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2009.11.25

[書評]Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶(仲正昌樹)

 80年代のニューアカ系譜にある浮薄な現代思想の分野で一番まともな仕事をしているのが金沢大学法学類教授仲正昌樹氏ではないだろうか。あるいはその独自のアイロニカルな舌鋒が私の好みに合うというだけかもしれないが。彼の学究の根底には若い日の統一教会信者体験が関わっていることは、自身も各所で述べていた。それはどういうことなのか。そこに関心を持つことは、対象が思想家であるなら、そうプライベートな領域を覗き込む下品なこととも言えないだろう。思想というもの根幹にも関わる秘密には独特の魅了性がある。だが、その、社会的に異質な宗教の信者であったという、仲正氏の過去の体験に正面から立ち向かった著作はこれまでなかった。「〈宗教化〉する現代思想」(参照)などを読んだ印象からすると、その部分は語られないのかもしれないとも思っていた。

cover
Nの肖像
統一教会で過ごした
日々の記憶
仲正昌樹
 しかし、仲正氏は本書で語りだした。私は本書が出たと知ったときにためらうことなく読み始めた。インタビューを元に編集されたらしいこともあって、読みづらい本ではないし、内容量も多くはないが、ある心情がこみ上げて、あえて一気には読めなかった。
 不遜な言い方だが、書籍として面白いか面白くないかといえば文句なく面白いと思う。エンタテイメントではないにもかかわらず、仲正氏が現在どういうポジションにあり、どのような仕事をされているかをまったく知らない人にとっても、面白い本だろうと思う。
 しかし、私の個人的な読後感だが、予期していたような統一教会信者体験の核がなんであったかについては、非常に表現しづらい感触が残った。これはブログに書評などは書けないのではないか。別段書く必要もないのではないかとも思った。また率直に言えば、当時の入信の心情の本当の部分はまだ書かれていないのではないかという猜疑にも似た奇妙な思いも残った。奇妙というのは、どう書けば「入信の心情の本当の部分」になるのだろうか。私は、彼に罵倒を浴びせる匿名者の一人にでもなりたいのだろうか。そうではないと言いながら、その奇妙な思いに立ち止まっていた。が、先日、ツイッターで「食口」という言葉を見かけ、本書を思い出し、少し感想のようなものを書いてみたいと思った。
 統一教会がなんであるかについてだが、知らない人がいるならウィキペディアなどを見ていただくとよいだろう。韓国発祥のキリスト教系新宗教団体であり、教祖の直感で信者の結婚を決めて集団で行われる「合同結婚式」や、壺や宝石などを詐欺のように高額で売りつける「霊感商法」などから、日本では反社会的なカルトとも見なされこともある。簡単に言えばいかがわしい宗教であると見なされている。そこになぜ、仲正氏ほどの聡明な頭脳が「迷い込んで」しまったのか。なぜそのような宗教を信じることが可能だったのか。その釈明のようなものを本書に期待することもあるだろう。
 そうした「期待」が読者にあることは仲正氏もある程度了解していて、本書はそれに答えようともしている。だが、本書のたらたらとした青春期の話からすれば、それは偶然の成り行きだった、というのがかなりの近似解として提出されているだけだ。むしろ、そうした奇遇・邂逅というものの、ある動かしがたさのようなものに直面する。
 また彼自身、その宗教に堅い信仰を持っていたのかといえば、本書が語るところは、まったくそうではない。どちらかといえば、偶然の成り行きでその共同体に所属していたものの、信仰者としては落ちこぼれであった。特に、「万物復帰」と呼ばれる商売活動では明白な落ちこぼれであったようだ。霊感商法とも呼ばれるような、独自の宗教観で物を売りつけるのが下手というより、およそ商人のセンスが仲正氏にはなかったということのようだ。
 本書を読み仲正氏の指摘で気がついたのだが、世間で言われる霊感商法について、私はまったくの誤解をしていた。彼のような信仰の浅い人間にはそのような霊感商法など実践してはいないかった。

 反統一教会活動をしている人や、統一教会を追いかけているマスコミの人は、どうも勘違いをしているような気がする。統一教会の万物復帰のすべてが、霊界に関わる物の販売ではない。また、全員が「霊感商法」に関わっているわけでもない。私の相対者になった女性は、ハッピーワールドで化粧品を売っていたというし、魚屋をやっている部署もある。


 冷静に考えればわかると思うが、霊界についてのトークをして、高額の物を買ってもらうというのは、たいへんなことである。販売の技術からいっても、「原理」に対する信仰の面からいっても、信頼されている人間でないとまかせられない。
 だから、お茶売りや珍味売りで大きな実績を出しつづけ、信仰者の鏡とされているようなメンバーでないと、霊的な商品の販売をやらせてもらえない。私など、最初から論外だった。

 実際の販売手法には本部は関わっていないという話もあった。もっとも、以上の仲正氏の話は、彼自身が所属していた15年以上の前のことで、教団から離れた現在の状況はわからない、という大きな留保はついている。
 統一教会について「マインドコントロール」つまり、洗脳が行われているという批判についても、仲正氏はごく冷静に体験的な実態を明かしている。もちろん、「マインドコントロール」という批判が何を意味するかは曖昧だが、仲正氏自身を例にしても、別段「マインドコントロール」されて信仰を持っていたというわけではないと言えるだろう。
 では、なぜ成り行きとはいえ仲正氏はその共同体に所属してしまったのだろうか。この背景には、彼が入学した東京大学の寮における左翼活動への反発があった。
 仲正氏は1963年生まれ。私よりも6つも年下で、その大学生時代にいまだ全学連崩れのような左翼活動が活発だったというのは、私にはまるで実感がないが、実感がないといえば私がそもそも日本の大学のことがよくわかっていないこともある。本書を読むかぎり嘘が書かれているわけでもないのだろうし、むしろ、私より6つも年下の世代に、そんなアナクロニズムの左翼学生がいたのかと驚くとともに、半面、昨今のはてなダイアリーなどを見ていると、なるほどねと思う部分もあった。
 仲正氏が信仰というか共同体を脱していくのは、先ほどの引用にあった「相対者」が大きな契機でもあったようだ。相対者とは合同結婚式で娶合わすことになる相手である。若い仲正氏にとってはその相対者との出会いと関係に大きな違和感を持ったようだった。そのあたりの話は、なるほどとも思うが、逆に、では魅了されるほどの相対者であったら、統一教会の信仰が続いただろう、ともいえるだろう。エマニュエル・ミリンゴ大司教などもそうなのかもしれない。
 本書を読みながら、実際のところ何が仲正氏を現在の氏に至らせたか、外側から見れば、案外単純に氏の知的探求力とその才能でなかったか。20世紀という一世紀を支配しいまだ各所に残存の残る巨大な共産主義に知的に対応すれば、その鏡像的なカルト的な思想・信仰の体系ができるのもしかたがないのかもしれない。若い日の仲正氏にとって、その鏡像は思索の根を伸ばしていく仮の土壌にすぎなかったのではないか。だとすれば、本書は、統一教会脱出者の記録というより、一人の知的な青年の青春期に過ぎない。
 私は、本書を読み終えたあと、ちょっと下品な感想なのだが、仲正さんはいいなアカデミックの世界に生き残りかつきちんとしたポジションまで持って、と羨ましく思った。その現在の成功に羨望の思いがある。もちろん、私は彼ほどの知性はないし、他者に愕然と向き合うほどの強靱な自我はないのだから、自分はしかたがないと思う。そしてその半面、これも下品な感想なのだが、青春とは、誰にとっても、本質的にはなんと残酷なものだな、残酷な青春は私だけの運命でもないな、とも思った。
 ユーミンは青春の終わりを甘く歌っていた。「青春を渡ってあなたとここにいる。遠い列車に乗る。今日の日が記念日」。しかし、そうきれいな記念日などないものだ。それでも、青春を渡り、遠い列車に乗ることは誰の人生にもあるし、それはなかなか個人的には壮絶な体験であったりもする。仲正氏はたんたんと綴られていたが、人生に潜むある種の壮絶さの比喩の一つが、仲正氏にとっての統一教会体験だったのかもしれない。

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コメント

なんだかブログを書いている自分のその部分はとてもチンケで、書くことにもっともっと誠実さを求められているような気がしました。私の一番気になる部分にぐさっと来た感じがします。
ここに書いてあることが書評だというのに。

ここにきて書評が続いていますが、どの書籍も読みたい一心で注文しては積読状態ですが、ゆっくり追いかけるようにします。多分、これもプレゼントなのだと思っています。

なんとなくですけど、そろそろ今までとは違った形で物事にアプローチして、もっとじっくりと中身作りに専念したいかなと、ぼんやり思います。

投稿: godmother | 2009.11.25 17:47

訳あって、かの教団の集団洗脳現場に数回立ち会いました。
みな20歳前後、駅前から連れてこられた方、大学を通じて勧誘されたインテリの方の2種類でした。後者は将来の幹部候補生Wとして特に熱心に取り込まれます。両方とも共通で洗脳されるのは、もてなさそう、または異性にふられた直後の人が多かったです。とても魅力的な女性が洗脳クライマックスに○○明がでてくるところで泣き崩れるのを何回か見ました。青年期の異性への欲求不満を利用しているのは彼らにとって当然の戦略です。エントリの考察対象者も知的水準はともかく、単にもてない青年だったのでは?本は未読ですから読んでみます。下世話な話で恐縮ですが宗教とSEXの関係は深いと思います。

投稿: | 2009.11.25 18:31

バッカじゃなかろか。
N氏ほど、自分の本質を隠蔽している人物はそういない。
amazonnの小谷野氏の書評でも読め。

投稿: | 2009.12.18 17:30

仲正氏、一時期職場で一緒でした。確かに頭の切れる方でした。大学教授になられたのですね。適職だと思います。うらやましい。私なんか、東大入学の翌日から、真理探究の道に入ったばかりに、いまだにフリーター生活です。周囲からは天才と言われていましたが。

投稿: changum | 2011.01.21 13:15

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