同質の曖昧な仕組みを持っているように見える点に懸念があり、懸念は深まるものになった。
 移転先が検討されていない移転について。

具体的な移設先を挙げずに県外移設を主張する民主党について中曽根弘文外相が「どこに(移転する)と言わないのはずるい。選挙を意識した発言だ」などと批判していることについて岡田氏は「中曽根外相の言っていることは理解に苦しむ。橋本・モンデール合意から一体何年たっているのか。その間の責任を棚上げして民主党を批判するのは私には無責任に映る。中曽根外相はどれだけ普天間(基地)のために努力をしたのか」と批判した。

 北朝鮮と米国政府が「お前がバカだお前こそバカだ」と言い合うような芳しさがあるが、穏当に見ても、マニフェストの曖昧さや改変の経緯からして、民主党の普天間飛行場移設問題の見通しはなく、よって自民党同様の失敗に終わるだろうと予想される。
 地位協定についてはどうか。先の改訂沖縄ビジョンではこう明言されている。

1) 日米地位協定の見直し
民主党は2000年5月に「日米地位協定の見直しについて」を提示した。2004年12月には沖縄国際大学への米海兵隊ヘリコプター墜落事故を踏まえ、事故等の捜査を原則日米両当局の合同捜査とする「日米合同委員会」の議事録を原則公開とする等の内容を加筆した「日米地位協定改定案」作成に着手した。沖縄では先般の少女への事件に見られるように米兵による卑劣な犯罪等も依然発生している。沖縄県等とも連携を深めながら、航空管制権及び、基地管理権の日本への全面的返還を視野に入れつつ、大幅な地位協定の改訂を早急に実現する。

 結語は「大幅な地位協定の改訂を早急に実現する」としている。
 ここで重要になるのは2000年5月付け「日米地位協定の見直しについて」(参照)で、読むとかなり踏み込んだ内容になっていることがわかる。が、政権政党ではないとはいえ、この文案が現下の世界状況の変化と無関係であるかのように、10年近く放置されている印象もあり、マニフェストでの曖昧化も合わせると、予定調和的な失敗が滲んでいる。
 この点については早々に米側の反応があった。時事「米軍再編、修正応ぜず=民主公約で米司令官」(参照)より。重要であること記事の事実性からあえて全文引用する。

 在日米軍のライス司令官は28日午後、都内の日本記者クラブで会見した。民主党が衆院選のマニフェスト(政権公約)で在日米軍再編合意の見直しに言及したことに関し、「(日米合意は)全体として良いパッケージになっており、日米双方にメリットがある。個別の要素は変えないというのが米政府の一貫した立場だ」と表明。沖縄県の普天間飛行場の移設問題などで修正に応じる考えはないことを強調した。
 また、同党が米側に提起するとした日米地位協定の改定についても、「数十年にわたって存在してきており、見直す必要はない」と否定的な見解を示した。

 普天間飛行場移設がキーワードになったわけではないようだが、民主党の主張する県外移設を含む修正を否定し、地位協定については明確に否定が出た。
 地位協定については、先のマニフェストの曖昧化とも関係するが、思いやり予算の削減とも関連している。沖縄ビジョンではこう触れられている。

5) 思いやり予算の削減
思いやり予算については、2005年度で現在の特別協定の期限(5年)が切れる。経済、財政事情が悪化する一方で公共事業的支出が高まっており、基地の固定化を強めかねない。提供施設整備が過剰になっているとの指摘もあり、改訂を機に特別協定に基づく光熱水料、訓練移転費や地位協定を根拠とした提供施設整備費等について必要な削減を行う。

 普天間飛行場の危険性や地位協定改定の問題も早急の問題といえば早急の問題だが、米軍としてみれば、金づるの旦那の心持ちが心配になる。カネの切れ目は縁の切れ目だとガイウス・ユリウス・カエサルも言っているとおりだ(これは冗談です)。この話もライス司令官は出している。日経「在日米軍司令官、思いやり予算削減に反対」(参照)より。

 在日米軍のトップであるライス司令官は28日、日本記者クラブで記者会見し、日本政府が負担している在日米軍駐留経費(思いやり予算)の削減に反対する考えを示した。司令官は「米国は日本を守ると誓約しているが、日本は憲法によって米国を守ることが認められていない。日本が同盟関係に貢献する一つの方法が駐留経費の支援だ」と指摘した。

 ライス司令官は民主党政権となっても日米関係が損なわれることはないとの認識を示している(参照)ものの、政策の実施にはかなりの難航が予想される。
 この問題の前段に奇妙な話がある。当初駐日大使の噂のあった元国防次官補でもありハーバード大学ジョセフ・ナイ教授は昨年12月、鳩山幹事長(当時)と非公式の会談を持った際、「インド洋での給油活動に反対すれば、オバマ政権は日米同盟を維持しようとは考えないだろう」と警告したというのだ(参照)。
 毎日新聞「クローズアップ2009:民主党マニフェスト原案「09政策集」 じわり現実路線」(参照)ではこう伝えている。

 対応変化の背景には与党との対決姿勢を最も重視した小沢一郎前代表の辞任に伴い、党内の日米同盟重視派の主張が反映されやすくなったことがある。
 民主党の対米方針を懸念する米側はオバマ政権の発足前から民主党幹部と非公式に接触。昨年12月にはジョセフ・ナイ米ハーバード大教授らが鳩山由紀夫幹事長(現代表)に「米国にけんかを売っている」と苦言を呈した。岡田幹事長が6月25日、フロノイ米国防次官と会談した際も、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画をめぐり激論をかわした。こうした機会にたびたび伝えられた米側の懸念に配慮したとみられる。

 民主党の沖縄問題の曖昧化は時系列的にはこれを契機としていることは確かなので、その経緯の実態について、特に日米同盟についてどのように、ナイ氏と鳩山氏が意見交換をしたのか詳細を知りたいと思うし、公開された政治を掲げる民主党に期待したい。
 余談だが、そしてあまり陰謀論的な発想はしたくないのだが、極東におけるプレゼンスには米国第七艦隊(駐留米軍とは別)だけでよいとした小沢一郎前代表の発言も連想される。この発言は、それ自体では彼の持論に過ぎないが時期的に奇妙なものがあり、ジョセフ・ナイ氏の駐日大使想定が外れたことに何か米政府側での関連があったのだろうか。端的に言えば、駐日大使に指名されたジョン・ルース氏は民主党政権が潰れるまでのつなぎということはないか。

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2009.07.28

民主党マニフェストの財源論は清和政策研究会提言に似ているのではないか

 迫る総選挙を経て民主党による政権交代が期待されるなか、民主党マニフェスト(参照PDF参照HTML)が昨日公開された。全体としては、生活優先の理念に恥じない内容であるとともに、外交面ではかなりぼやけた内容になっていて諸外国に不安と期待を与えるだろう。
 すでに特定政党を決めている人、特定問題にのみで投票を決める人などもいるだろうが、対比すべき自民党のマニフェストは公開されていないものの、国民はこれらのマニフェストを検討して投票することになるだろう。
 私は率直に言って特定政党は支持していない。どちらかといえば小沢シンパで民主党を支持してきたが、それが軸になっているのではなく、私なりの政治観に軸を置いている。私は基本的に、国家を最小にすべきだとするリバタリアンに近いが、彼らとは異なり国家なくして人権も財産権もないだろうという意味で国家の存亡を重視することと、これも誤解される向きがあるが私は護憲主義者であり、この点では吉本隆明の信奉者に近い。
 当然の話題として、今朝の大手紙社説も民主党マニフェストを扱っていた。各紙ともくっきりとした論点は見いだせないものの、民主党に親和的に思われている左派的な論調の多い朝日新聞や毎日新聞でも、マニフェストの具体項目の背景にある財源論が気になっている印象を受けた。美辞麗句を積み重ねていてもそれを裏付けるカネがなくては夢物語にすぎないというのは、大人の常識でもあり、その側面から民主党を強く批判している勢力もいるようだ。これに対して、やらせてみなくてはわからないだろうといった暴論もあるが、長く続く経済政策の混迷から自暴自棄になってしまった人もいるのだろう。
 民主党マニフェストの財源論はそれ自体を読むより、昨日夕刻7時のNHKニュースのほうがわかりやすく思えたので、それを引用する(参照)。


一方、財源については、天下り先となっている独立行政法人の廃止や補助金の削減で6兆1000億円、いわゆる「埋蔵金」から4兆3000億円、所得税の配偶者控除の廃止などで2兆7000億円、むだな公共事業の中止で1兆3000億円をねん出するなどして、平成25年度までに16兆8000億円を段階的に確保するとしています。

 これに対して自民党側の反論も掲載されている。

一方、自民党は、政権公約を今週中にも麻生総理大臣が発表できるよう、作業チームが検討を急いでいます。これについて自民党の細田幹事長は記者団に対し、「民主党の政権公約は、高速道路の無料化や子ども手当の支給などばら色の項目が盛り込まれているが、財源がどこから出てくるのか精査する必要があるものばかりであり、全体として大きな問題がある。造花のばらなのか、本物のばらなのか、検討しなければならない」と批判しました。そのうえで細田幹事長は、自民党の政権公約について「今週末に発表したい」と述べ、今週31日に麻生総理大臣が記者会見して発表する方向で調整していることを明らかにしました。

 そう遠くなく、自民党としては民主党マニフェストの財源論を精査して公表するとのことなので、国民としては、民主党の美辞麗句の重みを計る上での参考になるだろう。
 私としてはこの、民主党および自民党の対応の経緯を奇妙なものに思っていた。というのは、民主党の財源論は、自民党清和政策研究会が平成20年7月4日に提出した「提言 「増税論議」の前になすべきこと ―「改革の配当」の国民への還元―」(参照)によく似ていると思えたからだ。
 つまり、民主党の財源論は自民党清和会の提言を、剽窃とまではいえないまでも、換骨奪胎したという印象があるのと、民主党を批判する自民党内にすでに財源論が提示されているのに、現麻生政権はこれを事実上隠蔽した形になっているように見えるからだ。どういうことなのだろうか?
 単純に考えれば、この間の自民党の内紛からもわかるように、清和政策研究会と関連が深い中川秀直氏の扱いが潜んでいるのだろうし、おそらく「小泉改革」を継承しているこの提言は、麻生自民党(つまり実質の与謝野首相)においては否定されているのだろう。
 民主党の財源論に戻ると、「平成25年度までに16兆8000億円を段階的に確保する」として、その主要項目は4つに分かれる。

  1. 天下り先となっている独立行政法人の廃止や補助金の削減で6兆1000億円
  2. いわゆる「埋蔵金」から4兆3000億円
  3. 所得税の配偶者控除の廃止などで2兆7000億円
  4. むだな公共事業の中止で1兆3000億円をねん出

 項目を見て自民党清和会の提言が連想されるのはなにより、元内閣参事官高橋洋一氏が掘り当てた「埋蔵金」が重視されている点だ。清和政策研究会提言より。

(1)財政健全化に反しない「大胆かつ柔軟な経済運営」の備え(最大6.8兆円)
・「骨太の方針2007」は、平成20年度予算における基本的考え方として、「経済情勢によっては、大胆かつ柔軟な経済運営を行う」としている。万一、その必要性が発生した場合には、昨年11月に清和研が指摘した財政融資特別会計の金利変動準備金9.8兆円の一部を活用すべきである。この9.8兆円は「骨太の方針2006」で想定していなかった新たな財源であり、現在は市中買い入れ分3兆円以外に6.8兆円が日銀保有国債(3.4兆円)、財政融資資金保有国債(3.4兆円)の買い入れを追加的に行うことに使われることになっている。しかし、日銀と財政融資資金はともに「広義の政府」内であり、この「広義の政府」が持つ6.8兆円分については、実質的な利払い負担はなく償還を急ぐ必要はない。よって、市中買い入れに充てていない日銀・財政融資資金保有国債償還分については、「大胆かつ柔軟な経済運営」を行う際に国民の必要を充たす財源としても、骨太の方針2006の財政健全化の道筋には反しない。ただしあくまで「大胆かつ柔軟な経済運営」が必要なときであり、バラマキに使うことは許されないのは当然である。

 清和政策研究会提言はいわゆるリーマンショック以前の世界での算盤なので現状では違う面もあり、民主党がどのように「埋蔵金」を算出しているのかはわからないが、それでも民主党による財源論の「埋蔵金」論はこれを横取りしたものと見てよいだろう。
 民主党財源論第1項の「独立行政法人の廃止や補助金の削減で6兆1000億円」についても、清和政策研究会提言の「3.「歴史的合意のための3年」に使うべき「改革の配当」」に対応しそうだ。

(1)3年以内の「改革の配当」の国民還元(9.2兆円超)
②政府資産の売却(1兆円超)
  ・東京23区外や独立行政法人の保養施設などの売却(1兆円超)


(2)3年以内に合意形成をめざすべきもの(最大31兆円)
⑤独立行政法人への「出資金」の売却(最大14.5兆円)


(6)新規の政策についての「ペイ・アズ・ユー・ゴー原則」※による財源確保(3年以内に実行)
②独立行政法人への貸付金の財投機関債への切り替え(フローベースで5兆円)

 なお、「独立行政法人への貸付金の財投機関債への切り替え」については、民主党を意識した注釈が付けられている。

民主党が主張する「12兆円の無駄」の大半はこの貸付金であり、12兆円全額を他の歳出に振り替えることは非現実的である。自民党としては財投貸付以外の契約・補助金の厳しい見直しに加えて、財投貸付の財投機関債への切り替え等を主張していくべきである。

 清和政策研究会提言では、本年にも実施できるもの、三年以内、三年後といったフェーズが含まれているが、民主党財源論も「平成25年度までに」とフェーズが想定されており、両者の時期フェーズの対照がやや難しい。が、概ね、民主党財源論も清和政策研究会提言も同質と見てよいだろう。
 第3項の「所得税の配偶者控除の廃止などで2兆7000億円」については、すでに議論されているところもあるようだが、実質増税となるだろう。
 第4項の「むだな公共事業の中止で1兆3000億円をねん出」については、国土交通省が3月に行った、着工ずみの国道18路線工事の凍結の顛末が参考になるだろう。つまり、内実が問われないと地方からの財源論としてはナンセンスな結末になるということだ。
 なお、この、着工ずみの国道18路線工事凍結だが、無駄遣いでかつ地方に不要なものを国が押し付けどんぶり勘定で請求したという批判の裏で、NHKの解説などを聞いた範囲では、地方では少ない額で国を当てにしたレバレッジのように見えた。自民党のバラマキ政策の一種のようでもあり、その凍結頓挫は民主党のこの財源論にも示唆するところがあるだろう。
 民主党の財源論から清和政策研究会提言を見るのではなく、逆に清和政策研究会提言から民主党の財源論を見たときに顕著になるのは、国家資産の売却の欠如だ。この点は民主党の財源論では一種のタブー化しているようにすら見える。リバタリアンに近い私の政治観からするとそのほうが隠された大きな問題に見える。
 以上、清和政策研究会提言基軸で見ると、民主党マニフェストの財源論はそれほどには夢物語ということではないと思える。だが、それによって実現される国家財政の未来についてはどうかという点で見ると、産経新聞記事「GDP押し上げ効果はわずか0・1% 民主党政策」(参照)による野村証券金融経済研究所の概算では、かなり効果の低いものになっている。

野村証券金融経済研究所は22日、民主党政権が誕生した場合、その経済財政政策による実質GDP(国内総生産)成長率の押し上げ効果は、平成22年度で0・1%、23年度で0・4%にとどまるとの試算をまとめた。「子ども手当」などで個人消費が押し上げられる一方、景気に“即効性”がある公共事業が削減される可能性があり、「効果は限定的」とみている。


 月額2万6000円の子ども手当のほか、高速道路無料化やガソリン税などの暫定税率廃止により、個人消費が22年度に0・3%、23年度に0・5%押し上げられると試算。一方で、公務員の人件費削減などによるマイナスを差し引くと、押し上げ効果は22年度で0・3%、23年度で0・4%にとどまる。

 私としては民主党のバラマキ政策によって個人消費が活性化し、翌年には1%近くはアップするのではないかなという印象を持っていたが、この試算を見て、やはり住宅投資が活性されるような規模がないと無理なのかもしれないとは思いなおした。
 公共事業削減によるデメリットは、金融危機下でなければそれほどでもないだろうが、現下各国が協調して財政政策をしているなかで行えば、デメリットは強化されるだろう。
 この点、対比的に清和政策研究会提言は国家資産の売約や国家事業の縮小から民活が自動的に促進される利点があるようにも思えたものだったが、そのような感想のほうがさらに夢物語となってしまった。
 私の印象では民主党案では国家経済発展の展望がなく、少子化の歯止めは事実上は不可能なうえ、移民も受け入れないともなれば、日本は、国政財源は急速にじり貧になっていくだろう。そうなれば、そのツケはきちんと日本国民、若い人が支払ってくれることを期待するしかないだろう。日本の未来を若い人に託したい。

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2009.07.27

[書評]中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ(竹田青嗣)

 私は竹田青嗣氏の著作はデビュー作からほぼ網羅的に読んでいるので、初期の欲望論、そしてその基礎方法論としての一連のフッサール・現象学解説著作から、近年の「人間的自由の条件 ― ヘーゲルとポストモダン思想」(参照)による、フッサールからヘーゲルに至る社会思想への深化・変遷のあたりで、竹田氏は一つの頂点を迎えたのか、あるいは学生や実際上のお弟子さんたちの教育に忙しくなったか、しばらく思想的な展開は見られないものだろうと思っていた。

cover
中学生からの哲学
「超」入門
竹田青嗣
 そうした流れで、本書「中学生からの哲学「超」入門 ― 自分の意志を持つということ」(参照)も見ていたので、書店で見かけたときは、またこれも初期の副産物的な作品かと思っていた。実際、本書はかつての類書「「自分」を生きるための思想入門」(参照)とよく似ている。なお、同書については「極東ブログ: 社会システムとルール社会を越えていくもの」(参照)で触れたことがある。また竹田氏が在日朝鮮人としてあの時代の若い日を振り返る述懐もとても興味深い。コウケンテツさんをふと連想したりもした。
 本書は過去の類書と異なり、最終的に描き出した像は、意外というのではないが、自分の想定とは違ったものだった。率直に言えば、竹田氏、いや心情的には「竹田さんも60歳を越えて、ある人生の眺望を見るようになったのだな」という印象を深めた。振り返ってみたら私も、10歳年上の竹田氏の著作を20年読み続けた。こういうと悪口のようだが本書の一章にもあるように、彼も今でいうニート的であった時代がある。カルチャーセンターの講師を経て、早稲田の教授に変遷していく過程も私はずっと見ていた。哲学者に生まれた人間は最終的には哲学者になるものだという印象と、一途に思索に向かっていく清々しい姿も感じた。逆に私はアカデミズムに復帰することはできなかったなとも思う過程でもあったが。
 こうした年を経た人間の心情の表出として、本書で多少突出して見える言葉遣いがある。「人を聡明にする」という表現だ。ある考え方が若い時に得心できれば、その考え方は人を聡明にして、人生を豊かなものに変える、とまでは言えないまでも、哲学にありがちな思索や倫理の典型的な不毛な泥沼に入ることを防ぐようになる。ネットを見ていると私もその一人だが、聡明ではないがゆえにつまらない議論に拘泥している人は少なくない。
 なにが人を、特に若い人を聡明にするのか。「世の中には、はっきりとした答えを見いだせる問いと、問うても決着の出ない問いがあるいうこと、このことが「原理」として腑に落ちていることは、どれだけ人を聡明にするかわかりません」と竹田氏は語る。神は存在するのか、人間と世界の存在の意味はなにか。「この問いに決定的な答えは誰も出せない。これはじつはなかなかすごい原理です。「形而上学の不可能性の原理」。これは理屈では理解できる人も多いでしょう。しかし、このことがいったん深く腹の中におちれば、人間は本当に聡明になります。」
 この原理(カントによる原理)がわからないと、「人は、いつまでも一方で極端な「真理」を信奉したり、一方で、世の中の真実は誰にもわからないといった懐疑論を振り回すのです」ということになる。「このふたつは、いわば「形而上学」とその反動形成で、表裏一体のものです」。
 確かにネットの聡明でない人々の対話ともいえない罵倒の交換は、歴史に偽装されたり倫理に偽装された「真理」の信奉者や、真実はなにもないとする懐疑論をポストモダン的に装ったペダンティズムなどが見らるものだ。聡明になれなかった人々である。
 聡明になった人はどうするかといえば、開かれた対話、開かれた問い、問うことを禁止されない問いへの多様な解答の試みから、社会的な合意を形成していこうとする。なるほどそうかとも思う。
 加えて竹田氏は宗教と科学を分け、科学は「つぎつぎに新しい人が現れ、実験などで確かめながら「原理」(キーワード)を取り替えつつ、より普遍的で包括的な説明になるように推し進めていくわけです」と、包括性にいわば合意された社会的な知性の進展を見ている。ただ私はそこは率直に言えば、竹田氏のごく基本的な間違いだろうと思う。科学的な確実性・普遍性もまた単なる社会合意であって、おそらく宗教と科学を峻別するものではないだろうと、聡明になれない混迷に私は沈む。
 聡明についてのもう一つの言及は、本書のテーマでもある「自己ルール」について語られる箇所にある。社会のルールと、自分が独自に考えて決めた自己ルールを分け、「社会のルールと「自己ルール」の違いをうまく区別して理解することは、とても人間を聡明します」と竹田氏は語る。これだけ見ると、社会には社会のルールがあるが、私には私のルールがあるといった、国家に適応すれば北朝鮮の主体思想にも見える滑稽さの表明のようだが、ここは、たぶん中学生では理解しづらい本書の難所を形成しているだろうし、一見、超入門に見えながら本書がとんでもない深淵を隠している部分でもあるだろう。
 社会のルールといえば、「人を殺すな」「人の物を盗むな」といったものが想定されるし、本書でもそうした暗黙の了解は前提になっている。しかし、重要なのは、本書のキーワードである「一般欲望」との関係だ。
 一般欲望とは、ごく単純な例でいえば、おカネと美貌(イケ面)であるとしていいだろう。おカネの比喩はわかりやすい。誰もがそれを価値だと思う欲望を喚起する。よって一般的な欲望となる。おカネの、社会的な一般的な価値性を支えているのは、人々の一般欲望である。
 一般欲望を考える上で、竹田氏は、欲望自体の本質を到来性として見ている点が基礎になる。欲望とは、自己の外部からやってきて、「お前はこれに欲望しているのだ」と告知するものとして本質が捉えられる。もっと単純に言えるだろう。目の前に札束がある。「ああこれ欲しい」と思うのは、一般欲望がその人の欲望の所在を告知しているからだ。そしてそれをくすねないのは、社会ルールが規制しているからだ。これが人にとって大きな問題となるのは、こういう点だ。

資本主義社会は必然的にそういう一般欲望を育てるのだけど、この欲望はあくまで競争の中で生じるものなので、この一般欲望を満たすことができる人は二割ぐらいの人間だということです。七、八割の人は、自然にそういう欲望を育て、そして失敗するようになっている。


ほとんどの人々が、この、たくさん愛されたい、贅沢をしたい、評価されたい、人の上にたちたい、偉くなりたいといった「一般欲望」を、人間がめざすべきごく自然な目標として自分の中に育てる。だから、もしわれわれがどこかで自分の欲望のあり方を検証しなおす機会がないと、幸福になるどころか、この世の中のほとんど人が不幸になってしまうということになる。


それが競争の中で実現される欲望である以上、そこで「幸福」をつかむことのできる人は必然的にごくわずかで、ほとんどの人は挫折し、絶望し、自分の一生を肯定できないで終わるほかはないとも言いました。そこで、ここで大事なのが、あの「自分の意志をもつこと」ではないかと、私は思います。

 竹田氏はこの難問に対して、欲望というものは自己ルールを介して成立するのだから、自己ルールを作り直すことで、それが克服できる可能性を示している。ここは、普通の人にとってとても大きな人生の思惟の上の難所だろうと思うし、そこを竹田氏は一面ではうまく取り上げ、縷説している。特に、自己ルールを作り直す上で重要なのは、(1)自分の言葉をたくわえること、(2)フェアな友人関係を形成して批評し合うこと、としている。それは竹田氏の結果的な人生経験にもよるのだろう。
 だが私は、正直に言えば、十分にそれ(自己ルールの再編)を理解することはできなかった。人によっては本書を私よりはるかに深く読み取り、竹田氏がこの難問を本書で解いていることを見いだすかもしれない。あるいは本書を実用書のように、「使える」哲学として読む読者もいるだろう(参照)。
 しかし、私のようにその読み取りに挫折しても、本書の思惟のガイドラインのような部分は、確かに人を聡明するとは言えるだろう。
 エントリでは触れなかったが、竹田氏は本書で青春時代の失恋の意味も深く取り上げている。人が社会や恋愛にとことん挫折したとき、本当にそこにものを考える契機が生まれるという、哲学のもっとも基本的な姿を、60歳を越えた竹田氏がうまく語っている。標題の「中学生」に惑わされず、30歳過ぎた人でもそうした人生の難所にある人なら読んで得るところはあるだろう。

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2009.07.26

民主党ネクスト防衛大臣浅尾慶一郎氏、民主党除籍

 民主党ネクスト防衛大臣浅尾慶一郎氏が7月24日民主党を離党し、これで民主党のネクスト防衛大臣は不在になった。衆院後政権を取った際の防衛関連の政策を現時点で語る適任者はいない。組織上は、ネクスト防衛大臣の副大臣に山口壯氏と一川保夫氏がいるので早晩繰り上げになり空席は埋まるのではないかと思われるが、問題は、これまで民主党の防衛政策を語ってきた浅尾氏の見解と整合が取れるのかどうか、また、そもそも浅尾氏の今回の衆院選挙直前の離党がその防衛政策とどの程度関連してくるのかの2点だ。
 浅尾氏の離党理由は、表面的には民主党の防衛政策が関係していないように見える。記者会見では「地元を代表する衆院議員になってほしいという地元の声に応えたい」と支持者の声に応えたものとされている。浅尾氏は1996年の衆院選で旧新進党から出馬して次点になり、国会議員としての体面を保つのを優先したか98年に参議院に鞍替えした経緯があり、当初から衆議院議員を志向していたのだろう。
 渡辺喜美元行政改革担当相が自民党を離党したケースとは異なり、浅尾氏側としては所属政党との関係や基本政策での行き違いがあったということでもないとしているようで、衆議院議員に当選すれば「首相指名選挙で鳩山由紀夫と書く」と述べている。復党に含みを持たせているとの読みもあるようにも見えるが、社民党や国民新党と同党の少数政党への志向があるのかもしれない。離党組として立場が似ているせいか、新党への参加をすでに呼びかけた渡辺氏に「公務員制度改革は意見が一致している。政策を吟味したうえで何が日本のためにいいのか判断したい」と答えている(参照)。
 民主党側での反応だが、浅尾氏を民主党除籍処分とした。関連報道を見る限り内情は複雑なようだが、まず明瞭なのは、浅尾氏の参議院議員から衆議院議員への転身というだけなら、段取りを踏んでいたのならば、そのまま民主党の離党を意味するわけでもないことで、問題は段取りにあった。民主党は浅尾氏が立候補を表明している神奈川4区ですでに前逗子市長の長島一由氏を公認しているので、この区の選挙戦略に影響し、地域の民主党としては事実上の分裂選挙になる。
 背景はありがちに香ばしい。長島氏の公認は民主党神奈川県第4総支部の総意に反したものらしく、公認決定時に神奈川県連衆議院選挙選対本部長代行を務めていた浅尾氏はその反発から本部長代行を辞任した。つまり民主党離党は衆院選直前という時期的には唐突な感はあるにせよ、地元の人ならご納得の予定行動であり、つまりは、ネクスト防衛大臣といった国政には関係ないとも言えるはずだ。が、当事者の長島氏は「ネクスト防衛相の立場なのに反党行為を犯し、大義名分さえない」と批判していることから、全く関係もないわけでもないだろう。民主党が防衛政策を放り出した感は否めない。
 民主党岡田克也幹事長は浅尾氏の行動を「許し難い反党行為だ」とし、復党の可能性についても「除名された人が民主党に入ることはあり得ない」と否定している(参照)。岡田氏はすっかり選挙に頭がいっぱいで、政権確立時点の防衛政策については頭が回っていないことがわかる。国民優先の政治というのは、国家の存亡は第二という含みがあるかもしれない。
 民主党のお家の事情は国民にとってはどうでもいいことだとは言えないのは、まさに民主党政権確立時点の防衛政策が不明になるからだ。これには前段がある。「新テロ対策特別措置法案」を民主党がどう見ていたかが、結果的に現状は不明に帰したことになる。
 昨日のエントリ「極東ブログ:民主党は給油活動についてマニフェストに明記していただきたい」(参照)で、フィナンシャルタイムズ記事の論調にもあったが、民主党による自衛隊給油活動は、当時代表だった小沢氏による「憲法違反」として見られてもしかたがない面はあった。しかし、これに対して民主党岡田克也幹事長は、当時の党首による民主党を背負った主張でありながら、「党としての正式な議論ではない」と述べていた。それはそれで正しいとも言える背景があるにはあった。
 この点について、2007年11月1日の「テロ対策特別措置法」期限切れを控えた、10月17日日本記者クラブで、与党自民党石破防衛相と民主党「次の内閣」の浅尾防衛担当相による討論が実施されていて興味深い(参照参照PDF)。
 なぜ民主党が給油法に反対するかという点について、当時の「次の内閣」の浅尾防衛担当相は、(1)国会の事前承認がない、(2)油の使い方が不明だ、の2点を挙げていた。しかし、これは奇妙な議論で、(1)2001年に同法が成立したとき事後承認には賛成していた、(2)油の使い方については原理的に明確化しようもない、という欠陥を持つ。端的に言えば、タメの反論の馬脚というくらいなものだろう。
 むしろ興味深いのは、討論のなかで小沢ビジョンに関連したやりとりだ。石破氏は、小沢氏が自由党時代だった時点の小沢ビジョンから、給油問題をこう取り上げている。


小沢さんは当時反対された自由党党首でした。いまは民主党の党首です。これはアメリカの戦争に加担するもので、補給だろうと何だろうとそれは武力の行使なのだ、だから集団的自衛権でだめなのだと、当時主張した。だから、自分たちの法案を出すことによって、憲法の改正によらずして、集団的自衛権の行使を認めるのだ、というロジックだったんですね、当時は。このロジックでいくならばわかるんです。

 浅尾氏はこう答えている。

民主党と自由党が合併したとき、合併の覚書において、政策の一貫性が必要であるという観点から、民主党の合併した当時の政策を引き継ぎますということになっています。したがって、自由党当時に出された法案について、私がコメントをするということは、その点の限りにおいては適当ではない。

 当然石破氏はこう答えざるをえない。

わかりました。浅尾さんのおっしゃることは、民主党の政策を引き継ぐということだから、小沢さんが出されたこの法案は民主党においては全く存在をしていないということなのだ、ということがよくわかりました。

 しかし、実際にはこの小沢ビジョンは、先のエントリでも引用したように、民主党党首の名でその後も語り続けられ、そのビジョンは民主党には関係ないのだとは、その後も公式には語られていない。フィナンシャルタイムズ記事が誤解だとは言いづらいし、なにより対外的にそう見られていた。
 「次の内閣」の浅尾防衛担当相(当時)は討論のなかで、他党に所属していた政治家のビジョンについてコメントすることはできないとしているが、その浅尾氏が今民主党を離れ、しかも除籍された。浅尾氏は今、この問題を民主党から離れてどう考えているのかも当然気になる。

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