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2009.10.21

元大蔵事務次官斎藤次郎・日本郵政社長

 世の中の悪が悪人の意図から起こっているなら話はそう難しくない。難しいのは二つの異なる善が結果的に世の中の悪を引き越してしまうときだ。いや、そうなるときはもう善悪というのは結果論というか、物の見方に過ぎない。何が善で何が悪なのか。それが難しい局面においては一時的に善悪の視点を保留したほうがよいのだろう。
 辞任する日本郵政西川善文社長の後任として、亀井静香郵政改革担当相が、元大蔵事務次官・現東京金融取引所社長の斎藤次郎氏を起用すると発表したとき、私の脳裏にはぐぉーんとにぶい嫌な音がしたように思えた。いったいどういうことなんだという警戒と、ああそういうことだったのかという新局面のビジョン。二つの思いが交錯した。
 脳裏の鐘音とともに起きた胸中の「うちあたい」から語りたい。「うちあたい」は沖縄の言葉である。「うち」は内心、「あたい」は当たるということだ。心の思いに当たるこということで「内心反省すると自分に当てはまる」いうこともでもあるが、もう少し微妙な含みもある。うちあたいは先日の選挙速報の夜のことだった。
 あの夜、インターネットではアルファブロガーの池田信夫氏と、同じくアルファブロガーの小飼弾氏が実況対談をしていた。私はリアルタイムには聞かなかったが、翌日その内容をMP3ファイルでダウンロードしiPodに入れて聞いた。リアルタイムの実況解説番組だろうと思っていたが、内容はどちらかという散漫な政治放談の類で、ブログでは過激にも見える池田氏が対話の要所要所で政治の背景知識の乏しい、若い世代の小飼氏にそれとなく諭しているのが興味深かった。なかでもふと吸い込まれるような話題だったのが、池田氏による斎藤次郎氏への言及だった。
 政治家を官僚がフォローすると政局に巻き込まれて冷や飯を食うことになるといった文脈だったと記憶している。それ以上の展開はなかった。池田氏はおそらく小飼氏の顔を見てこの話題は深掘りするまでもないと思ったのだろう。私はといえば、ああ斎藤次郎氏か、と妙に心にひかかり、少し呆然としていた。斎藤氏はすでに過去の人ではないのかという思いと、一昨年の自民・民主大連立の裏話に後に斎藤氏が絡んでいたことを知ってのいやな感じが混じり合った。
 あの大連立話は、当時は渡辺読売会長と自民党森元首相が裏で主体的に動き、小沢氏はどちらかというと彼らへの義理立てとして受け身で動いたのだろうと私は読んでいた。ただしその場合、森元首相の広い人脈はあるとして、渡辺読売会長と小沢氏との間に義理や借りといった強い恩義の関係がなければならないのだが、その後の渡辺氏のバックレかたは子供じみていて、疑念が残っていた。何かミッシングピースがあるだろうと心に引っかかっていたが、それが斎藤氏なのだろうか? 斎藤氏が小沢氏に声を掛けたのなら、裏話は自然な流れになる。小沢氏には斎藤氏に借りがある。大蔵省十年に一度の救国の逸材を葬り去ったのは、小沢氏でもある。
 今回の日本郵政社長の斎藤氏起用は、亀井氏は氏個人の発案であると言っているが、小沢氏の裏を取っているのか、あるいは斎藤氏自身による意思なのか、はっきりとはわからない。今後も表立ってはわからないだろう。だが斎藤氏に白羽の矢が立った理由に小沢氏の思惑があることは間違いない。
 小沢氏は世間では剛腕・独断と言われているから、一般的には今回のサプライズも小沢主導の人事と見る人も多いだろう。私は小沢シンパでもあったから思うのだが、経済のわからない小沢氏のことだから、斎藤氏への義理・借りというくらいの意味だろう。しいて言えば、財務省のネオ大蔵省化へのプロセスを是認するという以上の意味はないように思う。その点から言えば、むしろこの人事は斎藤氏自身の復権の意思の発現に近いだろう。だが、ではその意思とは何か?
 陰謀論のように聞こえるかもしれないが、ごく簡単に思いつくのは、郵政の資金でファイナンスする巨額なカネを財務省ことネオ大蔵省で扱うことではないだろうか。もっとも、郵貯から財投へというような姑息な仕組みが再現できるわけもなく、また斎藤氏も郵政のカネだけが目当てというものではないだろう。では、彼にはどのような思惑があるのだろうか。それは、15年前の軌跡を辿って推測するしかない。
 1994年2月3日午前1時のことだった。前年に成立した非自民・非共産連立政権(実質小沢氏が実権を握っていた政権)の細川内閣の時代。細川首相がその深夜唐突に記者会見を開き、3%の消費税を廃止し、代わりに7%の消費税に相当する福祉目的税「国民福祉税」を創設すると発表した。寝耳に水とはこのことで翌朝からの猛反対が起こり、実際のところこの深夜の珍事で第一次小沢政権は潰れた。この珍事のコンテを描いたのが元大蔵事務次官斎藤次郎氏だった。
 当時の政府税制調査会加藤寛会長の回想が興味深い。読売新聞「[時代の証言者]経済政策・加藤寛(15)「福祉税」わずか1日で撤回」(2007.2.26)より。


 細川護煕(もりひろ)首相の時だ。大蔵省の斎藤次郎事務次官、通商産業省の熊野英昭事務次官の2人から料亭に呼び出された。
 政府税制調査会の会長が次官に呼び出されるのも変な話だ。「誰にも言わないで1人で来て下さい。主税局にも秘密にして」と、どこか芝居じみている。
 2人は「消費税率を7%に引き上げたい」と切り出した。私は「これは簡単に返事ができる話ではない。検討します」と言って、帰ってきた。

 この奇っ怪な話が、あの深夜の珍事に結びついた。

 2週間ほどしたら、細川首相からも電話がかかってきた。
 「ほかの人には絶対に言ってはいけない。黙って夜に官邸に来てくれ」
 キャピトル東急ホテルに車を待たせておくから、乗り換えて来いという。政府税調の石弘光委員と2人でタクシーに乗って行った。
 ホテルを出た車は、目と鼻の先の官邸の裏門前に止まった。正門から入ると新聞記者にばれるからだろう。
 裏木戸をくぐると、坂道があって、石だらけだった。石さんが「石ばっかりだな」と言ったのを覚えている。石さんは登山が趣味だから平気だったが、歩きにくかった。真っ暗闇の中、芝生の庭を横切って細川首相の部屋にたどり着いた。
 細川首相は「自分はこれから消費税率を7%にすると発表するが、どうだ」と言って、税率引き上げ案を見せる。首相はかなり興奮していた。大変な決意だった。
 案文を見て、石さんが「ここは、こうした方がいい」と一部を手直しした。すると、細川首相は案文を別室に持って行く。おそらく別室には斎藤次官らが控えていたのだろう。

 加藤氏の回想記事は、「細川首相と組んで改革を実行しようとした2人の事務次官の革命も終わった」として終わる。修辞であるともいえるが、当時の斎藤次郎事務次官らの革命とも言ってもよいだろう。革命は失敗し、この騒動を火種に4月28日、政権は消滅した。続く羽田内閣も二か月で潰えた。小沢氏の政権権力も消滅した。短命の二つの内閣の大蔵大臣は藤井裕久氏現財務大臣でもあった。
 それにしてもなぜ、当時の細川首相は斎藤次郎事務次官らの絵コンテをそのままなぞることになったのか。二つ、裏がある。一つは簡単だ。御輿は軽くて馬鹿がよい。担ぎ手の是認である。もう一つは「主税局にも秘密にして」という部分だ。ここの読みは難しいが、その後の大蔵省内の権力の流れから薄っすらと見えてくる。
 「国民福祉税構想」という唐突な消費税大幅引き揚げ策だが、担ぎ手の側の裏話も込み入っていた。当時の読売新聞記事(1994.02.04)「なぜ? 唐突の「国民福祉税」構想 選挙影響最小限に 社党への踏み絵説」が生々しい。

 今回の構想が政府・連立与党内で本格的に検討され始めたのは、臨時国会閉幕日の先月二十九日に政治改革関連法が成立した直後だとみられている。
 というのも、二十六日夜、都内のホテルで小沢一郎新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長、米沢隆民社党書記長の三人が会談、その席に藤井裕久蔵相が呼ばれた際、衆院本会議での再議決が否決になれば、衆院解散も想定され、その場合は所得税減税と消費税率引き上げの切り離しはやむを得ないとの判断を確認していたくらいだ。
 それが一転、小沢氏らが消費税の税率引き上げに向けて走り出したのは、先月三十日、武村正義官房長官が高松市内での記者会見で、所得税減税と消費税率アップの切り離し論を打ち上げたのがきっかけだ。発言の内容自体は、連立与党内の空気を反映したものだったが、武村氏主導の決着が意に沿わない小沢、市川、米沢の三氏が大蔵省の斎藤次郎事務次官ら幹部を巻き込んで、「一体処理」に向けて動き始めた。
 今ここで消費税率アップを決断すれば、来年の統一地方選、参院選、その後の衆院選などへの影響が少ないと判断したようだ。
 政府・連立与党内で何も議論されないのにもかかわらず、「国民福祉税」構想の原案が突然、大蔵省案として浮上するのは、二日午後三時からの与党代表者会議の席上だ。小沢、市川、米沢の三氏の思惑は、各党内でもほとんどの幹部が知らされていなかった。
 それだけに、同日夜、この「国民福祉税」構想が一気に政府案にまで駆け上ったことに驚き、小沢氏側近を自認する若手議員でさえ、「だましうちだ。国民は納得しない。小沢さんはどこかで国民のことを信用していないんだ」と反発したほどだ。

 翌年の選挙のための政局を小沢氏が読み違えたということのようだ。さらに小沢氏と斎藤氏の関わりの背景には、「極東ブログ:江畑謙介さんの死に湾岸戦争を思い出す」(参照)で触れた、小沢氏主導の湾岸戦争拠出金があった。そしてそれが恐らく、斎藤氏に対する小沢氏の借りの基点でもあっただろう。
 斎藤氏側の背景の動きはどうだったか。

 とは言え、「小沢シナリオ」ですべてを理解するのは、無理があるようだ。
 確かに、九一年暮れの予算編成の際も、当時、自民党竹下派会長代行だった小沢氏が、大蔵省と二人三脚で、事実上の消費税率アップである「国際貢献税」構想を自民党税制調査会の頭越しに、唐突に提案。「民主的な手続きを取らなかった」と糾弾され、日の目を見なかったいきさつがある。
 しかし、今回は、その時以上に、「健全財政のために垂れ流しの赤字国債の発行は絶対に許さない」、「減税をするなら、財源の確保は当然だ」とする、大蔵省の執念があった。
 同省の斎藤事務次官は一日深夜、首相公邸で首相に対し、来年度予算に関する財政状況を説明した。
 「国債発行残高から判断して、来年度、赤字国債を発行することは不可能です」
 斎藤氏の行動は、三十日に武村官房長官が「財源として短期国債発行はやむを得ない」と発言したことへの財政当局の反撃だった。

 赤字国債に突き進む政府に対して、大蔵省としてはなんとしても財源の確保をしておきたかった。斎藤氏の正義でもあっただろう。
 当時のこの状況は、現下の状況に重なるものがあり、斎藤氏の心中を察する材料にもなる。高齢化に向かう日本の末路は15年前にもはっきり見えていた。未来の日本を支える確実な税収が必要になる。直接税の比率が高ければ安定した税収は見込めない。大蔵省の人員で対応すらできないのだ。欧州並みの間接税の仕組みを日本になんとしても構築しなければならない。それはそれなりの正義でもあるだろう。
 失敗した革命には粛正が伴う。6月30日に成立した自社さ連立政権で、先鋒を当時の野中広務自治相が担った。野中氏にはお調子者の援軍もいた。それが誰であったか覚えている人はいるだろうか。読売新聞「大蔵処分巡り閣僚懇で批判 当時の藤井蔵相処分を 斎藤次官も責任を取れ」(1995.3.14)より。

 東京協和信用組合の高橋治則・前理事長との親密な交際問題で、大蔵省が関係幹部の処分を決めたことに関連して、十四日の閣議後の閣僚懇談会で、処分対象の接待が行われた当時の蔵相ら幹部や、斎藤次郎事務次官を処分すべきだとの声が相次いだ。
 野中広務自治相は「五年前に中西啓介大蔵委員長(当時)の勉強会を機に始まったことだ。五年前のことで処分するなら、当時の藤井裕久蔵相らも処分すべきだ」「一昨年九月に大蔵省が検査に入って乱脈ぶりを認識していたのに、適切な処置をしなかった当時の幹部の処分をしないのはおかしい」などと主張。さらに、「事務方のトップが責任を取って事態を収拾すべきだ」と斎藤事務次官が引責辞任すべきだとの考えを強調した。
 さらに野中氏は、斎藤氏について、細川政権時代の国民福祉税構想に関し、「大蔵省が政治に手を出し、役所のトップが首相にこれを発表させたのに責任を取らなかったことが現在の状況につながっている」と厳しく批判した。
 亀井静香運輸相、山口鶴男総務庁長官も同様の見解を示し、野中氏に同調した。

 斎藤氏は5月27日幹部異動で交代することになった。記者会見では「官僚は表面に出ることなく、黒子として政権を支えるものであり、表に出たのはやや不本意だった」と述べていた。
 野中氏はその後も斎藤氏の復権には目を光らせて続け、1999年でも「自自連立で大蔵省の斎藤次郎元事務次官が復活して大蔵省支配になるとか書いているが、日本の大きなかじ取りを間違った役人を再び許すことはない」と威嚇を続けた。
 その野中氏も政治を去り、彼の心配も消えたかに見えた日々が2000年以降続いていた、と私も思っていた。そうではなかった。タイムマシンはSFの世界にしかないと言われる。しかし、日本政治の世界にも、あった。今、歴史が巻き戻される。

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コメント

今度ばかりは、意見に全面的に賛成いたします。
しかし、斎藤次郎元次官とは。。。
小沢にとっては郵政を切り回すのには(そして支配下に置くには)、民間人より元官僚のほうが適切で、それもそのことが可能なのは飛び切り優秀な人材ではないと実現できないと考えたのでしょう。

しかし、斎藤氏にとっても、いわば背中から罵声ぐらいならよいでしょうが、場合によっては弾が、それも流れ弾ぐらいではなく、集中的に狙い撃ちされる状況も考えられる中で起用に応じるとは。斎藤氏の覚悟と怨みには恐れ入るしかありません。

投稿: F.Nakajima | 2009.10.21 21:42

つまりタイムマシンで昔に戻って亀井静香を消せばいいんですね?

投稿: ターミネーター | 2009.10.22 04:56

「日本政治の世界にも、あった。今、歴史が巻き戻される」本当にそうだと感じます。昨晩のNHKニュースを観ながら、94年当時のことを思い出して鳥肌がたちました。当時の顔ぶれが、いまここに集結。これが政変というものなんでしょうね。少し怖いけど、いっそ、行き着きところまで行かないと、次はないんだろうなという怖いもの見たさの妙なドキドキ感も。突き進め! 小沢氏による最後のぶっ壊しまで。

投稿: money-schhool | 2009.10.22 09:07

私は、西川社長を倫理的に非難していましたが、西川社長の経営手腕経営能力にはなにも言及しませんでした。まさか、亀井大臣が、西川社長に従えるわけもない経営の指図をして、辞職に追い込むとは思っておりませんでした。

斉藤次郎氏の登用ですが、細川内閣と似たようなことをすれば、細川内閣同様に失敗するだけだろうと思います。たぶん、「最高の役人は、最低の政治家」といういつもどおりのテーゼが反復されるだけだろうと思います。

情報というのは、世の中において基本的具体的には、人の流れ、モノの流れ、お金の流れです。知識の流れは、人の流れにほぼ還元されます。斉藤氏も、日本郵政の社長になれば、そのことをいやでも学ばされる、思い知らされると思います。

それと、役人は、いつも、過去の実績から安易でトンチンカンな未来予測をしてしまうけれど、未来というのは、案外、過去よりも、予想外に偉大なものです。「断絶の時代」(16世紀、19世紀、そして21世紀)における未来というのは、いつもそういうものです。

投稿: enneagram | 2009.10.22 10:10

企業としての日本郵政の意思決定機関である取締役会は、この政府人事を承認するのでしょうかね?

今現在取締役に名を連ねている財界経営者の皆様はどうされるのでしょう。
承認してその下で取締役を続けるのでしょうか
承認した後、新社長に首を宣告されてやめさせられる侮辱を黙って受け入れるのでしょうか
(亀井さんはそうやって叩き出すのだ、と息巻いていましたよね)
未承認のまま辞職するのでしょうか?

さぁ明日はどっちだ

投稿: KU | 2009.10.23 08:26

いつものことながらの縦横見通した的確な情報提供と批評に感銘します。こう見ると一層亀井氏の延命策ということが見えてきますね。斉藤氏のねらいが、郵貯資金を財務省(藤井=かっての盟友)との間でどうファイナンスするか、ということだとすれば、なにしろ金融相が亀井氏ですからね。・・・氏が”どうだ見たか”というのもわかります。問題はそのファイナンスのあり方ですが、それが郵政民営化を見直す中でどのように可能なのか、教えていただけませんか。まあ、目的は権力奪取で、”ごまかし”はいくらでもできるわけですが、それを”やりたい放題”させないようにしないと。

投稿: tikurin | 2009.10.25 13:32

国際ジャーナリスト(現・名古屋外国語大学現代国際学部教授)内田忠雄
 2009.10.22 東海テレビ「ぴーかんテレビ」より
民主党は野党時代に日銀総裁を「官僚(財務省出身)だから」といって2人も拒否してきたわけでしょ。
今度のこの人は官僚の中の官僚。
80年代後半から90年代はじめにかけて大蔵官僚というのは非常に思い上がってた。
ノーパンしゃぶしゃぶとか接待を受けていた時代があったでしょ。
そういう時代のそういう悪い官僚の典型なんですよ、この人(斉藤氏)は。
(批判が高まって)任期よりも次官を早く辞めたわけだけど
辞めた直後から大蔵省管轄の財団法人を渡り歩いているわけですよ。
渡り歩いた末の金融先物取引所というところが民営化されてそこの社長になっただけというわけで
民間会社で働いたということは極めて少ないわけですよ。
天下りと渡りの典型を繰り返してきた人で、こんな人を日本郵政のトップに据えるなんて、とんでもない話ですよ。
いや、これはね、僕この話を昨日聞いたとき怒りましたね。とんでもない話。
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http://www.youtube.com/watch?v=HylNSLt7I0o


1993年6月 - 事務次官。1995年退任
1995年 - 旧大蔵省 財政金融研究所 顧問
1995年 - 旧大蔵省 社団法人研究情報基金 理事長
1995年 - 旧大蔵省 財団法人国際金融情報センター 顧問
2000年5月 - 東京金融先物取引所理事長就任
2004年4月 - 東京金融先物取引所株式会社化に伴い社長

ミスター天下り&渡り。

投稿: mikura | 2009.10.28 00:32

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