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2009.07.10

[書評]実践 行動経済学 --- 健康、富、幸福への聡明な選択(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン)

 台湾では昔から似たような仕組みがあったように思うが、日本で横断歩道の信号表示に残量タイマー表示が追加されたのは二年くらい前からだろうか。例えば、横断可能な青の状態の時間はあとどのくらいでなくなるか。青の縦バーが刻々と短くなっていくことで表示する。赤の状態でも同じなので青に変わるまでの時間がわかる。
 横断歩道の信号に残量表示が付加されることで何かメリットがあるのか。普通に想像してもあると言える。横断中に青の残量が減ってきたら少し小走りで横断したり、横断歩道に着く手前で残量が僅かなら次の青を待つ。以前人々がよくしたように直交する側の道路の信号が黄色になると横断歩道に飛び出すという行為が抑制される。こうした人々の行動を変化させ、交通事故が減らすメリットがある。信号の仕組みに手を加えることで、社会全体、また各人に利益がある方向で人々の行動を変えることになる。

cover
実践 行動経済学
健康、富、幸福への
聡明な選択
 このような、人々を強制させることなく望ましい行動に誘導するようなシグナル、または仕組みのことを、本書「実践 行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン)」(参照)ではナッジ(nudge)と呼んでいる。
 本書のオリジナルタイトルが「Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness」(参照)とナッジを強調しているのはそのためだ。なお、ナッジ(nudge)の原義は、二人の人が並び立つとき、言葉なく肘でちょんちょんと合図を送る動作を意味している。ちょんちょんと肘でついて「ほら、そこで笑っちゃだめでしょ」「背筋を伸ばしなさい」といったその場に適合した空気を伝える。欧米ではたぶんモンティ・パイソンの「Nudge Nudge」のギャグ(参照)もユーモラスに想起されているだろう。
 ナッジを人々に与えることで、人々は強制されることもなく、うるさい啓蒙を受け入れることなく、本人が結果的に利益となる選択が楽に可能になる。そうしたナッジの仕組みをどのように考えたよいか、というのが本書のテーマであり、「第2部 個人における貯蓄、投資、借金」および「第3部 社会における医療、環境、婚姻制度」では、年金、投資、健康、環境問題、結婚といった社会問題にどうナッジを設計するかを具体的に議論している。具体例は米国の制度に依拠しているので、日本の制度・慣例にはそぐわない点もあるが、原則的な部分では参考になる示唆に富んでおり、よりよい日本社会を構想したい人々や、政治家のように社会政策をプランニングを志向する人に、本書は必読書と言っていいだろう。
 米国での本書の受け止め方を見ていると、民主党の新しい政策原理という印象もある。この政策原理を本書では、通常相反する政治思想と見られる、リバタリアニズム(個々人の自由を最大限尊重する自由至上主義)とパターナリズム(強者が弱者の利益を図るため弱者の意志を抑制して行動に介入・干渉する父権主義)を結合した「リバタリアン・パターナリズム」として提唱している。個々人の選択の自由を棄損することなく、可能な最大限の利益を誘導するような制度設計を政治思想課題とするという含みがある。
 にもかかわらず、邦訳書のタイトルがあえて「実践 行動経済学」となっているのは、「第1部 ヒューマンの世界とエコノの世界」を読めば理解できるだろう。人間的な錯誤を冒しやすい「ヒューマン」と、経済学的な合理性に基づいて行動する「エコノ」といった「行動経済学」の用語が利用されていることもだが、そもそもナッジを必要とし、「リバタリアン・パターナリズム」の社会が構想されるのは、社会がエコノによるのではなく、感情を元に経済活動をしてしまうヒューマンの行動経済学的な問題が基底にあるからだ。
 邦訳書が「実践」編とされているのは、日本でも話題になったマッテオ・モッテルリーニ著「経済は感情で動く --- はじめての行動経済学」(参照)及び「世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ)」(参照)、さらに、本書の著者の一人セイラー氏による「セイラー教授の行動経済学入門」(参照)といった、行動経済学の一般的入門書の次の段階の社会的「実践」編とした位置づもあるからだろう。これらの著作の読者であれば、「実践 行動経済学」の「第1部 ヒューマンの世界とエコノの世界」は復習編といった印象を持つだろう。
 本書は一般向けの書籍でありながら、IT化が進む現代の新しい社会思想として米国ではすでに刺激的な議論を巻き起こしているようだ。人々を強制しない「リバタリアン・パターナリズム」といっても、結局は特定の価値判断を誘導するパターナリズムではないかといった批判もすぐに思いつく。想定される異論への反論は「第1部 ヒューマンの世界とエコノの世界」にも織り込まれているが、「第4部 ナッジの拡張と想定される異論」でまとめられていて興味深い。
 議論が活発化する背後には、「[書評]サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代(下條信輔)」(参照)で扱った、社会における人々の潜在意識の操作はどうあるべきかという深刻な課題がある。同エントリ対象書の著者下條氏は対応の可能性として「賢いマクドの客」を提示していた。ナッジ的なものが悪しきパターナリズムに転換する懸念に、再び人間の選択をどう回復するかを問い掛けたわけである。だが本書「実践 行動経済学」では逆に、人間の自由意志による選択という本質的な問題より、専門知識を要する社会に対して、より実践的に有益な選択を多数の人々に容易にすることを優先している。
 邦訳書ではオリジナルのサブタイトル「Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness(健康、富、幸福への決断が向上)」を活かして「健康、富、幸福への聡明な選択」としたが、実際本書を読む読者は、その聡明な選択を可能にするナッジの知識を多く得ることになる。老婆心的な言い方をすれば、「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」とばかりの日本社会という門をくぐろうとしている若い人、また、くぐったものの門の前に戸惑う30代の人にとって知恵の導き手となるだろう。
 本書を読みながら、私はもやは集合愚(衆愚)となってしまったかに見えるブログの世界やその提供システムの設計についても嘆息しつつ思いを巡らした。著者が提起する電子メールのナッジ構想が、冗談というには悲しいほど示唆的だ。

現代世界は礼節に欠ける。毎日、毎時間、人々は怒りの電子メールを送りつけ、ほとんど知らない人(さらに悪いことには、友人や愛する人)をののしっては、すぐに後悔する。「かっとなって怒りの電子メールを送らない」。こんな単純なルールを学んでいる人もいないわけではない。


 われわれは「シビリティ・チェック」を提案する。シビリティ・チェックは、いままさに送ろうとしている電子メールが怒りに満ちたものであるかどうか的確に判断して、こう警告する。「警告 --- これは礼節に欠ける電子メールのようです。このメールをどうしても送りたいですか?」

 悲しい示唆ではなくやはり冗談だと受け止めたいが、そこで思い迷う。
 著者は、ナッジを基本的に現存制度の選択を抑制しない付加的なものだと見なしているが、同時にいかなる制度で結果的なナッジが含まれているとも考えている。ナッジを免れないシステムも制度もない。システムや制度の運用が社会的な害をもたらしているなら、まずいナッジがすでに組み込まれていると言ってもよいかもしれない。
 私が思いつく、卑近な、まずいナッジを持つITシステムの例としてはオンラインショッピングの「楽天」がある。購入を決めた最後のページで、ショップからの電子メールが不要なら4つほどチェックを外さなくてはならない。チェックを忘れたり、マウスクリックのコントロールがぶれてチェック外しに失敗したりしたら最後、翌日から迷惑メールのような広告メールが山のように届く。このITシステムのあるべき正しいナッジは、広告メールが欲しい人はチェックするが、デフォルトはチェックなし、である。逆に言えば、楽天は、利益誘導のために間違ったナッジを組み込んでしまった。
 著者たちは、感情に駆られ怒りをぶちまける電子メールを例にしているが、同じ状況はブログやそのコメントなどについても言えるだろう。ナッジの設計を考慮しなければ、自然にそれは悪しきナッジとなり、衆愚のITコミュニティを形成してしまう。Web2.0と呼ばれるITシステムに期待されていた集合知は、以前なら、人々の愚かな行動による失敗経験が累積されることにも援助され、自然によりよい知識形成に至ると曖昧に思われていた。しかし、そうはならなかったように見える現在、すでに組み込まれている、まずいナッジの設計をやり直さなくてはならないかもしれない。

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2009.07.09

その後のグアンタナモ収容所

 その後のグアンタナモ収容所について、自分のわかる範囲だが、気になるところだけまとめておきたい。
 まずウイグル暴動に多少関連しているのだが、1月のエントリ「極東ブログ: グアンタナモ収容所のウイグル人」(参照)の後日譚。6月11日、グアンタナモ収容所に収容されていたウイグル人17人は、太平洋戦争で日本とも関わりの深い西太平洋の島国、パラオに身柄移送されることになった。
 先のエントリでも触れたが、彼らは新疆ウイグル自治区を逃れアフガニスタンに潜行中、米軍の対テロ作戦で拘束され、米国防総省は敵対的戦闘人員ではないと認定したものの、2002年にグアンタナモ収容所に送られた。アフガニスタンのテロリストと呼ばれる人々には、地理上の理由もあってかウイグル人も含まれているという意味合いもある。同種のウイグル人はパキスタンにもおり、パキスタン政府に捕獲された彼らは、友好国でもある中国に送還された。
 米国連邦地裁は2008年10月に、この17人は米国内に釈放するように当時のブッシュ政権に命じ、また中国側も自国民だとして送還を求めていたが、ブッシュ政権としては米国内に釈放もできずまた、拷問が予想される中国送還もできないでいた。
 オバマ政権下で、彼らは、台湾とは国交があるものの中国とは断交しているパラオに送られ、この際、事実上の押し付け代償金として米国は2億ドルの援助供与を行った(参照)。こうした措置にはカネがかかるというのが、この問題を理解する上で重要になるので留意されたい。
 さてグアンタナモ収容所の話題だが、オバマ大統領はブッシュ政権の汚点として閉鎖を決定し、アムネスティも「オバマ大統領の就任100日間をチェックしよう!」(参照)で「アムネスティをはじめとする人権団体、被収容者の弁護士、ジャーナリスト、そして世界中の市民による圧力の勝利です」と高らかに勝利宣言をしていた。
 が、実際の閉鎖、さらに軍事委員会での裁判の停止、CIA拘禁施設の全面閉鎖、尋問中の拷問の禁止は、署名をした2009年1月22日から1年以内ということで、まだその「勝利」の日が来ているわけではない。ブッシュ政権を「チェンジ」すると公約したオバマ大統領は、どう具体的にチェンジしたかというと、現状ではよくわからない。展望も見えない状態のようだ。同収容所には現在250人ほどが収容され、米国防総省はパラオ移送されたウイグル人17人のように、うち60人ほどは同種の対応が可能と見ているが、いずれ200人近い収容者はどうなるのだろうか?
 米国内か同盟国に移送するというのが論理的な帰結のようであるし、オバマ大統領もそう想定したのではないかと思われるが、受け入れ側にもご都合というものがあり、他国からの無償の申し出はなく、米国の各州も受け入れに反対をしはじめ、まずは実施に伴う予算が上院で封じられた。5日のワシントンポスト「Hypocrisy on the Hill」(参照)では、ビートルズの歌を連想させる暢気な標題のなかで厳しい現実を示している。


As a result of the vote, the president is prohibited from using taxpayer funds to order the release of any detainee into the United States, including those cleared by the Bush administration and the federal courts; he is likewise forbidden to bring any Guantanamo prisoners to the United States for preventive detention.

上院投票の結果、オバマ大統領は、納税者からのカネを使って、グアンタナモ収容所拘留者を自国に釈放することが禁じられた。これには、前ブッシュ政権と連邦裁判所が釈放してよいとした人も含まれる。また、予防拘禁のためにグアンタナモ収容所拘留者を自国に連れてくることも禁じられた。

The president must give lawmakers a 45-day heads up before ordering any detainee prosecuted in a U.S. court proceeding and he must give Congress 15 days' notice of his decision to send a detainee to another country.

また大統領は、国会議員に対して、グアンタナモ収容所拘留者が米国法廷で起訴される45日前の事前通知と、他国移送の場合は15煮前の事前通知が必要になる。


 上院の投票ですべて決したことになるというものでないだろうが、ここまでの達成を見ると、事実上、グアンタナモ収容所の実態にはなんら「チェンジ」はできそうにもない。実際、ワシントンポストもそう見なしている。

Now lawmakers are making it nearly impossible for President Obama to close the notorious prison by year's end, as he promised to do.

かくして国会議員は、オバマ大統領が悪名高いグアンタナモ収容所を公約どおり年内中に閉鎖させることをほぼ不可能にした。


 オバマ大統領はグアンタナモ収容所閉鎖を公約にしたが、議会がダメにしたんだ、オバマ大統領は悪くないんだと、言えるかどうか、私にはよくわからない。ちなみに、議会はオバマ大統領の民主党が多数を占めており、ゆえにワシントンポストは「偽善者」と呼んだようだ。
 クセのあることで定評のある同紙のコラムニスト、チャールズ・クロートハマーは「Obama Adopts the Bush Approach to the War on Terrorism」(参照)で今回の顛末をメソッド化した。

Of course, Obama will never admit in word what he's doing in deed. As in his rhetorically brilliant national-security speech yesterday claiming to have undone Bush's moral travesties, the military commissions flip-flop is accompanied by the usual Obama three-step: (a) excoriate the Bush policy, (b) ostentatiously unveil cosmetic changes, (c) adopt the Bush policy.

もちろんオバマ氏は自分がやっていることを決してクチでは認めない。昨日の弁舌冴え渡る国家安全論でも、ブッシュの道義的な茶番を解消したと主張しつつ、軍事委員会の方針転換は毎度のオバマ式3段階でなされた、(1)ブッシュ政権の政策を罵倒し、(2)仰々しくお化粧をチェンジし、(3)ブッシュ政権の政策を採用する。


 たしかに結果からはそう見えてもしかたがない事態になったと言えるかもしれないし、この3段階メソッドはグアンタナモ収容所問題だけではないという指摘も聞かれるようになった。米国大統領のお仕事が始まるのである。
 具体的にグアンタナモ収容所問題にオバマ大統領はどう対応するのだろうか。ニューズウィーク「Friendly Fire at the White House」(参照)では対策に追われた会議の内幕をこう伝えている。

It was at that point, toward the end of the meeting, that one attendee raised the idea of criminal prosecution of at least one Bush-era official, if only as a symbolic gesture. Obama dismissed the idea, several of those in attendance said, making it clear that he had no interest in such an investigation. Holder - whose department is supposed to make the call on criminal prosecutions - reportedly said nothing.

会議の終わりに出席者が、見せしめのポーズとして、ブッシュ時代の高官の一人を追訴したらどうかと提案した。オバマ大統領は、そんな追求には関心ないことを明示するために、提案を却下したと出席者は伝えている。追訴を行うなら担当することになるホルダー司法長官も沈黙していたそうだ。


 日本なら見せしめでも尻尾切りでもなんでやってしまいそうな行政のトップがいるが、さすがは高潔なオバマ大統領だいうところなのだろう。ただ、先のワシントンポスト社説では、この事態を出し抜くために、大統領令で収容所の看板を差し替えるといった奇手を繰り出してくる懸念も表明していた。
 グアンタナモ収容所問題は日本に関係ないと見なされているのか、あるいはオバマ大統領の公約について日本で報道された後は、その通り閉鎖されてしまったと思われているのか、その後の経緯はなかなか日本では報道されないが、アムネスティの勝利が確実になるように、今後の動向を見続けていたい。

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2009.07.08

ウイグル暴動、雑感

 5日午後、中国北西部、新疆ウイグル自治区区都ウルムチで数千人規模の暴動が発生し、報道によれば、156人が死亡し、1080人が負傷した。車両も多く炎上され、破壊建築の面積は5万6000平方メートルに及んだ(参照)。中国当局による逮捕者は1434人(参照)だが、大半はウイグル人であろう。
 事件の背景はウイグル族といわゆる漢族の対立がある。元来新疆ウイグル自治区は隣接旧ソ連CIS(独立国家共同体)のように独立志向が高い。歴史的な経緯については、以前「極東ブログ: [書評]「多民族国家 中国」(王柯)」(参照)で少し触れた。関心のあるかたは同書などを参考にされるとよいだろう。
 「新疆ウイグル自治区」が策定された共産党中国設立時には、同地域にいわゆる漢族は7%だったが現在は40%に及び、植民地支配に近い印象を与える。アムネスティなどからも、この地ではウイグル族に対して就職や教育の差別があると指摘されている。
 今回の暴動の直接的な引き金となったのは、自治区ヌル・ベクリ主席も指摘しているが、先月26日中国広東省韶関市の香港系玩具工場、旭日玩具廠における従業員のウイグル族と漢族の衝突だろう。同工場のウイグル族従業員2名が殺害され、118人(内ウイグル族79人)が負傷した(参照参照)。衝突の背景には、5月からウイグル族を多数従業員とした後、女性従業員の強姦事件が発生し、これをウイグル族の仕業と見なした噂から漢族の襲撃があったようだ(参照)。
 暴動のようすはユーチューブなどで公開された。「Uyghur Workers」をキーワードに検索するとヒットする(参照)。今回のウイグル暴動の重要点の一つは、この種の映像の伝搬がどれだけ暴動に影響を与えたかだ。大きな影響を与えたのではないかと見る指摘もある(参照)。
 中国政府は当初ウイグル暴動を「世界ウイグル会議」が扇動したと見ていた(参照)。毎日新聞記事「クローズアップ2009:7・5 血塗られたウルムチ--その時何が」(参照)では中国政府説をこうまとめている。


 中国国営新華社通信によると、5日午前1時6分、ある人物がネット上で同日午後7時にウルムチの人民広場での集会を呼びかける情報を流したと、中国当局の指揮センターが通報を受けた。公安当局は午前3時過ぎ、二道橋に警察を配置し、不測の事態への対応を開始した。自治区政府や新華社通信によると、5日午後5時ごろ、人民広場に200人余りの民衆が集まった。同6時40分ごろには、人民広場に若い男性を中心に大人数が集まっていた。警察が約70人を強制排除した。
 世界ウイグル会議は広場に集まったのはウイグル族の大学生ら数千人だったと説明。中国広東省韶関市にある玩具工場で6月26日に起きた漢族とウイグル族の労働者衝突事件に対する真相究明を求め、ウイグル族に対する偏見に抗議する平和的な集会で、暴徒ではないと主張している。
 だが、新華社通信によると、人民広場から二道橋に向かう道には大勢の人が流れ込み、興奮した民衆が路線バスの窓ガラスを割り、公安車両をひっくり返し破壊した。午後8時ごろには、人民広場のほか、解放路、バザールなどでも暴動に発展。民衆は車の窓ガラスを割り、警察車両を放火し通行人に暴行を加えた。殺害行為も起きた。このため公安当局と武装警察は民衆を拘束する一方、消火活動も行った。中国軍や武装警察など計2万人が出動。車両の放火や商店の破壊は続き、6日未明になって暴動は収束したという。

 同記事ではこの説への間接的な批判も掲載している。

 在外ウイグル人の現状に詳しい水谷尚子・中央大非常勤講師(現代中国史)も「世界ウイグル会議は経済的・組織的基盤が強くなく、大規模なデモを組織するのは不可能」と強調。「在外ウイグル組織の力を誇張することで弾圧の口実にしている」と中国政府の姿勢を批判している。

 CRIが伝える「新疆日報」の論説要旨では新華社の発想と異なり、直接な扇動を事実上否定しているように見える(参照)。

 この文章は、「5日に発生したウルムチ暴動の本質が民族と宗教との矛盾ではなかった。民族分裂分子・ラビア・カーディル率いる海外反政府勢力「世界ウイグル会議」が広東省韶関市内の玩具工場で発生した暴力事件を利用して、民族的恨みをあおり、ウルムチ暴動を起こした。

 ここでも要点は「広東省韶関市内の玩具工場で発生した暴力事件を利用して」の実態になる。ユーチューブなどが閲覧できる状態であったのだろうか。
 私の印象としては、今回の暴動にはそれほどの組織性はなく、どちらかといえば積年の反目が発火したように思える。また、ユーチューブの影響はそれほど大きくないのではないか(簡易に閲覧できないのではないか)。
 今回の暴動を中国側の対応という視点で見ると気になることは二点ある。一つは、ウルムチ市当局は外国メディアの取材を歓迎していた点だ。6日午後にはウルムチ市内ホテルにインターネットが利用できる「臨時プレスセンター」が設置され、外国メディア向けに当局撮影の映像提供や、封鎖地域への取材ツアーも実施された(参照参照)。昨年のチベット騒乱とはかなり異なる対応である。中国当局側の思惑はなんだろうか?
 少なくとも、現地の暴動の映像が当局側の不利益にはならないとの確信があったことは確かだろう。単純に想定するなら、ウイグル族の行動は非難されるべき暴動であり、当局は正当に鎮圧できるという自信はあっただろう。また、チベット騒乱時の国内外の中国人の反応のように、その映像を流してもウイグル族の行動を支援する活動はないという自信もあったに違いない。
 反面、情報統制自体の自信もあるだろう。中国に流れ混むインターネット情報、国際電話、海外報道は規制されている。暴動を報じたNHKの海外テレビ放送ニュース番組でも米国在住ウイグル人の映像で打ち切られた。また、現地報道が自由に行われているかに見えるのは、体のいい統制かもしれない。「世界ウイグル会議」は今回の暴動の死者を840人と見ている(参照)が、それを隠蔽する仕掛けかもしれない。
 気になったことのもう一点は、イタリア・ラクイラの主要国首脳会議およびポルトガル公式訪問を急遽キャンセルして帰国した胡錦濤中国国家主席の行動をどう捉えるかだ。暴動の初動が沈静化してからの帰国ということを考えると、当初胡氏は事態をそれほど重大なものだと見ていなかったか、あるいは中国側から胡氏に重大ではないと伝えられていたか、いずれにせよ、北京政府側では大きな問題だと認識していなかったことは想定される。このことは、先のプレス優遇にも整合的だ。
 しかしその後、胡氏は失態ともいえる帰国を断行した。想定されていなかった、胡氏による決断があったことは確かだろう。別の言い方をすれば北京政府に胡氏が欠かせない状況が発生していると見てよい。むしろ中国政権にありがちな悪化した事態を謀略に利用する事例であるかもしれない。このあたりは多分に陰謀論的な読みに踏み込まざるをえない。
 気になるのは同種のチベット騒乱である。すでに「極東ブログ: チベット暴動で気になること」(参照)で同種の謀略を私は想定したが、今回もポスト胡錦濤に一番近い存在として習近平氏がなんらかの関与をしているのではないだろうか。
 先ほどNHKの7時のニュースを見たのだが、中国政府は当初の「世界ウイグル会議」扇動説を事実上ひっこめ、ウイグル族といわゆる漢族の宥和の演出に乗り出している。暴動が沈静化したのでその事後処理に見えないこともないが、方針の変化であると見るなら、この変化は胡氏の帰国と関係しているはずであり、であれば、これまでの弾圧路線のグリップは習氏に拠るものであったかもしれない。もちろん、習近平対胡錦濤という対立ではなく、習氏に惨事の責務を負わせて失脚することで胡氏を失墜させるという、天安門事件のような構図があるのかもしれない。
 ウイグル暴動自体はそれほど組織性もないように見えるので、今後の手ひどい悪化もないだろうし、それはウイグル族の苦難の継続を意味する(類似の暴動は各所で発生するだろう)。しかし、北京政府側の波及は意外に大きいかもしれない。

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2009.07.07

カレーの難民

 英仏間ドーバー海峡に面した、「カレーの市民」像でも知られるフランスの港町カレーに、7月から国連難民高等弁務官(UNHCR)が、亡命希望の難民向けに英仏出入国管理交渉を援助するための常設施設を設置し(参照参照)、イギリスを中心として欧州で話題になっていた。難民問題に関心の薄い日本では報道を見かけないので、自分なりの視点から情報をまとめておきたい。


Aがカレー市の位置

 カレーの難民と言えば、2002年の同地のサンガット難民収容センターが思い出される。1999年以降、まずコソボ紛争によるコソボ難民が集まり、イラク、フセイン政権下の弾圧によるクルド人難民、さらにアフガニスタン、タリバン政権崩壊後のアフガニスタン人の難民が押し寄せた。アフリカや中国からの難民も集まり、当時は累計6万8千人に及んだとされる。サンガット難民収容センターは900人収容が限界と言われたが、カレー市民の二倍に相当する収容者2千人に及び、難民間の衝突やカレー市民との軋轢もあり、当時内相だった現サルコジ大統領が強行に及び、閉鎖された。が、以降、カレーの難民問題が解決したわけではなかった。
 現状カレーの野外に約1,600人の難民と移住者希望者がいる。問題を深刻化するのはその五分の一が子どもだということだ。難民の多くは通称ジャングルと呼ばれる海峡トンネルで劣悪な環境で暮らしていて、衛生状態が極度に悪化している。洗濯でカレー運河で溺死したエリトリア人の若者も現地で話題となった。食糧も十分ではなく、慈善に依存する他、カレー市へのゴミ漁りもある。
 懸念されるカレー市民の軋轢だが、暴動などの傾向はないものの、観光業への悪影響を懸念し、嫌悪感は広がっている。UNHCRの今回の措置はその事前の対応とも見られている。
 先月フランスは100人の難民をブルトーザーで追い払った。フランス当局が今回も強攻策に出る可能性を懸念する向きもある。しかし現状、組織的な強攻策には出ず、その場その場の警戒を強化すると見られている。2002年のサンガッテ難民収容所閉鎖が実質効果を上げていなかった教訓が生きているとも言える(参照)。
 カレーの難民の現状構成だが、「国境無き医師団」によれば、戦争、暴力、飢餓を逃れたアフガニスタン人、ソマリア人、パレスチナ人が多く、パキスタンとイランの政情不安も影響しているらしい。彼らがドーバー海峡を越えイギリス亡命を希望するのは、イギリスなら他国より容易に保護権が得やすいからだ。別の言い方をすれば、現在のフランスは難民からもその定住を嫌がられるほどの排他性を発揮していることがあるだろう。ムスリムからはライシテを名目に文化的な弾圧していると思われてる。
 その他の理由として、イギリスに先行移住した親戚を当てにしている人々も多いことがある。カレー難民の多くは元大英帝国下の文化の影響から英語に堪能な人が多く、そのこともイギリス希望に拍車をかけている。また、イラク人やアフガニスタン人難民には、英語が堪能な上に教養もある人がいて、そのことから自国ではイギリス軍に協力したと見なされ、イギリス協力者として受ける拷問や強姦を逃れている。
 難民の多くはイギリス渡航のために違法密航斡旋業者に多額のカネを払っていて、業者から脅迫され、不確かな情報も撒かれている。UNHCRの今回の措置の重要な側面として、公正な情報提供が掲げられているのは、その対応のためである。
 今後の見通しだが、問題の根本的な解決策はなく、恐らく現状が維持され、かつてのサンガット難民収容センターのような収容所が建設されそうだ。
 イギリスとフランス間での国家的な思惑や世論の動向も気になる。笑話のイギリス病・フランス病のように双方で問題をなすりつけている側面と、EUと国連で問題をなすり合っている側面がある。イギリス国内でも世論は割れている。
 そもそもなぜ難民がこの地に押し寄せるかというと、東欧や中近東が欧州と地続きだということがある。これにEU内での国境撤廃が支援し、列車やバスを乗り継げば、比較的安価にイギリスに面する海にまで到達する。であれば、欧州の境界を強固なものにしたり、難民はEU条約では最初の地で対応するのがスジだから、境界付近で難民対策せよという議論もある(参照)。
 こうした議論の混迷は、結局のところEUにおける難民問題の対策に根幹的な問題があるか、あるいは時代が難民排斥に変化したかためだ。後者の要因は大きいだろう。

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2009.07.05

NHKコメ食う人々、感想

 NHKプレミアム8で放送された5回シリーズ「コメ食う人々」を見た。コメがテーマではあるが、学術的な話はなく、番組の分類も「紀行」ということで、世界各地のコメ生産の現場から、中国、インド、フィリピン、イタリア、アメリカを選び、その文化・風土や、現地に暮らす人々を描いていた。コメは、当然世界のコメということになり、大半はインディカ種というか長米が多い。日本ではあまり知られていない長米の文化を知るという視点も番組の魅力だった。
 レポーターは毎回異なるものの、映像慣れした芸能人・タレントに、農業を学ぶ素人の若者を組み合わせ、若者は芸能人より先に一週間ほど現地滞在させて、農業の実習をさせた(アメリカ編は例外)。ややぎこちなくも若者らしい熱心さと純情でコメ農業に携わる姿を通して、微妙な現地の内情のようなものも明かされていた。
 「第1回 稲作 それはどこから」(参照)は、ごはんが大好きだと自称する俳優の山本太郎と、東京農大農学科3年田島直子さんが、いわゆるコメのルーツを求め探し、雲南絶景の棚田と少数民族を紹介した後、コメの祖先といわれる野生イネに会うために長江下流へと数千キロの自動車旅行をした。山本太郎は民放風の明るいノリとテンションを仕事上のウリしているせいか、私などにはうるさい印象があったが、現地での一週間ほどの旅で過程で、自然に稲作というものへの真摯さに影響されていくようすは好ましく思えた。田島さんは現地にさらに一週間ほど先行して農家にステイし、その家族によくなじんでいた。その交流のようすは心打たれるものがあった。テレビ的な狙いはうるるん滞在記に似ていた。コメのツールについては、科学的に間違っているというものでもないだろうが、話は単純に中国が提示するままの説を流していた。他、個別には共産党支配前後の雲南省棚田の歴史も興味深いものがあった。
 「第2回 渇きの大地に聖なる実りを」(参照)は、コメ作りという点でそれほど興味深い映像はなかったが、タミル人が暮らす南インドの内陸での牛を使う伝統的な農業に加え、現地のヒンドゥー教の祭祀や儀式、食文化、日本語のルーツという説もあるその言語の一端を興味深く伝えていた。レポーターは俳優の林隆三と東京農大の生沼晶子さんで、私は久しぶりに林隆三を見た。彼は子どもころ農村の環境に育ったとぼそぼそと語っていた。林の演出的な姿にリアリティがないとも思わないのだが、老いてなお若作りの色男特有の浮いた感じはあった。反対に生沼さんは、将来途上国支援をしたいという希望から若者らしい純真さで現地の文化に格闘し、現地の人に言われるままに牛糞をこね回していた。私もコルカタで牛糞少女をよく見かけたが、あれを手でこね回さないとわからない生活というものはあるだろう。番組後半は直径20メートルもの大きな井戸掘りが見せ場で、まるで古代の文化を見ているような面白さもあった。
 「第3回 絶景の棚田 絶品のコメ」(参照)は、ルソン島中央高地の壮大さで世界一とも言われ、フィリピンの紙幣にも描かれている世界遺産の「コルディエラの棚田群」が舞台。その地でコメ作りをする子だくさんの家庭を描いていた。雲南の棚田もそうであったが、絶景という感じが映像からでもよくわかる。私は以前バリ島で現地の人と低山を登ったことがあり、その過程で多くの棚田の絶景を見たことを思い出した。コルディエラのコメはインディカではないそうだ。フィリピンというのは、よくフィリピン通の人が語る話と、実際のレポートとは、どうも違っているというか、不思議なほどの多様性がある。フィリピンに限らずアジアというのはそういうものかもしれないが特にそういう印象を持つことが多い。
 レポーターは料理研究家のコウケンテツと東京農大農学科3年岩澤志生さんで、この回も出だし、コウの大阪コリアン風のハイテンションなノリで押して、ちょっとうるさいかなと思ったが、次第に現地の人との交流から、その世界に引き込まれていくようすが描かれ、アジア人的な人情の交流を感じさせるのが面白かった。また、岩澤さんが現地家族のお姉さんのように慕われている姿は微笑ましかった。ところで、私自身はこの番組を見るまでコウケンテツという人を知らないでいて、人に聞いてみたところ、ええ?知らないの?と唖然とされてしまった。書店に行ってみると、なるほど、ケンタロウと並んでたくさん料理本があった。ついでなので、別途コウケンテツの母が語るという番組もあったので見た。母子ともに苦労人だね。好感を持った。
 「第4回 リゾットの美味を極める」(参照)は、場所を欧州一のコメ生産国イタリアに移し、アルデンテの食感で人気の高いリゾット米「カルナローリ」の農園と、収穫後の製品製造から出荷を描いていた。レポーターは高見恭子で、私は久しぶりに彼女を見た。私より一学年下でもあり、予想通り老け込んでいたが、悪い印象はない。ついでに過去のことや彼女の父、高見順のことなども思った。高見は色川武大のように60歳前に死んだなと思い出し、調べてみると58歳であった。高見恭子が女性ということで、同行のレポーターは今回は山形県稲作農家4代目の皆川直之さんという男性になった。少し太めの若いお百姓さんという印象もあった。
 話の焦点は、有機栽培の「カルナローリ」栽培の独自性なのだが、世界各国から視察が集まるだけのことはあり、興味深い指摘が多かった。類似品の4倍価格というブランド化の工夫の裏方の作業というのは並大抵のことではない。驚いたことはいくつもあった。例えば、缶入り「カルナローリ」は、精米した後、胚芽部分を粉にして精米に付着させているとのことだ。なるほどこれでは研いだら味は抜けてしまう。番組の最後で、若い経営者が昨年の生産は例年の三分の一とかかなり低く、これが今年も続くと有機農法での経営ができなくなるとつぶやいていたのが印象的だった。
 「第5回 巨大農場のアメリカンドリーム」(参照)は、現地の大学研究と一体化し、最先端技術を駆使して、世界最高水準の効率でコメを生産するアメリカ巨大農場を訪ねる旅ということで、そんな工場みたいな稲作は面白くもないだろう、この回は見るまでもないかと思っていた。が、見て一番印象に残り、感動もした。場面は二つある。一つはアメリカ最大の穀物輸出港として描かれるニューオーリンズの街だ。マダカスカルに由来を持つコメ作りの話や、フランス領時代なども面白かった。一昨年の洪水の話はまったく触れてなく、映像にもそうした爪痕はなかった。もう一つはアメリカ最大の米作地帯アーカンソー州だった。アーカンソー州といえばクリントン元大統領の故郷でもあるが、その話も直接的にはなかった。具体的なコメ作りについては、アーカンソー州のインデカ米と、コシヒカリの二つがテーマになっていた。前者では、飛行機を使った肥料の空中散布や列車のような巨大な農機具といったいかにも大規模農業という光景に加え、度肝を抜かれたのは、ハイテクとレーザー制御による地形の高精度探査であった。一種のロボットともいえる高度計が、6センチほどの高さで区切る等高線をうねうねと地面に描いていく。なんだろうと思ったら、次にその曲線に沿って別の機械で土手のようなものを作り出す。結果、高度6センチ差とはいえ、棚田ができていくのである。そしてその棚田に水を流し、回収してまた流すということをやっていた。
 また農業は農業なのだが、経営面からは、製品管理から輸出まで行い、先物取引も巧妙に使いこなすしていくという点で、いわゆる農業のイメージとはかなり異なっていた。農園オーナーはかなりの名士のようであり、アフリカへ農業指導もするという志の高い方であった。奥さんが随分と若いのが気になったが。
 レポーターは俳優の照英というのだが、例によって私は知らない。番組で若い頃やり投の選手をしていたという写真が映り、また選手当時は夕食に飯を三合食ったという話もしていた。同行者は東京大学2年の杉本芽久実さんで、彼女は農業を学んではいない。そのためこの回ではホームステイで農業をするという話もなかった。彼女の専攻は農業経営らしく、その側面は現地の経営理解によく生かされていた。我ながら無知を恥じるのだが、穀物の先物取引というのは、農業経営において投機的な側面ではなく安定経営に必須ものなのだと言葉では理解していても、実際の理解は伴っていなかった。農業経営の内側から見て、先物取引の重要性に納得した。
 後半のコシヒカリ農家も興味深いものだった。なぜ日本に輸出しないのかと問われ、「価格を下げたら日本の農家がつらいでしょう。農民の思いは同じですよ」という話を語っていた。嘘がない人柄が感じられた。
 以上、シリーズとしては散漫な印象もあるが、コメ作りを通して見る世界各国の内側の農業という姿は大変に興味深いものだった。そこここで対照的に日本の稲作はどうなんだろうかと思うことも多かった。日本の農業には、「宝田豊 新マネー砲談」の「フォアグラ農業」(参照)で指摘される側面もあるだろう。いやそればかりじゃないという声も聞く。どうあれと言うのは難しいが、世界のコメ作りの現場で何が起きているのかというのを知るのは、大切なことだなと思わせる好番組ではあった。

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