些か弥栄
エントリのネタがないわけでもないけど、書いてもしかたないな感みたいのがあったりして、かくしてまたブログに穴があきそうな感じもしないでもない。じゃあ、くだらない話でも……と、最近のくだらない話といえば、麻生首相が「弥栄」を「いやさかえ」と読み上げたというのがよいだろう。実にどうでもいいようなくだらない話で、こんなのニュースになるのかというとなったから聞き及んだわけだ。11日付け毎日新聞「麻生首相:皇室の「いやさかえ」 両陛下の前で…」(参照)より。
麻生太郎首相は10日、祝賀行事や記者会見で言い間違える場面が相次いだ。
皇居・宮殿松の間での天皇、皇后両陛下の結婚50年の祝賀に閣僚ら約50人と出席した首相は、参列者の代表として両陛下の前で、紙を見ずに繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と述べ、「皇室の“いやさかえ”を心から祈念し、国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」などと語った。
午後5時からの首相官邸での記者会見では、「社会保障」を「社会保険」、09年度の「国債発行額」を「国債発行残高」、「公共事業の占める比率は2兆4000億」を「2兆5000億」と言い間違え、官邸報道室が訂正を発表した。
あえて全文引用したのは、毎日新聞記者はこれをがちな言い間違えだと認識していそうだというのがわかるようにということ。ただし、終段の含みが重要だったりするかもしれない。
日経にもある「「いやさか」を「いやさかえ」 首相、祝賀行事で言い間違え」(参照)。共同でも「祝賀行事で首相言い間違え 「弥栄」を「いやさかえ」」(参照)がある。これをニュースだとしたのは共同だろうか。
産経も「麻生首相「弥栄」を「いやさかえ」と言い間違え 両陛下の祝賀行事」(参照)があるがすでになぜかリンクが切れている。魚拓があるかなと思ってみるとあった(参照)。産経が最初だっただろうか。
ところでその後ネットでは、「弥栄」を「いやさかえ」と読んでもよいといった典拠が流れ、先日の「こころずかい」と似たようなことじゃないかというような話題でもある。どうなんだろうか。
「こころずかい」の時は、私は、それはあながち間違いとも言えないなとは思ったが、「弥栄」を「いやさかえ」というのはどうだろうか。麻生さんご自身のサイトでも「靖国に弥栄(いやさか)あれ」(参照)とあり、また、これは「万歳(ばんざい)」みたいな慣用句なので、「いやさかえ」と読んだのはやはりただのミスだったのではないか。ただ、官邸報道室での記者会見では訂正はなかったようなので、そういう読みも問題ない許容という認識はあったようにも思える。いずれにせよ、ニュースにするほどのことでもないことで、くだらないなとは思った。
で、それから、「弥栄」を「いやさか」と読むのは、慣用だとして、「いやさかえ」と読みうるだろうかとふと疑問に思った。歌舞伎では「弥栄芝居賑」(いや栄え芝居の賑わい)という演目があるらしい。「弥栄華持芝居賑(いや栄え華持つ芝居の賑わい)」とも言うらしい。私はこの言い回しに語感がないが、言いそうな感じはする。ただ、その場合、「弥栄」は「賑わい」に掛かる形容詞句的なものになる。「天皇弥栄」という用例と同じだろうか。
ところで、私は高校生時代ひょんなことから万葉集が好きで、けっこう暗唱していたものだった。茂吉選の万葉秀歌は当時は全部暗唱できた。で、そのくらい暗唱すると、それなりに古語の語感のようなものが出来てくるのだが、そのあたりで、「弥栄」にひっかるものがある。余談ついでだが、私は高校生のころ短歌をよく作っており、しかも与謝野鉄幹ではないけど、古今集はくだらないぞ、歌はますらおぶりだぞとか当時は思っていたこともあった。それもあって、万葉の古語と古今の古語の歌の語感は興味深かった。
ちょっと調べると、巻18の4111に家持の歌にある。
み雪降る冬に至れば霜置けどもその葉も枯れず常盤なすいやさかばえに然れこそ神の御代より宜しなへこの橘を時じくのかくの菓実と名付けけらしも美由伎布流冬尓伊多礼婆霜於氣騰母其葉毛可礼受常盤奈須伊夜佐加波延尓之可礼許曽神乃御代欲理与呂之奈倍此橘乎等伎自久能可久能木實等名附家良之母
ということで、「いやさかばえ」というコロケーションで「はえ」を必要としてる。漢字を充てるなら「映え」であろう。すると、「いやさか」は「非常に」くらいの副詞句的な機能があるのだろう。
こんなことを言うののは、「いやさか」に「弥栄」が充てられているのは、「いや」単独で「非常に」の語感を持っていると理解されているのではないかなと思うからだ。つまり、「いよいよ(ますます)」+「栄えよ」で「弥栄」といった。麻生首相もそう理解しているから、「いやさかえ」とつい読んでしまったのだろう。
が、この「栄」なのだが「栄え」「栄える」を「さか」として充てるものだろうか? と疑問に思い、以前「極東ブログ: [書評]日本語の語源(田井信之)」(参照)で触れた同辞典に当たってみて、ちょっと驚いた。「いやさか」を「弥尺」としている。
これは一般的な解釈なのかとぐぐってみるとほとんど情報がない、が、「新版 祝詞新講(次田潤)」(参照)にこうあるようだ。
「八尺」の意義については、従来弥栄の義であるとか、弥真明の義であるとか解釈せられていたが、弥尺の義で、長い緒に貫き連ねた意に見るのが穏当である。
として「八尺」(やさか)について、「弥栄」の義ではなく、「弥尺」としている。「弥尺」は「長い緒に貫き連ねた意」としている。
もちろん、これは話の方向が逆で、「八尺」は「弥栄」ではない、「八尺」は「弥尺」であるという議論なのだが、それでも、「さか」に「尺」が充てられる事例である。
田井の議論に戻ると、単純に「いやさか」を「弥尺」としている。意味も、よって、「とても長い」というだけになる。"very long"といった感じだが、これはむしろ家持の歌にも適合する。「いやさかばえ」は"long duration glow"といった感じだろう。
田井はさらに万葉集が歌われた時代に、「いやさか」は「やさか」に音変化があると見て、「八尺の嘆き嘆けども」の用例を上げている。
これだけをもって、「いやさか」を「とてもながく」の意味だけだという論にはならないが、「栄」は近世以降の宛字の可能性はありそうだ。
ついでに田井の「弥」、つまり「彌」の考察を見ていくとおもしろい。どこまでが本当なのか、まるで判断できないが、それっぽい感じはする。
- 「彌俄かに」→「やにわに」
- 「彌妄りに」→「やだりに」→「やたらに」
- 「彌実に」→「いやげに」→「やけに」
- 「無理に彌無理に」→「むりやりに」
- 「彌いみじくも」→「やみじくも」→「やみくも」
- 「彌無茶な」→「やんちゃな」
- 「彌姦し」→「やかまし」
- 「彌罵る」→「やじる」
- 「彌立つ」→「よだつ」
- 「彌芽吹く木」→「やまぶき」
- 「彌長枝」→「やなぎ」
ほんとかねという感じだが、「彌生」→「やよい」はまさに「弥生」である。ちなみに今日は弥生十七日で、野山は「いや生い(ますます生い茂る)」といった風情だ。
案外田井の考察の大半は当たっているのではないか。というか、このあたりの俗語の語源は、意味側のこじつけより、音変化で見るほうが妥当だろう。ただ、田井はこの研究の成果だけをまとめてしまって、地域的なまた歴史的な変遷についてはあまり触れていない。
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コメント
祝詞は「いやさかえ」じゃないかと。
だから最初、なんで新聞は軒並みトチ狂ってるんだ?と思ってしまいました。
投稿: himorogi | 2009.04.13 00:37
祝詞は「いやさかえ」じゃないかと。
だから最初、なんで新聞は軒並みトチ狂ってるんだ?と思ってしまいました。
投稿: himorogi | 2009.04.13 00:38
そんな事はないんだろうけど、歌舞伎の演目とか人名とか聞いてみるまでどう読むのか皆目分からなくて、結構漢字の読みはいい加減というか意味が通れば言った者勝ちってイメージがあるよ。
それでも普通慣例というものがあるだろうし、書き手・表現者側の意図・都合というものが優先されるんだろうなと漠然と思ってるんだけど。
投稿: ト | 2009.04.13 13:23
「いやさか」でも「いやさかえ」でも、どっちでもいいんじゃないですかね? 京都人は「どすえ」って言いますからな。「さかえ」でも、別にそこまで問題ないような気も。なんちゃって。そういう意味でなく~。
そんなん言い出したら、慣用句・故事成語で意味が逆転してしまっているものは全部ダメでしょ。そういうの野放しで麻生さんの言い間違いは全否定って、マスコミさんの馬鹿さ加減はどんだけだよ? って感じですか。
>「社会保障」を「社会保険」、09年度の「国債発行額」を「国債発行残高」、「公共事業の占める比率は2兆4000億」を「2兆5000億」と言い間違え、官邸報道室が訂正を発表した。
↑これは流石に事実誤認だから訂正して当たり前だと思いますけど、「弥栄」は単純に勇み足でしょ。
マスコミさんがある程度以上に賢ければ、順序として「社会保障を~官邸報道室が訂正を~」を先に言って、そういえば陛下への祝詞はどうなんでしょ? くらいに言ってる筈なんですね。そもそも確定事項と不確定事項・調査検証を要する事項を同じ文脈に入れるなバカタレ、とも言うし(んだから、いやさかえなんかどうでもいい)。そういう根源的な部分から馬鹿丸出しなのが人の挙げ足取ったってしょうがないんじゃないかっていう。
そういえば先日、地元の新聞(中国新聞)読んでたら新聞読もうキャンペーン的な無駄な悪足掻きやってましたけど、↑↑↑こーゆーレベルの記事書くんだったら、読むの止めよっかなー? って感じです。大阪の親戚が家に来て「新聞ない?」→新聞出す→「アカン、こんなん読んでたらアホになる」とまで言われていい気しないし、4コマ漫画が異常に詰まらないしで、あともうひと押しあったら読むの止めようとまで思ってるんですが。別に新聞読まないと死ぬってわけじゃないんですから。
こーゆー事例(いやさかえ)はきっかけになるのかなー? ならないのかなー? 微妙だなー…。マスコミの中の人は野ぐそより馬鹿なんだったら、いっそ死ねばいいと思いました。要りません。
投稿: 野ぐそ | 2009.04.13 15:47
http://banmakoto.air-nifty.com/
2009.3.29の記事のコメ欄
投稿: ナナナ | 2009.04.13 18:40
himorogiさんも言っていますが祝詞はいやさかえ。
「いやさかえ」が本来の正式な読み方ですね。
「いやさか」という読みはら抜き言葉が一般的に定着してしまったような感じ(所謂口語表現というやつです)で一般的に使いますし神事と関係ない祝辞はいやさかで良いんですが改まりまくった表現をする場ではいやさかえを使うほうが理想的。
慣例的な感覚でいうなら「皇室の」弥栄なら寧ろ普通いやさかえを使うかと……神道的にはいやさかえですし、天皇/皇室はいうまでもなく神道のトップという宗教的な側面を持ちますから別に神道を奉ずる者でなくとも礼を尽くす意味でいやさかえのが適切な筈・・・
というか正直私はいやさかえの記事を読んで麻生首相神道じゃないのに(確かキリスト教ですよね)よくそんな細かい事知ってたな・・・とか驚きましたけどね。
エ?誤読?ソンナコトカイテタッケ?
投稿: 通りすがり | 2009.04.14 02:49
「いやさか」って、サンスクリットではsvahaで、これが、日本に来ると、「そわか」や「そもこ」になまるんです。
「いやさか」ってきちっと言わないといけないってものでもなかろうかと思います。
finalvent先生みたいに、青年期に万葉集が好きだったなんていう人は私にはすごくうらやましい人です。先生の文章力が卓越しているのはそういうところに源泉があるのだろうな。私も、高校時代、百人一首の上の句と下の句をつなげる試験のために百人一首を覚えさせられたときに、小倉百人一首を全部覚えてしまえばよかったと思っています。
般若心経と白隠禅師座禅和讃と消災呪と舎利礼文くらいは暗誦できるけれど、文章力なんていうのは、どれくらい美文がいつでもすぐにそらんじられるかの反射能力みたいなものだから、読書量だけの問題でもないと思います。
国語力の話がもてはやされるから、首相がいじめられたり、漢検みたいな事件が起きるのだろうけれど、言語の能力って、そんなに大切かなあ。勿論卓越しているに越したことはないけれど。法律家ばかりが幅を利かせる世の中がよい世の中ではないと思うので、言語の能力というのも、社会の中で適切な位置を占めるべきで、突出した地位を得るべきではないと思います。
投稿: enneagram | 2009.04.14 09:01
「いやさかえ」が間違っているの言うのであれば、
出雲大社の宮司さんの立場はどうなるのでしょうか?
http://www.izumooyashiro.or.jp/topic/houshuku/GOTANJO.HTM
投稿: ZASHIKIBUTA | 2009.04.16 05:01