« [書評]傍観者の時代(P・F・ドラッカー) | トップページ | 黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果 »

2009.12.04

ミナレットを巡る問題

 写真はトルコ、イスタンブルの「アヤソフィア」である。1985年に世界文化遺産に登録された。ところで、これは何であるか? いや、のっけから変な問いかけをしてしまうのだが。「アヤソフィア」とは何か?

photo
アヤソフィア

 答えは、博物館である。
 ローマ帝国が現在のトルコに移転した時代、532~537年にキリスト教の聖堂として建造された。私が現地で聞いた話では、当時最大の聖堂であったとのこと。ただし、写真と違い、聖堂を囲む4本の尖塔は設置されていなかった。
 聖堂はハギア・ソフィアと呼ばれた。意味は「聖なる知」である。ウィキペディアの説明では「聖なる叡智」としてそのリンク先に珍妙な話がついているが、ソフィアとはロゴスのことである。そしてロゴスとはキリストのことである。が、まあ、私のそうした説明も珍妙に思われるのかもしれない。
 1453年、イスラム教を信じるオスマン帝国皇帝メフメト2世がローマ帝国の首都を占領し、大聖堂をイスラム教のモスクとして使うこととした。内部にメッカの方角を示す窪み状の設置物ミフラーブを加えるなど改変を加え、アヤソフィア・ジャミィとした。この改変の一部としての追加が、4つの尖塔、つまりミナレットであった。
 1923年、現在のギリシアのサロニカ(テサロニキ)で産まれたオスマントルコ軍人ムスタファ・ケマルが革命によって世俗国家トルコ共和国を建国し、1935年にモスク、アヤソフィア・ジャミィは博物館となった。この過程で、モスクの壁を剥いで、ローマ時代の聖画なども露わにされた。アヤソフィアの内部に入ると、イスラム教らしく天使の名前をカリグラフィにした円盤も掲げられており、キリスト教とイスラム教の混合物のような印象も受ける(追記 預言者らの名前とのことコメントをいただいた)。
 トルコは世俗国家化によってすべてのモスクを廃棄したわけではない。アヤソフィアの向いにある巨大なモスク、通称ブルーモスクことスルタンアフメト・モスクはそのままイスラム教のモスクとして残っている。

photo
スルタンアフメト・モスク

 この二つの建造物の雰囲気は似ているでしょ。
 さて話は、ミナレットである。モスクを囲むように付いている尖塔である。アヤソフィアには4本あり、スルタンアフメト・モスクには6本ある。本数にはあまり意味はないようだ。当然、立派なモスクにはたくさんあるといいよねというのはあるだろう。
 普通はというのは変な言い方だが、1本である。私はトルコの内陸とギリシアの内陸をバス旅行したのだが、建築中のモスク(イスラム教)と教会(キリスト教)は、異教徒の私にはほとんど見分けがつかない。メフメト2世がソフィア聖堂をモスクに転用した気持ちもわからないではない。建造物にミナレットが立っていると、ああ、モスクかと思う。
 ミナレットとは何か。それがよくわからないらしい。もちろん、イスラム教徒にしてみれば、自明すぎるだろうし、「アッラーフ・アクバル・アッラーフ・アクバルアザーン」で始まるアザーン声を伝える塔だ。日本人だと防災無線塔みたいに思うかもしれない。
 モスクにミナレットは必須のものかというと、イスラム神学上はそうではないらしい。ミナレットのないモスクもあるし、アヤソフィアやスルタンアフメト・モスクのような形状ではないミナレットもある。
 以上が前振り話なのだが、先月29日、永世中立国家と誤解されやすいスイスで、モスク附帯のミナレット建造を禁止する憲法改正案の是非を問う国民投票が実施され、可決された(参照)。衆愚である。露骨な偏見と差別でしかない。国連も欧州連合(EU)もスイス国民の民意を明らかな差別だと非難した。直接民主主義の愚かさを表す恥ずかしい結果になってしまった。スイス政府自身もこの国民の衆愚の結果を恐れていた。

photo
ミナレット禁止を
呼びかけたビラ
 すでにアザーンは禁止されていたが、中道右派・保守政党と見られた議会第1党スイス国民党が10万人を越える署名集めて国民投票に持ち込み、57.5%の賛成多数を得てしまった(投票率は53%)。スイスでもこの結果に困惑する人々は多く、裁判所が今回の可決を排するよう期待されている。
 イスラム教徒の多い国の反応はどうか。トルコ、エゲメン・バウシュ国務相兼EU加盟交渉担当官は、世界中のイスラム教徒がスイスの銀行から金を引き揚げるだろうと発言し(参照)怒りを表明しているが、エジプトのムフティー(宗教指導者)アリ・ゴマー師は、今回の事態をイスラム教徒への侮辱と怒りを表すものの、対話での解決を公にし(参照)、騒ぎが広がる懸念を示している。
 スイス内のイスラム教徒の存在は、労働者としての流入やコソボ紛争による流民の結果で、現状40万人ほどと見られ、全国民の5%のマイノリティを形成している。日本では日頃マイノリティ差別に関心を持つ人々もジャーナリズムもこの問題にはそれほど関心を示していないように見受けられるが、欧米ではフィナンシャルタイムズ(参照)やニューヨークタイムズ(参照)などが社説で取り上げていた。イスラム教徒の移民を抱える国家でこのような動向が広がることを懸念してのことだろう。

|

« [書評]傍観者の時代(P・F・ドラッカー) | トップページ | 黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果 »

「時事」カテゴリの記事

コメント

>イスラム教らしく天使の名前をカリグラフィにした円盤も掲げられており
アラビア文字で書かれた円盤のことでしょうか。あれは天使の名前ではなく、預言者と預言者死後イスラーム教徒共同体を率いた指導者たち、それとある指導者の2人の息子の名前が書かれた円盤ですね。

アザーンを禁止(日本も禁止?)しているんですからミナーレくらいと許せよと思ってしまうのですが…

投稿: 匿名読者 | 2009.12.04 21:46

ご指摘ありがとうございます。本文に追記しました。

投稿: finalvent | 2009.12.05 08:18

現地の観光案内では、6本なのは設計者がスルタンの要望を聞き間違えて作ってしまったと言っていました。さらに続きがあって、当時ミナレットが6本あったのはカーバ神殿だけだったので、スルタンが(本数のことで)恐縮して1本寄贈したそうで。
トルコの信者は少なからず本数に権威を感じていたのかもしれません。4本以上ある建物はスルタンの命令で建造されたという話もネットで見かけました。

投稿: | 2009.12.05 16:47

ほど近い場所で以下のような騒動が発生しているようです。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2009/11/091107.html

投稿: MUTI | 2009.12.05 17:24

西ヨーロッパ圏でのイスラームへの偏見は、トゥール・ポアティエの戦い以来というところでしょうか。その割には、西ヨーロッパはイスラームの学術を輸入し、スコラ哲学も近代科学も近代哲学もイスラームの学術を咀嚼消化して発展できたものなのですけれど。そして、ヨーロッパの神秘思想家は、ほとんどみんなスーフィズムに関心を持っていたのですけれど。

ユーゴスラビアが分裂したら、宗教間の憎悪が爆発したのも記憶に新しいところです。

イスラームへの偏見と嫌悪は、西ヨーロッパだけでなく、インドのヒンドゥー教原理主義者の間でも強いところです。

日本でもイスラームの信者が増えたら社会問題が多発するのかなあ。私は、今の自分にめちゃくちゃな不足を感じていないから、イスラームにたぶん改宗することはないと思いますが、穏健なイスラームの人たちとうまく共存したいと思っています。

日本がイスラーム国家になってしまったら、異教徒税を払って大乗仏教徒(?)を継続すると思います。過激なイスラームの信者に、「異教徒はイスラームの信者に殺されないと天国にいけない」と詰め寄られたら、仕方ないから、「電気ショックか心臓に銃撃一発で楽にあの世に送ってください。肛門に槍を突っ込むとか、陰茎をえぐるとか、四肢を切り落として出血死させるとか、そういう拷問死はやめてください。あなたたちは慈悲深い預言者ムハンマドの信者なはずだから、そういう残忍な異教徒殺害は、真のムスリムにふさわしくないと思います。」と回答すると思います。

投稿: enneagram | 2009.12.06 10:41

「異教徒はイスラームの信者に殺されないと天国にいけない」

これの出典はどちらでしょう。

異教徒を殺せば殺すほど天国に近づく云々のテクストは見つかりましたが。

投稿: goh | 2009.12.08 11:04

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ミナレットを巡る問題:

« [書評]傍観者の時代(P・F・ドラッカー) | トップページ | 黒色炭素(Black Carbon:ブラックカーボン)の地球温暖化効果 »