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2009.05.31

[書評]離婚(色川武大)

 「離婚」(参照)は、「麻雀放浪記」(参照)などで有名だった麻雀小説作家、阿佐田哲也(あさだてつや)が、文学者、色川武大(いろかわたけひろ)として1978年(昭和53年)に著した短編で、同年に第79回直木賞を受賞した。単行本は同年に書かれた他の関連三作を併せている。私としては、直木賞受賞作より続編的な性質の「四人」、また前段の作品ともいえる「少女たち」のほうが優れていると思う。

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離婚
色川武大
 「離婚」は男女の機微を軽いタッチで描いた笑話として読まれた。作者、色川に擬された、40歳ほどの一人暮らし独身フリーライターの主人公、羽鳥誠一の住居に、25歳ほどの美女、会津すみ子がその父親の暴力を逃れるべく転がり込み、「ねえ、あたし、お妾にしてくんない」とそのまま同棲したものの、2年ほどして形の上では結婚し、さらに6年後に「離婚」した。が、すみ子は羽鳥の家を出たはずなのに、今度はすみ子の家に羽鳥が住み着いてしまった。そういう話だ。
 二人には15年近い年差もあり、世間並みの結婚をするつもりもなく、また両人、世間並みの夫婦を演じる気質も常識もない。性交と堕胎は繰り返したようだが、世間体のよい夫婦の情愛を深化させることはなく、それでいて両人、他に浮気をするわけでも憎しみ合うという関係でもない。女は夜遊びや短期な出奔を繰り返すが、男もそこに愛情の欠落を見るわけでもない。自堕落だが別れきれない関係が描かれている。
 男女の仲とはそういうものなのだという逆説的な説教といった味わいはなく、どこかしら色川の索漠とした内面を反映した作品という印象も強いが、それでも男女の仲によってはそういうこともあるだろうという共感は、普通に夫婦を演じている多数の人にもあるだろう。そこが文学らしくもあるが、この男女の関係に生じるドタバタは、それ自体がコメディとしても面白く、痴情的な笑話といった趣が強い。読者へのサービス精神豊かな色川としては、そのあたり狙って筆を起こしたのかもしれない。
 「離婚」は、すでに40年近くも昔の作品だし、昭和のフリーライターという堅気ではない男の生活を描いているとも言えるが、仔細にこの同棲を見ていくと、現代のインターネットで匿名で洩らされる男女の狂態にも近い。男女とも、20代で結婚し家庭をなすのが普通に思われていた古い規範のタガが緩めば、色川が「離婚」で描いた関係になる。その意味では、「離婚」は時代を先駆していたと読むこともできる。
 「離婚」は色川の私小説だとも見られている。外側から見える部分だけを照合しても色川の人生に重なる点は多い。だが昭和の私小説的な文学を色川がどの程度意識していたかはわからないし、私小説のように見えるのは単に結果論であったかもしれない。色川なりの、妻への愛情のメッセージであったと読めないこともない。私としては、色川が自身の狂態をスクリーン的な映像のように描いてみたいという願望があったのではないと思う。
 色川の実人生では、1969年(昭和44年)に、色川の従妹(母の弟夫婦の娘)、黒須孝子と同棲を始めた。それまでも色川の親と孝子の親の家の交流は普通にあり、孝子は青年期の精悍な色川青年を知っていたし、色川は少女の孝子を知ってはいた。だが孝子が大人になってからの再開は、1968年の、色川の弟の結婚式のことであり、孝子は24歳になっていた。孝子は、その時点で婚約者もいたが、彼女の目からは死にそうな病者に見えた色川への憐憫から翌年同棲を始めた。
 黒須孝子の生年は1943年(昭和18年)、色川の生年は1929年(昭和4年)である。年差は14歳。二人が同棲を始めたころ、色川はちょうど40歳を迎えるころだった。孝子の目からは、当時の色川は60歳くらいの老人に見えたというから、すでに晩年の相貌に近かっただろう。
 色川の相貌を変えたのは彼の宿痾、ナルコレプシーによるものだった。20代後半からその兆候はあったらしい。昼夜も場所も問わず突然の強い眠気の発作が起こる神経疾患であり、そこから食欲も変調を来し、過食になり、肥満になった。
 文学者としてのデビューは、実父との関係を描いた1961年(昭和36年)の「黒い布」による第6回中央公論新人賞である。33歳のことで、前途が嘱望された若き文学者でもあったが、ナルコレプシーもありスランプに陥る。当初は糊口を凌ぐためとも見られたマージャン物だが、これが当たり、さらに1969年(昭和44年)から、阿佐田哲也名で「週刊大衆」に連載された「麻雀放浪記」で人気作家となる。孝子との同棲が始まったのが年でもあった。
 色川名の文学作品となる「怪しい来客簿」(参照)の連載が、1974年(昭和49年)「話の特集」で始まり、1977年(昭和52年)に泉鏡花賞を受賞した。「離婚」で直木賞を得たのはその翌年であった。色川文学の再起は「怪しい来客簿」でもあると言えるが、その名声の上に文学者としての志向を明確にしたのは「離婚」であった。色川は50歳手前になっていた。「離婚」は、40歳の男を描きながら、微妙に50歳の男でないと理解しづらい人間への視線が含まれている。
 1978年(昭和53年)11月、文藝春秋から刊行された単行本「離婚」には、同年に発表された4つの作品が収録されている。「離婚」は別冊文藝春秋143号(3月)、「四人」は別冊文藝春秋145号(9月)、「妻の嫁入り」は文藝春秋オール讀物11月号、「少女たち」は、オール讀物9月号である。4編を一連の物語としてみると、「四人」と「妻の嫁入り」が「離婚」の後日譚だが、「少女たち」は「離婚」の前段に当たる。
 「離婚」の滑稽味を継いだのが「妻の嫁入り」で、羽鳥誠一から離れたすみ子に若い恋人ができ、その男と結婚し暮らす算段までついたのに、また羽鳥の元に戻るというドタバタを描いている。私はこの物語を、面白いとは思わないし、文学的な価値にも乏しいように思うが、当時はこの路線がそれなりに受けが良かったのか、「麻雀放浪記」のようなシリーズが期待されたのか、さらに「恐婚」(参照)という続編がある。
 「離婚」の前段となる「少女たち」は、通念的な意味で4作品のなかでもっとも文学的だと言えるだろう。文体も、ごく表面的にも、他3作が、悪漢の偽善的な告白を連想させる「です・ます体」であるのに対して、この作品では通常の「だ・である体」という違いがある。文体論として見ても、平明な地の描写に間接的に会話的な内容を忍ばせたり、会話を直接的に引き出されたりと奇妙なリズムがある。他者の言葉と、他者の言葉として自分に了解された像が綾をなしているのだが、この交錯は、色川に模されている40歳近い男の内面に映る、少女たちと呼ばれる20代の軽薄な女たちの像と、その向こうに生身の身体をもって現存する女の像に対応している。
 話は、独身の中年男が少女を飼う奇妙な日常だ。直接的に性的な対象としては描かれていない。いわば家出娘を自由に自宅に住まわせているだけだ。その状態を男は遊園地として見ている。男は遊園地を欲しているのだが、その理由はある種の孤独として意識されているが、明瞭ではない。この作品の文学性は、読者が読み進むうちにその孤独と共犯的な関係に置かれていくことにあるだろう。
 少女たちとして男の目に映る女たちは、すでに20歳を超えた成熟した肉体を持て余しているが、彼女たちも社会が彼女たちに強いる性的な関係へのモラトリアムとして遊園地を活用している。
 最初の少女、佐久間瑞子は短大卒の22歳である。男の友人の事務所の娘を家政婦代わりに引き取った。家出同然に世間に放り出すわけにもいかないという配慮はあった。次に、同じ事務所の伊原洋子が出入りするようになった。彼女は瑞子より5つ年上ということなので27歳くらい。自身を「オールドミス」「処女」と言う。母は一度彼女と父を捨てて若い男と駆け落ちし、失敗し精神的に問題を起こしている。著名人のモデルがありそうだが私にはわからない。田宮初美は18歳だが、恋人の男を追って行こうかと悩み、あまり遊園地には関わらない。初美のつてで土屋由美子が来る。年は初美と同じくらいだろう。信州に親がいる。私は「土屋」が信州に多い名字であることを知っているので、この設定に少し驚く。
 話はある意味予期されたように遊園地の崩壊に至る。由美子は男ができて遊園地を去る。洋子は色川に模された男を愛していると、瑞子からの伝言として告げるが、男は返答に窮する。そこにもう一人、親戚の24歳ほどの少女が加わり、男は彼女と関係を持つようになる。名前は出されていないが、それが「離婚」のすみ子である。洋子は消える。瑞子も去るがその後の噂では不倫の末、行方不明となる。由美子は恋人の男と別れ、その後サラリーマンの妻となるらしいが、十年後酔いにまかせて男と再会する。男はそれを押し返して物語は終わる。
 話はそれだけなのだが、少女たちの生態には独特の匂うような存在感があり、その中で男の、女を選択しえない困惑が鈍い光沢をなしている。由美子との再開は十年後とされているが、その年代は「離婚」の連作の時期と重なっており、団塊世代より少し年上の世代の少女たちの終わりも意味している。
 単行本「離婚」に収録されたもう一作、「四人」も「離婚」の後日譚だ。羽鳥誠一とすみ子に、もう一組の夫婦の関わりを交錯させて「四人」としている。羽鳥は、写真家として知り合った植木敏春(サム・ハスキンスの弟子とされている)の妻、植木純子こと、ベティ・ジェーン・植木と知り合いになり、仕事を共にするようになる。ベティの父は日本人、母がユダヤ系アメリカ人である。つまり、ユダヤ人だ。英語の能力を生かし、コピーライターの仕事をしている。
 ベティは「離婚」では、一緒に事務所を借りて仕事をする、写真家の妻として書かれ、すみ子の嫉妬の対象にはなるものの、ユダヤ人女性としては描かれていない。「四人」でも、おそらく執筆契機としては、「離婚」の珍妙なる夫婦関係の延長として、他人の妻との関係を面白おかしく描こうとしていたのかもしれない。だが、ベティはこの物語で決定的ともいえる存在感を持ち、さらに作者色川という文学者の本質をえぐり出すための、神の采配ともいえるような友情を描き出すことになる。
 羽鳥とベティは、同室で仕事をし、さらに海外取材では同室に寝泊まりするまでの関係になるが、性的な関係には至らない。それは恋情でなく、さらに深い友情というものを暗示させる。ベティもまた、羽鳥を性的な対象として愛しているわけではない。ただ、羽鳥の存在に引きつけられて離れることができないでいる。なぜのか。ベティは自身に、才能はないが眼力だけはあるという。羽鳥という人間のなかに、なにかの存在を見据えている。いや、もうここは小説を超えるところだろう。ベティに模されているユダヤ人女性は、色川武大のなかに、なにかを見たのだ。
 ベティは羽鳥に潜む色川と対話する。

「あたしはね、両親ともに早く死に別れたわ。一人娘だから兄弟も居ない。ユダヤ人と日本人の血は流れているけど、故国もない。国籍なんか誰にしろどうせ仮りのものだと思っているけど、一生涯居られると保証されたところはどこにもないし、死ぬところはあそこだという場所もない。だから、残るのは個人的な規範だけ。自分流の居ずまいをただしていないと、どこまでも流れていきそうでね」
「ぼくも、そういう世界浪人の臭いがするってわけか」
「ええ---」ベティは強い視線をぼくに当てながらいいました。「本質的には、そうじゃないかしら---」

 色川も、このユダヤ人女性も、「世界浪人」としてしかこの世の存在を許されなかった。そのように運命を定めたものが、彼らの友情のなかに顕現しようとしていた。色川は、その存在をおそらく人生の基点から予感していただろう。

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2009.05.30

[書評]今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)

 本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」(参照)のテーマとなるハンナ・アーレント(Hannah Arendt)は、1906年ドイツ生まれのユダヤ人政治哲学者だ。名前からわかるように女性で、若いころは彼女の先生だった哲学者ハイデガーと濃い師弟関係もあった。後年ナチス政権を逃れ、フランスを経て1941年に米国に亡命した。その後米国で英語での主要著作をなし、1975年、期待される大著執筆の途中、68歳で没した。

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今こそアーレントを読み直す
仲正昌樹
 彼女の思索が注目されたのは、その経歴の刻印にも関係するが、ナチスという政治体制を筆頭に、20世紀の全体主義体制をどのように考えたらよいかという課題に、独自の議論を展開したことによる。その独自性の意味合いと、彼女の最終的な思想の帰結について、本書「今こそアーレントを読み直す(仲正昌樹)」は、新書として軽い文体で書かれているものの、明確に描き出していて読み応えがあった。私はアーレントの思想に詳しくないが、後に述べる理由もあって、本書はアーレント思想入門として、また現代日本を考察する上でも優れた書籍であると思った。
 類書(参照)を連想させる標題は、新書シリーズとして出版側から付けられたのだろうと推測するが、それでも、なぜ、現代日本で、今こそアーレントを読み直すのか、というテーマは明確に意識されている。著者仲正が指摘するように、現代日本で説かれる政治思想は、装いは複雑に見えても、実際には単純な倫理命題に帰するものが多く、その意味でわかりやすく説かれすぎている。「何をなすべきか」に具体的な当為を描き出してしまう。そのわかりやすさそのものに、アーレントの危惧する全体主義につながる傾向がある。もちろん、そうした観点もわかりやすすぎるという矛盾ははらんでいるし、本書もそこは配慮されている。
 仲正が取り上げている、現代日本の政治思想のわかりやすい一例には「格差社会論」がある。現実の人間には、社会的地位、学歴、技能、コミュニケーション能力など多面性があり、格差の形成も多様な形態を取っているにもかかわらず、ひとたび思想として「人間らしい平等な生活」といった枠組みが提示されると、それだけから「格差社会と戦わなければならない」という至上命題が現れる。数年おきに起きる通り魔殺人事件が、さも現代の格差社会の結果のように真顔で論じられたりもする。こうなれば政治思想といっても、もはやその主張の党派に入るか否かだけが問われているにすぎない。党派的な「善」や「説明」が希求されれば、「格差とはどのようなものか、なぜ格差が問題なのか」と多様性を志向する議論自体、排除されるべき対象とされ、対立する集団の利権の争いのような政治性に帰着してしまう。あるいは、政治性が先行して思想が類別されるようになる。
 アーレントの思想が起立するのは、こうした「政治性」こそ政治ではないのだする指摘においてだ。アーレントによれば、政治とは、人が公を存在の部分を負って公の場に現れ、多様な議論を形成することにある。複数の主張が公において息づくことが政治だとするのだ。アーレントの政治観からすれば、党派的な命題だけが宗教的に問われる現代日本の「政治」議論は倒錯的だ。さらに、「格差是正は無条件に正しい」といった「善」の倫理は、一つの世界観を提示することで、不安に駆られた大衆を理想に導く「思想」となるが、その「思想」の担い手はマックス・ウェーバーが「世界観政党」と呼んだものであり、その政党性こそ全体主義に至る階梯にある。
 ここにもう一つ、アーレントのキーワードがある。「大衆」だ。個人が大衆に埋没し、「世界観政党」に併呑されないためには、公において複数の議論が提出される、アーレントの言う「政治」が求められるし、それをなす主体が「人間」として再定義される。
 当然ながら、アーレントの思想は、現代日本の状況など、個別の状況的課題に対して、直接的な解答を与えない。しかもその議論は、既存の「善」を志向する思想家たちをあえていらだたせるものすらある。仲正はこうしたアーレントのスタイルを「ひねくれ方」とも見ているし、アーレントを「ヘンなおばさん」とも言っているが、同時にそこが魅力なのだとしている。むしろ日本の知識人に迎合されてきた、全体主義批判者アーレントといった単純な像を転倒するところにも、本書の妙味がある。
 本書はアーレント思想の入門書としても企図されており、巻末には簡素ながらも年表もある。また、軽妙な書籍に見えるわりには、アーレントの主要著作、「全体主義の起源」(参照参照参照)、「イェルサレムのアイヒマン - 悪の陳腐さについての報告」(参照)、「人間の条件」(参照)、「革命について」(参照)、「暴力について - 共和国の危機」(参照)等についても、中心課題とキーワードを縦糸にして包括的に説明している。著者の自嘲気味な修辞に惑わされなければ、これらのテーマを扱った序論以降の、第一章「『悪』はどんな顔をしているか?」、第二章「『人間本性』は、本当にすばらしいのか?」、第三章「人間はいかにして『自由』になるか?」までの叙述は非常にプレーンだ。別の言い方をすれば普通にオーソドックスな解説であり、ある程度アーレント思想になじんだ人にとっては、いつもアーレントというべき部分だろう。
 おそらく日本の知識的状況においては、そこまでが普通のアーレントなのかもしれないし、率直に言えば、そこまでのアーレントの思想なら、問題提起としては彼女の意図に反したとしても、それほどわかりづらいものではない。彼女の議論に啓発され、自分で物事を考えようとすれば、ある意味で足りる部分でもある。しかし本書を読み進めながら、スリリングな感興を得たのは、第四章「『傍観者』ではダメなのか?」で、仲正がアーレントとカント哲学の問題に踏み込むあたりだ。
 結果的にという限定が付くが、晩年のアーレントは三部構想の「精神の生活」の執筆において、「第一部 思考」(参照)、「第二部 意志」(参照)まで書き終えて亡くなり、その最終でもあり全生涯の総括ともなりうるはずの「第三部 判断」を残さなかった。おそらくこの第三部の「判断」から、彼女の後期思想、あるいは全思想の眺望が伺えるはずでもあったとすれば、未踏のアーレントを想像することこそ、アーレントを読むという知的営為となる。それがこの小冊子の一章に充てられている。
 アーレントの最後の思想については、同書の二部までに加え、仲正が完訳した「カント政治哲学講義録」(参照)、つまりニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ(New School for Social Research)での講義録から読み解かれるものとされる。つまり、カント哲学の文脈で読み解かれるものだ。
 ここでの主要なテーマは、従来の、人間が公的な存在たるべく活動を促すアーレントの議論とは異なり、政治における「観想」になる。人は時代と状況にあってどのように思索・観想するのか。思索・観想というあり方の政治的・倫理的な意味が問われるようになる。
 仲正はアーレントのカント講義において、美についての判断力の議論の援用から政治的判断力を構想していたと見ている。私たちがある対象を美として「判断」するということは、私という個人の内面において単独な判断が成立しているのではなく、共通感覚としての他者の判定の眼差しが組み込まれているということだ。アーレントは、観想的人間存在の政治性を、他者という共通感覚を基盤としつつ、個人の「拡大された心性(enlarged mentality)」によって、他者との調和を獲得する過程に意味づけていく。
 この考え方は、それ以前のアーレント思想において、公における複数の活動ということを基礎づけてもいるのだが、同時に、観想的な存在はまた他者の、観客としてのあり方も相互的に意味づけることになる。観想的な他者は公の判定として、公を注視する存在となるからだ。この開かれた公を基礎づける注視者は「非党派的注視者(impartial spectator)」ともなる。
 仲正の議論を追いながら、ここで、アーレントの潜在的な、しかし本源的な提起に遭遇する。非党派的注視者は、判断(judgement)が過去・歴史を考慮するように、いわゆる政治への関心においても過去に軸足をおくべきではないかというのだ。なお、仲正は言及していないが、おそらくこの語感は審判(judgement)に近いだろうと私は思う。
 現代日本で政治として語られている問題(issue)は、その直接的な利害関係においてアクチュアルに解き明かすことが前提となりがちだ。しかし、アーレントの潜在的な最後の思想においては、表層的な政治的問題ですら、共同体の過去のあり方・来歴の意味を説き明かすことのなかで公的な議論の枠組みが与えることになる。
 ここで本書から少し外れ、著者仲正のようにアーレントを契機とした自分の思想のようなものを、私も僅かに語ってみたい。
 アーレントも仲正もキーワードにはしていないが、私は、共同体の政治課題は、その過去像の「言語経験」の合意のなかで見いだせるものであり、さらに言えば、荻生徂徠の政治思想のように、言葉の意味を歴史了解に見いだす思惟において重要性を得るものでもあるだろう。またそれは森有正が、個人の体験と峻別した、名辞に至る「経験」にも近いものだろう。
 そこでは共同体の「言語経験」というものが重視されるはずであり、仲正も本書ではそこに気がかりな視線を投げかけてはいるが、「言語経験」、つまり言語共同体を重視する思想は、ドイツ語の神秘思想のようになってしまったハイデガーのそれであって、ドイツ語を捨て英語で思想を紡ぎ出したアーレントのそれではない。私はそこにある驚愕を覚える。後期アーレントの本質は、まさに後期ハイデガーの転倒にあったのではないか。
 英語という異国の言葉によって世界思想を解き明かそうとする、アーレントの思索道程そのものが、共同体の言語経験の歴史を、その民族的な意識において拡大する(enlarge)ことの模範となっている。もちろん、アーレントがギリシア語やラテン語の哲学を駆使したように、それでも西洋の文脈にあるとも言えるのかもしれないし、結局のところ、当初は異国の言葉だった英米の言語だが、その言語経験の歴史共同体に彼女も埋没したとも言えないこともない。だが、その延長は見える。そこでは、民族的心性から生まれた言語経験の価値性が、「拡大された民族的心性」として、民族的心性を解体しうることを示唆している。

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2009.05.28

[書評]バチカン - ミステリアスな「神に仕える国」(秦野るり子)

 ひとつクイズ。先日亡くなった盧武鉉元韓国大統領と麻生太郎現日本国総理の共通点はなにか? いろいろある。どちらも優れた政治家であるという点は批判の多さから理解できる。どちらも男性であるというのも共通点だ。クイズの答えとしては、カトリック教徒だとしたい。少し意外性があるのではないかと思うからだ。

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バチカン
ミステリアスな
「神に仕える国」
 「バチカン - ミステリアスな「神に仕える国」(秦野るり子)」(参照)はカトリックの総本山、バチカンの歴史を概説した書籍だ。研究書ではない。著者はジャーナリストでもあり、エクソシストへのインタビューなどにそうした視点が感じられるが、総じてジャーナリズム的な書籍でもない。聖人名などにラテン語とイタリア語の混乱も見られるが、読書レベルとしても高校生が世界史の補助読本として読むのに概ね適当と言えるし、お勧めしたい。私がこの本を読んだのも、バチカンやカトリックについての自分の知識を確認しておくためのものだった。
 特に「第1章 ローマ教皇の成立(イエス・キリスト、殉教と発展の地、ローマ)」「第2章 「神の代理人」へ(中世から近代へ、変化しながら現代へ)」は世界史的な知識のおさらいになっている。日本人も名称だけは知っている、コンクラーベ、カノッサの屈辱、十字軍、テンプル騎士団、マルタ騎士団などのエピソードも読みやすい。女性教皇といったエピソードも西洋文化理解の一端として知っておくべき部類だろう。
 日本では上智大学に関連するイエズス会だが、西欧の文脈で、「今でもイタリア語や英語などで「イエズス会修道士」という言葉に「二枚舌、詭弁家」との意味を持たせるのは、その名残であろう」としているのも、ごく常識の部類だ。つまり、"Jesuit(ジェスイット)"のことだが、この用語自体は本書には出て来ない。
 著者はキリスト教的な生活環境にあった人ではないので、ごく基本的なミスがあるかとも懸念したが、概ねこれでよいだろう。しいて言えば東西分裂の教義的な側面についても触れてもよかったかもしれない。
 個人的には、世界史のおさらいを終えるころの、近代とバチカンの歴史が興味深かった。特に、本書標題にあるバチカン市国成立に関わるラテラノ条約の話なども読みやすかった。
 もう一点個人的には、第5章でも触れられているが、戦後のエキュメニズム(教会一致促進運動)の経緯が興味深かった。私の世代までは、キリスト教の現代史的な課題といえばこれだったものなので、懐かしい思いもあった。
 「第3章 バチカンのしくみ(バチカンの機構、現代教皇列伝、コンクラーベ、ローマ教皇庁)」は国際ニュースを読むうえで必要になる、現代カトリック機構や仕事を理解するためのリファレンスとして利用できる。国家でもあるバチカンはどのような仕組みになっているのかがわかりやすい。私としては読みながら知識の整理を兼ねていたのだが、国務省における「東方教会省」の存在とその変則的な許容性に考えさせられるものがあった。近未来とはいえないだろうが、いずれ大陸中国でカトリックが十分に解禁され、壮大な人口がバチカンに組織されるだろうとき、類似の扱いになるのではないかと夢想した。
 「第4章 バチカン市国の特権と闇(小さい国土をささえるもの、バチカンと外交、バチカンと日本、現代の諸問題)」は、現代のバチカンとカトリックを扱い、現代カトリックが抱える諸問題を簡素にまとめている。こうした問題は、日本ではあまり取り上げられることはないが、国際ニュースなどを追っていくときにいろいろとひっかかることがある。エマニュエル・ミリンゴ元大司教の問題にも率直に言及されていた。
 本書を読みながら、プロテスタントや諸派についても、歴史的な解説を含めた入門書があってもよいのではないかと思えた。入門的書籍と見なされることは少ないが、マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)はある程度、プロテスタントの分類解説になっている。しかし、諸派(denominations)についてはクエーカーが扱われている程度で、それらの延長が重要になる現代アメリカの宗教事情を歴史的に読み解くのには利用できない。

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2009.05.26

第二回北朝鮮核実験、雑感

 昨日、北朝鮮が2006年の核実験に続き、第二回目の核実験を行ったようだ。厳密には放射性物質の観測結果が出るまで確定はできないが、概ね事実と見てよいだろう。私は昨日に実施されるとは想定していなかったので驚いたが、まったく想定外のことではなかった。
 日時まではわからないものの、プラン通りに推進された結果だった。北朝鮮は先月29日の時点で、「核実験なども辞さない」と報道官声明を発表しており、先日のミサイル実験を律儀に実施したことも考慮すれば、今回も有言実行であったにすぎない。ゆえにこの時点の文脈に戻れば、北朝鮮の今回の核実験の意図は理解しやすく、ミサイル発射に対する国連安保理の議長声明への反発であったということになる。あの時点で国際社会が中国への配慮から強硬な制裁に躊躇を示すなか、なんとか日本が議長声明という形でまとめたことですら北朝鮮の意向に沿わなかった。日本もこの問題の蚊帳の外でもないということかもしれない。
 今回の実験は、日本の報道では単純に核実験とされているが、実際にはミサイル搭載用の核弾頭の実験であり、前回の実験が単に核保有国宣言だったこととは意味合いが異なる。加えて、先日のテポドンにおいてきちんと技術進歩を見せたように、今回の核弾頭実験もその破壊力から想定すると、前回より着実な進歩を見せている。
 日本が直面する危機という点から言えば、韓国とは異なり、来年にも日本が北朝鮮の核の影響下に置かれるということはない。もう数年はかかるだろう。だが今回の着実な進歩だけを見れば、その延長線の情景は想定しやすい。また小型化にはまだ成功していないという議論は、基本的に米国を射程に収めるテポドンの文脈であって、日本のほぼ全域を射程に収めるノドンに装着するサイズと見るなら少し早期に実現できる。
 今回の実験に利用されたのは、核弾頭として小型化しやすい、おそらく長崎原爆と同様のプルトニウム爆弾だが、現状北朝鮮が保持しているプルトニウムには限界があり、30キロから40キロ程度と見られる。二回の実験で虎の子を効果的に消費したが、残りは5発程度だろう。この量のままであれば、テポドンやノドンに装填可能化するまでの技術開発途中で効果的に消費するか、あるいはより短距離向けの核爆弾にするかだろう。北朝鮮としてはさらなるプルトニウムが欲しいところだが、従来のように日本からの実質的な支援が受けられるかは難しい。代わりにミサイル同様イランとの連携も想定されないではないが、現状ではイランにはプルトニウムはない。
 今回の実験が前回と異なる点には、前回のミサイル実験同様、世界に向けた広報の改善がある。前回は直前になって中国に伝えたようだが、今回は事前に、中国のみならず米国にも通知していたようだ。当然、韓国政府も日本政府もそれを知っていただろう。事後の各国政府の動向を見ていても沈着であり、北朝鮮の国際協調の改善と見てもよい。
 今後の動向だが、国際社会が中国に配慮したミサイル実験への議長声明ですら気にくわないということで、形式上北朝鮮が中国の顔に泥を塗ったことになる。中国としてもそれなりの対応が迫られるだろうが、この点もすでに中国では織り込み済みだろう。私の推測では、中国は今回も大した動きは見せないだろう。米国はオバマ政権の核廃絶スローガンに隠した冷戦軍備整理もあって、表面的には非難するだろうが、すでにワシントンポスト社説などの論調でも明らかだが、米国では近日に迫る、北朝鮮に捕らわれた米国人ジャーナリストの裁判が優先するだろう。存外にイランが同様の事件で見せたように、釈放というメッセージを米国に送るかもしれない。その芸当をやってのけたとしたら、外交力の点で北朝鮮は日本のかなう相手ではない。
 今回の実験では、金正日体制後の北朝鮮内部の抗争の表現ではないかという見方がある。後継王については大筋では、日本びいきとも見られる長男正男の他、後妻で在日朝鮮人高英姫夫人による次男正哲、三男正雲の三名が後継にノミネートされている。従来は、正男か正哲かという話題だったが、正哲氏を担ぐ李済剛が失脚したことから、正男か正雲かという話に移り、正雲が継ぐという情報がこのところ連発されている。
 キーになるのは従来正男派と見られていた金正日義弟張成沢だが、正雲でよいとしている可能性がある。だとすると、実際には中国・張成沢・金正男が実質の地歩を固めた上で、高英姫支持だった軍との妥協が成立していることになる。
 この推測が正しければ中国にとってはすでに北朝鮮は制御可能な状態にあるので、中国としては今回の事態も無問題だろう。そうであるかが今後注視点になる。その文脈のなかで今回の核実験を見なおすと、軍側のガス抜きということではないか。

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2009.05.25

[書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)

 本書標題「シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)」(参照)に含まれる「シリコンバレー」は、米国の情報技術先端地域であり、著者梅田望夫が10年以上も情報産業コンサルタントをしている土地でもある(参照)。標題が意味しているのは、最先端の情報技術の視点から、日本の伝統な将棋の世界で得られる最先端技術への啓発である。

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シリコンバレーから
将棋を観る
羽生善治と現代
梅田望夫
 将棋を単に優れた伝統だからとして見直すのではない。すでに現代将棋の渦中にあり、伝統を踏まえつつそれを乗り越えようとする若き天才棋士羽生善治の現在の姿のなかに、情報産業の未来のありかたをとらえようとしている点が本書の特徴だ。なぜ現代将棋に情報産業の未来を見ることが可能なのだろうか。そこには羽生に始まる現代将棋の天才たちの達成があるからだ。
 梅田が羽生に注目したのは、ちょうど梅田が起業した時期にも重なる時期に、将棋専門誌「将棋世界」に連載された羽生による「変わりゆく現代将棋」があったためだ。梅田は連載で羽生が「将棋とはどういうものなのか」という原理を追求していく姿に魅了されていった。理系の梅田をして「数学書を読んでいるかのごとき爽快な感覚が沸いてくる」と言わしめるものがあった。そこに本書の原点がある。
 情報技術を含め、科学・技術の世界は検証され緻密に精査された知識の累積の上にそびえ立つものであり、未来もまたその上に築かれるものではあるが、実際にその先端にあって創造に着手する人に問われているものは、科学・技術の原理性への本質的な問いかけである。それによってのみ、未知の可能性と展望が開け、自由が顕現する。梅田が羽生の将棋の探求に観たのは、その比喩であったと言ってもよく、その比喩の意味が本書では懇切に説かれている。
 情報技術が人間社会を開く鍵となり同時に桎梏ともなりうる現在、その展望の可能性を、現代将棋の探求を比喩として多くの人が共感できるように示すことが梅田の仕事となっているし、本書はその一貫性の上にある。本書出版後、情報技術の先端にある若い人から得られた共感は、その達成を十分とは言えないまでも示している。
 本書を読みながら、私は自分がいろいろと問われているようにも思えた。私は梅田ほど将棋に関心はないが、羽生が将棋を通して何を考えているのかということには興味を持ち続けてきたせいもある。羽生のインタビューなどもできるだけ傾聴したものだ。そのなかで、ほとんど決定的な、ある意味では衝撃に思えたのは、2001年のNHK番組「課外授業 ようこそ先輩 将棋は対話なり」という番組だった。功を成した著名人が母校で一週間ほど指導をするという番組である。羽生は当然将棋を教えることになるのだが、実際に彼が子供に教えようとしていることは、ルールを作ってみよう、そしてそれを遊んでみようということだった。ルールを作るとどういうプレイになるだろうかということを彼は子供に伝えようとしていた。
 番組として見れば、残念ながらうまくその部分が子供に伝達されたかどうかは今一つはっきりしないのだが、羽生の優しい、しかし眼光鋭い視線の先には、子供がいて、どのようなルールを創造し、そのなかからどのような喜びを見いだすのかにじっと思念が注がれていた。時折、将棋の長考のように内省もしていた。この人はルールとはなにかという原理と本質を考えていると私は思った。この人はボビー・フィシャーがチェスのルールを改変しようとまで思索したように、将棋の根底に潜むルールの原理性を問い詰めているのだとも思った。
 もう一つ私の雑感を加えたい。さらにそれ以前の羽生の対談だったが、正確な言葉は忘れたが、彼は、人間とコンピューターが対戦してコンピューターが勝つ日は来るでしょう、と言ってのけた。また、高段者同士の対戦における勝敗の差はごくわずかなものにすぎません、とさらっと言った。印象深く覚えている。詰め将棋的な終盤になれば、人知はコンピューターには叶わない、とも言っていたと記憶する。であれば、序盤のなかに将棋の本質と可能性を見ていくことになる。
 本書に戻ると、梅田も「変わりゆく現代将棋」を読むまでは、将棋の魅力は中盤と終盤にあると思っていたようだ。もちろん、そこにも魅力がある。だが、序盤とその原理性のなかに将棋の現代的な本質を見いだしていくことになる。
 比喩としてではなく、将棋それ自体について本書を堪能することも可能だ。梅田は本書で、指す将棋ではなく観る将棋という楽しみがあってよいのではないかと提言する。彼はやや自己弁明的に話を切り出しているが、観る将棋において梅田は、私などからすればはるかに達人に近い。別の言い方をすれば、観る将棋の意義を理解し、その楽しみを得ている人にとっては、本書のコアをなす「第2章 佐藤康光の孤高の脳―棋聖戦観戦記」「第5章 パリで生まれた芸術―竜王戦観戦記」は堪能できるものだろうし、私も将棋盤を取り出して、駒を置いて追って読むべきなのだろう。
 だが正直なところ、私はそこまでは敷居が高かった。おそらく情報産業の未来像に関心を持つという読者でもそこは、敷居が高いのではないか。もちろん、敷居を低めるべく、梅田は一流のコンサルタントらしく解説や羽生の対談によって補っているのだが。
 それでも観る将棋を語る梅田の情熱で私が感銘したのは、精魂尽くしたプロのサービス精神よりも、こう言っては失礼なのかもしれないが、将棋好きな無邪気なおっさんの心というものの表出だった。
 端正な相貌の梅田望夫をおっさんと呼び、貶めたいのではない。私もおっさんであり、おっさんならではの純な心情というものがある。おっさんはそれなりにプロであり、プロとして生きてくればこそ、その純な部分を大切にしつつも、それほどは他者には開示しなくなる。若さが失われたということもあるが、若い人のように心情を開示し、自己表現すればよいというものでもない。純粋性というのは、もしかしたら子供のころに宿り、おっさんになって開花すべきものかもしれない。
 梅田は本書で、本当に自分が将棋が好きだ、そして、天才羽生のファンだという、おっさん、嬉しくてたまらない、という心情をうまく伝えている。私は、情報産業がもたらす未来にとって必要なのは、そっちなのではないかと思う。
 もう少し言うと、この点では梅田も私も、ポスト団塊世代であるものの、新人類世代よりは年長になる。この世代の少なからぬ人々は、多少なりともこの情報産業の世界の創出に関わってきた。ようやく見えるその世界の地平の上で、若い世代の天才たち、羽生や、また梅田が関与している「はてな」世代のような人々が活躍するのを好ましく思っているし、その発展の支援者であり助言者でありたいと願っている。だが支援よりも今後必要になるのは、この地平を作り出したときの躍動感の蘇生に、さらに子供のころの純な心情を吹き込むことではないか。梅田は本書でそれを成功させたし、年長らしいコミュニケーションにもある程度成功した。
 おっさんたちよ、おっさんにならんとする者たちよ、いやおばさんも、本書は、エールだ。

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2009.05.23

スリランカ内戦終結、雑感

 スリランカ内戦が終結した。この話題は大手紙の社説で読まなかったように思う。私の読み落としでないとするなら、重大なニュースとは判断されなかったのだろう。私はというと、この数日この問題について考える度に重たい気分になった。ブログに書くべきか悩んでいた。
 スリランカ内戦には四半世紀の歴史がある。根は民族紛争とイギリス植民地政策だ。スリランカ人口の七割を占めるシンハラ人は、シンハラ語を使い、仏教徒が多い。二割はヒンドゥー教徒のタミル人だが、これにはその三分の二がスリランカに定住していたタミル人であるのに対して、植民地政策でインド領から強制移民させられたインド系のタミル人がいる。植民地時代にはタミル人が優遇されていた側面もあり、シンハラ人によるイギリスへの反抗もあった。
 1948年、スリランカはイギリス連邦(コモンウェルス)として、「セイロン」国名で独立した。前年の議会選挙ではシンハラ人が多数派となり、シンハラ人民族国家形成の道を採る。民族間のの宥和は進まず、タミル人は1948年「セイロン市民権法」で公民権を、翌年の「国会選挙法」では選挙権を失ない、1956年にはシンハラ語が公用語とされ、仏教国教化の流れと共にタミル人差別は国家構造化されていった。タミル人は、スリランカ全体からすると少数派だが高地など地域によっては多数を占めるために内戦の萌芽を抱えた状態が続いたが、80年代までは穏健派のタミル人政党も存在していた。
 1972年、スリランカは共和制に移行し国名もスリランカ共和国となったが、同年に抵抗運動の拠点も形成された。タミル人抵抗運動「新しいタミールの虎(TNT:Tamil New Tiger)を18歳のヴェルピライ・プラブハカラン(Velupillai Prabhakaran)が設立。1976年にはTNTを元に、その後の内戦の核となるタミル・イーラム解放のトラ(LTTE: Liberation Tiger of Tamil Eelam)が結成された。
 1970年代後半には多数派シンハラ人によるタミル人暴動が発生し、これに対抗する形で、1980年代に入ると、LTTEはインド内での武装訓練を元に、タミル人の分離独立を目指す武装闘争を開始するようになった。スリランカ内戦が四半世紀に及ぶとされてるのはこの時期、特に初のゲリラ活動を開始した1983年を想定している。
 LTTEが優勢に見えた時期もあったが、内戦は混迷し、2000年以降はノルウェーの調停で停戦となり、日本政府も元国連事務次長明石康をスリランカ復興支援担当として任に当たらせている。内戦長期化の理由について明石は、海外在留タミル人がLTTEを援助したことを挙げている。また、国際社会による停戦仲介が失敗したことについては、2004年インド洋大津波の際の国際復興支援金の配分で協力する枠組みが機能しなかったことを挙げている(参照)。こうした側面をどのように歴史的に評価するかは難しい。
 国際社会による停戦努力は水泡に帰し、武力による鎮圧によって内戦は終結した。LTTEのカリスマ的指導者プラバカランも殺害され、生存伝説を封じるために遺体とされる映像も放映されたらしい(参照)。歴史のifになるが、これでよかったのだろうかという思いが残る。私はこれでよいわけがないのだと思うが、代案も見当たらなかったし、局所的な武力もまったく否定もできないでいた。
 日本国内では諸事情もありあまり議論されていないのかもしれないが、今回のスリランカ内戦終結では、和平調停失敗以外の点でも日本が考慮すべきことがある。特に、日本・中国・アジアの近未来的な抗争を俯瞰した「アジア三国志」(参照)の著者でもあるビル・エモット(Bill Emmott)によるタイムズ紙への寄稿「China's accidental empire is a growing danger(計画性のない中国帝国は危険性を増している)」(参照)は考慮せざるをえない。


Events in Sri Lanka, as that nation finally brings an end to a quarter-century-long civil war, are the latest example of China's growing overseas reach. The victory of the Sri Lankan Government was assisted by the supply of arms from China, especially fighter jets, as The Times revealed on May 2, while the Chinese are also building a spanking new port on the southern coast of the country, which the Chinese Navy will be able to use for refuelling and repairs.

四半世紀にわたるスリランカの内戦終結は、中国の進展しつつある海外拡大の最新例である。スリランカ政府による勝利は中国からの武器供与によって支援されていた。特に、タイムス紙が5月2日に報道したジェット機が支援になった。支援に合わせて中国は、スリランカ南部海岸に最新の港を建設していたが、それは中国海軍が燃料供給と修繕に利用できるようにするためのものだ。


 インド洋へのプレザンスを維持するためのバーターとしてスリランカ政府を軍事支援したのが、今回の内戦終結への決定打になったとエモットは見ている。こうした傾向は、中国の対インド政策として他にもあった。

China's long-time policy of supporting Pakistan, as a means of keeping India preoccupied by the confrontation with its old enemy, was maintained, but in a more discreet way. Arms sales and other aid were also provided to Sri Lanka, Bangladesh and Nepal, but China was careful not to make the support too blatant and substantial, for fear of annoying India.

中国によるパキスタンへの長期政策は、インドを仇敵に釘付けにしておく手段として維持されてきたもので、従来はそれほど目立たないものだった。スリランカ、バングラデシュ、ネパールへの武器供与や支援も実施されていたが、中国はインドの困惑を恐れて、露骨ならないようにかつ実質的にならないように配慮していたものだった。


 しかしそれが変わってしまう一つのエポックとしてスリランカ内戦終結もあった。

Hence the flag of Chinese military power is following its trade. And when countries such as Sri Lanka ask to buy weapons, while others deny them because of bossy worries about human rights abuses, what could be more natural, commercial and friendly than for China to accede to their requests?

中国の軍事力の旗は貿易について回っている。そしてスリランカのような国が武器を購入したいと嘆願し、他国が偉そうに人権侵害への強い憂慮からその要求を拒むような状況では、中国がそれを受け入れることほど当然で通商にもよく、友好的なことがあるだろうか。

Everything China is doing in the Indian Ocean can be explained away by its growing economy and by the natural evolution of a new superpower's military expansion.

インド洋での中国の出来事はすべて、中国の経済発展や、新興超大国の軍事拡大の自然な展開を理由に弁明しうる。


 この指摘は、今回の内戦終結以外にもほぼ原則的に当てはまることになるだろう。やっかない問題でもある。
 話を戻して、今後のスリランカだが、内戦が終結し、LTTEが壊滅しても、タミル人問題が解決したわけでもない。また、こうした権力の空隙には特有の問題も発生しやすい。ある意味では、非常に困難な時代に移ったと言える。

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2009.05.21

正しいマスクの使い方: 咳やくしゃみの人にそれを譲ってあげること

 公衆衛生に関わる問題について権威のない立場から不確かな情報を発信すべきではないので、ごく普通の市民であるブロガーとしてできることは、確かな情報源を引用するくらいのことだろう。マスクについて、典拠明記の上、気になったことをまとめておきたい。
 この問題で一番参考になったのは、ニューヨークタイムズのコンサルタント・ブログに掲載された"Is It Safe to Fly During the Swine Flu Outbreak?"(参照)、という、専門家マーク・ジェンドルー(Mark Gendreau M.D.)による質疑応答だった。"Q. Are there ways to protect oneself against the spread of swine flu when flying?"(旅行中、豚インフルエンザの拡散に対して個人できる防御策はありますか?)という問いで、マスクについてはこう答えている。


Consider a face mask. Face masks may help but only need to be used when outbreaks become widespread and are declared a pandemic.
マスクについて考慮すべきこと。マスクは役立つかもしれませんが、必要になるのはアウトブレイクが拡散した状態であり、パンデミックの宣言が出てからのことです。

The most commonly used simple face masks only filter about 62 percent of very small particles, compared to about 98 percent for professional-grade face masks (these are typically designated N-95).
通常のマスクの微細物へのフィルター率は62%ですが、これ比して専用のもはは98%です。これらはN-95と明記されています。

Simple face masks are designed to prevent large droplets that are coughed or sneezed from contaminating the environment rather than protecting the wearer.
通常のマスクはそれを付けている人を保護するというより、咳や鼻水などで汚染された環境における大きめな飛沫への防御用です。

Bring an extra mask along, and kindly offer it to anyone coughing or sneezing who looks sick. This will keep any droplets from landing on you.
余分のマスクがあるなら、具合が悪そうで咳や鼻水の人に提供してください。そうすることで、飛沫があなたに届かなくなります。


 専門家の示唆によれば、マスクの正しい使いかたは、咳やくしゃみの人にそれを譲ってあげることだ。
 世界保健機関(WHO)はマスクについてどのような指針を出しているだろうか。これは国立感染症研究所 感染症情報センターの「インフルンエザA(H1N1)アウトブレイクにおける市中でのマスク使用に関する助言 暫定的な手引き」(参照)として掲載されている。原文は"Advice on the use of masks in the community setting in Influenza A(H1N1) outbreaks"(参照PDF)にある。

 呼吸器ウイルスの感染拡大予防の評価をした研究によると、医療機関においては、マスクの使用がインフルエンザの感染の伝播を減少させる可能性が示されている。医療機関におけるマスク使用の助言は、正しいマスクの使用のトレーニングや定期的な供給、及び適正な廃棄施設といったマスク使用の有効性に影響する可能性がある補足的な対策情報と一緒に提供されている。

 「医療機関」において正しいマスク使用がなされるなら、あくまで「補足的な対策」として考慮されるものとしている。だが、一般的には次のように指針を出している。

しかしながら、特に開かれた空間において、インフルエンザ様症状のある人と閉鎖空間で濃厚接触した場合と比較した、マスク着用の有効性は確立されていない。

 マスクの効果は科学的にはわかっていない。マスクの効果がないとも言えないが、あるとはいえないというのが科学的な立場だ。
 WHOはもう少し一般の人の心理に配慮し、指針を出している。強調は原文のままである。

 それでもなお、多くの人がインフルエンザ様症状のある人と濃厚接触した場合、例えば家族に対するケアを行う時のような場合に、家庭内または市中でマスクを着用することを望むかもしれない。さらに、インフルエンザ様症状のある人がマスクを使用すると、口および鼻を覆うのに役立ち、呼吸飛沫を覆うという咳エチケットの1つを行うのに役立つ。

しかしながら、マスクを正しく使用しないことは、感染リスクを低下させるよりはむしろ、感染リスクの増加につながるかもしれない。もし、マスクを使用するならば、他のインフルエンザのヒト-ヒト感染を予防する一般的な対策も同時に行い、マスクの正しい使用の訓練を行い、文化や個人の価値観を考慮すべきである。


 つまり、マスクの使用によって感染リスクが増加することに懸念している。
 日本での新型インフルエンザ専門家会議による「新型インフルエンザ流行時の日常生活におけるマスク使用の考え方」(参照PDF)ではこう検討されている。不織布製マスクはN-95ではない通常のマスクを指している。

不織布(ふしょくふ)製マスクのフィルターに環境中のウイルスを含んだ飛沫がある程度は捕捉されるが、感染していない健康な人が、不織布製マスクを着用することで飛沫を完全に吸い込まないようにすることは出来ない。

 米国疾病対策センター(CDC)も同様の見解を"CDC H1N1 Flu | Interim Recommendations for Facemask and Respirator Use in Certain Community Settings Where H1N1 Influenza Virus Transmission Has Been Detected"(参照)で出している

Based on currently available information, for non-healthcare settings where frequent exposures to persons with novel influenza A (H1N1) are unlikely, masks and respirators are not recommended.

現時点で可能な情報に基づけば、新型インフルエンザA(H1N1)に人が頻繁に晒される医療機関外の状況は想定しがたく、マスクや呼吸制御器は推奨されない。


 以上の情報元をまとめると、(1)通常のマスクはインフルエンザにかかっている人がウイルスを撒き散らすことを控える効果はあるが、健康者ウイルスから防御する役には立たないだろう、(2) N-95など専用のマスクはウイルスを遮断する、という二点が言えるだろう。
 すると、N-95なら防御効果があるのだろうか。
 この点、NaturalNews.comという科学系啓蒙サイトに掲載されたマイク・アダムス(Mike Adams)による記事"Myth Busted: N95 Masks Are Useless at Protecting Wearers from Swine Flu by Mike Adams the Health Ranger"(参照)が、誇張過ぎるとも言えるが、ユーモラスに指摘している。

N95 masks have virtually no ability to protect the wearer from other people's airborne germs.
N-95規格のマスクの装着は、実際には、他者による空気感染ウイルスから防御する能力はありません。

If it's not air-tight, it's not right!
息が苦しくないと、正しくはない

This should be obvious by simply noticing that N95 masks are not air-tight! When you inhale while wearing such a face mask, the air you're inhaling enters through the gaps on the sides of the mask, completely bypassing the mask filtration system.
ちょっと観察した程度だと、N-95マスクが(機密型で)息苦しいわけではないと思うでしょう。通常マスクのように装着して息を吸っても、空気はマスクの横から入ってきます。つまり、フィルターの役割をまったく無視した状態になっているわけです。

This is why -- duh! -- level 4 biohazard scientists don't waltz into their labs wearing N95 face masks. If they did, they would die. Since they don't want to die, they don't depend on N95 respirators.
だから、いいかい、レベル4の生物学的危機状況に置かれた科学者は、N-95マスクをした状態で研究室へワルツのステップで入ることはできません。そんなことをすれば死んでしますよ。死になくないので、N-95に頼りません。

So all those people planning on wearing N95 face masks are kidding themselves. That's what I mean about ill-informed preparedness. It's almost worse than no preparedness at all because it gives people a false sense of security.
だから、N95を装着しようというのは思い違いです。私が言いたいのは、こういうのが間違った情報による準備だということです。人々に間違った安心感を与えるというのは、準備がないよりひどいということなのです。


 というわけで、典拠のわからない新型インフルエンザ完全対策マニュアルといった情報に踊らされるのは、準備を何にもしないよりましではなく、もっとひどいことになりかねない。
 ところで、このマイク・アダムスの記事は本当だろうか。先の新型インフルエンザ専門家会議による「新型インフルエンザ流行時の日常生活におけるマスク使用の考え方」にも呼応する指摘がある。

 日常生活においてマスクのフィルターで捕捉したい粒子としては、花粉や、咳やくしゃみにより飛散するウイルスを含んだ可能性のある飛沫がある。花粉の粒子の大きさは、20 から30μmである。また、インフルエンザウイルス等のウイルス自体は、0.1μm程度の大きさであるが、非常に微細で軽いためウイルス単独では外に飛ぶことができない。通常ウイルスが外に出る際には唾液等の飛沫と呼ばれる液体とともに飛散する。飛沫の大きさは5μm程度である。花粉や飛沫を捕捉することがマスクのフィルターの性能として求められ、それは材質等によって決まる。
 しかしながら、吸い込む空気の全てがマスクのフィルターを通して吸い込まれるわけではなく、通常は顔とマスクの間からフィルターを通過していない空気が多く流入する。これらの空気には、花粉や飛沫等が含まれている可能性がある。使用する際にはマスクをなるべく顔に密着させることが求められるが、それでも空気が顔とマスクの間からある程度は流入する。それゆえ、これらの空気とともにウイルスが含まれた飛沫が流入すると感染する可能性がある。また、より密閉性が高いマスクを使用すると、呼吸することが難しくなる。

 N-95規格のマウスは日常生活においては呼吸困難に陥ると理解してよいだろう。
 なお、ここでの指摘にはもう一つ興味深いことがある。ウイルスは空気感染するとはいうけど、0.1μm程度のサイズのインフルエンザは単体では飛翔できないということだ。

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2009.05.20

[書評]奇跡の脳(ジル・ボルト・テイラー)

 子供のころ私は「頭の体操」というクイズ集が好きだった。シリーズには科学版があり、正確な問いは覚えていないが、こういう問いがあった。A氏の身体にB氏の脳を移植したら、この人は誰か? 答えは、B氏である。脳が身体を支配するのだから、脳であるB氏がその人だ、と。今に至るまで記憶しているのは、子供のころ解答を知ってなるほどと思った反面、違和感もあったからだ。大人になった私としては、脳の移植は不可能だからくだらない問いかけにすぎないという感想と、それでも脳がその人を意味するという現代人の憶見を示しているだけなのではないかと皮肉な思いが交差する。

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奇跡の脳
ジル・ボルト・テイラー
 「私の脳」と「私」は同じものだろうか。脳はその器官のイメージから、あたかも認識の客体として想像されやすいが、認識し思念する「私」がその脳という器官と同じかどうかは、ハードプロブレムと呼ばれるような哲学上の難問でもある。もちろん「私」の認識や思念が脳機能の過程に深く関わっていることは間違いなく、「私の脳」に異変があれば「私」は変わる。「私」が脳学者であるならその変化の過程を刻々と構造に関連付けて意識することもできるはずだ。
 想像上はそうでも、解体していく「私」という意識過程を言語表出で他者が受け取ることはない。壊れゆく脳変化の過程を何らかの手法で他者に伝えることができる水準にまで、一度壊れた脳が回復することはほとんどないからだ。そう思われていた。脳学者ジル・ボルト・テイラー博士は違った。奇跡だったと言いたくなる。彼女は、脳学者として自分の脳の損傷過程を内的に体験し、正常に近い脳の状態まで帰還してから、私たちに壊れゆく脳の中の「私」というものの意味を本書「奇跡の脳(ジル・ボルト・テイラー)」(参照)で解き明かし、伝えた。それは驚くべきメッセージだった。
 1996年12月10日、朝、37歳で独身、一人暮らしの脳学者ジル・ボルト・テイラー博士は頭痛で目覚めた。血行を良くしようと日課のエキササイズを始めたが身体感覚は異常だった。しだいに視覚も異常になり、日常の思考にも困難を生じた。テイラー博士は自分の脳に異変が起きたことを知り、助けを求めようと電話を手にしたが、ダイヤルも困難であり、言葉もままならなかった。左脳の言語中枢がやられていた。ようやく電話を受けた同僚がうめき声で事態を察し、博士を救出したのは偶然に近い幸運だった。
 脳卒中に襲われ、外部から見ると言語も意識も乏しい状態にしか見えないテイラー博士だが、彼女のある意識は突然の脳損傷にもかかわらず存在し、世界と、彼女に接してくる人々を認識していた。左脳損傷から考えれば、その意識は右脳にあったのだろうと推測される。右脳の意識によって、痛覚の中にも宇宙と渾然と一体化する至福感も味わっていたという。
 卒中の開始から病院での数日間の、神秘的とも言える内的な描写は、本書の圧巻だ。読みながら、私の父は卒中で死に、私もいずれ卒中で死ぬではないかと怯えていたが、その刹那に浄土のような至福感があるかもしれないと、希望のようなものすら夢想した。
 本書のオリジナルタイトル"My Stroke of Insight"(参照)にはその神秘的な脳活動への含意がある。Strokeの両義である「卒中」に加え「一撃」の意味には、「洞察が一撃のように現れた」というメッセージが込められている。彼女を襲った至福感が、その洞察を意味していた。彼女はこれを右脳特有の機能ではないかと後に考察していく。
 本書のもう一つの山場は、回復の過程にある。GG(ジジ)と愛称される彼女の母親(数学者)による献身的な介護と回復に至る長い日々の描写は読み応えがある。本書は米国でベストセラーになり、さらに著者テイラー博士は2008年のタイム誌「世界で最も影響力のある100人」に選ばれたが、その評価を支えたのは、彼女が脳卒中や脳損傷患者への介護について多くの洞察を与えたからだ。言語も思考も不自由にしか見えない患者にも豊かな内面があるということを、彼女の証言から多くの人が察するようになった。このことはもっと簡単に言える。患者は、右脳の意識のなかで、接する人々の愛情とエネルギーを正確に察知しているということだ。そのことを多くの人々が理解し、患者への接し方を改めるようになった。
 日本にもテイラー博士の思いが伝わっていることは、NHKの関連番組の影響もあるが、本書がすでにベストセラーに上がっていることからでもわかる。だが本書が現代日本の精神風土で読まれる場合に、私には二つの誤解が立ち塞がりはしないかとも懸念した。
 一つは、左右脳機能への無理解だ。本書はいわゆる俗流の右脳礼賛本と読まれる危険性がある。左脳の分析的な思考が人間を孤独にし、右脳の情感が連帯をもたらすといった単純な読み方だ。確かにそう読める部分はあるが、テイラー博士は右脳の可能性についての文脈で述べているのであり、通常の脳機能が左右脳の統合によることは明記されている。テイラー博士は卒中を経験したとはいえ、脳学者の見識もあり同僚たちに支えられている。内容は確固たる科学性に裏付けられていると信頼してよい。
 もう一つは、俗流のオカルト志向を正当化するように誤解されることだ。残念ながら、部分的に取り上げるならそう誤解されてしかたないだろう。だがこれもそうした断片をあげつらうのではなく、本書の全体から読み解くべきだ。
 人が他者の愛情を感得する仕組みには、別段オカルト的な神秘性はないが、にも関わらず科学でも哲学でも解き明かされたものでもない。ヴィトゲンシュタインは他者の痛みを知ることの不可能性を説いたが、その前提には、我々が日常において他者の痛みを察知している現実というものの奇跡的な了解がある。私たち人間は、他者の愛情や痛みを感得する能力があり、その能力の仕組みをまだ十分に知っているわけでもない。なにより、愛情の交流を知るためには、各人がそのような愛情の場に組み込まれることを要請するような倫理が問われる。人とはそのような存在なのだ。
 誤解を招いてはいけないが、本書は瞑想など精神の内奥に関心をもつ人なら、著者が意図せずした書いた部分に各種の符丁を見いだし、そこに驚嘆することだろうと思う。

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2009.05.19

[書評]渚にて 人類最後の日(ネヴィル・シュート作・佐藤龍雄訳)

 先日ぼんやりと人類が滅亡する日のことを考えていた。具体的な脅威が刻々と迫って滅亡するという情景ではなく、遙か遠い未来のこととして想像してみた。うまくいかなかった。自分の死と同じように、その日が確実に来るとわかっていながら、うまく想像できないものだと痛感した。そして、この問題はまさに「自分の死と同じように」という部分に重要性があるのではないかと思い直し、ネヴィル・シュートの「渚にて」(参照)を思い出した。

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渚にて【新版】
人類最後の日
ネヴィル・シュート
佐藤龍雄訳
 「渚にて」は、私の世代から上の世代は誰もが話を知っている作品でもあり、それゆえに私は実際に読む機会を逸していた。アマゾンで探すと、創元SF文庫で4月に新訳が出ていたことを知り、これを機に読んでみた。なるほどこれは名作だった。魂を揺さぶられる思いがした。
 以前の版も創元SF文庫だと記憶していたので、どういう経緯の新訳なのか気になった。東京創元社文庫創刊50周年の記念らしい。それだけ旧訳の言葉使いが古いのだろうか。光文社古典新訳文庫のように読みやすさに工夫されているのだろうか。読後の感触からすると優れた訳文だろうと思うが、「かぶりを振った」式の訳文にはそれほどの現代性はなく、読みやすい訳ではあるものの漢語の格調も高い分、若い世代にはなじみづらいかもしれないとは少し思った。
 「渚にて(On the Beach)」の原作は、私が生まれた1957年に出版された。米ソ冷戦のただ中であり、この年、人類最初の人工衛星スプートニクは当時の米国に、現代日本が感得するテポドンの脅威以上の危機(Sputnik crisis)を与えた。「イワンが知っていることがジョニーにはできない("What Ivan Knows that Johnny Doesn't." )」として米国に教育改革が起こり、日本にも波及して私の世代から初等数学が集合論によって基礎付けされるようになった。私は冷戦によって育てられた。
 初訳は1958年、文藝春秋新社による木下秀夫訳「人類の歴史を閉じる日」である。翌年の映画「渚にて」(参照)とともにそれなりに話題になった。1962年にキューバ危機が起こり、人類は全面核戦争に直面し、1965年、創元推理文庫前訳版にあたる井上勇訳が出版されると、この直面した危機の余波で広く読まれるようになった。あたかもネヴィル・シュートの予言が当たるかのようにも思えたからだろう。「渚にて」の物語の時間は、1964年に想定されていた。
 物語は、中ソ間の暴発がきっかけとなった第三次世界大戦で、地球北半球が全面核戦争によって死滅した状態から始まり、さらにその放射能が南下し全面的な地球滅亡を待つ南半球のオーストラリアを舞台にしている。物語では、一つの国家がじわじわと死滅に至る過程が描かれている。
 現代の常識からすれば、人類が全面核戦争を起こしても、ネヴィル・シュートが想定したような人類滅亡にはならないだろう。それゆえに私もこの小説は名作であっても科学的にはナンセンスなお話ではないかと思っていた。本書新訳の帯に小松左京の言葉、「未だ終わらない核の恐怖。21世紀を生きる若者たちに、ぜひ読んでほしい作品だ」が引かれているように、本書は従来、核戦争の恐怖と愚かさを伝える作品として理解されてきた。あるいは、冷戦的な世界を描き出した予言の書として読まれてきた。私はその側面に関心を持つことがなかったが、読後、まったく異なる感想を持った。その前に、物語にもう少し言及しよう。
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エンド・オブ・ザ・ワールド
レイチェル・ウォードほか
 物語の舞台は、北半球で全面核戦争が終わって1年後の1964年の1月から半年の、メルボルンとその近郊である。米国はすでに国民と国家が死滅したと見られていたが、米国原潜スコーピオンは生き延び、オーストラリア、メルボルンに寄港した。
 オーストラリア政府は、スコーピオンに期待した。北半球の状況、および南下する放射能の状況によってオーストラリア大陸もまた死滅する運命にあるのか、米国軍人である、スコーピオン号艦長ドワイト・ライオネル・タワーズ大佐に調査を依頼し、オーストラリア海軍ピーター・ホームズ少佐が補佐することになった。
 物語は、ホームズ少佐家族の和やかな日常から始まる。ホームズ少佐は、大任を共に遂行することになるタワーズ大佐と親交を深めるためにホームパーティに誘う。ホームズ少佐には若い妻メアリ・ホームズと幼い娘がいる。パーティでは、雰囲気を盛り上げようとホームズ家の知人として20代の女性モイラ・ディッドソンが参加する。これをきっかけに彼女は、米国に妻子を持つ30代のタワーズ大佐を慕うようになる。タワーズもモイラを慕うが、米国の妻子はすでに死んでいると理性的に考えつつも、その現実を受け入れることができず、その恋の一線を越えることができない。物語の主軸は、タワーズとモイラの恋、それとホームズ夫妻の家族愛である。それらを不可避の死滅がじわじわと覆っていく。
 原潜スコーピオンは、タワーズ大佐にとっては恋人モイラを、ホームズ少佐にとっては妻と娘を残し、死滅したはずの米国から送られる謎の通信や、北半球の放射能状況を探るべく出航する。放射能分析のためにオーストラリア科学工業研究所の研究員ジョン・S・オスボーンも同乗するが、彼がこの物語のもう一人の重要な登場人物になる。
 無事任務を終え原潜スコーピオンはメルボルンに戻るが、もはやオーストラリアおよび南半球の人類の死滅も逃れることができない状態が明確になった。そのなかで、人々はどのように生きて、死を迎えるのか。この作品が名作であると疑いえない確信を読者に迫るのは、終末に至る人々の淡々とした生のありさまであり、ホームズ夫妻の家族愛とタワーズとモイラの恋の終わりの描出にある。
 読後私には、ネヴィル・シュートが英国人だからというのではないが、まさにシェークスピア悲劇のような重たい印象を得た。その思いに沈みながら、しだいに、不思議と、描き出された核戦争の脅威でも、人類の死滅でも、人に不可避の死という残酷さでもなく、逆に生の時間というかけがえのないもののあり方が心に深く生き返ることに気がつことになった。この物語は悲劇であるが、単なる悲劇ではない。時代や戦争の装いをしながら、シェークスピア文学のように人が生きることの意味を問い、それに答えている物語だった。
 ホーム夫妻の最後、タワーズとモイラの最後には涙を誘うが、その悲劇を単に悲劇としないためにオスボーンの生のありさまが対置して描かれ、最終に至る筆致のなかで、自然は美しく、人々の日常は輝き出す。人はそのように生きることができるからこそ、いかなる死も受け入れる存在であることが深く示されている。希望とは未来への企図ではなく、人としてあるべき日常のこの瞬間の全機現にあるのだろう。

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2009.05.15

[書評]アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント)

 文明というもの、それに内包される科学知識や技術というものは、徐々にそして段階的に進展していくと通常考えられている。だから古代は、現代よりも科学技術にはおいて劣っていたとみなされて当然だが、古代が我々に直接伝える遺物には、科学技術進展の原則を疑わせる物がまれに存在する。とりわけ人の驚きを誘うのがオーパーツ(OOPARTS:Out Of Place Artifacts)だ。ギリシア人の感嘆の声、オーパ!をもじったものだろうか。「アンティキテラ島の機械」と呼ばれる、小さな古代の遺物を知った現代人は、間違いなく感嘆の声を上げるに違いない。

cover
アンティキテラ
古代ギリシアのコンピュータ
ジョー・マーチャント
 本書、「アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ(ジョー・マーチャント)」(参照)は、現代の人間がいまだに知りえない、古代ギリシアの科学技術を探求する過程を描いた作品で、その過程もまた驚嘆を誘う。SF作家アーサー・C・クラークがこの機械を知ったとき、「この知識が継承されていたなら、産業革命は100年以上も早まり、いまごろ人類は近くの星に到達していたはずだ」とつぶやいたという。
 だが本書を丹念に読めば、クラークの驚嘆が否定されることの驚嘆というものに私たちは遭遇することになる。彼の直感に反してそれらは継承されていた。では、現代文明の歴史はどう書き換えればよいのか。本書の読後、人類史への感覚は変わる。
 オーパーツは興味深いが、大半は期待に反して、偽物である。後の時代が過去の幻想として作り出した悪質な模造品に過ぎない。だが、クレタ島の西北、ペロポネソス半島の南端マレア岬の間にあるアンティキテラ島の海底の古代船から発見されたがゆえに「アンティキテラ島の機械」と呼ばれるこの小さい機械は異なっていた。
 錆びているとはいえ、多数の歯車を内蔵した時計のようなこの精密な機械は、現代人の常識だけからすればせいぜい古くてもルネサンス以降の遺物にしか見えない。他の発掘品や現代考古学による年代推定がなければ、近代の時計の残骸にしか見えないだろう。しかしそれは紛れもなく紀元前に作成された巧緻な機械であり、そして本物だった。紀元前にこれは作られていた。

アンティキテラ島の機械

 その精妙さに驚嘆した後、現代人は「いったいこれは何のための機械なのか?」という問題に捕獲される。古代人はなんのためにこんな緻密な機構を必要としたのか。ちょっと見には、アンチーク時計の内部に見える。ただの時計ではないのかと、歯車の歯のかみ合わせを調べ、テンプや動力を想定してみる。時計であるなら存在するはずのそれらは、存在してない。ではこれは何か。計算機なのではないか。不思議な連想ではない。電子計算機が登場する以前には、歯車を多く装備した機械式の計算機が存在した。それによって世界大戦は可能になった。

プライス
デレク・デ・ソーラ・プライス
 計算機だとしよう。広義にコンピューターと呼んでもよいかもしれない。では、この古代の機械で何を計算したのか。それを知るには、この機械を解明し、再現してみたらよいのではないか。このことに最初に気がつき、人生の多くの時間を費やしたのが、物理学者かつ科学史家でもあり、科学計量学という情報科学の基礎を築いたデレク・デ・ソーラ・プライス(Derek J. de Solla Price:1922 - 1983))だった。
 本書はアンティキテラ島の機械の発見の経緯と、その歴史的背景を前の三分の一で詳説した後、プライスを筆頭にこの機械に見せられた人々の物語に入る。プライスは調査と再現の過程と総合しつつ解明を試み、基本的にこれを暦法の機械だと考えた。さらに科学史家として、この謎の機械は、クラークの驚嘆とは異なり、イスラム文化のなかに継承されていたに違いないと予言した。
 古代人は、太陽を元にした太陽暦と、月の満ち欠けを元にした太陰暦を調和させることで天文学や数学を発展させてきた。アンティキテラ島の機械はそうした知見を具現化したものだろう、とプライスは考えた。本書のスリリングな後章を読み進めれば、プライスの直感はまったくの間違いとも言い切れないだが、考察には間違いもあった。オーパーツの呪縛にかかってしまったと言えるかもしれない。アンティキテラ島の機械に差動装置(differential gear)を幻想してしまった。
 この間違いに気がついたのは、本書の後半から登場する、事実上本書の主人公ともいえるマイケル・ライト(Michael Wright)だった。彼は当時ロンドン博物館の工学部門を担当していたキュレーターだったが、後、全人生をこれに捧げるほどの探求を行うことになった。もっとも最初からライトがアンティキテラ島の機械に魅惑されたわけではなく、ビザンチン文化の日時計に仕組まれている歯車の機構からこの問題に取り組むことになった。歴史の細い伝承が彼を引き出したかのようだった。
 本書の面白さは、謎の古代という魅惑的な物語であることに加えて、マイケル・ライトという人間を描き出した文学的な感興にある。ライトは学者ではなかった。それゆえに、差別的ともいえる境遇と葛藤に落とされてしまう。学者ではないということが、本質的な問題を見つけ、その解明に人生を捧げようとする人間にとって、これほどまでの障害になりうるのか。私も一度はアカデミズムに志し、そこから脱落した人間なのでライトの苦悩に深く共感することがあった。
 ライトを巡る人間ドラマにはアカデミズムに加え、もうひとつ唐突な現代科学が敵対する。近年になり、プライスやライトには駆使しえなかった最前線の光学技術でアンティキテラ島の機械を解析し、それを実作ではなくコンピューター上に仮想で再現していく研究グループが現れたのだ。トニー・フリース(Tony Freeth)とマイク・エドマンズ(Michael Geoffrey Edmunds)による「アンティキテラ島の機械研究プロジェクト(The Antikythera Mechanism Research )」のグループである。
 フリース・グループの発想自体は単純だ。謎に見えるアンティキテラ島の機械だが、それが謎なのは腐食した遺物からレプリカが再現できないことにある。だが、腐食を乗り越える光学技術およびコンピュータグラフィックスによる解析技術があれば、「はい、これがアンティキテラ島の機械ですよ」とやすやすとコンピューター上に提示することができるだろうというものだ。それができれば、あとは学際的な研究知見を総合していけばよいはずだ。どこかしら現代情報産業におけるグーグルのような技術志向の考えかただ。
 人間の総合的な「知」というものには二つの側面がある。個別の知識を非個人的に体系化したサイエンス(science)と、手技にも近い徒弟訓練から習得されるアート(art)の側面だ。本書終盤で圧倒的にこの読書者を引き込むのは、フリースらが代表するサイエンスに、ライトが代表するアートが対決していく描写だ。
 もちろんサイエンスとアートは必ずしも対立するものではない。サイエンスなくしてアートはなく、アートなくしてサイエンスはない。だが現代人は、グーグルが暗示するような非個人的な科学知識の総合において、人類的な知が形成できるような幻想を持ち始めている。そこでは、学際という看板を掲げてもその結節となる個人の知識は、いずれ非個人的な知識に還元されてしまう。それでよいのだろうか。私の関心は、アンティキテラ島の機械という人類の謎に取り組むのは、ライトのようなアートが、つまり個人の人生の総合をかけるような個人的な知というものが不可欠なのではないかという点にある。私は率直に言えば、ライトに加担した心情を持ちつつ本書をスリリングに読み終えた。
 ライトはアンティキテラ島の機械について天界を機構的に表現したものだと見ているが、フリースはどちからいえば蝕の計算機だと見ている。その点だけで言えば私はフリースが正しいのではないかと思うが、ライトの考えにはまさしくアート的な深みがある。なにより本書こそ、ライトのアートのありかたに著者ジョー・マーチャントが引き込まれた産物でもある。
 彼女は、アンティキテラ島の機械にまつわる人間関係のドラマを公平に描きながら、プライスの理解にすらライトを頼んでいった。アートは人間のドラマを描き出し人の心に感動を生み出す。その情感がアンティキテラ島の機械を人々の心に再現させ、動かす力になる。

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2009.05.13

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番

 30代の終わりだったか40代に入ったころだったか、なぜか毎日、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とピアノ協奏曲第3番を聞かずにはいられない日々があった。脳がそれを欲しているという奇妙な状態だった。鬱だったのかもしれない。あるいは、激鬱だったのかもしれない。そういう精神状態に陥っているときは自分でもよくわからない。不思議な日々だった。
 なぜラフマニノフのピアノ協奏曲だったのだろうか。なぜ脳がそれを欲していたのだろうか。神経内のある種のシナプスたちがピアノの離散的な音に反応するみたいだったが、ピアノの演奏ならなんでもよいわけではなかった。複雑な演奏でないといけなかった。
 昔からそういう傾向はあった。離散的な音を聞いていると脳がデバッグされるような感じがした。ピアノ曲が好きだったのは、そういう脳の性向の結果に過ぎなかったのかもしれないが、30代まではメロディアスで情感的な曲は好きではなかった。ショパンは、イヴォ・ポゴレリチのショパンを除けば、好きではなかった。リストのピアノ曲は私には単純な音楽に聞こえた。脳はある程度の複雑性を要求するので、ラヴェルのピアノ曲をよく聞いていた。
 その後、生ピアノでオイリュトミーとかやっているうちに普通にロマン派のピアノ曲もええなあ、と思うようにはなった。それらが30代後半、ラフマニノフのピアノ協奏曲に、がしょっと凝固したような状態になった。

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ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第2番
キーシン(エフゲニー)
 ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と第3番のどっちが好きかというと第3番かな。それほどどっちという差はない。問題は、というか、問題があるとすればだが、誰の演奏か、ということだろう。ここがちょっと微妙なところだ。このエントリの、テーマみたいなものになるかちょっと戸惑っている。
 ラフマニノフのピアノ協奏曲を聞いていた日々、ラフマニノフについてはあまり知らなかった。伝記みたいものを読む気もなかった。最近映画があったようだが、それもいまいち関心はない。それでも一通りラフマニノフという人がなんとなくわかったのは、以前NHKでラフマニノフの生涯を描いたドキュメンタリー「ラフマニノフ・メモリーズ~悲しみの収穫~」という番組を見たからだ。
 NHK制作の作品ではない。ぐぐると「NVC ARTS/NDR/ARTE, 1998、Tony Palmar監督」らしい。娘エリーナとタチアーナに語るというモノローグ風な語りに、ドキュメンタリータッチにラフマニノフの子孫とかも出てくるというしろものだった。おかげでロシアのラフマニノフの邸宅(別荘)も見ることができた。作品として感銘を受けたかというと、そこがなんとも微妙にB級なところがあった。総じて、よい作品ではあった。
 一番印象深かったのは、ラフマニノフが米国に移民してからロシアなるものを愛してやまなかったことだった。これは正教への愛といってもよいかと思う。このあたりの深い心情は「徹夜祷」などにもうかがえる、というか、自分でもどうも矛盾しているのだが、ラフマニノフの音楽はピアノ的な離散性とまさにヴォカリーズのような肉声の響きの双方がある。その微妙な、正教的とでもいうのだろうか、調和に、なにか魂を揺すぶられる。
 ラフマニノフのロシア的なもの、正教的なものへの愛の、その裏面には、彼が米国でピアニストとして成功することのアイロニーがあったらしい。番組ではピアニストとして成功する反面、ハリウッド映画のBGMくらいにしか批評家に理解されないことの嘆きがあった。
 そういえば以前、米アマゾンからラフマニノフのCDをごそっと買ったとき、BGM風のアレンジがけっこうあり、最初何気なく聞いていたのだが、自然に落ち込んでしまった。ラフマニノフの音楽というのは、俗っぽいロマンという趣向になることが、どうにも否定しがたい。愛の調べってか。
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ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第3番
アルゲリッチ(マルタ)
 CDにはアルゲリッチとキーシンのがあった。比べて聞くと、アルゲリッチって、これ正しく演奏してんのか?と思えた。その情熱はわからないではないし、彼女の若いころのピアノ演奏は好きなのだが、どうにも受けつけなくなった。
 結果的にキーシンを聞いていた。最近でもキーシンのばかり聞いている。第3番の指揮は小澤征爾。それだけでどんびく人もいるかもしれないし、どうも微妙は微妙なのだが、悪いものではない。いや、いいんじゃないかな。言ってて矛盾しているが。
 私はキーシンの演奏がよいとそれほど思っているわけではない。キーシンというという人がよくわからないなと思う。若い頃の演奏を納めたCDもいくつか米アマゾンから買ったことがある。悪くはないのだが、よくわからない。技術は間違いないのだが、いま一つ、心がうまく伝わってこない感じがする。冷たいというのではなく、なんか人間離れしてんなというか。どさくさに言うと、この人はいったんポゴレリチのように地獄を見たらいいんじゃないかというか。
 なにか喉に詰まったような感じもあって、ときおりNHK BSとかでラフマニノフのピアノ協奏曲の演奏があると、特に誰がどうということなく、聞く。へぇと思うことや、それなりに感動はすることはある。ラン・ランの演奏(参照)とか見ると、さすが中国雑伎団、とか思う。悪い演奏ではないのだけど。
 そして、キーシン・小澤の演奏との違いに戻って、また困惑する。で、ラフマニノフのピアノ協奏曲って、どれが本物の演奏なのか? あるいは正しい演奏というのはあるのか。
 そういう問いかけがナンセンスのはわかっている。だが以前、ラヴェルの「夜のガスパール」で、どれがよいのか悩んでいたとき、野島稔の演奏を聴いて、「ああ、これが正しい演奏なのか」と得心したことがあった。ラフマニノフについても、どこかに、そういう定点の演奏のようなものがあるような気がしている。アシュケナージ(参照)がそうなのかもしれない。よくわからない。好きではないからかもしれない。
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ラフマニノフ自作自演
ピアノ協奏曲第2番&第3番
 ラフマニノフについては、自身によるピアノ協奏曲の演奏が録音されている。もちろん、聞いてみた。今でもよく聞いている。録音の質についてはとやかく言うまい。なるほど本人としてはそういうふうに演奏するのかというのはわかる。だがどうも、正しいという感じはしない。ピアノ協奏曲第3番は手の都合から、ラフマニノフ本人しか弾けないという話もあり、そういえばアルゲリッチもけっこう音をこぼしていたような印象があった。ラフマニノフ生存時には彼以外にはホロヴィッツしか弾けなかったとも聞く。ラフマニノフはホロヴィッツの演奏をどう思ったのだろう。自分よりいいなと思ったのだろうか。私は個人的にはホロヴィッツの演奏(参照)は受けつけない。ある種の調和が感じられないせいだ。
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Rachmaninov
Concerto No. 3
Jorge Bolet
 最近のことだが、たまたま「ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」収集記」(参照)という、ずばりそれの専用ブログを見かけた。参考になったかというと、それがまた微妙なのだが、とにかくその一番のお勧めのホルヘ・ボレットのは買って聞いてみた。こういうことらしいから。

聴いて、もうとにかくビックリ。こんな激しい演奏は初体験。いままでの中でも文句なしナンバーワンの「熱さ」。かつ、圧倒的なテクニックでミスタッチもほとんどない。これまで、ギーゼキングの「迫力」が一番と思ってましたが、それをはるかに上回る力強さ&スピード。かつ、テクニックが完璧。まさに、わたしの考えるこの曲の理想。こんなスゴイ録音があったなんて、今までどうして出会わなかったんだろう、と。とにかく、その他の録音とは「格」が1段も2段もちがう。よって、点数も最高点。コレを聴かずして、ラフ3ははじまりません。この曲の最高峰の演奏であり、これ以上は望めない究極の録音です。

 録音状態についてはこれも不問として、演奏はたしかに驚きはした。なるほどという部分がけっこうある。手抜きがないなというのか、音の一つ一つが丁寧に奏でられているし、迫力もある。このボレットを聞いてからアルゲリッチを聞くと、なるほどなと思うところはあった。YouTubeにあるボレットの、日本での演奏(参照)とはかなり違う。
 率直にいうと、でも、この「激しい演奏は」は自分にはなじまない。私は迫力というより、なんというのか、沈黙が黒ずんで生温かく自分を誘惑したあと、緩やかに水に飲まれるように燦めきながら失墜するような感覚が好きなので、ダダダダみたいのはどうも受けつけない。
 そして私の定番キーシン・小澤の演奏を、彼、そのブロガーさんはどう見ているか。

こういう異色の演奏もあるということで、わたしの理想演奏とは真逆ですが、この曲に「美しさ」を求める人には、これ以上の盤は無いと思います。おすすめです。

 異色の演奏という評価になっている。
 たしかにあの遅さは異色と言えるかもしれない。これはキーシンの思いなのか小澤なのか。全体としては小澤なのだろうと思うが、自分の印象ではよくピアノを引き立てているし、キーシンの思いに身を引いている感じがする。キーシンなんだろうな、この異色さはと思う。
 もうちょっと引用する。前の部分になるけど。

ピアノの「つぶつぶ・きらきら」した美しい音色。終止「美しさ」あふれる演奏。なんてきれいなんでしょう。個人的には、この曲に求める演奏は「豪快・雄大」さ。とにかく弾きまくる演奏が好みなんですが、こういう美しい音色もたまにはアリかと。

 このブロガーさんは、ピアノ協奏曲第3番に「豪快・雄大」を求めているのがわかる。別のお勧めリストを見てもそういう感じがわかる。良い悪いではないけど、求めるところが私とは随分と違う。
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ラフマニノフ
ピアノ協奏曲第3番
キーシン(エフゲニー)、小澤征爾
 結局私はキーシンの演奏が、これは違うんだろうなと思いつつ、好きだし、どうもこの系列の演奏は他には出そうにはないように思う。たぶん、私は「豪快・雄大」ではなく、悪魔的な力を求めているのだろう。そしてその悪魔性みたいなところでキーシンにまだ物足りなさを感じているのだろう。
 話がずれるが、このところスクリャービンを聞いていて、ああ、なるほどと思うことがあり、その感性からラフマニノフを見直す感じがある。ロマン派という情熱ではなく、正教的ななにかなのかもしれない。

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2009.05.09

[書評]優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか(米本昌平、橳島次郎、松原洋子、市野川容孝)

 私は優生学というものにそれほど関心を持ったことはなく、よって、浅薄な見解しか持ち合わせていない。単純に人間の選別に加担する間違った医学であり、ナチスのホロコーストにもつながる間違った思想なのだろう、というくらいの認識しかなかった。

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優生学と人間社会
生命科学の世紀は
どこへ向かうのか
 本書「優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか(米本昌平、橳島次郎、松原洋子、市野川容孝)」(参照)はその程度の「認識」を踏まえ、それに対置した形で議論が緻密に描かれている。しかも、読みやすく、そして啓発的だった。
 とはいえ、この啓発の意味合いをどうとらえてよいかという問題は残った。率直に言うと、本書の見解はどことなく「歴史修正主義」といった思考の圏内に近い印象もあったからだ。あるいは、「ホロコースト ― ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌(芝健介)」(参照)にまとめられている機能派的な歴史研究のように、現代的な歴史水準というだけなのかもしれない。率直なところどう考えてよいのかはわからない。
 本書のあとがきによれば、「新書という限られた紙面の中に、二〇世紀の優生学史の俯瞰図を描くことは冒険であったが、これまでの優生学論とは違う、世界的にも類書のない本ができたとひそかに自負している」とある。通常ならそれだけでもトンデモ本の兆候とも言えないでもないが、著者達の自負とは異なり、参考文献を見れば、すでにこの領域の議論が西欧においてかなりの蓄積があることがわかるし、本書の記述からもその蓄積は読み取れる。気になるとすれば、本書の刊行である2000年以降、この問題はどうなったのか、またこの書籍はどういう評価になったかだ。アマゾンの素人評では高いようではあるが、思想の世界での評価などは私は知らない。
 本書はまた、ある意味盛りだくさんな内容と示唆に富んでいるので、読み取る側面によって受容もまた多様だろう。共著となったことにあわせて、あとがきによると、「この本の出発点となった当初の企画は、最先端の医療技術をわかりやすく解説し、その倫理的な問題を考える本というものであった」としているが、その原初の意図はできあがった本書全体からも伺われる。この本はその基礎となるべき優生学の史的な再考を主眼とすることになっているからだ。
 このモチーフが明瞭になるのは、次のような認識によるもののようだ。60年代の科学とイデオロギーの相剋、70年代移行の生命操作といった時代の問題を背景に、ナチス優生政策が「否定的に再発見された」として、

 しかしこの時点での批判の多くは、危機を例として、ナチスの優生政策や人種政策を列挙するにとどまらざるをえなかった。ナチス優生政策の実証研究が本格化するのは、八〇年代以降である。一九八〇年五月、ベルリンで開かれたドイツ健保学会は、それまでの重い重いタブーを打ち破って「ナチス医学、タブーの過去か不可避の伝統か」というシンポジウムを敢行し、これによって本格的な実証研究への突破口が開かれた。
 このような歴史的な事情をとりわけ力説するのは、ナチズム=優生社会=巨悪という広く流布している図式の下で優生学を語ることからいったん離脱すべきだ、と考えるからである。この解釈図式にどっぷりつかっているかぎり、優生学的言説はすべて、歴史的な流れとは無関係に、ナチス優生学を頂点とする悪の階位表のなかに配列されてしまう。そしてそのことは、現在われわれが直面する問題を正確に把握しようとするとき、かえって有害とすらなるようにもみられるからである。

 では、ナチズムと優生学とは、どのような、歴史的・実証的に見て、関係にあったのか。第一次大戦後の世界の動向に触れたのち、

 ところで、優生学に対する最大の誤解は、優生学は極右の学問であるというものである。歴史の現実はこれとは逆で、本書でもしばしばふれるように、この時代、多くの社会主義者や自由主義者が、優生学は社会改革に合理的基礎を与えてくれるものと期待した。

 このあたりの史実の詳細が本書において非常に興味深い。

「優生学」という言葉を聞いて、すぐにヒトラーとかナチスのことを思い浮かべる人は、読者の中にもきっと多いだろう。確かに、ナチス政府が一九三〇年代に開始した優生政策は、その規模、その暴力性において、歴史上、例を見ないものだった。しかしながら、優生学をヒトラーとナチスにだけ閉じ込めて理解するならば、歴史的事実の多くを逆に見落とすことになる。ドイツでは、ナチス以前のワイマール共和国の時代に、優生政策の素地が徐々に形成されていった。北欧のデンマークでは、ナチス・ドイツよりも早く断種法が制定され、またスウェーデンでも、最近の問題となったように、実質的には強制と言える、優生学的な不妊手術が一九三〇年代以降、五〇年代に至るまで実施されていた。ワイマール期のドイツと三〇年代の北欧諸国に共通するものは、福祉国家の形成ということである。

 科学的な合理主義、社会主義、福祉国家という近代化の滑らかな運動が国家を超えて優生学として浸透していったというのが実態だった。特に福祉国家の名のもとに人の生命を国家に帰属させることが何をもたらしていくのか、さらに、反戦平和主義ですら優生学に寄り添ってプロセスなど、具体的な史実の解明は本書においてスリリングなところだ。皮肉にもと言ってよいのかわからないが、この動向に当時対抗しえたのは、フランスの個人主義的な傾向と、カトリックの古風な倫理でしかなかったことは、奇妙な反省のようなものを現代人に強いるだろう。
 優生学はナチスで発生したものでなく、ナチスがその大きな動向の浸潤の中にあったとして、では、ナチズムと優生学はどのような関係にあるのか? ここでまた本書の提起は驚くべきものがある。

 ナチズムには、相互にはっきり分かれる二つの地層がある。一つは、ユダヤ人その他に対する人種差別と政治的迫害の層であり、もう一つは強制不妊手術や安楽死をもたらした優生政策の層である。

 本書ではこの二層を史実から分離していく。まず、「確かに、この二つの地層はヒトラーという人物の下で緊密に重なり合っていた」とするのは、意図派的な言明ともいえるかもしれないが、こう続く。

障害者の安楽死で生み出された大量殺害の方法が、アウシュビッツその他の強制収容所で応用されたという事実もある。また、強制不妊手術や安楽死計画の被害者に対する戦後補償を求めて活動した人びとも、それを何とか実現させる一つの政治的な工夫として、ナチスの断種法と安楽死計画が、人種差別その他の犯罪行為と同じく、ナチス固有の不正であると主張してきた。

 本書ではそれを分化していく。

本書全体が明らかにするように、人種差別にもとづくユダヤ人の大量虐殺や、残忍な政治的迫害がないような国でも、ナチスと類似した優生政策は実施されていた。そうした歴史的事実をきちんと認識するためにも、二つの地層の違いに留意することは重要である。


 往々にして、優生学、安楽死計画、そしてホロコーストは、ナチスという悪のメルティング・ポットの中で十把一絡げに論じられる。しかし、優生学の論理は安楽死計画のそれから、また安楽死計画の論理はホロコーストのそれから、それぞれ微妙に異なっている。

 安楽死計画はフランスにおいても検討されていたし、民族への優劣も議論されていた。しかし、民族主義と優生学にも亀裂がある。フランスの極右とされる国民戦線を取り上げ、

 だがその国民戦線の最も過激な主張の中にも、三〇年代の古典的優生政策と同等視できるような政策プログラムは見当たらない。民族には優劣があると公言はするが(それだけでも、フランス共和国の普遍的人権の価値に反するから、まともな市民はしてはいけないことだとされている)、実際に求めるのは、若干の移民制限と、雇用・福祉・文化などの社会政策をフランス人優先にせよという程度である。これは、人道に対する罪と優生政策禁止の立法の効力とは考えられない。国民戦線の活動はこれらの立法のはるか前からあったからだ。やはり民族主義と優生学は本来別のものなのだろう。

 ここで言う民族主義は国家主義と結びつく、いわゆるナショナリズムと見てもよいだろうが、それはやはり優生学の運動とは異なるものだ。
 こうして優生学の歴史を振り返ることで、本書は現代的な生命医学の倫理問題の基礎を構築していくのだが、同時に、優生学的な部分と分離した上で、ではナチズムとはなんであったか、ホロコーストとはなんであったか、ということが陰画的にも問われるようになっている。
 本書で示される歴史のディテールは、一般的な医学史に関心をもつ人も興味深い。私は次の箇所ではっとした。

 ドイツで優生学(人種衛生学)が学問として形を整えはじめるのは、一九世紀後半である。それは近代医学を大きく前進させた細菌学の交流と、時期的にほぼ重なっている。いや正確には、優生学は細菌学を真後ろから追いかけるかたちで登場してくるのである。

 本書では細菌学の限界から、病原としての遺伝的な関心に移ることで、優生学的な動向を見ていこうとしている。だが、私がはっとしたのは、同時にこの時期に栄養学が発生してくることだ。
 粗っぽい言い方をすれば、栄養学とは皆兵としての国民の健康の学であり、優生学と似たなにかの精神的な軸上にある。と同時に、細菌学から優生学または栄養学に変化していく動向のなかで、陰画的に真菌学があたかも意図的に忘れ去られた。

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2009.05.08

[書評]プーチンと柔道の心(V・プーチン他)

 「プーチンと柔道の心」(参照)は、2003年ロシアの出版社オルマ・プレスから刊行された、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、ワシーリー・ボリソヴィッチ・シェスタコフ、アレクセイ・グリゴリエヴィチ・レヴィツキーの三名共著による「プーチンと学ぶ柔道」を元に、山下泰裕と小林和男が日本向けに編集した本だ。

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プーチンと柔道の心
 オリジナルは、べたに柔道の入門書だが、日本版は、柔道の基本事項をイラスト付きで説明している部分も掲載されているものの、あきらかに著者の一人、ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン、つまり、ロシアのプーチン元大統領、つまりロシアのプーチン首相に焦点を当てている。そうした視点からすれば、小林和男元NHKモスクワ支局長のインタビューが面白い。というか、私は朝のNHKラジオで作新学院小林特任教授の話を聞くのが好きで、この本もそれで知った。
 この本は、だから当然NHKから出るものだと思っていた。もう随分前のエントリになるが、「極東ブログ: [書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)」(参照)で触れた同書もNHK関連の出版であった。が、本書は朝日新聞出版だった。どういういきさつなのかよくわからない。朝日新聞のほうではよってよいしょ記事「プーチン首相柔道本刊行、山下泰裕さんも感心の練習法」(参照)が上がっていた。

 柔道・講道館六段の腕前を持つロシアのウラジーミル・プーチン首相(56)の著書をもとに編集された「プーチンと柔道の心」(朝日新聞出版)が刊行された。親交が深く、編集に携わった山下泰裕さん(51)は「クールな首相とはずいぶん違う素顔がよくわかる」と話している。


 山下さんは「首相は国益が大事で冷静だけど、体の中には温かい血が流れていると感じる。日本が抱くイメージとは違って、ロシア人は気さくで人情味がある。この本を通じて正しい認識を持ってもらえれば」と話す。プーチン首相は11日に来日予定。山下さんはその際、この本を手渡すつもりだという

 私も本書でプーチン首相の素顔というか人間性がよくわかった。プーチン・ファンにはたまらないというか、いや、当たり前のプーチン首相像に過ぎないかもしれないが。興味深いエピソードはあとで触れたい。

 今回は元NHKモスクワ支局長の小林和男さん(69)によるインタビューも収録された。プーチン氏は「私は子供のころ不良だった。柔道と出会っていなかったらどうなっていたかわからない」と明かし、「柔道は相手への敬意を養う。単なるスポーツではなく、哲学でもあると思うのです」と持論を述べている。

 小林は当然舞い上がっているのだが、それなりに微妙な味わいもあった。小林はインタビューの際、当時大統領のプーチンに連れられてその道場に向かう。本書より。

 木立の中を二人で共通の趣味のスキーなどについて話しながら二〇〇メートルほど行くと、そこに真新しい煉瓦の建物が現れた。それが道場だと言う。促されて中に入るとまず目に入ったのが見事な等身大のブロンズの座像だ。柔道を知らない私にもこれが嘉納治五郎だとわかる。


 座像の横が道場への入り口になっている。大統領に促されて道場に入り、私は恥をさらした。プーチン大統領は入り口でぴしっと立ち、礼をしてから入ったのだ。

 日本人小林がすたすたと道場に入るとき、プーチンは嘉納治五郎の像に一礼してから入ったのだった。この会話の前に、プーチンはこう語っていた。

 礼とは、伝統に対する敬意でもあると思います。柔道は世界的なスポーツになりましたが、それは勇敢なスポーツだからというだけではなくて、何世紀もの伝統を守っているからでもあると思います。日本文化の伝統です。それが柔道の大きな魅力だと私は思います。今の世界はグローバル化の中で国や人の交流が進み、それぞれの利益だけではなく、お互いの利益も絡み合っています。そういう状況下では文化的な伝統という要素が大切になってくると思います。そういう意味で、礼とは伝統と柔道に対する敬意だと思います。同時に、相手に対する敬意でもあります。

 この言葉が言葉として浮いていないのは、きちんと実践もしているということだ。さらに、小林が引き出した次のエピソードは、私は沖縄にいたとき報道では見たものの、今になって考えさせられるものがあった。

---沖縄訪問のときには形を披露されました。そのとき中学生から背負い投げをされました。ロシアの人たちの中にはテレビでそのシーンを見て、大統領が子供に投げられたのは屈辱的だと言う人もいましたが、大統領は何も弁明も説明もしませんでした。なぜですか。
プーチン 情報は徐々に自然な形で伝えなければならないということもありますが、説明が不要なこともあります。あのときの日本の中学生との柔道の稽古については、日本の皆さんにはわかっていただけると思います。畳の上では、というよりスポーツの場では、上下関係というものはありません。誰もが平等です。それに畳の上では、お互いに平等だというだけではなく、お互いに敬意を払わなければなりません。そして、相手に対する敬意を表す一番の方法は、相手が得意なことをする機会を与えるということなのです。

 たぶん、プーチンという人は、それになんの嘘も偽りもないのだろうと思う。そう思うしかないことで、なにかぞっとするものもある。
 本書で小林はプーチンに柔道を教えたアナトーリー・ラフリン先生のインタビューも収録しているが、これがまた心を打つ話だった。端的にいえば、これだけの教育者がロシアにはいるのだと圧倒される。ラフリン先生は日本の柔道をこう見ている。

 日本の柔道は最上だと思います。学ぶ組織を持っているために常に向上のシステムができていると思います。韓国の柔道は急速に進歩していますが、日本のやり方を徹底的に学びました。ロシアもフランスも強いが、私は、フランスの柔道はおもしろいが好きではありません。なぜなら、フランスの柔道は勝つための柔道で、立つ位置も姿勢も奇襲攻撃的で気まぐれで予想がつかない。日本の選手は堂々と形を踏まえて勇敢に闘おうとします。日本の柔道はより男性的です。国民的ですね。
 われわれはこんな言い方をします。「ルールには勝ったがスポーツには負けた」とね。

 ロシアでは本書のオリジナルを元にDVDが出たそうで、プーチン自身の柔道が収録されている。基本といえば基本だが、ラフリン先生の大切にする美学が出ているなと、私のようなド素人でもわかる。


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2009.05.05

こどもの日でそういえば「ねーねー」がいないなと思った

 ブログも長くやっているので毎年巡ってくる旗日とかの話はさすがに書かなくなったが、今朝の新聞社説を読むと世間の話題がないせいか「こどもの日」の話が多い。読みながら、沖縄から本土に戻ってというもの「ねーねー」という声を聞かなくなったなと思った。さみしいものだ。あの声がないから本土は少子化なんじゃないかとも思った。いや、なんとなく思っただけの話なんだけど。
 「ねーねー」というのは、「姉(あね)」の「ね」を繰り返したもので、星飛雄馬の口癖ではないが「ねーちゃん、ねーちゃん」の意味だ。パンダの名前のようだが、兄なら「にーにー」である。
 「ねーねー」は実の姉を指すとは限らない。年上の女性はみんな「ねーねー」である。就学前児童が、ティーンエージの少女に「ねーねー」と呼びかけているのを聞くことが多かった。沖縄の少女たちは概ね、小さい子どものへの面倒見がよく、呼びかける子どももそれを知っているから「ねーねー」が繰り返される。
 ねーねーたちの面倒見の良さは自然だ。たとえば、私なんぞナイチャーが小さい子どもを連れてコンビニに行く。子どもはさっと駄菓子を掴む。騒ぐ前に買ってやるかなと子どもに視線を投げる。子どもは起動する。レジにはねーねーがいる。にこっと笑って子どもが差し出す駄菓子に、封用のテープを小さくちぎって貼る。これはもう買ってくれるものだから手に持っていていいよということである。これがさらっと自然に流れて、ねーねーの笑顔は支払いの私のほうに残される。ほぉ、沖縄というのはそういうところかと思ったものだ。
 が、本土に戻ってコンビニにいる子どもの仕草と店員の対応を見ていてもテープを貼るというのはやっていた。別段、沖縄だけの風習でもなかったようだ。もちろん店員の少女も人によってはにっこりしている。ただ、沖縄のほうがなんか普通に自然に流れていたなとは思うし、ねーねーの笑顔に合うチャンスは本土だと少ない。ああいうもんが生活環境にないと、子どもっていうのはうまく育たないのではないかと少し思った。
 沖縄は本土の諸県に比べると出生率が高いが、ずばぬけてということもなくフランスにも及ばない。沖縄も少子化といえば少子化なのだが、「ねーねー」の声はよく聞く。私が転々としたのが沖縄の田舎だったせいもあるかもしれないが、地域の子どもたちは地域の子ども集団に所属していた。その他、沖縄ではなにかと親族が集まる行事が多く、そうなると子どもがわいわいと駆け巡ることになり、ねーねーたちはそのベビーシッティング担当に、自然になる。数年後、ねーねーはお母さんになる(そして離婚することも多いのだけど)。
 「ねーねー」は少女を指すだけではない。おばさんとおばさんが二人いるとする。すると、片方のおばさんはもう一方に「ねーねー」と呼びかけている。おばあさんが二人いても同じだ。ほぉと思った。子どものころからの関係がずっと続いているだけかもしれない。
 聖書とか読んでいると「兄弟姉妹」が一つの連帯のキーワードになっている。外国の小説を読んでいると、「おお、姉妹」と親密に呼びかけるシーンもある。そういえば物見の塔の集会後の電車に間違って乗ってしまったときも、「兄弟」や「姉妹」という言葉が飛び交っていた。違和感。

cover
美ら歌よ
沖縄ネーネー・コレクション

しゃかり, 仲田まさえ
内里美香, 桑江知子
首里フジコ, ふぁーな
夏川りみ, おおたか静流
普天間かおり, 神谷千尋
 ブラザーフッドとかいうのは、あの「にーにー」「ねーねー」の世界なんだろうし、少子化ではない世界というのはそうものなんだろう。日本の出生率をいかに上げるとか熱心な論者もいるが、「ねーねー」の声が飛び交う世界をどこまで想像できているのかなとは思う。

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2009.05.04

アジアで初の共和国は台湾民主国ではないのかな

 NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー」に私は関心がなく一回目は見なかった。二回目は「天皇と憲法」(参照)という標題なので、どうせまたつまらないお話かと、スルーするつもりでいたが、番組紹介では大日本帝国憲法の話になるとのことで、新研究の成果でもあるかなとちょっと期待して見た。

cover
台湾
四百年の歴史と展望
伊藤潔
 はずれ。率直な印象をいうと、新味がないな、レベル低いなというもので、高校生向けの教育放送の歴史講座のほうがまだましなのではないかと思った。ついでに言うと、論客三名の人選にも問題があったと思う。総じて、安っぽい作りの番組だなとは思った。が、特に、あれは違っているとか批判というものでもない。こんなものでしょ。
 一つ気になったといえば気になったのは、正確な文言は忘れたが、アジアの近代史関連で、中華民国をアジアで最初の共和国としていた点だった。そう言って間違いでもないので目くじらを立てるものではないが、もしかしたらそれに先行するアジアの共和国の試みを番組側とか論客さんも知らないのかもしれないなと思った。
 アジアで最初の共和国というネタなら蝦夷共和国(参照)というのがあるが、この名称からして英国公使館書記官アダムズによる後の命名であり、ネタという以上のものはないだろう。
 あとフィリピンが微妙。1898年の米西戦争で共和国の独立を宣言をしているが、翌年のパリ条約で統治権は米国に移り、その後続く米比戦争(参照)による60万人もの虐殺の上に一応消えてしまった。
 NHKが言うところのアジアで最初の共和国とやらの中華民国は孫文の臨時大総統就任とすると1912年だが、中華民国の国慶節、つまり、双十節で見ると、1911年10月10日になるが、まだ清朝はある。この中華民国だが、国名を見てもわかるように、台湾である。中華人民共和国も孫文による中華民国を継承しているということで、まあ、簡単にいうと、めんどさくい。ただ、中共(中華人民共和国)の国慶節は双十節ではなく、10月1日つまり1949年を取っているので、歴史的な中華民国を継承しているといえるか、よくわからん。とはいえ、将来的に台湾が独立すればこのあたりの歴史がどの国家に所属するかは儀礼的には決まるだろうが、アジア近代史というのは滑らかな浸潤の上にあるのが実相でもある。
 フィリピンの第一共和国をどう見るかというのと似ているといえば似ているのだが、史実を見ていくとさらに先行して台湾に共和国ができている。と、ここでべたにウィキペディアなんぞを引くと台湾共和国(参照)という不思議なものが出てくるが、いちおうアジアの近代史の歴史の視点からはとりあえず外してもよいだろう。問題は、台湾民主国(参照)のほうだ。これは、唐景崧を大統領(総統)とする共和国である。
 日清戦争後の下関条約で清朝は化外の地である台湾及び澎湖諸島を日本に割譲したが、現地の住民の民意によるものではなく、住民および清朝官僚が中心となり、フランスの支援を期待し、1895年5月23日に台湾民主国の独立宣言をしている。日本はこれを認めず、乙未戦争(参照)となる。5月29日澳底に上陸、6月3日には基隆を占拠し、台北に至っては事実上無血開城的に推移した。台湾を日本領と日本が宣言したのは6月17日で、この日は統治下でその後も「始政記念日」となるのだが、この会場が台湾公会堂でその後中山堂になる。
 が、これで台湾民主国が消滅したのではなく、乙未戦争として見れば、清仏戦争の英雄、劉永福を大統領とした第二代台湾民主国と台南でも戦闘は続き、11月に終結した。台湾民衆の虐殺者は1万4千人と推定されている。
 アジア初の共和国の候補でもある台湾民主国は148日間で消滅したこともあり、NHK史観のように、あるいは中共史観ともいうのかよくわからないが、大局的には無視してもよいものなのか、私にはよくわからない。台湾がこのまま中共に併合されれば、日本による中国支配の歴史の挿話とはなるのだけど、その挿話の枠はたぶん中共による台湾併合を合理化するものになるかもしれない。

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2009.05.03

愛のお師匠様

 書くと与太話になること必定なんで、ちとためらうものがあるにはあるけど、あれですよ、いやあれ、あれだってば、その「Master of Love and Mercy」(参照)、「愛と慈悲のお師匠様」、といえば釈証厳(参照)……ちがった、「Masters of Sex and Love」(参照)、「性と愛のお師匠様たち」のほうだ。副題はこう「The Life and Times of William Masters and Virginia Johnson, the Couple Who Taught America How to Love」、つまり、「アメリカに愛の手法を指南したウィリアム・マスターズとバージニア・ジョンソンの生涯と時代」ということ。

cover
Masters of Sex and Love:
The Life and Times of
William Masters and
Virginia Johnson,
the Couple Who Taught
America How to Love
(Thomas Maier)
 ぶっちゃけ、マスターズ&ジョンソン、である、と言って通じるのは団塊世代か、あるいはその下の世代の、ちょっとおませなポスト団塊世代、オレオレ。ドクトル・チエコのお説教聞いたり、奈良林祥先生の畢生の名作「HOW TO SEX」(参照)を読んでいた、おい、そこの中学二年生は、オレです。
 チエコ先生も奈良林先生もマスターズ&ジョンソンとは違って、中絶の多い当時の日本に心を痛めてその道に、ずんっ、と進んでいかれたわけで、金明觀先生とは出発点が違うというか、そういえば奈良林先生の「性の青春記―わたしのイタ・セクスアリス」(参照)を読むと心を無にして邪心なく俳句に邁進する青春の姿があったが、どうでもいいけど、この古書プレミアムか。実家の書庫にあるかな(他の本と合わせて、恥ずかしいので捨てた気がする)。
 話を戻すとマスターズ&ジョンソンだが、私は直接的には知らない。ただ時代の流れとしては当然知っていた。プレ団塊世代の話と言ってよいかもしれない。団塊世代の大騒ぎになると、ライヒやマルクーゼとかになっていくのだけど、それはさておき、というか、そんなふうに、マスターズ&ジョンソンも60年代を過ぎたころには古びていたのではないか、とか思っていた。それはそうだが、4月に出たばかりの「Masters of Sex and Love」は、なかなか興味深い話題を提供しているようだ。まだ、翻訳はない。どっかから出るのでしょうか。黒鳥の翻訳も出たし、翻訳あるなら読んでみたいです。
 話を知ったのは日本版ニューズウィークの「オーガズム研究者の意外な遺産」記事からで、毎度ながらオリジナルは無料で読める。「Sexual Masters of the Universe: What We've Learned from the Roots of Sex Research」(参照)がそれ。
 お恥ずかしながら、まじ知的に恥ずかしいのだが、マスターズ&ジョンソンのジョンソンがマスターズと「結婚」していたのは知らなかった。マスターズ&ジョンソンというふうになっているので気がつかなかった。

第二次世界大戦後最大のセックス研究の中心人物として、マスターズは性行動の探求に40年を費やした。

 ちょっと引用を端折る。ちなみに日本版の記事は原文と違いますよ、かなり。
 で、お二人様、ご研究もお二人でやっていたらしい。そのあたりも驚くけど。

その後、2人の「課外研究」は10年以上、さらに71年の結婚後22年続いたものの、「精神的なつながりは皆無だった」とジョンソンは告白している。
 要するに、76歳になって突然ジョンソンと離婚し夫を亡くしたブロンドの女性と再婚したとき、マスターズは決して血迷ったわけではなかったということだ。

 そういえば最近に似たような話を読んだが、なんの本だったか乱読で頭が整理できてないな。いずれにせよ、お二人はそういう関係だった。
 ニューズウィークの記事はそれからちょっと話の方向が変わり、ようするにいわゆる戦後の性の解放がもたらしたものは、愛の不毛だったようだとしている。桐島かれんのおっかさんが書いた「淋しいアメリカ人」(参照)を彷彿とさせるというか。

だが誰より不幸なのは、「セックスと愛を長年切り離していた」という研究者のジョンソンかもしれない。
 性の解放を探求した人々はやがて妻や夫を見つけて伝統的な男女関係に収まった。しかしジョンソンは3回の離婚を重ね、最後は老人ホームで「マスターズ」の姓を名乗りながら、かつてのパートナーへの恨み節を洩らすのだ。

Saddest of all, though, may be Virginia Johnson, who, as Maier writes, had "long separated [sex] ... from love." While many of her fellow explorers ultimately gravitated toward traditional relationships - the Bullaros married other people, Braddock rode off with the younger Robinson, and Hugh Hefner's first ladies, Barbi Benton and Karen Christy, went in search of real husbands - we last see the thrice-divorced Johnson cursing her former partner from the confines of a nursing home, where, as if to acknowledge a past that never was, she now goes by the name Mary Masters.


 ジョンソンの悲劇はさておき、こうした傾向が米国の80年代の保守化の流れになったという話もあり、そういうもんかねとは思った。
 日本の場合、団塊の世代の性意識は全体としてみれば古い。こういうとなんだが普通に恋愛結婚が少ない世代だった。反面、後楽園球場で100人の女性が平凡パンチ Oh! ……みたいな阿呆なネタもあったものだった。
 団塊世代が終わった後の私の世代は、しょぼーん、である。性的にはよくわからない。ただ、ようやく生活の線上で「愛」が問われる時代になった。私の世代の次の新人類世代で性や愛がどうなったのか、率直にいうと私にはよくわからない。メディア的にはだいぶお盛んなご様子かとも思ったが、どうもそのあたりから性の焼肉定食化は進んでいたのかもしれない。

At the height of his fame, Bill Masters admitted, "I haven't the vaguest idea … what love is." Despite his discoveries - and the decades of erotic exploration that followed - we still aren't sure. But we have a better idea of what it isn't.

 「愛」というのは難しい問題という、当たり前な、あるいはヘンテコな問いだけが残されたとはいえるのだろう。いや、これは相当に深刻な問題なんだろうなとは思う。

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2009.05.02

弱毒性かも

 識者から指摘が出てきたので後出しじゃんけん的になるが、やはり今回の豚インフルエンザに「弱毒性」の可能性が出てきた。もっともそのことはパンデミックに至る判断とは別だが。
 日経新聞記事「新型インフルの専門家「感染力あるが弱毒性」の見方多い」(参照)より。


 世界保健機関(WHO)が豚インフルエンザから変異した新型インフルエンザの警戒水準(フェーズ)を引き上げたことについて、専門家の間には「パンデミック(世界的大流行)になる恐れが強まっているが、ウイルスは健康影響のリスクが小さい弱毒性の可能性が高く、すぐに重症患者が多発する事態になるとは考えにくい」と、冷静な対応を求める声が多い。

 また。

 ただ、ウイルスの病原性については、今のところ「感染しても健康被害のリスクが小さい弱毒性」との見方が大勢だ。「今回のウイルスが(重症者が多発する)強毒性とは考えにくい」(鳥取大学の伊藤寿啓教授)、「病原性はそれほど強くはなく、通常の季節性インフルエンザの延長上のようだ」(川名教授)との声が多い。

 現状の推移からすると、通常の季節性インフルエンザの延長のように見てよさそうだし、元WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長、現「生物資源研究所」の根路銘国昭所長が沖縄タイムス記事「「豚」にも効力か インフル消毒剤で特許 根路銘氏」(参照)で言及していた予想に近くなりそうだ。

豚インフルエンザの流行について、根路銘氏は「国内では梅雨を迎える5月末までに終息するが、冬にかけて日本国民の30%から40%が感染する可能性がある」と、警鐘を鳴らしている。

 現状の騒ぎは、日本では湿潤な梅雨前に一段落して、この冬にまた大きな騒動が起きる可能性がある。弱毒性であれ感染者の規模が大きれば死者数は多くなるだろう。
 今回の豚インフルエンザだが、当時2400万人もの死者を出したスペイン風邪と同様にA型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)、Aソ連型の一種であること、メキシコからのニュースからスペイン風邪を連想させる部分もあったことが、警戒心を高めさせることになった。が、前回「極東ブログ: 1976年のギラン・バレー症候群」(参照)でも触れたが、この時の豚インフルエンザも総合してみると「弱毒性」だったようだ。
 今回の豚インフルエンザ(N1H1)は、現在人類が強毒性ゆえにその出現に脅威を覚える鳥インフルエンザ(H5N1)とは異なる。BBC「What scientists know about swine flu」(参照)の解説図がわかりやすい。

H1N1/H5N1

 ただだから弱毒性なのだとはスペイン風邪の経緯からは言い切れず、そこは難しい。この関連のエントリは「極東ブログ: 鳥インフルエンザとサイトカイン・ストームのメモ」(参照)で触れたことがある。もっともこのエントリでは、H1N1とH5N1の関係に触れず「スペイン風邪に類似であるということがわかっている」として曖昧だった(この指摘はニューズウィークの記事によるものだったかと記憶している)。
 別の切り口でいうと、そもそもスペイン風邪も弱毒性だったということはないのだろうか? 根路銘著「ウイルスが嗤っている―薬より効き眠くならないカゼの話」(参照)では「なぜ、スペイン風邪は猛威をふるったか」でこう述べている。


 スペイン風邪のウイルスそのものが病気を起こす力が非常に強かったという説もある。通常、インフルエンザウイルスの攻撃は、呼吸器止まりである。それもほとんどの場合、鼻や喉で人間の防衛軍に撃退される。インフルエンザが通常、軽症に終わるのはこのためである。ところが、なかには肝臓や脳にまで侵入してくるやつがいる。

 BBCの解説図のH5N1は肺に及び、肺炎も起こしうる。H1N1は喉までの侵入だが、この系統ならいつも弱毒性ということも言い切れないのではないか。
 根路銘は同項目で次のような指摘もしている。

 まず、考えられるは、肺炎を起こす細菌のいたずらだ。インフルエンザに冒されるとウイルスは喉に下って、その粘膜を破壊する。(中略)さらに細胞の破壊が進めば、毛細血管も傷つき、出血が起きる。こうなると、さまざまな細菌が増える土壌ができる。(中略)
 スペイン風邪を例にとれば、おそらく肺炎を起こす細菌が増殖して、肺に侵入した結果、合併症が起きて宿主の命まで奪ってしまったと考えられる。

 いろいろな説があるのだが、ここで今回の豚インフルエンザのメキシコでの状況を見ると、肺炎の可能性も疑えそうだ。毎日新聞記事「新型インフルエンザ:メキシコ、死者7人に修正」(参照)より。

メキシコで新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)による死亡が確認された人数について同国のコルドバ保健相は28日、これまで発表していた20人から7人へと下方修正した。新型ウイルス感染が確認されたのは死亡者7人を含め26人。他に152人が死亡した疑いがもたれているが、新型インフルエンザウイルスではない細菌などを原因とする「異型肺炎」の可能性も含めて調査を進めているという。

 細菌による合併症が解明されれば、現状の豚インフルエンザ自体は季節性インフルエンザの延長として見てよいだろうし、その可能性は高いように思われる。
 とはいえ、細菌性の肺炎なら安全かというとまったくそうではない。肺炎球菌は通常は症状を引き起こさないが、免疫の低下などで肺炎を起こす。日本の場合、老人の死因として最も多いのが肺炎で、直接的な死因としては3割に及ぶ。癌にもならず、脳血管障害や心疾患がないとすると、肺炎で死ぬというのが実際には天寿に近いと割り切るわけにもいかない。

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