米国オバマ大統領の核兵器廃絶論が行き着く平和
「サイボーグ009」を衛星放送で見た。昨年だっただろうか。白黒番組で、かつてリアルタイムで見た記憶がよみがえり、不思議な思いに駆られた。私は知らなかったのだが、後、カラー・アニメになってからコスチュームが赤で襟巻きがやたらと長くなっていた。ビッグエックスとか食パンマンのような白コスチュームだとずっと思っていた。カラー化作品ではキャラも少し変わっていた。元のサイボーグ009の各キャラは現代からすると考えようによってはとんでもないのだが、それが時代というものだろう。あのころのキャラはそれぞれに思い入れがあるが、赤ん坊の001も強烈だった。TVで見たのか雑誌で見たのか忘れたが、001の超能力で世界の核兵器が無効化されるという話があった。核廃絶の祈りはこうして世界に広まるのかと子供ながらに感動したものだが、後になって考えてみると、そんなの赤ん坊の夢という意味だよな、バブー。
赤ん坊の夢を未だに追っている人たちもいて、その夢には001のようなバブーなヒーローが必要になる。米国オバマ大統領が4月5日チェコの首都プラハで行った演説を「核廃絶へ具体的な目標示す」と報道しちゃう朝日新聞(参照)とかもある。バブーな夢だろ? それが具体的かよ?
その目標に向けた道筋として、核軍縮や核不拡散の国際的な制度強化を主導する考えを打ち出した。具体的には、(1)核軍縮(2)核不拡散体制の強化(3)核テロ防止を柱として挙げた。
(1)核軍縮 ロシアとの間で第1次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約を12月までに結ぶ目標を確認した。議会の一部に反対が根強いCTBTの批准実現には「早急かつ意欲的に取り組む」と表明。核兵器の原料となる兵器級核物質の生産を停止する新条約(カットオフ条約)交渉の妥結を目指す考えを示した。
(2)核不拡散 国際的な核査察体制を強化するのに加えて、北朝鮮やイランのようなルール違反の国への対応として、国連安保理に自動的に付託する措置など、罰則強化に取り組む考えを示した。一方、原子力の民生利用促進のため、核燃料供給を肩代わりする国際的枠組みも提案した。
(3)核テロ防止 4年以内に世界中の核物質防護体制を確立することをめざすと表明。核の闇市場の撲滅に向けて、核管理に関する首脳級の国際会議を1年以内に主催する方針を明らかにした。
具体的といえば具体的かもしれない。が、それって普通に「核廃絶へ具体的な目標」ではなく、「冷戦後の米国イデオロギー秩序維持のための軍事優位の目標」でしょ、と思う。意外とそう思っていない人もいるのを最近になって知って驚いた。我ながらどうも浮世離れしている。今更だが、オバマのプラハ演説を振り返って見よう。オリジナルはホワイトハウスに(参照)、公式翻訳は米国の日本大使館に(参照)ある。
これがチェコの首都プラハで行われたのにはベタな理由がある、というかそんなの誰でもわかるでしょと思っていたが、そうでもない人がいるかもしれない。簡単に触れておく。まずオバマ大統領、曰く、
私が生まれたころ、世界は分裂しており、私たちの国は今とは大きく異なる状況に直面していました。当時、私のような人間がいつの日か米国大統領になると予想する人は、ほとんどいませんでした。米国大統領がいつの日かこのようにプラハの聴衆を前に話をすることができるようになると予想する人は、ほとんどいませんでした。そして、チェコ共和国が自由な国となり、北大西洋条約機構(NATO)の一員となり、統一されたヨーロッパを指導する立場になると予想する人はほとんどいませんでした。そのような考えは、夢のような話として片付けられたでしょう。
私たちが今日ここにいるのは、世界は変わることができないという声を意に介さなかった大勢の人々のおかげです。
私たちが今日ここにいるのは、壁のどちら側に住んでいようとも、またどのような外見であろうとも、すべての人間に自由という権利があると主張し、そのために危険を冒した人々の勇気のおかげです。
私たちが今日ここにいるのは、プラハの春のおかげです。信念に基づき、ひたすら自由と機会を追求する行動が、戦車と武器の力で国民の意思を弾圧しようとする人々を恥じ入らせてくれたおかげです。
重要なのは「プラハの春」だ。ウィキペディアを見ると(参照)と「プラハの春(プラハのはる、チェコ語:Pražské jaro〔プラジュスケー・ヤロ〕、スロヴァキア語:Pražská jar〔プラジュスカー・ヤル〕)は、1968年に起こったチェコスロヴァキアの変革運動」とあり、その先いろいろ書かれていて大間違いもないのだが、どうも要領を得ない。
大辞泉を借りると「チェコスロバキアで1968年の春から夏にかけて、新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた状況をいう」と簡素だ。つまり、冷戦下、社会主義ソ連の弾圧の下、チェコの市民が自由を求めて立ち上がろうとした春のことだが、その夏には「ソ連・東欧軍の介入により弾圧された」ということ。
社会主義国は、天安門事件でもそうだったが、戦車がだだだと市民の前に進み出て弾圧に入るものだった。
冷戦が本格化する前に日本は偶然、沖縄以外の内地は冷戦構造で引き裂かれずに済んだ(なのですっかり内地は沖縄の戦後ことを忘れた)。もっとも内地はイデオロギー的には引き裂かれ、今の民主党政権にまで至るのだが、逆にその橋頭堡たるべき西側の資金もつぎ込まれ自民党ができたりしていた。それでもカネで済めばいいほうだ。チェコ市民は自由を求めれば他国から軍の介入があった。そのソ連を継いだロシアの脅威をいまだチェコの人々は感じている。実際、現在でも生活に必要な天然ガスはロシアの意のまま、ミサイルも射程距離内、別の国を圧力のための傀儡に使うかもしれない。「だから、オバマさん、いざとなったら助けてね」ということで大歓迎したのであって、核廃絶に共感というだけのものではない。で、オバマ大統領はそれに答えられるか。ちと照れていた。
私たちが今日ここにいるのは、今から20年前に、約束された新しい日の到来と、あまりに長い間与えられないままだった基本的人権を求めて、街頭デモを行ったプラハの市民のおかげです。「Sametová revoluce」、すなわち「ビロード革命」は、私たちに多くのことを教えてくれました。平和的な抗議が帝国の基礎を揺るがし、イデオロギーの空虚さを明るみに出すことができること、小国が世界の出来事に極めて重要な役割を果たせること、若者が先頭に立って旧来の対立を克服することができること、そして精神的なリーダーシップはいかなる武器よりも強力であるということを教えてくれたのです
このあたり、ぶっちゃけ「いや米国にそんなに期待されてもね、ウクライナやグルジアみたいな期待はだめよん、平和にやってちょーだい」という弁解。笑いを取るところだろ、なのだが、当事者となるとなかなか笑えない。オバマの演説ってこういうところが、実はすごく難しい含みがあったりする、いや皮肉じゃなくて(先日の医療保険改革の議会演説とかも)。
先の「プラハの春」の引用に戻る。重要なのは「プラハの春」の含みもだが、もう一つ重要なのは、NATO(北大西洋条約機構)だ。「そして、チェコ共和国が自由な国となり、北大西洋条約機構(NATO)の一員となり、統一されたヨーロッパを指導する立場になると予想する人はほとんどいませんでした」と。これ何を言っているかわからん人がいるかもしれない。
この先に関連があるのを読んでみよう。
今年は、チェコ共和国はNATO加盟10周年を迎えます。20世紀には、チェコ共和国が参加することなく決断が下されたことが何度もありました。大国が皆さんを失望させ、あるいは皆さんの意見を聞かずに皆さんの運命を決めることもありました。私はここで約束します。米国は決してチェコ国民に背を向けることはない、と。
これがまた微妙な話。ようするに「プラハの春」で米国がチェコ市民を見捨てたのは許してくれ、と、それを理由に米国を見捨てるのも止めてくれというのだが、あれ? 大国米国を見捨てるというのは、いかなる意味だろうか? こういうこと。
米国が攻撃を受けたとき、チェコ共和国の国民はこの約束を守りました。何千もの人々が米国の国土で殺害されたとき、NATOはそれに呼応しました。アフガニスタンにおけるNATOの任務は、大西洋の両側の人々の安全にとって不可欠なものです。私たちは、ニューヨークからロンドンまで各地を攻撃してきた、まさにそのアルカイダ・テロリストを標的とし、アフガニスタン国民が自らの将来に責任を負えるよう支援しています。私たちは、自由主義諸国が、共通の安全保障のために提携できることを実証しています。そして私は、米国民が、この努力に際してチェコ国民が払った犠牲に敬意を表し、犠牲となった方々を追悼していることをお伝えしたいと思います。
セプテンバー・イレブンで米国が「アルカイダ」という敵の攻撃にあったとき(と米国民は理解している)、その敵と目される勢力が潜む拠点としてアフガニスタンの戦争で「NATOとしてチェコの人が戦ってくれてありがとう」というのが、米国を見捨てないでくれという意味だが、もうちょっとぶっちゃけて言わないとわからん人もいるかもしれないので、繰り返すと、「アフガニスタン戦争にチェコが参加するならロシアから守ってあげるよ」ということだ。さらにぶっちゃけてチェコを日本に置き換えると……いやまあ、そのくらいわかれよと思うのだけど。
こうした前段があって、いわばチェコ市民との双務的な軍事同盟の確認ができて、それから、核問題の話に入るというのがプラハ演説の仕組みだ。つまり、基本的にこの軍事同盟のフレームワークが核問題の意味を決めているということだなのだ。だから、その前段を済ませてこう始まる。
今日私が重点を置いてお話しする課題のひとつは、この両国の安全保障にとって、また世界の平和にとって根本的な課題、すなわち21世紀における核兵器の未来、という問題です。
冷戦時代は、冷戦核が巨大化しているため米ソを互いに刺激するのはとんでもない危険であり、ちょっとやそっとでは軍は動けなかった(代理戦争をするくらい)。そのリスクを考えて擬似的な平和があり、日本みたいに一歩引いたところだとたまたまマジな平和だったが、チェコみたいな地域では米国が一歩引くから痛い目にあった。
冷戦時代は終わり、今更大国が冷戦核を使うわけにはいかないし、ソ連をついだロシアだってそんなことはわかっているから、冷戦核の廃絶については、米ロは日本を巻き込んでとても順調にやっている。
その点では米ロの合意はできているのだが、問題は、ミャンマーのように国内貧困をどうにかしたらの途上国とか、途上国的な市民社会しかないのにやたらとでっかい国土を背景に軍事独裁をやっている国とか、同じイスラム教国でも宗派が違って核武装で君臨したい国とかが、冷戦のパロディのような冷戦核を保持しようとしている現在、そいつら相手に冷戦核のゲームをやるわけにはいかない。じゃあ、どうしましょうかという話が、オバマさんの話の流れだった。だからこういう話が続く。
今日、冷戦はなくなりましたが、何千発もの核兵器はまだ存在しています。歴史の奇妙な展開により、世界規模の核戦争の脅威が少なくなる一方で、核攻撃の危険性は高まっています。核兵器を保有する国家が増えています。核実験が続けられています。闇市場では核の機密と核物質が大量に取引されています。核爆弾の製造技術が拡散しています。テロリストは、核爆弾を購入、製造、あるいは盗む決意を固めています。こうした危険を封じ込めるための私たちの努力は、全世界的な不拡散体制を軸としていますが、規則を破る人々や国家が増えるに従い、この軸が持ちこたえられなくなる時期が来る可能性があります。
これは、世界中のあらゆる人々に影響を及ぼします。ひとつの都市で1発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、「イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと、何十万もの人々が犠牲となる可能性があります。そして、それがどこで発生しようとも、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして究極的には私たちの生存など、その影響には際限がありません。
冷戦核後のいわば途上国核武装時代をどうするかというが問題であって、「テロリスト」はむしろ比喩的なものだ。「全世界的な不拡散体制」も冷戦時代のように、途上国と先進国が技術的に隔絶したような時代では機能しない。
核兵器廃絶の夢を語りながらも「おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう」と夢から現実に引き戻して、ではどうするか。
では、私たちが取らなければならない道筋を説明しましょう。まず、米国は、核兵器のない世界に向けて、具体的な措置を取ります。冷戦時代の考え方に終止符を打つために、米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し、他国にも同様の措置を取ることを求めます。もちろん、核兵器が存在する限り、わが国は、いかなる敵であろうとこれを抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持します。しかし、私たちは、兵器の保有量を削減する努力を始めます。
ここがとても重要で、「米国は国家安全保障戦略における核兵器の役割を縮小し」であって、米国から廃絶することはない。
それと、米国は「いかなる敵であろうとこれ(核兵器)を抑止し、チェコ共和国を含む同盟諸国に対する防衛を保証するために、安全かつ効果的な兵器を維持」するということだ。冷戦核時代の核競争はしないし、また途上国にそうさせないような軍事的圧力をかけるが、しかも核オプションは捨てない、ということだ。ただ、そのオプションは事実上使わない。
かくして「安全かつ効果的な兵器(a safe, secure and effective arsenal)」というオチに向かっていく。というか、オバマ演説の意味はこの、新しい軍事体制の宣言というところが新ネタであって、核廃絶はむしろ冷戦核という時代認識的な背景描写でしかない。
「安全かつ効果的な兵器(a safe, secure and effective arsenal)」とは何か?
オバマの演説のリライト前の資料を条件から推測すれば容易にわかる。条件は、非核(Conventional)である、効果的(Prompt)である、イスラマバードあるいはムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハのどの都市であろうと」(Global)を覆う、核施設を空爆(Strike)だろう。Conventional Prompt Global Strike(非核迅速広域空爆)(参照)だ。
全米研究会議(NRC)はこのほど、国防総省(DOD)が検討中の新たな攻撃用ミサイルシステム「Conventional Prompt Global Strike: CPGS」に関する調査報告書を公表した。
同書でNRCは、「戦略爆撃機と巡航ミサイルを主体とした現行のCPGSが”1時間以内に目標到達”という要求条件を満たす射程距離は500海里(約950km)程度となってしまい、比較的短距離の目標に限定される。テロ発生などの有事に際し世界中のどの目標でも迅速に攻撃するためには、トライデントやミノタウルなどの長距離弾道ミサイルによる新システムを構築することにより、緊急時に核兵器を使用すべきか否かを選択するジレンマを解決できる」として、短期(1~2年)、中期(3~5年)、長期(5年以降)を見据えたCPGS開発計画への投資の必要性を提言している。
核廃絶の期待に盛り上がる祭の御輿が奉納されるのは、こういう世界なのである。これが核廃絶後の平和の世界なのか。チェコの市民にしてみれば、プラハの春を思えば、それが歓迎されるべき平和なのである。
| 固定リンク
「時事」カテゴリの記事
- 歴史が忘れていくもの(2018.07.07)
- 「3Dプリンターわいせつデータをメール頒布」逮捕、雑感(2014.07.15)
- 三浦瑠麗氏の「スリーパーセル」発言をめぐって(2018.02.13)
- 2018年、名護市長選で思ったこと(2018.02.05)
- カトリーヌ・ドヌーヴを含め100人の女性が主張したこと(2018.01.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
通常戦力~♪ ファイト~♪ いっぱぁ~つ!! …って感じですかね。
歓楽街で肩組んで歩いてる男女に向かって言ったら、そこはかとなくギャグですよね。何気に振り向いた兄ちゃんが若干怖い系だったりして、「…お前…それ誰に言ってんの?」とか「いま言っていいギャグだと思ってる?」とか言われたら、モキュ? って感じなんですけどね。普通に。
嗚呼ニッポン。素晴らしき哉。
投稿: 野ぐそ | 2009.09.13 16:26
途中の文を端折って意味を捻じ曲げるというのは良くないですな。
So today, I state clearly and with conviction America's commitment to seek the peace and security of a world without nuclear weapons. (Applause.) I'm not naive. This goal will not be reached quickly –- perhaps not in my lifetime. It will take patience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist, "Yes, we can." (Applause.)
アナタの感覚ではこの文章は浮世離れしているかもしれませんが、オバマが最初に自らを引き合いに出したのを無視してはいけませんね。ちゃんと読みましょう。
この部分があなたが引用された文の間に書かれているのを省いているのはどういう意図かと疑わざるを得ませんが。おちゃらけ?この部分は単なるリップサービスだと自分勝手に考えて省略?それとも難しすぎて訳せなかったとかw
あと、いくつか犬儒派としてのいちゃもんをw
>「いや米国にそんなに期待されてもね、ウクライナやグルジアみたいな期待はだめよん、平和にやってちょーだい」
あんた、ちゃんと地図は見たかと。チェコはドイツ国境に面していて、ここを露公が侵攻しようとしたら、ウクライナorベラルーシとポーランドorスロバキアを侵攻後ということになる。それはプラハの春どころの騒ぎじゃない。事態はWW3ですな。
ついでに言えば、ざっとCPGSをざっと読んでみましたが、そりゃ無茶でしょ。という数字が並んでます。現在のICBMやSLBMの命中率を誘導爆弾なみにまで上げる(そんなことは論文のどこにも書いてませんが、実際に通常型兵器に必要な命中率はそのくらいになってしまいます。核だと威力があるので数マイルずれても気になりませんが、通常型だと100フィートの誤差も許されない。それを埋める技術的根拠が示せなかったのは非常に遺憾な論文ですね。
投稿: F.Nakajima | 2009.09.13 23:09
本当のことを本音で言うと、それは、卑怯者以外の何者でもないんだけれど、安全保障や抑止力のことは、シビアに予算を計上しても、「核廃絶」というのは、つねに念仏題目にはしておかないといけないと思うんです。核武装を堂々としたものではなく、後ろ暗いものであるとするグローバルなコモンセンスというのは、絶対に必要だと思うんです。こんな話をすると、広島や長崎の市民の方々には大変申し訳ないと思うのですけれど。
本当は蔓延していても、児童ポルノは絶対に許されがたいもの。麻薬組織でもその気になれば核武装できるけれど、核武装そのものは本来は犯罪行為。そういうモラルは確立しないといけないと思います。
日本の堂々とした宗教だって、唯識論をまともに研究すれば、南無阿弥陀仏を1回唱えれば必ず成仏できることが約束されていて、あとの念仏は報恩感謝の行、なんていうのは、鎌倉時代当時なら単なるたちの悪い犯罪行為の詐欺行為に過ぎないのは明白だけれど、オカアチャンに生ませてしまったたくさんの自分の子供たちが自分同様「非僧非俗」の看板しょって世間を威張って渡り続けるためには、確信犯の悪質なうそも本当の振りをしてつき続けないといけない。
そんなたとえを出しますとね、念仏の同行がそんなことをいくらし続けてもそれだけではまるっきり成仏なんてできなくても、念仏を唱えつづけることが倫理的な行為なら、核廃絶なんて絶対に永久に不可能だと確信犯で認識していても、気がついたときには核廃絶核廃絶と騒ぎ続けるのもものすごく倫理的な行為であると、私はそう思っているんです。大勢の念仏の同行の方々にも核廃絶と騒いでほしいと思います。そのほうが、念仏唱えるよりよっぽど功徳のある仏行だろうと思っています。
投稿: enneagram | 2009.09.14 08:16
オバマ大統領らしいビジネス感覚ご苦労さんって感じなんだけど、そういった平和ビジネスが通用?するのは、結局なんだかんだで「核戦力・通常戦力ともにアメリカがスーパーパワー」だから出来ることでね。
まぁ、言ってしまえば「そういう部分に商品としての魅力があるから」やってることがポン引きの売り口上レベルだったとしても、それなりに価値があるってだけ。商品価値そのものに先ず魅力が無ければ、単純に「ポン引きの売り口上レベル」が際立つだけなんよ。
力や格差を基準にした売り子活動ってのは、行く末場末のポン引きと変わらん。そんなもんに引っ掛かるのは、小金持ちで気のいいおいちゃんか、切羽詰まって取り敢えず何でも欲しがる流民だけ。
力があるなら、ポン引き。無ければ、乞食。その差でしか無いんだよね。日本だと、ネット社会のおたく界隈にて、似たような事例がナンボでも散見されるでしょ。それの超拡大版とでも思ってれば宜しい。
投稿: 野ぐそ | 2009.09.14 09:44
F.Nakajimaさんに何らか誤解があったようなので、ひと言。
>あと、いくつか犬儒派としてのいちゃもんをw
「誰が」とは、言ってないんですよ。弁当翁さんのブログでこんなん言うても詮無いですけど、近々の私の発言傾向として「残飯爺さん」「コンビニ廃棄弁当回収翁さん」…というのが、徐々に何度も出てましたよね。それに対してF.Nakajimaさんには「ネット人格に対して信頼性が置ける」とは言いましたけど、それ以外のことは、言ってない。
その上での「>犬儒派」ってのは、弁当翁さんの方を指差してF.Nakajimaさんの脇腹を突きながら「ありゃ犬儒派だよ?」ってクツクツ笑いながら言ってるのに近い状況…と、私は想定してましたね。
そう書けば良かったんですけどね。最小単語でぴちっと書いたら、想定が逆流した感じです。そういうことで、事情説明はありますけどそれ以外は特にありませんので、心持ち御不快なようでしたら、以後の不快感なり敵愾心?なりは、私が引き取らせて頂きます。
口から出た災いとでも思って、共に暮らして参ります。
投稿: 野ぐそ | 2009.09.15 21:25
>野ぐそさんへ
人の掲示板使ってこういうことを告白するってのもなんですが、野ぐそさんに「犬儒派」って言われたときにぐっとするものがあったんですよ。
私は組織の中でずっとトリックスター的というか人と逆の動きをする人間として生きてきました。まあ、中にはスタンドプレーをする人間だとか、上層部に逆らう人間と呼ばれて忌み嫌う人もいましたけど、「それは話としておかしいんじゃないですか?」という筋を通すことと、(今でも怖いけど)誰も進んで火中の栗を拾わないときに率先して前にでるくそ度胸だけで生きてきた人間です。
で、犬儒って書かれたときに、確かにいやでしたけど、同時に、そう言われてももしょうがないなという自覚があったんですよ。
投稿: F.Nakajima | 2009.09.16 21:06
>F.Nakajimaさん
なるほど、です。そういう言が出るに及んで、私の「(F.Nakajimaさんの)ネット人格に対して信頼性が置ける」…という評価は間違っていないことを得心しました。ありがとさんです。
人の正直さ?に触れるのは、良いことですよ。ただ正直で有りさえすれば…というのではなく、正直たらんとする姿を見ることが、私の中では物凄く価値の高いことです。
それと、各々の立場や状況が違うことで見解の相違が出ることや対立が生じる?ことは、別問題。と、勝手に思っています。
最近ではそういった質の高い正直さに触れる機会が少なくなっていましたので、大変有り難く感じております。重ね重ね、ありがとさんです。
投稿: 野ぐそ | 2009.09.17 01:13