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2009.08.31

God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret

 衆院選が終わった。事前にマスコミが想定したとおり民主党の地滑り的な圧勝となり、政権交代が実現する。自民党は大敗した。国民選択の結果である。それがもたらす成果も国民が享受していくことになる。日本国憲法に書かれているように(そう書かれているのを知ってましたか?)、民主主義とはそのような制度だという以上はない。個人的には、二大政党による政権交代を目指し、自民党を割って出た小沢一郎氏を長期にわたり、それなりに共感をもって追ってきたので、達成の日を見ることには感慨がある。が、政治とは所詮妥協の産物であるとはいえ、ここまで大きなを国家を志向する政府の実現を素直に喜ぶこともむずかしい。
 私は前回の小泉郵政選挙を支持した。いわゆる小泉改革も、それが小さな政府を志向している面において支持した。その後の自民党政権は、小さな政府志向から逸脱し、しかも年ごとに入れ替わる短期政権でもあり、期待感は失せた。麻生政権ができたときも私はそれほどの関心はなかったが、その後、罵声のなかで、いわば負け戦に挑む姿を見て、自然に判官贔屓の思いは増してきた(罵声を浴びるブロガーだからかな)。自民党を支持するものでもないし、麻生政権の方針を支持するものでもないが、麻生さんという人には好意を持つようになった。そして、実質その最後の仕事となる、敗軍の将の言葉を昨晩は待っていた。待った甲斐があった。
 表向きの敗北宣言は現在、NHKのユーチューブチャネル「動画 衆院選・みるきく選挙 自民・麻生総裁の会見」(参照)に掲載されているが、これ続いてNHKの質疑応答があった。その部分は、まったく報道されないわけではないのだが、オリジナルと違うので、私が感銘を受けた部分を書き起こしてみた。


NHK 麻生総理、民主党を中心とする新政権にはどのようなことを望みますか。
麻生 マニフェストにいろいろ謳われておられますんで、そのマニフェストを実現して行かれるということだと存じますが、いずれにしても国際金融を含めてきびしいものがいくつも我々を取り巻いております。そういったものに関して、きっちり対応していただける民主党の勝利というものを祝福と申し上げると同時に期待も申し上げております。

 その言葉をリアルタイムに聞いていて、はっとした。自分を負かした相手の勝利を褒め称える政治家というのは、日本にいただろうかと即座に思った。いたかもしれない。が、私の記憶にはない。米国大統領選挙では、負けた候補は相手の勝利を称える。なかば制度になっているに過ぎないともいえるが、勝者を称えることで敗者の品位が保たれる。麻生さんは、スポーツマンであったからかもしれないが、それが普通にできる政治家であったのだなと私は感銘を受けた。
 もう一つ、はっとしたのは、「祝福」という言葉だった。「敗者が勝者を祝福する」という表現はそれほど現代日本語として違和感のあるものではないが、麻生さんの「祝福」は、少しぎこちなく「祝福と申し上げる」という文脈で、「祝福」に実体的な重さを感じた。あまりこじつけた発想もなんだが、私としては麻生さんのカトリック教徒(キリスト教徒)としての、自然な生き方を感じた。祝福というものの、最終的な起源を普通に神に感じるような生き方がある。
 民主党勝利への祝福発言はこう続いた。

NHK 麻生総理、民主党を中心とする政権には協力をしていくというようなことでよろしんでしょうか。
麻生 我々は常に、お国のためになる、国家・国民の利益になるというように判断すれば当然のこととして賛成をするということは存じますが。

 私の思い込みにすぎないのかもしれないが、ここにもキリスト教徒の心情を感じた。普通に日本語で考えるなら、「お国のためになる」という表現は、戦時下の国家主義を連想して自然だろう。しかし、キリスト教徒は、お国というとき、それが神の国の秩序のこの世の延長のように感じている。いや、すべてのキリスト教徒がそうだというのではない。しかし、ロマ書13章の次の言葉は、西欧型のキリスト教徒にはごく自然な感性になっているものだ。

すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背く者である。背く者は、自分の身に裁きを招く者である。いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れない事を願うのか。それでは善事をするがよい。そうすれば、彼からほめられるであろう。彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである。しかし、もしあなたが悪事をすれば、恐れなければならない。彼はいたずらに剣を帯びているのではない。彼は神の僕であって、悪事を行う者に対しては、怒りをもって報いるからである。

 この言葉は、しばしばキリスト教徒が国家主義になる理由として批判される。悪しき国家に従うことを宗教が覆い隠しているといった類の宗教批判だ。たしかにそういう面もあるが、批判者たちは「彼は、あなたに益を与えるための神の僕なのである」という言葉の意味合いが感受できていない。眼前の王も、皇帝も、キリスト者には、神の奴隷として普通に見える感性というものがある。
 麻生さんの祝福発言の前には、敗因として解散時を見誤ったからではないかという質疑応答があった。この話は今回に限ったものではなく、麻生さんもいつもどおりに答えていた。

NHK 麻生総理、きびしい戦いの中で与党の多くの前議員たちが当選を果たせないという見通しですが、ご自身の解散についての判断については正しかったとお考えですか。
麻生 解散は昨年の11月に直ちにすべしいうご意見は当時からもあったと存じます。しかし私は、少なくともあの段階できわめてきびしい経済情勢に追い込まれた日本にとりましてはまずは国民の暮らしを守る景気対策、経済対策という政策が解散総選挙という政局より優先されるべきだとそう判断をし、おかげさまで四度の予算を通さしていただき、結果としては経済成長率、少なくとも先進国のなかではこの四月六月でプラス3・7パーセントまで行けたということに関しましては政策を政局より優先させたということは間違っていなかったと思っています。

 冷ややかに見れば、麻生さんの采配による経済対策が功を奏するのを国民が理解すれば、選挙に有利になるだろうという計算もあっただろう。そして同じく冷ややかに見るなら、昨年の11月に解散していたら、ここまでの自民党の惨敗はなかっただろう。自民党を守るというなら、その総裁の采配は失敗したとも言えるだろう。
 だが麻生贔屓と化した私は、彼が自民党の存立より、「お国のためになる、国家・国民の利益になる」と見ていたのではないかと思う。無駄遣いを止めますと連呼する民主党に、あの財政出動が出来ただろうか。できなかったのではないか。
 想定されない大被害を論じた、ナシーム・ニコラス・タレブ著「ブラック・スワン」(参照)に報われない英雄の話がある。

 あるところに、勇気と力と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた政治家がいて、二〇〇一年九月一〇日に法律をつくり、即座に全面的に施行したとしよう。この法律よると、飛行機の操縦席には防弾ドアをつけて、ずっと鍵をかけておかないといけない(業績不振の航空会社には大きな負担だ)。テロリストが飛行機で、ニューヨークの世界貿易センタービルに突っ込んだりする万が一を防ぐためである。妄想みたいな話なのはわかっっている。単なる思考実験だ(勇気と知性とヴィジョンと根気を兼ね備えた国会議員なんてものが、この世にいないのもわかっている。思考実験とはそうしたものだ)。航空会社の職員には喜ばれない政策だ。彼らの生活がややこしくなるからである。でも、間違いなく、九・一一は防げただろう。
 操縦席のドアの鍵を閉めさせたその人の銅像が広場に立ったりすることはないし、お葬式の死亡記事でも「九・一一のテロを防いだジョー・スミス、肝臓病の合併症で亡くなる」なんて書いてもらえることはない。彼の政策が行きすぎで、資源の無駄遣いだと思った人たちが、航空会社のバイロットの助けを借りて、彼を引きずり下ろすかもしれない。vox clamantis in deserto(荒野で呼ばわる者の声)というやつだ。彼は失意のままで引退し、自分は負け犬だと思い込んでしまう。

 飛行機の操縦席に防弾ドアを設置した政治家はいなかったが、日本国の経済をどん底に落とすことを防いだ政治家はいたかもしれない。
 God Bless You, Mr. Aso!

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2009.08.29

米人元民主党立法スタッフのすばらしきご助言

 明日の衆院選挙でたぶん民主党が圧勝するのだろう。自民党にはジンプーもなく怪文書の甲斐もなく命運尽きたか。あるいは単に安倍総理から続く今年の総理だとすると、11年度はあれだ、姫たちの戦国。いや新興宗教に借りを作るのはちとまずかったのではないかな。
 渦中、西欧仕込みの鳩山代表の「友愛」(参照)が西欧社会に愉快な反応(参照)を広げているようだが、その類で日本観察ブログ(Observing Japan)のトバイアス・ハリス(Tobias Harris)さんの「Hatoyama in the New York Times(ニューヨークタイムズ紙での鳩山)」(参照)の指摘も面白かった。鳩山代表が米国オバマ大領と膝詰め談判すれば普天間基地問題や核持ち込み問題もなんとかなると思っているという文脈で。


Does the DPJ not realize how much it has lucked out in the transition from the Bush administration to the Obama administration? The latter has exhibited an openness to the possibility of a DPJ government and not overreacted at, say, Ozawa Ichiro's remarks on the US military presence even as most of the Japan policy community piled on Ozawa for his alleged anti-Americanism.

日本民主党は、米国ブッシュ政権(共和党)からオバマ政権(民主党)の移行期で運がよかったことをわかってないんじゃないか。後者(オバマ政権)は民主党政権誕生の可能性に対して寛大さを示していて、在日米軍基地についての小沢一郎の発言とかいったものに、過剰反応はしてこなかった。反米主義を抱いている疑いありとして、対日政策立案者の大方の耳目が小沢に集まったにもかかわらずだ。

Does the DPJ not realize just how skeptical many Americans are of the DPJ, and that there is a difference between being Washington's lackey and showing a degree of courtesy by, say, not having the party leader's incoherent opinions about "fraternity" and US-led globalization splashed across the pages of the New York Times?

日本民主党は、多数の米国人が同党にどれほど懐疑的なのかを理解していないし、米政府におべっかを使うことと、所定の儀礼を示すことの違いもわかっていない。つまり、一党の指導者たるものは、ニューヨークタイムズ紙に支離滅裂な「友愛」だの米国主導のグローバリズムなどと書き散らすものではないのだ。


 失言レベルでいうと、どうでもいいような「金がねぇで結婚はしねぇ方がいい」騒ぎと比べものにならないところが、鳩山代表のぶっ飛び度でもあるのだろうが、幸い日本のジャーナリズムのレベルではあまりひっかからない。
 米人の本音っぽいのでもうちょっとこの先を続けると。

Earlier this week I suggested that the DPJ's leaders should not talk so much about a sensitive matter like the alliance before the party actually takes power and forms a government. This episode, I think, qualifies as talking too much.

今週の頭に、私は民主党の指導者達に、政権獲得・政府設立前なのだから、日米同盟といった微妙な話はするなと助言した。この話も、思うに、しゃべりすぎと言えるだろう。

I hope that someone senior in the DPJ will be meeting as soon as possible with newly arrived Ambassador John Roos to put Hatoyama's remarks in proper context.

鳩山の発言が適切な文脈に乗るよう、日本民主党幹部は、できるだけ早急に新任のジョン・ルース大使に面会することを望む。

Meanwhile, I am no less convinced that Hatoyama as prime minister will be the single greatest weakness of a DPJ government.

この間、私は、首相としての鳩山は民主党政権の最大の弱点なのではないかと確信を深めた。


 失念した失言多すぎ鳩山代表という以前に、本質的な失言マンなんじゃないか、やばいぞこれということだが、でも、特にビックリしないだろう、日本人なら。それでも、鳩山首相を望んでいるんだから、日本人の雅量と言うべき。
 ところで、ハリスさんの口調だが、どうも上から目線を感じる。なんでそんなに日本の民主党にでかい面、じゃないや、助言したりするのだろうか。っていうか、助言通りに、民主党幹部はあまりしゃべらなくなっているわけだが。
 その答えは、いや既知の人もいるだろうけど、彼は元民主党立法スタッフ(former DPJ legislative staffer)でもあったからだ。ブログ以外にウォールストリート・ジャーナルにも、民主党政権について寄稿している。ナオミ・フィンク(Naomi Fink)氏と共同執筆の「The DPJ's Domestic Challenge(日本民主党の内政課題)」(参照)がそれだ。
 話は、日本人はさすがに自民党政治に飽きたよね、と切り出され、さて今後の民主党政権だが、自民党への反発が過ぎれば、重要なのは経済政策だよね、と始まり、経済成長だよねと展開していく。えっ? 民主党に経済成長の政策なんてあるのか? いやそこはハリスさんたちもわかってないわけではない。

Despite its ideological commitment to reducing waste and raising the effectiveness of the cabinet, the party's greatest weakness - acknowledged by some party members - is the lack of a credible economic and fiscal-policy program that marries short-term stimulus programs with a medium-term vision for Japanese capitalism. At times it seems that party leaders treat "growth" as a dirty word.

民主党がそのイデオロギーの手前、無駄を減らし、行政の効率を上げると言うにもかかわらず、その最大の弱点は、民主党員も理解している人はいるのだが、信頼できる経済・財政政策の不在だ。短期的な経済刺激策も中期的な日本資本主義の展望もない。折りに触れて、民主党の指導者達は、「成長」を禁止用語にしている。


 他にも無駄な公共事業を止める("So far, the only concrete cut the DPJ has specified has been the cancellation of some public works projects.")というくらいなものだ。
 そこで、日本民主党の法律立案助言者として、繰り出す政策が面白い。最初が、企業課税。

Instead of a consumption tax, the DPJ could offer a plan to broaden the corporate tax base. According to the OECD, only half of large Japanese corporations pay taxes, and only one-third of Japanese firms overall. Widening the tax base while at the same time lowering the tax rate would leave the government less exposed to the business cycles of large companies.

消費税の代わりに、民主党が立案できるのは、企業課税の拡張である。OECDによると、日本の大企業の半数は税金を払っていない。払っているのは、全体の三分の一に留まる。企業課税範囲を広め同時に課税標準を下げるなら、政府は大企業の景気循環に晒されないですむ。


 昨日の「極東ブログ:「日本よ、キリギリスになれ」の前提がわからない」(参照)のタスカ氏と似たような発想なわけだ。とはいえ、日本企業の現状を知る日本人としてはちょっと、言葉に詰まるものがあるが、入れ知恵された民主党はどう出てくるだろう。
 この先が傑作。

Perhaps most importantly, the DPJ should continue with broader-based reforms. One specific way would be to reverse plans to delay the privatization of Japan Post, currently set for an initial public offering in 2010.

たぶん一番重要なのは、広範囲な改革を継続することだ。特定事例では、2010年に初回の新規株式公開が行われる予定の日本郵政の民営化だが、その遅滞案を変更することだ。

The benefits of privatization would run far beyond the initial influx of cash to the government's balance sheet provided by the public offering.

民営化の利益は、政府のバランスシートに入る公募の初期流入金を越えるだろう。

These include greater tax revenues from a profitable private entity, anti-deflationary support for asset markets (as happened with the NTT and Japan Rail privatizations in the 1980s), and the ensuing boost to household investment income.

これには、利益の上がる民間企業からの税収の増加や、1980年代の電電公社や国鉄売却と同様の資産市場へのデフレ阻止支援、さらには、家計部門の投資収入の増加が含まれる。

Moreover, more competitive postal savings and insurance companies could spur greater competition in the wider financial sector, creating opportunities for private-sector asset managers.

さらに、広範な経済分野で、郵貯や簡保に競合する企業が競争し、民間部門の資産管理者の機会を創出するだろう。


 面白い。民主党政権で、いけいけ、小泉改革! ってか。

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2009.08.27

「日本よ、キリギリスになれ」の前提がわからない

 ピーター・タスカさんの時事コラムは共感して読むことが多いのだが、日本版ニューズウィーク9・2に掲載された「日本よ、キリギリスになれ」は、奇妙な違和感が残った。タスカさんってこういう考えの人だったっけ。
 標題の「日本よ、キリギリスになれ」は、イソップ寓話の「アリとキリギリス」の連想から、アリ型貯蓄志向の日本とドイツに、キリギリス型消費志向のアメリカやイギリスを対比させ、現下の世界的景気後退では、キリギリス型の消費志向が望ましく、アリ型貯蓄志向の日本とドイツは経済的なダメージを受けるという話だ。リードも「いま必要なのは『アリ型』を捨てる新たな国家戦略だ」となっている。英語の標題は「The Penalty for Saving (貯蓄の罰)」とより直裁だ。
 日本経済の活性に必要なのは、内需だ、というよくある話なのだが、これが民主党政権への期待に結びつけられている展開になって、え?と驚いた。タスカさん、民主党に経済発展の期待をしていたの?、まさか、いつもの悪いジョークでしょ? と思ったが、そうでもない。けっこうマジっぽい。
 そんなことあるんだろうか。民主党政権だよ。現状公開されている公約を見ても、重税で日本経済ボロボロにするとしか想定できないのだが……いやいや、そういうときこそ、多様な意見を聞くべきだな。
 とはいえ、民主党政権のバラマキによって内需が喚起させられるというベタな展開はないよね、と思って読み進めると、ベタ。


 民主党は出生率を上げるために子供1人当たり月額2万6000円の手当を支給する公約を発表した(フランスではこうした政策が功を奏し出生率の高さはヨーロッパで1位になった)。これは良案だ。長期的には高齢化が住宅価格と一般的な経済的信頼感の行方に悪影響を及ぼしているからだ。

 私もこの民主党のバラマキ案には賛成だが、それほどには出生率の向上にはつながらないだろうと思う。平均的な収入の若者夫婦を想定し、30万円づつ年収で区切って見て、その区切りに子供の数が対応する、とまでシンプルな話ではないにせよ、30万円ほど収入アップしても子供の数には大した影響はないだろう。
 それに、「金がねぇで結婚はしねぇ方がいい」を一生懸命批判する人たちだったとて、バイト同士で結婚して子供ができて夫婦合わせて年収400万円なんとかという場合、民主党政権下では国民年金だけで年間60万円しょっぴかれるんだよ。収入アップじゃなくて、逆になるとしか思えないのだが。
 という以前に、少子化のネックはカネの問題というよりも、ネックになっているのは、育児補助全体の体制の不備だろうと思うが。あと、「高齢化が住宅価格と一般的な経済的信頼感の行方に悪影響」というのと、子供手当の関係はよくわからない。
 どうしちゃったんだろ、タスカさん、というのが率直な気持ちなのだが、民主党への期待を述べたところで唸ってしまった。結論からいうと、正しい期待だと思うのだけど。

 次期政権の課題は多い。まず日本銀行を味方に付けてインフレ目標を設定し、金融緩和を行わなければならない。

 いやまったくそう思う。そう目立ったインタゲなくてもいい、2%でいいんじゃないかとリフレ派でもない私は控え目に思うのだが、その政策を掲げる政党が皆無。ラーメン食いたいのにイタリアンレストランのテーブルに座らされている感じだ。どうでもいいよ、この衆院選挙という感じをぐっと抑えるのだけど、タスカさん、それが可能だと思っているのだろうか。
 あるいは、マイルドインタゲの意識を持つ市民が根気よく民主党に問い掛けるべきだろうか。それは、もう、あれ、日銀総裁選びの民主党の振る舞いといった過去の話はすっかり水に流して……。
 もう一点も賛成なのだが。

また2%未満の国債利回りが長年示してきた事実、つまり財政赤字は民間貯蓄で相殺されるから問題にはならないという点を国民に訴えるべきだ。

 そう思う。ただ、ちょっと懸念もあるにはある。でも、大筋でそう思う。ところが、この話、民主党鳩山代表はまるでわかってないようなのだ。日経新聞「民主・鳩山氏、新規国債「増やさない」」(参照)で、民主党政権では、補正予算を含めて44兆円超に膨らんだ新規国債発行額を、今年度より削減するらしい。ダメだよ、全然、お話にならない。せめてリーマンショック以降、麻生総理が持ちこたえて財政政策して、政権交代ギャンブルもいいかな、なんてようやく暢気なことが言えるご時世になったというのに。
 なんくせ付けているみたいだが、一番考えこんだのは、でもそんな話ではなかった。こんな話だ。民主党政権に対して。

 税負担の比重を不況の一番の犠牲者である一般家庭から企業に移し、信頼性の高いセーフティーネットを用意して国民の生活不安に対応する仕事も待っている。

 セーフティーネットはそうだと思うが、企業にもっと課税しろという主張はどうなんだろ。いや欧州と比較するとそうかもしれないとわからないでもないし、どっかの本物の野党も永遠に主張しそうなことなんだが、これは現下の日本で正論なんだろうか。もちろん、中小企業ではないだろう。日本の大企業について、もっと課税すべきということなんだろうか。
 と、エントリ書いてみると当初の思惑とは違い、タスカさんのこの意見でもよいのかも知れないなという気になってきたので、おしまい。

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2009.08.26

民主党政権で国民年金の支払いは月額5万円か

 今日になって気がついたのだが、2ちゃんねるのスレッドをコピペした「民主党の財源がわかったよー\(^o^)/」(参照)が話題になっていた。話の切り出しは「民主党、マニフェストの「年金改革」は政権取った4年後に…職業に関係なく、全ての人が収入の15%を納付する形」ということで、典型的な反応としてはこんなのがある。


31 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/08/25(火) 12:20:07 ID:q5sl53LR0
年収400万の人だと、年60万
ボーナス無しで月5万円の負担

現行だと、月に5万も払う人は最高等級の620とかだよな
日本終わったwww


 そう言われるときついなという感覚はある。私も迂闊にも、あれ?と思ったことがあった。「極東ブログ:フィナンシャルタイムズ紙の民主党政権観」(参照)で「バカヤロー経済学」(参照)に言及し、「イメージとしては現状の社会保険料が二倍弱くらいになるということかと思う。払わない人が多いと言われている国民年金だと月額3万円くらいになるのではないか」と書いたが、二倍じゃなくて三倍の月額5万円のようだ。
 もっとも民主党案では年収比によるので、年収400万円だと月額5万円ということで、年収600万円だと月額7万5000円にアップする。年収300万円や200万円だとどうだろうか、という以前にそのラインになるとけっこう貧困層に近くなり、そのあたりでようやく現状の倍くらいか。重税感というより現状の国民年金の納付にすら問題があるのに可能なんだろうか、現実離れしているような感じが改めてした。
 2ちゃんねるの話題の元は共同「民主、13年通常国会で年金改革 政権獲得後へ方針」(参照)らしい。

 民主党は現行制度を抜本的に改め、職業に関係なくすべての人が同じ制度に加入する「一元化」を目指す。収入の15%の保険料を納付し、将来はそれに見合った額を受給する「所得比例年金」に「最低保障年金」を組み合わせる構想だ。

 この話は今になって出てきたものではない。が、マニフェストに明記されていたわけでもなかった。

 民主党は20日、衆院選で政権獲得した場合にはマニフェスト(政権公約)で掲げた公的年金制度改革を実行するため、2013年の通常国会に関連法案を提出し、成立を図る方向で調整に入った。改革に先立ち11年度までは年金記録問題の解決へ向けた対応を優先。新制度への移行は14年度以降となる。改革案の柱は消費税を財源とする月7万円の「最低保障年金」創設で、法案提出までに消費税率引き上げの論議が起こることは必至だ。

 実際のところこの新制度が始まるのは14年以降ということなので、そのころまで民主党政権が続くのか、率直にいうと疑問でもあるが、逆にいえばうまく国民を説得するための期間ということでもあるのだろう。また制度としての移行には40年くらいかかるから、少子化で日本の人口や国力が現在の半分くらいに縮退してのことでもあるだろう。
 話を話題のスレッドに戻すと、こんな疑問があった。

270 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2009/08/25(火) 12:37:38 ID:XkupdSTwO
恥ずかしい話だが、現在基本給16万。
今は厚生年金等を払って手取り14万だが、この話が通るといくらになるんだ?
教えてエロい人。

 実際にどうなるのかわからないが、民主党案で「一元化」するといっても、企業労働者の場合は労使折半があり、半分は企業が負担する。そのポジションからすると、民主党案の15%はむしろ緩和になる。つまり15%は現行の厚生年金とほぼ同で、むしろ現行ママだと厚生年金の保険料は将来的に18%にまで上がる予定なので、企業労働者というかサラリーマンにとっては民主党案のほうが負担が少ない。
 問題は、一応前提にされている「労使折半」なのだが、疑問がないわけでもない。先サイトのコメントより、ちと長いが。

 現行でも厚生年金の保険料率は実質14%弱、最終的には18%程度まで引き上げられるが労使折半により労働者の負担はこの半分である。
 民主のまにへすとには同一収入同一負担とあるから現在約1万5000円一律負担の国民年金が跳ね上がるのは間違いないなく自営業者にとってはかなりの負担になるだろう、それに前述の厚生年金の労使折半部分が不明のまなである。
 ともすれば企業側の支持を得るため事業主側の保険負担を解消し労働者の源泉より回収することもありえる話だ。
 社保庁と国税庁の統合でコストダウンと従来の税金と保険料の一律徴収により納付率100%を目指すそうだが、日本年金機構への移管が進められている最中の制度変更による無駄な出費と自治労のいいなりである民主にコストカットを期待する方が無理というもの。
 それに加え一円も税金を納めてないホームレスや年金支払いを拒否している在日も65歳になった途端に7~8万+αの現金が貰えるようにになるのも不公平感は拭えない。
 民主の候補者を見かけたら年金保険料の負担増の可能性について質問するのもいいかも、多分答えられないから。
        No.70936 | 2009-08-25 19:49

 労使折半自体はあるだろうから、サラリーマンにはさして関係ない話と言えるかなのだが、この先、私がよくわかってないのだが、民主党の「一元化」は、現行の世帯ベースではなく、個人ベースになるはずというのが気になる。つまり、専業主婦の場合、原理的には旦那の収入は夫婦で稼いだことになるので、夫婦二人分を支払うことになるのだが、そうなると企業としては専業主婦分の労使折半もするのだろうか。
 なんだかとてつもなく基本的なところで私は民主党案を理解していないようにも思うが、夫婦を別々の個人として扱う民主党案の基本からすれば、いずれにせよ専業主婦分の支払いが可視化されるはずだが、どうなのだろう。企業にそれだけ家庭を保護するほどのインセンティブが与えられるのだろうか。
 ついでにいうと、専業主婦分も労使折半の対象になると、失職して国民年金に移った場合の納付額の変化はかなりきついのはずだ。というかこのあたり、労使折半をやめてその分、賃金を上げてということはないのだろうか。まあ、わからんな。
 関連して民主党案の他面である最低保障年金だが、2007年の参院選では所得が1200万円を上限として600万円から減額するとのことだったが、現状の民主党案では不明になってきた。よくわからないのだが、消費税を年金に充てるというとき、その徴収の再配分の対象になる人々はかなり低所得者になるのだろう。年金の名を借りた、再配分制度だろう。
 リバタリアン的に考えると、年金はすべて任意で民営化し、国は生活保障を厚くすればよい。民主党案の最低保障年金はその保障に近いように見える、というか、これって年金の問題というより、実質は税の問題なんだろう……が、ふと思い出したが、最低保障年金は、所得比例年金の保険料未納者には支給しない方針らしいので、やはり税とは違うのだろう。

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2009.08.24

フィナンシャルタイムズ曰く、こりゃギャンブル

 海外紙だからだろうか、フィナンシャルタイムズはけっこう辛辣に日本の政党の評価をすることがある。的が外れていることもあるが、外れていても、はっきり言ってくれるほうがわかりやすいものだ。日本の新聞はというと、それはちょっとどうかなという世論調査とか、それって煽ってないかなみたいな記事を掲載するわりには、中立が建前なのか、選挙に際しては政党の評価はついどっちもどっちみたいなオチになりがち。たぶん、本当のオチについては空気を読めということなんだろう。
 23日付けフィナンシャルタイムズ社説「Japan’s voters should take a risk」(参照)は、今回の政権交代選挙に至る日本の戦後政治史をごく簡素にまとめ、では今後の民主党政権はどうかと問うていくのだが、前提は、日本は少し変化というものがあっていいだろうというものだ。外から見ているとそんな印象を持つのだろう。


Japan needs a shake up. It has become too risk averse. Its politicians lack fresh ideas about how to re-energise the economy, deal with an ageing society, better tap the talent of women, and how to navigate a world in which China is rising but Japan’s debts and passive constitution limit its diplomatic options.

日本は旋風が必要だ。リスク回避の姿勢でいすぎた。日本の政治家は、経済の再活性、高齢化社会の対応、女性職能の活用について斬新な発想が欠落している。借金と他人任せの憲法で外交選択が限定されるなか、中国が台頭する世界と交渉する斬新な発想も欠落している。


 はいはい、ご説ごもっともであります、サー。
 では、鳩山民主党政権はどうかというと、ずばり、ダメ。

Does Yukio Hatoyama’s DPJ have all the answers? In truth, no.

鳩山由紀夫の民主党は日本の問題に解答を持ち合わせているか。正解は、ねーよ。


 なぜ民主党がダメなのか。

The opposition party, a mishmash of LDP defectors, socialists and technocrats, has been pretty woolly.

この野党はというと、自民党脱党者と社会主義者と実務官僚上がりの寄せ集めで、とても雑然としている。

On foreign policy, it has vacillated badly, unnerving Washington.

外交政策について言えば、手ひどく動揺してきたので、米国政府が狼狽している。

On the economy, it is promising lots of spending (not too long ago it was the party of fiscal rectitude) without demonstrating convincingly where the cash will come from.

経済政策について言えば、少し前までは清貧な政党であったのに、過大な支出を公約している。一体全体そのカネはどこから出てくるのかきちんと説明もしていない。

It has good instincts on making the bureaucracy more accountable, releasing pent-up consumer spending and addressing problems in the labour market. But some of its proposals smack of old-style LDP intervention and subsidies, aimed more at securing voter loyalty than economic efficiency.

民主党は官僚に責任を持たせるセンスはあり、鬱屈した消費者の支出を促し、労働問題にも取り組んでいる。とはいえその提案は多分に、昔ながらの自民党風の政策や補助であり、経済の活性化というより、得票を狙ったものだ。


 じゃあ、どうしろと。
 そこで、英国風に教えてくださるのが、ギャンブル。

Some vagueness and empty promises are inevitable in an opposition whose first priority is to get elected. Power could yet distil its thinking.

政権を奪取を最優先する野党なら、公約が曖昧だったり空疎であってもしかたがない。権力さえ獲得すれば思いもまとまるだろう。

Japan’s risk-averse voters, who have closed their eyes and returned the venerable LDP to office time and again, should for once kick their conservative habits.

日本の危機回避を願う投票者は、これまで多少のことには目をつぶり何度も自民党に政権を任せてきたが、ここは一発、因襲を蹴っ飛ばしてはどうかな。

This time, they should take a gamble.

今回ばかりは、ギャンブル、やってみ。


 で、いいのか?
 と思うが、今となってはそれ以外に何か?
 昨日のニュースだったか、鳩山民主党代表はこのギャンブルを楽しめるようにアナウンスしていた。日経新聞「民主・鳩山氏、新規国債「増やさない」」(参照)より。

 民主党の鳩山由紀夫代表は23日のテレビ朝日番組で、2010年度の国債発行額に関し「増やさない。増やしたら国家が持たない」と述べた。衆院選後に政権を獲得した場合、補正予算を含めて44兆円超に膨らんだ新規国債発行額を、今年度より削減する考えを示した発言だ。

 各国が財政政策を活かすよう協調しているさなか、さすがな政策というか。これを聞いて、麻生政権成立時に麻生さんが政権投げ出さないでよかったと思った。いや、もう、そういう心配しなくても、いいんだ。ギャンブル!

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2009.08.23

[書評]Shall we ダンス?(周防正行)

 先日NHK「ワンダー×ワンダー」という枠だったと思うが、「シャル・ウィ・“ラスト” ダンス?」という番組を見た。バレリーナの草刈民代さんの最終引退公演「エスプリ~ローラン・プティの世界~」までのドキュメンタリーという仕立てで、それを見守る夫の周防正行さんもよく描かれていた。そういえば、二人の馴れ初めともなった1996年(平成8年)の映画「Shall We ダンス?」(参照)を見過ごしていたと思い出し、この機に見ることにした。私が沖縄に出奔した翌々年のことだ。その前には私は池袋駅の圏内に住んでいたこともあり、映画に出てくる江古田あたりのあの時代の風景が妙に懐かしかった。

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Shall We ダンス?
 話は、さえない会社の経理畑の42歳サラリーマン杉山正平が、通勤電車の窓からたまたま見かけた、ダンス教室の窓に佇む美女岸川舞に、心を奪われ、彼女に接近するためにダンス教室通いとなり、次第に社交ダンスにのめりこんでいく物語である。杉山は、ローンで郊外にマイホームを購入したばかり。家庭的な妻と中学生になった娘が一人。幸せで凡庸な中年サラリーマンなのに、非日常的ともいえるダンスと若い女性への思いに巻き込まれていく。そこで知り合う人々や妻の疑念などもコミカルに描かれている。
 中年男の内面の危機の物語と見ることもできるし、中年女性からも同様に思える部分があるだろう。普通の中年夫婦の愛情の危機とも取れないことはない。別段難しい映画ではないが、娑婆でまじめに中年を迎えた人ではないとわかりづらい含蓄がある。
 映像的には「ワン・フロム・ザ・ハート」(参照)を連想させるような燦めきがあり、ラストシーンの草刈さんはこの世の人とは思えぬ美しさを湛えている。やはり見ておくべき映画だったなというのと、若い人なら40歳過ぎてもう一度見るとよいかもしれないよと言いたくなるような映画だった。
 この映画に不思議なほどの愛着がわいたのは、ちょうど私の世代に焦点が当てられていることもあるだろう。迂闊にも周防監督は私より随分年上だと思っていたが、1956年生まれで一つ年上だった。ほぼ同年代だ。杉山を演じた役所広司さんも同年生まれ。映画のコメディ要素を引き立てていた竹中直人さんもそうだ。同じポジションの渡辺えり子さんは55年生まれだが、ほぼ同年代と言っていい。杉山の妻役の原日出子さんは59年生まれだが、レンジ内だろう。うぁっ俺の世代の映画だ、と思った。ポスト団塊世代が40歳を迎えるころの心情が滲むのは当然だ。ただし、草刈さんは1965年生まれと世代がずれる。
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Shall We Dance ?
 日本映画「Shall we ダンス?」を元に、2004年にハリウッド版「Shall We Dance ?」(参照)が作成され、興行的にも成功したことは知ってはいた。これも見た。日米の生活文化の差は大きく、べたなリメークは不可能だが、杉山の役どころがリチャード・ギアさんというのはあまりのはまり役だった。他のキャストも日本版とよく似た印象を与える。舞の役どころのジェニファー・ロペスさんは草刈さんとはかなり違う肉感的な存在感があるが、その差異はむしろ上手に活かされていた。妻役のスーザン・サランドンには深みがあった。
 同じ映画を忠実に日本版から英語版にしたとも言えるが、微妙な違いがあり、その微妙な違いは大きな違いだとも言える。日本版では杉山は人生のむなしさと、かつてはむなしくはなかった若い日の初恋のようなときめきに突き動かされていくが、英語版で男が抱えているのは言いしれぬ不幸と愛の不在だった。エンディングも日本版とは違い、友愛が強調されている。私は、どちらかというと英語版のほうが好きになった。
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小説:Shall weダンス?
 その後で小説「Shall we ダンス?(周防正行)」(参照)を読んだ。初版は1996年とのことなので日本版が出てすぐ、監督自身によるノベライズであるとも言える。映画を見てから読むと、ディテールがくっきりとビジュアルに想起され、一種不思議な体験でもあった。
 小説化にあたって終盤を除けば映画との差異はあまりない。文学としてみると、率直に言えば技巧面ではかなり拙い。だが、どうもこの作品を文学的に洗練させようと編集者は考えもしていない。ある種の稚拙さをむしろ強く押し出すことで成功しているようだ。小説のエンディングには、映画と決定的な差があるとも言える。あとがきでこう書かれている。当初、周防監督は小説化する気はなかったようだ。

 ところがである。ある一言から状況は一変してしまった。知り合いのプロデューサーのH・T氏に、試写を観みた後、「最後はパーティに行かないと思ったんだけど」と言われたのである。「行かないでどうすると思われたんですか」と聞くと、僕より少しだけ人生の先輩であるH氏は「一人で公園で踊ると思ったんだよね」と答え、少し間を空けてから「この歳になるとさ、そんな気がするんだ」と小さく寂しそうな笑みを浮かべた。

 その意味を探り当てるために小説「Shall we ダンス?(周防正行)」が書かれたようだ。おそらくこれが書かれたことは、英語版に大きな影響を与えたのではないかと思う。
 実は、私がこの小説の最終部分を読み出したのは昨晩だった。エンディングの杉山の思いに泣けた。じわっと涙が出た。映画でも感動して涙のにじむシーンはあったが、小説の感動は違うものだった。「この歳になるとさ、そんな気がするんだ」というのが胸に染みるようによくわかった。時計を見ると零時が過ぎていた。ああ、今日と言う日になったかと思った。

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2009.08.21

[書評]自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門(森村進)

 副題に「リバタリアニズム入門」とあるが本書「自由はどこまで可能か(森村進)」(参照)は、学術レベルに対する入門という意味合いで、内容はかなり濃く、いわゆる新書にありがちな入門書ではない。

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自由はどこまで可能か
リバタリアニズム入門
森村進
 後半になると著者森村氏の見解がやや突出する違和感があるが、総じて現代のリバタリアニズムを俯瞰して理解するには最善の書籍と言える。その分、簡単には読めない。不必要に難解な書き方も悪しき学術的な書き方もされてなく読みやすい文体なのだが、一見簡素な思想に見えるリバタリアニズムが投げかける本質的な課題を考えつつ読むことが難しい。
 何度も繰り返し読むに耐える書籍でもある。出版は2001年と古く、やや現代の古典といった風格もあり、この間のリバタリアニズム思想の展開も気になるところだが、とにかく本書を出発点にしないことには話にもならないだろう。
 リバタリアンとは何か。本書は、類似または対比される思想的立場との違いを次のようにチャート的にまず示している。ごく基本的な事項なので著者森村氏の分類で、確認の意味でまとめておきたい。

リベラル
精神的自由や政治的自由のようないわゆる「個人的自由」の尊重を説く一方、経済的活動の自由を重視せず経済活動への介入や規制や財の再配分を擁護する。
保守派(コンサバティブ)
個人的自由への介入を認めるが経済的自由は尊重する
リバタリアン
個人的自由も経済的自由も尊重する
権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)
個人的自由も経済的自由も尊重しない
全体主義者
権威主義者(オーソリテリアン)・人民主義者(ポピュリスト)の極端な形態。ファシズムや共産主義。

 著者森村氏は日本の保守主義者について、伝統尊重を唱えグローバリズムや規制緩和の動きに反対する傾向があるとし、思想的には保守主義ではなく、権威主義者に近いとしている。
 さらに日本では、いわゆる左派も同様にグローバリズムや規制緩和の動きに反対する傾向が強く、同質の権威主義に見える。特に日本における、いわゆる左派の表層的には反ナショナリズム的な言動は、実際にはナショナリズムと等価になっている点について森村氏は、次のように明確に指摘している。

 政治思想におけるリバタリアニズムの大きな特徴の一つは、国家への人々の心情的・規範的同一化に徹底して反対するという個人主義的要素にある。リバタリアニズムの観点からすれば、国家や政府は諸個人の基本的権利を保護するといった道具的役割しか持たない。それ以上の価値を認めることは個人の自由だが、それを他人にまで強いるのは不当な介入である。国民的あるいは民族的なアイデンティティなるものが各個人にとってどのくらい大切か、社会にとってどのくらい有益かは一つの問題だが、ともかくその確立は政府の任務ではない。
 ところが今の日本では、ナショナリズムに一見反対している論者たちが戦争世代が戦争責任の引き受けることを主張するというねじれが見られる。しかしそれは日本人すべてに、戦前戦中後を通じた「日本人」という国民集団への人格的帰属を強いることになる。これこそ否定されるべきナショナリズムの一類型である。国が何らかの責任を負うからといって、国民が人格的な責任を負うということにはならない。

 日本の思想状況では、右派左派ともに独自の価値を社会に強いる権威主義ないしパターナリズム(paternalism)しかないようにも見える。特に「リベラル」が左派を意味しつつ、ねじれた形でのナショナリズムに転化した、思想的な倒錯とも言える状況において、リバタリアニズムは明確な補助線を引くことになる。森村氏もこの状況に原理的に配慮している。

(前略)伝統的な(とはいえ、フランス革命以降の)「左翼-右翼」という政治思想の分類自体が不十分なものだということがわかる。リバタリアニズムは経済的なものも精神的なものも含めて個人の自由をすべて尊重するという点で、左翼とも右翼とも違って、首尾一貫した立場であり、「左翼-右翼」の線上のどこにも位置しないのである。

 さらに隣接した曖昧な思想がある。「自由放任主義(レッセ・フェール)」と「新自由主義(ネオリベラリズム)」だ。リバタリアンが「レッセフェール」と異なる点については次のように解説されている。

リバタリアンの中でこの言葉を嫌う人は「リバタリアニズム」という言葉を好まない人以上に多い。たとえばハイエクがそうである。彼らがそれを嫌うのは、自由市場は何らかのルールを前提にしているのに、「レッセ・フェール」は市場がルール無用の状態であるかのように誤解させる、という理由による。(中略)
自由市場は私的所有権や契約の自由、暴力や詐欺や脅迫の禁止といった一般的で中立的な私的自治のルールから構成されていて、リバタリアンはそのルールの規制には反対しない。むしろその規制こそが、政治のなすべき(数少ない)任務のなかで最も重要なものであると考える。

 さらに「新自由主義(ネオリベラリズム)」はほぼノイズであると見なしているようだ。

 二つ目の言葉「新自由主義」あるいは「ネオリベラリズム」である。この言葉は学問的文献よりもジャーナリズムでよく見かけるが、リバタリアニズムに近い立場を指すこともある一方、サッチャリズムのようにナショナリズムへの傾きを持つ保守主義や、さらに権威主義に近い立場を指すこともあって、大変多義的である。それゆえ私自身はこの言葉を使わない。この使う場合は、それが何を意味しているのかはっきりとさせた方がよいのではないか。

 森村氏から啓発された私見だが、おそらく、日本における右派左派の同質的なパターナリズムから陰になる部分を、言わばごみ箱用語として「新自由主義」・「ネオリベラリズム」が批判として出来たのではないだろうか。つまり、「新自由主義」・「ネオリベラリズム」が批判の文脈で出てきたときは、それはただ空疎な藁人形なのではないか。
 以上のような状況的な問題、さらに欧米での状況的な問題は「第1章 リバタリアニズムとは何か?」でクローズしていて、本書においてはごく露払い的な意味か与えられていない。リバタリアニズムが提起する、ある意味でグロテスクな問題は「第2章 リバタリアンな権利」以降に展開される。
 私は今、「ある意味でグロテスクな問題」としたが、例えば、こうした思想課題が提起される。リバタリアニズムという思想の文脈ではごく基本的なテーマなのだろうが、慣れない人にとっては気味の悪い思考実験である。

 ハリスは臓器移植の技術が大変発達したと仮定して、次のような強制的な臓器提供のくじの制度を提案する。---社会のメンバーのうち健康な人々はすべてくじを引く。彼らの中から無作為に選ばれた当選者から、健康な臓器を病人に移植する。そうすれば、一人の健康な人の犠牲によって二人以上の病人が助かるから、現在よりもはるかにたくさんの人々が長生きできるようになる。ただし不養生で病気になった人は自業自得だから、臓器移植の受益者にはなれない---。

 当然ながら、森村氏も「この提案は極めて反直感的であって、それを支持する論者はほとんどいない」と続き、しかし、この思考実験に含まれる問題や駁論の思想を点検していく。
 この他にも、裁判や警察の民営化といった問題も提起される。私たちがどこかしら自明と見なしている問題や価値を、リバタリアニズムは切り崩していく。それは思想的に多くの課題を与えることになるし、まさに教条主義的な日本の閉塞した思想状況に刺激を与えるものだ。
 2章以降、「第3章 権利の救済と裁判」「第4章 政府と社会と経済」と、奇異な問題を提起しつつ、ごく順当な思想解説が展開されるが、「第5章 家族と親子」「第6章 財政政策、あるいはその不存在」「第7章 自生的秩序と計画」は、順当なリバタリアニズムの解説では問題点が散逸することもあるのか、著者森村氏のリバタリアンとしての主張が色濃くなってくる。この傾向は2章から4章にも部分的に見られる。ただし、それがいわゆる「べきだ」という主張ではなく、各種のリバタリアニズム思想の整理という方法論的な意識は保持されており、「第8章 批判と疑問」ではまたごく公平なリバタリアニズム思想の解説に帰結する。
 本書を何度も読みつつ、私はいろいろ考えさせられた。閉塞した日本の政治思想の状況にあっては、リバタリアニズムそのものが存在することが意味を持つのではないかということと、私自身はリバタリアンなのかという点だ。
 私は、自身をリバタリアンだと考えたことがなかった。私は、自身をどちらかといえばリベラリストであると考えるし、市民主義者ないし公民的共和主義者(シヴィック・リパブリカニズム)の考えに近いと思っていた。反面、私は社会に蹉跌した20代後半以降、吉本隆明の思想に傾倒し、自嘲で吉本主義者としている。自分の思想において、欧米的共和主義と吉本主義は、その基層の欧米原理以外では矛盾している。が、吉本隆明の思想は結果的には、一つのリバタリアニズムと見てよいのではないか、自分の個別の思想の帰結はまさにそれを意味しているのではないかと思うようにもなった。
 吉本主義者の私は、民族国家は強力な共同幻想でありそれ自身が、民族の子孫を通して永世を偽装した宗教であると考える。むしろ、その強固さを認識するがゆえにそこから無前提に超越した立場を取ることを拒否する。私にしてみるとリバタリアニズムもまた、無根拠な自由信仰に根ざしているとしか思えない。だが、現実面において、私はかなりリバタリアンに接近しているし、現実的な課題に対する提起を多く受け止めている。

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2009.08.20

[書評]リバタリアン宣言(蔵研也)

 「リバタリアン宣言(蔵研也)」(参照)は、アマゾンの読者評でも指摘されているが、リバタリアニズムの入門書という趣向で書かれている。思想にそれほど関心はない読者が、「リバタリアンって何?」「なぜリバタリアニズムが話題なの?」「リベラリズムとはどう違うの?」という疑問を持つなら、読後に十分に得るものがあるだろう。

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リバタリアン宣言
蔵研也
 現時点で同書を再読するなら、2007年2月に出版された新書ということもあり、世界金融危機の崩壊前、さらに自民党が迷走を始めた安倍内閣以前の空気を再考する意味合いが強くなる。帯にある「ウヨクでもサヨクでもない、ニッポンの勝ち組エリートとアメリカのセレブが考えていること」という釣り文句は現時点となっては苦笑を誘うが、「『国がきちんとやるべきだ』。あなたもなんとなくそう思っていませんか? 本書ではこの考え方を『クニガキチント』の誤りと呼びます。年金も医療も教育も、官僚まかせにしていると貴重な資源が浪費され、私たちの経済と精神の自由が束縛されてしまうのです。」とする指摘は、今回の選挙前こそ重要な意味を持つだろう。
 というのも民主党は官僚制打破を謳いながらも、年金については民間移譲から国家に戻すうえにモラルハザードの構造をもった職員構成の温存になる。これは小さな政府を志向するリバタリアンがもっとも嫌うところだ。医療面はよくわからないが、教育については民主党の政策は文科省主導から地域主導に変わるが、リバタリアンとしては地域に変わろうが地方政治の教育の介入は嫌う。FTA代償という意味合いを転じた純粋な農家へのバラマキもリバタリアンが嫌うところだ。これら民主党政策の大半に大きな政府を志向する「クニガキチント」の誤りが含まれているが、なぜか外交・軍事では「クニガキチント」の誤りもない反面無策になっている。リバタリアンはむしろ最小政府に外交と軍事を委託することはやむを得ないと考えるのに。
 しかし、こうした反リバタリアニズムとしての民主党が明瞭になるのは、近年のことであり、本書を再読することで、その変遷または本質が理解できる。

 前述の日本経済新聞の芹川編集委員は、二〇〇五年九月二一日の論説「大機小機」において、民主党は前原代表の下で自民党以上に小さな政府を目指すことによって、その将来が開けるという見解を示しました。これは前原氏以上に小さな政府を掲げる小沢代表に当てはまるものです。

 2007年時点では、小沢氏を小さな政府を掲げる政治家として理解する人々がいた。私もそのように理解してきたものだった。
 これに対して、自民党では小さな政府を志向する小泉政権後に、大きな政府への揺り戻しが起きた。

 そもそも自民党には、大きな政府を志向する利権政治にどっぷりつかった古参議員も多く、彼らは小泉前首相の目指した小さな政府に対して、内心では反感を持っているはずです。二〇〇六年九月に政権を引き継いだ安倍晋三首相は、郵政民営化反対を唱えて二〇〇五年の衆院選挙で自民党から追い出された議員たちの多くを復党させました。彼らは、古巣の自民党に戻って、反動政治はさらに強固なものになるでしょう。

 実際そのように展開した。
 郵政民営化反対で解任させられた鳩山邦夫元総務相も、内実は麻生首相と同じだった。自民党内部でリバタリアニズム的な政策への反動が起こり、自民党はリバタリアニズム政党としては残骸となってしまった。
 こうした自民党の反動に対して。

 これに対して、芹川編集委員の意見は、民主党がリバタリアンな政府、つまり小さな政府を目指すべきだということになります。民主党が自民党よりもさらに小さな政府を目指すことになれば、利権政治と大きな政府を目指す自民党との対立軸がはっきりして、民主党の将来が開けるというのです。

 逆になった。
 民主党の将来は開けたが、それは大きな政府を志向するものとなった。しかも、「前原氏以上に小さな政府を掲げる小沢代表」が、大きな政府志向の線路を敷いたように見える。どうしたことなだろうか。
 著者蔵氏は、芹川日経編集委員の意見に賛同しながらも、この時点で民主党がリバタリアン政党はならないことを的確に予言していた。

 しかし、そのようにことがうまく運ぶのかについては、二つの疑問があると思います。
 まず第一の疑問は、はたして今後の民主党が小沢代表のもとで、小さな政府を標榜して一致団結することができるのか、というものです。いいかえれば、前原代表が偽メール問題で退陣し、国民の党への信頼が危機的な状況にある中で、本当に民主党がリバタリアンな政策にコミットすることができるのかという疑問だと言えるでしょう。
 そもそも民主党は社会民主党や新党さきがけのメンバーでもあった鳩山由紀夫や管直人を中心として一九九六年に結成された政党です。議員の中には旧自由党であった小沢一郎から旧社会党であった横路孝弘まで、さまざまな考え方の人がいるのです。
 彼らに共通する政治理念は全く存在しないといえるでしょう。旧自由党はたしかに自民党よりも小さな政府を標榜していました。しかしその反対に、旧社会党は明らかに政府による所得配分など大きな政府を求めていたのです。

 蔵氏は2005年時点の民主党のマニフェストを見て、大きな政府志向であることを指摘する。結局のところ、小さな政府を志向した旧自由党の小沢氏が、党内政治のために旧社会党的な大きな政府に折れたと見てよいだろうし、今日の民主党はかつての小沢路線とぎくしゃくしている(FTA問題やISAF問題など)ことも関連するだろう。
 さらに状況を複雑にしているのは、自民党側の問題だ。蔵氏はこう指摘する。

 第二の疑問は、はたして二〇〇五年の選挙で自民党が勝ったのは小泉前首相がリバタリアンな政策を公約に揚げたからなのか、というものです。言い換えるなら、小泉前首相の個人的な人気が自民党の大勝を生んだのであって、国民は別にリバタリアンな小さな政府など求めていなかったのではないのか、という疑問が残っているのです。

 蔵氏は世論調査などから、前回の衆院選挙をリバタリアニズムの志向から分離する。
 以上の蔵氏の考察だが、2点のテーマにまとめられるだろう。(1)小沢一郎氏はかつてはリバタリアン的な政治家であったが民主党体制のために変質した、(2)小泉政権は結果的にリバタリアン的な政策を実施したが、その支持はリバタリアン的なものではなかった。
 2点から、国民には反リバタリアニズムとして、「クニガキチント」の志向が底流にあったとも言えるだろう。
 このテーマには前史がある。蔵氏は、小沢氏を軸に考察しているのではないが、極めて示唆的な指摘がある。小泉政権登場以前の自民党という問題だ。

 前述したように、自民党は、一九七〇年代の田中角栄首相の時代に、都市部から吸い上げた金を農村部に回すことによる、「列島大改造」をくわだてました。都市から集めた税金によって、地方にも発展の資金を均霑し、日本全国の「均衡の取れた」発展を目指していたということができるでしょう。


 ロッキード事件の後においても、この分配ばら撒き型の政治は続きました。田名角栄の後継者として田中派を継承した竹下登首相は、「ふるさと創生」運動として各地方自治体に対して一律に一億円をばら撒くという愚行に出ているのです。
 こういった農村政党としての流れが、自民党内の郵政民営化反対路線に続いていたのだといえるでしょう。民営化を憂えていたのは、いうまでもなく過疎地の人びとだからです。それを「ぶっ潰した」のが小泉純一郎です。

 蔵氏はリバタリアニズムの視点からのみ見て、この政治史にそれ以上の考察を加えない。以下、書評的な枠を越える。
 田中角栄氏の直系として竹下登氏を見るなら、田中-竹下に根を持つ経世会の流れに小沢一郎氏もいる。さらに農村バラマキの手法は、今日の民主党の政策に完全に一致する。
 田中-竹下に根を持つ経世会が小泉改革という名のもとに自民党で弱体化された後、民主党内で復活した経世会が現民主党なのではないか。この完成を象徴するのが田中角栄氏の娘田中真紀子の民主党合流だろう。加えて言うなら、津島雄二氏の引退も象徴的だった。
 さらに蔵氏は指摘していないが、田中角栄氏こそ、官僚主義を打破し、政治主導を確立しようとした最初の政治家もあり、小沢氏の理念はその師匠である田中氏を継いでいる。
 小沢一郎氏の今日の反リバタリアニズムは、政権交代のためならファウストにもならんとすることなのか、もともと小沢氏には小さい政府への志向がなかったのか。おそらく結論は、小沢氏をリバタリアニズムの視点から見ること自体が間違いだというつまらぬことになるだろう。そしてその間違いは、私自身が蔵氏ほどにリバタリアンたりえない矛盾と調和している。
 私は自身の矛盾を抱えながら、田中角栄氏の農本主義の亡霊が左派を飲み込む光景を見ている。その感じは「極東ブログ:[書評]「はだかの王様」の経済学(松尾匡)」(参照)での該当書著者松尾匡氏が最近述べられた印象に近い。「09年8月3日 初めてのデフレ問題講演」(参照)より。

だいたい、一番景気刺激効果がありそうなのが現政府・自民党の政策だし。いやそのとき言ったのですが、「構造改革」を「戦争」になぞらえれば、麻生さんの大型財政政策って、かつての戦争指導者が戦後急に平和の使徒面して親米民主主義者になったことに似ています。何の反省もなく「自分は本当は戦争に反対だったんだ」とか言って(実際、「本当は郵政民営化反対だった」って発言もありましたけど)。それで、それがけしからんから懲らしめてやろうと思って、野党に入れようとしたら、野党がみんな「皇国史観」を唱えていたっていうような、そんなたとえが通りそうな状態です。

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2009.08.19

民主党公約、高速道路の無料化案について

 高速道路の無料化は民主党マニフェストの目玉商品とも言えるものらしいが、私は率直なところあまり関心がなかった。よくわからないというべきかもしれない。外国では公共道路は無料だし、日本だけできないわけもないだろうと言われればそう思わないでもない。が、とにかくやってみたらという声には、いや、それは違うんじゃないのという感じはする。
 私としては日本には地方によってはまだ新設道路が必要だろうし、その財源を補う課金はあってもよいのではないか、あるいは一般財源でもよいのではないかとも雑駁に思っていた。
 どうなのだろうか。問題を見ていくと、まず高速道路の無料化には日本特有の課題もある。14日の日経新聞社説「多くの疑問がある高速道路の無料化案」(参照)でも触れていたが、日本高速道路保有・債務返済機構が抱えた約34兆5000億円に上る債務の問題がある。これを返却するには有料でなければならないとするものだ。この話には別のからくりもあるのであとで触れたい。
 高速道路は有料でよいのではないかと私が思うとき、あと2点気になることがあった。「コモンズの悲劇」と「ピグー税」である。
 「コモンズの悲劇(共有地の悲劇、The Tragedy of Commons)」はギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)が提唱した考えかたで、誰でも自由に利用できる共有資源は適切に管理されないために、過剰搾取や資源劣化が起きることだ。高速道路は造りっぱなしにしておくわけにもいかないことは、先日の東名の崩落でもわかる。有料にして管理したほうがよいだろう。
 温室効果ガスの低減を意図したピグー税として、高速道路は有料であったほうがよいかとも考えていた。ピグー税(Pigovian tax)はアーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou)が考案した税のありかたで、簡単に言えば、一種の罰則としての税金だ。使えば使うほど社会的に害になる側面のあるものに課税することで、その使用を抑制する。タバコにピグー税をかけ、高額にして喫煙者を減らすという政策もある。
 しかし温室効果ガス低減を目的としたピグー税なら高速道路料金にかけずにガソリンにかけてもよいはずだ。そのあたり民主党はどう考えているのだろうかと気になっていたが、マニフェストβには、「ガソリン等の燃料課税は、一般財源の「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化します」とあるものの、高速道路の無料化とのバランスはわからなかった。
 具体的に民主党案でどの程度二酸化炭素の排出量が増えるのだろうか。シンクタンク「環境自治体会議・環境政策研究所」が試算していた。朝日新聞記事「民主公約の高速無料化→CO2急増 シンクタンク試算」(参照)より。


 民主党が衆院選のマニフェスト(政権公約)に掲げた高速道路の無料化と自動車関連の暫定税率の廃止が実施された場合、二酸化炭素(CO2)の排出量が年980万トン増えるとの試算をシンクタンクがまとめた。一般家庭の年間排出量に換算すると約180万世帯分に相当。


 国内の運輸部門のCO2排出量は2億4900万トン(07年度)で、これを約4%押し上げる計算になる。

 試算にもよるのだろうが、かなりの量になる。そのしわ寄せは排出権取引など別の形になるはずだが、私の見ている限り、民主党は言及してない。ヤミ専従などの問題のような、あまり突かれたくない領域というより、この領域の問題は単に想定してなかったんじゃないかという印象も受ける。
 ところで、そもそもなぜこんな政策が出てきたのだろうかと考え直してみた。高速道路無料化は民主党が今回突然出してきたものではない。以前からあったよなと思って、いつからあるのか調べ直すと、2003年であった。そのころはまだ環境問題は現在ほど切迫した問題ではなかったかもしれないとも思ったが、当時のことを少し調べていくと面白い話に出くわした。いや面白いなんて、どこかの混乱loverみたいな話で済むことではない。
 話の背景は2003年8月、当時2年後に道路関係4公団の民営化が予定されるころだ。日本道路公団の財務報告を虚偽とする内部告発がなされ、債務超過が問題になった。それまで民主党は、小泉内閣と同様に高速道路有料制で民営化を主張していたが、奇策も模索していた。そこに中央公論9月号で元ゴールドマン・サックス社パートナー山崎養世氏が高速道路無料化案を唱え、これに当時の民主党菅代表がパクついた。いや経緯からすると、中央公論寄稿の前に山崎氏から菅氏への提言があり、その公表としての寄稿であったようだ。菅氏は同年の6月時点でこの妙案を当時のマニフェストに盛り込むと息巻いていた。
 いずれにせよ、高速道路無料化は山崎氏の起案で以降菅氏の持ちネタになったのだが、当時はそのための財源は考慮されていた。「日本には現在約7000万台の車があり、1台に年5万円課税すれば3兆5000億円になる。料金所も廃止できる」(参照)とのことだった。自動車に年5万円の課税というと重税感があるが、このあたり、現在の民主党ではどうなっているのか、私は知らない。
 山崎氏のアイデアは同氏が運営するサイトで現在でも威勢のよく「山崎養世の日本列島快走論」(参照)として展開されている。気になるのは無料化のツケをどうするかだが、興味深い指摘がある。

現在四公団で約40兆円の借金を抱えていますが、仮に民営化したとしても、この借金と将来の金利を加えた120兆円(50年間にわたって4%の金利で借り続けることができるという楽観的仮定に基づいても金利は80兆円になり、借金40兆円と合わせて120兆円になる)は、結局国民のツケになってしまいます。これは、金融機関が実態の分かりにくい子会社(公団の場合は保有・債務返済機構へ)に不良債権をこっそりと移す「飛ばし」と同じ手法です。つまり、民営化は根本的な解決にはつながらないのです。

 小泉改革案の民営化は「飛ばし」であって「民営化は根本的な解決にはつながらない」というと、ドキっとする。ではどうするのかと読み進める。

親会社がオーナー(国民)の財産を守るために、超低金利のいま、30年国債を2%で発行(=これを“世直し国債”と呼ぼう!!)し、40兆円のいまの借金を返済してしまう。30年国債の金利コスト(2%固定)は24兆円になり、80-24=56兆円の金利コストが削減できる。これは、高速道路の基本法である道路整備特別措置法にかなったやり方である(下記図参照)。なお、国債の返済の財源には、いまの道路財源の一部を充てる。試算では、いまの一般道路向けの財源の36%を振り向ければ、借金の返済だけでなく新規高速道路の建設と保守もまかなえる。

 住宅ローンの借り換えと同じ理屈なわけだ。ブラボーと言いたくなるようなエレガントな解答のように見える。つまり、民主党のマニフェストのウラはこういう仕掛けになっているということなのだろうか。もうちょっと読んでみよう。

この“世直し国債”の返済総額は64兆円。年間約2兆円ずつを道路財源からまわし、30年間で完済は可能である。そもそも道路財源のほとんどが一般道路の建設に充てられていたことがイレギュラーだった。これを変えることがポイント。高速道路が無料になり出入口が増えれば、いまの高速道路と一般道路の輸送力は増大するから、新規の道路を作る必要性は低下するはず。一般道路への支出を削って、高速道路無料化の財源に充てることは理にかなっている。

 つまり、年間2兆円30年間が国民の借金になるということだ。道路財源を道路に充てるのではなく、高速道路無料化のための借金に充てなさいよということだ。なるほど。手品にはタネがある。
 この妙案、本当にブラボーなのだろうか。当時この案を聞いた道路関係四公団民営化推進委員会委員長代理だった田中一昭拓殖名誉大学教授はこうコメントしていた。読売新聞記事「高速道路の無料化 山崎養世氏VS田中一昭氏」(2003.8.26)より。

 ――道路四公団の債務を国債で借り換えて高速道路をタダにしろという議論が出ている。
 田中 国債の発行残高が四百二十兆円に膨れ上がり、税収確保が大変な時なのに、安易に国民負担を求める考え方には、反対する。高速道路のように、社会的施設を使って利益を得るのが特定の人々に限られるケースでは、費用は、可能な限り、利用者による受益者負担で賄うべきだ。実際、道路四公団の四十兆円の借金は、料金収入によって、四十―五十年で確実に返済することが可能だ。
 ――低金利の長期国債の借り換えで全額繰り上げ返済し、無料化する方法をどう思うか。
 田中 それでだれが損をするかを冷静に考える必要がある。国債という形でつけ回しをされる国民だけでなく、財投資金の原資となっている郵便貯金などの預金者も被害を受ける。財投資金は一定金利で運用しているため、借り換えはその約束を反故(ほご)にすることだ。簡単な話ではない。

 小泉改革の民営化だと年月はかかるが、国債に転換され国民への負担になることは避けられる。また、山崎氏が軽減しようとした金利負担は、単なる負担ではなく、間接的に郵貯などに投資をしていた国民の利益になるものだった。なにがなんでも悪い借金でもない。
 さて、どちらがよいか。
 のんびり直接国民の負担にならないようにやっていくか、それとも30年間2兆円ずつ直接国民の債務を増やすか。いや、事実上もう選択肢はないのかも。

追記
 このエントリをもう少し詳しくしたリライト・ヴァージョンをガジェット通信に寄稿しました(参照)。

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2009.08.18

フィナンシャルタイムズ紙の民主党政権観

 海外では日本の衆院選をどう見ているだろうか。それほど広く見回したわけではないが、ワシントンポスト紙やニューヨークタイムズ紙の社説ではまとまった意見を見ないように思うなか、フィナンシャルタイムズ紙社説は昨日発表の日本の国内総生産(GDP)に関連付けて、少し意外な言及をしていた。
 フィナンシャルタイムズ紙社説は日本の政治経済に言及することが多く、春頃から「総選挙すべきだ」「低所得者のポケットに現金をつっこめ」など、どちらかといえば民主党のような発言があった。しかし今回の社説「Japan’s recovery: not all it seems(日本の回復:期待とは違う)」(参照)では、民主党政権への期待と取れないこともないが、やや不吉な印象を与える予言のようだった。


 The DPJ is partly doing what opposition parties are supposed to do - promising the earth in order to get elected. But if it really is headed for victory, it will need to work quickly to persuade Japan’s public - and the markets - that its sums add up.
(民主党は野党がしそうなことをしている。つまり選挙に勝つためなら出来もしない約束をするということだ。しかし、同党が真に勝利したいなら、急ぎ日本国民と市場に向けて、帳簿の辻褄は合うと説得すべきだ。)

 If not, it risks an electoral backlash in upper house elections next year. Almost as bad, bond markets could wobble.
(できないなら、来年参議院選挙で逆風に遭うだろう。悪いことには、債券市場も不安定になるだろう。)

 That could further complicate a recovery that already is not all that it seems.
(そうなれば、現状ですら期待はずれの経済回復がいっそう混迷するだろう。)


 フィナンシャルタイムズとしては、曖昧に書かれてはいるが、民主党のバラマキ公約に裏付けはないと見ているようだ。いわゆる財源の問題では、短期的に埋蔵金など当てにできたとしても、恒常的な財源にはならないということなのだろう。特に社会保障の財源が問題になる。
 今回の選挙では、世論調査などを見ると、なぜなのか社会保障が一番の関心に上がっている(参照)。具体的には年金問題が焦点にもなりそうだが、これがなぜ問題なのかというと、端的に言えば、カネが足りないからだ。では、どのくらい足りないのか。
 「バカヤロー経済学」(参照)の先生によれば、300~400兆円で、率だとあと、7~8%増加ということらしい。強調部分本文ママ。

今の保険料率は一〇%ちょっとだと思うけど、あと七、八%必要。議論の中心は、この七、八%を上げられるかどうかなんだがけど、もし国力が十分だったら簡単に上げられる。でも、経済成長率は下がっているし、少子化も進んでいるでしょ。これは痛いんですよ。結論から言うと、経済成長を遂げるか少子化対策が進まないと、年金は大問題になるの。

 イメージとしては現状の社会保険料が二倍弱くらいになるということかと思う。払わない人が多いと言われている国民年金だと月額3万円くらいになるのではないか。そしてこれが民主党案だと実質国税化されることになり、徴収の問題は改善される。企業負担も増えるかとも思うが、年金システムは一元化されるので企業負担としては逆に減るのかもしれない。
 随分と重税感があるがそれが先進国の常態だとも言える。日本の社会保険負担率と租税負担率は2009年で38.9%だが、ドイツだと52%(2006年)、フランスだと62.4%(2006年)、スウェーデンだと66.2%(2006年)ということなので(参照)、欧州・北欧型の福祉国家を志向していくとなれば、社会保険の費用が7~8%アップするイメージとだいたい合う。安心できるがその分現状よりは重税をという国家のイメージになるだろう。しかも、経済成長が予想されない状況では重税感はきつい。
 それを国民が合意しているかどうか。また年金は先の「バカヤロー経済学」の先生も指摘しているが基本的に働く世代から高齢者への仕送りといった本質のもので、総体として見れば高齢者に富が偏在している日本でどの程度の理解が得られるかといった不安もあるだろう。
 フィナンシャルタイムズ紙社説に戻ると、そのあたりの日本国民の合意は得られていないだろうということだが、おそらくその指摘は正しいのではないか。
 問題はその先で、同社説の予言的な部分だ。民主党政権は来年7月の参院選挙で逆風に遭い、債券市場は不安定化(bond markets could wobble)するという指摘をどう見るかだ。私の直感的な印象としては、堪え性のない国民の現状では来年参院選挙ごろには経済政策面からの失墜感が可視になるのではないか。その波及としての債券市場の不安定化だが、これは端的に日本の国債の不安定化だろう。
 日本の国債は他国と異なり日本国内で購入されているので暴落による危機はないだろうが、不安定化によって長期金利上昇や円安になるかもしれない。円安になると、リフレと同質の効果が発生するので、輸出産業が盛り返し、それなりの経済に安定するかもしれない。冗談のようだがその意味で、民主党政権によって日本経済の評価がむしろ早急に下がるほうが、重税国家ではあれ産業打撃が少なく安定した衰退が期待できるかもしれないし、そうなると、来年の参院選での逆風は弱まるだろう。

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2009.08.16

民主党政権で社会保険庁は存続だが日本年金機構は廃止の件

 社会保険庁は解体され年金業務は公法人の日本年金機構に移行することは、法律第109号として2007年に7月6日公布され2010年1月に施行されることになっていたが、これを民主党政権は凍結するという報道が東京新聞に昨日流れた。大手紙やNHKでの報道は見当たらないのでどうなのだろうと疑問に思っていたがその後、共同でも流れた。その後の続報はというと見当たらない。拙速感はあるが、重要な問題でもあり、忘れぬ内にブログに庶民の雑感を記しておきたい。
 当の東京新聞「年金機構 移行を凍結 民主検討 記録散逸を懸念」(参照)ではこう切り出されていた。


 民主党は十四日、衆院選で政権についた場合、二〇一〇年一月に予定される社会保険庁から日本年金機構への年金業務移行を凍結する方向で検討に入った。衆院選マニフェストで年金問題への取り組みを「五つの約束」の一つに掲げているが、年金業務を移行して社保庁を廃止すれば、年金記録の関係資料が散逸したり、組織改編で責任の所在が不明確になり、問題解決が遠のく可能性が高いと判断した。

 端的に言えば、日本年金機構凍結というより、社会保険庁の廃止を阻止するという意味が強い。理由としては、「年金記録の関係資料が散逸したり、組織改編で責任の所在が不明確になり」の2点が上げられている。
 当初この報道を見て私は、すでに成立寸前の日本年金機構を阻止するのかと驚いた。だが、結論を先に言うことになるが、マニフェストβを読み直すと、この方針は驚くほどのことではなく規定路線であった。それでも、マニフェストβの趣旨が、設立寸前の日本年金機構をつぶすという話だったのかとは読み込めないでいた。いずれにせよ、つまりそういうことだ。マニフェストβにはこう書かれている。

社会保険庁廃止と歳入庁創設
 社会保険庁を廃止し、国税庁と機能を統合して「歳入庁」を創設します。社会保険庁の職員については厳しく審査して移管する者を決定します。
 社会保険庁を「日本年金機構」(特殊法人)に移行させることによって年金記録問題がうやむやになる可能性があります。社会保険庁の体質をそのまま受け継いだ組織では問題は解決できません。

 現時点で読み返すと、日本年金機構を潰すことに加えて含蓄があるが、後に言及したい。
 当面の問題としては、これまで日本年金機構は設立が既定事項に見られていたこともあり、すでに採用内定者が出ているが、これをどうするかということだ。同じく東京新聞記事「<政権選択>年金機構『凍結』 記録回復 解決は手探り」(参照)ではこの問題に言及している。

 加えて、来年一月発足予定の年金機構は、七月下旬に民間から採用する千七十八人を内定しており、追加募集も始めている。このため、移行凍結は雇用問題に発展する可能性もあり、民主党は採用内定者を非公務員の身分で年金記録問題への対応に充てることも検討している。

 日本年金機構採用予定者の身分は不明であり、対照的に社会保険庁職員の身分は公務員のまま保持されることになる。12倍近い難関をくぐられた日本年金機構採用予定者は、公務員になれるチャンスと見るより不安感が先立つのではないか。
 共同の報道「民主、社保庁を当面存続 年金機構移行を凍結、秋に法案」(参照)では、この部分への当然とも言えるが簡単な政治的な言及がある。

 年金機構は社保庁の一連の不祥事を受け2007年6月に成立した社保庁改革関連法で設立が決まった。社保庁への懲罰的な意味が強く、不祥事で処分された社保庁職員は機構への移行を認めないことになっている。このため社保庁を存続させることには自民、公明両党から「民主党を支持する労働組合の擁護だ」と強い反発が出そうだ。

 庶民感覚としても、積み重なる不祥事から社会保険庁は当然解体されると想定していたはずだが、これが事実上そのまま「歳入庁」とやらに組み込まれ、内実は温存されるような印象を受ける。だが民主党としては日本年金機構のほうが、「社会保険庁の体質をそのまま受け継いだ組織では問題は解決できません」としている。
 問題が錯綜しているのは、社会保険庁の不祥事を、(1)組織の問題とするか、(2)不祥事で処分された社保庁職員の問題とするかが、はっきりしないことだ。もちろん両方関わっているとも言えるが、特定組織に不祥事を起こす人員がしかも組織的に存在しているとすれば、基本的に前者の組織の問題であると見てよいだろう。するとこの問題は、不祥事を誘発する構造が、民主党の案で解消されるのかということになる。また、日本年金機構がそれに劣ると言えるのだろうかとも問い直される。当面、ごく単純に言えることは、社会保険庁は存続されるということで、その意味は当面不祥事構造が温存されるということだ。
 凍結される日本年金機構と不祥事で処分された社保庁職員の関係について、具体的な処分の意味合いを知る上で報道を少し見直しておこう。5月19日付け朝日新聞記事「「のぞき見」など処分の2116人も採用 年金機構内定」(参照)がわかりやすい。

 社会保険庁が解体された後の後継組織「日本年金機構」(10年1月発足)の設立委員会は19日、社保庁から移行する9971人の採用を内定した。このうち約2割の2116人は、年金記録ののぞき見や国民年金保険料の不正免除などで訓告や厳重注意などの処分を受けた職員。
 社保庁の正規職員は現在、約1万3千人。年金機構の採用基準により懲戒処分歴のある約850人は採用されないが、それより軽い訓告などを受けた人は移れる。
 移行を希望した職員は1万1118人。正規職員として内定したのは9613人(定員約9880人)、有期雇用の准職員は358人(同約1400人)。能力や意欲の面から不採用とされたのは28人。残る約1100人は健康上の理由で面接が受けられないなど、採否が保留となっている。社保庁は採用されなかった職員は民間への再就職をあっせんする。

 庶民感覚的には2割のグレーな人が移行できる予定だったのかの感はあるが、私としては必ずしも処分が適正だったか疑問点もあるので、そこはあまり問題は感じない。むしろ、事実上、社会保険庁職員の大半が日本年金機構に移行できる状態だったことを再確認した。
 7月4日中日新聞「社保庁職員1000人再雇用せず 処分歴ありが半数」(参照)にはより現時点に近い報道があるが、興味深いのは、大半が新機構に移行できる状態でありながら、移行できない職員対処が問題視されていたことだ。

 厚労省と社保庁は不採用者の再就職を支援する対策本部を6月下旬に設置。分限免職をできるだけ回避する方針で、国家公務員の再就職を一元管理する「官民人材交流センター」が企業などへの再就職をあっせんするが、全員に再就職先が見つかる保証はない。
 社保庁の労働組合は、処分歴のある職員を年金機構で一律不採用とした政府の決定を不当と批判しており、組合員があえて分限免職を受け、提訴することも検討している。

 これらの問題は、社会保険庁解体凍結ということで当面解消されることになるだろう。
 議論の局面を変える。社会保険庁廃止阻止のメリットである「年金記録の関係資料が散逸したり、組織改編で責任の所在が不明確になり」の2点はどれだけあるのだろうか。率直に言って、これは問題にならないのではないか。資料の散逸は意図し計画すれば未然に防げるだろうし、責任の所在というとき処罰される職員についてはトレース可能だろう。デメリットとされるものは機構的には日本年金機構解においても改善されうるし、過去の責任を問うより混乱した事態の収拾が重要になるはずだからだ(なお天下り等の問題は別の問題)。
 背景に潜む問題は、誤解を受けそうであまり言及したくないところでもあるが、社保庁職員の身分が必然的なモラル・ハザードを機構的含んでいるように見えることだ。よく誤解されるがモラルハザードとは「倫理観の欠落」といった道徳的な問題ではなく、契約後に依頼者が観察できない部分で起きる問題のことだ。国民が国家を介在して社会保険庁職員を観察・管理できない仕組みになっているように見える。別の言葉で言えば、社会保険庁職員が国家のグリップを外れた地方公務員のようにも見える。いわば、身分の二重性がある。
 身分の二重性は労組にも反映されているので、その視点から見るのに、読売新聞記事「基礎からわかる「社会保険庁」Q 労組は?」(参照)がわかりやすい。

 社保庁職員の労組は現在、主に民主党を支援する自治労傘下の「全国社会保険職員労働組合」(旧・自治労国費評議会、約1万1000人)と、共産党の影響力が強い全労連系の「全厚生職員労働組合」(社保庁職員は約2000人)がある。
 旧評議会の設立は1972年8月。国家公務員だが、知事の指揮下に入る「地方事務官」という職員の身分の特殊性から、地方公務員中心の自治労に加盟した。名称は「実質的に地方公務員だが、国のお金(国費)を扱う」ことに由来するという。

 社保庁職員は、国家公務員だが、知事の指揮下に入る「地方事務官」という職員の身分の特殊性がある。記事には言及されていないが、実際には逆に国家公務員として知事の指揮下に入りづらい。つまり、社保庁職員の労働団体に対応するのが国なのか地方なのか、わかりづらく、どちらでもないようにも見える。この二重構造の解消には、基本的には、日本年金機構のように全員を公務員から外すか、地方公務員の労組ではなく国家公務員の労組に改編する必要がある。後者は一応措置も執られていたが、実質に変化はない。

旧評議会は、地方事務官制度が00年度に廃止されてから7年間は経過措置として存続したが、今年4月、「全国社会保険職員労働組合」に衣替えし、国家公務員の労組として再出発した。名称変更後も「理念を共にする」という理由で自治労に加盟している。活動内容にも本質的な変化はない。秋田、神奈川、愛知、京都、愛媛など7府県の組織は全労連系の組合に加盟している。

 社会保険庁を構成する職員の身分の点からは三層構造とも言える構造もある。社保庁職員の常勤職員は、「厚労省キャリア職員(国家公務員1種)」「社保庁本庁採用職員」「社保庁地方採用職員」の3種類がある。「厚労省キャリア職員」は2年という腰掛け期間で厚生労働省に戻るため、現場業務には実質立ち入らない。事実上、厚労省側からの直接的な管理は不在に近い。ここにもモラル・ハザードがある。また先の自治労の二重構造は「社保庁地方採用職員」にあたり、いわば、直接国家公務員として「社保庁本庁採用職員」とは対照的になる。
 この問題はこうしたモラル・ハザードを必然的に含み込む二重性をもった社保庁職員をどう整理するかにあり、日本年金機構では問題を原点から解決し、そもそも公務員ではないとするはずであった。リバタリアン的な政治観を持つ私としては国家はできるだけ小さい方が好ましいので、日本年金機構に賛成したいが、しかし日本年金機構が実現されない見通しとなった。
 民主党政権下で社保庁職員はどうなるのか。地方採用で実際には地方公務員にしか見えなくても、保険・年金業務を原理的には国家事業とするなら、国家公務員として規制するということになるはずだろう。端的に言えば、地方職員の組合である自治労(全日本自治団体労働組合)とどういう分離になるのかが問われることになるはずだ。が、そこが民主党案からは見えてこない。推測で言えば、おそらく現状ママになるのではないか。つまり、二重構造は歳入庁に持ち込まれることになるだろうと思う。
 もう一点だけ述べてこのエントリを終わりにしたい。新規歳入庁は国税庁に統合されるということは、年金が実質国税化するわけで、厚労省の管轄から離れ、財務省の外局として、財務省に移ることになる。ついこぼれそうになる本音として、「なーんだ、財務省の焼け太りじゃん、これなら民主党に反発ねーわ」とかを言いそうになる人もいるかもしれない。そこをぐっと抑えても、厚労省側はそれですんなり終わるのだろうか、バトル観客としての国民に疑問は残る。

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2009.08.14

自民党安倍政権が種を撒き、民主党鳩山政権が刈り取る

 自民党安倍政権が種を撒き、民主党鳩山政権が刈り取るの絵だなと思った。朝日新聞記事「民主、国家戦略局に民間人常勤 政治任用で30人程度」(参照)を読んでの印象である。他の報道では触れてないようだが、この件については民主党は、給油法や日米FTA議論のような愉快なブレはないだろうが、すでにその内実にはブレが含まれているようでもある。
 以前の「極東ブログ:民主党の行政改革は、ようするに小泉改革じゃないのか」(参照)で触れたように、民主党の行政改革は、小泉改革及びそれを継いだ安倍政権の公務員改革と「瓜二つ」であり、むしろ大局的には安倍政権以降の自民党の混乱を小泉改革に戻すという流れに見える。
 その目玉といえるのが、小泉内閣の時に設置された自民党の国家戦略本部で、これが民主党鳩山政権では、国家戦略局と看板に僅かな違いがある程度の変更になる。が、この話、民主党政策集INDEX2009(参照)には、明示的には記載されず、5月の民主党代表選以降打ち出された鳩山ビジョンの5原則を具体化する「5策」の枠組みで、「官邸機能を強化し、首相直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」として語られた(参照)。
 民主党マニフェストに含まれると見てよいのだが、民主党としてどう実現するのかについてはよくわからない。鳩山氏としては国家戦略局のトップに「政調会長級の政策に精通している閣僚を任じたい」とのことで、実際にはトップは政調会長になるようだ。つまり、直嶋正行氏。
 疑問点は発表時点で指摘されていた。例えば、7月26日の毎日新聞社説「’09衆院選 国のかたち 「官僚内閣制」を超えよ」(参照)では、「首相直属の「国家戦略局」で予算の骨格を策定する構想を鳩山氏は表明し、省庁の縦割りを廃した予算編成を進めるとしている。だが、法律の制定を必要とし、財務省との役割分担やその陣容も不明確だ」と述べ、(1)法律制定が必要とされる、(2)財務省との役割分担が不明、の2点が指摘された。
 前者については、2010年度予算編成前に可能なのか疑問視されるなか、鳩山氏としては「強い権限を持った形で動かすためには法的整備が必要だ」(参照)として臨時国会に関連法案を提出して法制化を狙っていた。しかし8月7日、民主党菅直人代表代行は「国家戦略局は内閣官房組織令という政令で置く。組閣後の最初の閣議で政令をかえれば、即座に設置できる」と述べ、法律ではなく政令で設置することで妥協した(参照)。事実上の政策後退と見てよいだろう。
 後者については、「国家戦略局」は当然ながら予算争奪戦のリングとなることが含意されている。ちなみに現状は、小泉改革の名残りとして首相を議長とする経済財政諮問会議が方向性を定め、詳細は財務省が担っていた。実際は財務省がグリップしている。
 民主党は以前、予算編成を行う主計局を財務省から切り離し、内閣の財政局に組み込む構想を出していたが、今回財務省の顔色を見て早々に撤回し、鳩山氏も「予算全体は主計局がやるが、その前段階で予算の骨格を議論する」(参照)としている。大筋では現状の自民党政権と変わらない方式になりそうだが、それでは「国家戦略局」がナンセンスに帰すだろう。
 国家戦略局について現状、事実上前提とされているのは、7月26日の産経新聞記事「民主「政権構想」 国家戦略局で政策立案 首相直属 予算・外交、政治主導前面に」(参照)にあるように、「民主党が政権を獲得した場合は、首相直轄の国家戦略局に官僚と同数程度の民間スタッフを起用し、官邸主導の予算編成を実現させる狙いがある」ことだ。要するに、官僚と同数程度の民間スタッフの起用は前提となっていた。
 民間スタッフがどのようになるのか。冒頭触れた、今日の朝日新聞記事「民主、国家戦略局に民間人常勤 政治任用で30人程度」では、「戦略局の実務を担う国家戦略スタッフは30人程度とし、党の政策スタッフらの起用を想定している」としている。私が誤解しているのかもしれないが、民主党のシンクタンク的な機能を税金でまかないますよと聞こえないでもないが、興味深いのはその経緯だ。


 国家戦略スタッフの構想は、昨年の通常国会で与党と民主党の修正協議を経て成立した公務員制度改革基本法に盛り込まれた。ただ、実際に設置する法案は先の国会に提出されたものの、衆院解散で廃案となった。民主党はこうした経緯から自民党も反対しにくいとみており、臨時国会で成立させたい考えだ。

 もともとこの国家戦略スタッフの構想は自民党政権下で開始されたもので、「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」(参照)の「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」報告書の概要(参照PDF)ではこう言及されている。

1.議院内閣制にふさわしい公務員の役割
(1)内閣中核体制の確立
○大臣等の政務を補佐する「政務専門官」の創設。
各府省の立場を超えて、内閣の国家的重要政策の企画立案を行う「国家戦略スタッフ」の創設。内閣総理大臣が、公務内外から公募により登用。
○公務員と政治家との厳格な接触ルールを確立し、政官の接触を集中管理。

 民主党政策というより、既存の自民党の改革の流れに乗っていると見てよい。
 平成19年7月2日の「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会(第1回)の議事次第」(参照)が当時の様子を物語っている。

議事次第:
開会
安倍内閣総理大臣挨拶
渡辺公務員制度改革担当大臣挨拶
懇談会の運営について
国家公務員の人事管理の現状等について
閉会

 当時の安倍内閣総理大臣と渡辺公務員制度改革担当大臣が冒頭挨拶をしている。この二人が国家戦略機構を含めた行政改革の種を撒いた人であった。そして安倍元総理はこの改革がゆえに失墜し、渡辺元公務員制度改革担当大臣は自民党に夢破れて離党した。
 当時を知る山谷えり子参議院議員の回想が現下の状況を「【福島香織のあれも聞きたい】山谷えり子氏インタビュー」(参照)で述べている。

それから、国家戦略局なんて、国家戦略が嫌いな人たちがまたカムフラージュで作るんだっていっているけれど、あの安倍政権のときの“チーム安倍”(の首相補佐官たち)は事実上の国家戦略局なんですよ。安全保障と経済と、私が教育、それから拉致と戦略。5人でチームを作って、霞が関(省庁)から後ろを断ち切って応募してこいと呼びかけて、若手30代の官僚たちが100人くらい面接・試験を受けにきたんですよ。それで25人採用して30人で国家戦略を考えるチームを作ったんですよ。それをマスコミは、あれをお友達ナントカと、揶揄したわけでしょう。今度、民主党が安倍政権のまねして、国家戦略局をつくるっていったら、いかにも新しいことやるように書いているんですよ」

 そう見えてもしかたがないのではないか。しかし、自民党安倍政権が種を撒き、民主党鳩山政権が刈り取るとしても、その実を得るのが国民であればよいのだが、読売新聞記事「民主公約…政府に議員100人、政治主導図る」(参照)に図示されているように、内閣から霞が関のパス(経路)が2つ増設されるだけとなれば、政治は混乱するだけに終わるだろう。

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2009.08.12

戦後の「傷痕」

 雑談。9日、長崎市で催された長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で麻生首相は用意した挨拶の文章を読み上げたのだが、そのくだりに「一命をとりとめた方も、癒やすことのできないショウセキを残すこととなられました」があった。え? ショウセキ? 夏目ショウセキ、ふとダジャレが浮かんでしまうのは不謹慎なことだが、ショウセキと聞いて、「ああ、それって傷跡(きずあと)じゃね」「また麻生さん読み間違えたんじゃないの」と話題になり、昭和30年生まれの、社民党の福島党首は同日の長崎市での記者会見で「追悼式は格別な場所。特に長崎は『祈りの平和祈念式典』と言われている。『傷跡』を『しょうせき』と言われ、意味が分からない」と批判したとのことだ(参照)。祈りの場で意味のわからないことを言ってはいけないそうだ。というわけで、坊さんは意味のわからないお経を唱えると、瑞穂丹に怒こられちゃうぞ、とかいうと怒られそうだ。時事によると「1年に1回の祈りの場で、平和式典という重要な場所で、言い間違えるのはやめてほしい」(参照)らしい。そう言われると緊張しちゃうね。
 ようするに、またまた麻生総理の無教養かということで、またまたこのネタかよということでそれほど話題にならなかったように思えたがどうだろう。話題になりましたかね。以前の類似ネタのように、いや昔の広辞苑によると「傷跡」は「ショウセキ」と読んでよいのだ、みたいな面白い話でも出てくるかとも思ったが、それもなさそうだった。今回ばかりは、やっぱあれだよね、麻生総理、国語力ないよね、庇いきれん、ということかな。
 ほいじゃ、私が庇おうかな。
 いちばんいい弁護は、「傷跡」は「ショウセキ」と読んで正しいという辞書とか事例とか、法則とかをバシっと提示できればよいのだ。できるかな。
 「足跡」なら、「あしあと」でも「ソクセキ」でもよい。「筆跡」は「ヒッセキ」だが「ふであと」という読みもある。「旧跡」は「キュウセキ」だが「ふるあと」という読みもある。
だったら、「傷跡」は「きずあと」でも「ショウセキ」でもいいんじゃないか論はどうよ。
 答え、ダメ。
 逆になぜ「傷跡」は「ショウセキ」と読んではいけないのだろうか。
 実は簡単。そういう読みが辞書に載ってないから。じゃあ、みんなで使って辞書に載せようというならそうなるかというと、そうなる。言葉というのはそういうもの。
 というところで、では、これまでの日本語の歴史で、なぜそうならなかったのだろうか、「傷跡」を「ショウセキ」と読まなかったのだろうか、と考えてみると、いや、マジでこの問題の面白さが見えてくる。
 類例を見ていくと、遺跡・奇跡・軌跡・旧跡・行跡・形跡・口跡・航跡・古跡・罪跡・史跡・事跡・失跡・手跡・証跡・蹤跡・定跡・真跡・人跡・聖跡・戦跡・踪跡・足跡・追跡・犯跡・秘跡・飛跡・筆跡・墨跡・名跡・門跡……とあるが、「痕跡」のように、訓読みのみで音読みはねーよという例はなく、こいつだけイレギュラー感がある。違うかな。
 違う。「あと」の側から追ってみると、「麦跡(むぎあと)」「雨跡(あめあと)」「刈跡(かりあと)」というのがある。他に「跡」を「あと」と和語で読ませるのは、「剃り跡」「焼け跡」「往に跡」のように動詞の送りのあるケースが法則的に見える。が、「傷跡」は「傷ず跡」ではないので、この系列ではないだろう。とすると、「傷跡(きずあと)」は「麦跡(むぎあと)」「雨跡(あめあと)」「刈跡(かりあと)」の系列なのだろう。
 とすると、「麦跡」「雨跡」「刈跡」などの「跡(あと)」のように、以前はそれがあったが今はその残存で示されるもの、みたいなものだろうか。確かに、「傷跡」は、傷があってかさぶたができて、今はかさぶたがとれたけど、跡が残りましたという感じはしないでもない。
 でも逆に、「遺跡」「奇跡」というのは、そういう「跡」なのかというと、実は「遺蹟」「奇蹟」だった。戦後GHQが日本人は難しい漢字使うんじゃねーよと諭してできた漢字制限で、しかたねーとして使ったものだった。これが現在の常用漢字にまで影響している。ほかに割食ったのに、旧蹟・古蹟・史蹟・事蹟・手蹟・真蹟・聖蹟・秘蹟・筆蹟・墨蹟などがある。でも「聖蹟桜ヶ丘」は固有名詞なので「聖蹟」のまま。ちなみになぜ「聖蹟桜ヶ丘」なのかというと、まあ気になる人はぐぐれ、よ(知っておいたほうがよいよ)。
 「蹟」がすべて「跡」になったかというと、なったようだ。昭和31年7月の国語審議会資料だと「蹟」は「跡」とせよ、としている。が、これ、「セキ」の読みの「蹟」であって、「あと」の読みの「跡」にまで対応しているとまで適用するのは、逸脱っぽいぞ。ふむふむ。
 それと、現在の「跡」の成語は元はすべて「蹟」かというと「定蹟」なんていう言葉ない……あった。異体字だな、ようするに。
 さてと。
 では、「傷跡」は、最初から「傷跡」なのか、「傷蹟」だったのかというと、どっちもない。だから、「ショウセキ」がないということにもなるのだが。
 ではどっから「傷跡」が出てきたかというと、「疵痕(きずあと)」から。
 「疵」も「痕」も、戦後は使えねー、ということで、両方宛て字にして「傷跡」ができた。これ、戦後の言葉だったようだ。昭和15年生まれ、麻生塾小学校で小学校3年まで学んだ麻生太郎くんは、正しい日本語の「疵痕」を学んで、インチキ日本語の「傷跡」は学んでないのかも。
 「痕」だが、他に、血痕・残痕・傷痕・条痕・爪痕・瘡痕・弾痕・刀痕・痘痕・瘢痕・墨痕・涙痕があり、この中に「傷痕」がある。「傷痕」は「疵痕」の宛て字なのか、別の系列なのか、ちとわからない。
 「傷痕」は、「きずあと」とも読めるが、「ショウコン」と読んでもよい。というか、戦前はこういう熟語はどっちで読んでもよかったのではないか。おそらく、「傷痕」という言葉があれば、それに対応する和語の「きずあと」を充ててもよく、逆もけっこうあったのではないかルール。というか、麻生さんの脳内もこれなんじゃね。
 と、字引を見ていくと、広辞苑の「傷痕」の用例に「戦争の傷痕(きずあと)」が掲載されいるのを発見。どうも、あれだ、ある時期までは、「戦争の傷痕」というのが通例だったのではないか。

cover
NHK 新用字用語辞典
 というわけで、ここまでをまとめると、ある時代までは「戦争の傷痕」という「傷痕」が通例だったけど、当用漢字・常用漢字の規制で政府公文書は「傷跡」になったのだろうか。やっぱ戦後も勉強したほうがよかったね麻生総理、なのか。
 NHKの新用字用語辞典(参照)を見たらこうあった。

きずあと 傷あと〔跡・▲痕〕

 NHKは「傷跡」は認めたくないようだ。理由も調べたがよくわからない。おそらく、(1)そんなの日本語の破壊だろやめろとけ、(2)読み間違いが出るだろ、のどちらかだろう。たぶん、両方あるんじゃないか。
 だとすると、麻生さんは、挨拶文を官僚に書かせるんじゃなくて、NHKのニュース原稿の人に書いてもらうと、「傷あと」と書いてくれるので、読み間違って瑞穂丹怒っちゃうに遭遇することがなかったのではないかな。
 で、終わりかなと、政府系の文章を見ていくと、「税制調査会第5回金融小委員会議事録」(参照)に。

 では、事務局、よろしくお願いいたします。
(中略)
 ただ一つ残念ながら、日本につきましては、そこにございますように、バブル崩壊後の傷痕が癒えぬままに不調が続いているということでございます。

 あれ、「傷痕」あるんじゃん。
 あるじゃんどころじゃねーな。これも。「小泉内閣総理大臣の談話 平成十三年八月十三日」(参照)に。

とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。

 ありゃりゃ。「傷痕」、小泉元総理の挨拶でも使っているじゃん。
 これはあれかな、麻生さんの挨拶文に「傷跡」なんて書いた人の教養が足りなかったというのが妥当な結論になりそうだ。

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2009.08.10

リオ・ティント社事件、雑感

 ブログは生成されつつある歴史の同時代人証言でもあり、この間書こうと思って書き落としていたこといえばリオ・ティント社事件だった。私はこの分野に詳しいわけでもないが、いずれ日本が向き合う大きな問題の象徴でもあるように思えるし、率直に言って昨今の衆院選騒ぎを見ているとそれは手ひどく向き合うことになるようにも思えるので、雑感を記しておきたい。
 当面の問題は先月の5日に遡る。世界第二位の鉄鋼石会社でもある、英豪系の資源大手リオ・ティント社の上海事務所従業員4人 --- 価格交渉に当たる豪州籍スタン・フー(Stern Hu)氏ほか部下の中国籍の3人 --- を中国公安当局がスパイ容疑で拘束した。当局側での容疑は、国家機密に相当する鉄鉱石の価格交渉の機密情報を盗むことで中国に経済的な損害を与えたことと、中国鉄鋼関係者に賄賂を渡した汚職というものだ。当局はフー氏が交渉相手だった中国鉄鋼メーカーから数名の身柄も押さえた。
 どのような機密情報であったか、また賄賂はどのようなものであったが当然問われる。報道されているところでは、フー氏率いるリオ・ティント社が鉄鉱石価格交渉のために関連者に賄賂を渡し秘密文書を得たとのことだ。それには交渉の上限価格、全中国の鉄鋼メーカーの在庫量、生産コストなどが記されていたとも言われる。
 リオ・ティント社を含め国際社会は納得していない。特にこの問題に深く関わることになったオーストラリアの外相は、容疑の証拠は提示されていないと強く反発している。現状の見通しでは、この問題は解明されることはないだろう。今日のロイター「リオ・ティントは6年間スパイ行為働いた=中国国家機密保護局」(参照)の報道でもまったく進展は見られないというか、悪化している。
 問題が中国国家の中枢が関連する国家性を帯びていることから、別の理由が噂され、通常なら陰謀論的な説明と言われそうなものだが、そちらのほうが通説になりそうだ。「NHKアジアを読む」の「リオ・ティント社員拘束 中国政府の意図は」(参照)でも取り上げられていたが、背景には中国が世界第二位の鉄鋼会社リオ・ティント社を資源囲い込み世界構想の上からも獲得したいとする意図がある。中国がスーダンなどのアフリカの石油を囲い込むのと同様、鉄鉱石も安値で中国国内に安定調達したいのだ。
 リオ・ティント社は昨年までその株の9%を中国国有資源会社中国アルミ(チャイナルコ)が保有していたが、世界経済危機もあり、さらに18%までの引き上げを要請していた。これを受けて、チャイナルコへは中国四大国有銀行が融資することになっていた。端的に言えば、実質中国政府が英豪系の資源大手リオ・ティント社の筆頭株主となれば、経営を欲しいままにすることができる。
 親中と見られるオーストラリアのラッド政権のことだから、リオ・ティント社を実質に中国に売り渡すだろうとも見られていたが、意外にもというべきか、政権交代で左派的なシフトをしたかに見えたオーストラリア国内で与野党からリオ・ティント社を国益の点から売り渡すべきではないとの反対の声があがり、世論としてもオーストラリア国民9割以上もの反対に会った。結果、リオ・ティント社株主総会で最高幹部が更迭され、中国資本受け入れはお流れになり、代わりに英豪系資源大手のBHPビリトン社と提携することになった。当然、中国は怒った。そこで、今回のリオ・ティント社の社員拘束はその報復であると見られるようにもなった。
 もっともこの手のことでへこたれる中国様ではないわけで、産経新聞「中国が豪資源獲得へ再び触手、政治的揺さぶりも」(参照)が伝えるようにオーストラリア資源獲得への投資は活発に継続されそうだ。また、リオ・ティント社出資破談後に判明した主な買収・出資案件だけで10件にのぼり買収額は3兆円超に及んでいる(参照)。資源の乏しい日本はこうした問題に免れていてよかったと安堵するようでは日本が持つ資源のなんたるかについての認識がたりないといえるかもしれない。
 話はむしろ逆に考えてもよい。今後もオーストラリア資源を確保したいと中国政府が望むなら、世界から敵視されるようなスパイ事件を仕立て上げるのは愚かなことではないのか? リベラルな立場と見られるニューヨークタイムズも社説「Bad Business in China」(参照)も筋の悪さを指摘していた。


Beijing should not assume that it will pay no price for its thuggish behavior. It increases the cost of doing business in China, making foreign businesses more cautious about investing and deploying executives there, and it may fuel resistance to investments by Chinese state-owned firms in other countries. That could ultimately prove expensive.
(中国政府はヤクザまがいの行為をしてただですむと思うな。外国企業は投資や幹部職員の現地派遣に警戒することで、ビジネスコストが増大する。さらに海外の中国国営企業による投資への反感に火をつけることになる。とてつもなく高い代償となるかもしれない。)

 それがわからない中国でもあるまいと言いたいところだが、特に中国派遣の職員が突然逮捕されるといった話はニューズウィーク「Risky Business」(参照)を見ると珍しいことではない。
 それにしてもリオ・ティント社員拘束は国際社会を騒がす大きなニュースになり、この手の中国国内の大騒ぎはたいていは内部の権力闘争を暗示していることが多いが今回はどうか。当然ながらそういう視点での読みも出てくるのだが、こちらの筋はまだ見えてこない。見えてくると怖すぎな代物だったりするかもしれないし、日本も影響を受けざるを得ないかもしれない。

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2009.08.09

酒井法子覚醒剤取締法違反容疑、司法取引ならぬマスコミ制裁取引か

 この数日酒井法子覚醒剤取締法違反容疑関連の報道が続いた。NHKの7時のニュースですら大きく時間を割いていた。私は酒井容疑者がのりピーと呼ばれた時代から知ってはいるがさして関心を持つタレントでもなく、事件にもさして関心はなかった(よくある事件でしょ)。それでも今回の事件を見ていくとまるでドラマのような仕立てと展開でなるほど関心が寄せられるのもわからないではない。しかもこの事件については覚醒剤拡散が背景にあり、社会的な、象徴的な事件と言えないこともない。ブログが時代の記録なら言及する意味はあるかもしれないし、つらつらと思うに気になることもある。まさに、この事件報道が面白いという点の謎だ。
 ざっと事件の経緯を自分なりに整理してみたい。事件の発端は、酒井容疑者(38)の夫高相容疑者(41)が、3日未明渋谷区路上にて、覚醒剤取締法違反容疑で警視庁渋谷署に現行犯逮捕されたことだが、逮捕前の2日夜11時前、高相容疑者に同署員が職務質問しているとき、酒井容疑者が高相容疑者に電話で呼ばれ現場に来ており、署員が酒井容疑者にも同行を求めたが拒絶した。
 その後、高相容疑者のズボンから取り出した白い粉末が簡易鑑定で覚醒剤と判明する及び、参考人として事情を聞くべく酒井容疑者にも任意同行を求めたが、「あとで行きます。子供がいるから」と言い残し、そこにやってきた自動車に乗って立ち去り行方不明となった。10歳の長男の行方もわからず安否も話題にもなった。
 酒井容疑者の携帯電話の電波が途絶えたのは4日、山梨県の身延山付近であったことから、その地理と関連した噂も流れた。5日長男は知人宅にいることがわかった。失踪時の3日に預けられていた(参照)。
 酒井容疑者が行方不明になっている間、自宅からアルミ箔に包まれた覚醒剤0.008gと、酒井容疑者のDNA型に一致する唾液が付着した吸引用と見られるストローが押収され、覚せい剤取締法違反容疑で7日逮捕状が請求された。容疑者として報道されたのはこれ以降になる。
 7日の夕方高相容疑者の弁護士が警視庁に酒井容疑者の出頭を連絡し、8日夜、酒井容疑者は親族らに伴われて出頭した(参照)。
 酒井容疑者が容疑を認めた印象を深める報道もあるが、組織犯罪対策5課の玉村道雄課長の記者会見では、酒井容疑者は「容疑を認めたとは言い切れず、難しい捜査になる」と述べている。司法上は容疑を認めたことにはなっていないようだ。また認めたとしても、過去の類似のケース(小向美奈子、加勢大周、ジョン・健・ヌッツォ)などから考えて、有罪であっても執行猶予がつくだろう。
 事件の経緯を顧みながら不可解だと思えるのは、まず酒井容疑者自宅から覚醒剤と大量の吸引用のストローの押収された時刻だ。東京新聞「酒井法子容疑者を逮捕 警視庁に出頭」(参照)では、「逮捕容疑は、三日午前十一時四十分ごろ、自宅で、アルミ箔(はく)に包まれた覚せい剤〇・〇〇八グラムを所持していた、とされる」とあるが、この時刻が自宅押収の時点を指すのか、逮捕状の形式上その時点に遡及できるということなのか。おそらく前者ではないだろうか。
 今回の事件は劇場型報道事件と言ってよいと思うのだが、ドラマの山場の一つは、悪い夫を持つ清純派女優が夫の逮捕で動転し失踪したかに見えたが、彼女もまた同罪の容疑者であったと一転する7日の変化である。ところが、容疑の証拠と思われるブツは3日、失踪とほぼ同時点で見つかっているようだ。だとすると、警察は今回の事件の発端から酒井容疑者とわかっていて、メディア的には悲劇のヒロインの章を繰らせていたことになる。つまり、ドラマのシナリオを書いていたのは警察だということになる。
 そうなのだろうか。あるいは逮捕状の請求までに時間がかったのだろうか。3日にガサ入れはしたものの、DNA鑑定を含めブツの確認ができたのは6日頃であったということだろうか。私にはこの時系列がよくわからないが、警察の演出のように思えてならない。ガサ入れ発表には意図的な遅れがあったように見える(というか3日の時点で別居の「悲劇のヒロイン」をガサ入れしたウラは何だったのだろうか)。他にも、高相容疑者逮捕時の当初のニュースには、酒井容疑者がそこから失踪したという話は入ってなかったが、その後含まれたように思える。報道的には、後から「そういえばあのとき」的エピソードがけっこう突っ込まれていたようだった。
 悲劇のヒロインから黒い容疑者への転身することで、酒井容疑者も、失踪者から逃走者に変わるのだが、当初の失踪時に40万円をATMから降ろしたあたりで、動転した失踪でもなくまた1Q84の青豆さんほど組織的な逃走でもないあたりで、常識的には数日もすればカネが尽きて出てくるとも予想されていたわけだが(出てくる形態にはイヤな予想もあったが)、この時間稼ぎはすでに一部で言われているように、ヤク抜き期間だったのだろうか。
 覚醒剤(シャブ)がその程度の日数で抜けると常用者に信じられているものか(誤解であれ)という基礎知識が私にはないのでわからないが、私の印象では、ヤク抜きではないかと思う。というのも、出頭が弁護士付きで、しかもその供述も弁護士リハーサルどおりといった印象を受けるからだ(参照)。
 この事件の面白さはそのドラマ性であるとして、事件としての本質はなんだろうか。ブログらしいネタのエントリを書きたいわけではないが、私は、これは警察対酒井容疑者のインテリジェンス対決なのではないかと思う。
 3日のガサ入れ時点で、逮捕状が取れるだけのブツは押収したといっても、0.008g、つまり8mgのシャブに対して、ストローを「吸引具」として大量に押収するあたりにソープオペラを見ているような滑稽さがある。私はビタミンCの補給にアスコルビン酸原末を1000mgほどジュースに入れて飲むことがあり、人に見られてシャブですかと笑われるが、それから推測するに8mgの白いお粉は耳かき一杯にもならないだろう。とはいえ、8mgのシャブが押収されたのは確かだろうし、酒井容疑者の供述もそれを前提に進められている。わからないのは、それで立件できるのだろうかという点だ。DNA鑑定といってもようするにストローに唾液がついていましたというだけの話だ。玉村課長会見にもそのあたりの操作の困難さや焦りが感じられる。
 だんだん陰謀論みたくなってきたが、警察がドラマ仕立てにして世間の関心を盛り上げたのだとすると、ヤク抜き隠居中の酒井容疑者が出てこないことや事件を複雑にさせないことへの懲罰的な意味合いがあったのではないだろうか。さっさと出てくるなら、さらっと執行猶予付きで終わるぞ、出てこないともっともっと、お話を面白くしちゃうからね、と。マスコミ制裁取引。これに対して、酒井容疑者からすれば、いつかバックレる日のためにヤク抜き期間が取れれば、起訴には持ち込めねーよ、だろうか。いやさすがに起訴回避を冷静に見ていたとは思えないので、だとすると、瓶の蓋としての彼女の、別の物語の書き割りを見据えていたのかもしれない。
 1Q84の第三部が待たれるように、ドラマスペシャル「清純派女優の足のタトゥーに隠された背徳~ワルの夫で目覚めた一族の本能~替え玉の女は身延の寺にこもっていた」の第二部「法廷でのインテリジェンスな争い~私はやっているけどやっていない~オッカムのカミソリ的冤罪の背後にある悪党の群れ」みたいのがあるのだろうか。ありそう。


補足
 8月4日時点の報道では高相祐一容疑者逮捕時の酒井法子容疑者同行の話はない。
 8月4日FNN報道「酒井法子さんの夫でプロサーファー・高相祐一容疑者、覚せい剤所持で現行犯逮捕」(参照


 歌手で女優の酒井法子さんの夫が、覚せい剤所持の現行犯で、警視庁に逮捕されていたことがわかった。
 酒井法子さんの夫でプロサーファーの高相祐一容疑者は2日、東京・渋谷区で警察官に職務質問を受けた際、覚せい剤を隠し持っているのが見つかり、覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕された。(08/04 00:27)

 8月4日日テレ報道「酒井法子さんの夫 覚せい剤所持で逮捕」(参照

< 2009年8月4日 4:40 >
 警視庁は3日未明、覚せい剤を所持していたとして、女優・酒井法子さんの夫で、自称・プロサーファーの高相祐一容疑者(41)を覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕した。
 警視庁によると、高相容疑者は2日深夜、東京・渋谷区の路上で職務質問を受けた際、微量の覚せい剤を隠し持っていた疑いが持たれている。調べに対し、高相容疑者は「自分で使うために持っていた」と容疑を認めているということで、警視庁は入手先などを追及する方針。

 8月4日日刊スポーツ「酒井法子の夫を逮捕、覚せい剤所持容疑」(参照

 タレント酒井法子(38)の夫でプロサーファー高相祐一容疑者(41)が3日、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで警視庁渋谷署に現行犯逮捕された。同署によると、高相容疑者は2日夜、東京・渋谷区内で同署員に職務質問された際、覚せい剤を隠し持っているのが分かり、3日未明に現行犯逮捕された。
 [2009年8月4日6時39分]

 ガサ入れは8月4日報道では高相祐一容疑者のみの文脈で「自宅などを家宅捜索」とし、酒井容疑者宅は伏されている。なお、高相祐一容疑者の覚醒剤発覚はズボンの下というよりパンツ脱がしたようだ。さらに後の情報からこのパンツ降ろしに酒井容疑者は立ち会っていることがわかる。
 8月4日共同「覚せい剤「使うため所持」 酒井法子さん夫、容疑認める」(参照

 女優酒井法子さん(38)の夫で自称プロサーファー高相祐一容疑者(41)が覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで警視庁渋谷署に逮捕された事件で、高相容疑者が「自分が使う目的で所持していた」と容疑を認めていることが4日、同署への取材で分かった。
 渋谷署によると、3日未明に東京都渋谷区道玄坂の歩道を1人で歩いていた高相容疑者に署員が職務質問し、覚せい剤が入ったビニール袋を下着の内側に隠していたため、現行犯逮捕した。
 同署は3日、自宅などを家宅捜索し、覚せい剤の入手経路などを調べている。
 高相容疑者は98年に酒井さんと結婚した。

 酒井容疑者の失踪も8月4日時点では高相容疑者の逮捕現場とは報道上はリンクされていない。
 8月4日スポニチ「のりピー失踪!所属事務所沈痛「返事がない」」(参照

 夫で自称プロサーファー高相祐一容疑者(41)が覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで警視庁渋谷署に逮捕された事件で、女優の酒井法子(38)が3日以降、連絡が取れず行方不明になっていることが分かった。所属事務所のサンミュージック・相沢社長が記者会見で明らかにした。

 サンミュージックが酒井容疑者と連絡が取れなくなったとしているのは、3日昼頃。別居酒井宅にガサ入れがあった時点だが、このことはこの時点では報道されていない。
 8月4日毎日新聞「酒井法子さん:行方不明に 親族が警視庁に捜索願」(参照)(2009年8月4日 20時7分)

 酒井さんの夫の高相祐一容疑者(41)は3日未明、東京都渋谷区内の路上で覚せい剤を持っていたとして、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された。酒井さんの所属事務所のサンミュージックによると、3日昼ごろから連絡がとれなくなったという。

 高相容疑者現行犯逮捕時に酒井容疑者が同行した話は5日になって登場する。
 8月5日日テレ「酒井法子さんと長男、いまだに連絡取れず」(参照)(2009年8月5日 12:52)

酒井さんの夫で自称プロサーファー・高相祐一容疑者(41)は2日深夜に東京・渋谷区の路上で覚せい剤を隠し持っていたとして、逮捕された。警視庁によると、覚せい剤が見つかった際、酒井さんは高相容疑者に電話で呼ばれ、現場に来たという。しかし、高相容疑者が連行される際、酒井さんは「子供を人に預けているので」と話し、現場を離れたということで、その直後から連絡が取れなくなっている。

 高相容疑者現行犯逮捕時に酒井容疑者が同行情報は報道上は5日警察側から。
 8月5日日テレ「行方不明の酒井法子…携帯の電波、山梨で途絶える」(参照

< 2009年8月5日 14:12 >
 歌手で女優の酒井法子(38)に捜索願が出された問題で、酒井の携帯電話の電波が山梨県南部で4日午後に確認されていたことが、分かった。警視庁は酒井が山梨県内にいる可能性もあるとみて調べている。警視庁によると酒井は、夫で自称プロサーファーの高相祐一容疑者(41)が、覚せい剤取締法違反の疑いで3日未明に東京都渋谷区の路上で逮捕された際、同容疑者に電話で呼ばれ、現場に駆けつけたという。しかし、高相容疑者が連行される際、「子供を人に預けているので」と話して現場を離れ、その直後から連絡が取れなくなっている。現在は10歳の長男と一緒にいると見られているが、携帯電話の電源は切れた状態だという。

 高相容疑者現行犯逮捕時に酒井容疑者が同行したという情報は5日以降「新たに判明」した。
 8月6日産経新聞「酒井法子さん、なぜ山梨? 父事故死、親せきも」(参照)(2009.8.6 07:36)

 覚せい剤取締法違反(所持)容疑で夫が逮捕された後に消息不明となっている歌手で女優、酒井法子(38)が、山梨・身延山付近にいた可能性が5日、浮上した。4日夜に携帯電話の電波が同所で確認されたが、その後は再び途絶えた状態に。また3日未明に夫が現行犯逮捕された現場に、酒井も“居合わせていた”ことが新たに判明した。

 警察側からは酒井容疑者の関連情報の詳細は6日でも封じれていた。
 8月6日デイリースポーツ「渋谷署は“失踪”ノーコメント」(参照

 警視庁渋谷署によると、高相容疑者は、取り調べに素直に応じているという。一部で高相容疑者が逮捕直前に職務質問された際、酒井が現場に駆けつけたと報じられたが、同署は「奥さんがどうこうというのは話す立場でない」と詳細を明かさなかった。酒井の“失踪”を高相容疑者が知っているかについても「ノーコメント」とした。

 酒井容疑者に逮捕状が出た7日には別居自宅の捜査が「7日まで」とし3日であった報道はない。
 8月7日共同「警視庁、酒井法子容疑者に逮捕状 自宅から覚せい剤、行方捜査」(参照

 警視庁は7日までに、酒井容疑者の東京都港区の自宅を家宅捜索し、微量の覚せい剤を押収した。高相容疑者の供述なども踏まえ、酒井容疑者の逮捕状取得に踏み切った。

 酒井容疑者の下着買いこみが情報となるのは逮捕状が出てから。
 8月7日日テレ「酒井容疑者 不明初日に下着など買い込む」(参照

< 2009年8月7日 14:44 >
 警視庁は7日、覚せい剤を所持していた疑いが強まったとして、3日から行方不明になっている女優・酒井法子容疑者(38)に対し、覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕状を取った。酒井容疑者は3日早朝に都内にある量販店で、下着などを買い込んでいたことがわかった。

 酒井容疑者が覚せい剤所持であったと認める高相容疑者の供述が公開されたのも、逮捕状が出た7日から。また、この供述は別居の酒井宅で覚醒剤が押収されたことに関連しているが、押収時点も供述時点も警察は公開していない。
 8月7日共同「酒井容疑者の覚せい剤所持認める 現行犯逮捕の夫供述」(参照

2009年8月7日(金)19:23
 覚せい剤取締法違反容疑で女優酒井法子容疑者(38)に逮捕状が出た事件で、夫の高相祐一容疑者(41)が、酒井容疑者の覚せい剤所持を認める供述をしていることが7日、警視庁への取材で分かった。覚せい剤が押収されたのも酒井容疑者が別居後に住んでいた自宅で、高相容疑者は普段、立ち寄っていなかった。警視庁はこうした状況から、見つかった覚せい剤が酒井容疑者のものと判断している。

 7日になって高相容疑者現行犯逮捕時に酒井容疑者にも尿検査が求められていたことを警察は発表した。報道を見るとわかるが、警察は最初から酒井法子を容疑者と疑っていたようだ。
 8月7日産経「【酒井法子逮捕状】切迫感?時間稼ぎ?失意一転…どこへ」(参照)(2009.8.7 22:26)

 警視庁によると、酒井容疑者は高相容疑者が職務質問を受けた直後に、電話で呼び出された。酒井容疑者はこの際、高相容疑者が隠し持っていた袋の中身について警察官に問われると、「下半身の薬だからみせられない」と説明。簡易検査で袋の中身が覚醒剤と判明すると、その場で泣き崩れたという。現場には高相容疑者が呼び出した「社長」と呼ばれる男性もいた。
 警察官は、酒井容疑者の尿検査を求めたが、「絶対に嫌です」と拒否。さらに参考人聴取するため、「(路上から)場所を変えましょう」と渋谷署へ任意同行を求めたが、酒井容疑者は「子供を(知人に)預けているので、あとで行きます」と言い残し知人男性の車で立ち去った。
 この後、酒井容疑者は高相容疑者の母親に電話し「どうしたらいいか分からない」と伝え、消息を絶った。

 7日から警察の報道は拡大する。が、その割に、別居酒井容疑者のガサ入れ時点は曖昧。
 8月8日産スポ「酒井法子容疑者逃亡、逮捕状にも出頭せず」(参照)(2009.8.8 05:07)

 容疑が濃厚となった根拠は2点ある。警視庁は千葉県内の高相容疑者の自宅とは別に、東京・南青山の酒井容疑者の自宅を家宅捜索し、微量の覚せい剤や吸引器具を押収した。同宅に高相容疑者はふだん立ち寄っておらず、押収物は酒井容疑者の所持品と判断。事件を機に不仲説が根強かった夫妻が、別居していたことが明らかになった。
 高相容疑者は、酒井容疑者宅の覚せい剤について「自分のものではない」と供述し、「妻と一緒に使ったことがある」とも。別居中とはいえ、妻をよく知る夫の言葉は重い。警視庁は酒井容疑者にも薬物使用の疑いがないか高相容疑者の取り調べを進め、所持を認める供述を得た。

 7日でも酒井容疑者のガサ入れ時点は公開されていないが、7日報道を見ていくと、高相容疑者現行犯逮捕の場所から遁走した酒井容疑者が自宅に戻り逃走しているまでの経緯を警察は押さえていたように見える。ガサ入れは、高相容疑者の供述とこの逃走行動によるものではないだろうか。なお、酒井容疑者のシャブの入手経路は高相容疑者のそれとは異なる含みがある。
 8月7日日テレ「吸引器具の付着物、酒井法子容疑者のDNAと一致」(参照)(2009年8月8日 12:47)

女優の酒井法子容疑者(38)に覚せい剤取締法違反容疑で逮捕状が出た事件で、同容疑者の自宅マンションから押収した吸引器具の付着物を鑑定したところ、酒井容疑者のDNA型と一致したことが8日、明らかになった。酒井容疑者は、夫で自称プロサーファーの高相祐一容疑者(41)の住居とは別に、港区南青山にあるマンションの一室に居住。酒井容疑者はいったん同室に立ち寄った後、逃走したと見られる。その後、警視庁が同室を家宅捜索したところ、無造作に隠してあった微量の覚せい剤と吸引器具を見つけて押収。同庁が高相容疑者にただしたところ、「自分も部屋に出入りするが、この覚せい剤は自分のものではない」と説明しているという。

 悲劇のヒロイン酒井法子さんが「酒井容疑者」に書き換えられた7日は、ヤク抜け時期として警察側の焦りが頂点に達した時期でもあった。
 8月8日スポニチ「酒井法子容疑者:もうギリギリ “リミット”近づき捜査員に焦り」(参照

 薬物使用は通常、尿検査で調べる。覚せい剤使用後、尿内で確認できる期間について、薬物事件に詳しい小森栄弁護士は「個人差はあるが48時間すなわち2日間で、摂取した覚せい剤の約80~90%は排せつされてしまう」と説明。1回の使用の場合、4日でほとんどが排せつされ、1週間から10日が経過すれば尿検査で陽性反応が出る可能性はほぼないという。
 毛髪には2週間以上残るとされる。しかし、毛髪をまとめて採取するのには身体検査令状が必要で、それには尿検査で陽性反応が出なければ令状は請求しづらい。酒井容疑者の安否も含め、捜査員が焦る理由はここにもある。
 また、小森氏によると、自宅から押収された覚せい剤0・03グラムは、だいたい1回分の使用量だという。

 時系列で興味深いのは、こうした7日の警察報道のバーストと同時点で酒井容疑者の出頭交渉は並行して進んでいたことだ。9日の報道でこのことが明かされる。また、酒井容疑者宅ガサ入れが高相容疑者現行犯逮捕と同日3日であったことも、9日になって出てくる。
 8月9日朝日新聞「酒井法子容疑者を逮捕 都内で出頭、覚せい剤所持の疑い」(参照

 高相容疑者の弁護士が7日夕、警視庁に「酒井容疑者が出頭したいと言っている」と連絡。打ち合わせをした上で8日夜、親族らに伴われて出頭したという。

 また。

 組織犯罪対策5課と渋谷署によると、逮捕容疑は3日に東京都港区南青山2丁目の自宅マンションの部屋で、アルミはくに包まれた覚せい剤0.008グラムを隠し持っていたというもの。

 8月11日になってようやく警察は最初から酒井容疑者に疑問を持っていたことを、警察自身から明らかにした。
 8月11日時事「夫から覚せい剤入手か=職質時から薬物疑惑-知人女性に手紙も・酒井法子容疑者」(参照)(2009/08/11-05:29)


 高相容疑者が3日、東京都渋谷区の路上で職務質問を受けた際、酒井容疑者が駆け付けたが、警察官は同容疑者のやせ方や言動から、薬物使用の疑念を持ったという。

 不起訴を見越しての懲罰的な情報戦であった可能性は結果的にメディアからも認める声がある。
 8月11日サンスポ「微量で立証困難…酒井容疑者“不起訴”?」(参照)(2009年08月11日 07:49 )

 今回は微量で、薬物事件を多く手掛ける小森栄弁護士は「通常なら起訴猶予になる」と指摘。検察幹部も「所持での起訴はハードルが高い。今回は微量なので鑑定してももほとんど残らず、公判で鑑定の適法性などを立証するのが困難になる」と慎重。警視庁の捜査幹部は「微量の事件は検事が起訴したがらない」と苦慮する。酒井容疑者は使用を認めているが、6日間行方不明だったこともあり、尿検査で覚せい剤反応は出なかった。
 一方、検察出身のある弁護士は「芸能人の麻薬汚染がここまで深刻化している以上、捜査当局は今回の事件を一罰百戒の意味も込めて是が非でも起訴、有罪に持ち込みたいはず。組織犯罪対策5課が捜査の中心となっているのは、入手経路も含めて背後関係を徹底的に洗い出す意図がうかがえる」と話す。
 また、別の法曹関係者は「使用についての立件は困難が伴うが、所持は本人も吸引まで認めており立件できるはず。警視庁も相手が有名人なので、社会的影響を考えて不起訴という事態は避けたいはず」との見方を示した。不起訴となったとしても、清純派として人気を集めてきた酒井容疑者にとっては、イメージが大きく損なわれたことは間違いない。

 8月14日なって渋谷での初動時に酒井容疑者が逃走したらしいことが警察情報で出された。これまでこの事実を警察は隠蔽していた。
 「酒井容疑者、運転男性に「早く行って」」(参照

 酒井法子容疑者が逮捕された事件です。酒井容疑者が夫の逮捕現場から立ち去った際、待っていた車の運転手に「早く行って」などと指示していたことが警視庁への取材で新たに分かりました。


 酒井法子容疑者は今月3日、夫の高相容疑者が東京・渋谷で逮捕された際、自分も所持品検査や任意同行を求められ、「あとで警察署に行きます」と話し、待っていた車に乗り込みました。
 警視庁への取材で、その際「早く行って」などと運転席に乗っていた男性に、逃走を促すような指示をして行方が分からなくなったことが新たに分かりました。


8月12日時点で
 背後に覚醒剤組織がありそうなので最大限に留保しなければならないが、この事件は基本的には執行猶予の芸能人覚醒剤使用でしかない。酒井容疑者が覚醒剤を使用したのは悪いし処罰はされなくてはならないが、警察がより対応すべきは彼女に覚醒剤をデリバーした組織のほうだ。しいて言うなら、酒井容疑者は組織のカモの被害者ポジションにあり、それをここまで悪玉に仕立てたのはなぜかということになる。そのことは警察もわかっていながら、今回は、酒井容疑者に焦点を当てすぎてしまったことには相応の理由があると考えざるを得ない。
 すでに初動から警察は酒井容疑者を狙っていたことは明らかにしている。現場失踪の同日にガサ入れをやっていてたが、起訴できるだけのブツが挙げられず、小便から覚醒剤が抜ける時期が迫っていた。なんとか小便とその元の身柄をゲットしないとまずいという焦りが背後にあったことももう確かなところと見てよいだろう。
 つまり、警察は酒井容疑者のガサ入れ前に遂行するはずだった小便の身柄押さえに失敗したことを隠しているのだろう。なお、ここは以上の流れからの推測になるが。
 すでに報道されているように酒井容疑者の逃走ではいろいろな持ち出しがあったと見られている。普通に考えればブツの処分だろう。酒井容疑者の背後で逃走を助けるために手際よくスタッフが働いていたのも、酒井容疑者のブツからルートが割れるのを恐れたと見てよいだろう。警察としてはそれを処分させないように尽力したはずだが、なにかの理由で失敗したのだろう。これを仮定すると、今回の警察シナリオはほとんど解ける。
 今後はこの状況で警察としてはなにがなんでも起訴に持ち込むしかない。8月12日デイリースポーツ「酒井法子容疑者 逃げ得ダメ!毛髪鑑定検討」(参照


覚せい剤取締法違反(所持)容疑で女優の酒井法子容疑者(38)が逮捕された事件で、検察幹部や専門家から不起訴の可能性が指摘される中、警視庁が酒井容疑者の常習的な覚せい剤使用を裏づけるため、毛髪鑑定の準備を進めていることが11日、分かった。酒井容疑者の自宅から押収された覚せい剤があまりに微量すぎ、所持容疑での立件は困難とみられるが、容疑を「使用」や夫の高相祐一容疑者(41)との「共同所持」に切り替え、調べるもようだ。

 小便は逃げおおせたが毛髪ではたぶん逃げられない。だが、所持容疑での立件はできない、だろう。では共同所持かというところで、実はこの事件の問題が浮かび上がる。8月12日スポニチ「ウソついてる?酒井容疑者 夫とは別の独自ルートも存在か」(参照

いつ頃から妻が常用し始めたかは分からない様子で、目安として、高相容疑者自身は「数年前から使っていた」と説明。「妻は1人でやっていると思った」とも話し、酒井容疑者が独自ルートから入手していたとの可能性も示唆した。

 警察が狙いたいのは「酒井容疑者が独自ルート」のほうだが、「共同所持」立件だと、高相容疑者が主体になり、独自ルートが曖昧になる。
 それでもなんとか立件するには、警察としても酒井容疑者の協力が必要になるし、酒井容疑者側も通常の芸能人覚醒剤使用の線で折れてくださいよという取引で応じているようすだ。
 事実上の司法取引が始まっていると見ていい。ようするに独自ルートの蓋が成立するかというところで警察の苦戦がわからないでもない。警察を責めたいわけではないし、独自ルートはおそらくあるだろうからそこをなんとか解明していただきたい。常識的には、日本国内のシャブの大手ルートは予想が付くがなかなか公に言及しづらい。タブーはまだ深い。

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2009.08.07

民主党の租税特別措置見直しはビミョー

 民主党マニフェストβの税制の項目で掲げられている租税特別措置見直しの、やや詳細な話が読売新聞記事「民主、租税特別措置3割廃止で1兆円超捻出」(参照)で報道されていた。他ソースは見当たらないようなのと、私がこの問題を十分理解しているわけでもないので、おっちょこちょいかつ拙速な感想ということになるかもしれないが、書かないでいると忘れそうでもあるのでメモ書きしておこう。
 結論からいうと、ビミョー。そう悪くもないんじゃないのとは思った。租税特別措置見直しは、現下の文脈では財源捻出議論でもあり、自民党あたりからの風当たりが強いはずでもあるが、民主党の財源構想17兆円の内の1兆円分なので、枠組みからすればそう大きな比重でもない。「極東ブログ:民主党マニフェストの財源論は清和政策研究会提言に似ているのではないか」(参照)で触れた、民主党政策財源論の枠組みでは、「所得税の配偶者控除の廃止などで2兆7000億円」の「など」に当たるだろう。話が逸れるが「など」の租税特別措置見直しが1兆円となると、所得税の配偶者控除の廃止分は2兆円近いので、そっちのほうがけっこうな増税になりそうだ。
 複雑な税制の見直しは新しい政権にとって必須のものだろうし、民主党としてもこの問題は継続的に検討されていた。2007年11月29日ロイター記事「企業関連租税特別措置の抜本的見直し、民主党内では先送りの声も」でもそのようすが伺えた。


「租税特別措置は隠れた補助金」―――。こうした問題意識から、民主党は、租税特別措置の抜本的見直しを行うべく、各省庁からのヒアリングを続けている。しかし、どの企業にどの程度の恩恵があり、政策効果はどの位上がっているのか、という基本的なデータが揃わない状況。民主党税調幹部からは、来年1年かかって基本的なデータを集め、見直しはそれを基に考える、という意見も出始めている。

 当時、民主党は政権与党でもないこともあり、事実上ブラックボックスというか、禁断の聖域にぶち当たっていた。

 28日には総務省や財務省など6省、29日には経済産業省からヒアリングを行った。なかでも、経済産業省は、研究開発促進税制や情報基盤強化税制(IT促進税制)など比較的大規模な企業向け租税特別措置を抱えている。
 ただ、経産省が提出した資料には、民主党が求めた具体的な企業名や減税規模は記載されていない。ヒアリングの席上、民主党議員からは「個別企業ごとに見れば、一部上場企業でも相当使われているはず」との指摘があったが、経産省側は「国税庁しか把握していない」と繰り返し、明らかにはならなかった。

 私の印象では、この側面の民主党の政策も「やっぱそれって小泉改革じゃね」だが、リアル小泉改革を担った本間正明元政府税調会長の顛末を思い出すと……桑原桑原……(参照)。
 民主党マニフェストβに戻ると、租税特別措置見直しの理念と方針はこう謳われている(参照)。

租税特別措置透明化法の制定
 租税特別措置について、減税措置の適用状況、政策評価等を明らかにした上で、恒久化あるいは廃止の方向性を明確にする「租税特別措置透明化法」を制定します。
 特定の企業や団体が本来払うはずの税金を減免される点で、租税特別措置(租持)は実質的な補助金であると言えます。しかし、民主党の調査の結果、税務当局も要求官庁も各租特の必要性や効果を十分に検証しておらず、国民への説明責任を全く果たしていない実態が浮かび上がってきました。
 租特の透明化を進める中で、租特を含めた実質的な負担水準を明らかにし、それにより課税ベースが拡大した場合には、法人税率の水準を見直していきます。

 なんとなく、ふーんといった印象だし、「特定の企業や団体が本来払うはずの税金を減免」というのも違和感がないようだが、民主党の租税特別措置見直しは法人を狙っている。このことは民主党マニフェストβの別箇所にもある。

法人税改革の推進
 租税特別措置の抜本的な見直しを行いますが、これを進めて課税ベースが拡大した際には、企業の国際的な競争力の維持・向上などを勘案しつつ、法人税率を見直していきます。
 なお、租税特別措置の見直しにあたっては、研究開発の促進など真に必要な措置については、現在の時限措置から恒久措置へと転換していきます。また、温暖化を中心とする環境対策、雇用の維持・拡大、自治体の工夫や努力などによる地域活性化などの重要課題への対応を法人税制の中で図ることも検討します。
 欠損金の繰戻還付制度は凍結を解除します。

 これだと基本の狙いは法人のように見える。それとこの政策だが、失敗したら後で法人税率のほうで調整するつもりということのようだ。自民党の現行の制度と結果的にはそれほど変わらないのではないかという印象はそのあたりにある。
 法人ターゲットに加えて気になるのは、「研究開発の促進など真に必要な措置」と「温暖化を中心とする環境対策」が触れられている点だ。後者の温暖化についていえば、高速道路無料化はピグー税の観点からすればべたな逆行だろうし、前者については後で触れたい。
 さてエントリのネタ元、読売新聞記事「民主、租税特別措置3割廃止で1兆円超捻出」に入る。まず大枠だが。

 財務省試算では、08年度の租税特別措置は減税分が約7・5兆円、増税分が約2・3兆円で、差し引き約5・2兆円の減税となっている。

 つまり7.5兆円から1兆円絞るぞということのようだが、そうでもない。最初から民主党党首の関連かなと思われるような大きな除外部分がある……いや、ここは普通に考えても削れないだろう。

石油化学製品の原材料となるナフサへの免税措置(3兆7890億円)については、プラスチックなど幅広い製品価格の上昇にはね返るため、すでに免税の継続方針を示している。

 ざっくりナフサ免税の3.8兆円は除外なので、残る3.7兆円から1兆円ひねり出すということになる。この比率だと、絞るのはちょっときっついはずだ。で、どこが狙われたかというと。

 例えば、住宅ローン減税(8240億円)は「最高控除額が大きすぎる」、企業の研究開発を後押しする試験研究費の特別控除(6510億円)も「どの程度の効果があるのか不明」などと指摘している。民主党は、減税適用者に明細報告を義務づける「租税特別措置透明化法案」を遅くとも10年の通常国会で成立させ、実態調査を急ぐ方針だ。11年度から廃止する方針を示している所得税の扶養控除、配偶者控除分と合わせ、2・7兆円分の財源を確保したい考えだ。

 ナフサへの減税を除いた以降の順序で見ると、住宅ローン減税(8240億円)、企業の研究開発を後押しする試験研究費の特別控除(6510億円)に続き、確定申告を要しない配当所得(3360億円)、中小企業投資促進の特別控除(2560億円)となっている。以降は200億円以下になる。
 目立ったところは住宅ローン減税なのだが、All About「2009年からの住宅ローン減税」(参照)を見ると、これが「大きすぎる」ということなのかなと、普通考え込むものがあるのではないか。同サイトの説明だと、「年収500万円の給与所得者で、夫と妻、子2人(内、1人が特定扶養親族)の場合」に、「1年の減税額は所得税・住民税合計で119,000円」とのこと。年間12万円くらいの減税効果。それが10年ほど続く。家を持ちたい庶民としては嬉しいが、これが削れるか。もっとも、このくらいの年収の場合は民主党案でもお目こぼしになるかもしれないが、それでも3000万円までの借入を狙っているのはどうだろう。。
 自民党というか麻生政権としてはけっこうな減税だったように見えるし、それなりの効果もすでにあったようだ。6日付けロイター「住友不の2010年3月期業績予想は据え置き、マンション販売は好調」(参照)を見ると、住宅ローン減税でマンションの売れが伸びていた。

 4─6月期の業績は、マンションの竣工戸数が前年同期比で減ったことなどから前年比で減収減益となった。しかし、マンション販売の契約戸数は1115戸と前年比で457戸増え、3年ぶりの高水準となった。
 会見で同社の竹村信昭・財務本部長は、地方と首都圏で比較すると首都圏が好調で、なかでも都心のタワーマンションの販売がいいと指摘した。住宅ローン減税の効果などもあり「月を追うごとに契約戸数が増えている」と述べた。

 これが民主党政権で、なくなる、というわけでもないだろうが、圧縮の筆頭になる。それと、これ、ターゲットが法人ではなくて、民間というか、これから家を持とうとする人たちへの直撃になる。民主党さんとしては、ローンを抱えて家を持とうなんていう人は今後減るだろうし、減らしてよいぞということかもしれない。ただ、目先の話としてみると、麻生政権の措置が生きている間に駆け込み需要が増えて、その分が民主党の利益に見えるかも。
 試験研究費の特別控除(6510億円)のほうは法人を狙っており、企業の研究部門をいじめることにならないかと懸念するが、おそらく企業が溜め込んだ資産を結果的に吐き出させるということではないかと思うが、どうだろうか。確定申告を要しない配当所得(3360億円)は、金持ちからふんだくりますよ、だろう。
 総じて租税特別措置見直しだが、都営住宅・県営住宅で暮らしています、という人にとっては増税感はないだろう。その意味で「格差是正」になる。が、成長戦略がなければ、再配分はようするにゼロサムゲームなので、富んだ人と目されるところからぶんどるのだが、富んだ人の基準がけっこう庶民になるかもという印象はある。年収500万円で3000万円くらいのマンション買いたいなという人は富んでいることなるだろうか。
 いずれにせよ、そういう再配分ゲームが政治だとも言えるし、国民はこの政治を選択することになるのだろう。オバマ大統領のお好きな孟子に「恒産なければ因って恒心なし」とお言葉があるが、チェンジとはまさに恒心を排することなり。

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2009.08.06

民主党の行政改革は、ようするに小泉改革じゃないのか

 民主党の絶賛改訂中マニフェストβの行政改革のところを読んでいて、「これは、ようするに小泉改革じゃないのか」となんとなく疑問だった。世間一般というか、マスコミとかで吹かれている話だと、「小泉改革が諸悪の根源で、それを民主党が是正するのだ」みたいことになっているが、私は「違うんじゃないのか、小泉改革をダメにしたのが自民党自体なのではないか」と思っていた。
 小泉改革を否定してしまった自民党と民主党が対決しても、潜在的な部分で対決になっていないどころか、潜在的な同型になってしまうのではないか。その同型の経済政策の面についてはすでに「極東ブログ:民主党マニフェストの財源論は清和政策研究会提言に似ているのではないか」(参照)で書いたとおりだが、行政改革についても、その同型性に触れておきたい。
 この話、自分だけが奇妙な印象を持っているのかと思っていたが、3日のNHK時論公論「'09衆院選 官僚をどう使うか」の影山解説委員の話を聞いていたら、すっぱりと「瓜二つ」と明言されていて、「やっぱりそう思う人はいるよな」と親近感を持った。今日になって絵解きはないもののテキストがサイトに公開されていた(参照)ので引用しつつこの話を書いておこう。
 まず、背景は官僚主導から政治主導が求められるということだが、政治主導とは何か。


それは、選挙に勝った政党が内閣を作り、総理大臣を中心にしたチーム力で官僚を引っ張って行く、そういう政治のことです。そこでは、チームの基本戦略として、内閣が政策の優先順位を決定し、それに沿って、必要性の薄れた政策は廃止し、新たな政策に資源を配分し直すということが求められます。

 しかし日本政治では、「極東ブログ:日米FTAについて民主党の七転八倒」(参照)で見たように、特定業界の利権を握る族議員が政策に関与してくる。このため、結果的に民主党の政策が七転八倒してしまった。これらは、政治が介在してくるが、政治主導とはいえない。まあ、この例については、自民党の族議員のほうがひどいが、民主党も変わらないなという風景が事前にわかってよかった。
 民主党のマニフェストβにも示されているが影山解説委員は民主党の、政治主導の行政改革を次のように2点からとらえている。

 このため、民主党の案では、「与党は与党、内閣は内閣」という考え方を変えて、与党の国会議員およそ100人が、大臣や副大臣、政務官などのポストで内閣に入り、内閣の中で政府と与党が一体になって政策を決めて行くやり方に変えるとしています。
 民主党のプランのもう1つの柱は、その上で、官邸主導を強化することです。官僚機構を与党のチーム力で引っ張って行くための作戦本部として、民間からも優秀な人材を集めた新たな組織を総理大臣の下に作ります。1つは、予算全体の骨格を決めるための国家戦略局。もう1つは、政策の必要性を1つ1つチェックするための行政刷新会議です。

 2点だが、(1)与党の国会議員およそ100人が内閣に入り政府と与党が一体になる、(2)予算全体の骨格を決めるための国家戦略局と政策をチェックする行政刷新会議を設置し、官邸主導を強化する、になる。
 1点目は影山解説委員は指摘していないが、現自民党でも70人近くが政府に入っているので、あと30人増えることに大きな意味があるのかということになる。実政治に疎いアマチュア感覚で斬新な大立ち回りが期待できるという向きもあるかもしれないが、普通に考えれば、大した効果はないだろう。なので、この1点目は無視してもよい。
 問題は2点目で、これって、小泉改革だろ。率直に「瓜二つ」と述べられていた。

実は、自民党にも瓜二つのプランがありました。作ったのは、小泉内閣の時に設置された自民党の国家戦略本部です。今で言う小泉改革支持勢力が中心になって、政府と与党の一元化を目指した改革案を提出しました。

 行政改革として見れば、民主党の構想と、小泉改革は同型だろう。
 しかし残念ながらこれは、2009年秋以降民主党政権のように実現には至らなかった……おっと、1年後のエントリを書くなよ、と。
 安倍内閣も小泉改革を継承した。

 安倍内閣以来取り組んで来た公務員制度改革も同じです。先の通常国会には、総理大臣の下に内閣人事局を設置するための国家公務員法の改正案が提出されました。総理大臣が幹部公務員の人事を一元的に管理出来るようにして、省庁の壁を超えて、内閣全体の方針に従う、そういう官僚を育てることが狙いでした。

 この内実については高橋洋一著「霞が関をぶっ壊せ!」(参照)に詳しい。官僚の抵抗圧力がどう向かうのかというのもわかりやすい。が、私としては、まだよくわからない点も多い。それでも、同書にも指摘されている民主党の立ちまわりからすると、それほど官僚にとって怖い相手ではなさそうだ。
 小泉改革としての行政改革だが、高橋氏の顛末が暗示するかのように、手ひどく失敗した。が、安倍内閣以降の自民党の経緯を見ると、政界塞翁が馬で旧自民党流ごね得の、実質官僚主導の政治主導逆行改革が成功したと言えるかもしれない。そして、その成功が今日の自民党の終焉を招いたことになったと言えるかもしれない。物事は見方によって評価は変わる。
 一応今後に期待される民主党による小泉改革Ver2は成功するだろうか。
 これは機構上の改革であって、何をするかということではない。民主党のマニフェストβを見ると、小泉改革のような小さい政府への志向も成長戦略もないので、まったく別のことが「何をするか」に補填されるだろう。それが成功することが良いことなのか、よくわからない。あまり良いことではなさそうなら、民主党による小泉改革Ver2も、安倍内閣のように失敗したほうがよいのかもしれない。

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2009.08.05

北朝鮮支援によるミャンマー核施設疑惑メモ

 ミャンマーの核施設疑惑については国内で報道されていないわけでもないし、現状ソースは一つしかないので、確実なことは言えない。ただ北朝鮮を注視してきた経緯からすると、以前のシリアの核施設疑惑などからして、なるほどなと感慨が漏れるところでもある。簡単にメモだけはまとめておこう。
 国内報道はないわけではない。例えば、朝日新聞「ミャンマーに「極秘核施設」証言 北朝鮮協力 豪紙報道」(参照)より。


オーストラリアのシドニー・モーニング・ヘラルド紙(電子版)は1日、ミャンマーからの亡命者の証言として、ミャンマー軍事政権が極秘に原子炉とプルトニウム抽出施設を北朝鮮の協力で建設している、と伝えた。北部の山中の地下にあるとされ、5年以内の原爆の開発を目指しているという。

 報道はシンガポールから。なぜシンガポールからというあたりのほうがニュースかもしれない。読売新聞「ミャンマー、北の支援で核施設建設…豪紙報道」(参照)は普通にシドニーからで、もう少し詳しい。

 ミャンマー陸軍の核関連部隊に所属していた元将校と、軍政の指示で北朝鮮との核関連物資の取引に関与していた企業の元幹部の2人が亡命先のタイで、豪州国立大の研究者らに証言したという。それによると、両国の協力開始は9年前にさかのぼり、秘密施設はミャンマー北部の山に掘ったトンネル内に建設されている。同紙は、北朝鮮には、今後寧辺(ヨンビョン)の核施設を完全閉鎖した後も、ミャンマーの秘密施設で核技術を温存する狙いもあると指摘している。

 日経新聞「ミャンマー、14年に核武装も 豪紙報道、北朝鮮が協力し核開発」(参照)もシドニーからでさらに補足がある。

 ミャンマーにはロシアから導入した実験用原子炉があるが、国際原子力機関(IAEA)の査察を受けており、軍事転用はしにくい。軍事政権は地下にこの原子炉とほぼ同じ大きさの別の原子炉などを整備。ロシアの技術者が操作方法などを教えているという。

 東京新聞「『核爆弾保有へ建設』 ミャンマーが極秘施設か」(参照)はマニラからだがさらに記事は厚い。

 証言したのは、核関連部隊に所属していた軍将校と、軍事政権のビジネスや核取引にかかわった人物。二人からは個別に話を聞いており、調査にあたった同大学のデズモンド・ボール教授は「お互いに会ったこともなく、存在も知らない二人がほぼ同じ話をした」と強調し、信ぴょう性の高さを指摘した。
 タイの安全保障専門家は同紙に対し、「証拠を検証する必要があるものの、地域の安保体制を根本から変えてしまう可能性がある」と警告している。
 クリントン米国務長官は七月下旬、タイのアピシット首相と会談した後の記者会見で、北朝鮮からミャンマーへの核技術移転の可能性に強い懸念を表明。六月には、核関連物資を積載した疑いで米国が追跡した北朝鮮船舶「カンナム」がミャンマーに向かった後、引き返していた。

 「クリントン米国務長官は」以下の件は東京新聞の独自の記載のように見えるが、実は元記事に含まれている。
 中国はこれを韓国メディア経由で知ったと「<北朝鮮>ミャンマーに極秘で核施設を建設中-中国報道」(参照)は書いているが、やや不可解。

軍部の最高指導者・タン・シュエ将軍をはじめとした、ミャンマー軍権力者と極めて近い関係にあった亡命者2人の証言を得て、豪紙シドニー・モーニング・ヘラルドが報じた。中国では、韓国メディアの報道を通じ、3日付で中国日報ネットが伝えた。

 韓国中央日報は社説「北・ミャンマーの核コネクション、強く警戒すべき」(参照)で扱っている。経緯を知るものとして冒頭で述べた感慨に近いものがあるようだ。

もちろん両国の核コネクションが最終的に確認されたわけではない。しかし北朝鮮の前歴を踏まえれば、可能性は高いとみられる。北朝鮮がイラン・パキスタンとミサイルや核開発のため協力してきたのはすでに確認済みの事実だ。
 またシリアの原子炉建設を支援したことも定説と受けとめられている。

 さらに当然の推察を加えている。

 北朝鮮が実験した核爆弾はプルトニウムの特性上、10年以上過ぎれば爆発の可能性を再検証しなければいけない問題が生じる。しかし北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)の原子炉が老巧化しすぎて、プルトニウムを長期間にわたって安定的に生産するのは難しいものとされている。これをミャンマーを通じ補完する可能性がある。
 また製造も簡単で核実験が要らず、長期間保有できるウラン核爆弾を製造するため、ミャンマーと協力する可能性もある。この場合、韓国にとっては直接の脅威となる。またタイ、ラオス、中国、インド、バングラデシュに隣接した独裁国家、ミャンマーの核開発はアジア全体の安保を危険に陥らせる可能性がある。

 これは重要な推察で、「極東ブログ:第二回北朝鮮核実験、雑感」(参照)でも触れたことに関係する。
 このくらいの考察は日本のジャーナリズムもすべきかとは思うが、すでに見てきたように、報道はされただけマシという程度。
 ところでオリジナルはおそらくこれ、シドニー・モーニング・ヘラルドの1日付け記事「Burma’s nuclear secrets」(参照)だろう。インターネット時代なので、特段海外の特派員を使わなくてもオリジナルを読むことができる。
 現状ソースはこの一点のみなのだが、読むとわかるように、実際には誘導されたとは思いがたい二つのソースからなっているので信憑性は高いようだ。ただし、疑惑には背景もあったので、そのフレームから物語りが意味づけられたという可能性はないわけでもない。これは同記事にも含まれているが、今回の疑惑に先行するクリントン米国務長官のエピソードだ。ロサンゼルスタイムズ「concerned about suspected N. Korea-Myanmar military ties」(参照)などで読むことができる。

They have voiced growing concern recently over suspected military links between North Korea's reclusive communist government and the rulers of Myanmar, which is also known as Burma. Some in Washington suspect that the Pyongyang government may be selling Myanmar nuclear weapons systems as well as conventional arms.
(北朝鮮の秘密主義共産主義政府とミャンマー(旧ビルマ)支配者の間の軍事関連疑惑は最近さらに注視されていると語った。北朝鮮政府はミャンマーに通常兵器同様核兵器システムを売却するかもしれないとの疑惑が米国政府にはある。)

 現状大きな問題になっていないのは、まだそれほど差し迫る問題ではないこと、ミャンマーを支援している中国の扱いがめんどくさいからだろう。
 なお、最新のタイ側のニュースだが、時事「「トンネルは防空施設」=ミャンマー核開発問題で証言-タイ軍高官」(参照)より。

ミャンマーが核兵器製造施設を建設していると報じられた問題で、タイの英字紙バンコク・ポストは5日、核関連の貯蔵施設とされたトンネルについて、タイ軍高官が「米軍の空爆に備えた巨大な貯蔵庫であり、ミャンマーが核兵器を保有しようとしているとの確たる証拠はない」と語ったと伝えた。

 シリアのときもそうだが、公式に騒ぐ前に自主撤去みたいにする方向の合意がどっかにあるのかもしれない。もちろん、この疑惑がまったガセの可能性もないわけでもない。
 現実問題としては、アジア諸国が核化しないためには、中国様のご威光に仰ぐという路線もないわけではない。そもそもの北朝鮮と中国の関係を見ているだけでも、そのストーリーが浮かび上がる。例えば、 アン・アプルボームの「Shadow Boxing in Pyongyang」(参照)のような。

China has ambitions to replace the United States as the dominant power in East Asia.
中国は東アジア支配を米国に取って代わろうとする大望をもっている。

 「そして、中国の核の下で日本族は平和にすごしましたとさ」という未来があるのかもしれない。

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2009.08.03

[書評]新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)

 「新しい労働社会―雇用システムの再構築へ(濱口桂一郎)」(参照)の帯には「派遣切り、雇い止め、均等待遇 混迷する議論に一石を投じる」とあり、近年社会問題として問われる各種労働問題がテーマにされていることが伺える。こうした諸問題に私もそれなりに思案し戸惑っていたこともあり、何かヒントでも得られるとよいと思い、また岩波新書なら妥当なレベルの知的水準で書かれているだろうと読み始めみた。ところがヒントどころの本ではなく、ほとんど解法が書かれていた。

cover
新しい労働社会
雇用システムの再構築へ
濱口桂一郎
 序章「問題の根源はどこにあるのか」からして目から鱗が落ちる思いがした。私は山本七平氏が指摘していたように戦後日本の会社は先祖返りをして江戸時代の幕藩体制の藩と同質になったと理解していたので、濱口氏が「日本型雇用システムにおける雇用とは、職務ではなくてメンバーシップなのです」と指摘しても、それはそうだろうくらいに納得した。だが重要なのはそこではなかった。
 重要なのは、日本企業が擬似的に大家族のようなメンバーシップで構成されていることよりも、家族が構成員を選べずに構成されているように、特定企業にメンバーシップを得ている雇用者は「職務のない雇用契約」に拘束され、企業内で実質職務の選択を失う点だった。そこから濱口氏は「日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用、年功賃金制度および企業別組合は、すべてこの職務のない雇用契約という本質からそのコロラリー(論理的帰結)として導き出されます」として、日本の終身雇用・年功序列・組合の特質をあたかも幾何学証明のように解き明かしていく。
 コロラリー(corollary)、つまり、系として日本の労働問題の基本が理解できることが私には驚きでもあった。この分野に、私のように愚か者を自覚をしそうな人、特に就労前の若者には必読書と言いたいところだ。が、率直になところ、本論に入ると読みづらいほどではないが、私レベルの読者では理解しづらい箇所は多くなる。厚かましい提言だが、序章だけでもネットで公開されれば、多くの人の益になるかと思った。
 本論では帯にあるように、現在日本で話題となる主要な労働問題が整理され議論されている。手法としては、近代日本、特に戦後の産業史の歴史的視点による構成的な理解に加え、先進的な労使関係が模索されてきたEUの労働問題の状況との比較が用いられている。特に後者については、おそらく筆者が専門なのだろう、かなり詳細な部分へのインサイトが含まれている。よく言われるオランダモデルを模範とするといった、私などが思い込みやすい浅薄な評価への注意点も指摘されている。
 反面、浅く読んだ印象ということになるだが、米国の労働状況については派生的にしか描かれていない。また、歴史的な手法における史観的な考察はシンプルにはモデル化されていない印象を受けた。米国の労働状況は特殊なのかもしれないし、また、先に山本七平氏を引いたが、日本の特異性については、通俗日本論的なモデル、あるいはウォルフレンが描いたような日本システム的なモデルのほうが理解しやすいのだが、そこは意図的に避けられているのかもしれない。
 加えてこれもあえて意図されているのかもしれないが、昨今の労働問題にマスコミなどが与えるチープでマジックワンド的な「小泉改革の弊害」といった説明道具は含まれていない。現実の労働問題の説明にこの手のごみ箱は不要なのではないか。そう思うと本書に一種の背理法のような鮮やかさも感じる。
 私なりの読後の結論とも言えるが、序章に提示されたコロラリーに加え、実質現在の日本の労働問題を解くには、終章の終わり近くに指摘されている重要性を再定義した公理としてもよかったのではないか。つまり、「正社員の利害を代表する労働組合しか存在しないところで、正社員と非正規労働者との間で賃金原資の再配分を行わなければならない点に、現代の日本の雇用システムが直面する最大の問題点が存在するのです」という点だ。この問題は本書全体にも低音的なモチーフとして繰り返されている。
 こう言ってしまうと既存労組に無益な敵対的な物言いになってしまう懸念もあるが、従来の日本であれば、正社員というメンバーシップを得ている労働組合員は、前提的にそうなのだが、今後日本人の労働者の大半が所属するだろう非正規労働者間と間で利害の再配分ができない。にも関わらず、日本社会は今後そのような再配分を必要としている。
 本書を逸脱する連想かもしれないが、この時期に提示された民主党のマニフェストでは、その表層的な面から言えば、この再配分の問題を暗黙に含み込んでいるものの、正社員の利害を代表する労働組合と、対する非正規労働者との再配分は明瞭に見えないように提示されていて、あたかも国に無限の原資があるか、企業経営体や古典的イメージの資本家から再配分するかのような印象を与える。おそらく民主党のマニフェストの背景には、正社員の利害を代表する労働組合がいて、その矛盾がそのまま同質の矛盾としてこうした表出になっているのだろう。
 もっともそうは言っても、日本の将来には方向性としては民主党のマニフェストのように、非正規労働者への再配分を増やす傾向が求められることも確かなだ。このあたりの状況的な問題について、本書は十分な射程を持っているのだが、ダイレクトに読み解くことは存外に難しいようにも思えた。
 各論としては、「第1章 働きすぎの正社員にワークライフバランス」で、「名ばかり管理職はなぜいけないのか?」「ホワイトカラーエグゼンプションの虚構と真実」など、また「第2章 非正規労働者の本当の問題は何か?」では、「偽装請負は本当にいけないのか?」「日本の派遣労働法制の問題点」、さらに「第3章 賃金と社会保障のベストミックス―働くことが得になる社会へ」では、「ワーキングプアの発見」、終章の「第4章 職場からの産業民主主義の再構築」では、「職場の労働者代表組織をどう再構築するか」など、状況的にもホットな話題が多く、それぞれにかなり適切な解答が示されている。しかし、文体の問題というより問題それ自体の複雑性もあって読み解きづらいし、私も率直にうまく読み解けていない。例えば、「ホワイトカラーエグゼンプションを推進すべきか?」と読後に問われると、知識は増えたものの、自分で納得した明瞭な答えは依然出せない。
 しかし、こうした労働関連の諸難問にエレガントな答えを出すことが本書の価値ではないだろう。そうではなく、日本の市民が各種のポジション(正規組合員や非正規組合員)として実際に、惰性構造的に、そして対立的に分断された現在、著者の濱口氏が示す「ステークホルダー民主主義の確立」という課題は、広く開かれて問われる課題となる。社会を維持するコストを適正に配分していくことは、その上に成り立つ民主主義にも重要なのであって、民主主義が理念的に問われるよりも現実的な課題になる。

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2009.08.01

自民党の実質マニフェストが出ての雑感

 正確にいうと「マニフェスト」は公示日に提出されるものらしく、民主党の、一般的にそれと見られる文書は公示日を合わせて、各部修正されることがすでに確認されている。しかも、重要な政策においてそうなのだから、期待したい。そうしたなか、自民党版の類似の文書「自民党の政策「みなさんとの約束」」(参照)が出た。
 方針を示すプレゼンテーションである「要約版」を自民党マニフェストとして民主党のそれと比較しようとした、アルファブロガー弾氏のおっちょこちょいエントリ(参照)があるが、政策面では「政策BANK」を見るほうがよいだろう。ただ、こちらも弾氏が指摘しているような曖昧さはあるが、それを言うなら民主党の実質マニフェストもそう違ったものではない。
 自民党のマニフェストを私はどう見たか? 特にこれと言って日本の存立を危うくするような政策変更はなく、よって、現状の麻生政権のまま、この方向を進めると理解してよいのではないかと思えた。
 私は、マスコミとは異なり、麻生政権に特段の失政を覚えないので、であれば、現状維持でよいのではないかと納得するにやぶさかではない。世界の金融危機で経済が逼迫し、雇用の悪化が懸念されるなか、なんでもいいからこの閉塞状況を変えたいと思う人々の気持ちもわからないではないが、こういう時期は大きな進路を誤ることがなければ、我慢して次の好機を待つほうがよいものだ。昔の人は、これを堪え性と言ったものだが、今の日本に必要なのはそれではないか。
 では、現麻生政権の自民党でよいのかと言えば、私は、それほどよいとは思っていない。これには三点あって、一点目は、現下の日本経済の低迷の大きな要因としては、世界経済の沈没の他に、高橋洋一氏も指摘してように(参照)、2006年から2007年の金融引き締め失政があるという説に同意している。そして、この失政を推進した勢力は、財務省派の、かつての財務金融経済財政経済産業大臣兼実質総理大臣とも言える与謝野氏ではないか。自民党はそのあたりの総括が必要だと思う。
 だが、これは結果的に今度の政権交代で、率直に言うといびつな形で実施されることになるだろう。財務省がこの件、与謝野財務相のような政権グリップを手放すことについてなんら打つ手もないとも思えないが、民主党との関係も見えない。財務省は民主党をどう見ているのだろうか気になるがよくわからない。なお、日銀については現下の混迷の一端は総裁選のときの民主党の行動に原因があると私は見ているので、まったくもってどっちもどっち。
 二点目は、地方分権が見えないことだ。自民党は、私が賛成する「道州制の導入」を掲げているが、実際のところその道筋がよくわからない。この点は、民主党も同じで、民主党のマニフェストでは「道州制」の言葉もない。私はこの分野ではいわゆる「小泉改革」の三位一体改革でよいのではないかと思っている。
 三点目は経済発展のビジョンだが、民主党はそもそも国家経済の発展のビジョンを描いていないように見えるが、自民党は多数の企業献金を受けた政党だけあってその意識はある。が、方策は明確ではない。であれば、これも両党同じには見える。
 他の点については政治観による。私は、国家はできるだけ小さいほうがよいと考えるのでその方向を支持し、反面、生活関連の政策はできるだけ地方に移管するほうがよいと考える。その面からいうと、今回の民主党のマニフェストも自民党のそれも、いかに「国がきちんと」国民を保護するか、よってその財源をどうするかということで、どっちもあまり関心がもてない。
 しかも両者ともに、背後に消費税議論が隠されている。私はこの構図をやめてもらいたい。特に、消費税を国家に所属させて「国がきちんと」国民を管理するのはやめて、消費税は道州なり地方行政の財源とし、地方行政が福利厚生を行うようにすればよいと考える。
 地方分権が確立すれば、地方行政が失敗したり、一部の地域的な権力が発生したら、住民はもっといい地域に逃げることで、その地方行政を実質的にリコールできる。日本人も多様化しているのだから、その多様性を棲み分けるような自由な幅を持ちたい。
 さらに言えば、日本国はでかすぎる。福祉問題や教育問題などで北欧の国がよく参照モデルとしてあげられているが、国家の規模が小さいから重税国家の合意をもとりやすいのであって、日本のような大所帯の国家ではそれは、より官僚の権限を増やすだけになり、官吏と国民の格差が広がるか、官吏に民間が実質支配される強権ができあがる。やめていただきたい。
 国家を小さくすべきだという反面で、最小化した国家には逆にきちんと存立のビジョンが必要になる。特に安全保障が重要な課題になり、しかも憲法と整合して行う責務がある。
 この点、民主党マニフェストについては、「極東ブログ:民主党は給油活動についてマニフェストに明記していただきたい」(参照)で指摘したが、その後の経緯からすると正式マニフェストに記載されるかどうかは依然わからないものの、給油活動は停止する方向になった。当然ながら、民主党外交が進めば、別の形での国際貢献が求められることになり、この問題に民主党がどう志向しているか推定すれば、かつての民主党党首であった小沢氏によるISAF(国際治安支援部隊)参加論に行き当たる。つまり、日本人から国連軍なりへ派兵する、つまり、日本国家の紐を外した、いわば公的な傭兵のように日本人の戦士を送るということになり、NATO諸国のように結果的に国民の血をもって同盟を維持するという方向に向かうだろう。
 自民党はこの帰結をなんとかごまかしても避けようとして給油という対価で過ごした。民主党にもそのような別の対価で逃げる方策が出てくるのか、ISAF論が出てくるのか現時点ではわからない。この点では、自民党を選択しておけば、日本は矛盾を抱えながらも、現状ママに近いかたちでの国家の体面を持つことができる。普通の国民からすれば自民党に安心感があるのは否めないが、国民はこの問題をよく理解していない(両党別の思惑から事実上隠蔽してきたし)。
 似たことは「極東ブログ:民主党の沖縄問題の取り組みは自民党同様の失敗に終わるだろう(参照)でも触れた沖縄問題についても言える。自民党なら辺野古に米軍基地を作ろうとする反面、対価をもって沖縄県民を納得させるという方向性を模索するだろう。が、民主党にはそれはできない。その先は、現公約のように米軍を他県に移すか、他国に移す、つまり、日米の軍事同盟を破綻させる志向を持つ政策になるだろう。日本国の自立、つまり自己防衛を含むことに必然的になるのだが、それを求めるなら、民主党の選択もありだろう。問題は、今回の選挙でそれが結果的に選択されることを、たぶん、国民は自覚してないだろうということだ。民主党の政権では日米同盟がゆらぐことになり、その不安の対極としてみるなら、また自民党に安心があることになる。
 まとめると、今回の両党のマニフェストでは、国民福祉の美名のものに「国がきちんと」肥大化し、また国家存亡に関わる外交意識は民主党側は不在に近い。また、自民党のマニフェストでは堪え性がなければこのままの鬱々した状況を耐えるしかないともいえる。
 私は今回の選挙後に政権交代が起こるだろうと思う。この国民に堪え性などないことは、この数年の経緯でもわかる。そして、民主党政権になってみて、そこに隠れていた問題に気がついて、政治の意識、もっといえば国家存亡を考えてもよいだろう。しいていえば、おそらくその可能性はないだろうと思うが、民主党単独、あるいは社民党・国民党を含めた形の勢力が衆院の三分の二を握ることには恐怖感を持つ。私は、社民党・国民党を論外だと思う点で、今回の民主党を支持しないし、まだ決心しているわけではないが、暑気に当てられ民主党人気が沸騰するようなら、その恐怖感を薄めるように投票をするのではないかと思案している。

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