« フィナンシャルタイムズは民主党の緊急経済対策をどう見たか | トップページ | 日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想 »

2009.12.13

オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説抜粋

 オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説(参照)はすばらしかった。自分のメモとして要点部分を抜粋したあと、そういえばとブログ用に試訳を添えてみた。ネットを覗くと、朝日新聞(参照)と共同(参照)の訳があり、それらの訳文を見ると、ほぉと思うこともあったので列記しておきたい。

*  *  *  *

I face the world as it is, and cannot stand idle in the face of threats to the American people. For make no mistake: Evil does exist in the world. A non-violent movement could not have halted Hitler's armies. Negotiations cannot convince al Qaeda's leaders to lay down their arms. To say that force may sometimes be necessary is not a call to cynicism -- it is a recognition of history; the imperfections of man and the limits of reason.

【朝日新聞訳】
私はあるがままの世界に立ち向かっている。米国民への脅威に対して、手をこまねいてることはできない。間違ってはいけない。世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない。武力行使がときに必要だと言うことは、冷笑的な態度をとることではない。それは人間の不完全さと、理性の限界という歴史を認めることだ。

【共同訳】
私は現実の世界に対峙(たいじ)し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない。人間の欠陥や理性の限界という歴史を認識することだ。

【試訳】
私は現実の世界に向き合っているから、米国民に脅威が向けられたとき何もせずにいることはできない。間違いなく、この世には悪が存在するのだ。非暴力の活動ではヒトラーの軍隊を止めることはできなかった。話し合いでアルカイダ指導者に武器を捨てさせることはできない。軍事力が必要な時もあると言うのは、皮肉を弄しているのではなく、歴史を認識することなのだ。それは人間が不完全な存在であり、理性には限界があるということだ。

I believe that force can be justified on humanitarian grounds, as it was in the Balkans, or in other places that have been scarred by war. Inaction tears at our conscience and can lead to more costly intervention later. That's why all responsible nations must embrace the role that militaries with a clear mandate can play to keep the peace.

【朝日新聞訳】
私は、バルカンや、戦争で傷ついた他の場所でそうであったように、人道的な見地からの武力行使は正当化できると信じる。行動をしないことは我々の良心を引き裂き、後により高くつく介入へとつながりうる。だからすべての責任ある国は、明確な任務を与えられた軍隊が平和を維持するために果たすことができる役割を認める必要がある。

【共同訳】
私は、バルカン諸国や、戦争に傷ついた他の地域でそうであったように、武力は人道的見地から正当化できると考えている。何もせずに手をこまねくことは良心の呵責(かしゃく)を生み、後により大きな犠牲を伴う介入が必要になる可能性がある。だからこそ、すべての責任ある国家は、平和維持において、明確な指令を受けた軍隊が果たし得る役割というものを認めなければならない。

【試訳】
私は人道的な見地から軍事力を正当化できると確信している。それはバルカン諸国や戦争の傷痕を残す地域に当てはまるようにだ。軍事行動を取らずにいることは、私たちの良心を苛まし、後になって犠牲の多い軍事介入に至らせる。だから責任ある諸国は、シビリアンコントロールの下にある軍隊が平和維持に寄与することを承認しなければならない。

I understand why war is not popular, but I also know this: The belief that peace is desirable is rarely enough to achieve it. Peace requires responsibility. Peace entails sacrifice. That's why NATO continues to be indispensable. That's why we must strengthen U.N. and regional peacekeeping, and not leave the task to a few countries. That's why we honor those who return home from peacekeeping and training abroad to Oslo and Rome; to Ottawa and Sydney; to Dhaka and Kigali -- we honor them not as makers of war, but of wagers -- but as wagers of peace.

【朝日新聞訳】
戦争がなぜ不人気なのかは分かっている。だが私は同時に、平和が望ましいという信念だけで平和が達成できることはめったにないことを知っている。平和には責任が必要だ。平和は犠牲を伴う。だからこそ、NATOは不可欠なのだ。だからこそ、我々は国連と地域の平和維持活動を強化せねばならないし、その役割を限られた国に任せてはいけない。だからこそ、我々はオスロやローマ、オタワやシドニー、ダッカやキガリへと、国外での平和維持活動や訓練から帰還した者をたたえるのだ。戦争を起こす者としてではなく、平和を請け負う人たちとしてたたえるのだ。

【共同訳】
私は、なぜ戦争が好まれないのか理解している。だが、同時に、平和を求める信条だけでは、平和を築き上げることはできないということも分かっている。平和には責任が不可欠だ。平和には犠牲が伴う。そうだからこそ、NATOが不可欠であるのだ。そうだからこそ、われわれは国連と地域の平和維持を強化しなければならない。いくつかの国だけにこの役割を委ねたままにしてはいけないのだ。
 だからこそ、われわれは国外での平和維持活動と訓練から、オスロとローマ、オタワとシドニー、ダッカやキガリへ、故郷へと戻った者たちをたたえるのだ。戦争を引き起こす者としてではなく、平和を請け負う者たちとしてたたえるのだ。

【試訳】
私は戦争が多くの人に好まれない理由を理解しているが、同時に平和を祈念するだけでは平和にならないことも理解している。平和には責任が伴うのだ。平和には必然的に犠牲が伴う。だから、冷戦後も北大西洋条約機構(NATO)の継続が必要なのだ。国連と地域平和維持活動を強化しなければならないのも同じ理由だし、特定の国だけにこの任務を任せきってはいけない。オスロからローマへ、オタワからシドニーへ、ダッカからキガリへと、平和維持活動と軍事演習で海外に駆り出されて帰還した兵士に私たちが敬意を払うのも同じ理由だ。彼らは紛争を引き起こすのではない。平和を請け負っているからこそ私たちは名誉を称えるのだ。

I have spoken at some length to the question that must weigh on our minds and our hearts as we choose to wage war. But let me now turn to our effort to avoid such tragic choices, and speak of three ways that we can build a just and lasting peace.

【朝日新聞訳】
戦争の遂行を選ぶ際、我々の頭や心に重くのしかかる問題について、私は時間を割いて話してきた。しかし、そのような悲劇的な選択を避けるための我々の努力に話を移し、正義として持続する平和を築く三つの方法について話したい。

【共同訳】
われわれが戦争を行うことを選択するとき、心に重くのしかかる問題について私は言及してきた。しかし、そうした悲劇的な選択を避けるための努力についてもう一度立ち戻り、公正で永続的な平和を構築する上で必要な三つの方策を説明しよう。

【試訳】
私たちが戦争という選択をするときに私たちの理性と心情に必然的にのしかかる難問について少し長めに私は話してきた。ここで、そうしたつらい選択を避けるための努力の話題に移り、正当でかつ継続する平和を構築するための3つの方法について話をしたい。

First, in dealing with those nations that break rules and laws, I believe that we must develop alternatives to violence that are tough enough to actually change behavior -- for if we want a lasting peace, then the words of the international community must mean something. Those regimes that break the rules must be held accountable. Sanctions must exact a real price. Intransigence must be met with increased pressure -- and such pressure exists only when the world stands together as one.

【朝日新聞訳】
一つ目は、ルールや法を破る国々に対応する際、暴力ではない形で(その国の)ふるまいを変えさせねばならないということだ。もし持続的な平和を求めるなら、国際社会の言葉は、何らかの意味のあるものでなければならない。ルールを破る政権は責任をとらなければならない。制裁は、真の代償を払わせるものでなければならない。非妥協的な態度にはより強い圧力で対応せねばならない。そして、そのような圧力は、世界が一つにまとまった時にのみ、存在するのだ。

【共同訳】
まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際に、態度を改めさせるのに十分なほどに強い、暴力に代わる選択肢を持たなければならないと私は信じている。なぜなら、永続的な平和を望むなら、国際社会の言葉は何らかの意味を持たなければならないからだ。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。

【試訳】
第一に、規則や法を破る国家を扱うときは、暴力の代替として、それらの国の態度を実際に変更させるに足る選択肢を考案しなければならないと私は考えている。私たちが継続的な平和を望むのであれば、国際社会が発する声明には裏付けがなくてはならない。規則を破る国家に責任ある行動を取らせなくなくてはならない。制裁には実効性が伴わなければならない。硬直的な程度にはより強い圧力が伴わなければならないが、そうした圧力は、世界が結束して立ち上がったときにのみ成立する。

The same principle applies to those who violate international laws by brutalizing their own people. When there is genocide in Darfur, systematic rape in Congo, repression in Burma -- there must be consequences. Yes, there will be engagement; yes, there will be diplomacy -- but there must be consequences when those things fail. And the closer we stand together, the less likely we will be faced with the choice between armed intervention and complicity in oppression.

【朝日新聞訳】
同じ原則は、自国民を残虐に扱うことで国際法を犯している者にも当てはまる。(スーダンの)ダルフールでの集団殺害、コンゴ(旧ザイール)での組織的なレイプ、ビルマ(ミャンマー)での抑圧などは、必ず重大な結果が伴うべきだ。もちろん、対話や外交も行われるだろう。だが、そうした営みが失敗したときには重大な帰結を招くべきなのだ。我々が団結を強めればそれだけ、軍事介入と抑圧の共謀者となるという二者択一に直面しなくても済むだろう。

【共同訳】
同様の原則は国際法に違反し、自国の人々をむごたらしく扱う国々にも適用される。ダルフール(スーダン)の大虐殺やコンゴ(旧ザイール)での組織的強姦(ごうかん)、ミャンマーの弾圧、これらは責任が問われなければならない。そう(国際社会の)関与はあるだろう。そう、外交努力があるだろう。だが、これらが失敗した場合には、(こうした国々の)責任が問われなければならない。われわれが結束すればするほど、武力介入するか(何もせず)抑圧の共謀者となるか、われわれは選択を迫られなくなるであろう。

【試訳】
同一の原則は、国際法に違反し、自国民を虐待する者にも当てはまる。ダルフール・ジェノサイドや、コンゴでの組織的なレイプ、ビルマでの弾圧にも、報復が必要だ。国際協調も外交が必要だろう。だが、失敗するときには、報復が必要になるのだ。私たちが結束すれば、武力で介入したり、協調して圧力をかけたりしなくてすむ。

This brings me to a second point -- the nature of the peace that we seek. For peace is not merely the absence of visible conflict. Only a just peace based on the inherent rights and dignity of every individual can truly be lasting.

【朝日新聞訳】
そこで私は二つ目の点、我々が求める平和の本質について語りたい。なぜなら、平和は単に目に見える紛争がないということではない。すべての個人の持つ尊厳と生来の権利に基づく公正な平和だけが、本当に持続することができるのだ。

【共同訳】
これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。

【試訳】
第二の話は第一からつながる。平和といってもどのような平和を私たちは求めているかだ。平和を求めることは単に、見える紛争をなくすことではない。誰もが生まれながらにして持つ人権と尊厳に基づく正当な平和こそが、真に永続的になりうる。

For some countries, the failure to uphold human rights is excused by the false suggestion that these are somehow Western principles, foreign to local cultures or stages of a nation's development.

【朝日新聞訳】
一部の国では、人権はいわば西洋の原則であって固有の文化や自国の発展段階の中では異質のものである、という間違った主張をもとに人権を維持しない口実にしている。

【共同訳】
人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もある。

【試訳】
国によっては、人権を擁護できないことについて、それは西洋の原則に過ぎないとか、文化によっては違和感があるとか、国家の発展段階によるのだとか弁解している。

So even as we respect the unique culture and traditions of different countries, America will always be a voice for those aspirations that are universal. We will bear witness to the quiet dignity of reformers like Aung Sang Suu Kyi; to the bravery of Zimbabweans who cast their ballots in the face of beatings; to the hundreds of thousands who have marched silently through the streets of Iran. It is telling that the leaders of these governments fear the aspirations of their own people more than the power of any other nation. And it is the responsibility of all free people and free nations to make clear that these movements -- these movements of hope and history -- they have us on their side.

【朝日新聞訳】
米国は、様々な国の独自の文化と伝統を尊重しながらも、普遍的な希望のためにいつでも声をあげる。我々は、静かに威厳を保っている(ミャンマーの)アウン・サン・スー・チーのような改革者の証人となる。暴力にさらされながらも票を投じるジンバブエ人の勇気や、イランの通りを静かに行進した何十万の人々についても証人になる。これら政府の指導者は他のいかなる国家の力よりも、自国民の希望を恐れるということがわかる。そして、希望と歴史に根ざしたこれらの運動に対して、我々が味方であることを明らかにするのは、すべての自由な国民と自由主義諸国の責任だ。

【共同訳】
米国はさまざまな国の独特の文化や伝統に敬意を払いながらも、常に人類共通の思いの代弁者になる。(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーさんのような改革者の静かなる威厳の証人となる。暴力にさらされながらも票を投じる勇敢なジンバブエ人や、イランの通りを静かに(デモ)行進した数十万の人々の証人となる。このことは、これらの政府の指導者は、ほかの国家の力よりも、国民の思いを恐れているということを物語っている。希望と歴史はこうした運動の味方になるとはっきりと示すことが、すべての自由な人々と自由な国家の責任だ。

【試訳】
私たち米国民は、さまざまな国々の独自の文化や伝統を尊重しつつも、常に普遍的な価値を希求する声を上げつづける。アウンサンスーチーのような改革者の寡黙な品位、弾圧のさなかでも投票するジンバブエ人の勇気、イランの街路を静かにデモ行進する数十万の人々、私たちはこれらが正しいのだと証言し続ける。彼らの状況は、その国の指導者が外国の武力よりも自国民の希求を恐れていることを示している。これらの希望と歴史の動向の側に付くと公言することは、自由な国民と自由な国家の責務である。

Let me also say this: The promotion of human rights cannot be about exhortation alone.

【朝日新聞訳】
もう一つ言わせてほしい。人権の促進は、言葉で熱心に説くだけでのことではない。

【共同訳】
これも言わせてほしい。人権は、言葉で熱心に説くだけでは促進できない。

【試訳】
これも言っておきたい。人権の促進は声高に叫べばいいだけことではない。

Third, a just peace includes not only civil and political rights -- it must encompass economic security and opportunity. For true peace is not just freedom from fear, but freedom from want.

【共同訳】
第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。

【朝日新聞訳】
三つ目に、正義としての平和とは、市民的・政治的権利だけではなく、経済的な安全と機会を含まなければならない。というのも、真の平和とは恐怖からの解放だけでなく、欠乏からの自由でもあるからだ。

【試訳】
第三に、正当な平和に含まれているのは、市民権と参政権だけではない。経済的な安定と機会が含まれていなくてはならない。真の平和は恐怖からの自由だけではなく、貧困からの自由でもあるからだ。

|

« フィナンシャルタイムズは民主党の緊急経済対策をどう見たか | トップページ | 日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想 »

「時事」カテゴリの記事

コメント

アメリカの大統領は、優れた哲学者であり、優れた詩人でなければならないようです。建国の父たち以来の伝統ですかね。

日本の首相、副首相、官房長官がすべて理工系というところで、鳩山・菅・平野三大臣閣下たちには、お忙しいでしょうがJavaやPerlで初歩的なプログラムを組める素養を身につけたうえで、20世紀アメリカ言語哲学でも学んでほしいところです。たぶん、これからの先進国の政治家たちは、詩人の才能は乏しくても、言語哲学の基本的素養は身に着けなくてはならなくなるだろうと思っています。

あたしゃ、政治家になる気もないし、政治家になる素養も縁故もまったくございませんが、時枝誠記先生の「国語学言論 続篇」(岩波文庫)を読んだ後、いま、冨田恭彦先生の「アメリカ言語哲学入門」を読んでいます。その後は、廣松渉先生の「もの・こと・ことば」という論文集を読むつもりです。仏教の言語哲学のほうが西洋現代の言語哲学より進んだ側面もあるそうですが、まあ、概説書レベルの言語哲学の知識は身につけておきたいと思っています。

指導する方々のほうが指導される平民たちより頭がよくないとかっこ悪いので、日本の民度がまだそれほど高くないうちに、政治家の方々もどんどん基礎的な勉強をなさってください。

なお、わが国は、国家の公称象徴・実質君主であられる高貴な方々は、世界のどこに作品を紹介しても国民がまったく恥じることないすぐれた詩人たちであられる国柄を、国家創建以来今日まで維持している国家であります。

投稿: enneagram | 2009.12.13 16:50

やっぱり新聞の訳文っていうのは堅苦しいですね。まあそういう愚直さも必要なのかもしれないけれど。三つの中では共同訳が一番好みかな。必要なのかもとか言っときながら、朝日のは二段目で読むの止めちまいました。

 というのも、For make no mistakeを「間違ってはいけない」と訳す朝日新聞の訳者のセンスを疑うっていうかなんか異様に鼻についたんですが私の感性が微妙に歪んでるだけかしらん。

投稿: 240k | 2009.12.13 16:55

For make no mistakeという使い方は聞いたことがありません。このForは要らないんじゃないか。
ただ、ホワイトハウスの記録でもForは入っています。

Make no mistakeはオバマ大統領が時々使う言葉で、『間違ってはいけない』というそのままの意味ですね。

投稿: buvery | 2009.12.15 07:14

To say that force may sometimes be necessary is not a call to cynicism -- it is a recognition of history; the imperfections of man and the limits of reason.

これですが、このアメリカ人の『ヒストリー』というのは、『歴史』ではありません。日本人からすると、もっと軽く使うんですね。例えば、『よめさんとは、バーで出会ってね、(途中略)あとは、ヒストリーだよ(the rest is history)』というのは、あとは『みんな知っていること』という意味です。

この場合は、world as isではなくて、world as has beenのこと。だから、
『武力が時に必要であるというのは、シラケよ(現実をあきらめよ)、と言っているのではなくて、今までの現実を認めよと言っているのです。人間は不完全であり、理性には限界があるのです。』

という意味です。ちなみに、オバマ大統領は、world as ought to be というのが、ミシェル夫人の口説き文句であったそうです。

投稿: buvery | 2009.12.15 07:23

And the closer we stand together, the less likely we will be faced with the choice between armed intervention and complicity in oppression.

これは新聞社の訳の方が正しい。
このoppressionは例えばビルマの強圧的政権の弾圧のことなので、
『世界が団結を強めれば、武力で介入するか、弾圧に手を貸すかの選択以外の道をとることができるようになる。』
英語でいわゆる『正義の味方』がoppressすることはありません。必ずそれは悪いやつがすることです。正義の味方は『pressure』をかけたり『sanction』したりはします。

投稿: buvery | 2009.12.15 07:33

> For make no mistake

3訳とも間違いだと思います。
make no mistakeは挿入型の強調句で、これ自体が文脈と直接絡んではいません。Forは前文の理由を示す接続詞でevil以下がその理由です。
私はいい試訳は浮かびませんが、「何故かと言えば」とかそういうあたりの表現になるかと思います。

投稿: | 2009.12.15 09:54

戦争は最大の人種差別の装置である。つまり、敵を人間という枠から殺していい対象として選別する、という意味において。人種差別において、差別される対象は「人間」としてみなされない。そうすることで、権力は人道的な問題を無視することができるのだ。
オバマ大統領が言及している平和のための戦争とは、理論上は「安全のための戦争」である。つまり、歴史上起きてきた戦争と何の代わりもない、ただの戦争である。狂気は作られる。「敵」はただ存在するのではなく、ある目的のために作られる。アメリカ初のアフリカ系大統領という肩書きをもつ彼が、公式に人種差別を容認した事実は、歴史の皮肉な事象であるといえる。

投稿: student of hcu | 2009.12.18 13:46

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説抜粋:

» 思考停止の先に平和は無い:オバマのノーベル平和賞受賞演説につ... [ある日ぼくがいた場所]
いろいろ考えてると時間ばかりが過ぎていきそうなので、ひとまず書き留めておきます。この演説、英語だけでなく社会科でも歴史でも政治でも、小学校から大学まで、非常に幅広く教材として使えると思います。さて、最初に但し書きしておくべきなのが、彼以上にノーベル平和...... [続きを読む]

受信: 2009.12.15 01:38

« フィナンシャルタイムズは民主党の緊急経済対策をどう見たか | トップページ | 日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想 »