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2009.09.10

[書評]僕は人生を巻き戻す(テリー・マーフィー)

 なんど手を洗ってもまた手を洗わずにはいられない。ベッドのシーツにシワやヨレがあるとそれだけで眠ることができない。家を出て五分後に鍵を本当にかけたのかどうしても確認に戻る。普通の人でもそういう理不尽な行動をとることがある。それが過度になり、本人も非常な苦痛に感じ、日常生活に支障を来すようになると、精神疾患として強迫性障害が疑われる。

cover
僕は人生を巻き戻す
 診断については「DSM-IV-TR 精神疾患の分類と診断の手引」に基準があるが、強迫性障害は、本人の意志と無関係に不快感や不安感を伴って脳裏に浮かぶ強迫観念と、強迫観念を打ち消すために行われる強迫行為から構成される。強迫行為は、家に戻って毎回する鍵の確認のように、それなりに誰でも了解できるものから、他人にはまったく理解できない行為もある。指と指が触れてはならないといった強迫行為の理由は、他人には理解できないが、強迫性障害者本人は了解している。理不尽ということを理性的に了解していても、恐怖や不安からその行動をとらざるをえなくなっている。
 本書「僕は人生を巻き戻す(テリー・マーフィー)」(参照)は、強度な強迫性障害患者であるエド・ザイン青年と、彼に献身的に取り組んだマイケル・A・ジェイナク医師、エド君の家族、心豊かな隣人たちを描いたノン・フィクションだが、実際に読んでみると、いわゆるライターが思いを込めて書いたノン・フィクションとは微妙におもむきが違う。著者テリー・マーフィーも強迫性障害の子供を育てた母でもあり、筆致の背後にこの問題への深い洞察が潜んでいるからだろう。
 読み進めるにつれ、強迫性障害の克明な描写や、人の心をむしばむ恐ろしい迫力に圧倒され、なにか人間の想像を絶する、壮絶なものに向き合っていくような気分になる。私は途中いくどか嗚咽した。スリラーではないが、人間本質の恐ろしさ、その底の果てしない深さのようなものに失墜していくような無力感に襲われる。実際のところ、なんども読むのを中断したし、食欲すら失せた。そこまでして読む本なのかと自問すらしたが、山を登るように読み終えた。そしてそこには山頂のような眺望もあった。年を取ると生涯、心に残る本は少なくなるし、感動というのも二時間ほどの映像で埋めることができるメディアの対価のようにも思えてくるものだが、そうではないものがこの書籍の中にはある。よくこんな本を書いたものだし、出版したものだと思う。
 エド・ザイン青年は1970年代後半の生まれであろうか。たたき上げの厳格な父親と優しい母親のもと、兄弟姉妹の末子として生まれた。彼の強迫性障害の由来としては、幼い彼を残して死んだ母のエピソードが中心になり、きびしい父や問題もあった両親の夫婦関係もあったことが描かれている。だが、母の死から即座に強迫性障害を起こしたわけではなく、内面に母の死の恐怖に抱えながら、それでも高校から大学まで過ごしてきた。強迫性障害がひどくなったのは大学在学中だ。
 母のように父や親族に死が訪れるという強迫観念から、すべての自分がなした行為を想念のなかで巻き戻し打ち消さなければならないという強迫行為として、「時を巻き戻す儀式」に捕らわれる。日常の歩行後には、その逆に後ろ向きに歩かなくてならなくなり、さらには、地下室に閉じこもり、糞便まで貯蔵するようになる。
 本書は腐臭漂う地下室にこもったエド青年にマイケル・A・ジェイナク医師が真摯に向き合うところから始まり、その献身的なジェイナク医師の人生の物語も語られる。だからジェイナク医師の情熱によって青年は救出されるという物語として展開するのではないかと読みながら思ったものだが、そうではなく、不思議な、奇跡的な展開になっていく。
 エド青年の話には、医師の鏡のようなジェイナク医師のほかに、米国には善意のかたまりのような人がいるのだと思わせる人たちも登場してくる。そのディテールも面白い。と同時に、オバマ大統領が推進している医療保険改革の必要性を痛感させるような医療の問題も克明に描かれ、社会勉強にもなる。
 読後、私は強迫神経症的なところが皆無といえる人間ではないが、強迫性障害を内面から共感的に理解できるほどの洞察力はもってはいないと思ったものだが、それでも、内面を見つめると、ところどころ魂の奥底にちくりちくりと触れてくるものがあった。広義で言うなら、エド青年は死を防ぐために孤独に戦ってきたのだが、同様に、私も心のなかの悔恨や死の恐怖を巻き戻そうとするかのように思念していることがある。その意味で、本書のエド青年から、人が人生の未来のページをどうめくるものなのか、私は深い示唆を受けた。

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コメント

 他人の話ってのは、それが真摯で感動的であればあるほど、聞く人にとっては「予め失われし過去」なんですよ。共感とか何とか言ったところで別に「共」では無いし、供でも伴でも朋でも無ければ友でも無い。そこには何も無くて、聞いた当人にとっては単なる無なんですよ。無だからこそ、埋めるべくあれこれ妄想して、共に思った気持ちになる。それだけのことですよ。

投稿: 野ぐそ | 2009.09.10 23:53

「家を出て五分後に鍵を本当にかけたのかどうしても確認に戻る」には私も長年悩まされていましたが、つい最近、“鍵をかけた瞬間の集中の仕方”を工夫してみたら解決しました。
学校や部活動で耳にたこができるほど
「集中しろ!気を抜くな!」を言われてきたのですが、肝心の「集中力の高め方」は教えて貰えなかったか、自分にしっくり馴染む方法ではないため馬耳東風だったのかは微妙ですが、
これまでの私を含む「悩んでいる人」は、単純に巡り合わせとか悪かったり、ツキがないだけなのかもしれません。
その弊害が理不尽じゃないかと思えるほど大きいだけで。

投稿: てんてけ | 2009.09.11 03:59

 ここで紹介されている今までの書籍は、専門書的なものでもない限り殆ど読んできていますし、何とかフォローしてこれたかに思いますが、この本は、正直今の私にはきつ過ぎると感じました。でも、最後の一文に触れて、「強迫性障害」というのは病気に分類されている極端な例で、普通の人間・・・私のような人間にも多かれ少なかれ潜んでいるか、その存在が近しいものだと判断できるとしたら、何かしら自分が見えてくるのかもしれないと興味を持ちました。
「破綻した神キリスト」も、信仰に関係ないかに思った私にも通じる部分があるので、かなり参考になりました。ありがとう。
読んでみます。

投稿: godmother | 2009.09.11 08:26

「強迫性障害」・・・
すぐ影響される方ですから、多分警戒してこの本一生読まないでしょうけど、これ的な恐怖に駆られて浮き足立って鼓動がおかしくなるたびに、「信なくば立たず」という言葉が頭に浮かんできます。というか噛み締めさせられます。
それで何が好転するわけでもないのですけど。

投稿: KU | 2009.09.11 22:54

探偵モンクにあるように米国では強迫性障害はポピュラーなものですか。

投稿: あれあれ | 2009.09.15 10:31

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