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2009.11.21

[書評]追跡・アメリカの思想家たち(会田弘継)

 「追跡・アメリカの思想家たち(会田弘継)」(参照)は、現代米国政治を支える政治思想家の系譜を紀行文風にまとめた書籍で、昨年の9月に出版されたものだ。

cover
追跡・アメリカの思想家たち
会田弘継
 紀行文風な仕上がりとなったのは、大半が2005年から2007年の雑誌フォーサイトの連載であったためだろう。各思想家の思想をコンサイスにまとめるというより、思想家の個人史や関係史、意外なエピソードといった話が多く、その点から言えば、現代の米国政治を支えている思想がどのようなものかは、本書からはわかりづらい。私も同書が新刊のおり書店で見て、これを読んでも雑学にしかならないのではないかと思ったものだった。
 だが先日、自民党の実質解体後の保守主義の立て直しという文脈だったか、保守主義はナショナリズムではない、というテーマに及び、ツイッターでぼそっとつぶやいたところ、アルファーブロガーの切込隊長さんのレスがあって、そういえば彼のハンドル"Kirik"と彼の好きなエドモンンド・バーク(参照)から、本書第一章に充てられているラッセル・カーク(Kirk)氏(参照)を連想した。
 カーク氏はバーク主義の流れから、保守主義はナショナリズムではないと主張していたっけと思い返し、その発言の文脈であるネオコンを思い出した。連想ゲームである。さらにそういえば、ブッシュ政権後、ネオコンという言葉を聞かなくなったが、本書の連載時はまさにネオコンが話題だった。日本でバッシングのラベルで「新自由主義」や「ネオコン」を振り回す議論にろくなものがないが、実際のネオコン思想家の系譜はどうだったのか。そのあたりも含めて、少し振り返ってみるとよいかと読み出した。意外といってはなんだが、現代米国思想という文脈を外しても無性に面白い本であったし、新聞記者らしいプレーンな文体が読みやすかった。
 フォーサイト連載当時はネオコンへの関心から読まれたのだろうと思う。そして、ネオコンを世代に分けて論じていく独自の手つきは興味深く、政治学的にはわからないが、重要なのは米国の世代問題ではないかとも思えた。いずれにせよ、そうしたニーズ、つまりネオコンの概容を知りたいという点で読まれてもよいのだろう。
 私が興味を持ったのはむしろ、本書の脇道であった。経済学者のハイエク氏が夏目漱石著「こころ」を読んだだろうという逸話は、ハイエク氏の恋愛・離婚・移民と相まってそれ自体面白い話だが、そもそも「こころ」が美文で英訳(参照)されたのは、神戸生まれのエドウィン・マクレラン氏(参照)の貢献によるもので、氏の逸話や江藤淳氏の交友も興味深かった。おそらく、イザヤ・ベンダサンという架空の人物はマクレラン氏が一つの原型になっているはずだが、さらに実際にマクレラン氏とも関係があるようにも思えた。ベンダサンは漱石研究家といってもよいほど造詣があるのだが、この点、ペンネーム主と言われることの多い山本七平氏のその後の著作を見てもわかるが漱石理解は異なる。
 フランシス・フクヤマ(参照)氏の祖父河田嗣郎(参照)氏の話も興味深いものだった。河田氏が徳富蘇峰氏(参照)と交友があったこともだが、その娘敏子さんが蘇峰氏の縁者でもある湯浅八郎氏(参照)の秘書で、その縁から福山喜雄氏と結婚し生まれたのがフランシス・フクヤマ氏であったということは知らなかったので驚いた。なんどかお目にかかったことがある生前の湯浅八郎先生を懐かしく思い出した。
 自分が無知ゆえに驚いたといえば、J・グレッシャム・メイチェン氏(参照)のこともだった。私は若い頃、彼の教科書で新約聖書ギリシア語を学んでいた。もちろん当時からメイチェン氏に深い信仰と神学があることは、その教科書からでも伝わってくるものがあったが、がちがちのリベラルである私には、福音派的な信仰を顧みる心の余裕はまるでなかった。本書で知ったのだが、ビリー・グラハム氏(参照)やジェリー・フォルウェル氏(参照)などもメイチェン氏の孫弟子にあたるらしい。私は彼らはもっと純朴な信仰の大衆向け伝道者くらいにしか想定していなかった。そもそもメイチェン氏がリベラル神学の問題を理解した上で明確に異を唱えていたことすら知らなかった。考えてみればバルト神学も現代的な知の装いをしているが、歴史と啓示の問題を突き詰めれば本書に描かれるメイチェン像になるかもしれない。そのあたり、日本の戦後キリスト教史の奇妙ともいえる空白と、接ぎ木されたビリー・グラハム的なエヴァンジェリズムの問題を痛感した。
 本書を読み終え、ぼうっと、いずれにせよ、思想が話題になるということは、20世紀における雑誌出版というのが大きな意味を持っていたのだろうという思いにふけった。吉本隆明氏が「試行」を創刊したころも、思想とは同人誌であっただろう。インターネットが興隆するころ、池澤夏樹氏がこれで新しい地下出版のツールとなると認識していたことを思い出した。しかし、実際のインターネットはそうした地下出版・同人誌的な思想形成の場とはなっていない。その残骸の雑誌を過去の歴史に置きながら、ブログのような奇妙なものが形成されている。

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コメント

意外だったのだけれど、アメリカって、バーク主義者って少なくて、レーガン大統領は、そのめずらしいバーク主義者だったそうですね。

自民党政治というのは、いわゆる「経済的利害の連合」の力で政権を確保した政治の典型だけれど、この、経済的利害の連合による政権奪取、政権確保という政治手法は、アメリカの共和党のマーク・ハナが出発点を作ったのだそうです。マーク・ハナだけでなく、カルフーンとか、フランクリン・ルーズベルトとか、民主党の人も含めていろいろな人たちがこの「経済的利害の連合」による政治には関係があるみたいだけれど、アメリカ発の政治手法というのは、いろいろとあるみたいです。

大衆運動を発明したのは、アメリカの新聞王、ハーストとピュリッツアーだそうです。これを実際に大規模に利用したのがレーニンやムッソリーニやヒトラーだそうです。

もし、政治学的な発明にも特許権が付与される時代になったら、アメリカはこの分野で特許大国になるかもしれません。

真の保守主義者は、信心深いけれど、案外、考えることはひどく実際的なようです。

投稿: enneagram | 2009.11.22 09:32

アメリカはプロテスタントの建国精神を保守する共和党が、自助努力、仕事こそ神の国を地上に実現する行為であり、人間は神の道具だと考える。結果、拝金主義と過労死、福祉切り捨て、自然破壊をもたらした。一方、民主党はプロテスタント意外のユダヤ教、カトリック教が主になり、人種差別や労働者の権利、福祉重視、人間らしい生活の復活をもとに戦った。

投稿: けんじ | 2009.11.24 11:42

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