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2009.12.29

「〇八憲章」主要起草者、劉暁波氏の初公判の文脈

 中国の文芸評論家で詩人の劉暁波氏の初公判について、メモ書き程度だが簡単に触れておいたほうがよいだろう。インターネットに意見を公開しただけで国家政権転覆扇動罪に問われ、懲役11年の求刑となった暗黒裁判の結果もだが、ごく当たり前の人権問題というよりも、「習近平国家副主席訪日の意味は何だったか、その後の文脈から見えてくるもの: 極東ブログ」(参照)に関連した文脈のほうが重要な意味をもちそうだ。
 劉暁波氏の国際的な評価だが、今年のノーベル平和賞はオバマ米大統領ではなく彼が受賞すべきだったとの評価は多い。例えば、フォーリン・ポリシー「Nobel Peace Prize Also-Rans」(参照)は、ノーベル平和賞が与えられるべき7人の偉人をまとめているが、ガンジー、エレノア・ルーズベルト、ヴァーツラフ・ハヴェル、ケン・サロ=ウィワ、サリ・ヌセイベ、コラソン・アキノに劉暁波を加えている。彼はこの生存者4人のうちの1人である。

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天安門事件から「08憲章」へ
劉暁波, 劉燕子
横澤泰夫, 及川淳子
蒋海波
 1955年生まれの劉暁波氏は、1989年、北京師範大学所属の研究者として米国留学中であったが、天安門事件の直前に中国に帰国し、民主化運動に参加した。だが軍隊繰り出され市民虐殺が開始されるや、学生たちを可能な限り撤退させるよう努力した。運動鎮圧後、劉氏は、天安門事件の煽動者として北京市公安局に逮捕された。その後裁判を受けたが、刑事処分免除で済んだ(公職は追放された)。この時は西側諸国の圧力が強く、また胡耀邦氏や趙紫陽氏につならり弾圧を懸念する人々も多く、中国政府も刑を軽くせざるをえなかった。よく知られているように、胡錦濤氏も胡耀邦氏の人脈である。
 劉暁波氏は、1993年にはキャンベラにあるオーストラリア国立大学に短期留学し、そのまま亡命すると見られていたが、帰国した。あくまで中国国内での活動に命をかけることに決意したと見られる。当時、シドニーで読売新聞が劉氏とインタビューを行っており、そこで身の危険について問われた氏は「政府と違うことを考え、それを口にする私は、いつも危険に直面している。私は八九年にも米国から中国に戻ったが、海外で反体制運動をするつもりはない。国際的な物ごいは嫌だ」と答えている。
 1995年には、天安門事件6周年の記念よろしく拘束され入獄。政府批判の罪で強制労働を伴う労働改造刑によって1996年から1999年まで3年間労働教養所に拘束された。その後も言論活動で拘束されては釈放される。
 2007年に中国指導部に人権状況の改善などを呼びかける公開書簡を発表。翌年、劉暁波氏が共同起草者に含まれる「〇八憲章」(参照)は、知識人ら303人人の連名で世界人権宣言60周年記念日の2008年12月10日を意識して公開された。劉氏自身はこの公表直前に拘束されていた。
 国家政権転覆扇動容疑として劉氏の逮捕に至ったのは2009年6月23日であり、「〇八憲章」公開後の拘束から半年の時間が経過している。なぜこの遅れが生じたのだろうか。
 2月24日付け香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストは、対応を巡って胡錦濤主席と党政治局の李長春氏および周永康両常務委員の対立を報じている(参照)。天安門事件処理後の対応を思い出しても、共産党指導部でなんらかの権力闘争に発展していた可能性ある。
 興味深いことだが、11月25日、香港の人権団体・中国人権民主化運動ニュースセンターは、劉氏が近く釈放されるという見通しを出していた。錯綜した情報にそれなりの理由があるのだろうか。この話は後で触れよう。
 そして今回12月25日の北京市第一中級人民法院(地裁)の判決だが、朝日新聞「民主化運動の封じ込め、鮮明に 中国、作家に重い量刑」(参照)はこう伝えている。

 朝日新聞が入手した判決文によると、劉氏が憲章で共産党独裁を廃止し、民主憲政に基づく「中華連邦共和国」の樹立を呼びかけたことに加え、ネット上に掲載した共産党や指導者を批判した六つの文章が重大な犯罪行為に当たるとしている。
 傍聴した劉氏の弟、劉暁暄氏(52)によると、裁判官は劉氏や弁護士の陳述を途中で打ち切ったという。弁護士は「審理はたったの3日で、判決文は起訴状をそのまま写しただけ。十分な審理を尽くしておらず、何の実害も出ていないのに量刑はあまりに重すぎる」と批判した。


 当局は外国メディアの取材も制限。朝日新聞は23日の初公判と25日の判決の傍聴を申請したが、拒否された。裁判所の一角に臨時に設けられた「取材区」から出られず、裁判所では傍聴した家族や弁護士にも接触できなかった。米国などの大使館員も傍聴を求めたが、いずれも認められなかった。

 単純に一種の暗黒裁判として見てよいだろうし、国際的にもそう見られている。公判前の15日時事「作家の釈放要求は内政干渉=中国」(参照)では、欧米諸国からの批判を伝えている。

中国外務省の姜瑜副報道局長は15日の記者会見で、欧米諸国が反体制作家の劉暁波氏の中国での拘束を批判し即時釈放を求めていることについて「非難は受け入れられない。外部勢力が中国の内政と司法の主権に干渉することに反対する」と述べた。

 日本の民主党政府がこの欧米からの批判に与したかについての報道を私は見ていない。鳩山政権は、今回の中国における人権侵害の状況になんらかの批判を出しただろうか。
 これに対して、日本の民間の声を7日の産経抄(参照)はこう伝えている。

日本でも、「08憲章」の内容と、詩人でもある劉さんの存在を広く紹介したいと、大阪在住の作家、劉燕子(リュウイェンズ)さんらがこのほど編集したのが『天安門事件から「08憲章」へ-中国民主化のための闘いと希望』(劉暁波著、藤原書店)だ。
 ▼「編者解説」のなかで劉燕子さんは、アメリカやヨーロッパに比べて日本の知識人が、中国の民主化や人権の問題に関心が薄いことを嘆き、「中国批判は反中国の右翼というレッテルを貼られるというおかしな状況」に首をかしげている。

 日本では、中国の人権問題に触れるだけで右翼のレッテルを貼られることがあるというのは、奇妙ではあるが、共感できる指摘だ。
 先ほど言及した中国人権民主化運動ニュースセンターと思われるアナウンスに戻るが、朝日新聞記事はこう言及している。

 オバマ米大統領が訪中した11月、劉氏が釈放されるのではとの期待が人権活動家たちの中ではあったが、オバマ氏は首脳会談の場で人権問題に踏み込まず、「中国側は米国が強硬には出ないという確信を得た」と北京の外交筋はみる。その後、1カ月足らずで起訴され、判決まで進んだ。

 端的に言ってしまえば、人権問題の観点ではオバマ米大統領によって劉暁波氏が見捨てられたか、あるいは端的に米国外交の失敗であったと言えるだろう。
 いずれにせよ、中国は、米国が人権問題に軟化したと理解したことで、ようやく劉氏の厳罰に踏み込むことが可能になったと見ることはできそうだ。もちろん、オバマ米大統領一人が責められる問題ではない。2月にはクリントン米国務長官、5月にはペロシ米下院議長が訪中したが、人権問題には触れなかった。しいていえば、米国民主党の大きな汚点となったと言ってよいだろう。
 裁判の文脈ではさらに産経新聞「「08憲章」重刑は警告 背景に「人権カード」消した欧米 見抜いた「大国化」する中国」(参照)の次の指摘が興味深い。

 当局は劉氏に「海外出国」を打診していたとされ、この日の判決は「あくまで国内にとどまり、体制批判を続ける」(劉氏)との“信念”に対する回答でもあった。

 それが本当なら、オバマ訪米までの時点では劉暁波氏を暗黒裁判にかけないシナリオが11月までは存在した可能性がある。
 今回の公判の日程だが、「習近平国家副主席訪日の意味は何だったか、その後の文脈から見えてくるもの: 極東ブログ」(参照)で触れたように、習近平国家副主席アジア諸国歴訪も関係しているようだ。23日付け産経新聞「「罪は重大」と検察 独裁放棄求めた「08憲章」の劉氏初公判」(参照)はこう伝えている。

劉氏は「08憲章」を発表した昨年12月に拘束され、今年6月に逮捕された。拘束から1年を経た裁判は、「オバマ米大統領の訪中など(外交上の)重要日程を終えたタイミングを図った」(民主活動家)とみられている。
 習近平国家副主席の訪日やフランスのフィヨン首相の訪中などの一連の外交日程を終えたことも裁判日程と関係するとみられる。

 カンボジアからウイグル人の強制送還を実現させた習近平国家副主席のアジア諸国歴訪の完成として、この劉暁波氏暗黒裁判があると見てもよさそうだ。
 逆に、劉氏の暗黒裁判を習近平国家副主席が最高権力者の主席になるための階梯として見ると、その経緯に別の光が当てられる。
 最初に想定されるのは、「習近平副主席訪日の天皇特例会見のこと: 極東ブログ」(参照)で言及した習近平国家副主席による訪日天皇陛下会見の、中国側のどたばたが劉氏の暗黒裁判へのプロセスときれいに重なることだ。単純に言えば、オバマ米大統領訪中に劉暁波氏弾圧を批判するメッセージを強めていたら、習近平国家副主席が次期主席となる階梯の手順としての訪日天皇陛下会見が実現できなかったかもしれない。
 またこの1年の経緯を振り返ると、胡錦濤および李克強ラインは、「〇八憲章」と劉暁波氏への弾圧緩和に苦慮していたようにも見えるが、習近平国家副主席を支える集団に、逆にその苦慮で足を掬われた形になったのでないか。
 中国という国は為政者が少しでも弱みを見せれば致命的な失点となる。ゆえに、為政者が妥協的な政策や緩和的な政策を秘めていていたとしても、対立者からそこを弱みとして突かれると逆に、弱みを隠すために強硬派を演じなくてはならなくなる。この罠に胡錦濤および李克強ラインがはまっていたのではないか。そしてそこから抜け出すいいアイデアが陽出る処の国を経由して提供されてしまったということはないだろうか。

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コメント

>アメリカやヨーロッパに比べて日本の知識人が、中国の民主化や人権の問題に関心が薄いことを嘆き、「中国批判は反中国の右翼というレッテルを貼られるというおかしな状況」に首をかしげている。

 日本では、中国の人権問題に触れるだけで右翼のレッテルを貼られることがあるというのは、奇妙ではあるが、共感できる指摘だ。


日本は、財界が強いから、中国様のご機嫌を損ねて事業が失敗したら困るから、中国批判が大きな声になりにくいのだと思います。素朴な印象はそんなところです。
ただ、イラク戦争でアメリカ支持の日本に、人権問題で中国批判をする資格などあるのか?と、これも素朴なものの考え方だと思うのです。
中国の人権問題に対して、日本が出来る最大の貢献は、秋葉原や渋谷に来た中国人旅行者に、一品でも多くの日本製品を購入してもらうことだと思います。日本と日本人の人権意識の表現が日本製品であり、これが一番中国人の人権意識に対して感化力が大きいだろうと素朴にそう思うからです。
素朴な感想をいえば、欧米の知識人たちは、人権問題や民主化を持ち出して中国に嫌がらせをしているという趣もあると思います。日本だけでなく、中国まで台頭するのが、彼らにはひどくいやなのではないでしょうか。
もうひとつ素朴な感想をいえば、日本の仏教諸宗派には、もう少し、チベット問題やミャンマー問題に力を入れて取り組んで欲しいと思います。日本の仏教が本当に仏教徒の仏教でありたいと思うならばの話です。もちろん、日本の仏教が日本と日本人に閉ざされた国内宗教であると自己規定しているのなら、これは話は別です。

投稿: enneagram | 2009.12.30 10:10

>よく知られているように、胡耀邦氏も胡耀邦氏の人脈である。
>オバマ訪米
変です.

投稿: | 2009.12.31 01:11

誤記修正しました。ご指摘ありがとうございます。

投稿: finalvent | 2009.12.31 16:04

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