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2009.04.25

[書評]コークの味は国ごとに違うべきか(パンカジ・ゲマワット)

 グローバル化する世界、あるいはフラット化する世界と言われるなか、実際の世界で現実に進行しているのは”セミ・グローバリゼーション”、つまり部分的なグローバル化である。”セミ”(部分的)という部分に着目するなら、グローバリゼーションとしての世界理解や経営戦略は端的に失敗しているし、今後も失敗するだろう。”セミ・グローバリゼーション”という現実の動向を理解しなければ国際企業も、また実際には”セミ”の部分で対応が迫られるローカルな企業も、未来において生存できない。

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コークの味は
国ごとに違うべきか
パンカジ・ゲマワット
 世界動向を見据えようとする思索はしばしば大局的なビジョンをシンプルに掲げることが多いし、そのようにシンプルに書かれた書籍は通俗啓発書のように理解しやすいものだが、現実からは乖離してしまう。経済活動に限らない。文化面でも「日本語が亡びるとき(水村美苗)」(参照)も同じような陥穽にあるように見える。世界の現実は、非常に込み入った”セミ・グローバリゼーション”と呼べる状況と展望にあり、その複雑性こを知力と理解を必要とするものだ。その意味で、「コークの味は国ごとに違うべきか(パンカジ・ゲマワット)」(参照)は非常に示唆深く、そして丹念な考察を提供している。大言壮語になってはいけないが、本書の内容が一般の書籍として出版されず、個別の企業に特化した形の追記が含まれるなら、おそらく数百万円という価格がついても不思議ではないだろう。
 オリジナルは「Redefining Global Strategy: Crossing Borders in A World Where Differences Still Matter(Pankaj Ghemawat)」(参照)で、直訳すれば「国際戦略の再定義:地域差が依然重要な世界における国際化」とでもなるだろう。邦題とは変わったお堅い表現だし、実際、本書はゲマワット博士による講義録をまとめたものであり、内容的にも大学から大学院レベルだろう。経済学を学んだ人、あるいは「極東ブログ: [書評]出社が楽しい経済学(吉本佳生, NHK「出社が楽しい経済学」制作班)」(参照)でも扱われている基本概念「裁定(Arbitrage)」なども知っていると読みが深くなる。
 とはいえ、経済学の「裁定」の知識がない人でも読めるように本書は丹念な解説として書かれているし、通常のビジネス書を超える内容を持つとはいえ、一般的な読者でも読めるように最善の配慮がされている。大胆ともいえる邦題の「コークの味は国ごとに違うべきか」だが、その配慮の延長としてみるなら適切でもあるといえる。各章題も変更されているが、むしろ本書を読み進める補助となっている成功例だろう。
 本書への切り口だが、この邦題の問い掛けから読み始めてもよいだろう。「コークの味は国ごとに違うべきか?」 どうだろうか? 資料と経緯を知らなければ様々な議論が成り立つ。逆に資料と経緯を知っているなら、ここからゲマワットが導いた以外の結論は難しいだろう。あたかもモーフィーの棋譜を読むような明快さがある。
 具体的に近年のコカコーラの国際展開だが、当初は単純なグローバリズム志向があり、その失敗から「グローバルに考え、ローカルに行動」というローカル重視の志向に変化していた。私は恥ずかしいことだが、そこがこの問題の事実上の解答であると思い込んでいたので、ゲマワットがそれを否定してく議論は非常に啓発的なものとなった。なかでも「グローバルに考え、ローカルに行動」というのは、場合によっては最悪の戦略になりうる。種明かしのような説明を読めば明白だが、これこそ”セミ・グローバリゼーション”とはまったく異なるものだった。
 では”セミ・グローバリゼーション”のソリューションとはなにかだが、これは一言でまとめられるものではなく詳細な分析を要するもので、その詳細説明について、本書では各種有益なフレームワークが提供されている。このあたり、レポートなら数百万円といった印象を与えるところだ。
 もっとも普通の読書として、本書に紹介されているエピソードだけ取り上げても興味深いものがある。コカコーラについては、なぜあの缶コーヒーが「ジョージア」なのか、という噂や、アトランタで開催される「コカ・コーラ世界の味」展示会で日本やその他の現地製品を試飲した米国人がその場で吐き出すという話も興味深い。
 後半にあるトヨタの例については、日本の読者なら違和感があるかもしれない。”セミ・グローバリゼーション”の成功例として解説されているが、解説の水準としては正しいとしても(集約Aggregationの例となっている)、トヨタが苦戦する現下の状況から見るといろいろ別の視点も必要だろう。
 総じて、本書のオリジナルは今となっては世界不況前の2007年9月に出版されたこともあり、その後に激変した世界の動向は明白には織り込まれていない。そのあたりで、私も読み始める前にいまさらこんな考察を読んでもしかたがないのではないかという懸念があった。が、読後の私の印象では逆で、現在の世界経済の状況はむしろ、”セミ・グローバリゼーション”の”セミ”の部分を強化していくだろうし、その詳細な議論は複雑化するように見える世界経済の動向理解の鍵を多く与えてくれるだろう。
 ゲマワットの考察は事実ベースという点で非常な強みがあり、かつ緻密な考察なので、漠とした異論を寄せ付けない印象があるが、私というローカルな状況に置かれた地点から見ると、グローバル化における文化というのは、差異の要因というより、それ自体に錯綜した複数のグローバル化の動向があるようにも思えた。これはサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(参照)というような対立の多元性というより、やや妄想的になるが日本文明のグローバリズムというものの予感だ。
 グローバリズムと呼ばれる運動は暗黙に西欧近代化の動向が示唆されているのだが、この対抗的に新興国では日本文明型グローバリズムとでもいうような別の普遍化はないだろうか。卑近な例では、ポケモンのようなアニメ文化や寿司といった食の文化などもその一端だろうし、中国の統制経済は巨大な日本昭和時代の模倣ではないかといったものだ。あまり深刻に考えるというものではないが、日本文明、しかもその近代化に含まれるグローバルな側面と、西欧近代化的なグローバル性とのある棲み分けのようなものが”セミ・グローバリゼーション”の”セミ”を構成しているのではないだろうかとも思えた。

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2009.04.24

とある酔漢のこと

 昨日夕方雑談のおり、SMAPの草彅剛ってなんかとんでもない事件でもしでかしたのと聞かれたので、たいしたことはないよと答え、NHKの7時のニュースにも出ないんじゃないかなと答えた。まったく逆だった。いきなりトップニュースだった。しかもニュースも10分以上占めていたのではないかな。なんだか、ニュースハイジャックといった雰囲気で驚いた。これって、NHKがお茶の間に届ける重大ニュースなのか? どうなっちゃったんだ?
 というわけで、ちょっと擁護的なエントリでも書こうかなと思っていたところ、別の人の雑談で、いやすでに民放だと擁護論がいっぱいあるよと言われた。へぇ。民放もたまには見たらとも。たまには仮面ライダー、ディケイドとかケロロ軍曹とか見ているけど、民放の報道番組って見ないからな。
 世論的にはどうなんだろ。普通に考えたら、この事件、昭和な法律「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」(参照)が適用されるはずだ。


第三条  警察官は、酩酊者が、道路、公園、駅、興行場、飲食店その他の公共の場所又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機その他の公共の乗物(以下「公共の場所又は乗物」という。)において、粗野又は乱暴な言動をしている場合において、当該酩酊者の言動、その酔いの程度及び周囲の状況等に照らして、本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由があると認められるときは、とりあえず救護施設、警察署等の保護するのに適当な場所に、これを保護しなければならない。

 つまり、「本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由がある」と思う。「シンゴー」がいたらわかってもらえたかもしれない。いずれにせよ、警察がやるべきことは保護ではないかと思うが、この法律は適用されず、公然わいせつの疑いとなった。
 なので、引き取りも議論されなかったようだ。

2  前項の措置をとつた場合においては、警察官は、できるだけすみやかに、当該酩酊者の親族、知人その他の関係者(以下「親族等」という。)にこれを通知し、その者の引取方について必要な手配をしなければならない。

 それどころか、草彅容疑者の自宅が捜索された。なんでそこまでと思うが、実際にはおそらく話の組み立て方が逆で、最初から警察は麻薬常用の疑念を持っていたのではないだろうか。毎日新聞記事「草なぎ剛容疑者:「地デジ」広報、作り直し CM中止相次ぐ」(参照)では。

 また同署は23日夕、現場近くの草なぎ容疑者の自宅を同容疑で約30分間にわたり、家宅捜索した。押収物はなかったという。尿検査も行ったが、薬物反応はなかったという。同署幹部は捜索の理由について「事件の動機や経緯を裏付けるため」と説明している。

 ブログにありがちな与太話をすると、警察は当初の予測がはずれ、法律が定めるところの保護義務を怠ったと非難されるのがいやだから、公然わいせつの疑いにしちゃえというのはありうるだろうか。もっとブログにありがちな与太話にすると、薬物疑惑を払拭するための裸一貫の大芝居だったとか……ねーよ。
 同記事では「草なぎ容疑者をCMに起用していた企業や団体は23日、相次いで放送取りやめや自粛を決めた」としてその社会的な影響に触れているが、これは株にも影響した。読売新聞記事「草なぎショック…東証の関連銘柄が軒並みダウン」(参照)より。

 草なぎ容疑者が主役を演じる映画を9月に公開予定の東宝(東証1部)の株価は、前日終値比で一時3・6%安の1327円に下落した。このほか、SMAPのCDなどを発売しているレコード会社「ビクターエンタテインメント」を傘下に抱えるJVC・ケンウッド・ホールディングス(東証1部)の株価も午前中に急落、一時は8・3%安の55円まで値下がりした。

 与太話を続ける気はないけど、マスメディアのバカ騒ぎの度合いによっては株価も操作可能だったかもしれないなと……ねーよ。
 個人的には、34歳の独身男の奇行かあとは思った。それと個人的には酒の趣味がよくないなあとも思った。毎日新聞記事「草なぎ容疑者:泥酔、知人2人と赤坂ではしご、6時間」(参照)より。

 同署の調べでは、草なぎ容疑者は22日午後8時ごろ、仕事関係者の男性と知人女性の3人で同区赤坂の居酒屋に入店。ビールや焼酎を飲み、午前1時ごろに店を出た。さらに3人で近くの別の居酒屋に入り約1時間、酒を飲んだという。
 午前2時ごろ店を出て男性と別れ、現場の公園まで知人女性と2人で歩いた。同20分ごろに公園前で女性と別れた後は1人だったという。裸になった経緯については「覚えていない」と供述しているという。

 ビールや焼酎で正体を無くすほど飲めるというのは、まだ若いということかもしれないが、30歳半ばを超えたら、ビールや焼酎が悪いとは思わないが、酒を大切にして飲み方を変えたらいいのになとは思った。というか、旨いものを食う楽しみと酒の味を人生の慰めとしてもよい年頃ではないか。「現場の公園まで知人女性と2人で歩いた」になんとなくゴーストフレンズを思わせるドラマのシーンのようなものを少し思い描いた。ドラマのシーンなら「シンゴー!」の絶叫は物陰から聞こえるだろうけど。

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2009.04.22

毒物カレー事件最高裁判決、雑感

 毒物カレー事件最高裁判決について、もう少しメディアで騒ぐのかなと思ったが、自分が思ったよりは騒ぎはなかったように思えた。別の話になるが、タレントの清水由貴子さんが自殺したと見られるというニュースもあった。哀悼したい。が、これもそれほどには話題にはなっていないような印象を受けた。どちらもごく私の印象に過ぎないのだが、なんとなく十年といった時間が自分が思っているより遙か遠くに過ぎ去ってしまったということかもしれない。
 毒物カレー事件最高裁判決だが、私は若干差し戻しを期待していた。もっとも高裁の控訴審判決を見ればそう予想はできたはずもなかった。
 私はこの事件だが、個人的には冤罪だろうと思っている。仮に林被告が犯人だとしても死刑判決にすべきではないと思っている。そのあたりを無名の人の思いとしてやはり少しブログみたいなものに書いておくべきかなと思う。
 とはいえ、「冤罪だ、不当だ」と強く騒ぎ立てる思いというか感情的なものはない。一つには、この裁判についていえば、私は警察の捜査も検察もまったく不当だと思っていない。きちんと仕事をされたと思うし、なんら理不尽なことはないと思う。さらに言えば、裁判官についてはどうかというと、これも不当だとも思わない。では、死刑判決に納得するかというと納得しない。依然冤罪かなと思っている。そのあたり、なにが違うんだということになるが、私は、法理っていうものが、その分野の一種の科学的ともいえる確実性を持っていながらも、どうも根幹において納得できない。あるいは、その最終に死刑が居座っていることに、やはり納得できないというのがある。別の言い方をすれば、死刑がないなら、それはそれで、そういうものかなという思いは強くなる。
 私は個人的には冤罪だなと思うのだが、そう書いた以上、自分の理屈なりを述べるべきなのだが、素人的な思いという以上はない。つまり、この事件、証拠は何もない。また、私の人生経験・世間の経験からしてこういう裁判が描いたような殺人はありえないと思うという心証だけである。
 もう一つ加えるなら、先ほど法理というか、裁判の制度がこれでいいのかなと思ったのは、一応今回の裁判は三審制を取り、きちんと最高裁に上げられてはいるし、高裁ではなんども控訴審があったのだが、そして私の単純な誤解かもしれないが、基本的に地裁の裁判の構図をそのまま引きずって、高裁でもそれでよし、最高裁でもそれでよしということになっている点だ。私にはこの事件、地裁の後の控訴審判決が地裁と違いはなく、控訴審の過程での疑問が十分にこなされていない印象を受けた。
 もうちょっと言うと、これはほんとに素人の印象にすぎないのだが、地裁では被告は黙秘を続け、判決が出てから、被告と弁護側がその判決に対抗するという形で供述をしたことが、なんというか地裁判決の法理に美しさとでもいうものに対する挑戦と見られたのではないか。そこがなにかボタンの掛け違いのように思える。今回の最高裁判決でも、本人の悔恨が見られないことを指摘しているが、悔恨なりは、ヒ素投入と同義ではなく、どの程度のヒ素でどの程度の死者が出るかという被告の内面の推量認識に関わっているはずだ。だが、そこが抜け落ちているように思える。別の言い方をすると、数百人も殺害しえるヒ素であっても本人は死ぬほどではないと思っていたと地裁で言ったなら、死刑にはならなかったのではないか。そのあたりの、一種の司法取引のような余地が、後出しじゃんけんはダメよ的に提示されるのは、どうなんだろうかと疑問に思う。
 この点は大阪高裁ではこうなっていた。読売新聞「和歌山毒カレー控訴審判決の要旨」(2005.6.29)より。


 被告は、いつでも犯罪に使用できる状態でヒ素を保管しており、事件は、被告が、ヒ素を飲食物に混入させて人を殺傷しても決して発覚しないという前提で敢行したものと考えられる。
 その具体的な動機目的は不明というほかないが、およそ人を殺傷する理由とはならない理不尽で身勝手な動機目的のために犯行に及んだことは確か。犯行態様は、単に無差別的な犯行というにとどまらない。被告は、ヒ素が少量でも人を死亡させ、または重篤な神経症状を引き起こす猛毒であることを知り尽くしていたこと、混入させたヒ素の量も、450~1350人分の致死量に相当する量だと認識していたはずであることなどにかんがみると、誠に冷酷で残忍な犯行といわなければならない。

 これは私の常識には合わない。まず、「混入させたヒ素の量も、450~1350人分の致死量に相当する量だと認識」というのだが、もしそうであれば、これはオウム真理教による松本サリン事件や地下鉄サリン事件に匹敵する無差別大量殺人であり、まさにオウム真理教が問われたように、このテロの思想的な背景が問われうるほどのものだ。が、林被告にそういう意図も思想もあったとは思えないし、また、ヒ素による健康被害を知りそれが致死の可能性を知っていたとしても、数百人の死者を出そうと意図された事件だったとは到底思えない。繰り返すが、であればこれは一種の思想の事件のはずである。
 また、このような大規模なテロのようなものを「決して発覚しないという前提」で行うというのがまた私には理解できない。必ず発覚するだろうと私は思うし、別の事件に関連する彼女の夫も同様に述べているが、判決では、被告はそういう認識はなかったとするわけである。
 事件や裁判プロセスのディテールについては、いろいろと詳しいかたの議論があるだろうと思うが、私はごく自分の常識からして、この事件と判決はそれほど受けれやすいものではない。冤罪の可能性は捨てきれないなか、死刑出ていることには恐怖するものがある。

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2009.04.20

[書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2

 昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)であまり触れるのもなんだなと思ってお茶を濁した話題があるが、それとちょっと関連のあることで、もしかしたら、若い世代から誰かいつかこの問題を考える人が現れてぐぐることを僅かに期待して……というほどでもないが、ちょっと補足しておきたいことがある。ハーバート・ノーマンと都留重人のことだ。二人に深い親交があったことはよく知られているのだが、そこを少し超える話になる、が秘史の部類ではない。上坂もそこが気になっていたようだ。

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対論・異色昭和史
鶴見俊輔・上坂冬子
 鶴見が言うように都留が終戦工作に関わっているとすると、ちょっとこの意味合いが変わってくる史実があるかもしれないというあたりだ。結果からいうと上坂はあまり突っ込んでいない。
 事件として見れば工藤美代子の「スパイと言われた外交官―ハーバート・ノーマンの生涯」(参照)が詳しいといえば詳しいのだが。と、この読者評にもある。

昔の事を知るために, 2007/3/26
By 蛇骨婆 (東京都水天宮) - レビューをすべて見る
 アメリカの「赤狩り」を描いた映画がいろいろあるから、それを見た方は言論にもその嵐が吹きまくった事を知っているだろう。その悲劇的な事例が「H・ノーマン事件」である。六〇代以上の人々はアメリカでの「赤狩り」で都留重人が喚問され、その証言がノーマンを追い詰めたため死んだ、とか言う新聞記事を読んだことがあるだろう。その報道に対して鶴見俊輔が真っ向から反論する論文を書いたことも。今ではノーマンの論文の所説に触れるものが少ないから、まさに「埋もれた歴史家」になってしまった感がある。

 この問題の先のものを工藤美代子に期待できるかというと、最近の彼女の傾向からできそうにないのではないか。話を「対論・異色昭和史」に戻す。

上坂 話が後戻りしてすみませんが、アメリカのマッカーシー旋風に始まる日本の赤刈りムードの中で駐エジプト・カナダ大使のハーバード(ママ)・ノーマンさんが自殺されたのは昭和三十二(一九五七)年春(四月四日)のことです。カイロでのことで、都留重人さんがこの件に絡んでFBIの取り調べを受けたと新聞に報じられました。私は都留さんを尊敬していたので、とても気にかかる事件でした。あれは結局どういうことだったんですか。
鶴見 ノーマンと都留さんは非常に親しいんです。ノーマンには、ケンブリッジにいた時に共産党員だった過去があるんですが、その後は思想の幅が広くなって、カナダの外務省へ入る時にはもう離脱しているんです。でもその過去に絡めて、アメリカがスキャンダルを作ったわけですね。
 都留さんはマルクス主義者としてアメリカに行き、交換船で日本に戻る時いろいんな手紙をノーマンに託しました。それを押さえられて上院に喚問され、この手紙はあなたが書いたものかと尋問されてジレンマに陥ったわけです。否定すれば偽証罪になるし、そうだと認めればその中には現共産党員の名前が入っていますから。

 それほど秘話ということもないし、このあとの鶴見の説明もあまり要領を得ない。鶴見自身があまり事態を知らない可能性はあるし、都留も同じかもしれない。が、雑談はこう流れる。

上坂 死ななくてもいいと思うんですけどね。
鶴見 ノーマンの兄貴は、西宮にある関西学院の院長でした。クリスチャンなんですよ。ノーマンはその兄貴に遺書を残している。自分はキリスト教の信仰から離れているが、キリスト教に対する敬意を失ったことはない。つまり、スターリン主義者ではないということです。

 これもよく知られたことだし、遺書も公開されているらしい。秘話ではない。が、言われてみれば、ノーマンは、日本にクリスチャンのネットワークを持っていると言ってもいい。さらに、もし日本が生地主義なら日本人でもある。日本の軽井沢で生まれ15歳まで日本で育った。だからこそ安藤昌益研究などもできたわけだ。
 話を戻して都留が終戦工作に関連していたこと、後にノーマンがGHQで対敵諜報部要人となることには、なにかつながりはないのだろうか。
 ここで話が横に逸れるが、というか、このエントリの後半とも少し関係するので触れるのだが、ノーマンは府中刑務所に収監されていた徳田球一と志賀義雄をGHQ本部に呼んで尋問していた。このとき、志賀からノーマンは児玉誉士夫の自伝と東久迩稔彦の軍歴調査を得ている。志賀もまたソ連との関係の深い人であった。
 ここで話題を分ける。
 再び「対論・異色昭和史」に戻すと、同書で鶴見は徳田球一のことを、上坂から戦後60年について問われて語り出す。

鶴見 戦後六十年なんていっても、立派なものではないですよ。だんだん衰えているんじゃないですか。いまは国会も衰えたけど。
上坂 ひどいものですね。
鶴見 何も気がついてないんだ。終戦の時のニュース映画で国会を見てあっと思ったことがあるんだけど、徳田球一が壇上で熱弁を振るっているんです。何に驚いたかと言うと、首相の吉田茂が徳田球一にニヤッと笑っているんだよ。それがとてもいいんだ。ここにいる国会議員は、時代に寄り添って反戦平和を裏切ってきた人ばかりだ。でも壇上にはそうではなかった奴が一人いる。ひな壇にもそうでなかった奴がいる。そういう互いの感情の交流が、ニュース映画の画面から伝わってくるんだよ。あれが戦前と連続した、本当の意味の戦後なんだ。吉田茂も自分の自伝にちゃんとその瞬間を書いている。

 言うまでもないが麻生総理のこの祖父は憲兵に捉えられ40日間拘束された経験を持つ。また徳田球一は名前が琉球一番を意味するように沖縄の人でもあった。日本共産党は沖縄から創始していた。
 鶴見は、この吉田と德田の心情に「戦前と連続した、本当の意味の戦後」を見る。鶴見が優れているのは、戦後というものを、そうした歴史の連続のなかに見る点だ。鶴見は若槻禮次郎をこう語る。

鶴見 (前略)私は敗戦の時に、伊東にいた若槻禮次郎に手紙を出して会いに行ったことがある。手紙を出しておいかたら「ごめんください」と言うと、若槻禮次郎が自分で出てきた。それが裸なんだよ。褌はしていたけど(笑)広い日本間に上げてくれて「実は私一人しかおりません。家内は夕食の準備に街のほうに行っております」と言う。老妻と彼と、二人だけで住んでいるんだよ。それが何十年か前の日本の総理大臣だったわけだよ。
 それで私が質問して彼が答えるでしょう。当時はテープレコーダーがないから、筆記です。そのはじまりが「私は捨て子です。父の名も母の名も知りません」だったの。どっかで拾われて、それから学校へやられているんだよ。そういう総理大臣がいたんだ。やっぱり感銘を受けたね。
上坂 受けますね。
鶴見 本当に驚いた。だからあの頃の総理大臣を見ると、若槻禮次郎や浜口雄幸、このへんはそういうふうにして上がってきた人たちなんだ。ものすごくできて、知恵もある。それが日本の総理大臣というものだった。伊藤博文だってできたでしょう。桂太郎ぐらいまではそうだろうね。だから若槻あたりは敗戦の時まで生きて、最後は天皇のそばにいて敗戦の結果を一緒に受け止めたわけだ。それはもう大変なことですよ。そういう老人の知恵が日本を救ったんです。トルーマンのあの間違った判断があったにもかかわらず。
 だからそういう日本の歴史を、まず百五十年前まで遡って考える。(後略)

 ここで、鶴見は日本という国家の命運左右するものとして「老人の知恵」を上げる。そして、それを「百五十年前まで遡って考える」としている。
 鶴見と上坂の対談は昭和の懐古のように見えながら、実は、「老人の知恵」と「百五十年前まで遡って考える」ということの実践にもなっている。特に、鶴見の言葉を読み直してみると、「百五十年」が一つのキーワードになっていることがわかる。

上坂 いずれにせよ、アメリカには最初から勝つ自信が揺るぎなくあったわけですね。
鶴見 アメリカにはありますよ。どうして日本は負けると決まっている戦争をやろうとするのか。それはバーバード時代にシュレジンガーと私と都留さんとの三者会談で出した疑問なんだ。日本の支配層はそれほど愚かではないはずだ。ペリーが浦賀にきた一八五三年からたった十年の間にあれだけの改革をやったんだから、そしてそれが続いているんだから、バカな戦争をするはずがないとシュレジンガーは言った。でも、それは歴史家の認識なんだよ。百五十年のスパンで見てしまうのは。

 鶴見はここでシュレジンガーに反論するが、それは彼の思想の根幹を否定するのではなく、日本国が百五十年のスパンで自己を認識できたら戦争はしないという意味だ。
 もちろん、百五十年のスパンでの国家の自己認識は常に肯定的な意味はない。上坂がなぜ鶴見に憲法九条を死守しようとするかと問われてこう答える。

鶴見 しかし、兵器を作ると戦前の日本のように必ず使ってみたくなる。ブレーキがかからないんだ。それが明治以来百五十年の日本のやり方で、そこに懸念があるんです。いろんな手を打つことには賛成です。

 冷静な議論をするなら、改憲し九条を廃するという認識のほうが正しいかもしれないが、鶴見は老人の知恵として百五十年というスパンで日本を見て、この国にその前提となるブレーキはまだないだろうと言うのだ。逆に言えば、百五十年の歴史という自己認識がそのブレーキになるのだろうが、そうした生きた日本人の歴史が現在生きている日本人の感覚のなかで再生しているだろうか。

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2009.04.19

[書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)

 「対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)の奥付を見ると「二〇〇九年五月一日第一版第一刷」とあるがすでに書店で販売されており、アマゾンでも発売されている。が、この対談の一人、上坂冬子の履歴には死去の情報はない。彼女は、本書が正式に出版される前、4月14日に亡くなった。17日付け朝日新聞記事「保守派論客の上坂冬子さん死去」(参照)はこう伝えている。


 「硫黄島いまだ玉砕せず」などの作品で知られるノンフィクション作家で評論家の上坂冬子(かみさか・ふゆこ=本名・丹羽ヨシコ〈にわ・よしこ〉)さんが14日午前9時50分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は弟丹羽徹(とおる)さん。

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対論・異色昭和史
鶴見俊輔・上坂冬子
 共同では16日付けで報道されていたので、死んでから二日後に公開されたことになる。記事中に葬儀の話もあるように、すでに葬儀が終わってからのことだった。なるほどと思ったのと、本書で述べているとおりのそのままというわけにもいかなかったのだろうなとも思った。

上坂 死んだら燃やしてもらって骨壺に入れればそれでいいんですよ。私はきょうだいに、半年は世間の誰にも知らせないでくれって言っているの。
鶴見 すごいね。
上坂 病院で死んだらそれでいいんです。病院へ入る時の保険証は本名だから死んだって滅多なことじゃわからない。そのままお骨にして富士霊園に入れてもらえばいいの。分骨して両親の墓に少し入れてもらえば、もう思い残すことはない。

 私は上坂冬子のよい読者ではないが、本書を読んで彼女に以前には感じたことのない親近感を感じたし、それはなにより兄を慕うように鶴見を慕う心配りのなかにそれを覚えた。「思い残すことはない」という彼女に何の冥福も祈る必要はないだろう。ただ、哀悼したい。
 本書は鶴見俊輔との対談で、一般的には、鶴見が左派なりリベラル、上坂が右派なり保守と見られている。先の朝日新聞記事の見出しにも保守派論客とあった。が、彼女の論客のデビューは、鶴見が創始した「思想の科学」だった。いわば、鶴見のお弟子でもあり、この対談を読めばわかるが、鶴見は上坂を高く評価していた。

30年、東京都生まれ。トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)勤務を経て59年、自らの職場体験を書いた「職場の群像」が第1回思想の科学新人賞を受賞して評論家としてデビュー。

 デビュー作品はトヨタを含む全自動車労働組合の大闘争のノンフィクションだった。上坂は原稿を鶴見に預けたものの、出版すれば彼女が特定され首が飛ぶと知って恐れていた。

鶴見 本を出したら自分が首になるだろうということで、利害が本と別のところで対立した。
上坂 そうなんです。どの顔を見ても、私が首になったって助けてくれそう見えなかったし、どれもこれも実社会で役に立ちそうにない人ばかり(笑)
鶴見 しかし、ついに踏み切って本を出した。出したら、私のところに猛烈な抗議の手紙がきた。
上坂 えっ、誰から?
鶴見 トヨタのストライキのリーダーの一人からです。なぜこんな本を出すんだって。彼はこんな本が一人の女子事務員に出せるわけはないと思ったんだ。つまり、黒幕がいると思ったわけだね。で、調べてみて私だと考え、かなり長い手紙を送ってきた。絶版にしろと。相当強気でしたけど、残念ながら一つ盲点があった。彼には私が小学校しか出ていないことの意味がわからなかったことだね。つまり、彼と私がまったく別の考え方を持っているなんて考えもつかないし、そこまでの調べもつかないんだ。だから私は手紙を無視した。上坂にも見せなかった。
上坂 今日まで半世紀、夢にも知りませんでした。
鶴見 ずっと黙っていたから。坊ちゃんとはいえ、そこは私も相当な悪人です。

 鶴見俊輔を知らない人もいる時代になったので、彼の語る「小学校しか出ていない」を真に受ける人もいたらいけないと懸念して補足するが、彼は不良少年ということで日本での教育を断念し、米国に渡り、ハーバード大学で学んでいる。「坊ちゃん」というのは、彼が戦前戦後を通して著名な政治家であった鶴見祐輔の息子であり、母方では大政治家と呼んでよいだろう後藤新平の孫にあたるからだ。
 本書には、だが、日本の「小学校しか出ていない」不良少年の鶴見俊輔の真骨頂がほんとによく表現されている。彼が心底インテリやイデオロギーにかぶれた人たちを退けたことがわかる。他にも本書では「相当な悪人です」にふさわしいエピソードが溢れている。私は、「歴史の話(網野善彦・鶴見俊輔)」(参照)や「戦争が遺したもの(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊 英二)」(参照)など、鶴見俊輔の対談をいくつか読んでいるが、本書ほどおもしろく、そして昭和史を知る上で一級資料ともいえるほどの対談はないと思う。この鶴見俊輔の魅力を最大限に引き出したのは、あえていえば、妹ともいえる上坂だろうし、彼女を表現者として世に出した鶴見の兄としての心情だろう。本書は兄と妹の親愛の対話ともいえるものだし、左派だの右派だのがいかに、徹底的にくだらないかが腹の底から笑える傑作だ。
 鶴見俊輔は80歳を過ぎた年齢になっても青年のように物を考える人だが、そのまま青年のような心理として父母に対して敵意を含んだ心情を持っている。それがその長い生涯の時間で歴史と直交する希有ともいえる言葉になって現れる。鶴見俊輔は、二・二六事件以後に書いた鶴見祐輔の遺書を語る。

上坂 金庫から出てきた遺書には具体的にどう書いてあったんですか?
鶴見 自分は親米派だから兵隊が自分のところまで乱入してくるだろうと書いてありました。恐れていますね。天皇は二・二六の反乱軍に反対だったわけだし、親父は天皇の側近の重臣とも通じていたから当初はそういう重臣層に賛同していたようです。山本五十六なんかは、海軍には三十六センチ砲がある、これが議会を守っていると思ってください、陸軍が議会を占拠すれば海軍が三十六センチ砲を撃ちますと言っていたんだよ。親父はそれを聞いているんだ。軍部が分裂して海軍が陸軍と対立していたら、陸軍が勝ったかどうかわからない。それが二・二六なんです。ともかく、そういう状況のもとで親父が軍部を抑えよう、反対しよう、平和の側にとどまろうと考えていたのは、二・二六まで。私は金庫を開けてそのことを突き止めた。
上坂 で、父上が軍部の動きに最後まで反対しなかったのを責めていらっしゃるの?
鶴見 天皇は、あの時に陸軍の動きを抑えようと思ったでしょう。親父も同じく収拾しようとしたわけですね。それが成功していたら日米戦争なんてなかったよ。反乱軍がいくら日米戦争をやろうと言ったって、天皇と重臣が昭和十一年から反乱閥の側についていたら、もっと別の体制ができていたはずです。その天皇の側が、近衛文麿の裏切りで変わってしまう。

 秘史ということでもないのかもしれないが私は知らなかった。が、これはそのとおりなのではないかと思う。またこれは秘史といった類ではないが、なるほど思わせる語りだ。

鶴見 (前略)日本国内にも一刻な人間はいました。例えば、斎藤隆夫。いったんは議会を放逐されたけど、昭和十五年の翼賛選挙に非翼賛議員として立候補していますからね。
上坂 ええ、しかもトップ当選でしたね。
鶴見 あの時に兵庫で斎藤隆夫を当選させたのは、亡くなったユング系の心理学者で文化庁長官だった河合隼雄の親父たちです。丹波篠山にいてこの戦争はまずいとわかっていたし、そういう根っこがあったから、斎藤は非翼賛でももう一回這い上がることができたんだ。
上坂 河合隼雄さんのお父さんは何をなさる方だったんですか?
鶴見 歯科医。一方、三木武夫はね、金持ちの息子だから親父の金を使って非翼賛で出てくる。その意味では三木にも何かがありますよ。だからいまも三木睦子夫人の「(憲法)九条を守る会」が残っているでしょう。翼賛議会というのは、いまの国会よりずっと立派なんだ。というより、あの頃はいまよりまっとうな人間がいたのです。根性のある人間が。
上坂 有権者も偉かった。国家の方針に沿った大政翼賛会に入らず、入れてももらえない人をトップ当選させちゃうんだから。
鶴見 ホネのある政治家は他にもまだ何人もいます。尾崎咢堂がそうですね。だから私はそのへんを見るとナチスドイツと日本は一味違う気がしてならないんですよ。その一味違うということが、いまの日本国民にわからなくなっているのが情けない。ナチスドイツと敗戦のときの軍国日本は違うんだ。人間のクオリティが違う。そこが問題なのに。

 鶴見と上坂の共通の心情がそこにはある。そして、そこから彼らは今の日本を強く批判している。
 もう一点、私が知らないだけで秘史でもない話なのかもしれないが、私はこの話には驚いた。終戦への経緯に関わる逸話だ。玉音放送についての話からこう逸れていく。

上坂 敗戦の詔勅は聞き取れましたか。
鶴見 雑音が多かったね。ただ、私はいずれ終戦がくることを知っていました。
上坂 なぜですか。その頃はもう海軍を辞めていらっしゃったはずなのに。
鶴見 七月まで軍令部にいましたが、カリエスがひどくなって辞表を出していたので、その時は休職扱い。で、少し前に都留重人が特使としてソビエト・ロシアに派遣されて戻っていたので、戸山ケ原(現・新宿区)の近くにある外務省の分室に会いに行った。外出許可を取り、大きな握り飯を二つ持ってね。戸山ケ原でそれを食べて分室に行くと、都留さんが出てきた。そうしたら、「もうすぐ戦争は終わる、日本もアメリカも支配層は天皇制を残す決断をした」と。それが昭和二十(一九四五)年の五月十日。敗戦の三カ月以上前の話ですね。
上坂 あの緊急時にそんなことがありえたのですか。
鶴見 前の章で言いましたが、アメリカの中枢での人の入れ替えがあって、対日強硬派の連中が退いていた。だから天皇制を受け入れる方向に踏み切ったわけ。都留さんはこうつけ加えました。天皇制をどういう形で残すか、あるいは残さないか、それを決めるのは我々の務めだと。都留さんとはハーバード以来の信頼関係があるから、そうやって要所要所でポイントを話してくれたんです。

 気になるのは、米国側の中枢の動向だ。

上坂 天皇制を温存しようというのは、最初からアメリカの方針だったのでしょうか。
鶴見 違います。私が都留重人さんから聞いたところによると、途中から変わったという。開戦後すぐ委員会ができて、日本をどうするかと検討した文書が残っていますけど、まず、この国は工業をつぶしたら立ちゆかないとはっきり書いてある。日本にとって必要最小限の工業が検討されていたわけだけど、その時の最長老の委員はヒュー・ボートンという農民一揆の研究者なんだ(笑)。二百年くらいのスパンで見てたんだろうなぁ。委員は七、八人だった。
上坂 そんな素朴なグループで天皇制について論じていたのですか。
鶴見 天皇制は論じられてはいません。議題になっていない。
上坂 天皇より工業のほうが優先?
鶴見 そう。当時の日本人の人口から考えて、農業と漁業で食うくらいは何とかなるだろうと検討している。はじめから日本が負けると判断して取り組んだ戦争だから、日本とはどだい思考のプロセスが違う。勝った後どうやって生かしていくかという責任がある。そのへんは敗戦日本の無責任な支配層とは段違いだ。

 私はこの委員会の関連で、ある書物のことが想起される。そのことと都留重人の関連のことでふと夢想することもある。もしかして私のブログをよく読まれている人なら、ああ、あれかと思い至ることだろうと思うので、この話はあえて書かないことにする。

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