« 弱毒性かも | トップページ | アジアで初の共和国は台湾民主国ではないのかな »

2009.05.03

愛のお師匠様

 書くと与太話になること必定なんで、ちとためらうものがあるにはあるけど、あれですよ、いやあれ、あれだってば、その「Master of Love and Mercy」(参照)、「愛と慈悲のお師匠様」、といえば釈証厳(参照)……ちがった、「Masters of Sex and Love」(参照)、「性と愛のお師匠様たち」のほうだ。副題はこう「The Life and Times of William Masters and Virginia Johnson, the Couple Who Taught America How to Love」、つまり、「アメリカに愛の手法を指南したウィリアム・マスターズとバージニア・ジョンソンの生涯と時代」ということ。

cover
Masters of Sex and Love:
The Life and Times of
William Masters and
Virginia Johnson,
the Couple Who Taught
America How to Love
(Thomas Maier)
 ぶっちゃけ、マスターズ&ジョンソン、である、と言って通じるのは団塊世代か、あるいはその下の世代の、ちょっとおませなポスト団塊世代、オレオレ。ドクトル・チエコのお説教聞いたり、奈良林祥先生の畢生の名作「HOW TO SEX」(参照)を読んでいた、おい、そこの中学二年生は、オレです。
 チエコ先生も奈良林先生もマスターズ&ジョンソンとは違って、中絶の多い当時の日本に心を痛めてその道に、ずんっ、と進んでいかれたわけで、金明觀先生とは出発点が違うというか、そういえば奈良林先生の「性の青春記―わたしのイタ・セクスアリス」(参照)を読むと心を無にして邪心なく俳句に邁進する青春の姿があったが、どうでもいいけど、この古書プレミアムか。実家の書庫にあるかな(他の本と合わせて、恥ずかしいので捨てた気がする)。
 話を戻すとマスターズ&ジョンソンだが、私は直接的には知らない。ただ時代の流れとしては当然知っていた。プレ団塊世代の話と言ってよいかもしれない。団塊世代の大騒ぎになると、ライヒやマルクーゼとかになっていくのだけど、それはさておき、というか、そんなふうに、マスターズ&ジョンソンも60年代を過ぎたころには古びていたのではないか、とか思っていた。それはそうだが、4月に出たばかりの「Masters of Sex and Love」は、なかなか興味深い話題を提供しているようだ。まだ、翻訳はない。どっかから出るのでしょうか。黒鳥の翻訳も出たし、翻訳あるなら読んでみたいです。
 話を知ったのは日本版ニューズウィークの「オーガズム研究者の意外な遺産」記事からで、毎度ながらオリジナルは無料で読める。「Sexual Masters of the Universe: What We've Learned from the Roots of Sex Research」(参照)がそれ。
 お恥ずかしながら、まじ知的に恥ずかしいのだが、マスターズ&ジョンソンのジョンソンがマスターズと「結婚」していたのは知らなかった。マスターズ&ジョンソンというふうになっているので気がつかなかった。

第二次世界大戦後最大のセックス研究の中心人物として、マスターズは性行動の探求に40年を費やした。

 ちょっと引用を端折る。ちなみに日本版の記事は原文と違いますよ、かなり。
 で、お二人様、ご研究もお二人でやっていたらしい。そのあたりも驚くけど。

その後、2人の「課外研究」は10年以上、さらに71年の結婚後22年続いたものの、「精神的なつながりは皆無だった」とジョンソンは告白している。
 要するに、76歳になって突然ジョンソンと離婚し夫を亡くしたブロンドの女性と再婚したとき、マスターズは決して血迷ったわけではなかったということだ。

 そういえば最近に似たような話を読んだが、なんの本だったか乱読で頭が整理できてないな。いずれにせよ、お二人はそういう関係だった。
 ニューズウィークの記事はそれからちょっと話の方向が変わり、ようするにいわゆる戦後の性の解放がもたらしたものは、愛の不毛だったようだとしている。桐島かれんのおっかさんが書いた「淋しいアメリカ人」(参照)を彷彿とさせるというか。

だが誰より不幸なのは、「セックスと愛を長年切り離していた」という研究者のジョンソンかもしれない。
 性の解放を探求した人々はやがて妻や夫を見つけて伝統的な男女関係に収まった。しかしジョンソンは3回の離婚を重ね、最後は老人ホームで「マスターズ」の姓を名乗りながら、かつてのパートナーへの恨み節を洩らすのだ。

Saddest of all, though, may be Virginia Johnson, who, as Maier writes, had "long separated [sex] ... from love." While many of her fellow explorers ultimately gravitated toward traditional relationships - the Bullaros married other people, Braddock rode off with the younger Robinson, and Hugh Hefner's first ladies, Barbi Benton and Karen Christy, went in search of real husbands - we last see the thrice-divorced Johnson cursing her former partner from the confines of a nursing home, where, as if to acknowledge a past that never was, she now goes by the name Mary Masters.


 ジョンソンの悲劇はさておき、こうした傾向が米国の80年代の保守化の流れになったという話もあり、そういうもんかねとは思った。
 日本の場合、団塊の世代の性意識は全体としてみれば古い。こういうとなんだが普通に恋愛結婚が少ない世代だった。反面、後楽園球場で100人の女性が平凡パンチ Oh! ……みたいな阿呆なネタもあったものだった。
 団塊世代が終わった後の私の世代は、しょぼーん、である。性的にはよくわからない。ただ、ようやく生活の線上で「愛」が問われる時代になった。私の世代の次の新人類世代で性や愛がどうなったのか、率直にいうと私にはよくわからない。メディア的にはだいぶお盛んなご様子かとも思ったが、どうもそのあたりから性の焼肉定食化は進んでいたのかもしれない。

At the height of his fame, Bill Masters admitted, "I haven't the vaguest idea … what love is." Despite his discoveries - and the decades of erotic exploration that followed - we still aren't sure. But we have a better idea of what it isn't.

 「愛」というのは難しい問題という、当たり前な、あるいはヘンテコな問いだけが残されたとはいえるのだろう。いや、これは相当に深刻な問題なんだろうなとは思う。

|

« 弱毒性かも | トップページ | アジアで初の共和国は台湾民主国ではないのかな »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

妊娠中絶なんてものは推奨すべきものではありません。当然、無しで済ませられるならそうすべきです。

でも、人口を多くするために過度に出産を奨励して、妊娠中絶を一切禁止したルーマニアのチャウシェスク政権の愚行の結果はどうだったか。小さな経済力しかないルーマニアで異常な人口増加が起きた結果は、多くの捨て子や身体異常児の出現で、現在のルーマニアでさえ大きな社会不安要因になり続けている。

政治家は、現実を見て、ばかばかしいことは考えるべきではありません。頂点に立つ人間には、優れた見識のある人間がなるべきなのです。本当に、元首あるいは指導者の程度は、その国民の民度そのものなのでしょう。

投稿: enneagram | 2009.05.13 10:57

いつも読んでます^^

ところで
僕が知っているのは
「カーマスートラ」などの
インドの愛の経典などでしょうか。
映画ではお世話になりましたが(痛)
これの和訳本とかが見当たらなくて・・・
もしかして世の性の教科書等は
こういうのが原点なのでしょうか。
仏教にもそんなのがあるし。

投稿: しま | 2009.05.21 21:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 愛のお師匠様:

« 弱毒性かも | トップページ | アジアで初の共和国は台湾民主国ではないのかな »