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2009.11.29

クライメイトゲート事件って結局、何?

 ブログ記法で書くなら、「クライメイトゲート事件(笑)」が正確なのかもしれない。いずれにせよ、あれよあれよという間にこんな立派名前までついてウィキペディアに項目も掲載されていた(参照)。で、クライメイトゲート事件って結局、何? なのだが、ウィキペディアの解説が間違っているわけではないが、ちとわかりづらい。


クライメイトゲート事件(クライメイトゲートじけん、Climategate)とは、2009年11月にイギリスにあるイースト・アングリア大学の気候研究ユニット(CRU:Climate Research Unit)がハッキングされ、地球温暖化の研究に関連した電子メールと文書が公開された一連の事件のこと[1][2][3][4]。

 ウィキペディアはいろいろと執筆者間に必死な対立があって、「公平(笑)」を期してこういう曖昧な記述になっているのかもしれない。
 英語のほうの項目を見ると"Climategate"は、"Climatic Research Unit e-mail hacking incident"(参照)に転送される。クライメイトゲート事件は、イコール、CRUハッキング事件という認識があるのか、"Climategate"という疑惑事件示す名称を避けているのか、よくわからない。
 私がこの事件をフォローしている限りでは「ハッキング」はまだ事実認定されていないのではないかと思う。つまり、内部からの意図的なリークが関与している可能性はまだ残されているように思う。
 クライメートゲート事件とは何かという前提の話の前に、いきなりハッキング事実認定問題に突入してしまうのもなんだが、今回の事件は単にCRU内メールが暴露されたという単純なものではない。奇妙なほど長い助走期間があった。実は10月12日の時点で、BBCの科学担当ポール・ハドソン氏(Paul Hudson)はこの暴露メールを受け取っていた。氏のブログのエントリ「'Climategate' - CRU hacked into and its implications」(参照)より。

I was forwarded the chain of e-mails on the 12th October, which are comments from some of the worlds leading climate scientists written as a direct result of my article 'whatever happened to global warming'.

私は10月12日に一連のメールの転送を受信していた。転送メールの内容は、気候学者として世界的に著名な科学者の見解を示したもので、あたかも、私が書いた「What happened to global warming? (地球温暖化に何が起きたか?)」の直接的な結果のようだった。

The e-mails released on the internet as a result of CRU being hacked into are identical to the ones I was forwarded and read at the time and so, as far as l can see, they are authentic.

CRUがハッキングされネットに暴露されたメールと、私が当時受信し転送したメールは同一であり、私の見解では、これは贋物ではない。


 贋物かどうかはすでに関係者の声明も出ているので既決事項である。ハドソン氏はハッキングと認識しているのだが、その認識は現下の大騒ぎを受けてのことで、氏自身の判断ではないような書きぶりである。エントリ中、「What happened to global warming? (地球温暖化に何が起きたか?)」とある記事は、このブログで10月12日「どうやらあと20年くらい、地球温暖化は進みそうにない: 極東ブログ」(参照)で扱っているので参考にしていただきたいが、ご覧のとおり、温暖化懐疑論をユーモラスに鼓舞する内容とも読めないことはないし、この話を取り上げた私も赤祖父一派の懐疑論だと決めつけたようなバッシングを食らったことからも、それなりにインパクトのあるネタではあった。そのあたりから連想しても、ハドソン氏へのチクリもそうした懐疑論を鼓舞したい思惑の文脈にあったと見ても常識を逸脱したものではないだろう。そしておそらく、クライメートゲート事件の基点はBBCの同記事にある。
 ここでの問題はハドソン氏の関わりである。この暴露メールを、現下IPCCおよびフィナンシャルタイムズなどが私と同様に「くだらねーなぁ(None of the e-mails seized on by sceptics shows manipulation of the science itself.)」(参照)と握りつぶそうとしているのは仕方がないとしても、ハドソン氏はジャーナリズムに関わる者として、ただならぬものであることは理解できたはずだ。ハドソン氏はなぜ、それを6週間もの間公開しなかったのだろうか。また、転送元の情報を明らかにしないまま、ハッキング認定を行うことは暴露経路の隠蔽に関わっているかもしれないと疑われてもしかたがないのではないか。実際にはハッキングによって暴露されたとしても、それは10月の出来事であって、この間欧米メディアに浮上するまでの沈黙機関はジャーナリズム上注目されるところだ。
 とま前段の話が長くなったわりに、この問題を取り上げたタブロイド紙デイリーメール記事「Climate change scandal deepens as BBC expert claims he was sent leaked emails six weeks ago(気候変動スキャンダルはBBC専門員が6週間も事前に暴露メールを送信していたとこで深まる)」(参照)のレベルの疑惑かもしれないが、気になることではある。
 話を戻して、クライメイトゲート事件だが、問題の核心は単にCRUのメールがハッキングされちゃいましたということではない。出てきたものが、普通に考えると、「うへぇ、こ、これがれいの青いドレス、おい、くんくんすんじゃねーよ」というくらいの内容だったので大騒ぎになっている。そこで大騒ぎといえばブログの世界ではアルファーブロガー池田信夫先生の登場が期待され、期待どおり氏は「IPCCの「データ捏造」疑惑」(参照)で事件の意味を一つの視点から明確に述べている。

ホッケースティックのデータが捏造されたのではないかという疑惑については、全米科学アカデミーが調査し、IPCCの第4次評価報告書からは削除された。このEメールは、捏造疑惑を裏づけるものといえよう。

 ホッケースティックは、ホッケーに使うあのヘラみたいなものだが、ようするに地球の気温はずっと平坦だったのに、1900年以降急上昇したというグラフが、ホッケースティックを横に置いたように見えるというもので、IPCCの第4次評価報告書までは話題の的であり、疑惑の的でもあった。


ホッケースティック

 疑惑から起きた喧々囂々たる議論は、ホッケースティック論争と呼ばれている。ウィキペディアはこうまとめちゃっている(参照)。


しかしその気温変化を見積もるために用いられたデータの出典の記述が間違っており、またマンらが観測精度の誤差と考えた変化を修正して用いられていた。この出典表記の間違いや修正を「改竄」などとして批判する者があらわれ、スキャンダルとなった[1]。また、マンのデータに対して小氷期や中世の温暖期などによる気温変動が過小評価されているのではないかなどと数多くの批判や異論が論文となって発表されており、この一連の騒動をさして「ホッケースティック論争」と呼ばれ、海外では多くのメディアで報道された(ただしマンらの明らかな間違いは結局のところ出典の誤記だけであり、その結論には変わりが無いとされる[2])。

 強調部分は私がしたものだが、ホッケースティックの問題は出典の誤記であって、科学的な結論はこれで「変わりが無い」と言われているのだが、さて、その意味はよくわからない。今回のクライメイトゲート事件で、依然「変わりが無い」かどうかだが、結論を先に言えば、ホッケースティックのことは過去のことにして、地球温暖化の議論は盤石であるということなんで、もうそんな古い話はすんなよ、ということになるので、「変わりが無い」とは言えるかもしれない。
 結局、クライメイトゲート事件とはなんなのか。今北産業のまとめはパジャマメディア「Three Things You Absolutely Must Know About Climategate(クライメイトゲート事件について絶対に知っておくべき3つのこと)」(参照)あたりだろうか。

  1. The scientists discuss manipulating data to get their preferred results.(CRUの科学者は好ましい結果が出るようにデータを操作を議論する。)
  2. Scientists on several occasions discussed methods of subverting the scientific peer review process to ensure that skeptical papers had no access to publication. (科学者は時折、懐疑的論文が公開されないことを確実なものにするため、同僚間の査読を妨害する手法を議論する。)
  3. The scientists worked to circumvent the Freedom of Information process of the United Kingdom.(CRUの科学者は、英国の信書の自由を出し抜くことやってのける。)

 うぁ、ひでー、それじゃ、ミネソタ地球温暖化サイト(参照)のネタじゃねーのとか思う人もいるかもしれないが、オリジナル記事に当たってもらうとわかるが、3項目についてきちんと対応の暴露メールのリンクがあり、そうめちゃくちゃものでもない。というか、トマス・クーンの科学論から考えても科学集団のあり方としてそれほど特異なものではないだろう。
 重要なのは、これらのまとめが、なんら地球温暖化の知見には寄与してないことで、どうやらクライメイトゲート事件自体は、地球温暖化懐疑論とは独立していると見てよい。
 クライメイトゲート事件は、BBCでの懐疑論風味のネタ記事が原点ではあったが、さらに全体の文脈で見るなら、時期的にも、COP15(国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議)を当て込んで着火されたことは間違いなく、地球温暖化議論の科学者集団への政治的な疑惑には直結するだろう。
 そのあたりは、テレグラフ記事「US Congress investigates Climategate e-mails: this could be the beginning of the end for AGW(米国議会はクライメイトゲート事件メールを調査する:人為的地球温暖化議論終了の兆しとなるかもしれない)」(参照)が論点を米国政治文脈に絞り込んでいる。当然ながら、民主党・共和党の華々しい話題に転写され、特にオバマ政権での科学アドバイザーであるジョン・ホールドレン(Dr John Holdren)に着火しそうな気配だ。このあたりの問題は、もし問題化するなら、しばらくして米国経由でオバマ政権の失墜福袋パッケージに梱包されて新年を待たずに飛び出すかもしれない。


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2009.11.28

[書評]「亡国農政」の終焉(山下一仁)

 「「亡国農政」の終焉(山下一仁)」(参照)は、農政アナリストの山下一仁による新刊の新書である。民主党政権になったことを踏まえて書かれた農政のヴィジョンがまとめてある……と言いたいところだが、そうした関心で読み進めるとやや困惑感もあるかもしれない。「極東ブログ:[書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁)」(参照)で触れた名著といってよい同書のエピローグ的な内容も含まれているが、書籍としての骨格は残念ながら散漫な印象を与える。

cover
「亡国農政」の終焉
山下一仁
 本書では民主党政権下で日本農政がどのように変化するかについて、かなり明確に描かれている。私が受け止めた部分を、あえて結論だけ言えば、自民党政権下で形成された農政のトライアングル「自民党農林族・農協・農水省」から、新しいトライアングル「民主党農林族・兼業農家・農水省」になる。つまり、農協が退出する。農協という不思議な金融機関の消滅は、それ自体興味深いが、票田のために兼業農家の利権を維持する新しい民主党農政トライアングルの機能は、日本国の農政の未来としては、自民党下のそれとたいして変わらないだろう。
 農協がこのまま消滅するのかについては多少首を傾げるところがあるが、いずれにせよ民主党下で日本農政の根本的な変革は期待できない。山下氏は民主党後に期待を寄せている。変化への期待も、当然といえば当然だが、民主党後の政治状況へのイマジネーションとして語られる。だがその部分は、現時点では各種ブログなどに語られる政界再編成の夢想レベルに近く、農政の議論からは逸脱した印象を与える。
 農政の問題がすでに民主党政権後にあるのは確実だ。内閣が成立して100日も経たないが、島国大国日本の存亡の最大条件である安全保障と経済における生産性向上および金融立国のビジョンを見失った民主党政権はすでに死線に向かっており、できるだけ早期に政権を解体することが望ましいには望ましい。だが、依然国民の支持を失ってはおらず、しかもその支持は来年の参院選を越える可能性も高く、日本の混迷はさらに続くだろうし、その混迷しか残されていないのかもしれない。
 この状況下で農政の未来における確実な条件は、山下氏も指摘しているが、兼業農家のさらなる高齢化だ。現状、農業従事者の半数を70歳以上が占めており、おそらくその子世代にあたる団塊世代の大半は都市部から農村に帰還しない。その時点でこれまで自民党および民主党が期待していた兼業農家の票田が崩壊し、ようやく日本農政に未来が開ける可能性が見えてくる。あと10年というところだろうか。中国の崩壊や首都震災といったブラックスワンを除外しても、あと10年日本が先進国として持ちこたえることができるかもきびしいには違いない。
 名著「農協の大罪」の続編的な位置づけを除けば、本書の大半の叙述は言わば官僚山下一仁物語になっている。1955年2月27日生まれの著者は、私より3学年上の世代に所属し、全共闘世代の一番末にあたる。私の世代からは、団塊世代・全共闘世代が終了し、非歴史的な世代の最初の白け世代となる。3年差とは言え、この世代の差からは、私は山下氏に微妙に上の世代特有の発想が伺えるが、それでも世代が近いこともあり、私の世代の高級官僚の生き方を内側から見る物語でもあった。あの時代に国家に希望を持った官僚青年がどのように人生を送ったのか、興味深いケーススタディとも言える。
 同時に、1977年に農水省に入った山下氏の物語は、1980年代から1990年代、そして2000年代の日本農政の国側から見た歴史にもなっていて、その点でも面白い。この時代を生きた人間にとってはナマの歴史の資料である。
 奇譚もある。いや奇譚と言ってはいけないのかもしれないが、国側から見た農政史の一つの暗部の象徴として、山下氏は2007年5月28日の松岡利勝農水相の自殺に一章を充てて取り上げている。私もこのことを以前ブログに書いたことがある(参照)。山下氏は、松岡氏の自殺をいわゆるスキャンダルの結末ではなく、農水に人生を賭けた政治家の死として見ている。

 安倍総理は5月29日夜、首相官邸で遺書の内容について、次のように明かした。
「大変短いものだった。『ありがとうございます』という言葉と日本農政について『この道を行けば必ず発展していく』という趣旨のことについて書かれていた。松岡農相の大変無念な気持ちが伝わってきた」
 この遺書の内容は、事務所費や緑資源機構事件をめぐる疑惑が自殺の原因であるという通説とは、逆の見方があることを裏付けている。(中略)
 私のように農政にかかわったものとして、最も興味が引かれるのは、遺書に書いた「この(農政)の道」とは何だったか、ということである。

 山下氏は松岡氏の農政理念を探っていく。そしてこう自身の総括をする。

今さら私が松岡にゴマスリをしてもなんのメリットもない。それどころか、松岡を評価すれば、私への評価も下がるかもしれない。
 しかし、歴史の評価が下される際の材料として、あえて私の意見を述べさせていただければ、とかく批判の多かったことは事実であるが、彼が人生の最後のやろうとしていたことは、日本の農業だけではなく、日本という国にとっても間違いなくよいことだった。

 山下氏の理路からそう述べられることは本書で理解できるだろう。そして薄らと山下氏は松岡氏の死の真相について何かをまだ語っていない印象も残る。
 あの火だるまとなった安倍政権のなかで、「日本という国にとっても間違いなくよいこと」があったということは、どういうことなのか。安倍政権から、福田政権、麻生政権と自民党は失墜していった。それは自民党が迎えるべくして迎えた終焉の光景であったかもしれない。農政についていえば、自民党農林族のトライアングルは宿痾であったことだろう。しかし、この失墜の歴史は、やがて民主党政権崩壊後になって見える地平からまた別の評価もあり得るだろうと思う。

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2009.11.25

[書評]Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶(仲正昌樹)

 80年代のニューアカ系譜にある浮薄な現代思想の分野で一番まともな仕事をしているのが金沢大学法学類教授仲正昌樹氏ではないだろうか。あるいはその独自のアイロニカルな舌鋒が私の好みに合うというだけかもしれないが。彼の学究の根底には若い日の統一教会信者体験が関わっていることは、自身も各所で述べていた。それはどういうことなのか。そこに関心を持つことは、対象が思想家であるなら、そうプライベートな領域を覗き込む下品なこととも言えないだろう。思想というもの根幹にも関わる秘密には独特の魅了性がある。だが、その、社会的に異質な宗教の信者であったという、仲正氏の過去の体験に正面から立ち向かった著作はこれまでなかった。「〈宗教化〉する現代思想」(参照)などを読んだ印象からすると、その部分は語られないのかもしれないとも思っていた。

cover
Nの肖像
統一教会で過ごした
日々の記憶
仲正昌樹
 しかし、仲正氏は本書で語りだした。私は本書が出たと知ったときにためらうことなく読み始めた。インタビューを元に編集されたらしいこともあって、読みづらい本ではないし、内容量も多くはないが、ある心情がこみ上げて、あえて一気には読めなかった。
 不遜な言い方だが、書籍として面白いか面白くないかといえば文句なく面白いと思う。エンタテイメントではないにもかかわらず、仲正氏が現在どういうポジションにあり、どのような仕事をされているかをまったく知らない人にとっても、面白い本だろうと思う。
 しかし、私の個人的な読後感だが、予期していたような統一教会信者体験の核がなんであったかについては、非常に表現しづらい感触が残った。これはブログに書評などは書けないのではないか。別段書く必要もないのではないかとも思った。また率直に言えば、当時の入信の心情の本当の部分はまだ書かれていないのではないかという猜疑にも似た奇妙な思いも残った。奇妙というのは、どう書けば「入信の心情の本当の部分」になるのだろうか。私は、彼に罵倒を浴びせる匿名者の一人にでもなりたいのだろうか。そうではないと言いながら、その奇妙な思いに立ち止まっていた。が、先日、ツイッターで「食口」という言葉を見かけ、本書を思い出し、少し感想のようなものを書いてみたいと思った。
 統一教会がなんであるかについてだが、知らない人がいるならウィキペディアなどを見ていただくとよいだろう。韓国発祥のキリスト教系新宗教団体であり、教祖の直感で信者の結婚を決めて集団で行われる「合同結婚式」や、壺や宝石などを詐欺のように高額で売りつける「霊感商法」などから、日本では反社会的なカルトとも見なされこともある。簡単に言えばいかがわしい宗教であると見なされている。そこになぜ、仲正氏ほどの聡明な頭脳が「迷い込んで」しまったのか。なぜそのような宗教を信じることが可能だったのか。その釈明のようなものを本書に期待することもあるだろう。
 そうした「期待」が読者にあることは仲正氏もある程度了解していて、本書はそれに答えようともしている。だが、本書のたらたらとした青春期の話からすれば、それは偶然の成り行きだった、というのがかなりの近似解として提出されているだけだ。むしろ、そうした奇遇・邂逅というものの、ある動かしがたさのようなものに直面する。
 また彼自身、その宗教に堅い信仰を持っていたのかといえば、本書が語るところは、まったくそうではない。どちらかといえば、偶然の成り行きでその共同体に所属していたものの、信仰者としては落ちこぼれであった。特に、「万物復帰」と呼ばれる商売活動では明白な落ちこぼれであったようだ。霊感商法とも呼ばれるような、独自の宗教観で物を売りつけるのが下手というより、およそ商人のセンスが仲正氏にはなかったということのようだ。
 本書を読み仲正氏の指摘で気がついたのだが、世間で言われる霊感商法について、私はまったくの誤解をしていた。彼のような信仰の浅い人間にはそのような霊感商法など実践してはいないかった。

 反統一教会活動をしている人や、統一教会を追いかけているマスコミの人は、どうも勘違いをしているような気がする。統一教会の万物復帰のすべてが、霊界に関わる物の販売ではない。また、全員が「霊感商法」に関わっているわけでもない。私の相対者になった女性は、ハッピーワールドで化粧品を売っていたというし、魚屋をやっている部署もある。


 冷静に考えればわかると思うが、霊界についてのトークをして、高額の物を買ってもらうというのは、たいへんなことである。販売の技術からいっても、「原理」に対する信仰の面からいっても、信頼されている人間でないとまかせられない。
 だから、お茶売りや珍味売りで大きな実績を出しつづけ、信仰者の鏡とされているようなメンバーでないと、霊的な商品の販売をやらせてもらえない。私など、最初から論外だった。

 実際の販売手法には本部は関わっていないという話もあった。もっとも、以上の仲正氏の話は、彼自身が所属していた15年以上の前のことで、教団から離れた現在の状況はわからない、という大きな留保はついている。
 統一教会について「マインドコントロール」つまり、洗脳が行われているという批判についても、仲正氏はごく冷静に体験的な実態を明かしている。もちろん、「マインドコントロール」という批判が何を意味するかは曖昧だが、仲正氏自身を例にしても、別段「マインドコントロール」されて信仰を持っていたというわけではないと言えるだろう。
 では、なぜ成り行きとはいえ仲正氏はその共同体に所属してしまったのだろうか。この背景には、彼が入学した東京大学の寮における左翼活動への反発があった。
 仲正氏は1963年生まれ。私よりも6つも年下で、その大学生時代にいまだ全学連崩れのような左翼活動が活発だったというのは、私にはまるで実感がないが、実感がないといえば私がそもそも日本の大学のことがよくわかっていないこともある。本書を読むかぎり嘘が書かれているわけでもないのだろうし、むしろ、私より6つも年下の世代に、そんなアナクロニズムの左翼学生がいたのかと驚くとともに、半面、昨今のはてなダイアリーなどを見ていると、なるほどねと思う部分もあった。
 仲正氏が信仰というか共同体を脱していくのは、先ほどの引用にあった「相対者」が大きな契機でもあったようだ。相対者とは合同結婚式で娶合わすことになる相手である。若い仲正氏にとってはその相対者との出会いと関係に大きな違和感を持ったようだった。そのあたりの話は、なるほどとも思うが、逆に、では魅了されるほどの相対者であったら、統一教会の信仰が続いただろう、ともいえるだろう。エマニュエル・ミリンゴ大司教などもそうなのかもしれない。
 本書を読みながら、実際のところ何が仲正氏を現在の氏に至らせたか、外側から見れば、案外単純に氏の知的探求力とその才能でなかったか。20世紀という一世紀を支配しいまだ各所に残存の残る巨大な共産主義に知的に対応すれば、その鏡像的なカルト的な思想・信仰の体系ができるのもしかたがないのかもしれない。若い日の仲正氏にとって、その鏡像は思索の根を伸ばしていく仮の土壌にすぎなかったのではないか。だとすれば、本書は、統一教会脱出者の記録というより、一人の知的な青年の青春期に過ぎない。
 私は、本書を読み終えたあと、ちょっと下品な感想なのだが、仲正さんはいいなアカデミックの世界に生き残りかつきちんとしたポジションまで持って、と羨ましく思った。その現在の成功に羨望の思いがある。もちろん、私は彼ほどの知性はないし、他者に愕然と向き合うほどの強靱な自我はないのだから、自分はしかたがないと思う。そしてその半面、これも下品な感想なのだが、青春とは、誰にとっても、本質的にはなんと残酷なものだな、残酷な青春は私だけの運命でもないな、とも思った。
 ユーミンは青春の終わりを甘く歌っていた。「青春を渡ってあなたとここにいる。遠い列車に乗る。今日の日が記念日」。しかし、そうきれいな記念日などないものだ。それでも、青春を渡り、遠い列車に乗ることは誰の人生にもあるし、それはなかなか個人的には壮絶な体験であったりもする。仲正氏はたんたんと綴られていたが、人生に潜むある種の壮絶さの比喩の一つが、仲正氏にとっての統一教会体験だったのかもしれない。

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2009.11.24

民主党によるアフガン民生支援金問題、補遺

 民主党によるアフガン民生支援金については先日「極東ブログ:鳩山政権によるアフガン戦争支援は懐かしの湾岸戦争小切手外交」(参照)ですでに触れたが、オバマ米大統領訪日の手前をとりあえず繕った拙速感が強く、予想されていた問題や看過されていた問題点は多い。備忘としても補足のエントリーをメモ書きしておきたい。
 まず昨日の共同「日本のアフガン支援に二つの壁 財政難、治安悪化で曲折も」(参照)が、民主党によるアフガン民生支援金問題の現状について、(1)日本の財政難、(2)現地の治安悪化という「二つの壁」を取り上げていた。財政難については次のように述べていた。


 外務省はまず約800億円を早急に支出し、元タリバン兵への職業訓練制度づくりや警察官給与の負担などを実施する方針で、2009年度第2次補正予算案での確保を目指している。
 続く10年度のアフガン支援については、900億円程度を想定しているが、無償資金協力枠は概算要求で1572億円。このため外務省はアフガン支援を「特別枠」としたい考えだが、財務省は従来の無償枠で対応するよう求めている。そうなるとアフガン支援を優先すれば他の国や地域への援助が減り「大打撃」(幹部)となりかねない。

 現在進行中のどたばたの事業仕分けでひねり出しつつある財源は2009年度補正予算に組み込まれるのかわからないが、いずれにせよそこから早急に約800億円の支出が求められている。苦労して捻出した財源も日本国内の予算には充てられないのかもしれない。民主党政権の成立過程を見ると当初想定されていなかった支出だろうが、そもそもの総額の決定過程が不透明でもあるので、今後の問題となるかもしれない。
 財源関連で最も問題なのは、「財務省は従来の無償枠で対応するよう求めている」という点で、「アフガン支援を優先すれば他の国や地域への援助が減」るということだ。つまり、他の支援にしわ寄せ来るのではないか、ということだが、これがどうなるのか。
 今朝の読売新聞社説「国際機関援助 「倍加」を表明して削減とは」(参照)が関連の話題で懸念を表していた。

 政府は先に、アフガニスタンの民生支援のため5年間で最大50億ドル(約4500億円)を拠出することを表明した。旧タリバン兵士の職業訓練や農業開発などだ。
 だが、現地の治安状況が改善せず、日本人が現地で活動することは容易ではない。このため、日本の支援の実態は、UNDPなどに資金を渡し、各機関のスタッフや派遣ボランティアに活動してもらう形となる。
 そうした活動経費は、通常の拠出金とは別に予算を確保するつもりかもしれない。しかし、国際機関に頼らざるを得ない現状を思えば、主に国際機関の運営費に充てられる拠出金を大幅に切り詰めることが、適切とは思えない。

 民主党によるアフガン民生支援金が機能するには、さらに別途国際機関援助への補助が必要なのだが、削減が模索されているようだ。それはすでにしわ寄せなのではないだろうか。
 共同記事が指摘した二点目の現地の治安悪化は深刻で展望が見えない。20日の政府答弁書は、アフガン大統領選に派遣した選挙監視団が作業変更や見送りを余儀なくされるほどの治安悪化を述べていた。
 今週中には、オバマ米大統領がアフガン増派を決定すると見られているので、治安の改善については、米軍増派の成果を期待することになるだろう。増派が失敗すれば、日本の民生支援も宙に浮くことになる。日本としては結果として米軍増派を支援する形となるだろうし、社民党・国民新党を含めた民主党が米軍増派支援をまとめたことにもなる。
 ところで米軍増派というと兵力の増強を意味するのだが、その他の対応も含まれている。13日のNHK視点・論点「アフガニスタン支援」(参照)で、日本エネルギー経済研究所理事田中浩一郎氏が指摘しているように、2010年度の米国国防予算には、アフガニスタン武装勢力をタリバンから分離するための買収工作費が含まれており、増派でも活発に買収工作が進展するだろう。だとすれば、日本からの民生支援金は実際には米国のこの費用の穴埋めともなるのではないだろうか。以前、インド洋上給油は何に使われているかという議論があったが、同質の問題にもなりそうだ。
 同番組での田中氏の指摘は、民主党によるアフガン民生支援金拠出が、さらに暗澹たる帰結になることを予想させた。

警察官育成の最大の障害は腐敗です。その彼らに給料を払い続けるだけでは、腐敗を蔓延させるだけに終わりかねません。質的な向上を図ることが不可欠なのです。それから、職業訓練を受ける元ターリバーン兵士への給与の支払いにも通じることですが、こうした給付金の上前を撥ね、武装勢力に回流させる危険な構造があります。その対処を怠ると、給与支援が、かえって仇となってしまいます。

 別の言い方をすれば、現カルザイ大統領の政権の根幹から組織化されている汚職の構造が改善されないかぎり、民主党案の民生支援金は武装勢力に行き渡ることになり、当初の目的とは逆の結果になる。
 さらに、民主党案の「民生支援」という美辞麗句自体が機能しない可能性がある。

また、本質的な矛盾も抱えています。このままでは、悪事に手を染めた、ターリバーン兵士を優遇することになりかねません。一般の、貧しい、けれども真っ正直に生きてきた市民も、現に、職業訓練を受けようとしてきたわけです。彼らに対する生活保障が与えられない中、ターリバーンだった、ということを理由に特別扱いすることは、差別に他なりません。


同時に、現在のターリバーンが、ほぼ100%パシュトゥーン人であることからすれば、他の民族は何の恩恵も得られない、ということになります。各地に、「にわかターリバーン」が出現することを、助長することにもなりかねません。そもそも、誰がターリバーン兵士であるかを、特定することが難しい場合も多いのです。

 番組ではパシュトゥン人の地域の地図も表示されたが、その地域は南部、またパキスタン側に偏っている。同地は当然、戦闘地域でもある。
 アフガニスタンは多民族国家で、民族問題も深刻である。アフガニスタンの民族構成だが、ウィキペディアにもあるが、パシュトゥン人が45%、タジク人が32%、ハザラ人が12%、ウズベク人が9%といった構成で、以前のタリバン政権と対立していた北部同盟はタジク人が主体になっている。今回の選挙の分裂も、パシュトゥン人とタジク人の対立があった。なお、ハザラ人はモンゴル系とも見られ、日本人の相貌に近い。日本人は現地では通常ハザラ人として見られるようだ。
 いずれにせよ、こうした民族の対立も融和に結びつけるように民生支援を行わなければならないのだが、かなり難しいうえに、日本政府が責任の取れないかたちの丸投げになるのではないか。

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2009.11.23

[書評]ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)

 先日トゥイッターで、蛍雪時代、ラ講、百万人の英語といった話を少しして、「そういえば、J・B・ハリス先生は日本人」という話を投げたら、驚かれた人がいた。2004年にお亡くなりなったJ・B・ハリス先生の国籍は日本。戸籍名は平柳秀夫である。しかし、ハリス先生は産まれたときの英国籍の名前、James Bernard Harrisを自身のアイデンティティーとされていた。
 英国人を父、日本人を母として1916(大正5)年9月4日、神戸に生まれ、ほどなく横浜に転居しそこで育った。震災後は米国に移り暮らし、12歳で日本に戻った。ジャーナリストであった父、Arthur Montague Harrisは、1933年、肺炎がもとで死去した。46歳だった。ハリス先生は当時16歳。残された母子は日本国籍を選び、このとき「平柳秀夫」となった。日本語は話せるものの漢字などは十分に読めず、軍人訓などを暗唱させられる兵役では苦労された。

ぼくは日本兵だった
ぼくは日本兵だった
J・B・ハリス
 その話は、「ぼくは日本兵だった(J・B・ハリス)」(参照)にある。彼が後に取締役となる旺文社から1986年に出版され、今では絶版のようだ。場所によっては図書館にもあるかもしれない。アマゾンを見るとまだ中古本が安価で入手できる。ここだけの話だが、もし未読であったら、そして私に騙されてちゃってもいいやという人がいたら、今買っておくことをお勧めしたい(そしてできるなら古書店はプレミアム価格をさけていただきたい)。245ページほどの小品でいかにも昔の参考書的な装丁で、文章もやや稚拙なところがあるが、この本は屈指の名作である。震災を体験した世代で、日本語も十分ではなく英国人にしか見えないハリス先生の中国従軍記でもある。一人の人間から見た本当の戦争、しかも中国での戦争の一端がここに描かれている。
 話は、1941年12月8日の朝から始まる。「その朝、ぼくの一日のはじまりにふだんと変わったところは何もなかった」という。寒い朝の街を抜けて、すでに勤務していた英字新聞社、Japan Advertiserに辿り着き、開戦の知らせを聞く。編集部でこの大事件の見出しを議論しているなか、25歳の若造であるハリス青年の案、"WAR IS ON"で決まり、そしてその場に乱入してきた憲兵に逮捕された。理由は、敵国人だからということである。
 ハリス青年は自分は日本国籍者平柳秀夫であると述べても通じず、手錠がかけられ、留置場に二週間入れられ、その後、横浜の外国人収容所に移され、外国人として本国への交換船を待つこととなった。彼は日本人であるのに、交換名簿に掲載されていた。母一人を日本に残す無念さのまま、出航まで数日になったころ日本国籍が認められ、釈放された。家に待っていたのは、召集令状だった。
 ハリス青年は26歳にもなって初めて徴兵検査となりペニスのサイズまで計測された。スポーツで鍛えた身体は甲種合格となった。折り紙付きである。数日後、召集令状が届き、軍歌を背に山梨東部第63部隊に入営。同部隊はその後、全員北支、新郷に送られた。新郷は現在の新郷市で、マイペディアによれば、「中国,河南省北部の都市。衛河水運の要衝で,京広鉄路(北京~広州)に沿い,新焦鉄路(新郷~焦作)の起点。河南省黄河以北の経済・文化・交通の中心地」とのこと。当時も城壁都市であり、日本軍の中国侵略といっても北支では点在的な駐留であり、八路軍(参照)などの襲撃対象となった。本書ではその壮絶な戦闘も描かれているが、その他の奇譚ともいえる各種のエピソードが興味深い。
 その後、ハリス青年は新郷から近くの湯陰に移り、城壁都市を結ぶ交通路の警備にあたり、また新郷に戻りそこで終戦を迎えることになるのだが、1945年5月、体を壊し、野戦病院に入院。そのことから思わぬ転機で英語力を買われ、情報機関に移った。そのため8月11日にはポツダム宣言受諾も知っていた。
 敗戦後、同地の日本軍は重慶の国民党政府下に置かれる。軍が内部から解体されていくようすは山本七平著「私の中の日本軍」(上巻参照下巻参照)とも通じるものがあり、日本人というのはこういう民族なのかなという奇妙な感慨を持つ。
 中国大陸から本土帰還の経緯でも奇譚のような話が続く。東京でジャーリストに戻ったハリス青年は、東京裁判を扱うことにもなった。被告人名簿を見て、「自分でも驚いたのは、この中で知っている名前が、東條英機や重光葵などほんのわずかしかいないことだった。ぼくが属していた陸軍の関係者が十一人もいるのに、そのほとんどははじめて聞く名前だ」と一兵卒から見た感想も述べている。
 本書にはハリス青年のように、外見は欧米人にしか見えない日本籍の兵が数名登場する。また、日本兵のインテリが英語を使いこなし、国際状況を冷徹に見ていた話も描かれている。戦争というものの持つ、単純化されえない何かが描かれている。読みながら、なんどか涙がこぼれるシーンもあった。

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2009.11.21

[書評]追跡・アメリカの思想家たち(会田弘継)

 「追跡・アメリカの思想家たち(会田弘継)」(参照)は、現代米国政治を支える政治思想家の系譜を紀行文風にまとめた書籍で、昨年の9月に出版されたものだ。

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追跡・アメリカの思想家たち
会田弘継
 紀行文風な仕上がりとなったのは、大半が2005年から2007年の雑誌フォーサイトの連載であったためだろう。各思想家の思想をコンサイスにまとめるというより、思想家の個人史や関係史、意外なエピソードといった話が多く、その点から言えば、現代の米国政治を支えている思想がどのようなものかは、本書からはわかりづらい。私も同書が新刊のおり書店で見て、これを読んでも雑学にしかならないのではないかと思ったものだった。
 だが先日、自民党の実質解体後の保守主義の立て直しという文脈だったか、保守主義はナショナリズムではない、というテーマに及び、ツイッターでぼそっとつぶやいたところ、アルファーブロガーの切込隊長さんのレスがあって、そういえば彼のハンドル"Kirik"と彼の好きなエドモンンド・バーク(参照)から、本書第一章に充てられているラッセル・カーク(Kirk)氏(参照)を連想した。
 カーク氏はバーク主義の流れから、保守主義はナショナリズムではないと主張していたっけと思い返し、その発言の文脈であるネオコンを思い出した。連想ゲームである。さらにそういえば、ブッシュ政権後、ネオコンという言葉を聞かなくなったが、本書の連載時はまさにネオコンが話題だった。日本でバッシングのラベルで「新自由主義」や「ネオコン」を振り回す議論にろくなものがないが、実際のネオコン思想家の系譜はどうだったのか。そのあたりも含めて、少し振り返ってみるとよいかと読み出した。意外といってはなんだが、現代米国思想という文脈を外しても無性に面白い本であったし、新聞記者らしいプレーンな文体が読みやすかった。
 フォーサイト連載当時はネオコンへの関心から読まれたのだろうと思う。そして、ネオコンを世代に分けて論じていく独自の手つきは興味深く、政治学的にはわからないが、重要なのは米国の世代問題ではないかとも思えた。いずれにせよ、そうしたニーズ、つまりネオコンの概容を知りたいという点で読まれてもよいのだろう。
 私が興味を持ったのはむしろ、本書の脇道であった。経済学者のハイエク氏が夏目漱石著「こころ」を読んだだろうという逸話は、ハイエク氏の恋愛・離婚・移民と相まってそれ自体面白い話だが、そもそも「こころ」が美文で英訳(参照)されたのは、神戸生まれのエドウィン・マクレラン氏(参照)の貢献によるもので、氏の逸話や江藤淳氏の交友も興味深かった。おそらく、イザヤ・ベンダサンという架空の人物はマクレラン氏が一つの原型になっているはずだが、さらに実際にマクレラン氏とも関係があるようにも思えた。ベンダサンは漱石研究家といってもよいほど造詣があるのだが、この点、ペンネーム主と言われることの多い山本七平氏のその後の著作を見てもわかるが漱石理解は異なる。
 フランシス・フクヤマ(参照)氏の祖父河田嗣郎(参照)氏の話も興味深いものだった。河田氏が徳富蘇峰氏(参照)と交友があったこともだが、その娘敏子さんが蘇峰氏の縁者でもある湯浅八郎氏(参照)の秘書で、その縁から福山喜雄氏と結婚し生まれたのがフランシス・フクヤマ氏であったということは知らなかったので驚いた。なんどかお目にかかったことがある生前の湯浅八郎先生を懐かしく思い出した。
 自分が無知ゆえに驚いたといえば、J・グレッシャム・メイチェン氏(参照)のこともだった。私は若い頃、彼の教科書で新約聖書ギリシア語を学んでいた。もちろん当時からメイチェン氏に深い信仰と神学があることは、その教科書からでも伝わってくるものがあったが、がちがちのリベラルである私には、福音派的な信仰を顧みる心の余裕はまるでなかった。本書で知ったのだが、ビリー・グラハム氏(参照)やジェリー・フォルウェル氏(参照)などもメイチェン氏の孫弟子にあたるらしい。私は彼らはもっと純朴な信仰の大衆向け伝道者くらいにしか想定していなかった。そもそもメイチェン氏がリベラル神学の問題を理解した上で明確に異を唱えていたことすら知らなかった。考えてみればバルト神学も現代的な知の装いをしているが、歴史と啓示の問題を突き詰めれば本書に描かれるメイチェン像になるかもしれない。そのあたり、日本の戦後キリスト教史の奇妙ともいえる空白と、接ぎ木されたビリー・グラハム的なエヴァンジェリズムの問題を痛感した。
 本書を読み終え、ぼうっと、いずれにせよ、思想が話題になるということは、20世紀における雑誌出版というのが大きな意味を持っていたのだろうという思いにふけった。吉本隆明氏が「試行」を創刊したころも、思想とは同人誌であっただろう。インターネットが興隆するころ、池澤夏樹氏がこれで新しい地下出版のツールとなると認識していたことを思い出した。しかし、実際のインターネットはそうした地下出版・同人誌的な思想形成の場とはなっていない。その残骸の雑誌を過去の歴史に置きながら、ブログのような奇妙なものが形成されている。

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2009.11.20

アンドロイドでマニフェスト仕分けの夢を見るか?

 夢の中にいて、こんなの現実にあるわけないじゃないか、夢だよ、とわかっていることがある。そんな夢物語。こんなの現実にあるわけないよね、という非現実的な政治が現実だと言われてメディアに映るようになってくると、まったく夢がどこまで夢なのかわからなくなる。
 銀座の紅茶店で今は休眠中の著名ブログのブロガーに声をかけられた。
「終風さんじゃないですか、ちょうどよかった、あなたもブロガーなんだから仕分け人に行きましょう」と言う。
 仕分け人に行く? 仕分け人になるということか。ええ! 私は答える。
「ブロガーなんて世間じゃ無ですよ。ブログ界で話題のカツマーさんですら世間ではそれほど知られていないから、いくらもともと人の話を聞かない人だったとはいえ、イラ菅さんにですら笑顔でいなされちゃったじゃないですか。池信先生やダンコーガイ氏ですら、世間で知る人ぞなきですよ。ブロガーなんて意味ないですよ」と私は答える。「それにアルファブロガーの切隊さんとかすでに戦略局とかに呼ばれているって言うじゃないですか、パパの育児参加の話かもしれないけど」
「終風さんもアルファブロガーですよ」と、振り返ると音楽家の某嬢もいた。
「それは違う。私は『アルファブロガー括弧笑い』のほうです。しょっちゅう罵倒をいただくほうの馬鹿者ですよ。」
「だったらなおさらいいんじゃないですか。衆愚政治の極みみたいな話なんだから」。
 なるほどね、と心が傾く。
 そういえば、昔こんな話を聞いた。本当のことかわからない。ぼんやりとした昭和の思い出のようなものだ。ある小学校のクラスで悪さをした子をどうしようと、先生がクラスのみんなで話しかけた。みんなで罰を決めようということになった。みんなで決めた処罰は、その子をクラスの前に立たせて裸にするということだった。おいおい、それが民主主義かよ。ただのリンチだろ。デモクラシーというのは、本当は「民主制度」で、この制度というのは、そもそもそうした衆愚の権力を発揮できないように良識の歯止めを掛けるための制度なんだが……。そういえば、昭和の時代には、「総括」というのがあったな。「連合」の前の「総評」と似たような字面の言葉だったが……。
 会場に着く。ではこちらにお掛け下さいと言われる。
 「原告側でいいのですね」と言ってみるが洒落は通じない。
 右に座った休眠アルファブロガー氏がにやにやしているので、「僕はなんにも言いませんからね」と言うと、「かまいませんよ、結論は決まっているんですから」と彼は答える。そりゃそうだ。
 仕分け人とかいうけど、私はいったいなにを仕分けしているのか皆目わからない。物事の考え方に、対象をブラックボックスとして見るというのがあるが、その場合、入力と出力からブラックボックスの機能を探る。では「仕分け」のブラックボックスはどのような機能をしているのか。出力は、「廃止」「見直し」しかない。どっちも程度の違いで同義語。いや一つだけお笑いの例外があったか。いずれにせよ、出力を見るとわかるように、なんにも仕分けてなんかいない。しかも、入力は、ネオ大蔵省こと財務省があらかじめ選んだものに仕分け済み。つまり、このブラックボックスの中はスルーだ。機能なし。決まり切った勧進帳。インターネットとかの衆人環視のサーカス。パンはどこだ。
 夢想が進むなか、「こちらに目を通してください」と資料を渡される。「これが有名な財務省のシナリオですね」と言ってみる。やはり洒落は通じない。通じるようならプロじゃないよな。
 資料をめくって見て、あれっ?と思った。思わず、「これ仕分け対象でいいんですか」と訊いてみた。これには答えがあった。
 「そうです」という彼の目の奥で、「シナリオどおりにやれよな、この愚民」のメッセージが光っている。
 いいのだろうか、これ、「民主党の子ども手当」でしょ。いくら、民主党のマニフェストに書いちゃったからって、いくら愚策とか言われたって、聖域なき改革とやらの聖域なんでしょ。
 もともと小沢さんが欧州での子ども手当の総額を知って、日本だと6兆円くらいっちゅう話かぁ、田中先生のバラマキぶりを思えばそのくらいやらなければいかんちゅうことだ、それに子ども手当の話はお孫さんをもつお爺ちゃんお婆ちゃんに受けがいい、って、それで、えいっとお馴染みの「天の声」で決めて、それから子どもの頭数で割ったら一人当たり2万6000円になったというだけの話でしょ。効果もへったくれもあるわけないじゃないですか。え? 違うの? あ、いえ、いいです、そんな議論じゃないわけですね。はい。
 それでもですね、どうせやるなら、「郵政民営化の巻き戻し」を廃止するほうがいいんじゃないんですかね。仕分けの三原則からもやりやすい。その一、民間でもやれることですか? そりゃもちろん、郵政民営化っていうくらいだし。その二、費用対効果はどうですか? これはばっちり。なにせ郵貯は大蔵省から兆単位のカネを補填していたんですよ。知らないのは騒ぎ立てるブロガーくらいですよ。その三、天下りはありますか。おいおい、斎藤元大蔵省次官の日本郵政社長就任が天下りじゃなくて、いったいなにが天下りなんだ。
 「では仕分け作業を始めます」とアナウンスがある。「時間は30分です。無駄のない議論を進めてください。全国で最大2万人かたがインターネットを通して監視していることもお忘れなく。」
 そして、沈黙のようなざわめき。「最初に、財務省主計局から説明があります」と説明が始まる。
 「先日晴れてデフレ宣言を出しましたように、現在日本は未曾有の経済低迷にあり、財政赤字が巨額に膨れあがっております。そこに来て、今年度の税収の見込みは38兆円を割ることはすでに明らかになっており、実際には35兆円程度ではないかと、あー、いまの35兆円という金額はここだけの話にしてください、先日の直嶋正行経済産業相によるGDP値のフライングみたいな辞任当然の失言に受け止められては困りますので。説明を続けます。そして、かたや民主党のマニフェストを実施するのに必要な総額はすでに95兆円に及ぼうとしています。これを差し引きすると、95兆円マイナス35兆円、つまり、60兆円の赤字となります。これをなんとか44兆円にまで圧縮したいということでありまして、先日までの3兆円をなんとか削減するといった仕分け作業ではまったくお話にならない。小学一年生の算数もできないのかよ民主党ということでありまして、今回、鳩山政権が掲げる子ども手当の仕分けに及んだわけです。さらに、従来のようにシナリオどおりの良識に従っていただける仕分け人では、この手の話は進まないのではないということで、日頃から暴論をブログに吐かれているかたを採用してはどうかということもありまして特別な人選となりました。ですから忌憚なき御意見をいただければと思います」
 「今、暴論って言ったわよね」と、左隣のアラフォー未満の女性がつぶくやく。女性ブロガーなのか。「ええ」と私は曖昧に答える。聞き違いかもしれない。
 仕分け人とやらのやや年配の男性が話出した。
 「鳩山政権が掲げる子ども手当が仕分けの対象となったことは、いくら選挙看板のマニフェストで掲げたとはいえ、開かれた政策を掲げる民主党のあり方としては好ましいと思われます。実際の政策として推進するには、まず目的と対象を再検討すべきでしょう。限られた予算を使うのですから、選択と集中が求められます。所得制限を設けない子ども手当は巨額の財源が必要な一方で少子化対策の効果があるのか、すでに疑問の声が上げられています。民主党政権では、日本国は自民党政権時代を上回る巨額の財政赤字を抱えることをは必至であり、すでに検討されていることではありますが、少子化対策に加え、女性の社会進出を両立させるための一挙両得の対策が必要になります。つまり、一律に子ども手当を支給するよりは保育所の待機児童対策などに重点を置くべきでしょう。もちろん、民主党内でこれになにかと反論があることは存じているものでありますが、それでも、規律無き財政赤字、金融政策無策、結局外需依存中国頼みに帰する方向に日本が向かいつつある現在、確かな労働力の確保として、女性の労働参加拡大が経済成長の源になることは明らかであります。」
 隣席のアラフォー未満の女性ブロガーがにやにやしている。怪訝な顔で見ている私に、こっそり、「わたし、混乱大好き」とつぶやいた。なんだそれと私は思いつつ、さっさとこんなくだらない仕分けは終わらないかなと思っているうちに、30分など所詮議論するほどの時間のわけでもなく、結論は、子ども手当見直しという結論になったようだ。
 「これでよかったんでしょうかね」と私はなんとなく臨席に届く声でつぶやき、帰りにお茶でもしてきませんかと、加えてみる。
 「ごめんなさい。いそいで今のネタをエントリに書かないといけないので」と彼女は立ち上がり、そして言った。
 
 そんじゃーね!

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2009.11.18

[書評]ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム)

 「あの年読んだ本ってなんだっけ」と今年の読書のことを後に振り返るとしたら、おそらく社会的に話題となった村上春樹「1Q84」(参照)より、本書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム)」(上巻参照下巻参照)になるだろう。

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ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争 上
ディヴィッド・ハルバースタム
 読み終えるまで一か月かかった。大著であることもだが内容が重く、なかなか読み進められなかった。上下で11部53章あり、一つの部が軽く新書一冊分の内容を持っていることもあった。ある部を読み終えてから、過去に読んだ書籍を読み返したこともあった。再読しようと書架や実家の書架を探し回り見つけられず、再度購入した書籍もあった。そうした一冊に「新「南京大虐殺」のまぼろし(鈴木明)」(参照)がある。同書はかつて標題の関心から読んでつまらないと捨ててしまったのかもしれない。
 本書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」は標題に「朝鮮戦争」とあるように、もちろん朝鮮戦争を扱った歴史書でもある。そう読まれてもしかたがないし、そう読まれることが正しいとも言える。朝鮮戦争に参加した米人がぽつぽつと鬼籍に入りつつある現在、米国人にとってあの戦争がなんであったかと問い直すための書籍でもある。当然、そこからは、南北朝鮮や中国、そして日本の側からの視点は抜け落ちるが、それは本書の欠点でも限界でもない。米国という確固たる視点で書かれた書籍だからこそ、現在の米国への批判ともなり得る長い射程を持ちえた。オリジナルサブタイトル「America and the Korean War」はまさに米国と朝鮮戦争との関わりを指している。またタイトル「The Coldest Winter」が一冬を指しているのも、最初の年の冬の出来事が決定的であったことを意味し、朝鮮戦争全体の叙述ではないことを暗示している。
cover
ザ・コールデスト・ウインター
朝鮮戦争 下
ディヴィッド・ハルバースタム
 本書のオリジナル「The Coldest Winter: America and the Korean War」(参照)が書かれたのは、2007年のこと。著者ハルバースタムが執筆に10年をかけた労作で、彼は最終ゲラに手を入れた翌週2007年4月23日に交通事故で亡くなり、本書が遺作となった。73歳だった。2007年、73歳の彼がその年の米国に見ていたのは、言うまでもなくイラク戦争の泥沼でもあり、本書の朝鮮戦争はイラク戦争の暗喩でもあった。米国側から見た朝鮮戦争の失点はマッカーサーの狂気よりも、彼が戦時情報を操作したことだった。朝鮮戦争時代からのこの問題がイラク戦争の混迷につながったとハルバースタムは見ていた。

 第一生命ビルの部下たちは、マッカーサーの軍隊が行きたいところまで、つまり鴨緑江の河岸まで行くことができるように、情報に手を加えた。これは危険な前例を作った。朝鮮戦争では、軍が情報をもてあそんだ。もっと正確に言えば、軍の一部のならず者が、ワシントンの統合参謀本部および文民高官に送る情報を操作した。
 このプロセスはその後何年も経ってから二回繰り返されることになる。(中略)
 次いで二〇〇三年、ジョージ・W・ブッシュの政府は、--- ロシア帝国の終焉が中東にどのような意味を持つかを読み誤り、現地の人々の予想される反応を完全に誤算した。サダム・フセインの政府をなにがなんでも倒したいという内向けの理由が政権にはあった。父親ジョージ・H・ブッシュの国家安全保障チームの最も有能なメンバーだったブレント・スコウクロフトの警告があったにもかかわらず、これを無視した。そして、重大な欠陥のある改竄情報をもって、議会、メディア、世論、そして何よりも危険なことに、自らも騙し、イラク諸都市の心臓部に部隊を送り込んだ。その結果は悲惨の一言につきる。

 ハルバースタムのこの評価は八割は正しいだろうと私は思う。残る一割はばりばりの右派であるチャールズ・クラウトハマーのような擁護論(参照)と、もう一割はマケインの増派論だ。いずれにせよ、本書は米国で出版された当初はイラク戦の泥沼の文脈で読まれた。2007年ではまだイラクの混迷が安定に向かう兆しは読み取れなかったせいもある(参照)。その後、イラク情勢は前回の大統領選挙共和党候補者マケインの増派論を民主党オバマ政権が引き継ぐ形で、とりあえずの混迷を抜け出したかに見えるが、さらにその後、「オバマの戦争」(参照)ことアフガン戦争の混迷が始まった。
 本書を邦訳で今の時点で読むと、不思議なことに泥沼化しつつある「オバマの戦争」の状況のほうが暗喩として浮かび上がってくる。朝鮮戦争時の米国民主党大統領トルーマンと現民主党大統領オバマが民主党という点で重なって見える部分があるからだろう。ただし、トルーマンとマッカーサーの対決はオバマ対マクリスタルではないし、「オバマの戦争」であるべき決定が朝鮮戦争の史実から見えてくるわけでもないが、民意よりトルーマンが正しかったという歴史の教訓は残る。
 本書のテーマは朝鮮戦争というよりも、米国における文民トルーマン対軍人マッカーサーの戦いであり、文民統制とはなにかという壮烈な事例研究にもなっている。また、朝鮮半島という場で朝鮮人を巻き込む形でなされた戦争ではあるが、実質的な戦闘は中国対米国であり、米中戦争であった。しかも、この米中戦争を結果的に引き起こしたのは、マッカーサーの狂気もさることながら、ハルバースタムが問題視するように「情報操作」でもあり、その背景にあって情報操作を推進した中国国民党政府ロビーの活動であった。その意味では、朝鮮戦争とは中国大陸の国共内戦の延長でもあった。
 本書を読みながら背筋がぞくぞくとしてくるのは、この時代、米国にトルーマンがいなければ、マッカーサーと毛沢東は全面的な米中戦争にやる気満々であったことと、そこで核爆弾が応用される可能性があったことだ。むしろ、本書では脇役的になっているスターリンの奇妙な臆病さが結果的に、大戦を抑制的に機能したのも歴史の不思議であり、幸運でもあった。
 米国内の中国国民党政府ロビーの強固さは、朝鮮戦争敗退後も続くのだが、それは単独の力というより、米国内の中国ミッショナリーの勢力と重なっていた。その米国内の親中国派の歴史の叙述は、私にとっては本書の圧巻であった。タイム、ライフ、フォーチュンを創始した出版王ヘンリー・ルースが親中国的であることはP.F.ドラッカー「ドラッカー わが軌跡」(参照)でもよく知られているが、その活動を歴史の流れに置いて見ると、ある種の幻惑感に襲わる。本書には描かれていないが、まさに現在進みつつある米中関係の背後には、いまだ中国宣教を目指す親中の米国勢力が存在する。それが目指しているものは、ルースの敗れた夢の再生であるかもしれない。
 本書を読み進めながら、奇妙な言い方だが、自分がこの世に生まれた世界とはこのような成り立ちをしていたのかということと、自分がなぜこの時代に存在するのかその意味を探るような思いも感じていた。本書には当時の日本の描写は少ないとはいえ、日本がその後世界史のなかで置かれる位置を読み解くという点で、日本史の一部である。そもそもマッカーサーとは一時期日本の天皇でもあったし、この米人の天皇の亡霊は今なお独自の呪縛をもって今の日本を支配している。
 朝鮮戦争に勝利者はいないと言われる。また本書は、この戦争における米国の狂気と愚かさを余すところ無く暴き出している。その徹底性から、毛沢東の狂気については副次的な叙述になっている。だが、この戦争の戦死者数が物語るものは異様である。ブリタニカによれば、米国人死者は約5万4千人、韓国人130万人、北朝鮮人50万人、中国人100万人である。

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2009.11.16

フジテレビ記者がオバマ米大統領に広島と長崎の核爆弾投下の是非を質問したが、はぐらかされてしまった

 オバマ米国大統領訪問で日米首脳共同記者会見が実施された。その際、フジテレビ記者は、オバマ米大統領に広島と長崎の核爆弾投下の是非を質問したが、はぐらかされてしまった。その報道が日本のメディアにはあまり明確には伝わっていないようなので、ブロガーとしては補足しておきたい。
 最初に日米首脳共同記者会見のこの質問に関連する大手紙の報道を確認しておきたい。
 14日付け朝日新聞「日米首脳会談 共同会見の要旨」(参照)では、フジテレビ記者の質問への回答であることが明示されず、基調と同じ扱いになっていた。


■大統領 作業部会は、在沖米軍再編に関する日米合意の履行に焦点を絞るものだ。作業を迅速に完了することを希望している。
 我々は、「核のない世界」というビジョンを、長期的目標として共有している。具体的な措置をとらなければならない。核兵器が存在する限り、我々と同盟国のための抑止力を維持していく。
 広島と長崎で原爆が投下されたことにより、日本は核兵器について特有の視点を持っている。首相が深い関心を持っているのはよく分かる。私が広島と長崎を将来訪れることができれば、非常に名誉なことだ。短期的には訪問の計画はないが、私にとって有意義だと考えている。
 北朝鮮については、核実験や好戦的な行動を非常に懸念している。北朝鮮に対し、国際社会に再び参加する扉があるということを伝えたい。

 13日付け読売新聞「日米首脳会談・首相と大統領の共同記者会見要旨」(参照)は、さらに編集のきついまとめになっていた。

【核不拡散】
 首相 北朝鮮やイラン問題で密接に協力していきたい。
 大統領 北朝鮮、イラン両国が国際社会に対して義務を果たさないといけない。さもなければ私たちは協力して国連決議を実行に移すことになる。
 大統領 広島と長崎を将来訪れることができたら名誉なことだ。短期的には訪問計画はない。

 14日付け毎日新聞「日米首脳会談:共同記者会見 要旨」(参照)は朝日新聞と似ている。なお、日経新聞および共同通信の報道も私が見た限り類似の扱いだった。

◆核なき世界
 大統領 時間はかかるが、不拡散体制を強化しなければならない。核兵器が存在する限り同盟国のための抑止力を維持する。
 日本は核兵器に独自の視点を持っている。広島と長崎に使用されたからだ。首相が深い関心を持っているのはよくわかる。広島と長崎を将来訪れることができたら非常に名誉なことだ。
 北朝鮮の核実験や好戦的行動を懸念している。6カ国協議の(日米以外の)ほかの3カ国と、北朝鮮に「国際社会に再び参加する扉がある」と伝えたい。その間、これまでの制裁を実施する。

 やや異色なのが13日付け産経新聞「【オバマ大統領来日】日米首脳共同記者会見の要旨」(参照)だった。質問記者がフジテレビ所属であり産経新聞と関係が深いことからか、この問題を「広島、長崎訪問」として切り分け、さらに日本人記者からの質問であったことがわかるように明示されている。さらに質問において、「原爆投下の選択は正しかったかと考えるか」と明示されている。ただし、それがはぐらかされたようすはわからない。

【広島、長崎訪問】
 --大統領は任期中に広島、長崎を訪れる意向があるか。原爆投下の選択は正しかったかと考えるか。
 大統領 日本は核兵器について独自の視点を持っている。原爆が投下されたからだ。広島と長崎を将来訪れることができたら非常に名誉なことだ。短期的には訪問の計画はないが、私には非常に意味のあることだ。

 この部分を切り分けた国内報道も多かった。一例として、日経新聞「オバマ米大統領、広島・長崎訪問に意欲」(参照)はこのような報道だった。

 オバマ米大統領は13日夜の日米首脳会談後の共同記者会見で、自らが提唱する「核兵器なき世界」構想に関連して「日本は核兵器について独自の視点がある。広島と長崎に原爆が投下されたからだ」と語った。そのうえで「広島と長崎を将来、訪れることができれば非常に名誉なことだと思っている。短期的には訪問の計画はないが、私にとっては非常に意味のあることだと思っている」と、被爆地である広島、長崎両市を将来、訪問することに意欲を示した。

 そうした中、オバマ大統領のはぐらかしをそれ自体取り上げた報道としては、15日付け中国新聞「被爆地との間に温度差 原爆投下の歴史認識示さず」(参照)があった。

 13日の首脳会談。オバマ氏は満面の笑みを浮かべて報道陣の撮影に応じ、鳩山由紀夫首相の説明に何度もうなずきながら聞き入った。共同記者会見でも時折ユーモアを交えて答えた。
 だが、被爆地訪問については「すぐに行く予定はないが、私にとって非常に意義がある」と、あいまいさがにじんだ。「過去2発の原爆が投下された歴史的意義をどうとらえ、現在も正しかったと考えるのか」との質問もあった。しかし、意識的なのか、複数の質問がある中で失念したのか、答えはなかった。
 「国内の保守派への配慮も必要。今の段階では政治家としての欲求をはっきり言えないのではないか」。広島市立大広島平和研究所の初代所長の明石康・元国連事務次長は分析する。原爆投下は正当だったとの見方が根強い米国の世論に加え、議会内に反対がある医療保険改革法案や10%超の失業率に向き合う内政事情があるとみる。

 明石康・元国連事務次長のコメントは中国新聞だけが取ったものか、私にはわからないが、重要な指摘であった。
 フジテレビ記者からの質問の状況について、冷泉彰彦氏が興味深い指摘をしていた。現時点ではまだ、「[JMM]from 911/USAレポート/冷泉 彰彦」(参照)にはないが、近く掲載されるだろう。

とりあえず、共同記者会見、そしてアメリカの反応というところでは、だいたい予想した通りの展開で来ていると思いますし、これで良いと思います。
 けれども会見の後の質疑応答の部分で代表の日本側記者が「広島、長崎への原爆投下は正しかったとお考えですか?」という質問を投げかけた部分は、非常に重要なやり取りだったと言わざるを得ません。オバマ大統領は、明らかに狼狽していました。「ずいぶん沢山の質問ですねえ」とふざけて見せ、「最後の質問は何でしたっけ・・・北朝鮮の問題だったかな?」と巧妙に話題を振って、見事に「北朝鮮の話」を延々として時間切れに持ち込んだのです。要するに質問への回答を拒否した形になりました。オバマ大統領という人のスピーチや、質疑応答での対処はずいぶん見てきていますが、こうした光景は異例です。
 その前の部分では、広島・長崎への訪問予定に関しては「短期的には予定はありません」としながらも「訪問ができたら大変な名誉です」という言い方で、「ニュートラル+やや前向き」の回答をしていましたが、「短期的には予定はない」という発言の部分については、「原爆投下の是非」への回答拒否と併せて、これも重苦しい瞬間でした。この重苦しさをどう乗り越えてゆけば、良いのか、それはオバマの問題であるだけでなく、日本側としてももっと真剣に考えて行かねばならないと思います。

 として、狼狽と異例であることを強調していた。
 実際の、フジテレビ記者の質問とオバマ米大統領の回答は、すでにホワイトハウスのサイトに「Remarks by President Barack Obama and Prime Minister Yukio Hatoyama of Japan in Joint Press Conference」(参照)として掲載されている。該当箇所を引用し、試訳を添えておこう。

PRIME MINISTER HATOYAMA: Thank you very much. Now I'd like to proceed to questions. I will appoint the person, and once you are appointed, please come to the microphone, state your name and affiliation, and also to whom -- please state to whom you want to pose your question.

鳩山首相:ありがとう。では質問に移らせてもらいます。私が指名します。指名されたかたは、マイクともってお名前と所属を述べて下さい。そして、どちらへの質問であるかも明示してください。

On behalf of the Japanese press, please.

では、日本の記者の代表はどなたですか。

Q Fuji Television. Matsuyama is my name. I'd like to ask both leaders -- first to Prime Minister Hatoyama. (中略) And to President Obama, you are a proponent of a nuclear-free world, and you've stated, first of all, you would like to visit Hiroshima and Nagasaki while in office. Do you have this desire? And what is your understanding of the historical meaning of the A-bombing in Hiroshima and Nagasaki? Do you think that it was the right decision?

質問者: フジテレビのマツヤマです。両者にお尋ねしたい。最初は鳩山首相にです。(中略) 次にオバマ大統領に。あなたは、核兵器のない世界の提唱者ですが、すでに述べていらっしゃるように、なによりもまず、政権期間中に広島と長崎への訪問なさってはいかがでしょうか。その希望はお持ちでしょうか。そして、広島と長崎の核爆弾投下の歴史的意味をどのようにお考えでしょうか。あれは正しい決定だったでしょうか?

And also considering the North Korean situation, how do you think the U.S.-Japan alliance should be strengthened, and how should both countries cooperate in the field of nuclear disarmament?

また、北朝鮮の状況考慮したうえで、日米同盟はどのように強化されるべきでしょうか。この分野において核兵器削減に両国はどのように協調すべきでしょうか。

And also on the Futenma relocation issue, by when do you think the issue needs to be resolved? And should it be that Japan carry over the discussion -- decision to next year, or decide on something outside of what is being discussed? How would you respond?

また、普天間飛行場移設問題について、いつまでの解決と想定していらっしゃるでしょうか。日本がこの決定を先延ばしにすべきでしょうか。例えば、来年まで、あるいは現在の協議の外で決めることでしょうか。どのようにお考えでしょうか。

PRIME MINISTER HATOYAMA: Let me start. (中略) President, please.

鳩山首相:では私から。(中略) 大統領どうぞ。

PRESIDENT OBAMA: Well, first of all, I am impressed that the Japanese journalists use the same strategy as American journalists -- (laughter) -- in asking multiple questions.

オバマ大統領:最初に、日本人記者が米国人記者と同じ質問手法を取られたので感心しています(笑)つまり、複数の質問を一度にですね。

Let me, first of all, insist that the United States and Japan are equal partners. We have been and we will continue to be. Each country brings specific assets and strengths to the relationship, but we proceed based on mutual interest and mutual respect, and that will continue.

なによりも、米国と日本は対等のパートナーです。かつても、そしてこれからもです。両国は関係上独自の利点と長所を持っていますが、協調の継続は、相互利益・相互尊重に基づきます。

That's reflected in the Japan-U.S. alliance. It will be reflected in the resolution of the base realignment issues related to Futenma. As the Prime Minister indicated, we discussed this. The United States and Japan have set up a high-level working group that will focus on implementation of the agreement that our two governments reached with respect to the restructuring of U.S. forces in Okinawa, and we hope to complete this work expeditiously.

このことが日米同盟に影響します。このことが、普天間飛行場問題に関わる米軍再編決定に影響します。鳩山首相が述べたように、私たちはこの問題を話合いました。米国と日本は高レベルの作業会議を設置し、そこで在沖米軍再編に関わる二国間合意実現を焦点に扱います。私は迅速な完遂を期待しています。

Our goal remains the same, and that's to provide for the defense of Japan with minimal intrusion on the lives of the people who share this space. And I have to say that I am extraordinarily proud and grateful for the men and women in uniform from the United States who help us to honor our obligations to the alliance and our treaties.

私たちの目標は同じです。基地提供に関わる人々の生活への悪影響を最小限にして、日本に防衛を提供することです。同盟と盟約の義務を重視するように私たちに尽力された米国の人々に特段の謝意を述べたいと思います。

With respect to nuclear weapons and the issues of non-proliferation, this is an area where Prime Minister Hatoyama and I have discussed repeatedly in our meetings. We share, I think, a vision of a world without nuclear weapons. We recognize, though, that this is a distant goal, and we have to take specific steps in the interim to meet this goal. It will take time. It will not be reached probably even in our own lifetimes. But in seeking this goal we can stop the spread of nuclear weapons; we can secure loose nuclear weapons; we can strengthen the non-proliferation regime.

核兵器とその廃絶の問題は鳩山首相とすでに何度も話し合い、核兵器の無い世界について私たちは合意に達していると思います。同時に私たちは、それが遠い未来の目標ことも理解しています。目標達成までには中間段階を経る必要があります。時間がかかるのです。わたしたちの一生の間ではたぶん到達しないでしょう。しかし、この目標に向かって、核兵器の拡散を制止することができます。私たちは、核兵器を削減することで、核兵器拡散防止が強化されます。

As long as nuclear weapons exist, we will retain our deterrent for our people and our allies, but we are already taking steps to bring down our nuclear stockpiles and -- in cooperation with the Russian government -- and we want to continue to work on the non-proliferation issues.

既存の核兵器については、米国民と同盟国への抑止力として保持しますが、ロシア政府と協調し、それでもすでに削減に着手しています。さらに核兵器拡散防止を推進します。

Now, obviously Japan has unique perspective on the issue of nuclear weapons as a consequence of Hiroshima and Nagasaki. And that I'm sure helps to motivate the Prime Minister's deep interest in this issue. I certainly would be honored, it would be meaningful for me to visit those two cities in the future. I don't have immediate travel plans, but it's something that would be meaningful to me.

当然ですが、日本は広島と長崎の史実から核兵器について独自の視点を持っています。私もこの問題で鳩山首相が深く傾倒されることを確実に支援します。ですから、この二都市を訪問することは有意義であり、名誉なことです。近々同地を訪問する予定はありませんが、その重要性は変わりません。

You had one more question, and I'm not sure I remember it. Was it North Korea?

もう一つ質問がありましたね、記憶が不確かなのですが。北朝鮮でしたっけ?

Q Whether or not you believe that the U.S. dropped a nuclear weapon on Hiroshima and Nagasaki -- it was right?

質問者: 米国が広島と長崎に核爆弾を投下したことを、あなたは正しいことだとお考えですか?

PRESIDENT OBAMA: No, there were three sets of questions, right? You asked about North Korea?

オバマ大統領:いや、問題は3つまとまっていました。そうですよね。ご質問は北朝鮮だったのではありませんか?

Q I have North Korea as well, yes.

質問者:北朝鮮についても質問したというのは、そうです。

PRESIDENT OBAMA: Yes. With respect to North Korea, we had a extensive discussion about how we should proceed with Pyongyang. (後略)

オバマ大統領訪:はい。では、北朝鮮問題ですが、私たちは、どのように北朝鮮政府に対処するかについて徹底的に議論しました。(後略)


 該当の応答部分は、すでにYouTubeにも上がっているので以下に記しておこう。


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2009.11.14

オバマ米大統領東京演説、雑感

 今日午前10時を少し過ぎて、東京・赤坂のサントリーホールで米国オバマ大統領の演説があった。私は直に聞いていたわけではないが気になってはいた。訪日全体のテーマからすれば、本来なら首脳会談が重要であるべきだが、今回は最初からスカと決まっていた。もっとも主要な話題であるべき、普天間飛行場移設を伴う日米同盟の展望が見送られたため、今朝の日経新聞社説「首脳会談が覆い隠した日米同盟の現実」(参照)が評したように「外交」ではなく「社交」になってしまったからだ。社交であれば天皇家で神戸牛と鮪を堪能していただくほうがより充実している。訪日の重要性は、だからこの演説のほうに絞られていた。
 オバマ東京演説の課題は明確だ。日本人大衆に向けて、日米同盟の意義を確信させ、大衆の空気からブレまくる民主党政権の腹を括らせることである、多分。しかしそんな芸当がいくらオバマ大統領のお得意芸とはいえ口八丁(参照参照)だけでなんとかなるものだろうか。"You think it’s that serious. Sounds like I need to make a speech.(君は深刻な問題だというのだな。まるで私が演説でもせんとあかんと。)"である。それとも、"I really nailed that sucker."か。
 オバマ米大統領訪日演説の重要性は、英国時間11日付けフィナンシャル・タイムズ社説「Okinawa outcry(沖縄の怒号)」(参照)が事前に明確に説明していた。この社説には長めの前振りがある。ごく簡単にいうと、米国紙ウォールストリート・ジャーナルからワシントン・ポスト、さらにニューヨーク・タイムズまで使って日本政府に脅しをかけていた状況("A senior state department figure apparently went one stage further, telling the Washington Post that Japan, not China, was now the US’s most problematic relationship in Asia. ")をフィナンシャル・タイムズは、バーカ("That is nonsense.")と言ってのけたことだ。加えて、日本人大衆に民主党政権にギャンブルしたらと言った手前かもしれないが、公平も期すらしい。


To be fair, Jeff Bader, the senior director for East Asian affairs at the National Security Council, called the anonymous comments asinine.

公平を期して言えば、ジェフ・ベイダー、アジア米国家安全保障会議(NSC)上級部長は、この匿名国務省高官発言を、おバカと呼んだ。


 いやいやそれは違うな。公平を期して言えば、ジェフ・ベイダー氏は、日本パッシング時代のクリントン政権でNSCのアジア部長であり、台湾への三不政策(独立、承認、国連加盟を否定)を中国に確約したご当人。この文脈でベイダー氏を出されて、どこが公平なのかよくわからんが、実は、オバマ米大統領訪日演説をよく読むと、この東京演説ってベイダー・ドクトリンなのかもしれない。結論を急ぎすぎたが。
 いずれにせよフィナンシャル・タイムズは、現下の日米摩擦状態を騒ぐのは、おバカ(ludicrous)とも強調した。

Certainly, the DPJ’s determination to look again at the Futenma base move is annoying for military strategists who spent years hammering out the previous deal. But talk that this somehow rattles the foundations of the US-Japan alliance, which has been crucial to postwar stability in the Pacific, is ludicrous.

確かに、日本民主党が普天間飛行場移設を再検討するという決定は、何年も掛けて事前協定を練り上げてきた軍事戦略担当官には困惑をもたらすものだ。しかし、戦後の太平洋地域の安定に重要な日米同盟の基礎で騒ぎ出すのは、おバカな話だ。


 民主党ががたがたブレまくっても、それでがたがた騒ぐ米国国防省筋は、バーカと言ってのけるあたりフィナンシャル・タイムズの胆力という言うべきだが、この先の論調は、マジでタフだ。がたがたするのは仕方ないとしても、しっかり日本を日米同盟のカタに嵌めろというのだ。

By being so impatient and pushing the new government into a corner, Washington is in danger of producing precisely the result it is trying to avoid. Given some time, the DPJ will reach a workable compromise. Mr Obama should use his rhetorical skills to give Japan’s government the space to do just that.

米国政府が堪え性なく日本民主党政権を追い詰めれば、日本の新政権を回避すべき結果に追い込む危険をもたらすことになる。猶予を与えれば、日本民主党だって実効ある妥協をするだろう。オバマ氏は、彼の口八丁の才能を生かして、日本政府が上手に妥協できるような猶予を与えるべきだ。


 かくして、オバマ大統領が今日の演説に求められていたのは、民主党が日米同盟にまともな妥協点を見いだすように、背中をどんと押すことだった。歩け、この先は、妥協。
 で、オバマ大統領は押したのか?
 私の印象では、微妙な口八丁だった。というか、うぁあ、これは、さすがだわ、深いぜと思った(参照)。
 ケネディ演説が上杉鷹山を引いたように、今年の大河ドラマは天地人だから鷹山でも出てくるかとも私はちょっと予想していた、が、その手のイカサマ知的虚飾はなく、素直に鎌倉抹茶アイスクリーム小僧が出てくるあたりもさすがなものだった("I was more focused on the matcha ice cream.")。鎌倉大仏を、"the great bronze Amida Buddha"と阿弥陀仏であることもきちんと押さえているあたり、演説執筆スタッフも仕事している。「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」とか日本人でもあれが阿弥陀仏であること知らんもんがおるというのに。
 前口上が終われば、当然、日米同盟どーん背中押しとなるシナリオ通りの展開だった。そりゃね。

In two months, our alliance will mark its 50th anniversary -- a day when President Dwight Eisenhower stood next to Japan's Prime Minister and said that our two nations were creating "an indestructible partnership" based on "equality and mutual understanding."

あと2か月すると、日米同盟50周年記念日となる。ドワイト・アイゼンハワー大統領が日本の首相と並び立ち、両国は「対等で相互の理解」に基づく「強固な協調関係」を作ると発言した日だ。


 そして、というか、それでもでも、というか、口八丁とは思えないたるいお説教となってしまった。

That is why, at this critical moment in history, the two of us have not only reaffirmed our alliance -- we've agreed to deepen it. We've agreed to move expeditiously through a joint working group to implement the agreement that our two governments reached on restructuring U.S. forces in Okinawa. And as our alliance evolves and adapts for the future, we will always strive to uphold the spirit that President Eisenhower described long ago -- a partnership of equality and mutual respect. (Applause.)

この歴史的な時期に、両国が同盟を堅固なものと再確認するに留まらず、双方が同盟の深化で合意したのはこのためだ。両政府が達した在沖米軍再編成合意実現のために、私たちは、合同作業部会を通じて迅速に活動すると合意した。日米同盟が未来に向けて進歩し協調することは、アイゼンハワー大統領がかつて「対等で相互の敬意」と呼んだ協力関係の意志を、絶え間なく展開する努力となるだろう。


 芸がないなというたるい話に落とし込んで、どうするんだろと思っていると、話は太平洋地域の話にするすると移っていく。ハワイが植民地でなきゃ太平洋なんて米国と関係ないんじゃないのという疑問が沸く前に、オバマ大統領はこの地域の個人的なゆるーい話を演説に仕込んでいく。さすがだ、ああ、来るなこりゃというところだ。言うまでもなく、裏にあるのは中国による太平洋分割管理構想(参照)である。つまり、話は太平洋から中国に移るわけである。当たり。

We look to rising powers with the view that in the 21st century, the national security and economic growth of one country need not come at the expense of another. I know there are many who question how the United States perceives China's emergence. But as I have said, in an interconnected world, power does not need to be a zero-sum game, and nations need not fear the success of another. Cultivating spheres of cooperation -- not competing spheres of influence -- will lead to progress in the Asia Pacific.

21世紀にあっては、一国の国家安全保障と経済成長は他国の負担をもたらすわけではないという観点から台頭する強国に私たちは注目している。私としても、米国が中国の台頭をどう考えるべきという問いを多くの人が投げかけているのを知っている。しかし私の持論だが、相互につながり合う世界にあって、国家権力の衝突は、どちらか一方が勝って終わるものではない。国は他国の成功を恐れる必要はない。他国への影響力を競うのではなく、協調関係を模索することが、アジア太平洋地域の進展となるだろう。


 英語自体がそれほど難しいわけでもないけど、毎度ながらオバマさんの英語は何言っているのか難しいところだ。ぶっちゃけていえば、今回、普天間飛行場移設を端緒に日米同盟維持で日本に米国を圧力をかけた勢力と、それに協調してがたがたしていた日本国内の勢力に対して、「中国を敵視しなくてもいいじゃないか」ということだ。ベイダー・ドクトリンだ。あと曖昧な部分には、中国がこの地域に影響圏を拡大することへの揶揄も含まれているだろう。
 そして今回の演説の最大の山場となる。ここだ。

So the United States does not seek to contain China, nor does a deeper relationship with China mean a weakening of our bilateral alliances. On the contrary, the rise of a strong, prosperous China can be a source of strength for the community of nations.

だから米国は中国封じ込め戦略を求めないし、米中関係の親密化は、日米同盟の弱体化を意味するものでもない。そうではないのだ。繁栄する中国の強い台頭は、諸国の共同体にとって力の源泉となりうるものだ。


 "the United States does not seek to contain China"がこの演説の最大の目的となるのは、おちゃらけを除いた部分のマジな文脈からして明確だし、話はこのすぐ先に、"That is the work that I will begin on this trip.(今回の訪問で開始する仕事がこれなのだ)"と来る。
 一見すると、東京で、日本人向けに日米同盟さっさと進めろという話より、ちょっときれい包みした日本パッシングで、米国国内向け、対中国向けの世界戦略を語るといういうふうにも見える。実際、そういう側面あることは、ロサンゼルス・タイムズ記事「Obama says U.S. does not wish to 'contain' China(米国は中国封じ込め戦略をとらないとオバマは語った)」(参照)からもわかる。演説のキモはここにある。
 ここで、もう一度、フィナンシャル・タイムズが指摘した背景からつなげてみる。すると、中国非封じ込め戦略が、民主党による日米同盟の維持につながっていると読める。「米国は中国封じ込め戦略を求めないし、米中関係の親密化は、日米同盟の弱体化を意味するものでもない(the United States does not seek to contain China, nor does a deeper relationship with China mean a weakening of our bilateral alliances.)」というのはまさにその意味だ。
 ぶっちゃけで言うなら、親中国派の民主党、及び日米同盟の強化が中国封じ込め策であると懸念してがんばりまくっている日本国内の勢力に安心感を与えることがこの演説の目的だ。もっと言うなら、普天間飛行場を移設し新しい軍事基地を日本に設置しても、中国を軍事的に狙ったものではないから、そう反対するなよというメッセージだ。
 実際にそうであるかといえば、そうだろう。
 ただ、その対中オバマ構想がその政権の生命より長いとは限らない。

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2009.11.12

オバマ米大統領訪日日程変更の背景

 些細なことかもしれないが、報道を見ていて多少疑問に思ったことでもあるので、簡単に書いておこう。オバマ米大統領訪日日程変更への疑問だ。なぜ訪日日程が変更されたか。表向きの理由は、テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件の追悼式典に参加するためだし、それはしかたないだろうなと私も見ていた。
 オバマ米大統領訪日だが、普天間飛行場移設問題に端を発する日米同盟見直しの問題で、曖昧でかつ閣僚から不統一な見解が次々と展開される鳩山政権に対する不快感から、中止になるかもしれないという見方があった。私はそれに与しなかった。そこまで事を荒立てても米側にメリットはないだろうと見ていた。しかし、ではまったく予定通りの訪日かというと、ゲーツ国防長官の訪日から考えてそれもないだろうとなんとなく思っていた。それが今回の訪日日程変更に関係しているだろうか。
 話の枕というか、いわゆるネタの類だが、7日の産経新聞記事「やっぱり日本軽視? ずれ込んだオバマ米大統領訪日 平静装う日本政府」(参照)が面白ろおかしく仕立てていた。


 「銃乱射事件があったので大変だと思います。その思いは理解しないといけない。会談に影響がないように努力します」
 鳩山由紀夫首相は7日午後、オバマ米大統領訪日ずれ込みを記者団に問われ、淡々とこう語った。
 だが、今回の訪日は天皇、皇后両陛下との午餐(ごさん)会も予定され、「準公式訪問」といえる内容だった。しかも12日の天皇陛下御在位20年記念式典など宮中行事が続く中で日程調整してきただけに、唐突な変更は礼を失するとの見方もある。
 ただ、日本政府にも一方的な変更要請に文句を言えない負い目がある。
 日米最大の懸念である米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題をめぐり、米側は大統領訪日までの「回答」を求めてきたが、岡田克也外相は米軍嘉手納基地への統合案に固執し、クリントン米国務長官との直談判を画策した末、土壇場でキャンセルした。首相は先月22日に「必ず大統領来日までに(回答する)という話ではない」と表明してしまった。
 これでは米政府内で「日本軽視」の風潮が広がっても仕方ないだろう。

 産経記事では突然の日程変更の申し出は米側が失礼だが、日本にも負い目があるという書きぶりだった。普天間飛行場移設問題から米政府内に「日本軽視」の風潮があるのではないかというのも、いかにもネタっぽい。ちなみにはてなブックマークでも、産経記事を嘲笑するようなコメントが並んでいた(参照)。

te2u 「日本軽視」の風潮を広めようとしている。 2009/11/09
asahichunichi 産経脳 2009/11/09
kogarasumaru 政治, 国際, 報道, マスコミ 署名記事でこれが書ける産経のレベルに脱帽/アメリカ政界が今大変な時期なのは無視か…/乱射事件もそうだし、保険制度の件もしかり/「「準」ともいえる」って2重に遠まわしかよ 2009/11/08
bukuma 産経の自虐「視」観。右翼ってかまってちゃんのメンヘラなんだな。ゴタゴタがある事即ち問題ではない。対立のない外交を良しとするなんで,なんて平和呆け。 2009/11/08
shifting 産経は愛国を唱えたりアメリカに媚びたりいろいろ大変だなぁ(棒読み 2009/11/08
harnais やっぱり日本軽視? ずれ込んだオバマ米大統領訪日 平静装う日本政府 2009/11/08
biconcave …独自の戦い 2009/11/07


 考えようによっては産経記事と同質のネタとも言えるのだが、7日の読売新聞記事「オバマ訪日「中止しなかったのは米側の意気込みの表れ」」(参照)では、訪日中止しなかっただけでも日本重視だという読みで書き飛ばしていた。冒頭にまず、銃乱射事件の追悼式典が取り上げられた。

 オバマ米大統領が12日に予定していた訪日を13日に延期したのは、米陸軍基地(テキサス州)で5日に起きた銃乱射事件の追悼式典に大統領が出席することが理由だ。

 しかし、続く段落のトーンが微妙だ。

 日米双方の担当者は、大統領来日を粛々と進めることで、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題などで亀裂が生じている日米関係改善につなげようとしていたが、直前にさらに冷や水を浴びせられた格好だ。

 理由如何は置くとして、「直前にさらに冷や水を浴びせられた格好」というのは確かだし、「大統領来日を粛々と進めることで、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題などで亀裂が生じている日米関係改善につなげよう」とすることが挫かれたもの事実だ。

 外務省幹部は「日米関係がぎくしゃくする中、米の乱射事件は、来日中止の最大の口実になり得た。それでも中止しなかったのは、米側の意気込みの表れだ」と述べ、安堵(あんど)の表情を見せた。

 乱射事件が訪日中止の口実にされるのが外務省としては怖かったというのも、確かなところだろう。7日づけ毎日新聞記事「オバマ大統領:来日変更13、14日に 銃乱射事件追悼で」(参照)も「外務省幹部は「日程変更は打診されているが、訪日が中止になることはない」と語った」として、この時点で訪日中止を懸念したことが伺える。
 ここで少し疑念が沸く。
 読売記事中の「12日に予定していた訪日を13日に延期」は、実質には延期というより、日本滞在時間の短縮である。あくまで仮の想定だが、予定された訪日と訪日中止の折衷的なスタンスがあるとすれば、まさに日本滞在時間の短縮ではないだろうか。つまり、それだと、日本へのあるメッセージが込められていたと解釈してもよいことになる。
 読売記事でもう一点気になることがある。

 首相は自らのAPEC首脳会議への出席について、「多少遅れるかもしれない」と記者団に語り、日米首脳会談の日程を優先する考えを示したが、大統領の日本での日程が短縮される可能性は高い。外務省幹部は「1時間強の首脳会談と、共同記者会見の時間は確保したい」と話す。

 この点についてすでに明らかになっているのは、鳩山首相のAPEC首脳会議出席の遅滞はないことだ。10日時事「鳩山首相、米大統領残しAPECへ」(参照)より。

首相としては「アジア重視の姿勢を示すため、14日の首脳会議開幕に遅れることはできない」(政府関係者)という。ただ、来日中の外国首脳を残して、首相が外遊に出発するのは極めて異例。
 一方、オバマ大統領は14日も日本に残り、天皇陛下との会見やアジア外交に関する演説などの日程をこなしてからシンガポールに向かう見通しだ。

 「極めて異例」が米側にどう伝わっているのはわからない。特にどうということでもないのかもしれない。
 仮の想定ではあるが、米大統領訪日日程変更に日本軽視なりのメッセージ性があっただろうか。外交というのは明確なメッセージを出したら外交にならないことがあるのだが、それでもメッセージであるなら、それを示す他の事実やシグナルがある。というところで、変なことに気がついた。いや、変でもなんでもないことだが。
 その前提として、訪日日程変更を日本のメディアはどう伝えていたか。11日FNN「オバマ大統領、訪日より追悼式典優先の理由」(参照)が真正面から答えていた。

 アメリカ・オバマ大統領は10日、テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件の追悼式典に出席した。初の訪日日程を遅らせて式典への出席を優先させたのには、ある理由があった。
 事件は5日、テキサス州のフォート・フッド陸軍基地で発生、13人が死亡し、アメリカ中に衝撃を与えた。オバマ大統領はこの事件の追悼式典に出席するため、初めての日本訪問を一日、遅らせた。


フォート・フッド陸軍基地は、アフガニスタンなどに兵を送り出す拠点で、犠牲者の中にはこれからアフガニスタンに向かう兵士も含まれていたという。オバマ大統領は近くアフガニスタンへの増派を決断するとみられており、軍の最高司令官としては訪日の日程をずらしてでも式典に出席しなければ、増派への国民の理解を得られないと判断した。

 「なるほど、オバマ米大統領は、アフガン増派を踏まえて米国内への配慮を優先せざるを得なかったのか」と納得しやすい話だ。が、日程を再検討してみる。
 時系列を整理してみよう。テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件があったのは、米国時間の5日である。訪日延長が日本政府に伝えられたと報道されたのは日本時間の7日である。米国時間では6日になる。つまり、事件翌日だ。そして、追悼式典にオバマ大統領が参加したのは、10日である。訪日予定は12日のはずだった。
 あれ? 追悼式典に参加するとしても、12日の訪日スケジュールは当初通り楽勝なのではないか?
 日米間には1日に近い時差がある。それでも、米時間10日の式典と日本時間の12日の間にはまるまる一日分の差がある。その一日、つまり、11月11日になんか特定のことがあったのだろうか?
 言うまでもない、11月11日といえば「復員軍人の日(Veterans Day)」である。第一次世界大戦の終わりを示すドイツの休戦協定への調印日を記念し、米国では祝日となっている。9日読売新聞夕刊記事「日米首脳会談は13日夕、大統領の式典出席で」(参照)ではそこを元に推察していた。

 大統領は、アフガニスタンへの増派問題を抱える中で、13人が犠牲になった米軍内での事件への対応を誤れば、政権批判が強まると判断し、退役軍人をたたえる祝日の11日も米国内にとどまる、とみられる。

 なるほどとも思えるのだが、疑念は残る。というのは、当初の日程では「復員軍人の日」にオバマ大統領は米国を発つ日程だったので、動けないはずはなかった。また、「復員軍人の日」の重要性は、銃乱射事件の追悼式典に付随するものでしかない。別の言い方をすれば、銃乱射事件の追悼式典参加が重要であっても、訪日延期の理由は「復員軍人の日」の重要性にある。つまり、米政権内で「復員軍人の日」の重要性が、訪日よりも重要だという判断があったことになる。そのあたりの空気は、同日のワシントン・ポスト紙社説「Veterans Day」(参照)からも読み取れる。
 ここでもう一つ疑問が沸く。
 テキサス州の陸軍基地で起きた銃乱射事件は米国時間の5日である。そして、追悼式典は米10日である。訪日延長が日本外務省に通知(または交渉)されたのは7日であり、米国時間では事件翌日の6日と言ってよい。米国時間で5日に銃乱射事件があり、翌日に日本側に通知された。では、いつ追悼式典の日程が決まったのだろうか? これも別の言い方をすると、追悼式典の日程が決まってから、訪日延期の通知、あるいは交渉があったのか、それとも、訪日延期の話の後に追悼式典の日程が決まったのか。
 残念ながらそこを知る決定的な手がかりが見つからない。事件翌日の通知ということからすると、式典開催は決定されたとして、その日程は決まらないものの、余裕をとって訪日延期としたのだろうか。もしそうなら、「復員軍人の日」はどう想定されていたのだろうか。
 以上のように、オバマ米大統領訪日日程変更が日本軽視であり、その口実が追悼式典であったとは言い難いが、「復員軍人の日」を巡り、マスメディアを通して言われているのとは多少違った背景もありそうには思えた。

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2009.11.11

鳩山政権によるアフガン戦争支援は懐かしの湾岸戦争小切手外交

 民主党鳩山政権が昨日10日、アフガニスタンのテロ根絶をめざし、自民党政権下のインド洋給油に代わる援助策を決定した。民生支援を柱に5年間で50億ドル(約4500億円)を拠出するものだ。またパキスタンには2年間で10億ドル(約900億円)を拠出する。どのような経緯で、どのような目論見で、なぜこの金額に決まったのか、私にはよくわからない。
 1991年の湾岸戦争時代、日本は米国の言いなりになり、小沢一郎氏が実質主導し、130億ドルを拠出した(参照)。当時の額で約1兆5000億円。「人は出さないがカネは小切手で出すから勘弁してくれ」ということで、世界から微妙に評価されたものだった。今回も、その三分の一とはいえ、またしても小沢氏が実質党実権を持つ政党下で似たような小切手外交の拠出となった。当時の大騒ぎを知る私としては、あれに比べて、マスメディアのなんとも無風な状態がどうにも理解できない。
 NHKのニュースをつけると、事業仕分けの会議の映像が報道されていた。さても熱心な財政削減かと思いきや、95兆円に膨らんだ来年度予算の概算要求から3兆円規模の削減を生み出すための大騒ぎらしい。恐らく税収は35兆円、よって赤字は60兆円に膨れるという日本財政の未来が迫るなか、その20分の1に「集中と選択」をしているのだろう。灯下で探し物をする男の話のようだ、落とした所は暗いので、明るいところで探しているのだ。
 今朝の朝日新聞はこの事業仕分けに期待を寄せる社説を書いたが、アフガニスタン民生支援の社説はなかった。明日の社説の話題であろう。湾岸戦争時代から日本はどう変わったか、明日、朝日新聞はどう論じるのか期待したい。
 読売新聞社説「アフガン支援策 「小切手外交」に戻るのか」(参照)では、湾岸戦争の想起はあったのだろう。「小切手外交」に思いが少し滲むようだった。


 元タリバン兵士に対する職業訓練や警察官の給与肩代わりなど、5年間で50億ドル(約4500億円)の民生支援を実施する。従来の支援額と比べ、単年度平均で約4倍となる。
 自衛隊による人的貢献策は盛り込まれなかった。政府は、来年1月に期限切れとなるインド洋での給油活動も中止する方針だ。自衛隊のアフガン支援がなくなれば、「小切手外交」に逆戻り、との批判は免れそうにない。

 自民党政権下の支援額の4倍になるとのことだ、さて、これも国民が望み、合意したということなのだろうか。問題は拠出の内実だが、この詳細が社説からわからない。

 50億ドルは無償資金協力や国際機関を通じて拠出されるが、その具体的な使途について、政府は国民に十分に説明することが求められる。支援の効果も検証しつつ、実施していくことが大切だ。

 有効な活用が見込まれての額の算出だったのだろうか。
 毎日新聞社説「オバマ氏初来日 「同盟深化」の出発点に」(参照)も類似の視点を取り上げていた。

 それにしても、02年以降のアフガン民生支援が総額約20億ドルだから、大きく膨らむことになる。給油活動中止や、治安悪化で人的貢献が限られることの「代償」として米側と折り合った結果とみられる。これだけの税金を投入する以上、政府は支援内容の到達点などを定期的に国民に報告し、透明性を確保すべきだ。

 当たり前といえば当たり前なのだが、この拠出額は「米側と折り合った結果」であり、今回20億ドルから50億ドルへ膨れた理由は、「治安悪化で人的貢献」ができたためなのだが、少し考えると奇妙ではある。
 正統性が疑われるアフガニスタン政府に就任早々赴き、じっと建物にこもった岡田外相はアフガニスタンでの人々のためという演出をしていたが、実際には、今回の拠出は米側の要求を受けているだけに見える。
 また、「治安悪化で人的貢献」ができないというが、ではどうやって民生支援をするのだろうか? 同社説によると「反政府勢力タリバン元兵士の社会復帰のための職業訓練や、警察官給与半額負担の継続、農業・医療支援などが柱となる」とのことだが、誰がするのか? 「治安悪化で人的貢献」ができないのにどうするというのだろうか。
 誰でも思いつく疑問でもあり、産経新聞社説「アフガン支援 湾岸の教訓を忘れたのか」(参照)ではこの問題に触れていた。

 確かに日本の新たな支援パッケージは、アフガン警察官の給与負担や元タリバン兵士の職業訓練、さらに農業分野というこれまでの支援を拡大し、金額的には倍以上だ。が、支援を円滑に進めるのに不可欠な治安の確保という視点を、鳩山政権は欠いている。
 アフガンの民生支援には国際協力機構(JICA)を中心に百数十人の専門家を含む文民が派遣されている。しかし、今年8月以降はテロの頻発で最悪の治安状態となり、現在は8~9割がアフガン国外に退避している。
 例えば、JICAが現在アフガンに3人派遣している稲作農業指導をカブール東の都市部周辺から北東部の穀倉地帯に拡大するというが、武器をもたない文民の安全を一体だれが確保するのか。

 普通に考えると、武器をもたない文民による民生支援は無理なのではないか。なのに、巨額の拠出が先行しているのは「アメリカさんこれで勘弁してくださいよ」ととりあえず金額を積み上げて小切手を切ったのだろうか。
 岡田外相はどう考えているのか。共同「首相「テロの根源なくす」 アフガン支援で」(参照)では、「今まで日本はアフガンでいい仕事をしてきたが、テロはなくなっていない。その根源をなくすため支援を強化し、アフガンが良い方向に動く環境づくりに貢献したい」とのことだが、アフガニスタンの現状は、テロ根源をなくすどころではない状況にあることは、さすがに建物におこもりしていたらしく、認識されていないようだ。
 あるいは、オバマ政権のアフガニスタン戦略が、増派であれ、そうではないものであれ、成功を収めた上のある安定化を前提に、テロの芽をつみとるということだろうか。であれば、理解できないことではない。だが、「オバマの戦争」(参照)が期待された結果になるとは限らないし、そうではなかった場合、日本がどのような立ち位置になるのかは、あまり現時点で想像したいことではない。

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2009.11.09

オーストラリアへのタミル人難民の問題

 スリランカからオーストラリアへの難民が先月下旬からオーストラリアで話題になっていたが、日本国内での報道はあまり見かけなかったように思えた。難民は日本でも課題だが、あまりネットなどでも話題にならないようにも思える。今回の事例はある意味で興味深い問題でもあるので、簡単にメモ書きしておきたい。
 背景にはスリランカ内戦終結(参照)がある。しかし、大量のスリランカのタミル人難民がオーストラリアに漂着したということではない。難民の規模としては、78人(内女性5人、子ども5人)と見られ、それほど大きいわけではない。問題化してしまったのは、公海上での難民の扱いと、オーストラリア国内での難民への世論動向の変化がある。
 今回のタミル人難民は、破損しかけた船で漂う公海上のボートピープルとしてオーストラリア政府の船に救済された。その海域がインドネシア管轄であることと、正式なビザもない違法難民だからということで、オーストラリアに連れて行くのではなく、こうした場合の国際法慣例から現地の近隣の港のあるインドネシアのリアウ州ビンタン島に連れて行かれた。しかしインドネシアの同州知事が、難民を同地に降ろすことを拒否し、また難民も下船を拒否したため、航海上の船の乗せられたままになった(参照参照)。
 難民はオーストラリアに行くことを求めているが、オーストラリア政府による難民審査は拒否している。こうした難民をどう扱うべきか。人道上の対処が優先されなくてはならないが、オーストラリアが率先して保護すべきなのか、オーストラリアでは国民的な政治話題となった。
 オーストラリアでの話題化の背景には、イラク戦争を支持した親米のハワード前政権を批判することで政権交代を実現したラッド政権の政策がある。ハワード前政権は、オーストラリア領域に漂着した難民をナウルなど太平洋諸島国に送出し、そこから多くを強制送還させていた。この難民政策を野党時代、ラッド氏の労働党は非人道的として非難していた。
 当然、現ラッド政権としては、今回の難民を保護するべき道理となるのだが、そうもいかなくなった。オーストラリアでは増え続ける難民に対してきびしい世論が起こり、ラッド政権としても迫る選挙対策上も、世論に配慮せざるを得なくなった(参照)。
 日本国内の大手紙では産経新聞が、ラッド政権の変節としてこの問題を取り上げていた。7日付け「豪の難民対策、亡命希望者殺到で破綻 前政権の政策に逆戻り?」(参照)より。


オーストラリアのラッド首相が政権奪取後、ハワード前政権の難民政策を非人道的と非難し、高らかに廃止を宣言したものの、抜本的な解決策を作れず、前政権と同じ政策に戻る可能性が高まっている。亡命希望者の急増を招いたからで、スリランカ難民80人近くが今もインドネシア領海で上陸を待つ。インドネシアは、強制的に領海外に出すとしており、難民問題は、両国関係にも影を落とし始めている。

 野党時代に与党に対して人道的な批判をしても、政権交代後には期待された活動ができないという点では、米国オバマ大統領のグアンタナモ収容所問題(参照)にも似ている。その点では、ありがちなパターンでもあるのだろう。

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2009.11.08

民主党による「農家への個別補償政策」はどうなるのか

 民主党による「農家への個別補償政策」はどうなるのか。日本の農政の問題については、9月のエントリ「極東ブログ: [書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁)」(参照)で、標題どおり、農政アナリスト山下一仁氏による解説に言及したが、同書は民主党政権への政権交代をある程度まで織り込んではいたものの、今年年頭に書かれた書籍こともあり、具体的に民主党政権における農政の変化については言及していない。
 9月に政権交代があり、その後農政については、どうなっているのか知りたいと思っていたところ、先日3日、NHKの朝のラジオ「ビジネス展望」で同氏が、この問題に触れていた。興味深い話題でもあったので、メモを取った。山下氏の議論の正否、また私の理解に曖昧な点はあるかもしれないが、以下、そのまとめを記し、多少付記もしておきたい。
 前提となる話として、日本の農政と、民主党が参照したEUでの「農家への個別補償政策」の背景について、以下のようにまとめていた。
 戦後日本では、農家の所得を上げるために、農産物の価格を高く維持しようとした。特に、その典型がコメだった。1960年代に入ると、勤労者家庭と農家との所得差が拡大し、この差を狭めるために、米価を引き上げ、米価で農家の所得を補償しようとした。結果、農家はコメが市場価格よりも高く販売できることからコメの生産が刺激され過剰となり、1970年代からは、自民党政府は米価維持のために減反政策を進めざるを得なくなった。
 同様の傾向は農産物についてEUでも見られた。EUも農産物を高額買い取ることで農家保護を行い、生産過剰となった。しかしEUは、過剰農業生産物をダンピングで輸出に回し、日本のような減産政策は採らなかった。
 EUによるダンピング輸出の結果、農作物の国際価格は下落し、米国の農業は大きな打撃をうけることになった。この軋轢からウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round)が形成され、EUの農政は方向転換をし、農作物の価格を下げることになった。農家所得補填の代案として、農産物の価格を下げた分、農地面積当たりの収穫量に比例して、農家に直接補助金を出すことにした。この政策を日本も参考にした。
 自民党政権下では、しかしEUとは異なり、減反と価格維持が前提となり、減反に参加した農家だけが補償されることになった。実際にはコメの減反が対象となり、四割ほどの減反目標が設定され、その耕作地で麦や大豆を作った場合、コメとの収益差が出ると、それを補填する形にした。
 以上の経緯を踏まえて、民主党政権ではどのように変わるのだろうか。実は、自民党政権下と基本線での変化はない。
 民主党の農政では、減反・転作による価格補填に加え、コメの減反そのものにも補填される。このため、いっそう減反が強化される。減反による米価維持の路線のままである。当然、補填分は国民の負担となる。全体としての日本の農業生産力も低下し、EUのような農作物の輸入の志向は難しくなる。
 具体的な補填の仕組みだが、来年度からコメについて、生産費と農家販売価格の差を補償することになる。現状、農協が降ろしで保証する価格は60kg15000円で、農協の手数料を引くと、農家の取り分は12000円から13000円となる。これに対して、コメの生産費は16000円ほどとみなされる。このコメの生産費の内訳だが、本来の経費は9400円ほどで、これに農村における建設業や製造業の労賃が5000円として加算される。ただし、その加算に認可されるのは8割程度とのこと。
 民主党政権下では、コメの生産費と農家の収入差となる、2500円から3500円が個別補償となる。つまり、農家としては、従来通りコメを生産しても、個別補償分がまるまる手取りになる算段だ。もちろん、生産過剰にならないように減反は並行して進められるため、食糧生産を維持するための食の安全保障の点からは、よい政策とはならない。
 以上が山下氏の解説だったが、聞いていて、農村における建設業や製造業の労賃が加算される仕組みなどは理解できなかったが、それでも大枠でわかったことは、自民党政権における農政との差は、単純にコメ減反農家へのバラマキを強化することだった。零細兼業農家を維持するための所得配分政策なのだろう。
 結論からいうと、私はそうした純粋なバラマキでよいのではないかとは思う。だが、零細兼業農家への所得配分が目的なら、農協をバイパスさせるとしても別の形式もあるだろうし、それほど政権交代に意味があったとは思えない。
 補足として、関連する朝日新聞記事「農家所得補償、コメは10年度から 農水省、前倒し方針」(参照)を見ておきたい。


 農林水産省の政務三役は13日、民主党の政権公約(マニフェスト)で11年度実施を掲げていた「戸別所得補償制度」を、コメを対象に10年度から全国一律で実施する方針を固めた。来年度予算の概算要求で数千億円規模を計上する。来年夏の参院選に向けて、政権交代の成果をアピールする狙いがある。
 同制度は、民主党の小沢一郎幹事長が代表時代に打ち出した目玉政策。民主党はこの政策を掲げて07年参院選で保守地盤の農村票を取り込み、地方の1人区で大勝。今回の総選挙マニフェストでも鳩山由紀夫首相と小沢氏が10年参院選を意識し、当初12年度としていた実施時期を11年度に前倒しさせた経緯がある。

 実施の前倒しは、参院選を想定してのことだろうとしている。コメに限定すること、全国で一律に実施しすること、細かい農政的な配慮がないこと、なども選挙優先からだろう。
 所得補填に加え、減反政策も主眼になっている。

 全国一律で実施されれば、政府が示す生産数量目標に従うことを条件に補償を受ける農家と、自己責任で自由にコメを作付けして利益拡大を目指す農家に分かれる。一律参加を求める現在の減反ではなく、参加を農家が判断する事実上の「減反選択制」へと移行することになる。

 ナッジ(参照)の視点からすると、専業農家よりも零細兼業農家を支援する形になり、日本の農業の生産向上や食の安全保障という点では、問題のある結果になりそうだ。とはいえ、別の方向性も記事には書かれていた。

 経営努力を促すため、大規模化によるコスト削減や低農薬作物といった高付加価値品を作る農家には加算金を支給する。

 実際には零細兼業がナッジされるので、その方向性は弱くなるのではないか。むしろ、自民党が模索していた大規模農家向け補助金のほうがよい政策だったように思える。
 ところで、民主党による農政分野でのバラマキの財源は1兆円ほど。この捻出はどうなるかだが、マニフェストでも明記され、選挙にも関わることから、なんとしても優先されるのだろう。

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2009.11.06

赤字国債で日本の財政は破綻するか

 赤字国債で日本の財政は破綻するか。問いは与太話かもしれない。そうだという人もいるし、そうじゃないという人もいる。経済学的にはどうかというと、経済学者でも意見は割れている。素人がわかることじゃないというのもそうだ。普通に家計の比喩で考えると、サラ金から年収の二倍を借金した家計はもう無理でしょ。いや、国家経済は家計で比喩ができるものでもないし、国家にサラ金はない、たぶん。
 大丈夫だという議論もある。論拠とやらは、日本の国債はほとんどが日本国内で消化されているから、アルゼンチンのように国家財政破綻にはならないというものだ。ごく単純に言えば、日本の富は高齢者に偏在しているから、その投資の見返りを若い世代のためにチャラにしてくれ、とまでは言わないけど、しゃーないかぁわはは、と笑って貰えれば終わりという話だ。たぶん、富を持っている高齢者の寿命とバランスしているんじゃないだろうか、結果的に。
 と、かくも与太話になっていくのだが、私はなんとなく、与太こいているだけではまずいんだろうなとも思っている。
 鳩山内閣になって予算が92兆円というけど、事項要求を含めたら95兆円には膨れるだろうし、削減のための事業仕分けとか言っても3000件のうちの200件を精査してもほぼ無意味。他方、税収は40兆円を下回るじゃなくて、35兆円くらいではないか。すると、95引く35で60兆円の赤字になる。埋蔵金を掘り起こしても足りないだろう。そこで赤字国債だが、小泉政権時代に30兆円で抑えようとしていたのに、鳩山政権時代では倍の60兆円では、さすがにまずいんじゃないか。
 もっとも鳩山政権としてはそのあたりは余裕で折り込み済みだ。7月8日読売新聞記事「民主バラ色公約、イバラの財源」にこうある。半年経っていないのに、滋味豊かな深まる秋の味わいが感じられるお話だ。


 民主党が事業仕分けを熱心に進めるのは、次期衆院選の政権公約に対し、自民党から「どうやって財源を捻出するのか」と批判を浴びているためだ。
 公約には月額2万6000円の子ども手当、高速道路の無料化、農家への戸別所得補償など、政権獲得後、4年目で総額16.8兆円となる新規政策を盛り込み、それに見合う財源を歳入・歳出改革で確保するとしている。事業仕分けは今後、歳出改革を実現する武器になるというわけだ。
 民主党は仕分けを踏まえ、政権交代後に凍結する事業を列記した資料を作成した。川辺川ダム(熊本県)や八ッ場(やんば)ダム(群馬県)のほか、鳩山代表が「国営マンガ喫茶」と批判する国立メディア芸術総合センターも含めた。政権獲得後に本格的な仕分けを行い、歳出改革で約9兆円を捻出すると計算している。


 しかし、無駄遣いの見直しなどで長期にわたって財源が捻出できるのか、疑問視する声もある。政府・与党の批判は辛辣だ。
 「空想と幻想の世界で遊ぶのは楽しいが、国民生活がそれによって保障されるという錯覚を与えることはほとんど犯罪に近い」
 与謝野財務・金融相は6日の記者会見で、実現に疑問を呈した。
 民主党でも、「想定通り歳出をカットするには、相当の抵抗がある」という声が少なくない。
 1.3兆円を捻出するとしている「公共事業の半減」には、地元自治体の強い反対が予想される。目玉政策の子ども手当を実現するため、これまで子育て支援の役割を担っていた所得控除を見直すことにしているが、子どものいない世帯には増税となるため、批判を懸念する向きもある。衆院定数の80削減による歳費カットを行うには、比例選の議席減に反対する社民党を説得しなければならない。
 財源を重視する岡田幹事長は「税収などはもっと厳しく見積もった方がいい」と指示し、新規政策の総額も小沢前代表当時の20.5兆円から16.8兆円に下方修正した。それでも、「政権を獲得しないと財政の内実は分からないし、財源を作れと言えば出てくるはずだ」という楽観論が根強い。
 7日の常任幹事会。大蔵省OBで蔵相を務めた藤井裕久最高顧問は、財源を論じる若手議員にこう語りかけたという。
 「財源にはそこまで触れなくていいんだ。どうにかなるし、どうにもならなかったら、ごめんなさいと言えばいいじゃないか」

 藤井財務相が「ごめんなさい」といえば、八方丸く収まる。鳩山総理も先月15日、マニフェスト終了の展望を述べていた。ロイター「赤字国債を極力抑えるとの思いでマニフェスト実行=首相」(参照)より。

 鳩山首相は赤字国債を増発させないために、マニフェストを見直す考えがないかを問われ「マニフェストは国民との契約なので、極めて重いものだ」と指摘。ただ「マニフェストの実現よりも、やはり国債をこれ以上発行してはいけないと、国民の意思としてそのようなことが伝えられたら、あるいはそういう方向もあると思う」と語った。

 鳩山さんの日本語は難しいのでシンプルな日本語に翻訳すると、赤字国債のための重税がいやならマニフェストは終了、ということだ。
 もっともそれでは財務省が狙っている国家税としての消費税がゲットできない。多少美しい絵を飾って寺銭は取るつもりでいるのだろう。ようはバランスということだが、結局、財政面では鳩山政権は麻生政権と代わり映えはない。成長路線もないのだから、この政権交代のギャンブルは負けだったが、さっさと手仕舞いしたいにも、もう自民党もないに等しい。過去を悔やんでもなんだから、現状から国家財政も考えていかないといけない。
 ということろで先の与太話に戻るのだが、赤字国債で日本の財政は破綻というのも、意外とありなんじゃないか。私が敬愛するコラムニスト、ロバート・サミュエルソンも先月末、そんなコラム「Up Against a Wall of Debt」(参照)をニューズウィークに書いていた。日本版11・11号に「先進国がデフォルトする日」という題で翻訳もされている。この翻訳はほとんど問題ない。
 結論から言うと、サミュエルソンもさしたる論拠を述べていないので、与太話という感じもしないでもない。が、私は彼のコラムをもう四半世紀も読んできたので、正しい経済学とは違って、なんつうか経済ジャーナリズムの年寄りの知恵みたいなものを感じている。

The idea that the government of a major advanced country would default on its debt --- that is, tell lenders that it won't repay them all they're owed --- was, until recently, a preposterous proposition. Argentina or Russia might stiff their creditors, but surely not the likes of the United States, Japan, or Great Britain.

主要先進国の政府が財政破綻するかもしれないという想定は、最近までありえないことだった。つまり、国債として国家に貸した金が戻ってこないなんて事態はありえないだろうと思われていた。アルゼンチンやロシアといった国家なら借金踏み倒しがあるかもしれないが、米国や日本、英国のような国ではありえないだろうと。

Well, it's still a very, very long shot, but it's no longer entirely unimaginable. Governments of rich countries are borrowing so much that it's conceivable that one day the twin assumptions underlying their burgeoning debt (that lenders will continue to lend and that governments will continue to pay) might collapse. What happens then?

まあ、あったとしても随分と先の話だが、もはや想定外のことではない。急増する赤字国債を支える二つの前提 --- 国民は国債を買い続け、政府は国債を売り続ける --- が崩れる疑念が出ない限り、富裕国の政府は赤字国債を出し続ける。その結果はどうなるか?

The question is so unfamiliar that the past provides few clues to the future. Psychology is decisive.

この問題に戸惑うのは、過去の事例から未来への糸口がほとんど見つからないないことだ。国民の心理が、決定的なのだ。


 経済学は心理学ではないと言われる。しかし、案外、心理の問題ではないのか。国家が信頼できるかできないかで、赤字国債が可能かどうか決まるのではないか。
 これまで日本が赤字国債を積み上げてきたのも、国民が日本国を信頼してきたからだ。というか、信頼するしかないような仕組みに嵌められていたからだ。それが壊れると、ヤバイっす、となるかもしれない。ということで、この手の話題は日本に向かう。サミュエルソンもそう。

Consider Japan. In 2009, its budget deficit --- the gap between spending and taxes --- amounts to about 10 percent or more of gross domestic product (GDP). Its total government debt --- the borrowing to cover all past deficits --- is approaching 200 percent of GDP. That's twice the size of the economy.

日本を例にしてみよう。2009年、日本財政赤字の国内総生産(GDP)比は10%を上回る。債務残高は200%。国家経済の二倍になる。

The mountainous debt reflects years of slow economic growth, many "stimulus" plans, an aging society, and the impact of the global recession. By 2019, the debt-to-GDP ratio could hit 300 percent, says a report from JPMorgan Chase.

膨大な財政赤字は、数年にわたる経済原則や景気刺激策、社会の高齢化、グローバル経済後退の影響によるものだ。JPモルガン・チェイスによると、2019年には財政赤字は300%に上がる。

No one knows how to interpret these numbers.
これの数字をどう考えたらよいのか、誰も知らない。


 現実として日本は国家財政の二倍の借金があり、十年後に三倍になるのも確実だ。民主党政権だとそれどころじゃないかもしれない。
 サミュエルソンは、20年前にこんな日本が想定できただろうかと問う。当時の経済常識からすれば、国債の金利が上昇するか、リフレ政策に舵を切るだろうと見られていた。しかし、そうならなかった。日本人は低金利の国債を買い続け、デフレが続いた。

Superficially, it's possible to explain this. Japan has ample private savings to buy bonds; slight deflation --- falling prices --- makes low interest rates acceptable; and investors remain confident that new and maturing debt will be financed.

表面的になら説明は可能だ。日本には国債買う個人資産が十分にあるし、軽微なデフレ継続は、物価を押し下げるので、低金利の国債購入を可能にする。国民は新規国債も発行済み国債も償還されると信じている。

But the correct conclusion to draw is not that major governments (such as Japan and the United States) can easily borrow as much as they want. It is that they can easily borrow as much as they want until confidence that they can do so evaporates --- and we don't know when, how, or whether that may happen.

しかし、日本や米国の政府のような大国だからといって、欲しい分だけやすやすと国債が発行できるわけではない。政府が赤字国債が出せるのは、国家の信頼が失われない限りだ。だが、その信頼はいつどのように失われるのか、わからない


 日本の文脈で言えば、日本人が国家への信頼を失えば、国債は失墜するだろうということだ。だが、日本人にしてみると、カネをグローバルに開かず、国家を信頼するしかないように国営銀行に閉じ込めておけばよいともいえるし、実際、これまでの日本はそうやってきた。ネオ大蔵省も昭和よアゲインの歌を歌うしかないかもしれない。

In Japan, the existing Value Added Tax (national sales tax) of 5 percent would have to go to 12 percent, says JP Morgan, along with deep spending cuts.

JPモルガンによれば、日本は大幅に財政を引き締めたうえで、さらに消費税を5%から12%に引き揚げることになる。

Against choices like that, some advanced country might decide that a partial or complete default, though dire, would be less dire economically and politically than the alternatives.

日本とは違った選択をとる先進国もあるかもしれない。つまり、部分的に、あるいは全額の借金踏み倒しだ。ひどい話ではあるが、政治経済上の代案よりはましかもしれない。


 日本は結局、消費税を12%に持ち込んで、だらだらデフレのなかで地味に財政赤字を減らすことになるだろう。しかし、そうではなく踏み倒しちゃう先進国もあるだろうというのだ。それって、米国かよ。
 たぶん、サミュエルソンは米国を想定しているのだろう。ただ、"the alternatives"(代案)がなにを仄めかしているのかわからない。米国債を踏み倒しちゃったほうがましな事態って、「ああ、あれかぁ」とわかるものか。

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2009.11.02

中国・チベット・インドの国境問題とそれが日本に示唆すること

 鳩山政権の地球外的外交センスは米国を困惑させ、そして恐らく激怒させているようだが、必ずしも米国同盟のパワー構成上の対抗にある中国を利しているわけではない。恐らく中国もチンプンカンプンで困惑しているだろう。というのは中国が危険視する、「中国に一番憎まれている女性」にして「ウイグルの母」ことラビア・カーディルさんと、中国を分裂させるとして敬称の「ラマ」を付けずにダライとのみ呼び捨てされるダライ・ラマ14世が、やすやすと来日し、先週、東京の外国特派員協会で相次いで記者会見もした(期待された二人の会見はなかったようだ)が、これまでの自民党政権時代と比べると、中国はそれほど圧力をかけてこなかった。中国としても、真意も掴めず空気も読まない鳩山さんに明確なメッセージを出しても、いろいろとやっかいなことになるかもしれないと、想定せざるを得なかったのだろう。
 いや、ダライ・ラマはこれまでも何度も来日している。特段のことではないという見方もあるかもしれない。だが今回のダライ・ラマ訪日はいつもの訪日以上に複雑な背景があった。その点が、国内でまったく報道されていないわけではないが、いま一つ鳩山政権のようにぼけた感じがある。多少だが、補足的なエントリを書いておきたい。もしかすると、とんでもない事態が11月に発生する可能性もある。
 重要なのは、ダライ・ラマが11月中にインド北東部アルナチャルプラデシュ州のタワン県を訪問する予定だ。タワン地域は中国が自国領だと主張しているため、中印係争地になっている。このことは日本のメディアも理解している。10月31日付け共同「ダライ・ラマが中印係争地訪問へ 都内で記者会見」(参照)ではこう伝えた。


 亡命先のインドから来日したチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は31日、都内で記者会見し、中国が領有権を主張するインド北東部アルナチャルプラデシュ州タワングを訪問すると明言した。
 台湾への8月末~9月初めの訪問に続き、中印間で国境問題のある地域へのダライ・ラマの訪問が、中国政府を刺激するのは必至とみられる。

 中印間で国境問題のある地域への訪問は中国を刺激するということだ。共同の報道が間違っているわけではない。「タワング」はこう説明されている。

 タワングは、ダライ・ラマが1959年にインドへ亡命した際に立ち寄った地域。チベット仏教の聖地ともされ、これまで数回訪問したという。
 アルナチャルプラデシュ州は、インドが北東部州の一つとして管轄しているが、62年の中印国境紛争の一因にもなった地域で、中国側は現在も「中国のもの」と主張。インドのシン首相が10月上旬に訪問した際も、中国外務省の馬朝旭報道局長が「強烈な不満を表明する」と強く反発していた。

 この説明も間違っているわけではないが、問題の深層には触れていないようだ。
 同日の時事「中国に信頼醸成求める=対チベットで現実政策を-ダライ・ラマ」(参照)では、同地を「タワン」として、似た報道をしていた。

 一方、中国が領有権を主張し、1962年の中印国境紛争の舞台にもなったインド北東部アルナチャルプラデシュ州タワンにある仏教寺院への訪問を11月に予定していることを中国政府が批判していることについて、「わたしはどこを訪問しても政治とは無縁だ」と述べ、政治問題化しないとの認識を示した。

 10月23日になるが、朝日新聞記事「ダライ・ラマが中印国境訪問計画 両国間の火種に」(参照)は、背景についてもう少し詳しい説明をしていた。重要なのであえて多く引用する。

 チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が、中国が領有を主張するインド北東部の国境地域への訪問を計画し、両国間の火種となっている。ロイター通信は22日、ダライ・ラマ側近の話として、来月8日から訪問すると伝えた。インドは訪問を認める構えだが、中国は強く反発している。
 ダライ・ラマが訪問を計画しているのは、チベット仏教寺院があるアルナチャルプラデシュ州タワン。59年のチベット動乱でダライ・ラマがインドへ亡命する際、最初に立ち寄った町として知られる。
 同地域では、インドを植民地支配していた英国と中国併合前のチベットが20世紀初頭に国境として定めたマクマホン・ラインを、インド側は国境線として主張。中国はこれを認めず、62年の中印国境紛争では中国軍が同ラインを越え、タワンを含む同州全域を一時占領し、兵を引いた現在も領有を主張している。
 タワン訪問計画は昨年も浮上したが、中国の反発にインド側が配慮し、実現しなかった経緯がある。今年9月に再び計画が報じられると、中国外務省の姜瑜副報道局長が「訪問に断固反対する。ダライ集団の反中・分裂の本質を暴露するものだ」と激しく批判した。
 一方、インドのクリシュナ外相は地元テレビに「同州はインドの一部であり、ダライ・ラマは国内どこへでも行くことができる」と述べ、容認する考えを示していた。

 朝日新聞も間違っているわけではないが、背景を知ってから読むと微妙な味わいがある。文脈上、今回のダライ・ラマによるタワン県訪問はインド政府が認可したかにも読める。
 さらに遡るが、13日付けIBTimes記事「ダライ・ラマ、アルナーチャル・プラデーシュを訪問」(参照)も国内では詳しい報道の部類になる。インド政府の認可を伝えている。

インド政府は、中華人民共和国による圧力に屈することなく、チベットの精神的指導者であるダライ・ラマには、インド国内を自由に行き来する権利があると主張し、ダライ・ラマによるアルナーチャル・プラデーシュ州タワン県の訪問を許可した。

 朝日新聞記事同様、インド政府がダライ・ラマのタワン県訪問を許可したとしている。タワン県についてはこう説明している。

 今年11月、ダライ・ラマは、300年もの歴史を誇る有名なタワン修道院を訪問し、法話を説く予定である。さらに、ダライ・ラマが200万ルピー(約388万円)を寄付した病院の落成式にも参加することになっている。
 今回もまた、中華人民共和国政府は、ダライ・ラマのアルナーチャアル・プラデーシュ州訪問に際しインド政府に圧力をかけ、論争を巻き起こしていた。中国政府は、ダライ・ラマの同州訪問によって、中国批判、分離独立を求める動きが高まることを警戒したのである。
 1959年、ダライ・ラマは、アルナーチャル・プラデーシュ州にあるタワン県を通って、中国からインドに亡命した。
 シッキムの領土権を諦めた中国政府であるが、いまだにアルナーチャル・プラデーシュ州全領域の領土権を主張している。中国とインドを隔てる1030kmに及ぶ垣のない国境を介して、中国人民解放軍がインドの領土への侵入する回数が増加しているとの意見もある。アルナーチャル・プラデーシュ州沿いにあるインド・中国間の国境は、マクマホン・ラインによって定められている。この国境は想像上のものであるが、事実上の国境線として理解されている。しかしながら、中国政府はこの国境線を一度たりとも認めたことはない。

 日本語がこなれていない印象があるが、「中国人民解放軍がインドの領土への侵入する回数が増加しているとの意見もある」が重要で、曖昧ながらも、この中印間の国境係争地は現在も軍事的な騒動を起こしていることを伝えている。国境線名、「マクマホン・ライン」も明示している。
 タワン県が現在も軍事衝突を起こしかねない中印の国境係争地であることは、これらの報道からわかるが、実際には国境域では、日々軍が動く小競り合いが起きていることはわかりづらい。
 問題のタワン県だが、日本の報道では聖地である理由については言及されていない。この地は、チベット仏教に多少関心のある人は知っているだろうが、ダライ・ラマ6世の誕生地である(参照)。いうまでもないが、ダライ・ラマはその教義では転生することになっているので常に一つの実体と言えないこともないが、特にダライ・ラマ6世は、中国がチベットを自国領土化する理由について微妙な歴史的な背景として関わっている。この話は、おちゃらけながら以前、「極東ブログ: 短編小説 2008年のダライ・ラマ6世」(参照)で書いたことがある。おふざけ以外の歴史的な経緯は正確なので、背景知識があると、今回中国が激怒している理由を知る一つの手がかりにはなるだろう。
 関連の国内報道を見ていくと、さらに一種のタブーがあるのかもしれないと思えることがあった。強く認識させられたのは、ニューズウィーク日本版10・28記事「インドが中国を恐れる理由」で意図的に思える訳抜けがあったことだ。後に触れるがその他にも異常としか思えない訳抜けがある。原文は「Why India Fears China」(参照)である。まずニューズウィーク日本版を引用し、対応する原文と試訳を添えておこう。

【日本版】
 既に、中国による外交面での攻勢は始まっている。中国政府は最近、中国が領有権を主張しているインド北部アルナチャアルプラデシュ州の住民に対する入国ビザの発給を拒否。08年にインドのマンモハン・シン首相が同州を訪れた際は、正式に抗議した。アジア開発銀行による29億ドルの対インド融資にも待ったを掛けようとした。融資の一部がこの州の農業用水整備事業に回されることになっていたためだ。


【オリジナル】
Already Beijing has launched a diplomatic offensive aimed at undercutting Indian sovereignty over the areas China claims, particularly the northeast state of Arunachal Pradesh and one of its key cities, Tawang, birthplace of the sixth Dalai Lama in the 17th century and home to several important Tibetan monasteries. Tibet ceded Tawang and the area around it to British India in 1914. China has recently denied visas to the state's residents; lodged a formal complaint after Indian Prime Minister Manmohan Singh visited the state in 2008; and tried to block a $2.9 billion Asian Development Bank loan to India because some of the money was earmarked for an irrigation project in the state.

すでに中国政府は、自国領土だと主張する領域におけるインド主権の削り取りを目的に外交攻勢を開始している。領域では特に、北部アルナーチャル・プラデーシュ州とその重要都市、タワン県がある。同地は、17世紀のダライ・ラマ6世の生誕地であり、チベット仏教の各種寺院の故地でもある。チベットがタワン県とその地を英国領インドに割譲したのは1914年である。中国は近年、同地県知事へのビザ発給を拒否し、マンモハン・シン首相による2008年同地訪問に公式抗議をし、さらにはアジア開発銀行によるインド借款も妨害しようとした。同州への灌漑用に一部が計上されていたからだ。


 日本版ニューズウィーク記事ではダライ・ラマ6世の言及が抜けている。これだけなら煩瑣な歴史逸話としてしか編集者が認識しえなかったのかもしれないだけのことだが、さらに1914年のチベット帰属問題が抜けているのは奇妙だ。
 どうも変だと思って、仔細に原文照合するとチベット領帰属に関する「1914年」は、計三箇所抜けている。意図的な改編としか理解できない。残り二箇所も重要なので見ていこう。まず、中印間係争地の紛争に関連した文脈から。

【日本版】
 こうした中国の姿勢の変化は、インドと世界の安全に暗い影を落とす。何しろ、戦火を交える価値もないと思われていた不毛の山岳地帯が一点して、2つの核保有国の間で戦争を引き起こす発火点になる危険性が出てきたのだ。
 しかも核戦争の可能性を考えれば、事は中国とインドの2カ国だけの問題では済まない。アメリカやヨーロッパ、近隣のアジア諸国も無関心ではいられなくなる。欧州諸国は、民主主義国を守るという立場でインドに味方するにせよ、中国とインドを仲裁する立場を取るにせよ、いやが応でもこの問題に引きずり混まれるだろう。


【オリジナル】
The implications for India's security --- and the world's --- are ominous. It turns what was once an obscure argument over lines on a 1914 map and some barren, rocky peaks hardly worth fighting over into a flash point that could spark a war between two nuclear-armed neighbors. And that makes the India-China border dispute into an issue of concern to far more than just the two parties involved. The United States and Europe as well as the rest of Asia ought to take notice --- a conflict involving India and China could result in a nuclear exchange. And it could suck the West in --- either as an ally in the defense of Asian democracy, as in the case of Taiwan, or as a mediator trying to separate the two sides.

インドの安全保障、さらには世界の安全保障にとっても、不吉な意味がある。地図上に国境線を引いた1914年の曖昧な条約と、争う価値もない不毛な岩地を、核保有国間が火花を散らす火種にする。加えて、中印国境紛争を当事者間の問題をはるかに越えた事態にする。米国も欧州も他のアジア諸国も関心を持つべきなのは、紛争が中印間の核兵器の撃ち合いになりうるからだ。台湾の事例と同様に、アジア域の民主主義防衛の同盟であれ、両者を引き離す調停であれ、西側諸国を巻き込むことになりうる。


 「1914年」が抜けていることに加えて、台湾の言及も抜けている。日本版のニューズウィークなのに、台湾の事例を訳抜けさせることは不可解だし、なによりチベット問題が、台湾を巡る米中の核保有国間の問題であることと同構造であることを、オリジナルどおり日本人に伝えておくべきだろう。ただし、台湾への言及は別箇所でも触れているので、まったくの隠蔽とは言い難い。
 三点目の訳抜けだが、日本版では対象部分がない。以下がごっそりと抜けている。中国による先のインド向け灌漑借款妨害の話に続く部分だ。

All these moves are best understood in the context of China's recent troubles in Tibet, with Beijing increasingly concerned that any acceptance of the 1914 border will amount to an implicit acknowledgment that Tibet was once independent of China --- a serious blow to the legitimacy of China's control over the region and potentially other minority areas as well.

これらの動向はチベットを巡る近年の中国の文脈に置くともっとも理解しやすい。中国政府がこの問題に関心を高めるのは、1914年の国境を受け入れることは、チベットが一度は中国から独立していたことを認めることなることになるからだ。この認可は、その他の小地域が潜在的にもっている問題と同様に、同地域支配の正当性に大きな打撃を与えることになる。


 重要なのは、中印間のどこに国境線を引くかということではなく、1914年の暫定国境を認めることが、中国がチベットを支配する論拠を失うことに通じるという指摘だ。さすがにこの部分をごっそり訳抜けさせた日本版ニューズウィークには政治的な意図があると見てよいだろう。
 ところで「1914年とは何か」だが、英国、中国(清朝)、チベットの三国間で交わされようとしたチベット問題についてのシムラ条約(参照)である。同条約は、結局はイギリスとチベット間で正式に調印し、調印を拒否した中国を外した形で成立した。シムラ条約の正当性は歴史的に見ていろいろな評価があり、米国は直接には言及しないが、当事者の英国としては現在もこれを有効としているようだ。なお、同条約大英帝国全権代表がヘンリー・マクマホン卿(Sir Arthur Henry McMahon)で、マクマホン・ラインは彼の名前に由来する。
 話が煩瑣になったが、とりあえず二点まとめると、(1)今月予定されているダライ・ラマのタワン県訪問は単なる国境地域の訪問ではなく、まして台湾や日本、米国訪問といった暢気なものではなく、中印国境を巡る深刻な問題を孕んでいる、(2)国内新聞報道は、こうした問題の背景を理解していないかもしれないが、日本版ニューズウィークはこの問題の要点を中国寄りに隠蔽しているようだ、ということになる。
 日本版ニューズウィークを結果的に批判した形なったが、それでも同記事を掲載している点は大きく評価できる。特に同記事が重要なのは、国境間で軍事力が抑制的に機能していることを鮮やかに描いている点だ。
 中台間で平和が維持できたことを、軍事プレザンスから見ている。

 台湾は完全武装という手段によって、危なっかしい形ではあるものの現状を維持してきた。その一方で、中国政府が引く一線を越える言動は慎んでいる。

 中印間でも対話姿勢には軍事力が欠かせない。

 こうした対話姿勢には武力という後ろ盾が欠かせない。既にインド政府は係争地の警備強化を開始し、中国に対抗するためLAC沿いで道路建設計画を進めている。


 インドにとっては、ミサイルや攻撃戦闘機など長距離型の武器に投資するのも賢いアイデアかもしれない。これなら、係争地帯で中国軍と衝突する危険性なしに抑止力を維持することができる。


 インドは武力衝突を回避しながら係争地域を警備するため、高性能レーダーシステムの配備を進めている。チベットでの中国軍の動向に関する情報をアメリカや日本と共有する道も探る可能性もある。

 なおこのオリジナルは以下で、またしても「台湾」を除去している。

India might also seek to share intelligence with other nations --- such as the United States, Japan, and Taiwan --- about China's actions and troop movements in Tibet, both to prevent being taken by surprise and to avoid an accidental conflict.

 中印間の核戦争を回避するには、一つには、軍事力を整備して中国の暴発を抑える必要があり、それには、米国を主軸に、日本と台湾が協力しなければならない。
 ここでは触れられていないが、日米台湾の連携は、チベット地域のみならず、インド洋におけるシーレーンを巡る中国との争点が存在する。もっとも、この連携の要の一つである日本が崩れようとしている現在、その欠落は、中印紛争の圧力を高める形で機能することに加え、まさに同構造である台湾問題を危険にさらすことになるだろう。
 もちろん軍事以外に外交も重要であり、同記事では、インドは中印問題を慎重に考慮して、ダライ・ラマのタワン県訪問を無限延期とすべきだとしている。しかしその後の動向では、インドはダライ・ラマへに同地訪問の認可を与えたようだ。背景には、インドにおける、国境を巡るナショナリズム高揚があるが、同等のナショナリズムは中国も抱えている。困ったことに、中国では江沢民派の復権党争が実質開始されており、そうした枠組みに巻き込まれる事態があれば、非常に危険なことになりかねない。

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