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2009.05.25

[書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)

 本書標題「シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)」(参照)に含まれる「シリコンバレー」は、米国の情報技術先端地域であり、著者梅田望夫が10年以上も情報産業コンサルタントをしている土地でもある(参照)。標題が意味しているのは、最先端の情報技術の視点から、日本の伝統な将棋の世界で得られる最先端技術への啓発である。

cover
シリコンバレーから
将棋を観る
羽生善治と現代
梅田望夫
 将棋を単に優れた伝統だからとして見直すのではない。すでに現代将棋の渦中にあり、伝統を踏まえつつそれを乗り越えようとする若き天才棋士羽生善治の現在の姿のなかに、情報産業の未来のありかたをとらえようとしている点が本書の特徴だ。なぜ現代将棋に情報産業の未来を見ることが可能なのだろうか。そこには羽生に始まる現代将棋の天才たちの達成があるからだ。
 梅田が羽生に注目したのは、ちょうど梅田が起業した時期にも重なる時期に、将棋専門誌「将棋世界」に連載された羽生による「変わりゆく現代将棋」があったためだ。梅田は連載で羽生が「将棋とはどういうものなのか」という原理を追求していく姿に魅了されていった。理系の梅田をして「数学書を読んでいるかのごとき爽快な感覚が沸いてくる」と言わしめるものがあった。そこに本書の原点がある。
 情報技術を含め、科学・技術の世界は検証され緻密に精査された知識の累積の上にそびえ立つものであり、未来もまたその上に築かれるものではあるが、実際にその先端にあって創造に着手する人に問われているものは、科学・技術の原理性への本質的な問いかけである。それによってのみ、未知の可能性と展望が開け、自由が顕現する。梅田が羽生の将棋の探求に観たのは、その比喩であったと言ってもよく、その比喩の意味が本書では懇切に説かれている。
 情報技術が人間社会を開く鍵となり同時に桎梏ともなりうる現在、その展望の可能性を、現代将棋の探求を比喩として多くの人が共感できるように示すことが梅田の仕事となっているし、本書はその一貫性の上にある。本書出版後、情報技術の先端にある若い人から得られた共感は、その達成を十分とは言えないまでも示している。
 本書を読みながら、私は自分がいろいろと問われているようにも思えた。私は梅田ほど将棋に関心はないが、羽生が将棋を通して何を考えているのかということには興味を持ち続けてきたせいもある。羽生のインタビューなどもできるだけ傾聴したものだ。そのなかで、ほとんど決定的な、ある意味では衝撃に思えたのは、2001年のNHK番組「課外授業 ようこそ先輩 将棋は対話なり」という番組だった。功を成した著名人が母校で一週間ほど指導をするという番組である。羽生は当然将棋を教えることになるのだが、実際に彼が子供に教えようとしていることは、ルールを作ってみよう、そしてそれを遊んでみようということだった。ルールを作るとどういうプレイになるだろうかということを彼は子供に伝えようとしていた。
 番組として見れば、残念ながらうまくその部分が子供に伝達されたかどうかは今一つはっきりしないのだが、羽生の優しい、しかし眼光鋭い視線の先には、子供がいて、どのようなルールを創造し、そのなかからどのような喜びを見いだすのかにじっと思念が注がれていた。時折、将棋の長考のように内省もしていた。この人はルールとはなにかという原理と本質を考えていると私は思った。この人はボビー・フィシャーがチェスのルールを改変しようとまで思索したように、将棋の根底に潜むルールの原理性を問い詰めているのだとも思った。
 もう一つ私の雑感を加えたい。さらにそれ以前の羽生の対談だったが、正確な言葉は忘れたが、彼は、人間とコンピューターが対戦してコンピューターが勝つ日は来るでしょう、と言ってのけた。また、高段者同士の対戦における勝敗の差はごくわずかなものにすぎません、とさらっと言った。印象深く覚えている。詰め将棋的な終盤になれば、人知はコンピューターには叶わない、とも言っていたと記憶する。であれば、序盤のなかに将棋の本質と可能性を見ていくことになる。
 本書に戻ると、梅田も「変わりゆく現代将棋」を読むまでは、将棋の魅力は中盤と終盤にあると思っていたようだ。もちろん、そこにも魅力がある。だが、序盤とその原理性のなかに将棋の現代的な本質を見いだしていくことになる。
 比喩としてではなく、将棋それ自体について本書を堪能することも可能だ。梅田は本書で、指す将棋ではなく観る将棋という楽しみがあってよいのではないかと提言する。彼はやや自己弁明的に話を切り出しているが、観る将棋において梅田は、私などからすればはるかに達人に近い。別の言い方をすれば、観る将棋の意義を理解し、その楽しみを得ている人にとっては、本書のコアをなす「第2章 佐藤康光の孤高の脳―棋聖戦観戦記」「第5章 パリで生まれた芸術―竜王戦観戦記」は堪能できるものだろうし、私も将棋盤を取り出して、駒を置いて追って読むべきなのだろう。
 だが正直なところ、私はそこまでは敷居が高かった。おそらく情報産業の未来像に関心を持つという読者でもそこは、敷居が高いのではないか。もちろん、敷居を低めるべく、梅田は一流のコンサルタントらしく解説や羽生の対談によって補っているのだが。
 それでも観る将棋を語る梅田の情熱で私が感銘したのは、精魂尽くしたプロのサービス精神よりも、こう言っては失礼なのかもしれないが、将棋好きな無邪気なおっさんの心というものの表出だった。
 端正な相貌の梅田望夫をおっさんと呼び、貶めたいのではない。私もおっさんであり、おっさんならではの純な心情というものがある。おっさんはそれなりにプロであり、プロとして生きてくればこそ、その純な部分を大切にしつつも、それほどは他者には開示しなくなる。若さが失われたということもあるが、若い人のように心情を開示し、自己表現すればよいというものでもない。純粋性というのは、もしかしたら子供のころに宿り、おっさんになって開花すべきものかもしれない。
 梅田は本書で、本当に自分が将棋が好きだ、そして、天才羽生のファンだという、おっさん、嬉しくてたまらない、という心情をうまく伝えている。私は、情報産業がもたらす未来にとって必要なのは、そっちなのではないかと思う。
 もう少し言うと、この点では梅田も私も、ポスト団塊世代であるものの、新人類世代よりは年長になる。この世代の少なからぬ人々は、多少なりともこの情報産業の世界の創出に関わってきた。ようやく見えるその世界の地平の上で、若い世代の天才たち、羽生や、また梅田が関与している「はてな」世代のような人々が活躍するのを好ましく思っているし、その発展の支援者であり助言者でありたいと願っている。だが支援よりも今後必要になるのは、この地平を作り出したときの躍動感の蘇生に、さらに子供のころの純な心情を吹き込むことではないか。梅田は本書でそれを成功させたし、年長らしいコミュニケーションにもある程度成功した。
 おっさんたちよ、おっさんにならんとする者たちよ、いやおばさんも、本書は、エールだ。

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コメント

近日、藤沢秀行先生が亡くなられました。深甚の哀悼の念を捧げたいと思います。藤沢先生、本当に長い間ありがとうございました。

囲碁について考えますに、コンピュータが、黒番天下無敵を達成するのは、今後それほど難しいとは思わないのですが、藤沢先生が棋聖戦で成し遂げたように、加藤剣正本因坊を退けたときのように、盤上の大石をことごとく殺しつくすような打ち回しがコンピュータにできるのだろうか?とおもいます。

また、麻雀でも、コンピュータに、阿佐田哲也雀聖のように、信じられない配牌から三色同順を狙って打つ打ち方を編み出せるか?とも思います。

将棋でも同じではないでしょうか?コンピュータは形式論理の演算装置ですから、計数は得意でしょう。でも、コンピュータには、美しい書画のような棋譜を残すことは不可能だと思います。人間の残りの能力というのは、そういう部分にあると思われます。

投稿: enneagram | 2009.05.25 12:27

 文章が非常に明快で心情も真っ当全うなので大変良いと思いますが、下請け根性出すぎで発想に独創性が無いので7点。誰かさんの後追いや無茶な追い越しをやってるようじゃあ駄目ですよ。道交法違反で逮捕します。

 例えば、ですけど。

「35歳」を0123…と順繰りに数えて35歳、50歳を50歳と思うから行き詰まるんです。35歳は「3周目の5歳」、「50歳は5周目の新生児(0歳)」とでも思えば宜しい。72歳なら7周目の2歳と思えばいい。

 私は今年36歳で母ちゃんは74歳ですけど、その場合「1の桁は6歳対4歳で俺の勝ち」「10の桁は3歳対7歳で母ちゃんの勝ち」とでも思っておくんですわ。そしたら差し引きトントンでしょ。年長相手に臆することも突っ掛かることもなく、若輩相手に見くびることも僻むこともないでしょ? 多分。

 その伝で言うなら、「36歳・76歳(亡父)」の組み合わせだと10の桁で父ちゃんに負けても1の桁で同点なので引き分けなら若い分だけ勝ちも同然(年長者なら歳食った分だけ私の勝ち)とでも思えばいい。
「36歳・77、78、79歳」なら10の桁も1の桁もどちらで較べても負けなので、取り敢えず数年辛抱して「38歳・79・80・81歳」になったとき「1の桁で勝ってる」と見做せばいいのよ。

 世の中の大概のことは10年ひと昔でしょ。辛抱苦労も(常識の範疇なら)10年保たんでしょ。余程に重大な事件でも無い限り、10年したら忘れますて。だったら、そこはサッパリ忘れて、また再スタートを切ればいい。

 ↑のような考え方をすれば、歳食っても常に新鮮ですわ。驕る年寄りほど見苦しいものは無いけど、それ回避にも役立つ考えでしょ。

 そういう風にパッと考えを切り替えて、常に新鮮であることが「生モノ」たる人間には重要なことだと思いますよ。
 こういう発想(↑)は(多分)世界中の誰もがやったこと無いか、やっても書かないことかと思うので、そういう意味ではショボくても独創性のある発想かと思いますけど、次の時代に求められるのは、そういう発想なんじゃないですかね? 違いますか。そうですか。

 今回の弁当翁さんの文章にはそういう気配が感じられないので、どんなに悪くても4点以下は無いけど、どんなに良くても7点以上も無いですよ。8点以上…9点10点獲得の銘文達成で殿堂入り希望します。ほなさいなら。

投稿: 野ぐそ | 2009.05.25 12:45

将棋かよ!っと思って読んでいったら違うようですね。

自分の世代が何かを問われていて、ぽたりとエッセンスが垂れてきたような、ちょっと密かにほくそ笑むような内容らしい。

「支援よりも今後必要になるのは、この地平を作り出したときの躍動感の蘇生に、さらに子供のころの純な心情を吹き込むことではないか」・・・かっこいいな! 注文かな。

本当に将棋の世界の本じゃないですよね?この本。 その前に「軌跡の脳」面白過ぎ。じっくり読んでいるうちに次のが追いかけてきたようです。はやる気持ちを抑えて、でもやっぱり引かれるので読んでみます。

投稿: godmother | 2009.05.25 17:39

なんか、一夜があけて、梅田さん気の毒に思えてきた。将棋は宗教だということは、わかっているのかしら。かなり閉じられた世界だし。最初は居心地がよいところほど、だんだんと求められるようになるわけだし。梅田さんの活動のほとんどは、かなり距離を追いているように見受けられるけど、将棋にはかなり密だし、そしてうれしそうだしね。シリコンバレーからネット動画だけで見て、文章への憧れをもって、ご自身の文化意識を磨かれていった方がよいのかもしれないなぁ。これで、将棋からのショックも受けでもしたら。それとも、将棋道場ぐらいは背負わされる覚悟はあるのかなぁ。そこには、羽生さんも一流どころは常時きたり、ネットを通じてメッセージとかも届くけどね。まぁ、ずっといっしょにいれば、だんだんと変化をしていくわけだから関係ないだろうけどね。か弱き人は、たいへんですね。さて、将棋はネットから集金できるのかなぁ。やっぱり、このあたりなのかなぁ。世の中、大人の事情が優先されることだし。でも、ネットといざこざが拡大すると、コロっと・・・、大人って汚いですね?

投稿: もと店員 | 2009.06.03 09:48

こんにちは

昨日トラックバックさせていただいたところ、何人かの方が見に来てくださったようで有り難いことです。

その記事なのですが、大幅に書き換えた部分がありますので、ここに告知させていただきたいと思います。書き換えた部分は、以下の『2』で、同世代から見た「梅田望夫&finalvent(※)論」ともいえる『3』と『4』として分離しました。『4』で、この記事から引用させていただきました。

 *****************************
   1.梅田望夫氏の新書7冊を読んだ私
        …「炎上」していると聞いて
   2.批判記事を読んでみて
        …梅田氏の言うことの方が理がある気がするのである
   3.社会の欺瞞を無くすための一助になれば
        …知識と分析力を必要とする場合もある
   4.おっさん、おばさん自分の好きなことをしよう
        …子供のころの純な心情で躍動感を吹き込もう
   5.なぜ日本語圏では匿名が多いのか
        …それが足の引っ張り合いにつながってしまう
   6.9.11テロへの疑惑解明に専門家の参加が少ない日本
        …足を引っ張る人は多いが
 *****************************

※参照:《極東ブログ(finalvent先生)の「ウェブ人間論」書評》
  http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20061212/p1

投稿: SeaMount | 2009.06.10 11:37

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