« 民主党公約、高速道路の無料化案について | トップページ | [書評]自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門(森村進) »

2009.08.20

[書評]リバタリアン宣言(蔵研也)

 「リバタリアン宣言(蔵研也)」(参照)は、アマゾンの読者評でも指摘されているが、リバタリアニズムの入門書という趣向で書かれている。思想にそれほど関心はない読者が、「リバタリアンって何?」「なぜリバタリアニズムが話題なの?」「リベラリズムとはどう違うの?」という疑問を持つなら、読後に十分に得るものがあるだろう。

cover
リバタリアン宣言
蔵研也
 現時点で同書を再読するなら、2007年2月に出版された新書ということもあり、世界金融危機の崩壊前、さらに自民党が迷走を始めた安倍内閣以前の空気を再考する意味合いが強くなる。帯にある「ウヨクでもサヨクでもない、ニッポンの勝ち組エリートとアメリカのセレブが考えていること」という釣り文句は現時点となっては苦笑を誘うが、「『国がきちんとやるべきだ』。あなたもなんとなくそう思っていませんか? 本書ではこの考え方を『クニガキチント』の誤りと呼びます。年金も医療も教育も、官僚まかせにしていると貴重な資源が浪費され、私たちの経済と精神の自由が束縛されてしまうのです。」とする指摘は、今回の選挙前こそ重要な意味を持つだろう。
 というのも民主党は官僚制打破を謳いながらも、年金については民間移譲から国家に戻すうえにモラルハザードの構造をもった職員構成の温存になる。これは小さな政府を志向するリバタリアンがもっとも嫌うところだ。医療面はよくわからないが、教育については民主党の政策は文科省主導から地域主導に変わるが、リバタリアンとしては地域に変わろうが地方政治の教育の介入は嫌う。FTA代償という意味合いを転じた純粋な農家へのバラマキもリバタリアンが嫌うところだ。これら民主党政策の大半に大きな政府を志向する「クニガキチント」の誤りが含まれているが、なぜか外交・軍事では「クニガキチント」の誤りもない反面無策になっている。リバタリアンはむしろ最小政府に外交と軍事を委託することはやむを得ないと考えるのに。
 しかし、こうした反リバタリアニズムとしての民主党が明瞭になるのは、近年のことであり、本書を再読することで、その変遷または本質が理解できる。

 前述の日本経済新聞の芹川編集委員は、二〇〇五年九月二一日の論説「大機小機」において、民主党は前原代表の下で自民党以上に小さな政府を目指すことによって、その将来が開けるという見解を示しました。これは前原氏以上に小さな政府を掲げる小沢代表に当てはまるものです。

 2007年時点では、小沢氏を小さな政府を掲げる政治家として理解する人々がいた。私もそのように理解してきたものだった。
 これに対して、自民党では小さな政府を志向する小泉政権後に、大きな政府への揺り戻しが起きた。

 そもそも自民党には、大きな政府を志向する利権政治にどっぷりつかった古参議員も多く、彼らは小泉前首相の目指した小さな政府に対して、内心では反感を持っているはずです。二〇〇六年九月に政権を引き継いだ安倍晋三首相は、郵政民営化反対を唱えて二〇〇五年の衆院選挙で自民党から追い出された議員たちの多くを復党させました。彼らは、古巣の自民党に戻って、反動政治はさらに強固なものになるでしょう。

 実際そのように展開した。
 郵政民営化反対で解任させられた鳩山邦夫元総務相も、内実は麻生首相と同じだった。自民党内部でリバタリアニズム的な政策への反動が起こり、自民党はリバタリアニズム政党としては残骸となってしまった。
 こうした自民党の反動に対して。

 これに対して、芹川編集委員の意見は、民主党がリバタリアンな政府、つまり小さな政府を目指すべきだということになります。民主党が自民党よりもさらに小さな政府を目指すことになれば、利権政治と大きな政府を目指す自民党との対立軸がはっきりして、民主党の将来が開けるというのです。

 逆になった。
 民主党の将来は開けたが、それは大きな政府を志向するものとなった。しかも、「前原氏以上に小さな政府を掲げる小沢代表」が、大きな政府志向の線路を敷いたように見える。どうしたことなだろうか。
 著者蔵氏は、芹川日経編集委員の意見に賛同しながらも、この時点で民主党がリバタリアン政党はならないことを的確に予言していた。

 しかし、そのようにことがうまく運ぶのかについては、二つの疑問があると思います。
 まず第一の疑問は、はたして今後の民主党が小沢代表のもとで、小さな政府を標榜して一致団結することができるのか、というものです。いいかえれば、前原代表が偽メール問題で退陣し、国民の党への信頼が危機的な状況にある中で、本当に民主党がリバタリアンな政策にコミットすることができるのかという疑問だと言えるでしょう。
 そもそも民主党は社会民主党や新党さきがけのメンバーでもあった鳩山由紀夫や管直人を中心として一九九六年に結成された政党です。議員の中には旧自由党であった小沢一郎から旧社会党であった横路孝弘まで、さまざまな考え方の人がいるのです。
 彼らに共通する政治理念は全く存在しないといえるでしょう。旧自由党はたしかに自民党よりも小さな政府を標榜していました。しかしその反対に、旧社会党は明らかに政府による所得配分など大きな政府を求めていたのです。

 蔵氏は2005年時点の民主党のマニフェストを見て、大きな政府志向であることを指摘する。結局のところ、小さな政府を志向した旧自由党の小沢氏が、党内政治のために旧社会党的な大きな政府に折れたと見てよいだろうし、今日の民主党はかつての小沢路線とぎくしゃくしている(FTA問題やISAF問題など)ことも関連するだろう。
 さらに状況を複雑にしているのは、自民党側の問題だ。蔵氏はこう指摘する。

 第二の疑問は、はたして二〇〇五年の選挙で自民党が勝ったのは小泉前首相がリバタリアンな政策を公約に揚げたからなのか、というものです。言い換えるなら、小泉前首相の個人的な人気が自民党の大勝を生んだのであって、国民は別にリバタリアンな小さな政府など求めていなかったのではないのか、という疑問が残っているのです。

 蔵氏は世論調査などから、前回の衆院選挙をリバタリアニズムの志向から分離する。
 以上の蔵氏の考察だが、2点のテーマにまとめられるだろう。(1)小沢一郎氏はかつてはリバタリアン的な政治家であったが民主党体制のために変質した、(2)小泉政権は結果的にリバタリアン的な政策を実施したが、その支持はリバタリアン的なものではなかった。
 2点から、国民には反リバタリアニズムとして、「クニガキチント」の志向が底流にあったとも言えるだろう。
 このテーマには前史がある。蔵氏は、小沢氏を軸に考察しているのではないが、極めて示唆的な指摘がある。小泉政権登場以前の自民党という問題だ。

 前述したように、自民党は、一九七〇年代の田中角栄首相の時代に、都市部から吸い上げた金を農村部に回すことによる、「列島大改造」をくわだてました。都市から集めた税金によって、地方にも発展の資金を均霑し、日本全国の「均衡の取れた」発展を目指していたということができるでしょう。


 ロッキード事件の後においても、この分配ばら撒き型の政治は続きました。田名角栄の後継者として田中派を継承した竹下登首相は、「ふるさと創生」運動として各地方自治体に対して一律に一億円をばら撒くという愚行に出ているのです。
 こういった農村政党としての流れが、自民党内の郵政民営化反対路線に続いていたのだといえるでしょう。民営化を憂えていたのは、いうまでもなく過疎地の人びとだからです。それを「ぶっ潰した」のが小泉純一郎です。

 蔵氏はリバタリアニズムの視点からのみ見て、この政治史にそれ以上の考察を加えない。以下、書評的な枠を越える。
 田中角栄氏の直系として竹下登氏を見るなら、田中-竹下に根を持つ経世会の流れに小沢一郎氏もいる。さらに農村バラマキの手法は、今日の民主党の政策に完全に一致する。
 田中-竹下に根を持つ経世会が小泉改革という名のもとに自民党で弱体化された後、民主党内で復活した経世会が現民主党なのではないか。この完成を象徴するのが田中角栄氏の娘田中真紀子の民主党合流だろう。加えて言うなら、津島雄二氏の引退も象徴的だった。
 さらに蔵氏は指摘していないが、田中角栄氏こそ、官僚主義を打破し、政治主導を確立しようとした最初の政治家もあり、小沢氏の理念はその師匠である田中氏を継いでいる。
 小沢一郎氏の今日の反リバタリアニズムは、政権交代のためならファウストにもならんとすることなのか、もともと小沢氏には小さい政府への志向がなかったのか。おそらく結論は、小沢氏をリバタリアニズムの視点から見ること自体が間違いだというつまらぬことになるだろう。そしてその間違いは、私自身が蔵氏ほどにリバタリアンたりえない矛盾と調和している。
 私は自身の矛盾を抱えながら、田中角栄氏の農本主義の亡霊が左派を飲み込む光景を見ている。その感じは「極東ブログ:[書評]「はだかの王様」の経済学(松尾匡)」(参照)での該当書著者松尾匡氏が最近述べられた印象に近い。「09年8月3日 初めてのデフレ問題講演」(参照)より。

だいたい、一番景気刺激効果がありそうなのが現政府・自民党の政策だし。いやそのとき言ったのですが、「構造改革」を「戦争」になぞらえれば、麻生さんの大型財政政策って、かつての戦争指導者が戦後急に平和の使徒面して親米民主主義者になったことに似ています。何の反省もなく「自分は本当は戦争に反対だったんだ」とか言って(実際、「本当は郵政民営化反対だった」って発言もありましたけど)。それで、それがけしからんから懲らしめてやろうと思って、野党に入れようとしたら、野党がみんな「皇国史観」を唱えていたっていうような、そんなたとえが通りそうな状態です。

|

« 民主党公約、高速道路の無料化案について | トップページ | [書評]自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門(森村進) »

「書評」カテゴリの記事

コメント

竹中登→×
竹下登では?

投稿: | 2009.08.20 16:55

誤字ご指摘ありがとうございます。修正しました。

投稿: finalvent | 2009.08.20 17:20

>もともと小沢氏には小さい政府への志向がなかったのか。

小沢一郎が小さな政府を志向したことは一度もありませんが???
小さな政府を志向しているふりをしたことはあります。
それはアホなマスコミや人でなしのエコノミストたちを騙して抱き込めると思ったからです。
バカをだまして支持者に変える小沢の得意技ですから。

で、リバタリアンね。
ここまでくると与太話としか思えませんね。

投稿: 田舎から | 2009.08.20 22:05

 カス&残りカスの争いですか?

 あと。リバタリアニズムに徹し切ると、それって帝政なんで。古代ローマ帝国への憧憬強すぎんか? って気も。

 学のある人ってのは、何でか知らんがローマ的なものを欲しますな。別に駄目とは言わんけど、じゃあなんでローマ帝国は滅びたの? どうして類似帝国が再興しないの? って方向にも、話が進みますわな。

 なんででしょうかね?

投稿: 野ぐそ | 2009.08.20 22:35

共産主義者とか、リバタリアンとか一つの社会的思想を信奉する人からみると、小沢一郎が変節しているように批判しますが、私に言わせると、そのようなガリガリの教条主義者の思想自体が間違いだと思います。

小沢一郎の思想は「プラグマティスト」です。彼は現実に見えるものしか信じません。どのような政治的理想を周りから吹き込まれても、現実はそのように動かないと判断すると絶対に動きません。逆に自分が動いた結果が間違いだと判断するとこれまでの政治思想を弊履のように脱ぎ捨てます。

私には、彼は政権をとったらどういう政治をしたいかと理想論は今は全く持っていないのではないかとしか思えません。彼の本当のやりたいことは選挙に勝つという、本当に実務的な仕事、言ってしまえば陸軍の指揮官ような実務的な仕事であって、外交などの交渉的事柄は興味も能力もそんなにないように見えます。そして、そのような戦場こそ、理想論など一顧だにしない「プラグマティスト」たちが切った張ったを遣り合っている場所なのですよ。

投稿: F.Nakajima | 2009.08.21 00:12

リバタリアンは憧れるけど生き辛いだろうな・・・
ある意味、昔の狩猟民に憧れるのと似ている自立のロマン
社会が荒廃して一番強いのが自由競争に弱い農家ってのも皮肉

投稿: メル | 2009.08.21 03:16

社会の前提が学歴社会で、官僚と国家資格取得者に一流大学卒が多くて、大企業がいままで官民協調、業界協調で、かつ大企業社長たちも一流大学卒の高学歴者たちというのでは、どんなにリバタリアニズムを主張しても、日本ではまず不可能だろうと思います。

正直言って、大学の講義や演習や実習なんて、社会から遊離した話ばかりが多いのだから、いいかげん、学歴偏重を社会が改めるべきです。政府を大きくするとか小さくするとかより、高学歴の官僚の社会的意味を無力化するのが、おそらく先決。

投稿: enneagram | 2009.08.21 06:27

イギリスびいきの小沢さんは、民・自合併直後にイギリスに視察したとき、
サッチャリズムの弊害を目の当たりにして、新自由主義から方向転換したらしいっぽ
民主党の諸政策が笑っちゃうくらい「第三の道」なのもむべなるかな

投稿: usa_chan | 2009.08.21 14:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: [書評]リバタリアン宣言(蔵研也):

« 民主党公約、高速道路の無料化案について | トップページ | [書評]自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門(森村進) »