[書評]「亡国農政」の終焉(山下一仁)
「「亡国農政」の終焉(山下一仁)」(参照)は、農政アナリストの山下一仁による新刊の新書である。民主党政権になったことを踏まえて書かれた農政のヴィジョンがまとめてある……と言いたいところだが、そうした関心で読み進めるとやや困惑感もあるかもしれない。「極東ブログ:[書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁)」(参照)で触れた名著といってよい同書のエピローグ的な内容も含まれているが、書籍としての骨格は残念ながら散漫な印象を与える。
![]() 「亡国農政」の終焉 山下一仁 |
農協がこのまま消滅するのかについては多少首を傾げるところがあるが、いずれにせよ民主党下で日本農政の根本的な変革は期待できない。山下氏は民主党後に期待を寄せている。変化への期待も、当然といえば当然だが、民主党後の政治状況へのイマジネーションとして語られる。だがその部分は、現時点では各種ブログなどに語られる政界再編成の夢想レベルに近く、農政の議論からは逸脱した印象を与える。
農政の問題がすでに民主党政権後にあるのは確実だ。内閣が成立して100日も経たないが、島国大国日本の存亡の最大条件である安全保障と経済における生産性向上および金融立国のビジョンを見失った民主党政権はすでに死線に向かっており、できるだけ早期に政権を解体することが望ましいには望ましい。だが、依然国民の支持を失ってはおらず、しかもその支持は来年の参院選を越える可能性も高く、日本の混迷はさらに続くだろうし、その混迷しか残されていないのかもしれない。
この状況下で農政の未来における確実な条件は、山下氏も指摘しているが、兼業農家のさらなる高齢化だ。現状、農業従事者の半数を70歳以上が占めており、おそらくその子世代にあたる団塊世代の大半は都市部から農村に帰還しない。その時点でこれまで自民党および民主党が期待していた兼業農家の票田が崩壊し、ようやく日本農政に未来が開ける可能性が見えてくる。あと10年というところだろうか。中国の崩壊や首都震災といったブラックスワンを除外しても、あと10年日本が先進国として持ちこたえることができるかもきびしいには違いない。
名著「農協の大罪」の続編的な位置づけを除けば、本書の大半の叙述は言わば官僚山下一仁物語になっている。1955年2月27日生まれの著者は、私より3学年上の世代に所属し、全共闘世代の一番末にあたる。私の世代からは、団塊世代・全共闘世代が終了し、非歴史的な世代の最初の白け世代となる。3年差とは言え、この世代の差からは、私は山下氏に微妙に上の世代特有の発想が伺えるが、それでも世代が近いこともあり、私の世代の高級官僚の生き方を内側から見る物語でもあった。あの時代に国家に希望を持った官僚青年がどのように人生を送ったのか、興味深いケーススタディとも言える。
同時に、1977年に農水省に入った山下氏の物語は、1980年代から1990年代、そして2000年代の日本農政の国側から見た歴史にもなっていて、その点でも面白い。この時代を生きた人間にとってはナマの歴史の資料である。
奇譚もある。いや奇譚と言ってはいけないのかもしれないが、国側から見た農政史の一つの暗部の象徴として、山下氏は2007年5月28日の松岡利勝農水相の自殺に一章を充てて取り上げている。私もこのことを以前ブログに書いたことがある(参照)。山下氏は、松岡氏の自殺をいわゆるスキャンダルの結末ではなく、農水に人生を賭けた政治家の死として見ている。
安倍総理は5月29日夜、首相官邸で遺書の内容について、次のように明かした。
「大変短いものだった。『ありがとうございます』という言葉と日本農政について『この道を行けば必ず発展していく』という趣旨のことについて書かれていた。松岡農相の大変無念な気持ちが伝わってきた」
この遺書の内容は、事務所費や緑資源機構事件をめぐる疑惑が自殺の原因であるという通説とは、逆の見方があることを裏付けている。(中略)
私のように農政にかかわったものとして、最も興味が引かれるのは、遺書に書いた「この(農政)の道」とは何だったか、ということである。
山下氏は松岡氏の農政理念を探っていく。そしてこう自身の総括をする。
今さら私が松岡にゴマスリをしてもなんのメリットもない。それどころか、松岡を評価すれば、私への評価も下がるかもしれない。
しかし、歴史の評価が下される際の材料として、あえて私の意見を述べさせていただければ、とかく批判の多かったことは事実であるが、彼が人生の最後のやろうとしていたことは、日本の農業だけではなく、日本という国にとっても間違いなくよいことだった。
山下氏の理路からそう述べられることは本書で理解できるだろう。そして薄らと山下氏は松岡氏の死の真相について何かをまだ語っていない印象も残る。
あの火だるまとなった安倍政権のなかで、「日本という国にとっても間違いなくよいこと」があったということは、どういうことなのか。安倍政権から、福田政権、麻生政権と自民党は失墜していった。それは自民党が迎えるべくして迎えた終焉の光景であったかもしれない。農政についていえば、自民党農林族のトライアングルは宿痾であったことだろう。しかし、この失墜の歴史は、やがて民主党政権崩壊後になって見える地平からまた別の評価もあり得るだろうと思う。
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コメント
読みましたけど、まあ、仰るとおりですねという感じです。
俺まだ若いのに・・・
もうこの国オワタ
投稿: rabi | 2009.12.03 14:18
「ばかやろう、まだ始まっちゃいねーよ。」byキッズ・リターン
投稿: | 2010.07.21 19:57