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2009.09.02

[書評]不透明な時代を見抜く「統計思考力」(神永正博)

 例えば、小泉改革で格差は拡大したとよく言われる。本当だろうか。いろいろな議論はあるが、議論の大半は論者の主観であったり、論者の身の回りの生活感覚から導かれた、ごく局所的な状況報告であったりする。
 それ以前に、「小泉改革で格差は拡大した」という命題はいったい何を意味しているのだろうか。命題は真または偽として評価されるものだ。「それが本当であるか、あるいは嘘であるか」という判定は、このケースでは格差の定義とその評価法に依拠している。一番明快な説明は、数値的・数学的に格差なる社会現象を定義し、実際に統計データに当たってみて、その正否を見ればよい。それが方法論ということでもあり、統計学はその数値的な表現から方法論によく利用されている。

cover
不透明な時代を見抜く
「統計思考力」
 本書、「不透明な時代を見抜く「統計思考力」(神永正博)」(参照)は、統計から各種議論の正否を考えるための参考書でもあり、加えて統計を使って考える際の勘所を比較的平易に解説している。学生やビジネスマンにとっても、一読して有益な書籍であり、また書架に残し、「そういえばべき分布ってなんだっけ」と疑問に思ったときに該当部分を読み返してもよいだろう。帯にアルファブロガー「小飼弾氏絶賛!!」とエクスクラメーションマークが重ねられているが、いかにも氏が好みそうなタイプの明晰さで書かれている。
 本書では実際に「小泉改革で格差は拡大したか」が詳しく議論されているので、少し追ってみよう。まず、「ジニ係数」を使って所得のデータが検討される。ジニ係数とは国民間の所得の偏りを示した指数で、国民が同一の所得ならゼロ、特定の一人が独り占めしているなら1になる。ゼロから1の間で所得格差を数値で知ることができる。本書ではジニ係数の計算に必要なローレンツ曲線を解説し、実際に公式統計値からジニ係数の計算、およびその年ごとの変遷を見ていくことになる。
 結果はどうか。1996年から1999年の間にジニ係数の大幅上昇があることがわかる。つまり、この間に格差は広がったのだ。さて、では、小泉政権の期間はというと、2001年から2006年である。あれ? 小泉改革は格差の広がりと関係ありませんね、という結論が出る。では、1996年から1999年の間のジニ係数の大幅上昇理由はなにか? 統計値を仔細に見ていくと、社会の高齢化であることがわかる。
 いや、「小泉改革で格差は拡大した」というのはジニ係数だの所得格差のことではない、完全失業率の問題だ、という主張もあるだろう。雇用が悪化したのは小泉改革の弊害であるといった議論だ。そこで、「日本統計年鑑」による統計値のグラフ「完全失業率と有効求人倍率の推移」を見る。すると、小泉政権の初期には完全失業率が上昇しているものの、その後は徐々に低下している。むしろ、完全失業率の増加は小泉政権以前から見られるので、小泉改革が失業率を減らしていると言えそうだ。あれ? それでいいのか。では、単に働いていない若者を数えるとどうか。これも1990年代からの増加で小泉政権下での目立った増加はない。つまり、ここでも「小泉改革で格差は拡大したか」というと、どうやらそうではない。
 では、話題になっている非正規雇用者の増加はどうだろうか。これも統計を見ていくと、同様に特に小泉政権下との関連はなく、それ以前からの変化が続いていたとしか言えない。では、ワーキングプアの増加はどうだろうか。これは統計の扱いが難しいが、やはり同様の結論が出てくる。ではでは、生活保護世帯の増加はどうか。これも小泉改革との関係はわからないとしかいえない。さらに、ホームレスとネットカフェ難民もと統計値を見ていくと、むしろ減っているように考察できる。結局どうなの?

 本稿のテーマは、小泉政権が格差を拡大したのかどうかを検証することでした。
 これまで見てところでは、わたしたちの実感とは異なり、それをはっきりと裏付けるデータは、公式統計からは見当たりませんでした。

 え? そうなのか。いや、そうなのだ。それが、各種統計を見て出てくる結論であって、逆に、小泉改革で格差は拡大したという議論は、おそらく、特殊な方法論を使っているか、ごく主観的な主張に過ぎないだろう。
 しかし、その結論でいいのかためらった著者は、「とはいえ、小泉改革との関係が疑われるデータが、まったくないわけではありません」として、自己申告ではありながら「貯蓄のない世帯」の増加は顕著に見られるとし、こうも述べている。

 小泉政権下で景気は拡大していましたが、84ページの図24で見たように、平均給料は下がっています。景気拡大の恩恵は、ふつうの給与所得者にまでは及んでいない、ということになります。日本全体がお金持ちなっているにもかかわらず、平均給与が減少するというのであれば、格差が問題になるのも当然だと言えるでしょう。

 しかし、それは国家としての再配分の課題で、小泉政権が格差を拡大したという議論とは違うように私は思う。また「貯蓄のない世帯」が問題視されてもいるが、個人で住宅ローンなどが組みやすい時代でもあったと言えるのではないだろうか。
 そのあたりの、いわば、明白に統計からは議論できないところで本書の限界が見える。それが誤りというのではなく、議論と統計処理の限界がきちんと見えるというべきだろう。
 本書の魅力は、こうした実際の統計値の実技的な扱いの指針になることに加えて、統計学の背景になる分布についての基礎概念をていねいに解説していることだ。特に、正規分布と「ブラック・ショールズ評価式」の問題についての詳しい説明は、ナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」(上巻参照・(下巻参照)の数学的な解説になっていて有益だ。ただ、おそらく出版年度から考えてもまた、タレブ氏の前著「まぐれ - 投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」(参照)の言及に偏っていることからも、「ブラック・スワン」は著者が読まれていても本書には直接的な影響を与えていないようだ。
 率直にいえば、統計の扱いは素人にはむずかしく、「統計思考力」を本書によって付けることも難しいだろうと思う。それでも、統計データからものを考えるときの勘所や、専門家が統計値を使った議論のどこで躓くのかという疑わしい領域は理解できるようになる。

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コメント

小泉政権下で失業率は下がってますから
失業者が低所得労働者にグレードアップした場合
労働者の平均給与は下がるということじゃないんでしょうか?

給与30万の労働者 100人と失業者 100人がいる国では労働者の平均給与30万

これが失業率が改善して
給与30万の労働者 100人と給与10万の労働者 100人となると労働者の平均給与20万

国全体がお金持ちなっているにもかかわらず、平均給与が減少するとうい現象になる

投稿: どらどら | 2009.09.02 23:20

私の1年先輩で、システム生態学を専攻していた大学院生がいたのですが、統計学を学ぶ目的は、数字、数値を(悪用して)使用した議論にだまされないためである、とおっしゃっていた方がおりました。

小泉改革で格差がおおきくなったというのは、たんになんとなくの生活実感で、あまり社会科学的な根拠は無いと思います。つくばエクスプレスができて、その後すさまじく、つくばエクスプレスの利用は盛んになっているのだけれど、(当然、首都圏経済に対するつくばエクスプレスの影響は甚大である)、つくばエクスプレスのもたらす経済的影響の恩恵に浴せていると感じるひとは、特定の地域のひとびとを除いて、あまりいないと思います。

量の違いの問題と質の違いの問題は、還元が困難なのだろうと思います。そんなわけで、いま、三浦つとむ著「弁証法はどういう科学か」(講談社現代新書)を読み始めています。

投稿: enneagram | 2009.09.03 08:40

自分も格差拡大は小泉政権のせいではないと感じていました。今では小泉純一郎と竹中平蔵は売国奴呼ばわりされて、また大きな政府を目指す風潮に不安を覚えます。

投稿: さぼ | 2009.09.03 09:33

格差なんちゃらは失われた10年ないし15年の影響でしょう?


それに2年前ぐらいにIMFが出した分析によると、所得格差の拡大傾向は日本固有のものでもなく先進国共有のトレンドじゃないのかしら

投稿: | 2009.09.03 12:35

僕は統計学上がりなんで著者の言ってる事は大賛成です。どうもテレビ慣れの専門家やらを聞いてたりすると意見が二極化しがちでいつもがっかりです。今は情報社会ですからグーグルの誰かさんが言ったみたいに統計ができる人は不可欠になるといいです(僕のためにも(笑))。漫画スラムダンクの安西先生曰く「勝負に絶対は無い」精神で議論が進めばニュアンスとディテールがもぉ少し垣間みれると思うのだが。

アメリカではデータ分析ができるアルファブロガー(例:Nate Silver)はちょくちょくいます。こういうブログこそ一番合理的な議論が起きるのは偶然ではありませんね。

投稿: apeescape | 2009.09.04 06:42

郵貯300兆をアメリカに差し出したご褒美として、
小泉元首相が1兆、竹中さんが2兆キックバックをもらったと
2ちゃんにコピペしているひとが何人かいるみたいですね(笑)。

投稿: ピンちゃん | 2009.11.23 23:32

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