[書評]ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム)
「あの年読んだ本ってなんだっけ」と今年の読書のことを後に振り返るとしたら、おそらく社会的に話題となった村上春樹「1Q84」(参照)より、本書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム)」(上巻参照・下巻参照)になるだろう。
![]() ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 上 ディヴィッド・ハルバースタム |
本書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」は標題に「朝鮮戦争」とあるように、もちろん朝鮮戦争を扱った歴史書でもある。そう読まれてもしかたがないし、そう読まれることが正しいとも言える。朝鮮戦争に参加した米人がぽつぽつと鬼籍に入りつつある現在、米国人にとってあの戦争がなんであったかと問い直すための書籍でもある。当然、そこからは、南北朝鮮や中国、そして日本の側からの視点は抜け落ちるが、それは本書の欠点でも限界でもない。米国という確固たる視点で書かれた書籍だからこそ、現在の米国への批判ともなり得る長い射程を持ちえた。オリジナルサブタイトル「America and the Korean War」はまさに米国と朝鮮戦争との関わりを指している。またタイトル「The Coldest Winter」が一冬を指しているのも、最初の年の冬の出来事が決定的であったことを意味し、朝鮮戦争全体の叙述ではないことを暗示している。
![]() ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争 下 ディヴィッド・ハルバースタム |
第一生命ビルの部下たちは、マッカーサーの軍隊が行きたいところまで、つまり鴨緑江の河岸まで行くことができるように、情報に手を加えた。これは危険な前例を作った。朝鮮戦争では、軍が情報をもてあそんだ。もっと正確に言えば、軍の一部のならず者が、ワシントンの統合参謀本部および文民高官に送る情報を操作した。
このプロセスはその後何年も経ってから二回繰り返されることになる。(中略)
次いで二〇〇三年、ジョージ・W・ブッシュの政府は、--- ロシア帝国の終焉が中東にどのような意味を持つかを読み誤り、現地の人々の予想される反応を完全に誤算した。サダム・フセインの政府をなにがなんでも倒したいという内向けの理由が政権にはあった。父親ジョージ・H・ブッシュの国家安全保障チームの最も有能なメンバーだったブレント・スコウクロフトの警告があったにもかかわらず、これを無視した。そして、重大な欠陥のある改竄情報をもって、議会、メディア、世論、そして何よりも危険なことに、自らも騙し、イラク諸都市の心臓部に部隊を送り込んだ。その結果は悲惨の一言につきる。
ハルバースタムのこの評価は八割は正しいだろうと私は思う。残る一割はばりばりの右派であるチャールズ・クラウトハマーのような擁護論(参照)と、もう一割はマケインの増派論だ。いずれにせよ、本書は米国で出版された当初はイラク戦の泥沼の文脈で読まれた。2007年ではまだイラクの混迷が安定に向かう兆しは読み取れなかったせいもある(参照)。その後、イラク情勢は前回の大統領選挙共和党候補者マケインの増派論を民主党オバマ政権が引き継ぐ形で、とりあえずの混迷を抜け出したかに見えるが、さらにその後、「オバマの戦争」(参照)ことアフガン戦争の混迷が始まった。
本書を邦訳で今の時点で読むと、不思議なことに泥沼化しつつある「オバマの戦争」の状況のほうが暗喩として浮かび上がってくる。朝鮮戦争時の米国民主党大統領トルーマンと現民主党大統領オバマが民主党という点で重なって見える部分があるからだろう。ただし、トルーマンとマッカーサーの対決はオバマ対マクリスタルではないし、「オバマの戦争」であるべき決定が朝鮮戦争の史実から見えてくるわけでもないが、民意よりトルーマンが正しかったという歴史の教訓は残る。
本書のテーマは朝鮮戦争というよりも、米国における文民トルーマン対軍人マッカーサーの戦いであり、文民統制とはなにかという壮烈な事例研究にもなっている。また、朝鮮半島という場で朝鮮人を巻き込む形でなされた戦争ではあるが、実質的な戦闘は中国対米国であり、米中戦争であった。しかも、この米中戦争を結果的に引き起こしたのは、マッカーサーの狂気もさることながら、ハルバースタムが問題視するように「情報操作」でもあり、その背景にあって情報操作を推進した中国国民党政府ロビーの活動であった。その意味では、朝鮮戦争とは中国大陸の国共内戦の延長でもあった。
本書を読みながら背筋がぞくぞくとしてくるのは、この時代、米国にトルーマンがいなければ、マッカーサーと毛沢東は全面的な米中戦争にやる気満々であったことと、そこで核爆弾が応用される可能性があったことだ。むしろ、本書では脇役的になっているスターリンの奇妙な臆病さが結果的に、大戦を抑制的に機能したのも歴史の不思議であり、幸運でもあった。
米国内の中国国民党政府ロビーの強固さは、朝鮮戦争敗退後も続くのだが、それは単独の力というより、米国内の中国ミッショナリーの勢力と重なっていた。その米国内の親中国派の歴史の叙述は、私にとっては本書の圧巻であった。タイム、ライフ、フォーチュンを創始した出版王ヘンリー・ルースが親中国的であることはP.F.ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(参照)でもよく知られているが、その活動を歴史の流れに置いて見ると、ある種の幻惑感に襲わる。本書には描かれていないが、まさに現在進みつつある米中関係の背後には、いまだ中国宣教を目指す親中の米国勢力が存在する。それが目指しているものは、ルースの敗れた夢の再生であるかもしれない。
本書を読み進めながら、奇妙な言い方だが、自分がこの世に生まれた世界とはこのような成り立ちをしていたのかということと、自分がなぜこの時代に存在するのかその意味を探るような思いも感じていた。本書には当時の日本の描写は少ないとはいえ、日本がその後世界史のなかで置かれる位置を読み解くという点で、日本史の一部である。そもそもマッカーサーとは一時期日本の天皇でもあったし、この米人の天皇の亡霊は今なお独自の呪縛をもって今の日本を支配している。
朝鮮戦争に勝利者はいないと言われる。また本書は、この戦争における米国の狂気と愚かさを余すところ無く暴き出している。その徹底性から、毛沢東の狂気については副次的な叙述になっている。だが、この戦争の戦死者数が物語るものは異様である。ブリタニカによれば、米国人死者は約5万4千人、韓国人130万人、北朝鮮人50万人、中国人100万人である。
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コメント
日華事変のとき、なぜ、南京陥落後、内陸に戦線を移して持久戦を行ったかというと、日清戦争のときに、北京を包囲され、陥落する寸前になったとき、簡単に降伏してしまったことの反省であったそうです。
朝鮮戦争で、毛沢東が、なんとしても朝鮮半島の北半分を確保しようとしたのも、日清戦争敗北後、実質的に朝鮮半島を日本に明け渡したらその後大変なことになったので、日清戦争の反省から、朝鮮戦争は、大死闘になったようです。
ベトナム戦争で持久戦に持ち込んで、毛沢東が米仏勢力をベトナムから完全に追い出したのは、朝鮮戦争で朝鮮半島を完全に制圧できなかったことの反省があったと思われます。
現在の中国経済は、おそらく、清朝の洋務運動と毛沢東の大躍進運動の失敗を反省して、経済開発の日本韓国モデルを採用して、今までの成果を達成したのだと思われます。
経済がある程度うまくいっている中国は、宋明両朝を見てわかるように、内向き気味で、あまり広い版図を持とうとしません。
もしかしたら、指導者が賢明なら、現在の中国の多くの地続きの植民地は、手放したほうがよいものは手放すことにするかもしれません。
また、経済がある程度うまくいっていた宋明の時代に朱子と王陽明が出現しました。
もし、中国経済がこのままうまくいき続けると、近未来に、朱子や王陽明のような大儒者が中国に出現するかもしれません。
ただし、その朱子、王陽明級の大儒者が師表として広く世の尊敬を集めるのは、死後ずいぶんたってからだろうと思います。中国に近未来に出現するかもしれない大儒者は、たぶん、孔子や朱子や王陽明のように、一生不遇な生涯を送って生きなければならないだろうと思います。
投稿: enneagram | 2009.11.19 07:32
朝鮮戦争に日本は登場しないが(しかし、掃海艇が命令により出動したし死者も出た)、長年、日本が半島を植民地とし、まともな政治組織をもたせなかった、という前提がありますね。戦争で死ぬのは兵士だが開始終了させるのは指導者である、マッカーサー、トルーマン、李承晩、蒋介石その他の人間像が立体的に描かれ、章の構成も映画化する場合のシナリオのようで面白く読めました。
投稿: 古井戸 | 2009.11.29 13:57