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2009.12.15

日本国憲法の平和主義とオバマ米大統領の平和思想

 オバマ米大統領のノーベル平和賞授賞式演説について、日本のマスコミでもブログの世界でもそれほど話題になっていない印象がある。私はダルフールのジェノサイドを「ジェノサイド」と明確に言明し、その犯罪責任を曖昧にしないこの演説に感銘を受けた。同時に、彼の平和思想の起源と、日本国憲法の平和主義の類似性について関心を持った。思いが拡散してしまう前にメモ書きをしておきたい。
 オバマ米大統領のノーベル平和賞授賞式演説だが、その主要テーマは何であろうか? この演説をオバマ米大統領の平和主義と呼んでよいだろうか? その前提となる平和主義とは何か? いろいろと曖昧な問題が複数立ち上がる。そもそも平和主義という概念が成立するのか? 成立すると見てよい。その場合、コアとなる概念は、暴力・武力放棄による紛争・対立の解決となるように思われる。
 この時点でまた疑問が二点浮かぶ。武力の放棄は平和主義の本質のなすものだろうか? 同等の本質を持つ平和学との対比はどうなるのか? 
 平和学者高柳先男氏が「戦争を知るための平和入門」(参照)で一般向けに解説した「平和学」で強調されているのは、いわゆる平和主義とは異なったものだった。あえて単純にいえば、国家間の戦争または地域紛争などの暴力を発現させないための仕組みや計画(戦略)として妥当なあり方を模索する知的な営みだった。ゲーム理論なども応用される。その意味では、目的が同じであっても、平和を求める平和学は平和主義とは異なる。
 明白なことだが、オバマ米大統領は軍事力行使を否定していない。その時点ですでに平和主義ではないとも言えるかもしれない。また、彼の演説の実質を占めているのは、平和を可能にする三つの要件であり、それは平和を実現する手立てとして位置づけられていて、平和学にやや似ている。だが、平和学と異なるのは倫理的な課題が問われていることだ。
 平和主義でも、平和学でもないなら、では、オバマ米大統領演説の主題はなんだったのだろうか?
 回りくどい言い方になるのだが、あの演説の最も重要な概念は、"Just war"であった。
 共同通信はこれを「大義のある戦争」、朝日新聞は「正しい戦争」とそれぞれ訳していた。字引を見ると「正義の戦い」ともある。この3つの訳語の日本語の意味合いはそれぞれ異なる。「大義ある戦争」は戦争を起こす理由としての正義が問われている。「正しい戦争」は、どちらかといえばルール概念だろう。「正義の戦い」というのは、その戦いよって正義を決するという響きがある。どれが間違いというものでもない。もちろん訳語としては朝日新聞は「正しい戦争」が定訳語だろう。
 "Just war"とは何か? これはラテン語の"Bellum justum"または"Jus ad bellum"の英語の定訳語である。ラテン語に起源があることは、この議論(正戦論とも呼ばれる)が、西欧の共通語としてのラテン語で議論されたということもあるが、ラテン語古典を背景に持つことは明白だろう。すぐに連想されるのはローマ法など、ローマ由来の哲学だが、これらと、ラテン語文化のおよび哲学を実質支えているカトリックの思想も関係してくる。この点は、ウィキペディアの解説が示唆的だ(参照)。


【ウィキペディア】
Just War theory is a doctrine of military ethics of Roman philosophical and Catholic origin[1][2] studied by moral theologians, ethicists and international policy makers which holds that a conflict can and ought to meet the criteria of philosophical, religious or political justice, provided it follows certain conditions.

"Just war"理論は、道徳神学者、倫理学者および国際政治家によって研究された、ローマ哲学およびカトリック教義に根を持つ軍事倫理の基本原則である。彼らは、紛争は、哲学的、宗教的および政治的な公正の基準にかなうものであるべきだとしている。その基準は以下の通りである。


 ローマ法からカトリックに引き継いだ倫理・神学的な背景が"Just war"の概念にある。具体的にはキケロとトマス・アクィナスを背景に持っているが、それらの議論の整合がオバマ演説の理解の直接的な補助線となるわけではないので詳細には立ち入らない。基本は、"Just war"理論では、倫理的な基準から戦争に「公正」が問われることだ。別の言い方をすれば、"Just war"の"Just"は、正義や大義というより、「公正」の概念であり、"Just war"とは、「公正なる戦争」ということだろう。
 また、"just"が"jury"とラテン語で同起源にあり、"Jus ad bellum (Justice to War)"の語感からも、「法の公正」や審判的な含みがある。個人的な印象だが、正戦論の議論の全体的な骨格は神義論(Theodicy)と同型なのではないか。神義論(Theodicy)のコアは「悪(evil)」の存在論であり、オバマ米大統領も今回の演説で「悪(evil)」の実在をドグマとしていることも連想した。
 「公正なる戦争」という視点で見ていくと、オバマ米大統領演説の主題はわかりやすくなる。まさに、「戦争の公正性はいかにあるべきか」がこの演説で問われていたからだ。
 ここで話を込み入らせることなるのだが、「戦争の公正性」と平和とはどのような関係があるのだろうか?
 この時点で言うのは拙速だが、私の印象では、「戦争の公正性が平和主義である」というのがオバマ米大統領の主張のように思える。だから平和学とも違う。「戦争の公正性が平和主義である」というのは、従来の平和主義とは異なる哲学でもある。
 そして、この哲学は、おそらく日本国憲法の平和主義と密接な関係を持つ哲学のようだ。
 話が不用意に複雑になるのを恐れるのだが、現代の米国において"Just war"の議論が強く意識されたのは冷戦であり、冷戦を色づけたのは核戦争であったことも興味深い。

【ウィキペディア】
The Just War theory is an authoritative Catholic Church teaching confirmed by the United States Catholic Bishops in their pastoral letter, The Challenge of Peace: God's Promise and Our Response, issued in 1983. More recently, the Catechism of the Catholic Church, in paragraph 2309, lists four strict conditions for "legitimate defense by military force":

「公正なる戦争」の理論は、米国カトリック司教区の司教書簡、1983年の「The Challenge of Peace: God's Promise and Our Response(平和の挑戦:神の約束と我々の使命)」によって成立した正統カトリック教会の教えである。近年では、公教要理2309にて4つの条件が「軍事力による正当防衛」として厳格に定められている。


 「The Challenge of Peace: God's Promise and Our Response」(参照PDF)は原文がネットで公開されているので、核問題の視点から読み直すと面白いだろう。
 その4条件だが、オバマ米大統領の議論とは直接は噛み合っていない。だが、オバマ米大統領の思想全体から見れば符帳もある。"Evil(悪)"として実際にこの文脈で議論されている核兵器の不使用であるからだ。
 "Just war"には、ラテン語文化、およびカトリック神学の色合いがあるが、"Just war"がすべてカトリック的な神学によるわけではなく、より一般化されてもいる。と同時に、冷戦のみがその現代的な背景でもない。そして、その一般化の過程では、"Just war"の西欧的な思索の系譜は、どこかの時点で、「神」からその代理店のような「人権」に置き換わり、また「悪」は「人権への罪責」に置き換わったようだ(このあたりの変遷は私にはよくわからない)。
 私が以上の文脈、つまり戦争への公正なる審判ということで想定しているのは、言うまでもなく、ニュルンベルク裁判と極東国際軍事裁判である。これらは国際軍事裁判であると同時に、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」を掲げており、そこからバックトラックするように「公正」の議論の追求によって、連合軍の戦争が「公正なる戦争」となった。
 同時に、この公正性を受け入れたかたちで日本国憲法が成立した。日本国憲法は一見、平和主義と見られている。しかし、こうした背景を背負っていていることから、それは本当に平和主義なのだろうかと問い直せる部分がある。
 話をオバマ演説の骨格に戻してみたい。
 彼は、実際上「戦争の公正性が平和主義である」という命題を持ち出した。そしてこれはナチスと大日本帝国を壊滅させた戦争の公正を保持している米国の歴史的連続性でもあった。
 この命題を裏打ちするのは裁かれるべき「悪」の存在である。悪を規定しているのは、人道への違反としての平和の侵害ではあるが、歴史という文脈でこの論理を見れば、必然的に米国の公正に対抗する者は「悪」であることになる。そこには直感的な疑念を持つ人も少ないだろうし、であるからこそ、正戦論、つまり「戦争の公正性」が声高に議論される背景がある。
 オバマ演説では、戦争を無くすこと、あるいは戦闘を回避するするのが平和ではなく、あくまで「戦争の公正性が平和主義である」としている。逆に言えば、平和とは「戦争の公正性」として問われる。
 彼は演説の本論として、平和実現の3つの方策を提唱する。これが実質的な「公正性」の要件をなすと見ていいだろう。
 第一は、軍事力に匹敵する効果を持つ代替の強調である。その代替は、諸国家の協力なしにはありえないともしている。だが、その代替とは何かは明示的には問われないかに見える。
 議論の表向きでは、軍事力の代替によって軍事力を極力回避することによって平和を見いだすということで、その点では「平和主義」にも「平和学」にも近い。だが、ここで問われているのは、やはり「公正」である。
 結論を先に言うと、この代替とは、日本国憲法の「high ideals」であるだろうし、ここでオバマ大統領が述べているのは、日本国憲法の次の箇所と同質だろう。

【日本国憲法】
We desire to occupy an honored place in an international society striving for the preservation of peace, and the banishment of tyranny and slavery, oppression and intolerance for all time from the earth.

私たちは、平和を維持し、独裁制度と奴隷制度、圧政と異説への不寛容に対して、この地上から払拭するための間断なき努力によって、国際社会で名誉ある位置にいたいと願う。


 それが日本国憲法の「high ideals」であり、これは、考えようには奇妙な論理なのだが、世界平和に貢献する制御機能を持つとされている。

【日本国憲法】
We, the Japanese people, desire peace for all time and are deeply conscious of the high ideals controlling human relationship,

私たち日本人は常時平和を望み人間関係を制御する高い理想というものを深く意識する。


 つまり、高い理想が諸国間の対立を統制しうるという考えかたがある。これは暗黙に、戦争の代替としての含みがある。これが日本国憲法の平和主義または平和学的な主張の機能的な側面である。
 オバマ米大統領が常に高い理想を提示していることからも、おそらく日本国憲法の倫理機能性がオバマ米大統領のいう代替と等しいだろう。演説の文脈でいうなら、諸国が協力しうるのは、高い理想=公正に賛同して集結するからだ。
 日本国憲法ではこの「公正」は、"laws of political morality(政治的な道徳の規則)"として、こう表現されている。

【日本国憲法】
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations and justify their sovereign relationship with other nations.

私たちはこう信じている。自国だけに責任を持てば済むとする国家は存在しない。政治的な道徳の規則というのは(国を問わない)普遍的なものである。だからこのような規則を守ることは、どの国家にも課せられた義務であり、その義務は自国の主権を維持しようとする国家に課せられている。


 むしろ日本国憲法が、オバマ演説の第一原則を解説している。
 これらは素晴らしい思想ではあるが、疑問もある。日本国憲法が半世紀以上晒されてきた疑問であるが、本当に「高い理想が諸国間の対立を統制する」のだろうか?
 オバマ米大統領の演説では、「Sanctions must exact a real price.(制裁には実効性が伴わなければならない)」とし、あたかも理想を越えた部分で実行力を想定しているようにも受け取れる。だとすると、問題はそれが再び暴力に回帰する経路を隠し持っていることになる。しかし、戦争の代替を担保するものが結局戦争では矛盾するようにも見える。
 オバマ米大統領の平和思想の基点が「公正な戦争」に置いている以上、もちろん最終の制裁としての軍事オプションは排除されていない。しかし、おそらく彼の平和思想には、日本国憲法と同様に「人間関係を制御する高い理想」の機能を優先しているはずだ。それはどのような仕組みで機能するのだろうか?
 「公正な戦争」が発動する前段階では、極東国際軍事裁判で出された公正性としての人道への罪への処罰も含まれている。演説では、"consequences"とやや曖昧に表現されている部分だ。

【オバマ演説】
When there is genocide in Darfur, systematic rape in Congo, repression in Burma -- there must be consequences.

ダルフール・ジェノサイドや、コンゴでの組織的なレイプ、ビルマでの弾圧にも、報復が必要だ。


 戯画的に言えば、「公正な戦争」を要請する状況においては、戦争の実現よりも、悪を抜き出して処罰することが優先されていると言える。
 オバマの第一原則をまとめよう。それは、高い理想によって統制された国際社会は、その国家間の協力により、特定国家や地域から悪を抜き出し公正の下に処罰することで、できるだけ戦争を回避することが可能だが、最終手段としては放棄されない、となる。
 第二原則はどうか。これは第一の原則のほぼ必然的な帰結であり、平和が「戦争の公正性」であるなら、公正の質となるのは人権であるということだ。

【オバマ演説】
This brings me to a second point -- the nature of the peace that we seek. For peace is not merely the absence of visible conflict. Only a just peace based on the inherent rights and dignity of every individual can truly be lasting.

第二の話は第一からつながる。平和といってもどのような平和を私たちは求めているかだ。平和を求めることは単に、見える紛争をなくすことではない。誰もが生まれながらにして持つ人権と尊厳に基づく正当な平和こそが、真に永続的になりうる。


 人権は普遍的なもので、諸国の独自文化・歴史によっては否定されないともしている。このあたりからは、「戦争の公正性」はいかる異文化も超越するし、異文化が公正でなければ最終的には戦争で押しつぶすと取れないでもない。

【オバマ演説】
For some countries, the failure to uphold human rights is excused by the false suggestion that these are somehow Western principles, foreign to local cultures or stages of a nation's development.

国によっては、人権を擁護できないことについて、それは西洋の原則に過ぎないとか、文化によっては違和感があるとか、国家の発展段階によるのだとか弁解している。

So even as we respect the unique culture and traditions of different countries, America will always be a voice for those aspirations that are universal.

私たち米国民は、さまざまな国々の独自の文化や伝統を尊重しつつも、常に普遍的な価値を希求する声を上げつづける。


 人権が文化を越えて普遍であるという主張は日本国憲法でも前提となっていて、先にも触れたがここに該当する。

【日本国憲法】
no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal;

自国だけに責任を持てば済むとする国家は存在せず、政治的な道徳の規則というのは(国を問わない)普遍的なものである。


 第三の原則は第二の原則の補足のように見えるが、日本国憲法と字句まで対応しつつ、そこを補足しているのが興味深い。

【オバマ演説】
Third, a just peace includes not only civil and political rights -- it must encompass economic security and opportunity. For true peace is not just freedom from fear, but freedom from want.

第三に、正当な平和に含まれているのは、市民権と参政権だけではない。経済的な安定と機会が含まれていなくてはならない。真の平和は恐怖からの自由だけではなく、貧困からの自由でもあるからだ。


 日本国憲法前文では、恐怖や貧困からの自由を平和とするに留まっている。

【日本国憲法】
We recognize that all peoples of the world have the right to live in the peace, free from fear and want.

世界のどの国民も平和で恐怖や貧困のない生活を過ごす権利がある、と私たちは理解している。


 しかし日本国憲法の本文では、恐怖や貧困からの自由以上に、市民権と参政権が規定されているのだから、実質的にはオバマ原則の通りになり、ここでも同型性がある。
 以上のようにオバマ平和思想の実質要件の三点をみるとわかるが、彼のノーベル平和賞授賞式演説は日本国憲法の平和主義とまったく同根であり、ただ立場を変えただけの鏡像であることがわかる。もっと単純に言えば、今回のオバマ演説は日本国憲法前文の主語を置き換えてもそう違和感のない関連主張になっている。
 ただし、オバマ米大統領の演説では、「公正なる戦争」への不参加は、日本国憲法9条を持ち出すまでもなく想定されていない。戦争放棄と理解される日本国憲法と比較して、この点はどうなのだろうか。

【日本国憲法】
we have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.

私たちの安全と生存の保持は、平和を愛する世界の国民の正義と信頼に委託しようと、私たちは決めた。


 日本国憲法では、その成立時には、灰燼に帰した国土から二度と軍隊が持てるほど豊かな国家は生まれないと見られていたのではないだろうか。まだ逆コースも進んでいなかった頃だ。だから、日本国憲法前文は「公正なる戦争」によって守られることだけを述べており、それが9条につながっているとも読める。その解釈なら日本国憲法は平和主義というより、オバマ米大統領の「公正なる戦争」を支援する弱小国家の規定だとも言える。それが戦後日本では、平和主義として理解されてきたのかもしれない。しかしその意味での平和主義は、かつて米国の「公正なる戦争」において「悪」として見られてきたことへの、対置された正義(平和が正義だ)としての申し立てではなかったか。敗戦による反米意識に支えられたものではなかった。
 日本国憲法前文に振り返ると、公正の法に対する"obedience(服従)"としての自由国家の連帯の義務が語られていることにも気がつく。

【日本国憲法】
obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.

このような規則に服従することは、どの国家にも課せられた義務であり、その義務は自国の主権を維持しようとする国家に課せられている、また、その義務は他国との関係で公正を実現しようとする国に課せられている。


 日本国憲法におけるこの公正の法に対する"obedience(服従)"は、「戦争の公正性が平和主義である」とするオバマ演説の次の部分と同質ではないだろうか。

【オバマ演説】
Inaction tears at our conscience and can lead to more costly intervention later. That's why all responsible nations must embrace the role that militaries with a clear mandate can play to keep the peace.

軍事行動を取らずにいることは、私たちの良心を苛まし、後になって犠牲の多い軍事介入に至らせる。だから責任ある諸国は、シビリアンコントロールの下にある軍隊が平和維持に寄与することを承認しなければならない。


 試訳ではあえて、"militaries with a clear mandate can play to keep the peace"を「シビリアンコントロールの下にある軍隊が平和維持に寄与する」と訳した。直訳すれば、「平和維持のために明確な委任を受けた軍隊」となる。
 おそらく日本国憲法の平和主義は、人道主義の高い理想の実現で諸国間が強調して「悪」を排斥するとともに、その最終的な裏付けとしての軍事力に対して、"a clear mandate (明確な委任)"を持っているだろう。これは、9条との関係でいうなら、日本国国権の発動としての戦争は放棄されても、国家間の公正性に委託される軍事力の運用は否定されていないのではないか。
 だとすれば、ここにおいてオバマ米大統領のノーベル平和賞授賞式演説が日本国憲法と同型であることの証明は終わる。

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コメント

例によって、ふざけたコメントですみません。・・・居酒屋で、オバマの物真似をすると、上手ければ上手いほど、女性がどん引きになって、絶対もてないそうです。「どうしてでしょうか?」と、その人真剣にYahoo!知恵袋で質問してたけど・・・。やっぱり、女の本能は、嗅ぎつけるんじゃないですか?「日本国憲法じゃ、世の中渡っていけないわよ。・・・SEXアピールもサイテイだし」って。

投稿: ジュリア | 2009.12.15 19:07

日本国憲法というのは、じつは、アメリカ合衆国の普遍的理想を憲法法文化したものであるということは、気づきませんでした。日本国憲法は、アメリカでは絶対に主流になりえない、アメリカのルソー主義者たちが、戦後のドサクサに日本に押し付けたものであるという説は、何かの本で読んだ覚えがあります。山本七平さんの本だったかな。

Bellum justumは、大乗仏教も採用している思想だと思っています。不動明王や毘沙門天は、仏教的なBellum justumを実現する諸仏諸天であると、理解(誤解?)しています。悪との戦いは、内面的なものだけでなく、現象世界でも実現されるべきであることの象徴が、明王や四天王であろうと思っています。ただ、そこのところをへんな風に強調して、歪曲解釈を重ねると、オウム真理教になるのだろうと思いますが。

警察も軍隊も裁判所も刑務所も消防署も保健署も法務局も労働監督基準局も不要(不用)な社会的公正と正義が実現した社会を夢想するのはナンセンスです。社会から、法の制御の下に組織された暴力を廃棄できる日はおそらく来ないでしょう。

ただ、暴力の行使(債務奴隷化も含む)の多くが、金に代替して解決できる場面が社会に増えたのを考えれば、暴力の行使を、有益な知識の利用で回避できる場面が今後増えていくと考えるのは、それほど無意味でもないとは思います。ただ、そのためには、知識労働を主とする現業の役所は、さらに充実させないといけなくなるのでしょうが。それでも、それも、多くをNPOで代替出来るようになるのかもしれません。

投稿: enneagram | 2009.12.16 10:36

「オバマ米大統領のノーベル平和賞授賞式演説だが、」の「が」の使い方は文章のロジックをたどり難くするので避けた方が良いですよ。(速読にも不向き)

投稿: 1192 | 2009.12.16 18:36

古い記事に今更ですが、いくつか間違いの指摘を

>>この地上から払拭するための間断なき努力によって、国際社会で名誉ある位置にいたいと願う
という部分は
この地上から永久に払拭しようと努めている国際社会において~だと思います

あと
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations and justify their sovereign relationship with other nations.
ですが
~all nationの後のwho would sustain their own sovereigntyが抜けていて訳がちょっとおかしくなってます

投稿: 徒然 | 2011.08.10 00:36

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受信: 2009.12.16 10:47

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