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2009.11.23

[書評]ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)

 先日トゥイッターで、蛍雪時代、ラ講、百万人の英語といった話を少しして、「そういえば、J・B・ハリス先生は日本人」という話を投げたら、驚かれた人がいた。2004年にお亡くなりなったJ・B・ハリス先生の国籍は日本。戸籍名は平柳秀夫である。しかし、ハリス先生は産まれたときの英国籍の名前、James Bernard Harrisを自身のアイデンティティーとされていた。
 英国人を父、日本人を母として1916(大正5)年9月4日、神戸に生まれ、ほどなく横浜に転居しそこで育った。震災後は米国に移り暮らし、12歳で日本に戻った。ジャーナリストであった父、Arthur Montague Harrisは、1933年、肺炎がもとで死去した。46歳だった。ハリス先生は当時16歳。残された母子は日本国籍を選び、このとき「平柳秀夫」となった。日本語は話せるものの漢字などは十分に読めず、軍人訓などを暗唱させられる兵役では苦労された。

ぼくは日本兵だった
ぼくは日本兵だった
J・B・ハリス
 その話は、「ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)」(参照)にある。彼が後に取締役となる旺文社から1986年に出版され、今では絶版のようだ。場所によっては図書館にもあるかもしれない。アマゾンを見るとまだ中古本が安価で入手できる。ここだけの話だが、もし未読であったら、そして私に騙されてちゃってもいいやという人がいたら、今買っておくことをお勧めしたい(そしてできるなら古書店はプレミアム価格をさけていただきたい)。245ページほどの小品でいかにも昔の参考書的な装丁で、文章もやや稚拙なところがあるが、この本は屈指の名作である。震災を体験した世代で、日本語も十分ではなく英国人にしか見えないハリス先生の中国従軍記でもある。一人の人間から見た本当の戦争、しかも中国での戦争の一端がここに描かれている。
 話は、1941年12月8日の朝から始まる。「その朝、ぼくの一日のはじまりにふだんと変わったところは何もなかった」という。寒い朝の街を抜けて、すでに勤務していた英字新聞社、Japan Advertiserに辿り着き、開戦の知らせを聞く。編集部でこの大事件の見出しを議論しているなか、25歳の若造であるハリス青年の案、"WAR IS ON"で決まり、そしてその場に乱入してきた憲兵に逮捕された。理由は、敵国人だからということである。
 ハリス青年は自分は日本国籍者平柳秀夫であると述べても通じず、手錠がかけられ、留置場に二週間入れられ、その後、横浜の外国人収容所に移され、外国人として本国への交換船を待つこととなった。彼は日本人であるのに、交換名簿に掲載されていた。母一人を日本に残す無念さのまま、出航まで数日になったころ日本国籍が認められ、釈放された。家に待っていたのは、召集令状だった。
 ハリス青年は26歳にもなって初めて徴兵検査となりペニスのサイズまで計測された。スポーツで鍛えた身体は甲種合格となった。折り紙付きである。数日後、召集令状が届き、軍歌を背に山梨東部第63部隊に入営。同部隊はその後、全員北支、新郷に送られた。新郷は現在の新郷市で、マイペディアによれば、「中国,河南省北部の都市。衛河水運の要衝で,京広鉄路(北京~広州)に沿い,新焦鉄路(新郷~焦作)の起点。河南省黄河以北の経済・文化・交通の中心地」とのこと。当時も城壁都市であり、日本軍の中国侵略といっても北支では点在的な駐留であり、八路軍(参照)などの襲撃対象となった。本書ではその壮絶な戦闘も描かれているが、その他の奇譚ともいえる各種のエピソードが興味深い。
 その後、ハリス青年は新郷から近くの湯陰に移り、城壁都市を結ぶ交通路の警備にあたり、また新郷に戻りそこで終戦を迎えることになるのだが、1945年5月、体を壊し、野戦病院に入院。そのことから思わぬ転機で英語力を買われ、情報機関に移った。そのため8月11日にはポツダム宣言受諾も知っていた。
 敗戦後、同地の日本軍は重慶の国民党政府下に置かれる。軍が内部から解体されていくようすは山本七平著「私の中の日本軍」(上巻参照下巻参照)とも通じるものがあり、日本人というのはこういう民族なのかなという奇妙な感慨を持つ。
 中国大陸から本土帰還の経緯でも奇譚のような話が続く。東京でジャーリストに戻ったハリス青年は、東京裁判を扱うことにもなった。被告人名簿を見て、「自分でも驚いたのは、この中で知っている名前が、東條英機や重光葵などほんのわずかしかいないことだった。ぼくが属していた陸軍の関係者が十一人もいるのに、そのほとんどははじめて聞く名前だ」と一兵卒から見た感想も述べている。
 本書にはハリス青年のように、外見は欧米人にしか見えない日本籍の兵が数名登場する。また、日本兵のインテリが英語を使いこなし、国際状況を冷徹に見ていた話も描かれている。戦争というものの持つ、単純化されえない何かが描かれている。読みながら、なんどか涙がこぼれるシーンもあった。

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コメント

なんか、こういう話をしていただくと、なぜ在日の人たちの書物に訴求力の大きいものが多いのか、ある程度納得できるような気がします。

知里真志保の集めたアイヌの神話や神謡も、とても訴えるものがあったのを思い出しました。

投稿: enneagram | 2009.11.23 16:48

私にとっては「朝鮮戦争」に続くので、直ぐには読めそうも無いのですが、無くなると悲しいので早速注文しました。

ところが、こっそり教えていただいたAmazonではもう既に扱っていませんでした。いろいろ探した結果、以下にまだ数冊在庫があるので注文できました。どなたか探す方もいたらと思うので参考までに下記のURLでどうぞ。

「日本の古本屋」
http://www.kosho.or.jp/list/203/00217985.html

投稿: godmother | 2009.11.23 16:58

1986年に発売された時に書店でまるまんま立ち読みしました(当時は金欠の学生だったので)。2006年にJ・B・ハリス氏の御長男であるロバート・ハリス氏のラジオ番組を愛聴していたことからこの本のことを20年ぶりに思い出しAmazonで入手して再読しました。

J・B・ハリス氏は戦後になってから英国籍を再取得されたはずです。ロバート・ハリス氏も英国籍です。

投稿: 通行人 | 2009.11.25 00:00

この頃のイギリス人についてはスパイも多いので話し半分に聞いています。強いていえばくさびのように打ってくのがイギリスですので。
もちろん彼らの全てが悪ではありませんが。
それをどこの国の人にやらせても同じですし。
逆の立場と書かれてあらためて相対性がでる。
そういう意味ではこの本は参考になるけれど、どこまでがプロパガンダか何かも分からない。

投稿: | 2010.03.15 11:03

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