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2009.06.13

鳩山邦夫総務相更迭、雑感

 日本郵政西川善文社長の再任を認めないとする鳩山邦夫総務相を麻生首相が事実上、更迭し、昨日は話題になった。
 形式的に見れば鳩山前総務相に問題はなかった。日本郵政株式会社法第九条に「会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない」とあり、社長選任の非認可は総務相の権限行使の正当な範囲である。問題があるとすれば、総務相の判断が政府を代表していない場合であり、今回はそれに相当した。首相は不適切な閣僚を任命したことになる。だが今回の騒動はそれだけで済むことではない。世論の一部は由々しき問題のように見ていたし、与党も野党も麻生内閣への不信といった構図で批判していた。鳩山前総務相の主張の是非が問われたかのようにも見えた。
 鳩山前総務相は更迭されるにあたり、征韓論で敗れた西郷隆盛の「岩倉公、過てり」の故事を引き、麻生首相を岩倉具視に模し、自身を西郷に重ねて正義を語った。「どんなに不透明で悪事をはたらいていても、私がそのことをはっきり説明を、世の中に対しても、してきましたが、今の政治は正しいことを言っても認められないことがある」と今西郷にとって悪は日本郵政である。日本共産党のようにそれを支持する世論もある(参照)。
 確かに「かんぽの宿」入札については、日本郵政財務アドバイザーだったメリルリンチ日本証券は、譲渡後収益を見込んでいたのに日本郵政は「赤字の不採算事業」と変な主張をしていたし、譲渡価格の低さから譲渡中止の提案もしたが日本郵政はなぜか無視した。鳩山前総務相によって不透明性の所在は明かになった。だが、違法性があったわけではない。不透明ではあるが、鳩山預言者が糾弾する「悪事」はそこにはない。あると想定されていたのは、おそらく譲渡先に想定された宮内義彦会長率いるオリックス・グループの関連なのだろう。
 隠された「悪事」があるかもしれないが明らかになったわけではなく、その解明は司直の仕事であり、総務相の職務ではない。日本郵政株式会社法第九条は通常の会社と同様「会社の取締役」の職能を問うものである。西川善文社長の経営能力は無能なのか。
 日本郵政の取締役人事を決める指名委員会は西川氏を社長に推したことから、有能であると判断している。同委員会は有力財界人、委員長の牛尾治朗・ウシオ電機会長、奥田碩・トヨタ自動車相談役、丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長が社外取締役として名を連ねており、この文脈で見れば鳩山前総務相が対立したのは同委員会であり、自民党の企業献金の実質的な水源でもある財界であった。
 実績については先月22日に発表された日本郵政民営化後初の通期業績が判断材料になる。平成21年3月期連結決算は最終利益が4227億円で、昨年11月時点の予想より8.1%減少だったが、NTTに次ぐ国内最高益を叩き出し、傘下4会社とも黒字を確保した。経済危機にあっても、国債中心の堅実な資金運用で損を最小限度に留めた。
 西川社長は経営に有能である。とすれば、鳩山前総務相のほうがその職能において無能だったのではないか。今回の事態は無能な閣僚が排除されたことになる。
 過程から今回の事態を見れば、そう単純ではない。もつれ込んでいたのは、鳩山前総務相の意図が、西川社長の経営能力や個別の経営過程の判断ではなく、小泉元首相による郵政民営化の路線転換であったからだろう。中川秀直らの反発もそれを物語っている。
 麻生首相による更迭判断が遅れたのも、鳩山前総務相が当然視していたように、麻生首相も彼と同じ意見を秘めていた。両者は小泉元首相による郵政民営化に賛同しておらず、西川氏排除をとば口に郵政民営化路線転換を推進しようとしていた。鳩山前総務相は、麻生首相の真意を察し気概をもって鉄砲玉を買って出たつもりだった。
 結果から見ると鉄砲玉の忖度は少しずれていた。麻生首相がここまで問題をぐずつかせたのは、馬謖を斬るに涙もなかったと見る向きもあるが、私は彼なりの損得計算をしていたからだろうと想像する。得は、単純に総選挙へ向けて麻生政権支持の空気を醸すことだが、変節漢にも見えるほどのリアリストに純朴な正義感はないし、世間の空気があっぱれ悪代官退治で喝采するとまで期待はしてないだろう。であれば、この仕掛け、本人はどこに利を見ていたか。
 反小泉の爆竹で踊る勢力への仕掛けはあった。前提となるのは、総選挙後の小泉チルドレンの総崩れだ。全滅とまではいかなくても大半は消える。早々に自民党から差っ引いて党内を見ておくべきだ。むしろこの機に小泉勢力一掃に着手し、小泉元首相が壊した自民党を復元するための結束力を育成するか、あるいは白黒付ける踏み絵でも出しておいたほうがよい。
 仕掛けには総選挙後の自民党敗退も読み込まれただろう。麻生コアの自民党はかなり縮退した存在になり、もはや政権は維持できなくなるだろうが、そのまま野党に落ちるのではなく、麻生太郎は大連立政権において首相を獲得しようとする野心があるのではないか。というのも、この仕掛けには国民新党や民主党の一部の取り込みのメッセージがあり、結果的に民主党を筆頭に野党は応答していた。麻生政権の指導力を批判しても、鳩山前総務相の理不尽さへの批判はなく、郵政民営化路線転換への共感があった。

 ***  ***  ***

 今回のドタバタにまつわる奇っ怪な噂を少し整理しておきたい。重要なのは、小沢・福田大連立構想のフィクサー読売新聞渡辺恒雄のまたかよの登場である。毎日新聞記事「鳩山総務相更迭:西川氏謝罪で続投案 最後の妥協策決裂」(参照)によれば、渡辺氏の動きが鳩山前総務相のボルテージを上げたとのこと。


 鳩山氏が公の場で西川氏の進退に初めて言及したのは、5月8日の衆院予算委員会での答弁だった。
 その後、西川氏の後任探しにも動き、鳩山氏は5月27日には、鳩山氏と懇意な渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長兼主筆から西室泰三東京証券取引所会長でめどがついたとの連絡を受け、西川氏の交代に自信を示した。
 鳩山氏のボルテージは6月に入って急激に上がっていく。
 6月3日夕。鳩山氏は渡辺氏と東京都内で極秘に会談した。関係者によると渡辺氏は「鳩山さん、あなたは英雄だ。西川は悪者だ」と激励。さらに「あなたを切って西川を残す。これがどういうことか。簡単に分かる話なのに、麻生(首相)も与謝野(馨財務・金融・経済財政担当相)も分かっていない」と語った。渡辺氏の一言一言が鳩山氏を鼓舞したのは間違いない。

 ただのフカシの可能性はあるが、この渡辺氏が、(1)西川社長の後任の用意、(2)西川は悪者だ、(3)麻生も与謝野もだめだ、としている3点は興味深い。後任の話は後回しにして、この渡辺氏がなぜ西川を悪者だと見ていたかだが、今後オリックス・グループと読売新聞の関連は注視が必要になるだろう。
 それ以前に、読売新聞ソースは報道というより、これからの政局のプレーヤーという可能性がかなり高くなる。今日の読売新聞社説「鳩山総務相更迭 日本郵政は体制を一新せよ」(参照)もその線からすでに読み応えがある。

 今回の問題の核心は、「かんぽの宿」の不明朗な売却手続きなど不祥事が続発しているのに、西川社長が経営者としての責任を果たさなかったことにある。
 ところが、鳩山氏の発言が「罷免されても再任に反対する」とエスカレートするにつれ、「社長を辞めさせれば郵政民営化が後退する」といった、別次元の議論にすり替わってしまった。

 「経営者としての責任」はまさに経営の健全性にあるが、そこがすでに頭から抜けており、しかも「別次元の議論にすり替わって」として読売新聞が別の議論へのすり替えを始めている修辞が心地よい。

 首相は、西川社長の責任問題について、自ら明確な判断を示す必要がある。

 なお執念を見せるあたりも面白いが、悔し紛れ以上はないだろう。
 渡辺氏が持ち出した後任の話には関連がある。まさに読売新聞記事「強気の西川社長、後ろ盾は「小泉人脈」有力財界人」(参照)だが、それってプレヤーの独白で報道じゃないだろの雰囲気がある。

 指名委員会は5月18日に西川社長の続投を決めた。実はそれ以前、西川氏の進退問題が浮上した今春に、財界の中枢で後任候補の人選が極秘裏に進んだことがある。
 しかし、リストに挙げられた候補者が相次いで固辞。さらに小泉元首相の人脈が「火消し」に動く一方、西川氏に対しては「自分から辞めると言わないことが、一番大事だ」と支え、後任探しはさたやみになった。
 その後、麻生首相や鳩山氏が後任探しに乗り出す場面もあったが、民間人が財界の後押しもなく「火中の栗を拾う」のは厳しい。「指名委員会が西川氏続投を決めた時点で、勝負はついていたのかもしれない」(財界関係者)。有力な後任を見つけられなかったことも、西川社長の続投やむなしとの判断につながった。

 財界側でも西川後任を画策したが決まらず、小泉元首相の人脈が西川氏を推したという。これに対して、「麻生首相や鳩山氏が後任探しに乗り出す場面」というのは実質渡辺氏側の動きだったのだろう。
 読売新聞が出してきた面白構図はそう単純でもないだろう。産経新聞記事「更迭劇の舞台裏 「けんか両成敗」か「鳩山切り」か」(参照)も事実とは思えない別の面白さがある。

「総理、ちょっと聞いていただけますか」
 鳩山はブランデーグラスを傾けながらこう続けた。
 「私は総理に出会えて幸せだったし、感謝しています。3年前の党総裁選で総理の選対本部長になるとき、仲間は『総理になれない人を応援したら鳩山邦夫に傷がつく』と言ったが、私はなにくそと思い、麻生を総理にしようと頑張った。だからこの2年間は本当に幸せだった…」
 情にもろい麻生は黙って聞き入り、この夜に2人は日本郵政の一件に深入りすることはなかった。
 だが、鳩山の言動はジワジワと自民党に不穏な空気を広げていった。まず動いたのは元首相の森喜朗、前自民党参院議員会長の青木幹雄の重鎮2人だった。2人は8日夜、都内のホテルで麻生とひそかに会い、こう耳打ちした。
 「鳩山も西川もどっちもどっちだ。けんか両成敗で一両日中に2人とも切れ。党内は何とかする」
 2人に背中を押されるように麻生は9日、西川、鳩山の更迭に向け、一気に動き出した。これに「待った」をかけたのが、麻生の腹心である選対副委員長・菅義偉だった。

 2年間二人は本当に幸せだったとほのぼのとした笑いはさておき、小渕元首相の突然死に湧き出たリトルピープルのような森喜朗元首相と青木幹雄前自民党参院議員会長の登場が不気味だ。鳩山も西川も切れというのは尋常ではないが、麻生首相にしてみれば、鳩山前総務相を切ることで西川氏が切れるなら、この勝負結果的には鳩山経由で麻生のけっこうな儲けになる。だが、そこで直江兼次が登場みたいな愉快な展開になる。

 菅は、構造改革路線の見直しを進める麻生に不信感を募らせる若手・中堅議員の「なだめ役」を務めてきた。反麻生勢力のリーダーである元幹事長・中川秀直らが倒閣に動かなかったのも菅の存在が大きい。菅は西川更迭により、郵政解散の「大義」を失った若手・中堅が麻生降ろしに動くことを極度に恐れていた。
 すでに兆候はあった。元首相・小泉純一郎は西川に電話をかけ、「絶対に辞めてはいけない」と激励。中川は「西川氏を更迭すれば行動を起こさなければならない」と気勢を上げた。
 元首相・安倍晋三も10日夜、麻生に電話をかけてこう諭した。
 「2人を更迭して納得する自民党議員は1人もいないじゃないですか」
 さすがの麻生も方針を転換し、官房長官・河村建夫を介して2人の和解を画策する。河村は「西川に土下座でも何でもさせるから妥協してくれ」と懇願したが、鳩山は譲らなかった。

 それが真相かと言いたくなるような「いい話だなぁ」であるし、その後の動きを見ていると、実際これに近い話はあっただろう。なにかと小泉元首相を繰り出す小話にリアリティはないが、中川秀直らの倒閣阻止や安倍元首相のくだりは多少リアリティもある。
 私としては麻生首相に方向転換などなく、利の取れるところで手仕舞いはしたし、それなりの仕込みは終えたというだけのことに見える。

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2009.06.10

足利幼女殺害事件冤罪、雑感

 DNA再鑑定の結果から刑事訴訟法第435条「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」が見つかったとして足利幼女殺害事件が再審となり、すでに検察からの謝罪もあることからも、菅家利和さんは無罪になるだろう。無辜の市民を殺人罪で無期懲役刑とし、17年半も拘留・服役させたというのは、しかもそれを最高裁が決定したとなれば、この国の市民として、恐怖を覚える。また同じ市民として不当につらい思いをさせたという責務も覚える。なぜこんなことになったのか、この冤罪をどう日本の司法に結びつけていけばよいのか、いろいろな議論があるだろう。私は、ネット上にある「菅家さんを支える会・栃木」(参照)の資料と、この事件関連の過去の報道を少しめくってみた。暗澹たる思いがした。
 私がこの事件について、個人的にだが「これはどういうことなんだろうか?」と疑念に立ち返ったのは、1994年のO・J・シンプソン事件の裁判の経過だった。この裁判では、人種差別と並んでDNA鑑定が話題になった。確か、O・J邸で発見された手袋には被害者と同じDNAの血痕があった。当時のDNA鑑定でも個人特定は確率的ではあるものの、私はこの裁判はこれで決したと思ったが、そうはならなかった。陪審員に科学的な知識がないのだろうとも思ったが、それで割り切れる話でもない。ただ、DNA鑑定は法のプロセスではそう絶対的なものではないなとは思った。
 O・J・シンプソン事件については、当時米人と酒の上でけっこうざっくばらんな話も聞いたものだが、そして率直に言ってこの事件は今でもよくわからないところがあるが、それでも事件現場の捜査・証拠の採取プロセスが疑念に挙げられた経緯から、とりあえず私の理解としては、日本でよく「推定無罪」として誤解される、「無罪の推定」(presumption of innocence)との関連で、検察官が犯罪事実の立証責任を負うがゆえに、その証拠収集の過程で違法性であれば、その時点で無罪・終了になる、ということだったのではないか。と同時に、この考え方というのは、専門の方は別として、およそ普通の日本人には理解できないのではないかとも思った。「こいつが犯人だ」と証拠もあり確信しても無罪を言い渡さなければならない状況というものが司法なのだと日本人は受け入れることができるだろうか。無理だろうと思っていたが、先日NHKのドラマ「Q.E.D. 証明終了」の最終回「立証責任」(参照)がまさにこれをテーマにしていて、感動した。若い人がこの番組を見る機会があれば勧めたい。調べてみると原作は「Q.E.D. - 証明終了- 27 (加藤元浩)」(参照)ということなので、私も購入してこちらも読んでみよう。
 事件当時の新聞記事から主立った記事を不快極まる思いで読んでいくなかで、事件から随分日の経った記事ではあるが、1999年に弁護士の仕事を扱った読売新聞の連載記事「鑑定との戦い "怪物"DNAに挑む」(1999.4.25)が当時の内情を示唆しているように思えた。


個人識別「絶対ではない」
 「幼女殺し容疑者浮かぶ/DNA鑑定で一致」
 一九九一年十二月一日、新聞にこんな見出しが躍った。栃木県足利市で四歳の幼女が誘拐され、殺害された「足利事件」。最先端鑑定が“決め手”となって、容疑者が特定されたことを大々的に報じていた。
 翌日、菅家利和被告(52)が逮捕された。数日後、栃木県弁護士会所属の梅沢錦治弁護士(68)のもとに、弁護の依頼が来た。
 DNA鑑定で話題の事件とは知っていた。だが、「DNAがどんなものやら全然、知らなかった」
 三度目の接見。「やったのか?」と聞くと、菅家被告は「うん」と答えた。
 犯人であることが前提の弁護になった。だが、DNA鑑定の信用性については争うつもりだった。「訳の分からないまま受け入れられないし、世間でもこの鑑定が注目されていた」
 まずはDNA鑑定の「正体」を知ることが必要だった。市内の書店を回ったが、参考書は一冊もない。知人の大学教授に論文を送ってもらったが、すべて英語で、翻訳を読んでもチンプンカンプン。結局、検察官から参考書を借りた。

 逮捕数日後、弁護士を責める意図はないが、「犯人であることが前提の弁護」が行われたというのだ。この弁護士と限らず、まだDNA鑑定がどのようなものか理解されてはいなかったが、それ以前に立証責任のあり方もまた問われない前提だったのように見える。

 「家族に出した手紙に無実だと書いてるが、どういう意味ですか?」
 九二年十二月の公判。梅沢弁護士は、菅家被告にただした。一年も前から、家族に無実を訴える手紙を出し続けていたことを、最近になって知らされた梅沢弁護士が、真意を確かめようとしたのだ。
 「無実というのは、やってないということですね」と、菅家被告。初めての犯行否認だった。
 その次の公判で、菅家被告は再び罪を認めたが、結審後、今度は梅沢弁護士に手紙を送って直接、無実を訴えた。
 だが、判決は求刑通り無期懲役。DNA鑑定については「科学的根拠に基づくもので信用できる」と認定された。
 梅沢弁護士は「一生懸命勉強したが、結局、素人には顕微鏡の下の世界は分からなかった」と述懐し、菅家被告の主張の変転については、今も首をひねる。


 「突然リングに上げられ、DNAという怪獣と戦わされたつらさは分かる。でも、被告が無実を主張する以上、なんとかしてやらないと」
 一審の経過を知り、控訴審から主任弁護人になった佐藤博史弁護士(50)(第二東京弁護士会)はそう思った。
 検討すればするほど、被告の自白には不自然な点が目立つ。供述の変遷も、接見を重ね、被告の気の弱い性格などを知るにつれ、理解できるようになった。
 当初、被告と同じDNA型を持つ人の比率は「千人に一・二人」とされていた。二審で弁護側は、最近ではそれが「千人に五・四人」に変わって来たことなどを強調、「DNA鑑定を過大評価すべきでない」と無実を主張した。しかし、二審・東京高裁は九六年五月、控訴を棄却した。

 この事件に記憶のある人なら、当時この事件の関連で別の二件の幼女殺害も自供したことを覚えているだろう。だが、二件は嫌疑不十分になった。いくら警察の筋書きどおりに自白しても事実と辻褄が合わなかったのだ。

 弁護団会議で、「独自に被告のDNA鑑定をやり直してみては」という話が出たのは上告後のことだ。被告の髪の毛を大学の研究室で鑑定したところ、従来の鑑定結果と違っていた。
 思わぬ発見だった。だが、被害者の着衣に付着した犯人の体液を再鑑定し、髪の毛で出た結果と違うことを確認しない限り、無罪は証明できない。弁護団はいま、最高裁にこの再鑑定を求めている。

 年表を見ると、弁護団主導の鑑定が行われたのは1996年のようだ。12年ほど前のことになる。このときの科学水準は今日のDNA鑑定の水準とは異なるだろうが、それでも事件時の鑑定とは異なっていた可能性は高い。DNA鑑定が重要な意味をもつ裁判であればこそ、その疑念を扱うべきだっただろうし、おそらくその時点の鑑定があれば、その時点で菅家さんは釈放され、日本国と司法はここまで深い罪を負うことにはならなかっただろう。

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2009.06.09

日本の牛海綿状脳症(BSE)リスク管理が国際的に評価された

 少し旧聞になるが、先月26日、パリで開催された国際獣疫事務局(OIE)総会にて、OIE加盟国としての日本が、牛海綿状脳症(BSE)発生リスクについて、ようやく米国と同水準の「管理されたリスク」の国へ格上げの決定がなされ、総会最終日に正式に採択された(参照)。
 OIEのBSEリスク管理については3段階があり、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチンなどが最上位の「無視できるリスク」の国で、今回の総会でチリもそれに加わった。今回日本が格上げ評価されることになった「管理されたリスク」の国は、その下位に位置し、すでにこの位置にある米国同様、牛の年齢に関係なく牛肉を輸出できるようになる。最下位は従来日本が所属していた「不明のリスク国」であり、リスク不明ということは、リスクがあると見なされることを含意している。日本は、つまり、2009年5月まで、米国に比べBSEリスクの高い国であるというのが、国際的な評価であった。
 科学的に考えるなら、狂牛病から人間への病原体感染を恐れるのであれば、国産牛よりも米国牛を食べたほうがよいという状態であったが、日本では逆の印象を持つ人が多かったようだ。今後は、今回のOIE総会決議をお墨付きとして、日本国内の牛肉もより安心して食べられるようにもなり、他国にも和牛の肉を自信をもって輸出できるようになる。
 牛肉の輸出入の規定についても今回のOIE総会で変更があった。従来輸出入できる牛肉の条件として、「30カ未満の骨なし牛肉」という月齢条件があったが、今総会で撤廃された。今後は「全月齢の骨なし牛肉」が条件となる。規定は双務的であり、同ランクの日米では、当然ながら今後、同等の態度が求められるようになる。リスク管理最低国の日本が対米国に独自に設けていた「月齢20カ月以下の牛肉」という規制も、国際ルール上の根拠を失い、米国から強い是正を求められる可能性が高い。
 それにしてもなぜ日本はBSEについて、食の安全が国内的に話題となっていたにもかかわらず結果的に長期にわたり「不明のリスク国」に甘んじていたのか。一般的な印象としては、「安全対策として他国には見られない全頭検査も行っていたのに疑問だ」という思いもあるかもしれない。だが、全頭検査は科学的にはナンセンスとういうのが国際的な常識でもあり、OIEが求めるリスク管理の方向性とは異なっていた。簡単に言えば、全頭検査はリスク管理には役立たず、もっと重要なリスク管理が、あたかも情報操作があったかのような意図的に見えるほどに、日本では看過されていた。ピッシングである。
 ピッシングは、牛の前頭骨に開けた穴にピッシングロッドを挿入し、脳・脊髄を破壊する屠殺工程である。作業員の労働安全を図るために、牛が痙攣で跳ね上がることを防止する手法だが、同時に、BSE特定危険部位である脳・脊髄が破壊されることで、血液などを介して他の部位を汚染する可能性がある。
 BSE先進国という汚名を負った欧米諸国では、BSEのリスク管理としてピッシング廃止に注力し、日本でも2005年、食品安全委員会による「我が国における牛海綿状脳症(BSE)対策に係る食品健康影響評価」で指摘されていたが(参照)、日本ではピッシングなしで作業員の安全を確保するのは難しいとする業界を配慮してこの間、実現できずにいた。ようやく4年を経て廃止に及び、これを契機にOIE総会へのリスクのランク変更が可能になった。
 4年間を長いと見るべきか短いと見るべきかには、評価があってしかるべきようにも思われる。また、BSEのリスク管理として日本国内で実施された全頭検査は2001年からであり、その間として見るなら、8年を経たことになる。
 BSE対策における、実質的な食の安全性への遅滞は、あたかも国民の健康よりも、食肉業界を考慮したかのように見えないこともないが、あるいはこれには別の視点も成り立つかもしれない。手短に言えば、BSEのリスクは、適切な対応採るなら、そもそも高くはないという視点である。
 イギリスを除いたBSE発生の統計として、"OIE - World animal health situation - No. of reported cases of BSE worldwide"(参照)があるが、これを見ても明らかなように、BSEの発生件数は近年激減しており、その理由はOIEのリスク管理指針の正しさを結果的に示している。一部では、天然痘を人類が制圧したように、BSEも正しい科学的なリスク管理によって制圧されたと見る向きもあるが、実際の統計からは理解できる。

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