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2009.08.03

[書評]新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)

 「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)」(参照)の帯には「派遣切り、雇い止め、均等待遇 混迷する議論に一石を投じる」とあり、近年社会問題として問われる各種労働問題がテーマにされていることが伺える。こうした諸問題に私もそれなりに思案し戸惑っていたこともあり、何かヒントでも得られるとよいと思い、また岩波新書なら妥当なレベルの知的水準で書かれているだろうと読み始めみた。ところがヒントどころの本ではなく、ほとんど解法が書かれていた。

cover
新しい労働社会
雇用システムの再構築へ
濱口桂一郎
 序章「問題の根源はどこにあるのか」からして目から鱗が落ちる思いがした。私は山本七平氏が指摘していたように戦後日本の会社は先祖返りをして江戸時代の幕藩体制の藩と同質になったと理解していたので、濱口氏が「日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくてメンバーシップなのです」と指摘しても、それはそうだろうくらいに納得した。だが重要なのはそこではなかった。
 重要なのは、日本企業が擬似的に大家族のようなメンバーシップで構成されていることよりも、家族が構成員を選べずに構成されているように、特定企業にメンバーシップを得ている雇用者は「職務のない雇用契約」に拘束され、企業内で実質職務の選択を失う点だった。そこから濱口氏は「日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用、年功賃金制度および企業別組合は、すべてこの職務のない雇用契約という本質からそのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます」として、日本の終身雇用・年功序列・組合の特質をあたかも幾何学証明のように解き明かしていく。
 コロラリー(corollary)、つまり、系として日本の労働問題の基本が理解できることが私には驚きでもあった。この分野に、私のように愚か者を自覚をしそうな人、特に就労前の若者には必読書と言いたいところだ。が、率直になところ、本論に入ると読みづらいほどではないが、私レベルの読者では理解しづらい箇所は多くなる。厚かましい提言だが、序章だけでもネットで公開されれば、多くの人の益になるかと思った。
 本論では帯にあるように、現在日本で話題となる主要な労働問題が整理され議論されている。手法としては、近代日本、特に戦後の産業史の歴史的視点による構成的な理解に加え、先進的な労使関係が模索されてきたEUの労働問題の状況との比較が用いられている。特に後者については、おそらく筆者が専門なのだろう、かなり詳細な部分へのインサイトが含まれている。よく言われるオランダモデルを模範とするといった、私などが思い込みやすい浅薄な評価への注意点も指摘されている。
 反面、浅く読んだ印象ということになるだが、米国の労働状況については派生的にしか描かれていない。また、歴史的な手法における史観的な考察はシンプルにはモデル化されていない印象を受けた。米国の労働状況は特殊なのかもしれないし、また、先に山本七平氏を引いたが、日本の特異性については、通俗日本論的なモデル、あるいはウォルフレンが描いたような日本システム的なモデルのほうが理解しやすいのだが、そこは意図的に避けられているのかもしれない。
 加えてこれもあえて意図されているのかもしれないが、昨今の労働問題にマスコミなどが与えるチープでマジックワンド的な「小泉改革の弊害」といった説明道具は含まれていない。現実の労働問題の説明にこの手のごみ箱は不要なのではないか。そう思うと本書に一種の背理法のような鮮やかさも感じる。
 私なりの読後の結論とも言えるが、序章に提示されたコロラリーに加え、実質現在の日本の労働問題を解くには、終章の終わり近くに指摘されている重要性を再定義した公理としてもよかったのではないか。つまり、「正社員の利害を代表する労働組合しか存在しないところで、正社員と非正規労働者との間で賃金原資の再配分を行わなければならない点に、現代の日本の雇用システムが直面する最大の問題点が存在するのです」という点だ。この問題は本書全体にも低音的なモチーフとして繰り返されている。
 こう言ってしまうと既存労組に無益な敵対的な物言いになってしまう懸念もあるが、従来の日本であれば、正社員というメンバーシップを得ている労働組合員は、前提的にそうなのだが、今後日本人の労働者の大半が所属するだろう非正規労働者間と間で利害の再配分ができない。にも関わらず、日本社会は今後そのような再配分を必要としている。
 本書を逸脱する連想かもしれないが、この時期に提示された民主党のマニフェストでは、その表層的な面から言えば、この再配分の問題を暗黙に含み込んでいるものの、正社員の利害を代表する労働組合と、対する非正規労働者との再配分は明瞭に見えないように提示されていて、あたかも国に無限の原資があるか、企業経営体や古典的イメージの資本家から再配分するかのような印象を与える。おそらく民主党のマニフェストの背景には、正社員の利害を代表する労働組合がいて、その矛盾がそのまま同質の矛盾としてこうした表出になっているのだろう。
 もっともそうは言っても、日本の将来には方向性としては民主党のマニフェストのように、非正規労働者への再配分を増やす傾向が求められることも確かなだ。このあたりの状況的な問題について、本書は十分な射程を持っているのだが、ダイレクトに読み解くことは存外に難しいようにも思えた。
 各論としては、「第1章 働きすぎの正社員にワークライフバランス」で、「名ばかり管理職はなぜいけないのか?」「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」など、また「第2章 非正規労働者の本当の問題は何か?」では、「偽装請負は本当にいけないのか?」「日本の派遣労働法制の問題点」、さらに「第3章 賃金と社会保障のベストミックス―働くことが得になる社会へ」では、「ワーキングプアの発見」、終章の「第4章 職場からの産業民主主義の再構築」では、「職場の労働者代表組織をどう再構築するか」など、状況的にもホットな話題が多く、それぞれにかなり適切な解答が示されている。しかし、文体の問題というより問題それ自体の複雑性もあって読み解きづらいし、私も率直にうまく読み解けていない。例えば、「ホワイトカラーエグゼンプションを推進すべきか?」と読後に問われると、知識は増えたものの、自分で納得した明瞭な答えは依然出せない。
 しかし、こうした労働関連の諸難問にエレガントな答えを出すことが本書の価値ではないだろう。そうではなく、日本の市民が各種のポジション(正規組合員や非正規組合員)として実際に、惰性構造的に、そして対立的に分断された現在、著者の濱口氏が示す「ステークホルダー民主主義の確立」という課題は、広く開かれて問われる課題となる。社会を維持するコストを適正に配分していくことは、その上に成り立つ民主主義にも重要なのであって、民主主義が理念的に問われるよりも現実的な課題になる。

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コメント

是非読んでおきたいと思います。特に、解法が書かれているなんて知ったらますます読みたいです。が、弁ちゃんレベルの読者で理解しづらい箇所が多くなるのなら、私なら読めないかもですね。

序章だけでも理解できるかもしれないので買ってみます。

投稿: godmother | 2009.08.04 07:10

>社会を維持するコストを適正に配分していくことは、その上に成り立つ民主主義にも重要なのであって、民主主義が理念的に問われるよりも現実的な課題になる。

日本の場合、戦後は、企業が江戸時代の藩みたいなものですから、政治の形式だけ、(偽?)アメリカ型議会制民主主義でも、社会の実態は封建社会だったのでしょう。

私などは、日本を真の英米型(議会制)民主主義国にしたり、スイス型直接民主主義国にしたりするより、今よりもっと、進んで開けた「封建社会」にするほうが建設的なようにも思います。自民党の派閥が無力化した今がいい機会だと思います。ちょうど、東国原知事や橋下知事みたいな人たちも現れたし。

何らかの縁故か審査で結集した成員みんなの承認する優れたリーダーに率いられた、団体への強い忠誠心で結束した小集団が連絡を取り合う「進歩した封建社会」のほうが、圧力団体の組織票で議会に押し込まれる代表者たちが駆け引きして、その背後にはロビイストたちの駆け引きで根回しができている民主主義社会より、東アジア諸国の今後の政治には模範になるのではないかと思います。これは、政治問題に対してだけでなく、労働問題に対しても同じような態度を取れると思います。

とりあえず、国際標準ということで、各国英米型議会制民主主義の体裁だけは整えたほうが、欧米諸国との軋轢はないのは間違いありませんが。

投稿: enneagram | 2009.08.04 08:47

>enneagram

 この人はきっと切込隊長の馬鹿の部分だけ抽出したキャラなんだろうな…名前変えても主張の骨子が同じだから直ぐバレるんだよね…だったら最初から名前固めてりゃいいのに、頭隠して尻隠さずが好きだよね…死ぬまでこうなんだろうな…と思いながら見てるんですけど、

>何らかの縁故か審査で結集した成員みんなの承認する優れたリーダーに率いられた、団体への強い忠誠心で結束した小集団が連絡を取り合う「進歩した封建社会」

 のことを「圧力団体」と言い、

>圧力団体の組織票で議会に押し込まれる代表者たちが駆け引きして、その背後にはロビイストたちの駆け引きで根回しができている

 のが「日本風民主主義社会」なので、言われなくても「進歩した封建社会」なんだけどね。何を言ってんの?


 オバマ流儀ですな。「チェンジ」→「言い回しや体裁をチェンジ」→「ブッシュ政策を継承」→「それは阿呆のやること」って、こないだの極東ブログで言われてたんと、ちゃうんかい?

 あと。国際標準?から言うなら、むしろ今ある日本的なやり方の方がよっぽど普通で、それが剥き出しになったらアレなのはどこの国も一緒で、日本なら「正社員と非正規社員の雇用・給与格差」が「本国と旧植民地の格差」に変わっただけのこと。

 英米型民主主義ってのは、正社員の待遇を極限まで引き上げて派遣はありとあらゆる難癖つけていじり倒してコキ使う、日本企業がよくやるアレと同じですよ。

 そのことを分かって言ってるのか知らずに言ってるのか存じませんけど、賢そうなことを言って内実馬鹿なら、最初から馬鹿で通した方がマシじゃござんせんこと? と、言っておきたいですね。

投稿: 野ぐそ | 2009.08.04 13:08

わが国の社会システムは企業秩序を軸として構築されていたので、
それにヒビが入ったら歯車が狂うのは当然ですね。
まあ人口減少のトレンドで年功序列賃金はネズミ講と同じだから、不可避ではあったと思いますが。

民主党の政策パッケージの実現には個々労働者の生産性向上が不可欠と宮台氏が述べており、
職務無限定という現状を変える方向での誘導は行われるのではないでしょうか。
(再配分的政策は、緊急避難で、将来的には機会の公平重視に傾く気がします。)

投稿: tam | 2009.08.06 02:39

◆技術者等の非正規雇用を明確に禁止すべき

▼民主党は、マニフェスト案において、『原則として製造現場への派遣を禁止』とす
る一方で、『専門業務以外の派遣労働者は常用雇用』としています。『専門業務』の
『常用雇用』が除外され、かつ『専門業務』に技術者 (エンジニア) 等が含まれると
すれば、これは看過できない大きな問題です。
技術者 (エンジニア) 等の非正規雇用 (契約社員・派遣社員・個人請負等) を明確
に禁止しなければなりません。
改正前の労働者派遣法に関する「政令で定める業務」の内容は、技術の進展や社会
情勢の変化に対し時代遅れになっており、非正規雇用の対象業務を、全面的に見直す
必要があります。
また、派遣社員だけではなく、「契約社員」・「個人請負」等を含む非正規雇用を
対象としなければなりません。

【理由】

●技術者等の非正規雇用が『製造現場』の技能職に比べて、賃金・雇用・社会保険等
において有利だという誤解があるならば、そのようなことは全くない。長時間労働
など過酷な労働環境に置かれている割には低賃金の職種で、雇用が安定しているか
というと、『製造現場』の技能職以上に不安定である。

技術者等が『製造現場』の技能職に比べて過酷な労働環境に置かれているにもかか
わらず、非正規雇用として冷遇されるのであれば、技術職より技能職の方が雇用・
生活が安定して良いということになり、技術職の志望者が減少して人材を確保でき
なくなる。努力して技術を身につけるメリットがなくなるため、大学生の工学部・
理学部離れ、子供の理科離れが加速する。一方、技能職の志望者は増加し、技能職
の就職難が拡大する。

●技術者等の非正規雇用が容認されると、マニフェスト案『中小企業憲章』における
『次世代の人材育成』と、『中小企業の技術開発を促進する』ことが困難になる。
また、『技術や技能の継承を容易に』どころか、逆に困難になる。さらに、『環境
分野などの技術革新』、『環境技術の研究開発・実用化を進めること』、および、
『イノベーション等による新産業を育成』も困難になる。

頻繁に人員・職場が変わるような環境では、企業への帰属意識が希薄になるため、
技術の蓄積・継承を行おうとする精神的な動機が低下する。また、そのための工数
が物理的に必要になるため、さらに非効率になる。事業者は非正規労働者を安易に
調達することにより、社内教育を放棄して『次世代の人材育成』を行わないように
なる。技術職の魅力が低下して人材が集まらなくなるため、技術革新が鈍化、産業
が停滞する。結局、企業が技能職の雇用を持続することも困難になる。

●派遣社員だけではなく、「契約社員」・「個人請負」等を含む非正規雇用を対象と
しなければ、単に派遣社員が「契約社員」・「個人請負」等に切り替わるだけで、
雇用破壊の問題は解決しない。

企業は派遣社員を「契約社員」や「個人請負」等に切り替えて、1年や3年で次々
に契約を解除することになり、現状と大差ない。

▲上記の様に、『製造現場への派遣を禁止』するにもかかわらず、技術者等の非正規
雇用 (契約社員・派遣社員・個人請負等) を禁止しないのであれば、技能職より雇用
が不安定となった技術職の志望者が減少していきます。そして、技術開発・技術革新
や技術の継承が困難になるなどの要因が次第に蓄積し、企業の技術力は長期的に低下
していきます。その結果、企業が技能職の雇用を持続することも困難になります。

これを回避するには、改正前の労働者派遣法に関する「政令で定める業務」の内容
を見直して技術者等の非正規雇用を禁止し、むしろ技術者等の待遇を改善して、人材
を技術職に誘導することが必要です。これにより、技術者等は長期的に安心して技術
開発・技術革新に取り組むことに専念できるようになります。その成果として産業が
発展し、これにより技能職の雇用を持続することが可能になります。

もしも、以上のことが理解できないのであれば、管理職になる一歩手前のクラスの
労働者ら (財界人・経営者・役員・管理職ではないこと) に対し意識調査をするか、
または、その立場で考えられる雇用問題の研究者をブレーンに採用して、政策を立案
することが必要です。

投稿: | 2009.08.23 15:39

池田信夫って「アレ」ですね…

(↓)コメント欄参照
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/2c785fdf87ab3e093029e0601e363952

投稿: | 2009.08.25 00:31

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