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2009.08.23

[書評]Shall we ダンス?(周防正行)

 先日NHK「ワンダー×ワンダー」という枠だったと思うが、「シャル・ウィ・“ラスト” ダンス?」という番組を見た。バレリーナの草刈民代さんの最終引退公演「エスプリ~ローラン・プティの世界~」までのドキュメンタリーという仕立てで、それを見守る夫の周防正行さんもよく描かれていた。そういえば、二人の馴れ初めともなった1996年(平成8年)の映画「Shall We ダンス?」(参照)を見過ごしていたと思い出し、この機に見ることにした。私が沖縄に出奔した翌々年のことだ。その前には私は池袋駅の圏内に住んでいたこともあり、映画に出てくる江古田あたりのあの時代の風景が妙に懐かしかった。

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Shall We ダンス?
 話は、さえない会社の経理畑の42歳サラリーマン杉山正平が、通勤電車の窓からたまたま見かけた、ダンス教室の窓に佇む美女岸川舞に、心を奪われ、彼女に接近するためにダンス教室通いとなり、次第に社交ダンスにのめりこんでいく物語である。杉山は、ローンで郊外にマイホームを購入したばかり。家庭的な妻と中学生になった娘が一人。幸せで凡庸な中年サラリーマンなのに、非日常的ともいえるダンスと若い女性への思いに巻き込まれていく。そこで知り合う人々や妻の疑念などもコミカルに描かれている。
 中年男の内面の危機の物語と見ることもできるし、中年女性からも同様に思える部分があるだろう。普通の中年夫婦の愛情の危機とも取れないことはない。別段難しい映画ではないが、娑婆でまじめに中年を迎えた人ではないとわかりづらい含蓄がある。
 映像的には「ワン・フロム・ザ・ハート」(参照)を連想させるような燦めきがあり、ラストシーンの草刈さんはこの世の人とは思えぬ美しさを湛えている。やはり見ておくべき映画だったなというのと、若い人なら40歳過ぎてもう一度見るとよいかもしれないよと言いたくなるような映画だった。
 この映画に不思議なほどの愛着がわいたのは、ちょうど私の世代に焦点が当てられていることもあるだろう。迂闊にも周防監督は私より随分年上だと思っていたが、1956年生まれで一つ年上だった。ほぼ同年代だ。杉山を演じた役所広司さんも同年生まれ。映画のコメディ要素を引き立てていた竹中直人さんもそうだ。同じポジションの渡辺えり子さんは55年生まれだが、ほぼ同年代と言っていい。杉山の妻役の原日出子さんは59年生まれだが、レンジ内だろう。うぁっ俺の世代の映画だ、と思った。ポスト団塊世代が40歳を迎えるころの心情が滲むのは当然だ。ただし、草刈さんは1965年生まれと世代がずれる。
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Shall We Dance ?
 日本映画「Shall we ダンス?」を元に、2004年にハリウッド版「Shall We Dance ?」(参照)が作成され、興行的にも成功したことは知ってはいた。これも見た。日米の生活文化の差は大きく、べたなリメークは不可能だが、杉山の役どころがリチャード・ギアさんというのはあまりのはまり役だった。他のキャストも日本版とよく似た印象を与える。舞の役どころのジェニファー・ロペスさんは草刈さんとはかなり違う肉感的な存在感があるが、その差異はむしろ上手に活かされていた。妻役のスーザン・サランドンには深みがあった。
 同じ映画を忠実に日本版から英語版にしたとも言えるが、微妙な違いがあり、その微妙な違いは大きな違いだとも言える。日本版では杉山は人生のむなしさと、かつてはむなしくはなかった若い日の初恋のようなときめきに突き動かされていくが、英語版で男が抱えているのは言いしれぬ不幸と愛の不在だった。エンディングも日本版とは違い、友愛が強調されている。私は、どちらかというと英語版のほうが好きになった。
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小説:Shall weダンス?
 その後で小説「Shall we ダンス?(周防正行)」(参照)を読んだ。初版は1996年とのことなので日本版が出てすぐ、監督自身によるノベライズであるとも言える。映画を見てから読むと、ディテールがくっきりとビジュアルに想起され、一種不思議な体験でもあった。
 小説化にあたって終盤を除けば映画との差異はあまりない。文学としてみると、率直に言えば技巧面ではかなり拙い。だが、どうもこの作品を文学的に洗練させようと編集者は考えもしていない。ある種の稚拙さをむしろ強く押し出すことで成功しているようだ。小説のエンディングには、映画と決定的な差があるとも言える。あとがきでこう書かれている。当初、周防監督は小説化する気はなかったようだ。

 ところがである。ある一言から状況は一変してしまった。知り合いのプロデューサーのH・T氏に、試写を観みた後、「最後はパーティに行かないと思ったんだけど」と言われたのである。「行かないでどうすると思われたんですか」と聞くと、僕より少しだけ人生の先輩であるH氏は「一人で公園で踊ると思ったんだよね」と答え、少し間を空けてから「この歳になるとさ、そんな気がするんだ」と小さく寂しそうな笑みを浮かべた。

 その意味を探り当てるために小説「Shall we ダンス?(周防正行)」が書かれたようだ。おそらくこれが書かれたことは、英語版に大きな影響を与えたのではないかと思う。
 実は、私がこの小説の最終部分を読み出したのは昨晩だった。エンディングの杉山の思いに泣けた。じわっと涙が出た。映画でも感動して涙のにじむシーンはあったが、小説の感動は違うものだった。「この歳になるとさ、そんな気がするんだ」というのが胸に染みるようによくわかった。時計を見ると零時が過ぎていた。ああ、今日と言う日になったかと思った。

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コメント

草刈民代さんの最終引退公演のドキュメンタリーあたりから興味があったのですが、小説はまだ読んでいません。邦画はあの頃、役所広司が好きだったので見ました。そうか、ラストにまつわるお話は知りませんでした。同世代のキャスティングや背景が自分に近いというのは、なんだかホッとするものがあります。
取り寄せて読んでみます。

それと予断ですが、昔関わりがあってよく通った東長崎や千川あたりがとても懐かしいです。あの変に画家の町がありましたっけね。都心でも下町風情の漂うところでした。

投稿: godmother | 2009.08.24 06:19

最近は見るにも一苦労

投稿: | 2009.12.27 09:28

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