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2009.04.02

やっぱり、ガイトナー案はアンクルサムのヘッジファンドだね

 先日の読みづらくわかりづらいエントリ「簡単ガイトナー案」(参照)を書いたおり、ぶっちゃけ日本のジャーナリズムのガイトナー案理解って違ってんじゃないのという疑念があった。他、経済関係のブログでもそれほど話題にしている風もないように思えた、もっとも「寡言にして」ということかもしれない。もうちょっと言うと、ガイトナー案を受けた米国のエコミストたちの緒論を観賞している風の趣に過ぎなかったように思える。まあ、どっちでもたいしたことはないけど。
 で、私は、これってようするに、民間のヘッジファンドがへたれたから、今度は米国国家がヘッジファンドをやりますよ、ということだと思った。


ようするに手元の持ち金のない人でも、公的機関というか日本でいったら日銀がカネ貸すから、ちょっくらヘッジファンドやってみないかね、そこのお兄さん、みたいなことでは。っていうか、国家がヘッジファンドに加わるのかよ的なことなんじゃないか。

 そこがポイントじゃないかな、と。そうしたらサミュエルソンがやはりずばりそこを突いてきたので、思わず膝ポンだった。”Geithner's Hedge Fund”(参照)より。

Call it Uncle Sam's hedge fund. The rescue of the American financial system proposed by Treasury Secretary Timothy Geithner is, in all but name, a gigantic hedge fund.

これは「アンクルサムのヘッジファンド」と呼ぶべきものだ。ガイトナー米財務長官が提案した米金融システム救済案は、事実上、巨大ヘッジファンドである。


 やっぱり。
 となれば、なぜ国家がヘッジファンドをやりますよということなのか、が、その成否の予想以前に問われることになる。が、どうも、その議論もまた「寡言にして」知らない。というか、話が少しずれるが今週のニューズウィーク日本版でもそうだけど、どうも、端的に言うと、偉大なる批判者というかクルーグマンに関心が向きすぎているように思える。
 クルーグマンはガイトナー案を否定している。ご本人のブログをフォローすればわかることだし、そのフォロワーは日本にも少なからずで、そのご託宣をそのまま鵜呑みにしているふうでもあるが、ここではニューズウィーク記事「オバマを揺さぶるノーベル賞の声」から孫引きすると。

 クルーグマンのコラムやブログ「リベラルの良心」によれば、ティモシー・ガイトナー財務長官らは「ウォール街の手先」だ。


2月10日、ガイトナーがオバマ政権の金融安定化策を初めて発表した日のコラムで、クルーグマンは「絶望した」と記している。

 本来なら、問題は、ガイトナー案とクルーグマンの批判の、金融についてのテクニカルな部分になるはずなのだが、同記事が指摘しているように、話題としてはオバマ政権をどう見るかになっている。
 このあたり簡単にばさばさと言ってしまうと、ブッシュ政権のときは、朝日新聞を筆頭に日本のジャーナリズムは大義なき戦争を進めた論外の武力行使の政権であり、しかも世界金融を崩壊させた張本人というくらいの安易な理解で論を張っていられたが、実際、希望の星、オバマ政権になって、ふと現状を見渡すと論はない。せめて過去を責めるくらいなことしかできない。米国でも似たようなことになっている。

 自分達の選んだ政府を基本的に信頼している国民は、クルーグマンの言葉に動揺せずにいられない。


 クルーグマンは、金融システムの腐敗度やオバマ政権の過ちを誇張しているかもしれない。だが彼の意見が、たとえその一部でも正しいとしたら? 銀行を国有化しなければならず金融システム再建のチャンスは失われ、アメリカ経済が総崩れになるのだとしたら?

 この雰囲気は、私は、一種のクルーグマン教とでもいうような、宗教的な雰囲気に高まってしまったように思える。あえてわかりやすく言えば、ブッシュがいたときはクルーグマンはリベラルだっただろうけど、現況ではオバマが妥当なリベラルであってクルーグマンの主張はなにか別のもの---たぶん社会主義---になっているような印象を持つ。同記事にもあるが、クルーグマンが例にあげるスウェーデンの例は米国のような大国には基本的に当てはまらないだろう。
 あえてこの「クルーグマン教」の文脈でいうなら、ガイトナー案は失敗する運命にあり、そして米国銀行はすべて国有化するしかないのだろうか。
 それ以前に、ガイトナー案はどう評価されるのかに戻らざるを得ない。
 話をサミュエルソンに戻すが、私が信奉する(まあ、若干それも宗教的な印象はあるだろうが)彼はこの事態をどう評価するか。結論から言えば、不可能ではないが、困難だろう、というくらいだ。"Maybe, though obstacles around"というのは、いろいろ困難もあって可能性は半分くらい、ということだろう。
 なぜそう言えるのか。サミュエルソンのコラムでは、ジャーナリズムならでのコラムニストとしてガイトナー案を簡単に説明したあと、それがうまく行く可能性を、イエール大ジョン・ジーナコプロス(John Geanakoplos)教授の"leverage cycles"に求めている。私の無理解かもしれないが、レバレッジにはサイクル変動があって、今が最悪ではないのに、ヘッジファンドのカネが枯渇したなら国家が肩代わりすることでうまく行く可能性はあるだろう、ということのようだ。つまり、ガイトナー案は、健全な経済に戻すべく、さあみんなでヘッジファンドをやろう、ということだ。
 問題はいろいろとある。やはり購入価格は決まらないというのが元になるようだが、サミュエルソンはさらに、これがうまくいったときの懸念を先取りしている。
 ガイトナー案が成功するということは、ある意味で国家のカネで一部の人が濡れ手で粟ということになる。そうなれば、国民感情が許さないだろうというのだ。まあ、AIG退職金の大騒ぎを見ているとそうかなとも思う。
 私としてはサミュエルソンは触れていないけど、アンクルサムのヘッジファンドって、一見、米国民の血税のように見えるけど、投資するのは実際には、日本、中国、オイルマネーということなのではないか。だから、中国がブーたれているのではないかと思う。まあ、日本には選択権はないけど、こうなってしまうと国富を移動しづらく頑張る勢力がいても不思議ではないなという感じはする。それに日本人は不況に慣れているし……。

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2009.04.01

天皇皇后両陛下御成婚五十年記念、一万円紙幣発行へ

 天皇皇后両陛下の結婚満五十年を記念して一万円紙幣の発行が決まった。麻生首相直轄の私的懇談会「天皇皇后両陛下御成婚五十年記念紙幣に関する会合」(座長・高橋洋一 東洋大教授)は、一日、天皇皇后両陛下の御成婚五十年記念事業として発行する記念紙幣についてプラスチック素材の一万円札のみとし、発行額は二十五兆円とすることで一致し、政府も閣議で決定した。流通は銀行を通して七月七日から開始される。
 図柄は、表面が天皇皇后両陛下の肖像、裏面が皇太子時代の天皇陛下と皇后陛下の恋の舞台となった軽井沢会テニスコートの初夏の風景になる。全体の色調も従来の紙幣に比べ明るく鮮明で、天皇陛下のご意向もあり天皇家を暗示する菊の紋章などのシンボルなどは意図的に排除された。プラスチック素材については、耐用性に優れ、偽造防止の点でも優れていてことから、すでにオーストラリアなど各国で利用されている。
 今回の記念紙幣発行は、通貨法第四条「貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する」を元に、同法五条「国家的な記念事業として閣議決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣種類のほか、一万円、五千円、千円の三種類とする」とのことから、上限の一万円が選ばれた。
 日本における記念貨幣の発行は、近年、ほぼ毎年実施されており、昨年もブラジル交流年記念で五百円が四八〇万枚発行された。皇室関係では、十年前に特別法によって、天皇陛下御在位十年記念として、一万円が二〇万枚、五〇〇円が一五〇〇万枚発行された実績がある。発行済み政府貨幣の総額は現在四兆三千億円程度と想定されるが、政府の負債勘定には計上されず、造幣益は政府の財政収入として一般会計に繰り入れられている。
 耐用性の高いプラスチック素材を使った今回の記念紙幣は、従来の記念貨幣とは異なり、所有しておくための記念品としてではなく、御成婚五十年記念を国民が日常の生活で祝賀するために、紙幣として流通しやすい形態としているのが特徴的だ。
 一部で問題視されていた券売機やATMの対応の遅れだが、コンビニ・スーパー業界ではその間の流通促進のために、特別のポイントサービスを付けることにした。記念紙幣を使うことで実質消費税一%減の効果があると見られる。
 さらに政府は記念紙幣発行に合わせ、地方自治体を通して平成二〇年から二二年の間の成婚カップルに記念紙幣を百万円分を贈ることを検討している。麻生首相は、結婚難民と呼ばれる世代に向け、「両陛下からの幸福な結婚のお勧めと理解していただきたい」と述べた。総務省でも、結婚や出産の話題を活発にしてほしいとして、広告代理店を通じて、新しくパパとなる影響力の高いブロガーにキャンペーン参加を打診している。
 記念紙幣は発行規模が二十五兆円と大きいことから、自民党内では菅義偉選対副委員長らが中心となって進めてきた政府紙幣発行プランとも重なり、中堅議員からも好評を得ている。山本一太参院議員は「景気刺激にも効果がある」と評価し、自民党を離党した渡辺喜美衆院議員も「二十五兆円規模の発行なので、現状のデフレと円高を是正し、一パーセントから二パーセントの物価上昇と一ドル一二〇円の円安が期待できる」と経済効果を強調した。民主党も一部では異論もあるものの好意的に受け止めている。
 日銀も従来政府紙幣の発行には批判的だったが、意見を求められた白川総裁は「こうなる前に政府の長期国債を大量購入すればよかったとも言えるだろうが、なかなか決断できず背中を押されたかたちになった。しかし、政治的な決断が示された以上、日銀としては通貨の信認や財政規律を損ねることがないように支援したい」と賛意を示した。
 記念紙幣発行に至る経緯はかなりの部分が非公開で、「天皇皇后両陛下御成婚五十年記念紙幣に関する会合」に検察側が捜査をしているとも噂もあったため、同日短いながらも検察は異例の説明会を行った。東京地方検察庁谷川恒太次席検事は、「今回の決定は、国会議員の政治団体が多くの輸出向け製造業者から不法とはいえないまでも、長年にわたり多額の金銭の提供を受け、物づくり・貿易立国といった美名のもとに、国内消費の推進という政治・経済的な課題から国民の目から覆い隠した結果とも言えるものだが、政治資金規正法の趣旨に照らせば看過したほうがよい軽微・良質な事案である」と説明した。記者からは高橋座長についての質問が出されたが、谷川次席検事は「何も言えない」と回答した。

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2009.03.31

明日のエープリルフール用エントリのボツネタ

 明日のエープリルフール用エントリを書いたのだけど、これはいまいちなのでボツとした。が、なんとなく愛着もあるので、適当に公開。以下、べたなウソです。

[書評]草食系男子の栄養学(盛岡征博)

 すでに若い世代では当たり前のキーワードともなっている「草食系男子」だが、知らない人もいるかもしれない。「草食系男子」とは、肉食獣のような野生的性質を持たない、草食動物のように優しい男性のことだ。女性をがつがつと求める肉食系ではない。女性と肩を並べて、伸びやかな放牧地で優しく草を食べることを願うようなタイプの男性だ。草食系男子は、現在30代以下の若い世代に目立つが、40代、そして50代にもいる。もともと草食系男子は集団や恋愛の場で目立つタイプではなく、男性についての規範意識もあり、従来あまり注目されてこなかった。

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草食系男子の栄養学
 草食系男子の特徴だが、基本的に心が優しく、自分の欲望をがつがつと押していくのが苦手で、相手を傷つけることも、自分が傷つくことも苦手だ。性欲や恋愛願望はあるが積極的ではない。草食ゆえに肉欲---つまり性欲---は少ないがまるでないわけではない。恋愛願望もないわけではない。一見、なよっとした感じに見えるが、同性愛者ではない。もっとも本書でも触れられているが、他者との関係では親密性が優先され、バイもヘテロも違和感がないというタイプも少なくはないようだ。
 女性からは、草食系男子にどのように対応したよいのか悩むケースが多い。同棲してみて、あるいは結婚してみて、パートナーが草食系男子であった場合はどうするか。つまり、「彼」にどのような栄養を与えたらよいのか、それが本書「草食系男子の栄養学(盛岡征博)」(参照)のテーマであり、本書の「栄養学」には精神的な意味合いと、具体的な食生活の二つの意味合いがある。
 精神的な栄養とは愛情のことであり、草食系男子に必要とされる「草」に込める愛情がどのようなものであるべきか議論されている。この側面では、社会心理学やカウンセリング手法なども本書では取り上げられていて興味深いが、個々の事例ではそれほど目新しいものはない。
 反面、具体的な食に関する栄養学の解説が非常に興味深い。当たり前といえば当たり前のことでだが、草食系男子は実際の食生活においても草食であり、肉を好まない傾向がある。50人に満たない予備的なアンケート調査なので正確なこと言えないが、草食系男子の性格は、その草食的な食生活による結果かもしれないのだ。
 草食から得られる栄養のイメージとしては、通常、デンプンや食物性繊維といったところだが、著者が注目しているのは脂肪酸である。草食的な食生活を自然に継続することで、n6系とよばれる脂肪酸の摂取が増えるらしい。n6系の脂肪酸で有名なのはリノール酸だが、これには痩身効果があることが知られており、草食系男子の一群がスレンダーな体形をしているのもそのせいだろうと推測される。
 n6系脂肪酸代謝で興味深いのは、アラキドン酸と呼ばれる炎症物質が代謝されることだ。脂肪酸はたんぱく質ではないのでそれ自体がアレルギーを起こすわけではないが、一度炎症を起こせばそれを悪化させる要因になりやすい。草食系男子に皮膚アレルギーが少なくないことや敏感な肌をしていることなどは、その関連であるらしい。
 さらにアラキドン酸の代謝が、草食系男子と、肉欲にがつがつしたタイプの肉食系男子において、特有の意味合いを持っているという考察は本書においてもっともスリリングな展開になっている。
 基本的に人類のような雑食性の動物において、効果的にアラキドン酸を摂取するのであれば、肉食のほうが効率が高い。肉食獣は草食獣の代謝の産物であるアラキドン酸を搾取するようにできているからである。しかし、草食系男子においては、草食からアラキドン酸を効率よく代謝する体質を持っているので、肉食の身体的な必要性が弱められている。このことが精神面での優しさという行動まで生み出していると見てよさそうだ。
 さらに重要なのは、アラキドン酸からは、究極の脳内快楽物質であるアナンダマイトが代謝されることだ。つまり、人間種は快楽によって行動を制御されているのだが、その制御において、草食系男子に優位性があるらしい。

 ヒトは狩猟によって肉を食べる。満腹感はアナンダマイトを多くし、ヒトに至福感をもたらす。このことはヒトをさらに危険な狩猟に駆り立てる。

 しかし、草食系男子ではその必要性が相対的に低い。

 ヒトのなかでもアラキドン酸代謝の優れた一群の遺伝子をもつ男性においては、狩猟の必要性も相対的に低くなる。彼らは狩猟活動には参加するが、肉食によってアラキドン酸を得なくても、自身の草食からそれが生み出せるからだ。

 草食系男子の栄養学でもう一点興味深いのはセロトニンの代謝だ。セロトニンは、肉や牛乳に含まれるトリプトファンから摂取しやすく、この面において当然草食系男子では欠乏しやすい。
 セロトニンはアラキドン酸代謝とは異なり、草食から補うことは不可能ではないものの効率はよくない。著者はそのことが草食系男子における独特のうつ病や肥満に関連していると見ている。草食系男子の血中セロトニンレベルを測定すると、肉食系男子より少ない傾向も見られる。
 草食系男子については、現状、その表面的な性交や社会的な意味が議論されがちだが、独自の代謝の優位性遺伝子の発現として、ヒトの進化の過程にも重要な示唆を持っているようだ。

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2009.03.30

[書評]正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)

 本書、「正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)」(参照)は非常に評価が難しい本だ。本書の主張を一言でいえば、地球は温暖化しているが人類が排出する温暖化ガスの影響はわずかだ、ということになる。当然ながら、であるなら、現在の日本を含め、各国で推進されている二酸化炭素など温暖化ガス排出を低減する試みはほぼナンセンスだということになる。実際、著者の赤祖父は「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」に明確に反論している。

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正しく知る地球温暖化
誤った地球温暖化論に
惑わされないために
赤祖父俊一
 ではなぜ、温暖化が進行しているのか、という問題について、赤祖父は、人類が関与するところの少ない地球の気候変動の一環であり、現在は1400~1800年の「小氷河期」からの回復期にあるためだとしている。
 しかし、いずれにしても温暖化が避けられないなら、人類の危機は迫っているのではないかという、いわばこれまでマスメディアを通して送られてきた一種の終末的なイメージについて、赤祖父はこう述べる。

もし、現在進行している温暖化の大部分が自然変動であるならば、二一〇〇年まで気温上昇は一℃程度であろう。六℃ではない。

 もちろん、1℃でも大きな変動だとも言えるし、それがもたらす地球の変化はあるだろうが、赤祖父は、人類というのはそうした地球変動に対応してきたのだから、これからも対応していけばよいというふうに考える。
 さて、私はこれをこっそりと多くの人に問い掛けてみたいという思いを持っていた。ブログ文化的にいうなら、この主張はトンデモですか? 偽科学ですか? と。
 しかし、それを私は控えてきた。理由は簡単で、私自身が赤祖父の議論の成否を判断できないからだ。あるいは、こっそりと言うのだが、赤祖父は正しいのではないかと思っている。が、私の頭でそれをトレースして確信はできない。そして、であれば、おそらくそうした主張が遭遇するであろう非難にも十分に応えることはできないだろう。
 この件については私はしごくキンタマレスであり、こっそり言えば、真実が赤祖父の言う通りであれば、適当に議論していてもなるようになるだろうし、いずれ化石燃料に頼る文明のあり方は是正したほうがよいので、総じていえば政治的にはよい傾向なのではないか、そう、科学的真理よりも政治的な利益を得ることでよいんじゃないかと思うくらいだ。まあ、以上、といった感じだ。
 それにしても、IPCCをまがりなりにも支えているのは気候学者であり、以前「極東ブログ: [書評]すすんでダマされる人たち ネットに潜むカウンターナレッジの危険な罠(ダミアン・トンプソン)」(参照)でも取り上げた話題でいうなら、つまりこちらの書籍の著者トンプソンがいう「大多数の科学者が、ある実証的な主張を認めているときには、それを信じるに足る理由がある。(中略)だから、慎重な研究者が圧倒的に認めた場合、その主張はきわめて高い確率で正しいと言える」というが、ある程度常識にかなうなら、本書の赤祖父の主張は偽科学であろう。しかも、赤祖父は気候学が専門ではない。であれば、これは常識を逸したトンデモな主張であり、やはり偽科学なのだろうか。
 しかし、寡聞にしてそういう議論は知らない。
 よく偽科学の主張はその文体を見ればわかるとも言われるが、もしそれを言うなら、本書はまさにそれが当てはまるだろう。こういう文体だ。

 現在、IPCCの結論に疑問を発する者は欧米でも「懐疑者」、「否定論者」、「人類の敵」などというレッテルが貼られているが学問である学説に反対する「反論者」であるべきである。IPCCの行動を新興宗教に例えた人が何人もあった。宗教では、疑問を持つものは異端者として取り扱われるからである。地球温暖化問題はもう学問ではなくなってしまった。残念ながら、これは踊っているのとかわらない。そして、踊っていても温暖化問題は解決されない。
 学問の神髄は論争にある。したがって、筆者はこの本の第四、五章の内容については喜んで批判を受ける。むしろ、そうすることによって筆者の自然変動の研究を発展させてほしいと思っている。

 どうだろうか。アインシュタインの相対性理論は間違っているという主張者の文体とそれほど変わっていないのではないだろうか。
 率直に言えば、私は偽科学はそうした文体からは区別できないだろうと思う。
 それにしても、およそ科学であるなら、明確に対立したIPCCの主張と赤祖父の主張と決着が付かないとすれば、それはなぜなのだろうか。私は修辞的に疑問を出しているのではなく、本当にわからないと思っている。
 また次の文体はおそらく陰謀論のそれと区別できないだろう。

 一方、実際に地球温暖化ほど世界的な大問題になっていながらほとんど何にも予防策が具体的に実行されていない問題もめずらしくないのではないか。どうして、報道はこれを批判して取り上げないのか。この種の団体で国際的に防止策について具体的な行動を起こしているという話を聞いたことがない。G8サミットを含めた各国首脳会議でも何一つ合意されたことがない。これは彼らが温暖化は重大な問題ではないことを知っているからに他ならない。

 これは陰謀論して済ます問題なのだろうか。私はそうとも思えない。そして私は、人権ですら同じ状態ではないか。人権が重大な問題でないことを各国首脳は了解しているということではないのか……そういう思いも沸く。
 本書は私には不思議な本である。そして、私には科学というものがなんであるのかを問い掛けてくる希有な本の一つとして書架に後20年は居座るだろう。私がその時まで生きていると仮定してのことだが。
 言い忘れたことがあった、日本のブログ文化では意外とIPCCへの異論は多い。だが、それは各種の形態を取っていて、赤祖父のいう小氷河期仮説とは限らない。本書については、小氷河期仮説の是非にその議論のすべてが成り立っている、反証しやすい、潔い形になっている。

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2009.03.29

[書評]「食糧危機」をあおってはいけない (川島博之)

 地球温暖化やBRICs国民の消費によって、食糧危機や水資源の危機が深刻に語られるなか、「「食糧危機」をあおってはいけない (川島博之)」(参照)は標題からもわかるように、この問題をシステム工学の視点から冷静に捉えようとした書籍だ。

cover
「食糧危機」を
あおってはいけない
川島 博之
 標題を見てすぐわかるように、同じく文藝春秋から2003年に出されたロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」(参照)をまねている。こちらの書籍は、日本では著者のロンボルグより訳者でもあり評論家であもる山形浩生のほうが著名かもしれない。そのせいか、この「「食糧危機」をあおってはいけない」の帯もこうなっている。

山形浩生 推薦”
(『環境危機をあおってはいけない』の訳者)
「それはウソだ!」
「もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。」

とある。裏表紙にはこうもある。

「目からウロコの真の啓蒙書」
ぼくはすでに四〇年以上生きてきて、これが何度も繰り返されているのを見ている。そして一度たりとも、危機論者のあおるような危機が起きていないのも知っている。それは危機論者たちは根本的にまちがっているからだ。食糧を取り巻く環境についてきちんとした本を読んで、もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。 そのための絶好の一冊が、この本だ。 (山形浩生)

 ちなみにこの寸評は、同氏の書評は文藝春秋社サイトの「ヨタ話の扇動にのらないための絶好の書」(参照)の一部なので、このリンク先も読んでおくとよいかもしれない。
 ダンコーガイ書評風味になってきたが、だめ押し的に帯の裏のキャッチも紹介しよう。

すべて俗説です!
*BRICsの成長で穀物の需要急増?
*「買い負け」で魚が食べられなくなる?
*人口爆発で食糧が不足する?
*水も肥料も足りない?
*地球温暖化で生態悪化?
*バイオ燃料が人々のパンを奪う?

 確かに、これらの問題には答えが書かれていて、ネタ的にも面白い。
 以上のように出版社側の売り戦略としては、環境問題にも論争的な山形路線の延長としてしかけ、それゆえに、町山智浩の「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」(参照)と同じく、ややチープな欧米風ペーパーバックスの作りとしたのだろう。コンビニのワンコイン本にも見える、Bunshun Paperbacksのラインで出している。価格は2コインプラスといったところだが、内容的には見合ったものだろう。文藝春秋としても、新書とは違って、30代から40代のちょっと斜に構えた知的な層への、ややエンタイメント的な含みのあるマーケットを狙ったのだろう。ネットでいえば、はてなブックマークスとかで注目されやすいネタだ。実際、まずそうしたネタとして読まれるのではないかと思う
 山形は「ぼくはすでに四〇年以上生きてきて」と切り出していたが、私は東京オリンピック年に生まれた同氏より7年も無駄に年をとっており、「五〇年以上生きてきて」の部類になるので、その分、ローマクラブとかこの手の煽り話にはさらに慣れているし、「緑の革命」を同時代に過ごしたこともあるので、本書を読みながら、「目からウロコ」というより、「ああ、そうだろうな、よく論点がまとめられている」と思えた。
 先回りした言い方をすると、本書は、「食糧危機」を標題とはしているものの、各種の議論が福袋的にまとめられており、その個々の分野では、それぞれの専門家からは、詳細な反論もあるのだろうと予測する(例えば化学肥料問題)。
 というのは、問題のタイプが、ロンボルグなどの環境問題の視点と似ているようでいて、微妙に方法論的な違いもある。環境問題の場合、応用科学という点から各種の科学の総合なのだが、実質的にはある種の主要な科学分野が形成されつつある。主要とは言えないだろうが、例えば、赤祖父俊一(余談だが叔父の友人であった)の、例えば「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」(参照)のような、やや異なった地球物理の分野からの視点もあり、通常の温暖化問題の議論とは世間的には平和な平行線を辿る。
 また、環境問題はまがりなりにも政治プロセスへの道があるにはある。これに対して、「食糧危機」及び「水資源」の問題はそうした、状態にはまだなっていないのではないかと思う。
 問題の難しさとして見ると、本書のような「目からウロコ」の議論だけでは包括できない部分の多様性はあるだろう。福袋内の個別の専門分野に加え、農政や貿易論も関わる。同書でも農政や貿易論にはかなり目配せができているのだが、それでも本書では一般論が勝ち、個別の日本の農政や貿易の歪みの対処といった、私たちの生活に密接する部分の問題までは十分には議論できていない。
 他にも、今週の日本版ニューズウィーク(4・1)で「遺伝子組み換え作物の出番が来た 食糧問題と気候変動が深刻化するなか、GM作物がタブーから救世主に」でもGM作物の現状が触れられていたが、いわば緑の革命の第二段階の問題も重要なのだが、本書では概括的に扱われている。
 それでも本書を読むと、食糧危機を煽ることの問題性はかなりすっきりと描かれており、また方法論的にも一貫したように感じられるのは、著者のシステム工学的な意識およびその応用だからだろう。
 やや批判的な印象を書くことになったが、本書は、現在の日本人に、マストリード(必読)の一冊には違いない。私もこれは書架で一種のリファレンス本のように扱うつもりだ。この手のマストリード本としては、「世界を動かす石油戦略(石井彰・藤和彦)」(参照)に近い。読んでいないとある議論の水準が保てないタイプの本だし、卑近にいうならこれほどフールプルーフな本はないだろう。マスゴミと呼ばれるような日本のマスコミ言論の質の低下に対するプルーフにもなる。
 だからこそペーパーバックス的な作りであるより、もう少し固い新書の形態で読者の層を広める続巻も期待したい。すでに、同氏の「世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望」(参照)があるが、こちらはそれはそれでやや専門過ぎるだろう。

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