そしてもう一度夢見るだろう(松任谷由実)
松任谷由実ことユーミンの三年ぶりのアルバム。前回のは「極東ブログ: 松任谷由実と「A GIRL IN SUMMER」」(参照)に書いた。その後私は「A GIRL IN SUMMER」では「海に来て」「哀しみのルート16」「もうここには何もない」の三曲をたまに聴くだけ。「哀しみのルート16」は個人的には傑作。
いちアルバムにひとつ傑作があればそれでいいんじゃないのという感じだったので、今回のアルバムもそのくらいの気持ちでアマゾンに予約を入れていておいた。その後、というか今、ITMSを覗いたらダウンロードだと2000円で購入できるのを知った。っていうか、これ今日公開されたのか? あと、4曲セット800円もあった。
![]() そしてもう一度夢見るだろう 松任谷由実 |
どうだったか。アルバムの実質コンセプト曲の「ピカデリー・サーカス」はかなりよかった。歌詞にわからない部分はあるし、私自身は英国の「ピカデリー・サーカス」への思いはないので、そこはわからないといえばわからないが、60年代の郷愁のこの情感はわかる。
ピカデリー・サーカスに出れば
はじめてこの場所に来たときの
何も怖くない自分のように
誰もまだ知らぬ歌と
雨に灯りだす街の灯と
そして もう一度夢見るだろう
最後のフレーズがアルバムのタイトルになっているのだが、いちおうアルバムジャケットにはAND I WILL DREAM AGAINとあり、この英語のフレーズに典拠があるのか少し調べてわからなかったが、どうも特設サイト(参照)で旦那さんの話を聞くと、ジャケットのビジュアル上英語にしたとのことだ。つまり、今回は、日本語の「そして もう一度夢見るだろう」がオリジナルらしい。気になっていたのは、その日本語と、英語のそれとは少し語感が違うことだった。が、その差異にはそれほど意図的な意味はなさそうだ。
この気になる日本語のフレーズでもある「そして もう一度夢見るだろう」だが、もちろんいろいろな解釈があってもいいし、おそらくあの時代の空気を知っている45歳以上の人たちの、老年期までのもう一つの未来、第二の人生としてもいいのだろうけど、私としては、これは、人が死んで、死後に人生という夢を「そして もう一度夢見るだろう」ということだと思う。
こんなことを言うと、死後の世界を信じるのかとか野暮なツッコミが入りそうな時代になったが、別段死後の世界といったオカルトじみた話ではない。死というものをそういうある幻想領域として捉えるといったことでもある。そう難しいこと言わなくても、わかる人にはわかるだろうと思う。
そう解釈すると、「人魚姫の夢」がわかる。
いつか あなたはやって来る 深い涙の底へ
私を目醒めさせるために
やがて 薔薇色の朝になり あなたはささやくのよ
哀しい夢だったと
人魚姫が叶わぬ恋でその身を泡として海に消し死んでいく。人は、人生のなかで垣間見た真実のように思えたなにかに、ついに人生で裏切られて死を迎える。だが、そして、そこで目醒めるのだと、この詩は言う。どこで目覚めるかというと、死後の世界で目覚めるのだ。そして、人生は「哀しい夢」だったと知る。
トンデモ解釈とされてもいいし、こういう解釈を押しつけたい気はさらさらないが、この情感と世界意識は、吉本隆明が後年親鸞研究を通して見つけた「死からの眼差し」でもあるし、死の境地から見た生の世界でもあるだろうし、浄土教というビジョンの思想そのものであろう。
厳密に言えば、吉本や親鸞のいう死からの眼差しや死という地点から見た人の生の姿の場合、どちらかというと禅のように悟りに至って見える世界はそのままの世界であるというのに近い。だが、ユーミンのこの詩と情感は、より日本の文化の古層にある浄土教的な美に近いものだ。それはこの世の生の姿をそのまま肯定する自然(じねん)の思想というより、この世界のなかに超越の契機が啓示的に介入してくることの真理性にある。人はこの人生のなかで掴めないにせよ、真理と歓喜を垣間見ることで、死後の永遠を通してその生を肯定していくというものだ。ニーチェの最後の思想にも近い。と言うに、下らない言辞を弄しているようだが。
一見ナイスなほどハウスプライムカレーな「夜空でつながっている」も、実はファミリーとか愛とかつながりではなく、死を超えていく心情に力点がある。上の段落で気違いモードで書いたことが、この死の意味であることは、私はあまりにも明らかことしか思えない。
広い この広い宇宙で なぜめぐり逢えたの
なのに それなのになぜ去っていったの
私を残してありがとう こんなに 愛せるひとがいるなんて
だから きっと 私は生きてゆける
この詩では、現世では掴みえない真理性が、それ自体が一つの恩恵的に緩和されている。不合理にもそうした愛に遭遇したがそれを生きている時間のなかで賛美できるという肯定性がある。だが、人はそうやすやすと人生も恋も生きられるわけもなく、すべてが失敗に消えてくこともあるわけで、そこから最後の「人魚姫の夢」につながっていく。だから、このアルバムバージョンでは音の響きが変わっている。シングルカットでは長調転調後は希望的な響きを持っていたが、このバージョンでは明るさの現実性を弱めるように、低音やディレイをかぶせて現世感をあえて喪失されている。こんなサウンド、だれが作ったのだろうか。旦那?
音楽的には、加藤和彦と共作かな「黄色いロールスロイス」が優れているだろうし、私は率直にいうと好きではないが、「Bueno Adios」はなにかオリジナルでもあるんじゃないかというほど、こなれたタンゴになっている。「Judas Kiss」はユーミンサウンドのある頂点というか自己模倣的な完成でもあるのだろうと思う。率直にいうと、これも私は好きではない。
今回のアルバムのプロモーションもかねてだろうが、NHK SONGSで「第85回 松任谷由実スペシャル Part 1」(参照)と「第86回 松任谷由実 Part 2」(参照)があり、両方見た。Part 1とPart 2はコンセプトが違っていた。Part 1は地方の若い人たちと交流をする、おばさまユーミン的な話、Part 2は回想的。録画撮りされた歌は、率直にいうと残念ながらクオリティの面で問題があったと思う。また、歌手としてのビジュアルもスタジオ撮りにはソフトフォーカスをかけても無理があったように思えた。
二回とも見て気がつくと、このエントリで書いたような「ピカデリー・サーカス」と「人魚姫の夢」の構造性はあえて脱色されていた。これはアルバムでしか表現できないものだろう。
特設サイトで、ユーミンがためらいながら、こう言っていた。
ほんとに途中作れるんだろうか、お迎えが来るほどのグロングロンになって地獄を見たので、その分なんか全体に死と狂気がね、漂っていると思う。それだけに究極の励まし究極の慰めがあるんじゃないかな。
そうかもしれないし、それらはすべて偽物であるかもしれない。私たちの生を鼓舞するのは、そうした美しい夢をすべて捨てたときにあるのかもしれない。そういう音楽はどんなものかわからないが、なんとなく、ユーミンはもう一歩さらにこのサウンドと詩の世界を捨てるだろうと思う。
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コメント
けしてユーミンの良い聴取者とは言えない自分ですが、先日たまたま『ピカデリー・サーカス』を歌う彼女をテレビで見て、その歌詞に驚きました。「そして もう一度夢見るだろう」と聴いて頭には「昨晩お会いしましょう。」という言葉が浮かぶのですが、「時をかける少女」にもまたこの世とあの世の中間的なリンボのような世界観が垣間見えていたことを思えば、超越でもフラットでもない地平から世界を眺める眼差しとしてユーミンの『夢』があるのかもしれないと、ここを読んで思ったところです。
投稿: Tattaka | 2009.04.16 23:45
>なんとなく、ユーミンはもう一歩さらにこのサウンドと詩の世界を捨てるだろうと思う。
いや、ユーミンはこの世界を捨てるとしたら、これまでの全ての作品と縁を切らなければならないでしょう。
>広い この広い宇宙で なぜめぐり逢えたの
なのに それなのになぜ去っていったの
私を残して
例えば、この詞を見た瞬間、私の頭の中のどこかから「リフレインが叫んでる」の歌詞がパッと出てきてしまいました。(これには驚きました。私の頭の構造はどうなってしまったのだろう)
ユーミンの詞のテーマは一言で言ってしまえば「世界旅行と輪廻転生」であり、ごく初期の曲(チャイニーズスープだとかルージュの伝言など)を除けばユーミンを語るに欠かせない曲ほどそのテーマを色濃く反映したものになっています(水の影だとかREINCARNATIONだとか)。そして今回のアルバムはいわば過去のアルバムのイメージを再構成したものに過ぎません。
ユーミンは多分デビューの最初から付き合ってきたテーマをこのまま進化させるしか道はないでしょう。ただし、何か新しいイメージを追加したほうがいいとも思いますが。
投稿: F.Nakajima | 2009.04.17 00:34
まだ聞いてないんで何ですが、引用された歌詞を見て、「朝陽の中で微笑んで」を思い出しました。1976年リリースですか。溜息ですね。
投稿: Sundaland | 2009.04.17 08:39
ユーミンの作品で、頭によく残っているのは、「サファイアの9月の夕方」。
この曲でTim Pierceがリズムギターを演奏しているのだけれど、マイケル・ジャクソンの「ブラック・オア・ホワイト」のパターンを借用した感じだと思いました。
ユーミン自身がキーボードプレーヤーのようなので、ユーミンのアレンジはキーボードやシークエンサーの使い方が凝っていると思います。
中島みゆきはギタリストなので、ギターソロにはうるさく注文をつけるのだろうなと思っています。Tim Pierceの起用の仕方は、どう考えても中島みゆきの方が優れている。たとえば「あのバスに」のギターソロ。
まあ、ユーミンがキーボードプレーヤーで、中島みゆきがギタリストだとは言っても、ユーミンに「タルカス」が演奏できるわけないし、中島みゆきにギターを演奏させて、松田聖子か工藤静香に「アーノルド・レーン」を歌わせたら、きっと悲惨だろうな、とは思いますけれど。
ミックスダウンが巨匠アル・シュミットだそうで。ドリカムもみゆきさんもアル・シュミットと仕事をした後に新境地を開拓できたみたいな部分があるんで、ユーミンもアル・シュミットと仕事をしてみて、何か新境地の開拓のきっかけがつかめていればよいな、と思います。
投稿: enneagram | 2009.04.17 09:59
矢野顕子さんがロンドンでアビー・ロード・スタジオを使ってレコーディングをしたことがあり、ドリカムもエンジニアのマイク・ピラとイギリスでレコーディングしているし、岡村孝子さんもイギリスでボーカル・トラックを録音している時期が長かったので、ユーミンがロンドンでレコーディングしたらどんな作品ができるのかな?とは思います。
ベースギターはジョン・ジブリン、ドラムスはスチュワート・エリオット、コーラスにはケイト・ブッシュのお兄さんのパディ・ブッシュ、ストリングスアレンジにはリック・ウエントワースなどに参加してもらえれば、今までとはひどく毛色の違った作品ができるような気がします。ピート・タウンジェントのイール・パイ・スタジオでミックスダウンができたらおしゃれかもしれません。
ただ、アメリカ慣れしている松任谷夫妻にとっては、保守的なイギリスのやり方は、なんか、園芸をするためにはまずモンペと地下タビを身に着けて、たたら製鉄をして自分たちでシャベルや鎌を作ってからはじめる、みたいな感じで、「こういうのはひどく野暮ったいなあ。たしかに独特の風合いは出るんだろうけれど。」という感想を持つかもしれません。
私も、現在のイギリスのミュージックシーンがビートルズの最盛期のスタイルをいまでも保存継承できているのかどうかは知りません。きっとずいぶんアメリカナイズされていることとは思います。
投稿: enneagram | 2009.04.17 14:01
ユーミンが生だけを歌うわけがない。立証されたことなら歌うに値しない。
投稿: ハンス | 2009.04.19 05:17
いくつもコメント入れてすみません。でも、無益な話でもないと思います。あんまりこういう視点で物を言う人がいなかったから。
ユーミンのエレクトリック・ピアノの使い方と中島みゆきのエレクトリック・ギターの使い方の好対照を示せるのが、「春よ、来い」と「樹高千丈 落葉帰根」。ユーミンサウンドを特徴付けているのは、高度な和声学の活用、みゆきサウンドの特徴は、休符の活用、簡単に言えば間の取り方。演奏しているのはそれぞれ、松任谷正隆とマイケル・トンプソンで、本人たちではないけれど、こういう演奏をチョイスするというのは、二人の個性の違いとしてよいと思います。
文学者としての中島みゆきに関する言及に比べると、音楽家としての中島みゆきへの言及は信じられないくらい少ないのだけれど、ユーミンの個性とのコントラストを利用すれば、案外容易に図式化できます。
きっと、竹内まりやも、矢野顕子と比較対照すれば、竹内まりやの音楽家、文学者としての非凡のなんたるかを図式化するのが容易なのではないかと思われます。われと思わん方は、この作業に挑戦して頂きたいものだと思います。
岡村孝子と宇多田ヒカルは、ある意味で、先駆者と発展的継承者であるという側面を見出せます。孝子とヒカルのレコーディング形式は似ていて、バンドよりもむしろシークエンサーの積極的利用、ボーカルトラックの録音作業への徹底したこだわり、ミックスダウンは自分が信頼できるエンジニアへのある意味で徹底依存、という特徴が見出せます。宇多田ヒカルに直接たずねれば、「自分は岡村孝子に注目したことも、特に何かを直接学び取ったということもない」と回答するかもしれませんが、三宅彰プロデューサーと宇多田光實プロデューサーは、岡村孝子の手法をよく研究してきたはずです。
岡村孝子ではできなかったことを宇多田ヒカルがブレークスルーしてしまったな、と思ったのは、宇多田ヒカルの傑作「COLORS」の成功。孝子なら心象の表白で表現するところを、ヒカルは絵画的表現の隠喩で処理し、孝子なら歌唱旋律で効果を出すところを、ヒカルはバックトラックでやってのける。こういう工夫ができるというのは、孝子が常にセルフプロデュースをしてきたのに対し、ヒカルには三宅プロデューサーがついていて、自分の作品を客体化する視線が取り入れられているということと、岡村孝子より宇多田ヒカルのほうがアレンジャーとしてはすぐれた力量を持っていることが根拠になろうと思います。
研ナオコと中村中は明確な先駆者と発展的継承者の関係。
ユーミン、中島みゆき、矢野顕子、竹内まりや、岡村孝子、宇多田ヒカル、中村中という名前が並んで、研ナオコに言及することに違和感をもたれるかもしれません。もちろん、正直に言って、今後、研ナオコがテレサ・テン、オリビア・ニュートン・ジョン、リンダ・ロンシュタット、アバ(ABBA)などと同格に扱われるようになるとは思っていません。でも、中島みゆきの最高傑作は何か?という問いに対して、「かもめはかもめ」と回答する人は少なくないらしくて、この作品は、その後セルフカバーされてはいても、間違いなく研ナオコへの提供曲で、オリジナルシンガーも研ナオコなら、作品を普及させたのも研ナオコです。そんなわけで、中村中の今後の成長しだいでは、研ナオコもまともな研究の光を当てるべき女性歌手であるという評価を得る可能性を否定できないと思っています。
出発点は、キーボード・プレーヤーとしての松任谷由実とギタリストとしての中島みゆきの対照による図式化だったのだけれど、ずいぶん収穫は多かったと思っています。
投稿: enneagram | 2009.04.19 09:56
なぜ、TVに出ないと言っていたユーミンが、今、この時期に、TVに出るようになったのでしょうか?
小田和正や竹内まりや、そしてユーミン・・・・。
個人的には、TVに出ないというポリシーは最後までつらぬいてほしかったです。
投稿: ななし | 2009.04.19 14:58
気になったことをさらに書き加えると、このニューアルバムのミックスダウンはキャピトル・スタジオで行われています。
キャピトル・スタジオって、伝統と格式のあるスタジオだそうで、最新式のスタジオだとエンジニアのアル・シュミットがご老体だから、機材を使いこなせなくて、キャピトル・スタジオだとアル・シュミットが使いこなせるタイプの(古風な)機材が設置されているから、キャピトル・スタジオが選択されたのかな?と思いました。
アル・シュミットってどういう仕事をした人かというと、女性ボーカリストの仕事だと、なんといっても、ナタリー・コールが父親のナット・キング・コールの名作をカバーした「アンフォゲッタブル」がこれまでもこれからも彼の代表作ということになるかと思います。大きなヒットを出すより、芸術作品を手がけるというタイプの職人さんですね。まあ、アル・シュミットがナタリー・コールの「アンフォゲッタブル」を手がけたなんてことは教えられなくても知っている人は多いと思われますが。
なお、中島みゆきのここ10年間くらいの作品で中心になって仕事をしているDavid Thoenerというエンジニアは、女性ボーカリストの仕事というと、セリーヌ・ディオンの作品をいくつか手がけた人です。David Thoenerさんも多くの実績を持つ人です。これも、教えられなくても知っている人がたくさんいることと思います。一応、書き込んでおきました。
投稿: enneagram | 2009.04.20 09:20
ユーミンの話をしないですみません。キリスト教神秘主義の話をしたからまたコメント入れます。わたしが、近現代美術史の体系的知識を持っていて、楽譜が読めれば、きっと、ユーミンの作品の体系的な意味構造、抽象、描写の構図などを読み取れて、たとえば、ピンク・フロイドの"Take Careful with Axes,Eugene"や"Atom Heart Mother"なんかとユーミンの作品を対比させながら面白く説明できると思うのだけれど、残念ながら、私にはその能力がありません。どなたか、そういう課題に挑戦してください。
ケイト・ブッシュの神秘主義もグルジェフの神秘主義も、まちがいなくマイスター・エックハルトの神秘主義と同根です。それで、別のエントリーで「マイスター・エックハルトの神秘主義は禅か?」という話題を出したのだけれど、禅の神秘主義と同根の神秘主義の話もできるのでそのへんを少し。
中島みゆきの、実はセカンドシングルの「時代」なのだけれど、この中で、
「時代は回る」
「時代は巡る」
というフレーズがあるのだけれど、ジャイナ教徒で、禅仏教に傾倒していた(グルジェフィアンでもある)和尚ラジニーシがある著書の中で、
「私たちはみな、それぞれ、自転しながら何者かの周囲を公転している天体のような存在だ」
という講話を残しているんです。「時代」によく似たものの考え方です。
おそらく、こういう観照的な立場が禅の神秘主義の態度です。マイスター・エックハルトの態度は、グルジェフもケイトもそうなんだけれど、「囚人の解放」、「奴隷の解放」なんです。禅の態度は、「不自由といっても、春夏秋冬が巡るのは自然な拘束であり、そういう拘束が失われたら、かえって生命と生活から彩りがうせてしまう」という考え方。
マイスター・エックハルトの神秘主義は、セム語族の思想を出発点にしてインド・ヨーロッパ語族が育てた神秘主義で、禅の神秘主義は、ドラヴィダ語族の影響を受けたインド・ヨーロッパ語族の思想を出発点にして、シナ・チベット語族が育てて、その最上の果実をマレー・ポリネシア語族の影響を受けたウラル・アルタイ語族が手にすることができた神秘主義。
どちらも、アルタード・ステーツ(変容意識)からの呼びかけへの答えなんだけれど、酒にたとえれば、一方は小麦で作った蒸留酒で、一方は米で作ったコウジとコウボで二段階発酵させた醸造酒(「大吟醸(?)」)位違うようなものだと思います。
ケイト・ブッシュと中島みゆきを比較することで、マイスター・エックハルトと禅についてある程度学ぶことができました。これで、ゆとり教育で失われた人生の大切な時間のどれほどかを回復することができるかな?
投稿: 洛書 | 2009.05.25 12:57
曲名を、きちっと、"Careful with That Axes,Eugene"って書いたかなあ。まちがって、"that"が抜けていたら、こちらが正しい曲名です。
投稿: 洛書 | 2009.05.25 13:05
まったく意識していなかったけれど、ユーミンは「浄土教」かあ。
それで、中島みゆきが「禅」な訳だ。
そうすると、矢野顕子は「密教」で、竹内まりやは「曼荼羅本尊」と「題目」??
図式化を進めていくほど話が無理になっていく(笑)。
投稿: enneagram | 2009.05.25 16:25
"Careful With That Axe,Eugene"が完璧に正しい。訂正します。
ユーミンは、美大卒だから、ジミー・ペイジ、ピート・タウンジェント、そしてそれより偉大なジョン・レノンの翻案が容易にできたんだと思うんです。彼ら3人はみんな美大卒。ピンク・フロイドも、デヴィッド・ギルモアがハイスクール卒業(でも遺伝学者の息子)なのを除けば、残り3人は、建築学科卒の大卒で、そんなわけで、ユーミンは、ピンク・フロイドのグルーヴもすごくよく理解できたと思うんです。
それで、ユーミンは、ずっと、日本のポピュラーミュージックシーンのダサさとかかっこ悪さとか古臭さと対決しぬいてきたし、成功も収めてきた。
でも、所詮は「義理の妹」で、血縁はなし。ユーミンは、ブリティッシュロックの系譜の人間でもないし、アメリカのR&Bとも血縁関係はないんです。ユーミンは、シカゴのチェス・スタジオでレコーディングしたことなんてありません。
やっぱり、残念だけれど、"Atom Heart Mother"くらいまで、超然としたかっこいい作品は発表に踏み切れなかったんです。地方の短大卒の女性がカラオケで歌って喜ぶ種類の「商品」の供給者の段階を日本ではどうしても飛び越えられない。
それでも、美大卒のユーミンがいてくれたから、そして、ブリティッシュロックの翻案を上手にしてくれたから、現在の日本のJ-POPのある程度グローバルな発信力も可能になっているのだとも思うんです。
投稿: 洛書 | 2009.06.01 16:44
結局、若き日のユーミンが一歩抜きん出ていたのは、彼女が美大出身で、ブリティッシュロックの大天才たちが使う「言葉」の「文法」を熟知していたからだ、というのが私の意見。付け加えれば、クイーンのフレディ・マーキュリーも美大出身者です。
加えて、ユーミンは、東京生まれの東京育ち。これも、1950年代生まれとしては、有利に働いたことはほぼ確か。中島みゆきは北海道出身、竹内まりやは島根県出身、矢野顕子は青森県育ち。ユーミン以外は、土建関係公共事業投資のにおいのぷんぷんする自治体ばかりで、とくに中島みゆきの多感な青年期を形成した帯広は、自衛隊城下町。住んでいる土地の風土に、「自治」観念が希薄で、国家にぶら下がる体質の風土で、みんな小さなころを過ごしていたわけです。もう一人、優れた女性歌手を付け加えれば、小林幸子は新潟県出身者、と、こういうわけです。
ただ、21世紀になると、かつてはユーミンの出発点の非常に恵まれていた条件も、それほど突出するということもなく、音楽家としての力量は、中島みゆきも、矢野顕子も、竹内まりやもみなすぐれていて、ユーミンだけが一人抜きん出るという条件も実質上ほとんど失われている状況になったと思われます。
とはいえ、列挙した優れた女性アーティストの方々も、みんなもう、囲碁でいえば、寄せに入っていると思います。あとは、せいぜい妙手を打って得して一手あたり二目三目くらい、できる限り終局近くで悪手を出さないような努力が肝要な年齢になられていると思います。でも、この寄せの妙手が、終局に駄目をつめて地を数えるときの盤上の棋譜の美醜をかなり決定するものなのですよね。
投稿: 洛書 | 2009.06.01 18:26
東京生まれの東京育ちのユーミンが、地方出身者、実質的地方出身者のアーティストたちよりいろいろな点ではるかに有利であったとはいえ、では、ユーミンはほかの同時代人たちよりひどく隔絶しているのか?といえば、以外にそうでもありません。
ユーミンは、美濃部都政の時代、「福祉の美濃部」の美濃部亮吉都知事の時代を過ごしています。地方出身者たちの知っている現実なんて問題でないほどスケールの大きな、後先考えない大盤振る舞いのばら撒きの時代を体で知っているのです。ユーミンが、作品の受容者を「商品の購入者」として、市場との妥協点を忖度できる、わかりやすくいえば、「腰の低い商人(あきんど)にもなれる」というのは、彼女の生家が繊維製品の小売流通業者だからというだけでなく、美濃部都政の時代(権力者による巨大な有権者買収の時代)を生活現実としてよく知っているからだとも思われます。
こう考えると、ユーミンが、完全無党派の青島都政時代、多少国粋的排外的な石原都政時代にあまり振るわないのもある意味で仕方がないのかもしれません。もしかしたら、ある意味硬派の保守派の石原都政の時代が終わって、また、与野党相乗りの官僚出身の都知事が誕生して、都庁都議会国政がなあなあだらだらの都政が短期的にでも復活すると、以外に、ユーミンが息を吹き返す文脈が用意されるのかもしれません。
芸術家とて、政治的経済的存在です。どんな人も、その人の生きる時代の文脈の中で活動しているのです。
投稿: 洛書 | 2009.06.02 09:35
言い足りなかったことがあるので、もう1回コメント入れます。
故青島幸男、石原慎太郎といった、英雄的人物が目だった重要な活動をできる時節には、松任谷由実みたいな人は、少し仕事をしにくいということは確かにあるのだけれど、それでは、ユーミンの作品には政治性はなく、英雄像がないかというとこれはとんでもないことです。
ユーミンは、「恋人はサンタクロース♪」と歌うけれど、登場する恋人は英雄ではありません。ユーミンの作品の英雄は、背景に隠れていて、日本中にスキー場を作り、そのための財源を考え出して設定し、若い男女がスキーを楽しめるように国民の可処分所得を増大させ、それを可能にするために、有効有益な公共事業をいくつも創出着手する「大サンタクロース」が大英雄です。結局、ユーミンの創出するストーリーやドラマというのは、ある意味で、田中角栄讃歌みたいなものです。ユーミンは、渡部昇一、小室直樹、秦野章といった有力知識人をはるかにしのぐ田中角栄の大擁護者です。
不世出の歌姫美空ひばりは、かつて田中角栄自民党幹事長と一緒にテレビ出演して満州里小唄を一緒に歌ったそうだけれど、松任谷由実は、田中角栄のために満州里小唄を歌いません。でも、これからの時代に現れる、日本に現れなくても、中国かベトナムかミャンマーかインドネシアかフィリピンかパプアニューギニアに必ず現れる「田中角栄」のための愛唱歌を用意します。未来の「田中角栄」はきっと、中島みゆきの「地上の星」でなければ、松任谷由実のいずれかの作品を愛唱歌にしているはずです。
ユーミンの作品群みたいに、世の中に熱狂と興奮を持って受け入れられた作品が、政治性も、英雄像も皆無なんてことは、どう考えてもありえないのです。
投稿: 洛書 | 2009.06.02 13:02
しつこいけれど、「恋人」ではない、大サンタクロースというか、オオクニヌシノミコトは、背は高くなくても、いつも「つむじ風」を「追い越し」、「プレゼント」なりお土産なりをたくさん「抱えて」いなくてはいけないのです。
美空ひばりも松任谷由実も、頼もしい日本のオトウチャンのことが素直に大好きな日本のオカアチャンである、とこういうこと。ひばりさんは、角さんの嫁さんの世代で、ユーミンは娘の世代ですね。
美空ひばりも、松任谷由実も、支持政党は、自民党。
投稿: 洛書 | 2009.06.03 06:42
ちょいとWikipediaの人名ページを調べたんですが、有名な人たちが、Wikipediaで、日本語以外で何ヶ国語で記述された自身のページを所有しているか、お知らせします。
ビートたけし 33ヶ国語
坂本龍一 15ヶ国語
女性を調べると、
浜崎あゆみ 36ヶ国語
宇多田ヒカル 28ヶ国語
安室奈美恵 21ヶ国語
松任谷由実 7ヶ国語
中島みゆき 4ヶ国語
竹内まりや 4ヶ国語
矢野顕子 3ヶ国語
となっていました。日本のコンテンツがワールドワイドな発信力を獲得できるようになったのが最近だということがよくわかります。また、海外での評判は、国内での評価とそんなには一致するものでもないこともお分かりになるかと思います。
投稿: enneagram | 2009.11.18 10:05
わたしも、「ドーン・パープル」と「ザ・ダンシング・サン」の記事を書きました。
「パラダイス・カフェ」の記事では、中島みゆきとヴァン・ヘイレンの関係に言及しています。
「おとぎばなし」の記事では、ユーミンのこのアルバムの制作にも参加したジョー・チッカレリが、中島みゆきのアルバム制作でどういうひどいいじめにあっていたかも摘発しておきました。
私のブログもどうか見にいらしてください。
投稿: enneagram | 2010.11.29 14:14