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2009.05.08

[書評]プーチンと柔道の心(V・プーチン他)

 「プーチンと柔道の心」(参照)は、2003年ロシアの出版社オルマ・プレスから刊行された、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、ワシーリー・ボリソヴィッチ・シェスタコフ、アレクセイ・グリゴリエヴィチ・レヴィツキーの三名共著による「プーチンと学ぶ柔道」を元に、山下泰裕と小林和男が日本向けに編集した本だ。

cover
プーチンと柔道の心
 オリジナルは、べたに柔道の入門書だが、日本版は、柔道の基本事項をイラスト付きで説明している部分も掲載されているものの、あきらかに著者の一人、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、つまり、ロシアのプーチン元大統領、つまりロシアのプーチン首相に焦点を当てている。そうした視点からすれば、小林和男元NHKモスクワ支局長のインタビューが面白い。というか、私は朝のNHKラジオで作新学院小林特任教授の話を聞くのが好きで、この本もそれで知った。
 この本は、だから当然NHKから出るものだと思っていた。もう随分前のエントリになるが、「極東ブログ: [書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)」(参照)で触れた同書もNHK関連の出版であった。が、本書は朝日新聞出版だった。どういういきさつなのかよくわからない。朝日新聞のほうではよってよいしょ記事「プーチン首相柔道本刊行、山下泰裕さんも感心の練習法」(参照)が上がっていた。

 柔道・講道館六段の腕前を持つロシアのウラジーミル・プーチン首相(56)の著書をもとに編集された「プーチンと柔道の心」(朝日新聞出版)が刊行された。親交が深く、編集に携わった山下泰裕さん(51)は「クールな首相とはずいぶん違う素顔がよくわかる」と話している。


 山下さんは「首相は国益が大事で冷静だけど、体の中には温かい血が流れていると感じる。日本が抱くイメージとは違って、ロシア人は気さくで人情味がある。この本を通じて正しい認識を持ってもらえれば」と話す。プーチン首相は11日に来日予定。山下さんはその際、この本を手渡すつもりだという

 私も本書でプーチン首相の素顔というか人間性がよくわかった。プーチン・ファンにはたまらないというか、いや、当たり前のプーチン首相像に過ぎないかもしれないが。興味深いエピソードはあとで触れたい。

 今回は元NHKモスクワ支局長の小林和男さん(69)によるインタビューも収録された。プーチン氏は「私は子供のころ不良だった。柔道と出会っていなかったらどうなっていたかわからない」と明かし、「柔道は相手への敬意を養う。単なるスポーツではなく、哲学でもあると思うのです」と持論を述べている。

 小林は当然舞い上がっているのだが、それなりに微妙な味わいもあった。小林はインタビューの際、当時大統領のプーチンに連れられてその道場に向かう。本書より。

 木立の中を二人で共通の趣味のスキーなどについて話しながら二〇〇メートルほど行くと、そこに真新しい煉瓦の建物が現れた。それが道場だと言う。促されて中に入るとまず目に入ったのが見事な等身大のブロンズの座像だ。柔道を知らない私にもこれが嘉納治五郎だとわかる。


 座像の横が道場への入り口になっている。大統領に促されて道場に入り、私は恥をさらした。プーチン大統領は入り口でぴしっと立ち、礼をしてから入ったのだ。

 日本人小林がすたすたと道場に入るとき、プーチンは嘉納治五郎の像に一礼してから入ったのだった。この会話の前に、プーチンはこう語っていた。

 礼とは、伝統に対する敬意でもあると思います。柔道は世界的なスポーツになりましたが、それは勇敢なスポーツだからというだけではなくて、何世紀もの伝統を守っているからでもあると思います。日本文化の伝統です。それが柔道の大きな魅力だと私は思います。今の世界はグローバル化の中で国や人の交流が進み、それぞれの利益だけではなく、お互いの利益も絡み合っています。そういう状況下では文化的な伝統という要素が大切になってくると思います。そういう意味で、礼とは伝統と柔道に対する敬意だと思います。同時に、相手に対する敬意でもあります。

 この言葉が言葉として浮いていないのは、きちんと実践もしているということだ。さらに、小林が引き出した次のエピソードは、私は沖縄にいたとき報道では見たものの、今になって考えさせられるものがあった。

---沖縄訪問のときには形を披露されました。そのとき中学生から背負い投げをされました。ロシアの人たちの中にはテレビでそのシーンを見て、大統領が子供に投げられたのは屈辱的だと言う人もいましたが、大統領は何も弁明も説明もしませんでした。なぜですか。
プーチン 情報は徐々に自然な形で伝えなければならないということもありますが、説明が不要なこともあります。あのときの日本の中学生との柔道の稽古については、日本の皆さんにはわかっていただけると思います。畳の上では、というよりスポーツの場では、上下関係というものはありません。誰もが平等です。それに畳の上では、お互いに平等だというだけではなく、お互いに敬意を払わなければなりません。そして、相手に対する敬意を表す一番の方法は、相手が得意なことをする機会を与えるということなのです。

 たぶん、プーチンという人は、それになんの嘘も偽りもないのだろうと思う。そう思うしかないことで、なにかぞっとするものもある。
 本書で小林はプーチンに柔道を教えたアナトーリー・ラフリン先生のインタビューも収録しているが、これがまた心を打つ話だった。端的にいえば、これだけの教育者がロシアにはいるのだと圧倒される。ラフリン先生は日本の柔道をこう見ている。

 日本の柔道は最上だと思います。学ぶ組織を持っているために常に向上のシステムができていると思います。韓国の柔道は急速に進歩していますが、日本のやり方を徹底的に学びました。ロシアもフランスも強いが、私は、フランスの柔道はおもしろいが好きではありません。なぜなら、フランスの柔道は勝つための柔道で、立つ位置も姿勢も奇襲攻撃的で気まぐれで予想がつかない。日本の選手は堂々と形を踏まえて勇敢に闘おうとします。日本の柔道はより男性的です。国民的ですね。
 われわれはこんな言い方をします。「ルールには勝ったがスポーツには負けた」とね。

 ロシアでは本書のオリジナルを元にDVDが出たそうで、プーチン自身の柔道が収録されている。基本といえば基本だが、ラフリン先生の大切にする美学が出ているなと、私のようなド素人でもわかる。


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「書評」カテゴリの記事

コメント

最後に転がっちゃった投げは弾き手が下がってましたね。

プーチンさんは大統領になる前に既に柔道の教本を出しています。
ハバロフスクの柔道クラブを見学にいったとき、後に大統領になるとは知らずに入手していました。

柔道家、親日家としての顔はプーチン本来の姿のようです。
もっとも大統領、首相として何度も来日して今では日本に失望していることでしょう。
私ら国民が失望しているくらいですからね。

投稿: 321ダー! | 2009.05.08 20:36

細かなことですが、プーチンの礼は銅像に対してではなく、道場に対してのものだと思います。自分は剣道での経験ですが、道場に入る時、帰る時には入り口で一礼をしていたのを思い出しました。

投稿: yetanother | 2009.05.08 21:26

こういう姿勢で内政も外交も行っているのだとすれば、他国の人間からすると空恐ろしいものを感じます。少なくとも無邪気に、親日だ、なんて喜べるものではない。自国の指導者だとしても、頼もしいと同時に怖い人でしょうね。

投稿: カラ | 2009.05.09 00:50

欧米人(ロシア人も「欧米人」ということにしておきます)は、なにか、日本武道に対する幻想を持っているのではないかと思います。もしかしたら、東洋人よりも、倫理学としての儒教(普通は朱子学)とそれから派生した武士道に対して、幻想も持っているし、畏敬の感情さえ持っているかもしれない。

私は、多少、古武道の柔術を学ばせていただく機会を持つことができましたが、古武道の柔術の業(わざ)というのは、大体どの流派も、腕をへし折ったり、関節を締め上げたり押さえつけたり、首をたすきで絞めたり、形(かた)としてお互い了解して稽古しなかったら、基本的に敵を殺すか片輪にするか、そういう命のやり取りが絡んだ、ある意味で「野蛮」なもので、きれいごとは入り込みません。もちろん、師弟の礼は存在しますし、この点は現代柔道より厳格さもあります。でも、前提が殺人技で、スポーツではない。

まあ、プーチン氏には誤解してもらえるところは誤解してもらっておいてよいのでしょう。もしかしたら、日本という国は、欧米のエリートたちにものすごくよい意味に、そして日本人にとって都合よく、誤解してもらえているのかもしれない。

投稿: enneagram | 2009.05.09 06:54

yetanother様が指摘されているように、プーチンの例は、道場に対してのものだと思われます。
柔道でも、道場への出入りの際は、道場に対して一礼します。

投稿: そ | 2009.05.09 09:49

 場に対する礼(敬礼)ってのは常識の範疇ですけど、武道その他で体を鍛えて逞しい人がやらないと、私みたいなヒョロヒョロくんがやっても逆に舐められるだけ損なんですな。人間何かと見た目から入りますから。いわゆるヤンキーの兄ちゃんのような見て呉れ怖い系がやっても、恐れられるだけ。筋骨隆々かつ朴訥な雰囲気で、木鶏を思わせるような…そういう型の人間がやんないと、礼であっても礼と見做されなかったりする。

 「見做し」なんつうのは誰でも直ぐに出来ることですから、やろうと思えば馬鹿でも野ぐそでも直ぐできる。まぁ極端な話、「お前なんか嫌いだ」「俺の肌には合わない」って言っちゃえば、礼であっても礼には成らんわけです。残念なことに。見る目に全てを委ねる式は、性根の足らん人に委ねたらどんだけ最上級でも無かマイナス扱いですからな。

 あと。実際問題として礼に達する迄の鍛錬の段階で、大半が落第するでしょ。そういうのは、ただの荒くれになってしまう。実際には荒くれじゃなくても、そう見做されてしまう。世の中そんなもんですよ。んだから「嗚呼貴方はそういう見方をする人なんですね」って現実に遭遇したら、そこでスパッと見切って以後無視するしか無くなるんですな。残念だけど、しょうがない。

 世の中の男性諸氏が、ある程度極まっちゃった段階で以後急に喋らなくなるってケースは随分多いですけど、そういうもんだと弁えて頂ければ、それだけでも男性主導型社会に対する理解ってのは、随分楽になるんじゃないかな? って感じですな。

 卑俗に言うなら、「要らんこと言わんと黙っとけ馬鹿」なんですけどね。そういうの。


 どうでもいいけど最近港湾労働者(見習)やってるんで早朝4時半出勤15~19時の何れか帰宅、場合によっては9時出勤23時帰宅って感じで推移しつつコツコツ農業するんで、コメント打ってる暇があるならねこ抱っこしてわんわんの散歩してる方が、随分楽しいかも知れません。ネットは、面倒くさいなって思ったら即無視路線です。見做しようによっては馬鹿の野ぐそが消えて嬉しいくらいのもんなんで、皆さまにはご機嫌よろしゅう頑張って頂ければ、それで双方良しって感じです。

 ほなさいぬら。

投稿: 野ぐそ | 2009.05.09 19:55

柔道の道場出入りの時の一礼って、そんなに特殊なことなのでしょうか?

タラップで不動の姿勢を取るとか敬礼するというのが西欧の軍艦にあがり込む時の礼儀でしょうから、柔道で道場に入る時に礼をすることも、そう不思議な話とも東洋の神秘だとも彼らだって思わないと思うのですが。

ましてプリンチェプス・アウグスツス・プーチン「首相」は、元首として海軍提督でもあった筈ですし。

投稿: ku | 2009.05.10 08:19

おかしな若い衆の根性をたたきなおすのなら、いまは武道の時代ではありません。

戸塚ヨットスクールに入れるべきです。

武道がスポーツ化した現在、「根性の入れ替え」みたいな話なら、柔道や剣道より、戸塚ヨットスクールのほうがはるかに有効なはずです。

投稿: enneagram | 2009.05.12 13:51

柔道はどうか分からないんですが、剣道の初段審査には、「剣道で礼儀を大切にする理由を述べなさい」という筆記試験があります。

剣道習い始めたときは、道場の入り口で礼をするのが、ばかばかしく感じたし、いやいやだったんですが、1年以上たった頃から気持ちが変わってきたように思います。うっかり礼をしなかったりすると、大切なことを無くしてしまったときのような寒い感じがして、気持ちが落ち着かないんです。たぶん、不良だったプーチンさんも、きっと、そうだったんじゃないかとかってに想像しています。

投稿: nao | 2009.05.13 12:11

enneagramさんは本当に柔術を学ばれたのでしょうか。
enneagram自身が仰っているとおり、柔術は武術です。そして話題に上がっている柔道は武道です。柔道は柔術を下地に作られてはいますが、その二つはまったく違ったものです。
まともに武道、もしくは武術を学んだ人間であるのならば、両者の違いを把握していて当然だと思うのですが。
武道はスポーツですよ。

投稿: mizuno | 2009.05.13 15:04

>柔道は柔術を下地に作られてはいますが、その二つはまったく違ったものです。

柔道は大衆化していますからね。
それにスポーツ化して、大会が多すぎる。
そのため柔道の一部である投げと固めに偏って取り組まれている。(それだって奥深いですが・・・)
一応、こちらの県では大会の度に形を披露して武術として柔道の理解と普及に努めてはいます。
柔の形も昇段審査ではゆっくりやっていますが、早くやったって構わない。あれを早くやると、なるほど柔道は柔術だったことがよく分かります。

形は日本よりもロシアやフランスの方が盛んかもしれません。
危険すぎて競技として争うことの出来ない技は形稽古するしかない。形であっても正しくやらなければ負傷もありえる。
精神修養としての柔道に取り組みたい人には形の方が良いかもしれません。

私ら日本人ってのは実際はほとんど軟弱なんですが、日本文化はストイックでかっこいいと思っているロシア人ヨーロッパ人は多いですので、また実際にストイックで武士道っぽい日本人がいないわけじゃないので、プーチンさんのように真剣に柔道に取り組んで良いる人は少なくない。
すくなくともロシアもフランスも日本より柔道に取り組んでいる人は多い。

実は情けないのは私ら日本人の方じゃないかと言う気がします。

投稿: ダー! | 2009.08.12 11:32

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