« そしてもう一度夢見るだろう(松任谷由実) | トップページ | [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2 »

2009.04.19

[書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)

 「対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)の奥付を見ると「二〇〇九年五月一日第一版第一刷」とあるがすでに書店で販売されており、アマゾンでも発売されている。が、この対談の一人、上坂冬子の履歴には死去の情報はない。彼女は、本書が正式に出版される前、4月14日に亡くなった。17日付け朝日新聞記事「保守派論客の上坂冬子さん死去」(参照)はこう伝えている。


 「硫黄島いまだ玉砕せず」などの作品で知られるノンフィクション作家で評論家の上坂冬子(かみさか・ふゆこ=本名・丹羽ヨシコ〈にわ・よしこ〉)さんが14日午前9時50分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は弟丹羽徹(とおる)さん。

cover
対論・異色昭和史
鶴見俊輔・上坂冬子
 共同では16日付けで報道されていたので、死んでから二日後に公開されたことになる。記事中に葬儀の話もあるように、すでに葬儀が終わってからのことだった。なるほどと思ったのと、本書で述べているとおりのそのままというわけにもいかなかったのだろうなとも思った。

上坂 死んだら燃やしてもらって骨壺に入れればそれでいいんですよ。私はきょうだいに、半年は世間の誰にも知らせないでくれって言っているの。
鶴見 すごいね。
上坂 病院で死んだらそれでいいんです。病院へ入る時の保険証は本名だから死んだって滅多なことじゃわからない。そのままお骨にして富士霊園に入れてもらえばいいの。分骨して両親の墓に少し入れてもらえば、もう思い残すことはない。

 私は上坂冬子のよい読者ではないが、本書を読んで彼女に以前には感じたことのない親近感を感じたし、それはなにより兄を慕うように鶴見を慕う心配りのなかにそれを覚えた。「思い残すことはない」という彼女に何の冥福も祈る必要はないだろう。ただ、哀悼したい。
 本書は鶴見俊輔との対談で、一般的には、鶴見が左派なりリベラル、上坂が右派なり保守と見られている。先の朝日新聞記事の見出しにも保守派論客とあった。が、彼女の論客のデビューは、鶴見が創始した「思想の科学」だった。いわば、鶴見のお弟子でもあり、この対談を読めばわかるが、鶴見は上坂を高く評価していた。

30年、東京都生まれ。トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)勤務を経て59年、自らの職場体験を書いた「職場の群像」が第1回思想の科学新人賞を受賞して評論家としてデビュー。

 デビュー作品はトヨタを含む全自動車労働組合の大闘争のノンフィクションだった。上坂は原稿を鶴見に預けたものの、出版すれば彼女が特定され首が飛ぶと知って恐れていた。

鶴見 本を出したら自分が首になるだろうということで、利害が本と別のところで対立した。
上坂 そうなんです。どの顔を見ても、私が首になったって助けてくれそう見えなかったし、どれもこれも実社会で役に立ちそうにない人ばかり(笑)
鶴見 しかし、ついに踏み切って本を出した。出したら、私のところに猛烈な抗議の手紙がきた。
上坂 えっ、誰から?
鶴見 トヨタのストライキのリーダーの一人からです。なぜこんな本を出すんだって。彼はこんな本が一人の女子事務員に出せるわけはないと思ったんだ。つまり、黒幕がいると思ったわけだね。で、調べてみて私だと考え、かなり長い手紙を送ってきた。絶版にしろと。相当強気でしたけど、残念ながら一つ盲点があった。彼には私が小学校しか出ていないことの意味がわからなかったことだね。つまり、彼と私がまったく別の考え方を持っているなんて考えもつかないし、そこまでの調べもつかないんだ。だから私は手紙を無視した。上坂にも見せなかった。
上坂 今日まで半世紀、夢にも知りませんでした。
鶴見 ずっと黙っていたから。坊ちゃんとはいえ、そこは私も相当な悪人です。

 鶴見俊輔を知らない人もいる時代になったので、彼の語る「小学校しか出ていない」を真に受ける人もいたらいけないと懸念して補足するが、彼は不良少年ということで日本での教育を断念し、米国に渡り、ハーバード大学で学んでいる。「坊ちゃん」というのは、彼が戦前戦後を通して著名な政治家であった鶴見祐輔の息子であり、母方では大政治家と呼んでよいだろう後藤新平の孫にあたるからだ。
 本書には、だが、日本の「小学校しか出ていない」不良少年の鶴見俊輔の真骨頂がほんとによく表現されている。彼が心底インテリやイデオロギーにかぶれた人たちを退けたことがわかる。他にも本書では「相当な悪人です」にふさわしいエピソードが溢れている。私は、「歴史の話(網野善彦・鶴見俊輔)」(参照)や「戦争が遺したもの(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊 英二)」(参照)など、鶴見俊輔の対談をいくつか読んでいるが、本書ほどおもしろく、そして昭和史を知る上で一級資料ともいえるほどの対談はないと思う。この鶴見俊輔の魅力を最大限に引き出したのは、あえていえば、妹ともいえる上坂だろうし、彼女を表現者として世に出した鶴見の兄としての心情だろう。本書は兄と妹の親愛の対話ともいえるものだし、左派だの右派だのがいかに、徹底的にくだらないかが腹の底から笑える傑作だ。
 鶴見俊輔は80歳を過ぎた年齢になっても青年のように物を考える人だが、そのまま青年のような心理として父母に対して敵意を含んだ心情を持っている。それがその長い生涯の時間で歴史と直交する希有ともいえる言葉になって現れる。鶴見俊輔は、二・二六事件以後に書いた鶴見祐輔の遺書を語る。

上坂 金庫から出てきた遺書には具体的にどう書いてあったんですか?
鶴見 自分は親米派だから兵隊が自分のところまで乱入してくるだろうと書いてありました。恐れていますね。天皇は二・二六の反乱軍に反対だったわけだし、親父は天皇の側近の重臣とも通じていたから当初はそういう重臣層に賛同していたようです。山本五十六なんかは、海軍には三十六センチ砲がある、これが議会を守っていると思ってください、陸軍が議会を占拠すれば海軍が三十六センチ砲を撃ちますと言っていたんだよ。親父はそれを聞いているんだ。軍部が分裂して海軍が陸軍と対立していたら、陸軍が勝ったかどうかわからない。それが二・二六なんです。ともかく、そういう状況のもとで親父が軍部を抑えよう、反対しよう、平和の側にとどまろうと考えていたのは、二・二六まで。私は金庫を開けてそのことを突き止めた。
上坂 で、父上が軍部の動きに最後まで反対しなかったのを責めていらっしゃるの?
鶴見 天皇は、あの時に陸軍の動きを抑えようと思ったでしょう。親父も同じく収拾しようとしたわけですね。それが成功していたら日米戦争なんてなかったよ。反乱軍がいくら日米戦争をやろうと言ったって、天皇と重臣が昭和十一年から反乱閥の側についていたら、もっと別の体制ができていたはずです。その天皇の側が、近衛文麿の裏切りで変わってしまう。

 秘史ということでもないのかもしれないが私は知らなかった。が、これはそのとおりなのではないかと思う。またこれは秘史といった類ではないが、なるほど思わせる語りだ。

鶴見 (前略)日本国内にも一刻な人間はいました。例えば、斎藤隆夫。いったんは議会を放逐されたけど、昭和十五年の翼賛選挙に非翼賛議員として立候補していますからね。
上坂 ええ、しかもトップ当選でしたね。
鶴見 あの時に兵庫で斎藤隆夫を当選させたのは、亡くなったユング系の心理学者で文化庁長官だった河合隼雄の親父たちです。丹波篠山にいてこの戦争はまずいとわかっていたし、そういう根っこがあったから、斎藤は非翼賛でももう一回這い上がることができたんだ。
上坂 河合隼雄さんのお父さんは何をなさる方だったんですか?
鶴見 歯科医。一方、三木武夫はね、金持ちの息子だから親父の金を使って非翼賛で出てくる。その意味では三木にも何かがありますよ。だからいまも三木睦子夫人の「(憲法)九条を守る会」が残っているでしょう。翼賛議会というのは、いまの国会よりずっと立派なんだ。というより、あの頃はいまよりまっとうな人間がいたのです。根性のある人間が。
上坂 有権者も偉かった。国家の方針に沿った大政翼賛会に入らず、入れてももらえない人をトップ当選させちゃうんだから。
鶴見 ホネのある政治家は他にもまだ何人もいます。尾崎咢堂がそうですね。だから私はそのへんを見るとナチスドイツと日本は一味違う気がしてならないんですよ。その一味違うということが、いまの日本国民にわからなくなっているのが情けない。ナチスドイツと敗戦のときの軍国日本は違うんだ。人間のクオリティが違う。そこが問題なのに。

 鶴見と上坂の共通の心情がそこにはある。そして、そこから彼らは今の日本を強く批判している。
 もう一点、私が知らないだけで秘史でもない話なのかもしれないが、私はこの話には驚いた。終戦への経緯に関わる逸話だ。玉音放送についての話からこう逸れていく。

上坂 敗戦の詔勅は聞き取れましたか。
鶴見 雑音が多かったね。ただ、私はいずれ終戦がくることを知っていました。
上坂 なぜですか。その頃はもう海軍を辞めていらっしゃったはずなのに。
鶴見 七月まで軍令部にいましたが、カリエスがひどくなって辞表を出していたので、その時は休職扱い。で、少し前に都留重人が特使としてソビエト・ロシアに派遣されて戻っていたので、戸山ケ原(現・新宿区)の近くにある外務省の分室に会いに行った。外出許可を取り、大きな握り飯を二つ持ってね。戸山ケ原でそれを食べて分室に行くと、都留さんが出てきた。そうしたら、「もうすぐ戦争は終わる、日本もアメリカも支配層は天皇制を残す決断をした」と。それが昭和二十(一九四五)年の五月十日。敗戦の三カ月以上前の話ですね。
上坂 あの緊急時にそんなことがありえたのですか。
鶴見 前の章で言いましたが、アメリカの中枢での人の入れ替えがあって、対日強硬派の連中が退いていた。だから天皇制を受け入れる方向に踏み切ったわけ。都留さんはこうつけ加えました。天皇制をどういう形で残すか、あるいは残さないか、それを決めるのは我々の務めだと。都留さんとはハーバード以来の信頼関係があるから、そうやって要所要所でポイントを話してくれたんです。

 気になるのは、米国側の中枢の動向だ。

上坂 天皇制を温存しようというのは、最初からアメリカの方針だったのでしょうか。
鶴見 違います。私が都留重人さんから聞いたところによると、途中から変わったという。開戦後すぐ委員会ができて、日本をどうするかと検討した文書が残っていますけど、まず、この国は工業をつぶしたら立ちゆかないとはっきり書いてある。日本にとって必要最小限の工業が検討されていたわけだけど、その時の最長老の委員はヒュー・ボートンという農民一揆の研究者なんだ(笑)。二百年くらいのスパンで見てたんだろうなぁ。委員は七、八人だった。
上坂 そんな素朴なグループで天皇制について論じていたのですか。
鶴見 天皇制は論じられてはいません。議題になっていない。
上坂 天皇より工業のほうが優先?
鶴見 そう。当時の日本人の人口から考えて、農業と漁業で食うくらいは何とかなるだろうと検討している。はじめから日本が負けると判断して取り組んだ戦争だから、日本とはどだい思考のプロセスが違う。勝った後どうやって生かしていくかという責任がある。そのへんは敗戦日本の無責任な支配層とは段違いだ。

 私はこの委員会の関連で、ある書物のことが想起される。そのことと都留重人の関連のことでふと夢想することもある。もしかして私のブログをよく読まれている人なら、ああ、あれかと思い至ることだろうと思うので、この話はあえて書かないことにする。

|

« そしてもう一度夢見るだろう(松任谷由実) | トップページ | [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2 »

「書評」カテゴリの記事

コメント

私は、上坂冬子先生は好きです。

上坂先生は、基本的に、自分が正義で、自分に対立する奴らが悪である、という論じ方をしません。誰が正しいか、どれがより適切か、自分の頭で考える余地を残してくださってました。

上坂先生の保守思想がどういう立場のものであれ、私は、戦後の自民党政治は、中曽根内閣まではかなり高得点の合格点取得の連続だったのではないかと思っています。ただ、中曽根内閣までの大成功が、逆に、竹下内閣以降では、桎梏になってしまっているのだろうと思っています。

上坂先生が21世紀の日本をどう思っていて、どういうお気持ちで亡くなられていったのかわかりませんが、上坂先生が多角的な視野の持ち主でしたら、中部国際空港とつくばエクスプレスと(新)北九州空港と神戸空港と成田空港南ウイングと都道環状8号線が完成し、東国原知事や橋下知事みたいな指導者たちが現れ始めた日本に、それほど不安を感じないで冥土に旅立たれたのではないか、と拝察しております。

投稿: enneagram | 2009.04.19 16:31

こんにちは。
書評を読んでいるというのに面白くなってしまって、その内にまるでご紹介の本文を読んでいるのと錯覚する程でした。

二.二六事件のことや敗戦の事などについて、思いを巡らすうちに、先日NHKで放送されたスペシャルでの(金婚式のお祝い)皇太子時代の戦争への回想についてのお話しなど、重なって思い出していました。

早速こちらから注文させて頂きました。楽しみです。

投稿: godmother | 2009.04.19 17:58

麻生首相が、靖国神社の春季例大祭で奉納された真榊の件で、朝日新聞の対応を公然と揶揄された映像がテレビで放映されているのを見て、久しぶりの快哉事であると喜んでいます。

政府が新聞の言論報道を弾圧封殺してはいけませんが、新聞社が政治家を容易に社会的抹殺できるなんてことがあってもならないのです。

それにしても、昔は何で政治家たちも財界人たちもそんなに朝日新聞に対してびくびくしていなくてはならなかったのだろう。今になれば不思議なことです。

朝日新聞が権威を失ったのは、これはどう考えても自業自得です。失地回復したいと思ったら、大型企画の美術展覧会を、東京で開催するだけでなく、札幌、仙台、名古屋、大阪、広島、福岡の七大都市圏に極力巡回させて、文化へのアクセスの東京一極集中をできるかぎり回避するよう努力すべきです。まったく出来ないことではないはずです。

投稿: enneagram | 2009.04.28 08:00

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/657/44720215

この記事へのトラックバック一覧です: [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子):

« そしてもう一度夢見るだろう(松任谷由実) | トップページ | [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2 »