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2009.05.09

[書評]優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか(米本昌平、橳島次郎、松原洋子、市野川容孝)

 私は優生学というものにそれほど関心を持ったことはなく、よって、浅薄な見解しか持ち合わせていない。単純に人間の選別に加担する間違った医学であり、ナチスのホロコーストにもつながる間違った思想なのだろう、というくらいの認識しかなかった。

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優生学と人間社会
生命科学の世紀は
どこへ向かうのか
 本書「優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか(米本昌平、橳島次郎、松原洋子、市野川容孝)」(参照)はその程度の「認識」を踏まえ、それに対置した形で議論が緻密に描かれている。しかも、読みやすく、そして啓発的だった。
 とはいえ、この啓発の意味合いをどうとらえてよいかという問題は残った。率直に言うと、本書の見解はどことなく「歴史修正主義」といった思考の圏内に近い印象もあったからだ。あるいは、「ホロコースト ― ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌(芝健介)」(参照)にまとめられている機能派的な歴史研究のように、現代的な歴史水準というだけなのかもしれない。率直なところどう考えてよいのかはわからない。
 本書のあとがきによれば、「新書という限られた紙面の中に、二〇世紀の優生学史の俯瞰図を描くことは冒険であったが、これまでの優生学論とは違う、世界的にも類書のない本ができたとひそかに自負している」とある。通常ならそれだけでもトンデモ本の兆候とも言えないでもないが、著者達の自負とは異なり、参考文献を見れば、すでにこの領域の議論が西欧においてかなりの蓄積があることがわかるし、本書の記述からもその蓄積は読み取れる。気になるとすれば、本書の刊行である2000年以降、この問題はどうなったのか、またこの書籍はどういう評価になったかだ。アマゾンの素人評では高いようではあるが、思想の世界での評価などは私は知らない。
 本書はまた、ある意味盛りだくさんな内容と示唆に富んでいるので、読み取る側面によって受容もまた多様だろう。共著となったことにあわせて、あとがきによると、「この本の出発点となった当初の企画は、最先端の医療技術をわかりやすく解説し、その倫理的な問題を考える本というものであった」としているが、その原初の意図はできあがった本書全体からも伺われる。この本はその基礎となるべき優生学の史的な再考を主眼とすることになっているからだ。
 このモチーフが明瞭になるのは、次のような認識によるもののようだ。60年代の科学とイデオロギーの相剋、70年代移行の生命操作といった時代の問題を背景に、ナチス優生政策が「否定的に再発見された」として、

 しかしこの時点での批判の多くは、危機を例として、ナチスの優生政策や人種政策を列挙するにとどまらざるをえなかった。ナチス優生政策の実証研究が本格化するのは、八〇年代以降である。一九八〇年五月、ベルリンで開かれたドイツ健保学会は、それまでの重い重いタブーを打ち破って「ナチス医学、タブーの過去か不可避の伝統か」というシンポジウムを敢行し、これによって本格的な実証研究への突破口が開かれた。
 このような歴史的な事情をとりわけ力説するのは、ナチズム=優生社会=巨悪という広く流布している図式の下で優生学を語ることからいったん離脱すべきだ、と考えるからである。この解釈図式にどっぷりつかっているかぎり、優生学的言説はすべて、歴史的な流れとは無関係に、ナチス優生学を頂点とする悪の階位表のなかに配列されてしまう。そしてそのことは、現在われわれが直面する問題を正確に把握しようとするとき、かえって有害とすらなるようにもみられるからである。

 では、ナチズムと優生学とは、どのような、歴史的・実証的に見て、関係にあったのか。第一次大戦後の世界の動向に触れたのち、

 ところで、優生学に対する最大の誤解は、優生学は極右の学問であるというものである。歴史の現実はこれとは逆で、本書でもしばしばふれるように、この時代、多くの社会主義者や自由主義者が、優生学は社会改革に合理的基礎を与えてくれるものと期待した。

 このあたりの史実の詳細が本書において非常に興味深い。

「優生学」という言葉を聞いて、すぐにヒトラーとかナチスのことを思い浮かべる人は、読者の中にもきっと多いだろう。確かに、ナチス政府が一九三〇年代に開始した優生政策は、その規模、その暴力性において、歴史上、例を見ないものだった。しかしながら、優生学をヒトラーとナチスにだけ閉じ込めて理解するならば、歴史的事実の多くを逆に見落とすことになる。ドイツでは、ナチス以前のワイマール共和国の時代に、優生政策の素地が徐々に形成されていった。北欧のデンマークでは、ナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、またスウェーデンでも、最近の問題となったように、実質的には強制と言える、優生学的な不妊手術が一九三〇年代以降、五〇年代に至るまで実施されていた。ワイマール期のドイツと三〇年代の北欧諸国に共通するものは、福祉国家の形成ということである。

 科学的な合理主義、社会主義、福祉国家という近代化の滑らかな運動が国家を超えて優生学として浸透していったというのが実態だった。特に福祉国家の名のもとに人の生命を国家に帰属させることが何をもたらしていくのか、さらに、反戦平和主義ですら優生学に寄り添ってプロセスなど、具体的な史実の解明は本書においてスリリングなところだ。皮肉にもと言ってよいのかわからないが、この動向に当時対抗しえたのは、フランスの個人主義的な傾向と、カトリックの古風な倫理でしかなかったことは、奇妙な反省のようなものを現代人に強いるだろう。
 優生学はナチスで発生したものでなく、ナチスがその大きな動向の浸潤の中にあったとして、では、ナチズムと優生学はどのような関係にあるのか? ここでまた本書の提起は驚くべきものがある。

 ナチズムには、相互にはっきり分かれる二つの地層がある。一つは、ユダヤ人その他に対する人種差別と政治的迫害の層であり、もう一つは強制不妊手術や安楽死をもたらした優生政策の層である。

 本書ではこの二層を史実から分離していく。まず、「確かに、この二つの地層はヒトラーという人物の下で緊密に重なり合っていた」とするのは、意図派的な言明ともいえるかもしれないが、こう続く。

障害者の安楽死で生み出された大量殺害の方法が、アウシュビッツその他の強制収容所で応用されたという事実もある。また、強制不妊手術や安楽死計画の被害者に対する戦後補償を求めて活動した人びとも、それを何とか実現させる一つの政治的な工夫として、ナチスの断種法と安楽死計画が、人種差別その他の犯罪行為と同じく、ナチス固有の不正であると主張してきた。

 本書ではそれを分化していく。

本書全体が明らかにするように、人種差別にもとづくユダヤ人の大量虐殺や、残忍な政治的迫害がないような国でも、ナチスと類似した優生政策は実施されていた。そうした歴史的事実をきちんと認識するためにも、二つの地層の違いに留意することは重要である。


 往々にして、優生学、安楽死計画、そしてホロコーストは、ナチスという悪のメルティング・ポットの中で十把一絡げに論じられる。しかし、優生学の論理は安楽死計画のそれから、また安楽死計画の論理はホロコーストのそれから、それぞれ微妙に異なっている。

 安楽死計画はフランスにおいても検討されていたし、民族への優劣も議論されていた。しかし、民族主義と優生学にも亀裂がある。フランスの極右とされる国民戦線を取り上げ、

 だがその国民戦線の最も過激な主張の中にも、三〇年代の古典的優生政策と同等視できるような政策プログラムは見当たらない。民族には優劣があると公言はするが(それだけでも、フランス共和国の普遍的人権の価値に反するから、まともな市民はしてはいけないことだとされている)、実際に求めるのは、若干の移民制限と、雇用・福祉・文化などの社会政策をフランス人優先にせよという程度である。これは、人道に対する罪と優生政策禁止の立法の効力とは考えられない。国民戦線の活動はこれらの立法のはるか前からあったからだ。やはり民族主義と優生学は本来別のものなのだろう。

 ここで言う民族主義は国家主義と結びつく、いわゆるナショナリズムと見てもよいだろうが、それはやはり優生学の運動とは異なるものだ。
 こうして優生学の歴史を振り返ることで、本書は現代的な生命医学の倫理問題の基礎を構築していくのだが、同時に、優生学的な部分と分離した上で、ではナチズムとはなんであったか、ホロコーストとはなんであったか、ということが陰画的にも問われるようになっている。
 本書で示される歴史のディテールは、一般的な医学史に関心をもつ人も興味深い。私は次の箇所ではっとした。

 ドイツで優生学(人種衛生学)が学問として形を整えはじめるのは、一九世紀後半である。それは近代医学を大きく前進させた細菌学の交流と、時期的にほぼ重なっている。いや正確には、優生学は細菌学を真後ろから追いかけるかたちで登場してくるのである。

 本書では細菌学の限界から、病原としての遺伝的な関心に移ることで、優生学的な動向を見ていこうとしている。だが、私がはっとしたのは、同時にこの時期に栄養学が発生してくることだ。
 粗っぽい言い方をすれば、栄養学とは皆兵としての国民の健康の学であり、優生学と似たなにかの精神的な軸上にある。と同時に、細菌学から優生学または栄養学に変化していく動向のなかで、陰画的に真菌学があたかも意図的に忘れ去られた。

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2009.05.08

[書評]プーチンと柔道の心(V・プーチン他)

 「プーチンと柔道の心」(参照)は、2003年ロシアの出版社オルマ・プレスから刊行された、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、ワシーリー・ボリソヴィッチ・シェスタコフ、アレクセイ・グリゴリエヴィチ・レヴィツキーの三名共著による「プーチンと学ぶ柔道」を元に、山下泰裕と小林和男が日本向けに編集した本だ。

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プーチンと柔道の心
 オリジナルは、べたに柔道の入門書だが、日本版は、柔道の基本事項をイラスト付きで説明している部分も掲載されているものの、あきらかに著者の一人、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、つまり、ロシアのプーチン元大統領、つまりロシアのプーチン首相に焦点を当てている。そうした視点からすれば、小林和男元NHKモスクワ支局長のインタビューが面白い。というか、私は朝のNHKラジオで作新学院小林特任教授の話を聞くのが好きで、この本もそれで知った。
 この本は、だから当然NHKから出るものだと思っていた。もう随分前のエントリになるが、「極東ブログ: [書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)」(参照)で触れた同書もNHK関連の出版であった。が、本書は朝日新聞出版だった。どういういきさつなのかよくわからない。朝日新聞のほうではよってよいしょ記事「プーチン首相柔道本刊行、山下泰裕さんも感心の練習法」(参照)が上がっていた。

 柔道・講道館六段の腕前を持つロシアのウラジーミル・プーチン首相(56)の著書をもとに編集された「プーチンと柔道の心」(朝日新聞出版)が刊行された。親交が深く、編集に携わった山下泰裕さん(51)は「クールな首相とはずいぶん違う素顔がよくわかる」と話している。


 山下さんは「首相は国益が大事で冷静だけど、体の中には温かい血が流れていると感じる。日本が抱くイメージとは違って、ロシア人は気さくで人情味がある。この本を通じて正しい認識を持ってもらえれば」と話す。プーチン首相は11日に来日予定。山下さんはその際、この本を手渡すつもりだという

 私も本書でプーチン首相の素顔というか人間性がよくわかった。プーチン・ファンにはたまらないというか、いや、当たり前のプーチン首相像に過ぎないかもしれないが。興味深いエピソードはあとで触れたい。

 今回は元NHKモスクワ支局長の小林和男さん(69)によるインタビューも収録された。プーチン氏は「私は子供のころ不良だった。柔道と出会っていなかったらどうなっていたかわからない」と明かし、「柔道は相手への敬意を養う。単なるスポーツではなく、哲学でもあると思うのです」と持論を述べている。

 小林は当然舞い上がっているのだが、それなりに微妙な味わいもあった。小林はインタビューの際、当時大統領のプーチンに連れられてその道場に向かう。本書より。

 木立の中を二人で共通の趣味のスキーなどについて話しながら二〇〇メートルほど行くと、そこに真新しい煉瓦の建物が現れた。それが道場だと言う。促されて中に入るとまず目に入ったのが見事な等身大のブロンズの座像だ。柔道を知らない私にもこれが嘉納治五郎だとわかる。


 座像の横が道場への入り口になっている。大統領に促されて道場に入り、私は恥をさらした。プーチン大統領は入り口でぴしっと立ち、礼をしてから入ったのだ。

 日本人小林がすたすたと道場に入るとき、プーチンは嘉納治五郎の像に一礼してから入ったのだった。この会話の前に、プーチンはこう語っていた。

 礼とは、伝統に対する敬意でもあると思います。柔道は世界的なスポーツになりましたが、それは勇敢なスポーツだからというだけではなくて、何世紀もの伝統を守っているからでもあると思います。日本文化の伝統です。それが柔道の大きな魅力だと私は思います。今の世界はグローバル化の中で国や人の交流が進み、それぞれの利益だけではなく、お互いの利益も絡み合っています。そういう状況下では文化的な伝統という要素が大切になってくると思います。そういう意味で、礼とは伝統と柔道に対する敬意だと思います。同時に、相手に対する敬意でもあります。

 この言葉が言葉として浮いていないのは、きちんと実践もしているということだ。さらに、小林が引き出した次のエピソードは、私は沖縄にいたとき報道では見たものの、今になって考えさせられるものがあった。

---沖縄訪問のときには形を披露されました。そのとき中学生から背負い投げをされました。ロシアの人たちの中にはテレビでそのシーンを見て、大統領が子供に投げられたのは屈辱的だと言う人もいましたが、大統領は何も弁明も説明もしませんでした。なぜですか。
プーチン 情報は徐々に自然な形で伝えなければならないということもありますが、説明が不要なこともあります。あのときの日本の中学生との柔道の稽古については、日本の皆さんにはわかっていただけると思います。畳の上では、というよりスポーツの場では、上下関係というものはありません。誰もが平等です。それに畳の上では、お互いに平等だというだけではなく、お互いに敬意を払わなければなりません。そして、相手に対する敬意を表す一番の方法は、相手が得意なことをする機会を与えるということなのです。

 たぶん、プーチンという人は、それになんの嘘も偽りもないのだろうと思う。そう思うしかないことで、なにかぞっとするものもある。
 本書で小林はプーチンに柔道を教えたアナトーリー・ラフリン先生のインタビューも収録しているが、これがまた心を打つ話だった。端的にいえば、これだけの教育者がロシアにはいるのだと圧倒される。ラフリン先生は日本の柔道をこう見ている。

 日本の柔道は最上だと思います。学ぶ組織を持っているために常に向上のシステムができていると思います。韓国の柔道は急速に進歩していますが、日本のやり方を徹底的に学びました。ロシアもフランスも強いが、私は、フランスの柔道はおもしろいが好きではありません。なぜなら、フランスの柔道は勝つための柔道で、立つ位置も姿勢も奇襲攻撃的で気まぐれで予想がつかない。日本の選手は堂々と形を踏まえて勇敢に闘おうとします。日本の柔道はより男性的です。国民的ですね。
 われわれはこんな言い方をします。「ルールには勝ったがスポーツには負けた」とね。

 ロシアでは本書のオリジナルを元にDVDが出たそうで、プーチン自身の柔道が収録されている。基本といえば基本だが、ラフリン先生の大切にする美学が出ているなと、私のようなド素人でもわかる。


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2009.05.05

こどもの日でそういえば「ねーねー」がいないなと思った

 ブログも長くやっているので毎年巡ってくる旗日とかの話はさすがに書かなくなったが、今朝の新聞社説を読むと世間の話題がないせいか「こどもの日」の話が多い。読みながら、沖縄から本土に戻ってというもの「ねーねー」という声を聞かなくなったなと思った。さみしいものだ。あの声がないから本土は少子化なんじゃないかとも思った。いや、なんとなく思っただけの話なんだけど。
 「ねーねー」というのは、「姉(あね)」の「ね」を繰り返したもので、星飛雄馬の口癖ではないが「ねーちゃん、ねーちゃん」の意味だ。パンダの名前のようだが、兄なら「にーにー」である。
 「ねーねー」は実の姉を指すとは限らない。年上の女性はみんな「ねーねー」である。就学前児童が、ティーンエージの少女に「ねーねー」と呼びかけているのを聞くことが多かった。沖縄の少女たちは概ね、小さい子どものへの面倒見がよく、呼びかける子どももそれを知っているから「ねーねー」が繰り返される。
 ねーねーたちの面倒見の良さは自然だ。たとえば、私なんぞナイチャーが小さい子どもを連れてコンビニに行く。子どもはさっと駄菓子を掴む。騒ぐ前に買ってやるかなと子どもに視線を投げる。子どもは起動する。レジにはねーねーがいる。にこっと笑って子どもが差し出す駄菓子に、封用のテープを小さくちぎって貼る。これはもう買ってくれるものだから手に持っていていいよということである。これがさらっと自然に流れて、ねーねーの笑顔は支払いの私のほうに残される。ほぉ、沖縄というのはそういうところかと思ったものだ。
 が、本土に戻ってコンビニにいる子どもの仕草と店員の対応を見ていてもテープを貼るというのはやっていた。別段、沖縄だけの風習でもなかったようだ。もちろん店員の少女も人によってはにっこりしている。ただ、沖縄のほうがなんか普通に自然に流れていたなとは思うし、ねーねーの笑顔に合うチャンスは本土だと少ない。ああいうもんが生活環境にないと、子どもっていうのはうまく育たないのではないかと少し思った。
 沖縄は本土の諸県に比べると出生率が高いが、ずばぬけてということもなくフランスにも及ばない。沖縄も少子化といえば少子化なのだが、「ねーねー」の声はよく聞く。私が転々としたのが沖縄の田舎だったせいもあるかもしれないが、地域の子どもたちは地域の子ども集団に所属していた。その他、沖縄ではなにかと親族が集まる行事が多く、そうなると子どもがわいわいと駆け巡ることになり、ねーねーたちはそのベビーシッティング担当に、自然になる。数年後、ねーねーはお母さんになる(そして離婚することも多いのだけど)。
 「ねーねー」は少女を指すだけではない。おばさんとおばさんが二人いるとする。すると、片方のおばさんはもう一方に「ねーねー」と呼びかけている。おばあさんが二人いても同じだ。ほぉと思った。子どものころからの関係がずっと続いているだけかもしれない。
 聖書とか読んでいると「兄弟姉妹」が一つの連帯のキーワードになっている。外国の小説を読んでいると、「おお、姉妹」と親密に呼びかけるシーンもある。そういえば物見の塔の集会後の電車に間違って乗ってしまったときも、「兄弟」や「姉妹」という言葉が飛び交っていた。違和感。

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美ら歌よ
沖縄ネーネー・コレクション

しゃかり, 仲田まさえ
内里美香, 桑江知子
首里フジコ, ふぁーな
夏川りみ, おおたか静流
普天間かおり, 神谷千尋
 ブラザーフッドとかいうのは、あの「にーにー」「ねーねー」の世界なんだろうし、少子化ではない世界というのはそうものなんだろう。日本の出生率をいかに上げるとか熱心な論者もいるが、「ねーねー」の声が飛び交う世界をどこまで想像できているのかなとは思う。

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2009.05.04

アジアで初の共和国は台湾民主国ではないのかな

 NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」に私は関心がなく一回目は見なかった。二回目は「天皇と憲法」(参照)という標題なので、どうせまたつまらないお話かと、スルーするつもりでいたが、番組紹介では大日本帝国憲法の話になるとのことで、新研究の成果でもあるかなとちょっと期待して見た。

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台湾
四百年の歴史と展望
伊藤潔
 はずれ。率直な印象をいうと、新味がないな、レベル低いなというもので、高校生向けの教育放送の歴史講座のほうがまだましなのではないかと思った。ついでに言うと、論客三名の人選にも問題があったと思う。総じて、安っぽい作りの番組だなとは思った。が、特に、あれは違っているとか批判というものでもない。こんなものでしょ。
 一つ気になったといえば気になったのは、正確な文言は忘れたが、アジアの近代史関連で、中華民国をアジアで最初の共和国としていた点だった。そう言って間違いでもないので目くじらを立てるものではないが、もしかしたらそれに先行するアジアの共和国の試みを番組側とか論客さんも知らないのかもしれないなと思った。
 アジアで最初の共和国というネタなら蝦夷共和国(参照)というのがあるが、この名称からして英国公使館書記官アダムズによる後の命名であり、ネタという以上のものはないだろう。
 あとフィリピンが微妙。1898年の米西戦争で共和国の独立を宣言をしているが、翌年のパリ条約で統治権は米国に移り、その後続く米比戦争(参照)による60万人もの虐殺の上に一応消えてしまった。
 NHKが言うところのアジアで最初の共和国とやらの中華民国は孫文の臨時大総統就任とすると1912年だが、中華民国の国慶節、つまり、双十節で見ると、1911年10月10日になるが、まだ清朝はある。この中華民国だが、国名を見てもわかるように、台湾である。中華人民共和国も孫文による中華民国を継承しているということで、まあ、簡単にいうと、めんどさくい。ただ、中共(中華人民共和国)の国慶節は双十節ではなく、10月1日つまり1949年を取っているので、歴史的な中華民国を継承しているといえるか、よくわからん。とはいえ、将来的に台湾が独立すればこのあたりの歴史がどの国家に所属するかは儀礼的には決まるだろうが、アジア近代史というのは滑らかな浸潤の上にあるのが実相でもある。
 フィリピンの第一共和国をどう見るかというのと似ているといえば似ているのだが、史実を見ていくとさらに先行して台湾に共和国ができている。と、ここでべたにウィキペディアなんぞを引くと台湾共和国(参照)という不思議なものが出てくるが、いちおうアジアの近代史の歴史の視点からはとりあえず外してもよいだろう。問題は、台湾民主国(参照)のほうだ。これは、唐景崧を大統領(総統)とする共和国である。
 日清戦争後の下関条約で清朝は化外の地である台湾及び澎湖諸島を日本に割譲したが、現地の住民の民意によるものではなく、住民および清朝官僚が中心となり、フランスの支援を期待し、1895年5月23日に台湾民主国の独立宣言をしている。日本はこれを認めず、乙未戦争(参照)となる。5月29日澳底に上陸、6月3日には基隆を占拠し、台北に至っては事実上無血開城的に推移した。台湾を日本領と日本が宣言したのは6月17日で、この日は統治下でその後も「始政記念日」となるのだが、この会場が台湾公会堂でその後中山堂になる。
 が、これで台湾民主国が消滅したのではなく、乙未戦争として見れば、清仏戦争の英雄、劉永福を大統領とした第二代台湾民主国と台南でも戦闘は続き、11月に終結した。台湾民衆の虐殺者は1万4千人と推定されている。
 アジア初の共和国の候補でもある台湾民主国は148日間で消滅したこともあり、NHK史観のように、あるいは中共史観ともいうのかよくわからないが、大局的には無視してもよいものなのか、私にはよくわからない。台湾がこのまま中共に併合されれば、日本による中国支配の歴史の挿話とはなるのだけど、その挿話の枠はたぶん中共による台湾併合を合理化するものになるかもしれない。

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2009.05.03

愛のお師匠様

 書くと与太話になること必定なんで、ちとためらうものがあるにはあるけど、あれですよ、いやあれ、あれだってば、その「Master of Love and Mercy」(参照)、「愛と慈悲のお師匠様」、といえば釈証厳(参照)……ちがった、「Masters of Sex and Love」(参照)、「性と愛のお師匠様たち」のほうだ。副題はこう「The Life and Times of William Masters and Virginia Johnson, the Couple Who Taught America How to Love」、つまり、「アメリカに愛の手法を指南したウィリアム・マスターズとバージニア・ジョンソンの生涯と時代」ということ。

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Masters of Sex and Love:
The Life and Times of
William Masters and
Virginia Johnson,
the Couple Who Taught
America How to Love
(Thomas Maier)
 ぶっちゃけ、マスターズ&ジョンソン、である、と言って通じるのは団塊世代か、あるいはその下の世代の、ちょっとおませなポスト団塊世代、オレオレ。ドクトル・チエコのお説教聞いたり、奈良林祥先生の畢生の名作「HOW TO SEX」(参照)を読んでいた、おい、そこの中学二年生は、オレです。
 チエコ先生も奈良林先生もマスターズ&ジョンソンとは違って、中絶の多い当時の日本に心を痛めてその道に、ずんっ、と進んでいかれたわけで、金明觀先生とは出発点が違うというか、そういえば奈良林先生の「性の青春記―わたしのイタ・セクスアリス」(参照)を読むと心を無にして邪心なく俳句に邁進する青春の姿があったが、どうでもいいけど、この古書プレミアムか。実家の書庫にあるかな(他の本と合わせて、恥ずかしいので捨てた気がする)。
 話を戻すとマスターズ&ジョンソンだが、私は直接的には知らない。ただ時代の流れとしては当然知っていた。プレ団塊世代の話と言ってよいかもしれない。団塊世代の大騒ぎになると、ライヒやマルクーゼとかになっていくのだけど、それはさておき、というか、そんなふうに、マスターズ&ジョンソンも60年代を過ぎたころには古びていたのではないか、とか思っていた。それはそうだが、4月に出たばかりの「Masters of Sex and Love」は、なかなか興味深い話題を提供しているようだ。まだ、翻訳はない。どっかから出るのでしょうか。黒鳥の翻訳も出たし、翻訳あるなら読んでみたいです。
 話を知ったのは日本版ニューズウィークの「オーガズム研究者の意外な遺産」記事からで、毎度ながらオリジナルは無料で読める。「Sexual Masters of the Universe: What We've Learned from the Roots of Sex Research」(参照)がそれ。
 お恥ずかしながら、まじ知的に恥ずかしいのだが、マスターズ&ジョンソンのジョンソンがマスターズと「結婚」していたのは知らなかった。マスターズ&ジョンソンというふうになっているので気がつかなかった。

第二次世界大戦後最大のセックス研究の中心人物として、マスターズは性行動の探求に40年を費やした。

 ちょっと引用を端折る。ちなみに日本版の記事は原文と違いますよ、かなり。
 で、お二人様、ご研究もお二人でやっていたらしい。そのあたりも驚くけど。

その後、2人の「課外研究」は10年以上、さらに71年の結婚後22年続いたものの、「精神的なつながりは皆無だった」とジョンソンは告白している。
 要するに、76歳になって突然ジョンソンと離婚し夫を亡くしたブロンドの女性と再婚したとき、マスターズは決して血迷ったわけではなかったということだ。

 そういえば最近に似たような話を読んだが、なんの本だったか乱読で頭が整理できてないな。いずれにせよ、お二人はそういう関係だった。
 ニューズウィークの記事はそれからちょっと話の方向が変わり、ようするにいわゆる戦後の性の解放がもたらしたものは、愛の不毛だったようだとしている。桐島かれんのおっかさんが書いた「淋しいアメリカ人」(参照)を彷彿とさせるというか。

だが誰より不幸なのは、「セックスと愛を長年切り離していた」という研究者のジョンソンかもしれない。
 性の解放を探求した人々はやがて妻や夫を見つけて伝統的な男女関係に収まった。しかしジョンソンは3回の離婚を重ね、最後は老人ホームで「マスターズ」の姓を名乗りながら、かつてのパートナーへの恨み節を洩らすのだ。

Saddest of all, though, may be Virginia Johnson, who, as Maier writes, had "long separated [sex] ... from love." While many of her fellow explorers ultimately gravitated toward traditional relationships - the Bullaros married other people, Braddock rode off with the younger Robinson, and Hugh Hefner's first ladies, Barbi Benton and Karen Christy, went in search of real husbands - we last see the thrice-divorced Johnson cursing her former partner from the confines of a nursing home, where, as if to acknowledge a past that never was, she now goes by the name Mary Masters.


 ジョンソンの悲劇はさておき、こうした傾向が米国の80年代の保守化の流れになったという話もあり、そういうもんかねとは思った。
 日本の場合、団塊の世代の性意識は全体としてみれば古い。こういうとなんだが普通に恋愛結婚が少ない世代だった。反面、後楽園球場で100人の女性が平凡パンチ Oh! ……みたいな阿呆なネタもあったものだった。
 団塊世代が終わった後の私の世代は、しょぼーん、である。性的にはよくわからない。ただ、ようやく生活の線上で「愛」が問われる時代になった。私の世代の次の新人類世代で性や愛がどうなったのか、率直にいうと私にはよくわからない。メディア的にはだいぶお盛んなご様子かとも思ったが、どうもそのあたりから性の焼肉定食化は進んでいたのかもしれない。

At the height of his fame, Bill Masters admitted, "I haven't the vaguest idea … what love is." Despite his discoveries - and the decades of erotic exploration that followed - we still aren't sure. But we have a better idea of what it isn't.

 「愛」というのは難しい問題という、当たり前な、あるいはヘンテコな問いだけが残されたとはいえるのだろう。いや、これは相当に深刻な問題なんだろうなとは思う。

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