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2009.12.27

年明けはサービスたっぷりの鳩山迷走発言から

 普天間飛行場移設問題に鳩山首相もいよいよ決断をするのかと思わせる報道があり、関心をもったらとんでもないオチになった。ネットでいう「釣り」ということなんだろうか。
 話は、私の記憶では最初、時事の報道で見たように思う。該当記事と思われる記事のタイムスタンプは変わっているので書き換えがあったか私の誤認か、いずれにせよ内容はより正確にはなっている。「普天間、国外移設を否定=「抑止力の点でグアム無理」-鳩山首相」(参照)より。


 鳩山由紀夫首相は26日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「現実の中で考えれば、抑止力の観点からみて、グアムにすべて普天間を移設させることは無理があるのではないか」と述べ、米領グアムなど国外移設の可能性を事実上否定した。アール・エフ・ラジオ日本の番組収録で語った。社民党が有力な国外移設先と位置付けるグアムを首相が排除する考えを示したのは初めて。同党からは「真意が理解できない」と批判する声が上がっている。
  首相は普天間の国外移設に関し「果たして抑止力という観点から、十分かどうかという議論は、やはり相当大きくある」と強調。その上で、米海兵隊約8000人のグアム移転で米側と合意していることを指摘し、「それ以上(の国外移転)というのはなかなか難しい」と語った。

 社民党などから提案されていたグアム移転案を鳩山首相自らが否定した形になっている。
 私はこれはガセではないか、あるいは誤報でないかと懸念して続報を待った。その後、NHKも流したので誤報の可能性は残るとしても、NHKなりの裏が取れ、報道内での合意にはなりそうだと認識した。「“グアムへ全面移設 難しい”」(参照)より。

これに関連して、鳩山総理大臣は、26日に行われた民放のラジオ番組の収録の中で、「グアムは候補地の一つとしてはあったと思うし、その可能性を検討すべきときがあったのかもしれない。しかし、現実の中で考えれば、抑止力の観点から、必ずしもグアムに普天間基地のすべてを移設させるということは無理があるのではないか」と述べ、抑止力の観点から、普天間基地のグアムへの全面的な移設は難しいという認識を示しました。

 さらにこうも加えられている。

また、鳩山総理大臣は、この問題をめぐって閣内の足並みの乱れを指摘されたことについて、「関係閣僚とは、しっかり打ち合わせをして、話すべきでないところは話すべきではなかった。しかし、閣僚それぞれが自分の思いを正直に述べてきたきらいもあった」と述べ、閣内の調整に問題があったという考えを示しました。

 この先に改憲の話もついているのでメモ的に引用するが、今回はここには立ち入らない。

さらに、鳩山総理大臣は、憲法改正問題への対応について、「心の中には、今考えられるベストな国のあり方のための憲法を作りたいという気持ちはある。必ずしも9条ということではなく、地方と国との関係を大逆転させるなど、議論をすることが非常に大事だ。議会人としての責任ではないかと思っている」と述べました。

 NHKの報道で、そこはどうだろうかと疑問に思えたのは関係閣僚についての認識で、実際には北澤防衛相の名前が挙がっていた。共同「首相「サービス精神」がぶれに 普天間発言で自己弁護」(参照)より。

 閣僚間で意見の違いが出た点は「それぞれの閣僚が自分の思いを正直に話した。本来なら首相か(北沢俊美)防衛相か、一人が発言するようにとどめておかなければいけなかった」と調整不足を認めた。ただ首相は「発言権」がある閣僚に岡田克也外相を挙げなかった。民主党内には、以前から首相と岡田氏の関係を懸念する声があることから、今後憶測を呼ぶ可能性もある。

 この普天間問題で、鳩山首相と岡田外相がどういう関係にあるのかは、藤崎一郎駐米大使とクリントン国務長官との会談も関係し、実際にかなり微妙な問題になっているので、その部分を共同としてはあえて踏み込みたかったのだろう。
 鳩山首相の新発言どおり、グアムに全面移転できないならどうするのか。読売「普天間移設先、国内で候補検討へ…首相」(参照)では国内移転だとしている。

 首相は26日、ラジオ日本の正月番組収録で、社民党が政府に検討を求めているグアムへの移設案について、「一つの候補地として可能性を検討すべき時があったのかもしれないが、現実の中で考えれば、抑止力の観点から見て、グアムにすべて普天間(の機能)を移設するのは無理がある」と述べ、可能性を否定した。
 「国内で解決するということか」と司会者に問われると、「そうだ」と述べた。
 首相は、2006年の日米合意に在沖縄海兵隊8000人のグアム移転が盛り込まれている点を指摘し、「それ以上というのは、なかなか難しい」とも述べた。
 政府は与党3党の実務者級との協議機関で新たな移設先を選定する方針で、28日に首相官邸で初会合を開く予定だ。

 話題の原点に戻る。
 鳩山首相のグアム移転発言はどこでなされたか。ラジオ番組ということだが、そこはどのようなものだったか。読売系のスポーツ報知「鳩山首相、ラジオ出演はテンション低ぅ~」(参照)がわかりやすい。

 鳩山首相は26日、アール・エフ・ラジオ日本の番組収録にゲスト出演。年明けの放送だが、献金問題をふまえ「おめでとうございますというのが心の中に響きにくい」と、いきなり低いテンションでスタートした。
 政治ジャーナリストの細川珠生さんから、普天間問題などでの発言のぶれを指摘され「ぶら下がりなどで多少サービスをする発想になっている」と釈明。「サービスは国益にならない。お気をつけになられた方がいい」と直言されてタジタジに。

 問題発言の出所は、まだ放送されていないアール・エフ・ラジオ日本の番組収録だった。正月にお茶の間に放送されるのだろう。いや、単純な疑問として、この番組は本当に年明けに放送されることになるのだろうか。もしこれが、政治的な圧力でそのままの形で放送されないとすればさらに大問題になるだろう。
 今回の鳩山発言の性格だが、どうやらこれは鳩山首相が「多少サービスをする」つもりでぺらぺらとやらかしたようだ。細川珠生氏も「直言」したそうだが、不用意な発言であったことは間違いない。次の発言からも推察できる。

また、選挙中に叫び続けた「政治主導」「官僚任せ」の意味を、首相になるまで「どういうものかも分かっていなかった」と告白。

 そんな人が日本国の首相になっていたのだと驚くのであれば、「鳩山一族 その金脈と血脈 (文春新書)(佐野眞一)」(参照)を一読され免疫をつけておくほうがよいだろう。
 鳩山首相自身も適切な対応ではなかったと反省しているらしい。読売「「取材に話しすぎた」…普天間迷走で首相」(参照)より。

 鳩山首相は26日、ラジオ日本の正月番組収録で、沖縄の米軍普天間飛行場の移設問題で政府の対応が迷走したことについて、「ぶら下がり(取材)などで『多少サービスするか』みたいな発想になったところが、拡大されて伝わってしまった。『決まるまでは何もしゃべらない方がいい』と指摘されており、その通りだと反省している」と述べ、適切な対応でなかったとの考えを示した。

 あらためて見直すと、鳩山首相の反省は何を意味しているのだろうか。
 「拡大されて伝わっ」たということは、自身も失言であったという認識なのか、その後のメディアの取り上げ形に不満なのか、誤解されたと思っているのか。
 いずれにせよ、本人には発言の趣旨が正確に伝わっていないという認識があるなら、何が正確な意思だったのか。「サービス」抜きだとすると、グアム全面移転をどのように鳩山首相は考えているのか。そこがわからない。
 それにもまして不可解なのは、「『決まるまでは何もしゃべらない方がいい』と指摘されており」というのは、ラジオ番組の細川珠生さんの直言を意味するのか、民主党内で実質的に権力をお持ちの方から諫められているのか。そこもわからない。
 反省したら負けになるのか、共同「首相「サービス精神」がぶれに 普天間発言で自己弁護」(参照)では本人としてはトータルには矛盾がないそうだ。

 首相は自身の発言に関し「サービス精神は言い訳にならない。結論が出る前に話すべきでないところは話すべきではなかった」と反省の弁も。一方で「私の発言をトータルで見ると変わっていない」と強調した。

 おそらくこれらの発言を追っても「鳩山首相のマニフェスト違反より深刻な問題: 極東ブログ」(参照)で言及したガソリン税暫定税率についての鳩山首相発言のように同一人物の発言とは思えない困惑に至るだだろう。
 つまり、明日28日に首相官邸で予定されている与党三党の実務者級との協議機関で連立政権としての公式な見解が出されるだろう。それは過去の経緯からみて、ただの先延ばしの確認の無内容なものになり、さらにその内容を鳩山首相をしゃらっと公言し、かくして、その後に正月にこのトーク番組が流れ、まいどの鳩山対鳩山(参照)という構図になりそうだ。あけましておめでとう。鳩山さん、やあ、こちらも鳩山さん。弟さん、いやご本人。正月の漫才か。
 実際の落とし所については別途エントリを分けていずれ議論したいが、今回の鳩山首相の迷走報道には、COP15の約束にも似た微妙な留保事項があることは指摘しておくほうがよいだろう。「全面移設が難しい」という「全面」ということと、「抑止力の観点からみて」という2点の留保だ。
 以上で、このエントリの話はおしまいだが、蛇足めいた話として、関連の藤崎一郎駐米大使とクリントン国務長官との会談に少し触れておく。
 曖昧な推測になるので控えていたが、クリントン国務長官が呼び出しかどうかという点では、米国務省から否定のアナウンスが出ている(参照)ので、呼び出しはなかったとしてよいだろう。
 ではなぜ藤崎米大使が会談に向かったかといえば、それにもなんらかの背景があるのだろう。その背景はなにかだが、クリントン国務長官を藤崎大使が忖度したかあるいは別リークで動かされたということだろう。その内容だが、時事「首相への不信決定的に=普天間移設、発言捏造に不快感-米政権」(参照)が伝えるところに等しいだろう。

 首相は、17日にコペンハーゲンで会談したクリントン長官が、同県名護市のキャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画見直しを検討するとの自身の説明に理解を示したと発表した。しかし、複数の日米関係筋によると、同長官は会談で、合意履行を「最善の道」として早期決着を求めたのが真相だ。
 同長官は21日の会談で、藤崎大使に「わたしが了承したかのような話になっているが、そんなことはない」と、首相の「捏造(ねつぞう)」に不快感を表明。現行案を譲るつもりのない米政府の強い姿勢を改めて首相らに伝えるよう求めた。

 さらにその背景には朝日「普天間結論「しばらく待ってて」 首相、米国務長官に」(参照)で報道された鳩山首相の発言がある。

鳩山由紀夫首相は18日夕(日本時間19日未明)、記者団に対し、17日夜のデンマーク女王主催晩餐(ばんさん)会で隣席になったクリントン米国務長官から、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の年内決着を先送りした経緯の説明を求められたことを明らかにした。
 首相によると、クリントン長官には「選挙で民主党が勝ち、(県外移設を求める)沖縄県民の期待感が高まっている。日米合意が大変重いことはよく理解しているが、逆に(沖縄県名護市辺野古に移設する現行計画を)強行すると、大変危険だと感じている。新たな選択を考えて努力を始めている。しばらくの間、待っていていただきたい」と理解を求めたという。
 首相に説明を求めたこと自体、米側が首相の対応に不信感を持っていることの表れとみられるが、首相は記者団に「正確な言葉は覚えていないが、『よくわかった』という思いをお伝えいただいた」と述べ、クリントン長官は首相の説明を了解したとの考えを示した。「1時間半ほど隣にいて親しく歓談できた。日米同盟の重要性をお互いに確認でき、大変いい機会だった」とも語った。

 この「首相によると」発言は共同などを通じて英文でも報道されており、クリントン長官が時事の伝えるように「捏造」と理解した可能性はある。
 この関連の話題では、この記事に限らず時事がどうもお話を作りすぎているのではないかという疑念はあるが、その後の急展開の展開を見ると、やはり「鳩山首相が語るクリントン長官の意向」という伝聞を長官自身がただしておかなくてならないという懸念が米国側にあっただろう。それは例のオバマ米大統領に「ボクを信じてね(Trust me!)」とした鳩山首相への苦い経験があっただろう。
 ブログなどでこうした踏み込んだ推測をすると毎度のテンプレのご批判(誹謗に近いものだが)をいただいくが、「正確な言葉は覚えていないが、『よくわかった』という思いをお伝えいただいた」という話がそれ以上の確認もなくマスコミで一人歩きをしてしまっている現状は、日本の安全保障がかかっており、国民にも困惑した状況だというのはシンプルな事実である。

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コメント

日本のマスメディアの中堅どころにとっては尾崎秀実こそがジャーナリストの鑑なんじゃないかという疑いが晴れない今日この頃。

投稿: himorogi | 2009.12.27 15:08

×民主党内で実質的に権力をお持ちの形から


○民主党内で実質的に権力をお持ちの方から

投稿: | 2009.12.28 07:45

誤記ご指摘ありがとうございます。修正しました。

投稿: finalvent | 2009.12.31 16:05

鳩山総理は口先と実行におけるすべてが、まるで関係ないような感じですね。
これはひどい!

投稿: ワット | 2010.05.21 00:42

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受信: 2009.12.28 08:49

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