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2009.04.29

1976年のギラン・バレー症候群

 2月のことだが、女優の釈由美子が難病の「ギラン・バレー症候群」にかかったという話をネットで見かけた。本人がブログに書いたものらしい。私は見ていない。ファンは心配したようだが、その後医師から1週間ほどで完治すると言われたとの話もあったらしく、軽症だったらしい。
 ギラン・バレー症候群の患者数は人口十万人に一人程度であり、難病に認定されている。が、難病の多い神経疾患の範疇で見ると発生頻度が高く、また予後は悪くないことが多い。原因は、ウイルスや細菌の感染に引き続いて発症することから、感染源に対する抗体が誤認して末梢神経も攻撃する、自己免疫であると見られている。
 インフルエンザ・ワクチンによる副作用としてごくまれに発生することがあり、2006年の厚生労働省調査では、ワクチンの接種との因果関係を否定できない4ケースの1つに相当した。通常のインフルエンザ・ワクチンではほとんど発生しないと見てよいのだが、1976年に米国陸軍で発生した豚インフルエンザの際のワクチンではやや異例ともいえる事態となり、この事件はある年代以上の米国人の記憶に豚インフルエンザとともに記憶されている。
 日本ではあまり知られていないのではないかとウィキペディアを見ると、日本版にも掲載されていた(参照)。


豚インフルエンザが人へ感染した最初の発見例は、1976年2月にアメリカ合衆国ニュージャージー州の陸軍基地フォート・ディクス(en:Fort Dix)で死亡した19歳の二等兵の検死によるものである。同基地内で発病が疑われたのは数名だったが、500人以上が感染していることが分かった。事態を重く見た保健衛生当局の勧告に従い、フォード大統領は同年10月に全国的な予防接種プログラムを開始した。予防接種の副作用で500人以上がギラン・バレー症候群を発症し30人以上が死亡したため、12月16日にプログラムは中止されたが、それまでに約4000万人が予防接種を受けた。結局、この時の感染は基地内にとどまって外部での流行は無く、死者は兵士一人だった。

 この1976年の事例が、「豚インフルエンザが人へ感染した最初の発見例」でもあったが、「この時の感染は基地内にとどまって外部での流行は無」かった。結局のところ、豚インフルエンザによる死者よりも、ワクチンの副作用によるギラン・バレー症候群による死者のほうが上回ることになり、米国に苦い経験をもたらした。
 なぜこのようなことが起きたのか。なぜこのワクチンとギラン・バレー症候群がこれほど密接であったかについては、その後もわかっていないようだ。別の言い方をすれば、ここに多少不思議な危険性が潜んでいるともいえる。
 英語版のウィキペディアの項目はもう少し詳しいので追ってみたい(参照)。

On February 5, 1976, an army recruit at Fort Dix said he felt tired and weak. He died the next day and four of his fellow soldiers were later hospitalized. Two weeks after his death, health officials announced that swine flu was the cause of death and that this strain of flu appeared to be closely related to the strain involved in the 1918 flu pandemic. Alarmed public-health officials decided that action must be taken to head off another major pandemic, and they urged President Gerald Ford that every person in the U.S. be vaccinated for the disease.

 当初豚インフルエンザによる死者は1名で、感染者は4名だった。死者が出てから二週間後に致死のインフルエンザが"1918 flu pandemic"、つまり、スペイン風邪に近いことがわかり、その発見が事態を重大な問題にした。当時のフォード大統領も早急にワクチンによる対応に迫られた、と、されている。

However, the vaccination program was plagued by delays and public relations problems. But on Oct. 1, 1976, the immunization program began and by Oct. 11, approximately 40 million people, or about 24% of the population, had received swine flu immunizations. That same day, three senior citizens died soon after receiving their swine flu shots and there was a media outcry linking the deaths to the immunizations, despite not having any positive proof. According to science writer Patrick Di Justo, however, by the time the truth was known - that the deaths were not proven to be related to the vaccine - it was too late. "The government had long feared mass panic about swine flu - now they feared mass panic about the swine flu vaccinations." This became a strong setback to the program.

 このあたりの事実は私の記憶と多少違うようにも思うが、4千万人が豚インフルエンザ・ワクチンを受けたらしい。そして老人の死者が出た。この理由はわかっていない。いずれにせよ、ここで、スペイン風邪再来の恐怖もだが、ワクチンへの恐怖が発生した。ウィキペディアの記述ではこれがワクチン接種を阻んだとしている。ここもそれでいいのか少しひっかかるが。
 いずれにせよ、パンデミックが発生し、大規模のワクチン接種を行うと、一定数の副作用による患者が発生することはごく常識の範囲ではある。

There were reports of Guillain-Barre syndrome, a paralyzing neuromuscular disorder, affecting some people who had received swine flu immunizations. This syndrome is a rare side-effect of influenza vaccines, with an incidence of about one case per million vaccinations. As a result, Di Justo writes that "the public refused to trust a government-operated health program that killed old people and crippled young people." In total, less than 33 percent of the population had been immunized by the end of 1976. The National Influenza Immunization Program was effectively halted on Dec. 16.

 さらにギラン・バレー症候群の副作用が問題になり、ウィキペディアの記述ではこれがワクチン接種プログラムを頓挫させたとしている。ただ考えようによっては、33%の人口にはこの時点で抗体ができたかもしれない。そのあたりで、今回の豚インフルエンザが米国と他国との差への影響となるか、識者の密かな関心事ではあるだろう。

Overall, about 500 cases of Guillain-Barre syndrome (GBS), resulting in death from severe pulmonary complications for 25 people, which, according to Dr. P. Haber, were probably caused by an immunopathological reaction to the 1976 vaccine. Other influenza vaccines have not been linked to GBS, though caution is advised for certain individuals, particularly those with a history of GBS.

 かくして、1976年のギラン・バレー症候群は、ある意味で不要な死者を残すこととなったが、これを教訓として見てよいかはわからない。ウィキペディアでは触れていないが、ギラン・バレー症候群との関連はよくわかっていない。
 この「教訓」は日本の識者のなかで奇妙なしこりのようにもなっている。背景には、日本国が新型インフルエンザに備え、事前に医師など関係者6400人にワクチン接種をするとしているが、これには前例がなく、実行されれば世界初の試みとなる。読売新聞「新型インフルのワクチン接種 庵原俊昭氏VS菅谷憲夫氏」(2008.05.30)で、けいゆう病院小児科部長、菅谷憲夫慶応大医学部客員准教授は次のように指摘していた。

 ――日本の対策をどう思うか。
 菅谷 新型インフルエンザに備え、欧米各国は、鳥インフルエンザウイルスH5N1型をもとにした大流行前ワクチンを備蓄している。しかし、海外で発生が確認される前に接種し、それを一般国民に広げようとしているのは日本だけ。大きな問題だ。
 ――その理由は何か。
 菅谷 最大の懸念は副反応。端的な事例として1976年、米軍の訓練基地で流行し、犠牲者が出た豚インフルエンザがある。当時、世界で4000万人が死亡した新型インフルエンザ「スペイン風邪」の再来と騒がれた。米国は即座にワクチン開発に着手し、8か月後には国民4000万人以上に接種した。しかし、その結果、難病のギラン・バレー症候群が多発した。
 ――因果関係は。
 菅谷 原因は確定していないが、ワクチン接種した人で500人以上が発病した。前年までの発病率の7~8倍に上る。ワクチンが関係しているのは明らかだ。しかもウイルスは予測に反し、猛威をふるわず、残ったのは、患者と訴訟だけ。この教訓によって、欧米各国は大流行前ワクチンの備蓄は進めていても事前接種には慎重だ。日本は、世界の常識からずれている。
 ――今回の大規模接種による副反応の危険は。
 菅谷 ギラン・バレー症候群の発生率は当時でも、10万人に1人の確率。今回のわずか6400人の臨床試験では、安全性を見極めることは無理だ。問題ないとして、社会機能を維持する医師ら1000万人、さらに接種を希望する国民へと広げれば、多数の重い副反応や死亡者が出てくる可能性がある。

 ところで、先の英語版ウィキペディアの話は比較的プレーンに書かれていたが、政治の文脈から見た異論がある。必ずしも陰謀論とも言い切れないのが微妙だが、当時の根路銘国昭WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長による「ウイルスが嗤っている―薬より効き眠くならないカゼの話」(参照)では次の逸話を紹介している。

 しかし、このフォードの早急な対応には裏があるといわれている。一説には医療専門家たちは、フォード大統領に全国民分のワクチンが必要だと進言したわけでなく、試験管にワクチンを用意し、要所に配置、いつでも対処できるぐらいの対策をとるべきと軽い提案をしたにすぎなかったというのだ。
 では、なぜ、フォード大統領は真実を曲げたのだろうか。当時、彼が置かれた政治状況を振り返ればおぼろげながら理由が見えてくる。

 として背景にあるベトナム戦争敗戦の世相に対して、強い大統領を演出したかったのではないかと言うのだ。穿った見方のようでもあるが、翌77年フォードは大統領選挙を控えていた。
 根路銘の逸話には、ギラン・バレー症候群にという結果的な失態に加え、こうも付け足されている。

 まだこれだけならフォードにも少しは称賛が残っていたかもしれない。しかし、スペイン風邪は翌年、さらに追い打ちをかけ、彼に引導を渡す。ワクチンを投与したにもかかわらず、スペイン風邪はいっこうに流行の兆しをみせなかったのだ。ますます大統領の責任が問われ、ついに大統領選で、フォードは惨敗を喫してしまう。
 歴史に「もし」はない。が、仮にこのとき、ワクチン接種が順調に進み、スペイン風邪ウイルスが大流行していたら……。おそらく、フォード大統領は国民の命を守った英雄となり、時局は大きく好転していたのではないだろうか。

 ここの判断が難しい。1976年の豚インフルエンザがパンデミックにならなかったのは、ワクチン接種のメリットというより、実際には局所化されていたからではないだろうか。とはいえ、根路銘が暗に指摘しているように、この時の豚インフルエンザはそれほどの感染力と毒性はなかったのかもしれない。
 こうした、パンデミックを政治の背景で見るというのは、いささかどうかなと疑問に思わないでもないが、といいつつそれを日本の現下の状況のシナリオとして見るのもよくないので、これにて。

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2009.04.25

[書評]コークの味は国ごとに違うべきか(パンカジ・ゲマワット)

 グローバル化する世界、あるいはフラット化する世界と言われるなか、実際の世界で現実に進行しているのは”セミ・グローバリゼーション”、つまり部分的なグローバル化である。”セミ”(部分的)という部分に着目するなら、グローバリゼーションとしての世界理解や経営戦略は端的に失敗しているし、今後も失敗するだろう。”セミ・グローバリゼーション”という現実の動向を理解しなければ国際企業も、また実際には”セミ”の部分で対応が迫られるローカルな企業も、未来において生存できない。

cover
コークの味は
国ごとに違うべきか
パンカジ・ゲマワット
 世界動向を見据えようとする思索はしばしば大局的なビジョンをシンプルに掲げることが多いし、そのようにシンプルに書かれた書籍は通俗啓発書のように理解しやすいものだが、現実からは乖離してしまう。経済活動に限らない。文化面でも「日本語が亡びるとき(水村美苗)」(参照)も同じような陥穽にあるように見える。世界の現実は、非常に込み入った”セミ・グローバリゼーション”と呼べる状況と展望にあり、その複雑性こを知力と理解を必要とするものだ。その意味で、「コークの味は国ごとに違うべきか(パンカジ・ゲマワット)」(参照)は非常に示唆深く、そして丹念な考察を提供している。大言壮語になってはいけないが、本書の内容が一般の書籍として出版されず、個別の企業に特化した形の追記が含まれるなら、おそらく数百万円という価格がついても不思議ではないだろう。
 オリジナルは「Redefining Global Strategy: Crossing Borders in A World Where Differences Still Matter(Pankaj Ghemawat)」(参照)で、直訳すれば「国際戦略の再定義:地域差が依然重要な世界における国際化」とでもなるだろう。邦題とは変わったお堅い表現だし、実際、本書はゲマワット博士による講義録をまとめたものであり、内容的にも大学から大学院レベルだろう。経済学を学んだ人、あるいは「極東ブログ: [書評]出社が楽しい経済学(吉本佳生, NHK「出社が楽しい経済学」制作班)」(参照)でも扱われている基本概念「裁定(Arbitrage)」なども知っていると読みが深くなる。
 とはいえ、経済学の「裁定」の知識がない人でも読めるように本書は丹念な解説として書かれているし、通常のビジネス書を超える内容を持つとはいえ、一般的な読者でも読めるように最善の配慮がされている。大胆ともいえる邦題の「コークの味は国ごとに違うべきか」だが、その配慮の延長としてみるなら適切でもあるといえる。各章題も変更されているが、むしろ本書を読み進める補助となっている成功例だろう。
 本書への切り口だが、この邦題の問い掛けから読み始めてもよいだろう。「コークの味は国ごとに違うべきか?」 どうだろうか? 資料と経緯を知らなければ様々な議論が成り立つ。逆に資料と経緯を知っているなら、ここからゲマワットが導いた以外の結論は難しいだろう。あたかもモーフィーの棋譜を読むような明快さがある。
 具体的に近年のコカコーラの国際展開だが、当初は単純なグローバリズム志向があり、その失敗から「グローバルに考え、ローカルに行動」というローカル重視の志向に変化していた。私は恥ずかしいことだが、そこがこの問題の事実上の解答であると思い込んでいたので、ゲマワットがそれを否定してく議論は非常に啓発的なものとなった。なかでも「グローバルに考え、ローカルに行動」というのは、場合によっては最悪の戦略になりうる。種明かしのような説明を読めば明白だが、これこそ”セミ・グローバリゼーション”とはまったく異なるものだった。
 では”セミ・グローバリゼーション”のソリューションとはなにかだが、これは一言でまとめられるものではなく詳細な分析を要するもので、その詳細説明について、本書では各種有益なフレームワークが提供されている。このあたり、レポートなら数百万円といった印象を与えるところだ。
 もっとも普通の読書として、本書に紹介されているエピソードだけ取り上げても興味深いものがある。コカコーラについては、なぜあの缶コーヒーが「ジョージア」なのか、という噂や、アトランタで開催される「コカ・コーラ世界の味」展示会で日本やその他の現地製品を試飲した米国人がその場で吐き出すという話も興味深い。
 後半にあるトヨタの例については、日本の読者なら違和感があるかもしれない。”セミ・グローバリゼーション”の成功例として解説されているが、解説の水準としては正しいとしても(集約Aggregationの例となっている)、トヨタが苦戦する現下の状況から見るといろいろ別の視点も必要だろう。
 総じて、本書のオリジナルは今となっては世界不況前の2007年9月に出版されたこともあり、その後に激変した世界の動向は明白には織り込まれていない。そのあたりで、私も読み始める前にいまさらこんな考察を読んでもしかたがないのではないかという懸念があった。が、読後の私の印象では逆で、現在の世界経済の状況はむしろ、”セミ・グローバリゼーション”の”セミ”の部分を強化していくだろうし、その詳細な議論は複雑化するように見える世界経済の動向理解の鍵を多く与えてくれるだろう。
 ゲマワットの考察は事実ベースという点で非常な強みがあり、かつ緻密な考察なので、漠とした異論を寄せ付けない印象があるが、私というローカルな状況に置かれた地点から見ると、グローバル化における文化というのは、差異の要因というより、それ自体に錯綜した複数のグローバル化の動向があるようにも思えた。これはサミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」(参照)というような対立の多元性というより、やや妄想的になるが日本文明のグローバリズムというものの予感だ。
 グローバリズムと呼ばれる運動は暗黙に西欧近代化の動向が示唆されているのだが、この対抗的に新興国では日本文明型グローバリズムとでもいうような別の普遍化はないだろうか。卑近な例では、ポケモンのようなアニメ文化や寿司といった食の文化などもその一端だろうし、中国の統制経済は巨大な日本昭和時代の模倣ではないかといったものだ。あまり深刻に考えるというものではないが、日本文明、しかもその近代化に含まれるグローバルな側面と、西欧近代化的なグローバル性とのある棲み分けのようなものが”セミ・グローバリゼーション”の”セミ”を構成しているのではないだろうかとも思えた。

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2009.04.24

とある酔漢のこと

 昨日夕方雑談のおり、SMAPの草彅剛ってなんかとんでもない事件でもしでかしたのと聞かれたので、たいしたことはないよと答え、NHKの7時のニュースにも出ないんじゃないかなと答えた。まったく逆だった。いきなりトップニュースだった。しかもニュースも10分以上占めていたのではないかな。なんだか、ニュースハイジャックといった雰囲気で驚いた。これって、NHKがお茶の間に届ける重大ニュースなのか? どうなっちゃったんだ?
 というわけで、ちょっと擁護的なエントリでも書こうかなと思っていたところ、別の人の雑談で、いやすでに民放だと擁護論がいっぱいあるよと言われた。へぇ。民放もたまには見たらとも。たまには仮面ライダー、ディケイドとかケロロ軍曹とか見ているけど、民放の報道番組って見ないからな。
 世論的にはどうなんだろ。普通に考えたら、この事件、昭和な法律「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」(参照)が適用されるはずだ。


第三条  警察官は、酩酊者が、道路、公園、駅、興行場、飲食店その他の公共の場所又は汽車、電車、乗合自動車、船舶、航空機その他の公共の乗物(以下「公共の場所又は乗物」という。)において、粗野又は乱暴な言動をしている場合において、当該酩酊者の言動、その酔いの程度及び周囲の状況等に照らして、本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由があると認められるときは、とりあえず救護施設、警察署等の保護するのに適当な場所に、これを保護しなければならない。

 つまり、「本人のため、応急の救護を要すると信ずるに足りる相当の理由がある」と思う。「シンゴー」がいたらわかってもらえたかもしれない。いずれにせよ、警察がやるべきことは保護ではないかと思うが、この法律は適用されず、公然わいせつの疑いとなった。
 なので、引き取りも議論されなかったようだ。

2  前項の措置をとつた場合においては、警察官は、できるだけすみやかに、当該酩酊者の親族、知人その他の関係者(以下「親族等」という。)にこれを通知し、その者の引取方について必要な手配をしなければならない。

 それどころか、草彅容疑者の自宅が捜索された。なんでそこまでと思うが、実際にはおそらく話の組み立て方が逆で、最初から警察は麻薬常用の疑念を持っていたのではないだろうか。毎日新聞記事「草なぎ剛容疑者:「地デジ」広報、作り直し CM中止相次ぐ」(参照)では。

 また同署は23日夕、現場近くの草なぎ容疑者の自宅を同容疑で約30分間にわたり、家宅捜索した。押収物はなかったという。尿検査も行ったが、薬物反応はなかったという。同署幹部は捜索の理由について「事件の動機や経緯を裏付けるため」と説明している。

 ブログにありがちな与太話をすると、警察は当初の予測がはずれ、法律が定めるところの保護義務を怠ったと非難されるのがいやだから、公然わいせつの疑いにしちゃえというのはありうるだろうか。もっとブログにありがちな与太話にすると、薬物疑惑を払拭するための裸一貫の大芝居だったとか……ねーよ。
 同記事では「草なぎ容疑者をCMに起用していた企業や団体は23日、相次いで放送取りやめや自粛を決めた」としてその社会的な影響に触れているが、これは株にも影響した。読売新聞記事「草なぎショック…東証の関連銘柄が軒並みダウン」(参照)より。

 草なぎ容疑者が主役を演じる映画を9月に公開予定の東宝(東証1部)の株価は、前日終値比で一時3・6%安の1327円に下落した。このほか、SMAPのCDなどを発売しているレコード会社「ビクターエンタテインメント」を傘下に抱えるJVC・ケンウッド・ホールディングス(東証1部)の株価も午前中に急落、一時は8・3%安の55円まで値下がりした。

 与太話を続ける気はないけど、マスメディアのバカ騒ぎの度合いによっては株価も操作可能だったかもしれないなと……ねーよ。
 個人的には、34歳の独身男の奇行かあとは思った。それと個人的には酒の趣味がよくないなあとも思った。毎日新聞記事「草なぎ容疑者:泥酔、知人2人と赤坂ではしご、6時間」(参照)より。

 同署の調べでは、草なぎ容疑者は22日午後8時ごろ、仕事関係者の男性と知人女性の3人で同区赤坂の居酒屋に入店。ビールや焼酎を飲み、午前1時ごろに店を出た。さらに3人で近くの別の居酒屋に入り約1時間、酒を飲んだという。
 午前2時ごろ店を出て男性と別れ、現場の公園まで知人女性と2人で歩いた。同20分ごろに公園前で女性と別れた後は1人だったという。裸になった経緯については「覚えていない」と供述しているという。

 ビールや焼酎で正体を無くすほど飲めるというのは、まだ若いということかもしれないが、30歳半ばを超えたら、ビールや焼酎が悪いとは思わないが、酒を大切にして飲み方を変えたらいいのになとは思った。というか、旨いものを食う楽しみと酒の味を人生の慰めとしてもよい年頃ではないか。「現場の公園まで知人女性と2人で歩いた」になんとなくゴーストフレンズを思わせるドラマのシーンのようなものを少し思い描いた。ドラマのシーンなら「シンゴー!」の絶叫は物陰から聞こえるだろうけど。

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2009.04.22

毒物カレー事件最高裁判決、雑感

 毒物カレー事件最高裁判決について、もう少しメディアで騒ぐのかなと思ったが、自分が思ったよりは騒ぎはなかったように思えた。別の話になるが、タレントの清水由貴子さんが自殺したと見られるというニュースもあった。哀悼したい。が、これもそれほどには話題にはなっていないような印象を受けた。どちらもごく私の印象に過ぎないのだが、なんとなく十年といった時間が自分が思っているより遙か遠くに過ぎ去ってしまったということかもしれない。
 毒物カレー事件最高裁判決だが、私は若干差し戻しを期待していた。もっとも高裁の控訴審判決を見ればそう予想はできたはずもなかった。
 私はこの事件だが、個人的には冤罪だろうと思っている。仮に林被告が犯人だとしても死刑判決にすべきではないと思っている。そのあたりを無名の人の思いとしてやはり少しブログみたいなものに書いておくべきかなと思う。
 とはいえ、「冤罪だ、不当だ」と強く騒ぎ立てる思いというか感情的なものはない。一つには、この裁判についていえば、私は警察の捜査も検察もまったく不当だと思っていない。きちんと仕事をされたと思うし、なんら理不尽なことはないと思う。さらに言えば、裁判官についてはどうかというと、これも不当だとも思わない。では、死刑判決に納得するかというと納得しない。依然冤罪かなと思っている。そのあたり、なにが違うんだということになるが、私は、法理っていうものが、その分野の一種の科学的ともいえる確実性を持っていながらも、どうも根幹において納得できない。あるいは、その最終に死刑が居座っていることに、やはり納得できないというのがある。別の言い方をすれば、死刑がないなら、それはそれで、そういうものかなという思いは強くなる。
 私は個人的には冤罪だなと思うのだが、そう書いた以上、自分の理屈なりを述べるべきなのだが、素人的な思いという以上はない。つまり、この事件、証拠は何もない。また、私の人生経験・世間の経験からしてこういう裁判が描いたような殺人はありえないと思うという心証だけである。
 もう一つ加えるなら、先ほど法理というか、裁判の制度がこれでいいのかなと思ったのは、一応今回の裁判は三審制を取り、きちんと最高裁に上げられてはいるし、高裁ではなんども控訴審があったのだが、そして私の単純な誤解かもしれないが、基本的に地裁の裁判の構図をそのまま引きずって、高裁でもそれでよし、最高裁でもそれでよしということになっている点だ。私にはこの事件、地裁の後の控訴審判決が地裁と違いはなく、控訴審の過程での疑問が十分にこなされていない印象を受けた。
 もうちょっと言うと、これはほんとに素人の印象にすぎないのだが、地裁では被告は黙秘を続け、判決が出てから、被告と弁護側がその判決に対抗するという形で供述をしたことが、なんというか地裁判決の法理に美しさとでもいうものに対する挑戦と見られたのではないか。そこがなにかボタンの掛け違いのように思える。今回の最高裁判決でも、本人の悔恨が見られないことを指摘しているが、悔恨なりは、ヒ素投入と同義ではなく、どの程度のヒ素でどの程度の死者が出るかという被告の内面の推量認識に関わっているはずだ。だが、そこが抜け落ちているように思える。別の言い方をすると、数百人も殺害しえるヒ素であっても本人は死ぬほどではないと思っていたと地裁で言ったなら、死刑にはならなかったのではないか。そのあたりの、一種の司法取引のような余地が、後出しじゃんけんはダメよ的に提示されるのは、どうなんだろうかと疑問に思う。
 この点は大阪高裁ではこうなっていた。読売新聞「和歌山毒カレー控訴審判決の要旨」(2005.6.29)より。


 被告は、いつでも犯罪に使用できる状態でヒ素を保管しており、事件は、被告が、ヒ素を飲食物に混入させて人を殺傷しても決して発覚しないという前提で敢行したものと考えられる。
 その具体的な動機目的は不明というほかないが、およそ人を殺傷する理由とはならない理不尽で身勝手な動機目的のために犯行に及んだことは確か。犯行態様は、単に無差別的な犯行というにとどまらない。被告は、ヒ素が少量でも人を死亡させ、または重篤な神経症状を引き起こす猛毒であることを知り尽くしていたこと、混入させたヒ素の量も、450~1350人分の致死量に相当する量だと認識していたはずであることなどにかんがみると、誠に冷酷で残忍な犯行といわなければならない。

 これは私の常識には合わない。まず、「混入させたヒ素の量も、450~1350人分の致死量に相当する量だと認識」というのだが、もしそうであれば、これはオウム真理教による松本サリン事件や地下鉄サリン事件に匹敵する無差別大量殺人であり、まさにオウム真理教が問われたように、このテロの思想的な背景が問われうるほどのものだ。が、林被告にそういう意図も思想もあったとは思えないし、また、ヒ素による健康被害を知りそれが致死の可能性を知っていたとしても、数百人の死者を出そうと意図された事件だったとは到底思えない。繰り返すが、であればこれは一種の思想の事件のはずである。
 また、このような大規模なテロのようなものを「決して発覚しないという前提」で行うというのがまた私には理解できない。必ず発覚するだろうと私は思うし、別の事件に関連する彼女の夫も同様に述べているが、判決では、被告はそういう認識はなかったとするわけである。
 事件や裁判プロセスのディテールについては、いろいろと詳しいかたの議論があるだろうと思うが、私はごく自分の常識からして、この事件と判決はそれほど受けれやすいものではない。冤罪の可能性は捨てきれないなか、死刑出ていることには恐怖するものがある。

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2009.04.20

[書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)、その2

 昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)であまり触れるのもなんだなと思ってお茶を濁した話題があるが、それとちょっと関連のあることで、もしかしたら、若い世代から誰かいつかこの問題を考える人が現れてぐぐることを僅かに期待して……というほどでもないが、ちょっと補足しておきたいことがある。ハーバート・ノーマンと都留重人のことだ。二人に深い親交があったことはよく知られているのだが、そこを少し超える話になる、が秘史の部類ではない。上坂もそこが気になっていたようだ。

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対論・異色昭和史
鶴見俊輔・上坂冬子
 鶴見が言うように都留が終戦工作に関わっているとすると、ちょっとこの意味合いが変わってくる史実があるかもしれないというあたりだ。結果からいうと上坂はあまり突っ込んでいない。
 事件として見れば工藤美代子の「スパイと言われた外交官―ハーバート・ノーマンの生涯」(参照)が詳しいといえば詳しいのだが。と、この読者評にもある。

昔の事を知るために, 2007/3/26
By 蛇骨婆 (東京都水天宮) - レビューをすべて見る
 アメリカの「赤狩り」を描いた映画がいろいろあるから、それを見た方は言論にもその嵐が吹きまくった事を知っているだろう。その悲劇的な事例が「H・ノーマン事件」である。六〇代以上の人々はアメリカでの「赤狩り」で都留重人が喚問され、その証言がノーマンを追い詰めたため死んだ、とか言う新聞記事を読んだことがあるだろう。その報道に対して鶴見俊輔が真っ向から反論する論文を書いたことも。今ではノーマンの論文の所説に触れるものが少ないから、まさに「埋もれた歴史家」になってしまった感がある。

 この問題の先のものを工藤美代子に期待できるかというと、最近の彼女の傾向からできそうにないのではないか。話を「対論・異色昭和史」に戻す。

上坂 話が後戻りしてすみませんが、アメリカのマッカーシー旋風に始まる日本の赤刈りムードの中で駐エジプト・カナダ大使のハーバード(ママ)・ノーマンさんが自殺されたのは昭和三十二(一九五七)年春(四月四日)のことです。カイロでのことで、都留重人さんがこの件に絡んでFBIの取り調べを受けたと新聞に報じられました。私は都留さんを尊敬していたので、とても気にかかる事件でした。あれは結局どういうことだったんですか。
鶴見 ノーマンと都留さんは非常に親しいんです。ノーマンには、ケンブリッジにいた時に共産党員だった過去があるんですが、その後は思想の幅が広くなって、カナダの外務省へ入る時にはもう離脱しているんです。でもその過去に絡めて、アメリカがスキャンダルを作ったわけですね。
 都留さんはマルクス主義者としてアメリカに行き、交換船で日本に戻る時いろいんな手紙をノーマンに託しました。それを押さえられて上院に喚問され、この手紙はあなたが書いたものかと尋問されてジレンマに陥ったわけです。否定すれば偽証罪になるし、そうだと認めればその中には現共産党員の名前が入っていますから。

 それほど秘話ということもないし、このあとの鶴見の説明もあまり要領を得ない。鶴見自身があまり事態を知らない可能性はあるし、都留も同じかもしれない。が、雑談はこう流れる。

上坂 死ななくてもいいと思うんですけどね。
鶴見 ノーマンの兄貴は、西宮にある関西学院の院長でした。クリスチャンなんですよ。ノーマンはその兄貴に遺書を残している。自分はキリスト教の信仰から離れているが、キリスト教に対する敬意を失ったことはない。つまり、スターリン主義者ではないということです。

 これもよく知られたことだし、遺書も公開されているらしい。秘話ではない。が、言われてみれば、ノーマンは、日本にクリスチャンのネットワークを持っていると言ってもいい。さらに、もし日本が生地主義なら日本人でもある。日本の軽井沢で生まれ15歳まで日本で育った。だからこそ安藤昌益研究などもできたわけだ。
 話を戻して都留が終戦工作に関連していたこと、後にノーマンがGHQで対敵諜報部要人となることには、なにかつながりはないのだろうか。
 ここで話が横に逸れるが、というか、このエントリの後半とも少し関係するので触れるのだが、ノーマンは府中刑務所に収監されていた徳田球一と志賀義雄をGHQ本部に呼んで尋問していた。このとき、志賀からノーマンは児玉誉士夫の自伝と東久迩稔彦の軍歴調査を得ている。志賀もまたソ連との関係の深い人であった。
 ここで話題を分ける。
 再び「対論・異色昭和史」に戻すと、同書で鶴見は徳田球一のことを、上坂から戦後60年について問われて語り出す。

鶴見 戦後六十年なんていっても、立派なものではないですよ。だんだん衰えているんじゃないですか。いまは国会も衰えたけど。
上坂 ひどいものですね。
鶴見 何も気がついてないんだ。終戦の時のニュース映画で国会を見てあっと思ったことがあるんだけど、徳田球一が壇上で熱弁を振るっているんです。何に驚いたかと言うと、首相の吉田茂が徳田球一にニヤッと笑っているんだよ。それがとてもいいんだ。ここにいる国会議員は、時代に寄り添って反戦平和を裏切ってきた人ばかりだ。でも壇上にはそうではなかった奴が一人いる。ひな壇にもそうでなかった奴がいる。そういう互いの感情の交流が、ニュース映画の画面から伝わってくるんだよ。あれが戦前と連続した、本当の意味の戦後なんだ。吉田茂も自分の自伝にちゃんとその瞬間を書いている。

 言うまでもないが麻生総理のこの祖父は憲兵に捉えられ40日間拘束された経験を持つ。また徳田球一は名前が琉球一番を意味するように沖縄の人でもあった。日本共産党は沖縄から創始していた。
 鶴見は、この吉田と德田の心情に「戦前と連続した、本当の意味の戦後」を見る。鶴見が優れているのは、戦後というものを、そうした歴史の連続のなかに見る点だ。鶴見は若槻禮次郎をこう語る。

鶴見 (前略)私は敗戦の時に、伊東にいた若槻禮次郎に手紙を出して会いに行ったことがある。手紙を出しておいかたら「ごめんください」と言うと、若槻禮次郎が自分で出てきた。それが裸なんだよ。褌はしていたけど(笑)広い日本間に上げてくれて「実は私一人しかおりません。家内は夕食の準備に街のほうに行っております」と言う。老妻と彼と、二人だけで住んでいるんだよ。それが何十年か前の日本の総理大臣だったわけだよ。
 それで私が質問して彼が答えるでしょう。当時はテープレコーダーがないから、筆記です。そのはじまりが「私は捨て子です。父の名も母の名も知りません」だったの。どっかで拾われて、それから学校へやられているんだよ。そういう総理大臣がいたんだ。やっぱり感銘を受けたね。
上坂 受けますね。
鶴見 本当に驚いた。だからあの頃の総理大臣を見ると、若槻禮次郎や浜口雄幸、このへんはそういうふうにして上がってきた人たちなんだ。ものすごくできて、知恵もある。それが日本の総理大臣というものだった。伊藤博文だってできたでしょう。桂太郎ぐらいまではそうだろうね。だから若槻あたりは敗戦の時まで生きて、最後は天皇のそばにいて敗戦の結果を一緒に受け止めたわけだ。それはもう大変なことですよ。そういう老人の知恵が日本を救ったんです。トルーマンのあの間違った判断があったにもかかわらず。
 だからそういう日本の歴史を、まず百五十年前まで遡って考える。(後略)

 ここで、鶴見は日本という国家の命運左右するものとして「老人の知恵」を上げる。そして、それを「百五十年前まで遡って考える」としている。
 鶴見と上坂の対談は昭和の懐古のように見えながら、実は、「老人の知恵」と「百五十年前まで遡って考える」ということの実践にもなっている。特に、鶴見の言葉を読み直してみると、「百五十年」が一つのキーワードになっていることがわかる。

上坂 いずれにせよ、アメリカには最初から勝つ自信が揺るぎなくあったわけですね。
鶴見 アメリカにはありますよ。どうして日本は負けると決まっている戦争をやろうとするのか。それはバーバード時代にシュレジンガーと私と都留さんとの三者会談で出した疑問なんだ。日本の支配層はそれほど愚かではないはずだ。ペリーが浦賀にきた一八五三年からたった十年の間にあれだけの改革をやったんだから、そしてそれが続いているんだから、バカな戦争をするはずがないとシュレジンガーは言った。でも、それは歴史家の認識なんだよ。百五十年のスパンで見てしまうのは。

 鶴見はここでシュレジンガーに反論するが、それは彼の思想の根幹を否定するのではなく、日本国が百五十年のスパンで自己を認識できたら戦争はしないという意味だ。
 もちろん、百五十年のスパンでの国家の自己認識は常に肯定的な意味はない。上坂がなぜ鶴見に憲法九条を死守しようとするかと問われてこう答える。

鶴見 しかし、兵器を作ると戦前の日本のように必ず使ってみたくなる。ブレーキがかからないんだ。それが明治以来百五十年の日本のやり方で、そこに懸念があるんです。いろんな手を打つことには賛成です。

 冷静な議論をするなら、改憲し九条を廃するという認識のほうが正しいかもしれないが、鶴見は老人の知恵として百五十年というスパンで日本を見て、この国にその前提となるブレーキはまだないだろうと言うのだ。逆に言えば、百五十年の歴史という自己認識がそのブレーキになるのだろうが、そうした生きた日本人の歴史が現在生きている日本人の感覚のなかで再生しているだろうか。

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2009.04.19

[書評]対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)

 「対論・異色昭和史(鶴見俊輔・上坂冬子)」(参照)の奥付を見ると「二〇〇九年五月一日第一版第一刷」とあるがすでに書店で販売されており、アマゾンでも発売されている。が、この対談の一人、上坂冬子の履歴には死去の情報はない。彼女は、本書が正式に出版される前、4月14日に亡くなった。17日付け朝日新聞記事「保守派論客の上坂冬子さん死去」(参照)はこう伝えている。


 「硫黄島いまだ玉砕せず」などの作品で知られるノンフィクション作家で評論家の上坂冬子(かみさか・ふゆこ=本名・丹羽ヨシコ〈にわ・よしこ〉)さんが14日午前9時50分、肝不全のため東京都内の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は弟丹羽徹(とおる)さん。

cover
対論・異色昭和史
鶴見俊輔・上坂冬子
 共同では16日付けで報道されていたので、死んでから二日後に公開されたことになる。記事中に葬儀の話もあるように、すでに葬儀が終わってからのことだった。なるほどと思ったのと、本書で述べているとおりのそのままというわけにもいかなかったのだろうなとも思った。

上坂 死んだら燃やしてもらって骨壺に入れればそれでいいんですよ。私はきょうだいに、半年は世間の誰にも知らせないでくれって言っているの。
鶴見 すごいね。
上坂 病院で死んだらそれでいいんです。病院へ入る時の保険証は本名だから死んだって滅多なことじゃわからない。そのままお骨にして富士霊園に入れてもらえばいいの。分骨して両親の墓に少し入れてもらえば、もう思い残すことはない。

 私は上坂冬子のよい読者ではないが、本書を読んで彼女に以前には感じたことのない親近感を感じたし、それはなにより兄を慕うように鶴見を慕う心配りのなかにそれを覚えた。「思い残すことはない」という彼女に何の冥福も祈る必要はないだろう。ただ、哀悼したい。
 本書は鶴見俊輔との対談で、一般的には、鶴見が左派なりリベラル、上坂が右派なり保守と見られている。先の朝日新聞記事の見出しにも保守派論客とあった。が、彼女の論客のデビューは、鶴見が創始した「思想の科学」だった。いわば、鶴見のお弟子でもあり、この対談を読めばわかるが、鶴見は上坂を高く評価していた。

30年、東京都生まれ。トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)勤務を経て59年、自らの職場体験を書いた「職場の群像」が第1回思想の科学新人賞を受賞して評論家としてデビュー。

 デビュー作品はトヨタを含む全自動車労働組合の大闘争のノンフィクションだった。上坂は原稿を鶴見に預けたものの、出版すれば彼女が特定され首が飛ぶと知って恐れていた。

鶴見 本を出したら自分が首になるだろうということで、利害が本と別のところで対立した。
上坂 そうなんです。どの顔を見ても、私が首になったって助けてくれそう見えなかったし、どれもこれも実社会で役に立ちそうにない人ばかり(笑)
鶴見 しかし、ついに踏み切って本を出した。出したら、私のところに猛烈な抗議の手紙がきた。
上坂 えっ、誰から?
鶴見 トヨタのストライキのリーダーの一人からです。なぜこんな本を出すんだって。彼はこんな本が一人の女子事務員に出せるわけはないと思ったんだ。つまり、黒幕がいると思ったわけだね。で、調べてみて私だと考え、かなり長い手紙を送ってきた。絶版にしろと。相当強気でしたけど、残念ながら一つ盲点があった。彼には私が小学校しか出ていないことの意味がわからなかったことだね。つまり、彼と私がまったく別の考え方を持っているなんて考えもつかないし、そこまでの調べもつかないんだ。だから私は手紙を無視した。上坂にも見せなかった。
上坂 今日まで半世紀、夢にも知りませんでした。
鶴見 ずっと黙っていたから。坊ちゃんとはいえ、そこは私も相当な悪人です。

 鶴見俊輔を知らない人もいる時代になったので、彼の語る「小学校しか出ていない」を真に受ける人もいたらいけないと懸念して補足するが、彼は不良少年ということで日本での教育を断念し、米国に渡り、ハーバード大学で学んでいる。「坊ちゃん」というのは、彼が戦前戦後を通して著名な政治家であった鶴見祐輔の息子であり、母方では大政治家と呼んでよいだろう後藤新平の孫にあたるからだ。
 本書には、だが、日本の「小学校しか出ていない」不良少年の鶴見俊輔の真骨頂がほんとによく表現されている。彼が心底インテリやイデオロギーにかぶれた人たちを退けたことがわかる。他にも本書では「相当な悪人です」にふさわしいエピソードが溢れている。私は、「歴史の話(網野善彦・鶴見俊輔)」(参照)や「戦争が遺したもの(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊 英二)」(参照)など、鶴見俊輔の対談をいくつか読んでいるが、本書ほどおもしろく、そして昭和史を知る上で一級資料ともいえるほどの対談はないと思う。この鶴見俊輔の魅力を最大限に引き出したのは、あえていえば、妹ともいえる上坂だろうし、彼女を表現者として世に出した鶴見の兄としての心情だろう。本書は兄と妹の親愛の対話ともいえるものだし、左派だの右派だのがいかに、徹底的にくだらないかが腹の底から笑える傑作だ。
 鶴見俊輔は80歳を過ぎた年齢になっても青年のように物を考える人だが、そのまま青年のような心理として父母に対して敵意を含んだ心情を持っている。それがその長い生涯の時間で歴史と直交する希有ともいえる言葉になって現れる。鶴見俊輔は、二・二六事件以後に書いた鶴見祐輔の遺書を語る。

上坂 金庫から出てきた遺書には具体的にどう書いてあったんですか?
鶴見 自分は親米派だから兵隊が自分のところまで乱入してくるだろうと書いてありました。恐れていますね。天皇は二・二六の反乱軍に反対だったわけだし、親父は天皇の側近の重臣とも通じていたから当初はそういう重臣層に賛同していたようです。山本五十六なんかは、海軍には三十六センチ砲がある、これが議会を守っていると思ってください、陸軍が議会を占拠すれば海軍が三十六センチ砲を撃ちますと言っていたんだよ。親父はそれを聞いているんだ。軍部が分裂して海軍が陸軍と対立していたら、陸軍が勝ったかどうかわからない。それが二・二六なんです。ともかく、そういう状況のもとで親父が軍部を抑えよう、反対しよう、平和の側にとどまろうと考えていたのは、二・二六まで。私は金庫を開けてそのことを突き止めた。
上坂 で、父上が軍部の動きに最後まで反対しなかったのを責めていらっしゃるの?
鶴見 天皇は、あの時に陸軍の動きを抑えようと思ったでしょう。親父も同じく収拾しようとしたわけですね。それが成功していたら日米戦争なんてなかったよ。反乱軍がいくら日米戦争をやろうと言ったって、天皇と重臣が昭和十一年から反乱閥の側についていたら、もっと別の体制ができていたはずです。その天皇の側が、近衛文麿の裏切りで変わってしまう。

 秘史ということでもないのかもしれないが私は知らなかった。が、これはそのとおりなのではないかと思う。またこれは秘史といった類ではないが、なるほど思わせる語りだ。

鶴見 (前略)日本国内にも一刻な人間はいました。例えば、斎藤隆夫。いったんは議会を放逐されたけど、昭和十五年の翼賛選挙に非翼賛議員として立候補していますからね。
上坂 ええ、しかもトップ当選でしたね。
鶴見 あの時に兵庫で斎藤隆夫を当選させたのは、亡くなったユング系の心理学者で文化庁長官だった河合隼雄の親父たちです。丹波篠山にいてこの戦争はまずいとわかっていたし、そういう根っこがあったから、斎藤は非翼賛でももう一回這い上がることができたんだ。
上坂 河合隼雄さんのお父さんは何をなさる方だったんですか?
鶴見 歯科医。一方、三木武夫はね、金持ちの息子だから親父の金を使って非翼賛で出てくる。その意味では三木にも何かがありますよ。だからいまも三木睦子夫人の「(憲法)九条を守る会」が残っているでしょう。翼賛議会というのは、いまの国会よりずっと立派なんだ。というより、あの頃はいまよりまっとうな人間がいたのです。根性のある人間が。
上坂 有権者も偉かった。国家の方針に沿った大政翼賛会に入らず、入れてももらえない人をトップ当選させちゃうんだから。
鶴見 ホネのある政治家は他にもまだ何人もいます。尾崎咢堂がそうですね。だから私はそのへんを見るとナチスドイツと日本は一味違う気がしてならないんですよ。その一味違うということが、いまの日本国民にわからなくなっているのが情けない。ナチスドイツと敗戦のときの軍国日本は違うんだ。人間のクオリティが違う。そこが問題なのに。

 鶴見と上坂の共通の心情がそこにはある。そして、そこから彼らは今の日本を強く批判している。
 もう一点、私が知らないだけで秘史でもない話なのかもしれないが、私はこの話には驚いた。終戦への経緯に関わる逸話だ。玉音放送についての話からこう逸れていく。

上坂 敗戦の詔勅は聞き取れましたか。
鶴見 雑音が多かったね。ただ、私はいずれ終戦がくることを知っていました。
上坂 なぜですか。その頃はもう海軍を辞めていらっしゃったはずなのに。
鶴見 七月まで軍令部にいましたが、カリエスがひどくなって辞表を出していたので、その時は休職扱い。で、少し前に都留重人が特使としてソビエト・ロシアに派遣されて戻っていたので、戸山ケ原(現・新宿区)の近くにある外務省の分室に会いに行った。外出許可を取り、大きな握り飯を二つ持ってね。戸山ケ原でそれを食べて分室に行くと、都留さんが出てきた。そうしたら、「もうすぐ戦争は終わる、日本もアメリカも支配層は天皇制を残す決断をした」と。それが昭和二十(一九四五)年の五月十日。敗戦の三カ月以上前の話ですね。
上坂 あの緊急時にそんなことがありえたのですか。
鶴見 前の章で言いましたが、アメリカの中枢での人の入れ替えがあって、対日強硬派の連中が退いていた。だから天皇制を受け入れる方向に踏み切ったわけ。都留さんはこうつけ加えました。天皇制をどういう形で残すか、あるいは残さないか、それを決めるのは我々の務めだと。都留さんとはハーバード以来の信頼関係があるから、そうやって要所要所でポイントを話してくれたんです。

 気になるのは、米国側の中枢の動向だ。

上坂 天皇制を温存しようというのは、最初からアメリカの方針だったのでしょうか。
鶴見 違います。私が都留重人さんから聞いたところによると、途中から変わったという。開戦後すぐ委員会ができて、日本をどうするかと検討した文書が残っていますけど、まず、この国は工業をつぶしたら立ちゆかないとはっきり書いてある。日本にとって必要最小限の工業が検討されていたわけだけど、その時の最長老の委員はヒュー・ボートンという農民一揆の研究者なんだ(笑)。二百年くらいのスパンで見てたんだろうなぁ。委員は七、八人だった。
上坂 そんな素朴なグループで天皇制について論じていたのですか。
鶴見 天皇制は論じられてはいません。議題になっていない。
上坂 天皇より工業のほうが優先?
鶴見 そう。当時の日本人の人口から考えて、農業と漁業で食うくらいは何とかなるだろうと検討している。はじめから日本が負けると判断して取り組んだ戦争だから、日本とはどだい思考のプロセスが違う。勝った後どうやって生かしていくかという責任がある。そのへんは敗戦日本の無責任な支配層とは段違いだ。

 私はこの委員会の関連で、ある書物のことが想起される。そのことと都留重人の関連のことでふと夢想することもある。もしかして私のブログをよく読まれている人なら、ああ、あれかと思い至ることだろうと思うので、この話はあえて書かないことにする。

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2009.04.16

そしてもう一度夢見るだろう(松任谷由実)

 松任谷由実ことユーミンの三年ぶりのアルバム。前回のは「極東ブログ: 松任谷由実と「A GIRL IN SUMMER」」(参照)に書いた。その後私は「A GIRL IN SUMMER」では「海に来て」「哀しみのルート16」「もうここには何もない」の三曲をたまに聴くだけ。「哀しみのルート16」は個人的には傑作。
 いちアルバムにひとつ傑作があればそれでいいんじゃないのという感じだったので、今回のアルバムもそのくらいの気持ちでアマゾンに予約を入れていておいた。その後、というか今、ITMSを覗いたらダウンロードだと2000円で購入できるのを知った。っていうか、これ今日公開されたのか? あと、4曲セット800円もあった。

cover
そしてもう一度夢見るだろう
松任谷由実
 今回のアルバムには、「極東ブログ: なんとなく最近iPodで聞いている曲」(参照)で触れた、そら恐ろしい曲「人魚姫の夢」が入っていて、他、「まずはどこへ行こう(ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2009応援イメージソング) 」「Flying Messenger(NHK「探検ロマン世界遺産」テーマソング) 」「夜空でつながっている(ハウスプライムカレー CMソング) 」と、すでになんとなく聞いている曲を集めているので、残りにどのくらい期待できるかなという感じだった。
 どうだったか。アルバムの実質コンセプト曲の「ピカデリー・サーカス」はかなりよかった。歌詞にわからない部分はあるし、私自身は英国の「ピカデリー・サーカス」への思いはないので、そこはわからないといえばわからないが、60年代の郷愁のこの情感はわかる。

ピカデリー・サーカスに出れば
はじめてこの場所に来たときの
何も怖くない自分のように
誰もまだ知らぬ歌と
雨に灯りだす街の灯と
そして もう一度夢見るだろう

 最後のフレーズがアルバムのタイトルになっているのだが、いちおうアルバムジャケットにはAND I WILL DREAM AGAINとあり、この英語のフレーズに典拠があるのか少し調べてわからなかったが、どうも特設サイト(参照)で旦那さんの話を聞くと、ジャケットのビジュアル上英語にしたとのことだ。つまり、今回は、日本語の「そして もう一度夢見るだろう」がオリジナルらしい。気になっていたのは、その日本語と、英語のそれとは少し語感が違うことだった。が、その差異にはそれほど意図的な意味はなさそうだ。
 この気になる日本語のフレーズでもある「そして もう一度夢見るだろう」だが、もちろんいろいろな解釈があってもいいし、おそらくあの時代の空気を知っている45歳以上の人たちの、老年期までのもう一つの未来、第二の人生としてもいいのだろうけど、私としては、これは、人が死んで、死後に人生という夢を「そして もう一度夢見るだろう」ということだと思う。
 こんなことを言うと、死後の世界を信じるのかとか野暮なツッコミが入りそうな時代になったが、別段死後の世界といったオカルトじみた話ではない。死というものをそういうある幻想領域として捉えるといったことでもある。そう難しいこと言わなくても、わかる人にはわかるだろうと思う。
 そう解釈すると、「人魚姫の夢」がわかる。

いつか あなたはやって来る 深い涙の底へ
私を目醒めさせるために
やがて 薔薇色の朝になり あなたはささやくのよ
哀しい夢だったと

 人魚姫が叶わぬ恋でその身を泡として海に消し死んでいく。人は、人生のなかで垣間見た真実のように思えたなにかに、ついに人生で裏切られて死を迎える。だが、そして、そこで目醒めるのだと、この詩は言う。どこで目覚めるかというと、死後の世界で目覚めるのだ。そして、人生は「哀しい夢」だったと知る。
 トンデモ解釈とされてもいいし、こういう解釈を押しつけたい気はさらさらないが、この情感と世界意識は、吉本隆明が後年親鸞研究を通して見つけた「死からの眼差し」でもあるし、死の境地から見た生の世界でもあるだろうし、浄土教というビジョンの思想そのものであろう。
 厳密に言えば、吉本や親鸞のいう死からの眼差しや死という地点から見た人の生の姿の場合、どちらかというと禅のように悟りに至って見える世界はそのままの世界であるというのに近い。だが、ユーミンのこの詩と情感は、より日本の文化の古層にある浄土教的な美に近いものだ。それはこの世の生の姿をそのまま肯定する自然(じねん)の思想というより、この世界のなかに超越の契機が啓示的に介入してくることの真理性にある。人はこの人生のなかで掴めないにせよ、真理と歓喜を垣間見ることで、死後の永遠を通してその生を肯定していくというものだ。ニーチェの最後の思想にも近い。と言うに、下らない言辞を弄しているようだが。
 一見ナイスなほどハウスプライムカレーな「夜空でつながっている」も、実はファミリーとか愛とかつながりではなく、死を超えていく心情に力点がある。上の段落で気違いモードで書いたことが、この死の意味であることは、私はあまりにも明らかことしか思えない。

広い この広い宇宙で なぜめぐり逢えたの
なのに それなのになぜ去っていったの
私を残して

ありがとう こんなに 愛せるひとがいるなんて
だから きっと 私は生きてゆける


 この詩では、現世では掴みえない真理性が、それ自体が一つの恩恵的に緩和されている。不合理にもそうした愛に遭遇したがそれを生きている時間のなかで賛美できるという肯定性がある。だが、人はそうやすやすと人生も恋も生きられるわけもなく、すべてが失敗に消えてくこともあるわけで、そこから最後の「人魚姫の夢」につながっていく。だから、このアルバムバージョンでは音の響きが変わっている。シングルカットでは長調転調後は希望的な響きを持っていたが、このバージョンでは明るさの現実性を弱めるように、低音やディレイをかぶせて現世感をあえて喪失されている。こんなサウンド、だれが作ったのだろうか。旦那?
 音楽的には、加藤和彦と共作かな「黄色いロールスロイス」が優れているだろうし、私は率直にいうと好きではないが、「Bueno Adios」はなにかオリジナルでもあるんじゃないかというほど、こなれたタンゴになっている。「Judas Kiss」はユーミンサウンドのある頂点というか自己模倣的な完成でもあるのだろうと思う。率直にいうと、これも私は好きではない。
 今回のアルバムのプロモーションもかねてだろうが、NHK SONGSで「第85回 松任谷由実スペシャル Part 1」(参照)と「第86回 松任谷由実 Part 2」(参照)があり、両方見た。Part 1とPart 2はコンセプトが違っていた。Part 1は地方の若い人たちと交流をする、おばさまユーミン的な話、Part 2は回想的。録画撮りされた歌は、率直にいうと残念ながらクオリティの面で問題があったと思う。また、歌手としてのビジュアルもスタジオ撮りにはソフトフォーカスをかけても無理があったように思えた。
 二回とも見て気がつくと、このエントリで書いたような「ピカデリー・サーカス」と「人魚姫の夢」の構造性はあえて脱色されていた。これはアルバムでしか表現できないものだろう。
 特設サイトで、ユーミンがためらいながら、こう言っていた。

ほんとに途中作れるんだろうか、お迎えが来るほどのグロングロンになって地獄を見たので、その分なんか全体に死と狂気がね、漂っていると思う。それだけに究極の励まし究極の慰めがあるんじゃないかな。

 そうかもしれないし、それらはすべて偽物であるかもしれない。私たちの生を鼓舞するのは、そうした美しい夢をすべて捨てたときにあるのかもしれない。そういう音楽はどんなものかわからないが、なんとなく、ユーミンはもう一歩さらにこのサウンドと詩の世界を捨てるだろうと思う。

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2009.04.15

婚活とか愚考してみる

 テレビを買い換えてからなんとなくテレビを見る機会が増え、この春からは朝ドラの「つばさ」も見ている。「ちゅらさん」以来のことではないかな。そのついでのように、NHK金曜ドラマ「コンカツ・リカツ」(参照)も見ている。おもしろいかというとドラマとしてはそれほどおもしろくはないし、これはどちらかというと現代世相解説番組のなかに入れたスキットを拡張したようなものだろう。れいによって桜井幸子という人を知らないのだが、ウィキペディアを見たら35歳とあった。ドラマの39歳の設定より若く見えるのはなるほどね。ちなみに、松坂慶子は56歳だが設定では62歳。国生さゆりは39歳の設定だが実年齢は42歳か。へぇみたいな感じ。
 解説サイトには書いてないが、このドラマ、原案がパラサイでお馴染みの山田昌弘先生と、「「婚活」時代」(参照)で共著者だった白河桃子、というか、この本がようするに原案ということなのだろう。
 趣旨は同じとも言えるのだが、今月のVOICEに「婚活」というテーマで山田先生が書いているのだが、特段、ほぉと思うほどの話でもないのだが、ちょっと気になることがあった。その前に、山田先生のボヤッキーから。


 新しくつくりだした言葉は、広まれば広まるほど誤解が大きくなり、本来の意図とは懸け離れたものになってしまう。パラサイト・シングルや格差社会のときもそうだった。自立したら損だから自立しないという日本社会の現状を批判するつもりで書いた『パラサイト・シングル』がいつの間にかブランド物を買う未婚女性はけしからんという話なった。『希望格差社会』でも、若い人から努力が報われるという見通しが失われている状況を批判したのに、収入格差はよくないという点に矮小化されてしまった。婚活という言葉も同じ道を辿るのではないかと心配している。

 で、婚活はどう「誤解」されているか。

あるバラエティ番組で「年収六〇〇万円以上の独身男性は三・五%、だから早くつかまえなければいなくなってしまう」という歌詞にされていたのにはびっくりした。

 正しい解釈としてはこうらしい。まず、高収入男性は少ないという現実を示して、

 だから私と白河さんは、未婚女性に対して、期待水準を下げること、そして、夫婦共働きを覚悟することを推奨している。つまり現実を見れば、あなたの思っているような収入の高い未婚男性が見つかる確率はたいへん低いですよ。そして共働きの覚悟をすれば男性を広い範囲から見つけることができますよ。結婚したかったら相手の収入を脇に置いて、趣味が合いコミュニケーション力がある男性を見つかることが肝心ですよ。そこで白河さんは、「女性よ、狩りに出よ」といったのである。

 はあ。でもそれは、誤解されてしかたないのではないかなとも思う。共働きでもよい結婚を求めるというのと、「婚活」という「就職活動(就活)」の比喩ではつながらないのではないか。
 で、それはそれとして、このエッセイで心にひっかかったのは、次の事実だった。よくわからないのである。

 社会学者として私がいちばん心配しているのは、結果的に結婚できなかった専業主婦志向女性の将来である。三十五~四十四歳で親と同居している未婚者は、二〇〇七年時点で男女合わせて二六四万人いる(当該人口の約一四%)。うち、約一〇%は無職、約一〇%は非正規雇用者である。

 よくわからないのは、「専業主婦志向女性の将来」がテーマのようだが、親と同居未婚者は男女一緒の統計値なので、その割合はどうなんだろというのが一つ。もう一つは、これってそんなの大きな規模の問題ではないんじゃないかということ。当該人口の約一四%で、しかも、無職・非正規雇用は二〇%ということは、残り八〇%のほうが大きく、親と同居はしていてもそれなりにキャリアは積んでいる。親の介護とかあればきついだろうけど、家は持ち家としてあるのだから一人で生きていくとしてもそれほど困難でもないというか、それ自体がその人の人生の結果的な選択という以上ないように思えるのだが。
 山田先生の懸念はこうらしい。

 しかし、親と同居し、収入の高い人と結婚して専業主婦になる予定でキャリアを積まず、家事手伝いやアルバイトをしながら、親の年金に頼って生活している中年未婚女性の将来は暗い。

cover
「婚活」時代
山田昌弘, 白河桃子
 だが、それは先の統計で男女半々とすると、その懸念に該当するのは、26万人くらいではないかな。社会動向として多いと言えるのだろうか。つまり、それは時代の趨勢というか変化のなかのライフスタイルの変化の許容のうちというだけといことはないのか。だとすると、そうした許容を社会不安にしないような社会設計(持ち家を担保にした年金とか)の問題ということではなのか、個人の婚活とかではなく。

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2009.04.14

「ゆとり世代」という考え方がわからんな

 「ゆとり世代」についてというか、「ゆとり世代について書かれたもの」についてちょっと心が引っかかっているのだが、どうもうまくまとまらない。気にはなっているので、少し書いてみようかと思う。
 気になったきっかけは先月の月刊文藝春秋「「ゆとり世代」社員はやはり非常識」(ジャーナリスト山内宏泰)という記事だ。ところで、この山内さんって誰?というか、私は知らない。文春に書いているのだから、なにか単著でもあるのかなと見ると、「彼女たち―Female Photographers Now」(参照)というのがある。ほぉとおもって、著者略歴を見るとこう。


著者について
1972年愛知県生。フリーランスライター。写真をはじめとする美術、都市論、教育問題、人物ルポなど幅広い分野で執筆活動を行う。
主著:『フォトグラファーになるには』(共著・ぺりかん社)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山内 宏泰
1972年愛知県生まれ。フリーランスライター。写真をはじめとする美術、都市論、教育問題、人物ルポなどの分野にて執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 ということで、写真関係のライターさんのようだ。というか、1972年生まれなのかと、ちょっと驚いた。私くらいの年代のかたかなと思っていたからだ。そうではなかった。今年37歳かあ。うーむ、いや、標題に「非常識」とあり、さすれば「常識」にスタンスを置くわけだが、30代で常識を論じるものかな、とちょっと思った。いや、別に批判というわけではないが。
 こうして著者さんの履歴を見ると、同エッセイが沢尻エリカのエピソードで始まるのもなんとなくわかる面はあるな。

 映画公開時の舞台挨拶といえば、主演女優にとっては晴れの場だ。最高の笑顔を振りまくべきところのはずだが、そんな常識など通用しなかった女優が一人。何を質問されても仏頂面で「別に……」と繰り返す。その不遜な態度から若者たちの間で「エリカ様」と呼ばれる女優、沢尻エリカである。
 彼女は一九八六年生まれの二十二歳。今年卒業して企業にやって来る新入社員と同じ年代だ。一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて学校教育の現場で「ゆとり教育」を受けた。いわゆる「ゆとり世代」でもある。

 私はこの沢尻エリカという女優さんをほとんど知らない。ハーフかクオーターだったかなと思ったが、別のAV女優と勘違いしているかもしれないというか、いやそれはないか。
 ところで話は少し飛ぶのだが、先日、10歳ほど年下の人と話していて、私は「あー、今年の新入社員って、あれですね、私の子どもの世代なんですよね。団塊チルドレンからコマが進んだ感じですね」と。で、答えはなかった。返答しようもないよね。
 私の青春時代っていうか、男でも26歳くらいで結婚していたというか、実際仲の良い友だちがそうだったが、それが1983年か。28歳で結婚しても1985年。翌年子どもが生まれると、エリカ様の年代になるわけか。ガーン!とか言わない。いや、全然実感ないので、困っている。ただ、「ゆとり世代」って私の子どもの世代なんだなとは思った。
 つまり、私の世代が子育てしてできたのが「ゆとり世代」なのだろう、ということだが、うーむ、まるで実感がない。話がねじれてきたが、ようするに「ゆとり世代」というのは、山内宏泰が言うように、90年代から2000年に学校教育の現場で「ゆとり教育」を受けたから、そう呼ばれるのだが、では、親の世代である私たちは、どうなんだろ? ちょっと補助線的にいうなら、親としての自分たちの世代はこの「ゆとり世代」にどう関わってきたのか。あるいは、子どもたちの学校教育とやらにどう思っていたのか?
 どうもそのあたりが、親の世代としての私に問われてもよさそうなのだが、つまりだな、学校教育が「ゆとり」でだから非常識っていう話ではなく、ようするに親が非常識だから子どもが非常識というだけなのではないか。そして、自分を省みると、たしかにオレは非常識だよなとは思う。ただ、なんか違うというか、よくわからない。
 実際のところ、たとえば、はてなダイアリーとかはてなブックマークとかのコメントとか見ていると、これが「ゆとり世代」かと思うことはある。いや、実際は、ネットでぶいぶいしている世代は、それより10年上だったり、先日驚いたのだが、朝日新聞のけっこうなお年の社員が2ちゃんねるで匿名罵倒とかやっていたりして、どうも年代とは関係ないようにも思う。まことによくわからない。
 が、山内のエッセイで気になったのは、そうは言っても、たしかに、当たっているところもありそうな感じ、というあたりだ。

 では、「ゆとり世代」の若者はどのような特徴を持っているのだろうか。「ひと言でいうと、教養と気概を教育されなかった子供たちなのです」
 そう語るのは、安倍内閣時の「教育再生会議」の元委員長であり、「百ます計算」で知られる立命館小学校副校長の陰山英男氏だ。

 はあ。

「彼らは個性尊重の名の下で『やりたいことをやりなさい』と育てられてきました。人は苦境や困難を乗り越えることで成長し、自信を得ますが、ゆとり教育というのは彼らが越すべきハードルを取り除いてしまおうという発想でした。ですから、彼らは何かを克服しようという気概がなく、成長の機会も逃してきた。

 そうかなあ。違うようには思うが。やりたいことがやれないという挫折が放置されてきたということではないかと思うが、まあ、いいや。気になったのはこの先だ。

 陰山氏は「ゆとり教育」を受けた世代の全体的な特徴として、次の三つの傾向が見られるという。
①問題を社会のせいにしがちなこと。周囲の人間や社会に対する不平不満、批判が多い。
②「物事はうまくいって当たり前」と考えていること。少しでもうまくいかないとマイナスだと捉え、自信を失ってしまう。
③このダメダメな状況を一気に解決する夢のような方法がある、と信じていること。

 先にはてなダイアリーとかはてなブックマークとかのコメントに言及したが、あれ見ていると、ゆとり世代に限定されないけど、①と③は強くその傾向があるような気がする。つまり、問題は社会にある、そして、それを一気に解決する方法がある、というあたりだ。
 これが「正義」に集約されるか、技術に集約されるか、あるいは学歴などに集約されるか、いずれにせよ、自分が依拠する集約点を持つような気がする。つまり、まるでストリートビューに人間のアイコンを置くように、あるポジションに自分を置くことで社会が批判でき、解決が主張できるというふうな類型がありそうに思える。あるいは、ウィキペディア的な知識に正解があって、それ以外は間違いといった。
 で、これは「ゆとり教育」とは何か違うと思うのだが、よくわからない。
 もう一つ気になるのは、②で、これはそうなんだろうか。違うようにも思うのだが、が、というのは、事態をプラスかマイナスかのどっちかに分けるというのはありそうだ。
 これはなんなのだろう? 
 こうした世代の世界観にはヒールの魅力みたいなものはなさそうだし、語感という感じはないんじゃないかな。自分が語っている言葉には歴史が背負わせた語感というのがある、とは思ってなくて、言語とはコードくらいにしか思っていないのではないか。あるいは、言葉がその表出と意味の二面だけであって、言葉が担わされた歴史の姿みたいのはなさそうに思える。
 なにかがよくわからない。
 別段私は「ゆとり世代」批判をしたいわけでもないし、そもそも「ゆとり世代」という規定は違うように思う。
 なんなんだろとは思うが、いずれにせよ、現実世界には、ダメダメな状況を一気に解決する夢のような方法は存在しない。なので、社会不満は膨らみ続けるだろうし、自身をそうした不合理な社会の構成要因としては見ないではないかなとは思う。

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2009.04.12

些か弥栄

 エントリのネタがないわけでもないけど、書いてもしかたないな感みたいのがあったりして、かくしてまたブログに穴があきそうな感じもしないでもない。じゃあ、くだらない話でも……と、最近のくだらない話といえば、麻生首相が「弥栄」を「いやさかえ」と読み上げたというのがよいだろう。実にどうでもいいようなくだらない話で、こんなのニュースになるのかというとなったから聞き及んだわけだ。11日付け毎日新聞「麻生首相:皇室の「いやさかえ」 両陛下の前で…」(参照)より。


 麻生太郎首相は10日、祝賀行事や記者会見で言い間違える場面が相次いだ。
 皇居・宮殿松の間での天皇、皇后両陛下の結婚50年の祝賀に閣僚ら約50人と出席した首相は、参列者の代表として両陛下の前で、紙を見ずに繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と述べ、「皇室の“いやさかえ”を心から祈念し、国民を代表してお祝いの言葉とさせていただきます」などと語った。
 午後5時からの首相官邸での記者会見では、「社会保障」を「社会保険」、09年度の「国債発行額」を「国債発行残高」、「公共事業の占める比率は2兆4000億」を「2兆5000億」と言い間違え、官邸報道室が訂正を発表した。

 あえて全文引用したのは、毎日新聞記者はこれをがちな言い間違えだと認識していそうだというのがわかるようにということ。ただし、終段の含みが重要だったりするかもしれない。
 日経にもある「「いやさか」を「いやさかえ」 首相、祝賀行事で言い間違え」(参照)。共同でも「祝賀行事で首相言い間違え 「弥栄」を「いやさかえ」」(参照)がある。これをニュースだとしたのは共同だろうか。
 産経も「麻生首相「弥栄」を「いやさかえ」と言い間違え 両陛下の祝賀行事」(参照)があるがすでになぜかリンクが切れている。魚拓があるかなと思ってみるとあった(参照)。産経が最初だっただろうか。
 ところでその後ネットでは、「弥栄」を「いやさかえ」と読んでもよいといった典拠が流れ、先日の「こころずかい」と似たようなことじゃないかというような話題でもある。どうなんだろうか。
 「こころずかい」の時は、私は、それはあながち間違いとも言えないなとは思ったが、「弥栄」を「いやさかえ」というのはどうだろうか。麻生さんご自身のサイトでも「靖国に弥栄(いやさか)あれ」(参照)とあり、また、これは「万歳(ばんざい)」みたいな慣用句なので、「いやさかえ」と読んだのはやはりただのミスだったのではないか。ただ、官邸報道室での記者会見では訂正はなかったようなので、そういう読みも問題ない許容という認識はあったようにも思える。いずれにせよ、ニュースにするほどのことでもないことで、くだらないなとは思った。
 で、それから、「弥栄」を「いやさか」と読むのは、慣用だとして、「いやさかえ」と読みうるだろうかとふと疑問に思った。歌舞伎では「弥栄芝居賑」(いや栄え芝居の賑わい)という演目があるらしい。「弥栄華持芝居賑(いや栄え華持つ芝居の賑わい)」とも言うらしい。私はこの言い回しに語感がないが、言いそうな感じはする。ただ、その場合、「弥栄」は「賑わい」に掛かる形容詞句的なものになる。「天皇弥栄」という用例と同じだろうか。
 ところで、私は高校生時代ひょんなことから万葉集が好きで、けっこう暗唱していたものだった。茂吉選の万葉秀歌は当時は全部暗唱できた。で、そのくらい暗唱すると、それなりに古語の語感のようなものが出来てくるのだが、そのあたりで、「弥栄」にひっかるものがある。余談ついでだが、私は高校生のころ短歌をよく作っており、しかも与謝野鉄幹ではないけど、古今集はくだらないぞ、歌はますらおぶりだぞとか当時は思っていたこともあった。それもあって、万葉の古語と古今の古語の歌の語感は興味深かった。
 ちょっと調べると、巻18の4111に家持の歌にある。

み雪降る冬に至れば霜置けどもその葉も枯れず常盤なすいやさかばえに然れこそ神の御代より宜しなへこの橘を時じくのかくの菓実と名付けけらしも

美由伎布流冬尓伊多礼婆霜於氣騰母其葉毛可礼受常盤奈須伊夜佐加波延尓之可礼許曽神乃御代欲理与呂之奈倍此橘乎等伎自久能可久能木實等名附家良之母


 ということで、「いやさかばえ」というコロケーションで「はえ」を必要としてる。漢字を充てるなら「映え」であろう。すると、「いやさか」は「非常に」くらいの副詞句的な機能があるのだろう。
 こんなことを言うののは、「いやさか」に「弥栄」が充てられているのは、「いや」単独で「非常に」の語感を持っていると理解されているのではないかなと思うからだ。つまり、「いよいよ(ますます)」+「栄えよ」で「弥栄」といった。麻生首相もそう理解しているから、「いやさかえ」とつい読んでしまったのだろう。
 が、この「栄」なのだが「栄え」「栄える」を「さか」として充てるものだろうか? と疑問に思い、以前「極東ブログ: [書評]日本語の語源(田井信之)」(参照)で触れた同辞典に当たってみて、ちょっと驚いた。「いやさか」を「弥尺」としている。
 これは一般的な解釈なのかとぐぐってみるとほとんど情報がない、が、「新版 祝詞新講(次田潤)」(参照)にこうあるようだ。

「八尺」の意義については、従来弥栄の義であるとか、弥真明の義であるとか解釈せられていたが、弥尺の義で、長い緒に貫き連ねた意に見るのが穏当である。

 として「八尺」(やさか)について、「弥栄」の義ではなく、「弥尺」としている。「弥尺」は「長い緒に貫き連ねた意」としている。
 もちろん、これは話の方向が逆で、「八尺」は「弥栄」ではない、「八尺」は「弥尺」であるという議論なのだが、それでも、「さか」に「尺」が充てられる事例である。
 田井の議論に戻ると、単純に「いやさか」を「弥尺」としている。意味も、よって、「とても長い」というだけになる。"very long"といった感じだが、これはむしろ家持の歌にも適合する。「いやさかばえ」は"long duration glow"といった感じだろう。
 田井はさらに万葉集が歌われた時代に、「いやさか」は「やさか」に音変化があると見て、「八尺の嘆き嘆けども」の用例を上げている。
 これだけをもって、「いやさか」を「とてもながく」の意味だけだという論にはならないが、「栄」は近世以降の宛字の可能性はありそうだ。
 ついでに田井の「弥」、つまり「彌」の考察を見ていくとおもしろい。どこまでが本当なのか、まるで判断できないが、それっぽい感じはする。

  • 「彌俄かに」→「やにわに」
  • 「彌妄りに」→「やだりに」→「やたらに」
  • 「彌実に」→「いやげに」→「やけに」
  • 「無理に彌無理に」→「むりやりに」
  • 「彌いみじくも」→「やみじくも」→「やみくも」
  • 「彌無茶な」→「やんちゃな」
  • 「彌姦し」→「やかまし」
  • 「彌罵る」→「やじる」
  • 「彌立つ」→「よだつ」
  • 「彌芽吹く木」→「やまぶき」
  • 「彌長枝」→「やなぎ」

 ほんとかねという感じだが、「彌生」→「やよい」はまさに「弥生」である。ちなみに今日は弥生十七日で、野山は「いや生い(ますます生い茂る)」といった風情だ。
 案外田井の考察の大半は当たっているのではないか。というか、このあたりの俗語の語源は、意味側のこじつけより、音変化で見るほうが妥当だろう。ただ、田井はこの研究の成果だけをまとめてしまって、地域的なまた歴史的な変遷についてはあまり触れていない。

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2009.04.10

フィナンシャルタイムズ曰く、頑張れ、麻生太郎

 ブログ更新にまた空きが出てしまった。この間、何があったかな。あまり世事に疎くなってもなんなので、NHK夜の7時のニュースはできるだけ見るようにしているが、それでもどうでもいいニュースやスポーツには関心がないので、いったん録画して、8時頃飛ばし飛ばしという感じで見ている。私は犯罪事件にはだんだん関心がなくなりつつあるせいもある。さてこの数日なにがあっただろう? 半井さんのファッションがレトロっぽくなったなくらいしか思い出せない。
 株価は上がったか。つまり、なんとか日本政府ももちこたえているということだろう。というか、15兆円真水というのはいいんじゃないの。いちおう公式予想としては需給ギャップが20兆円とされ、真水の乗数効果もそれに見合うということで、辻褄はあっているのではないかな。高橋洋一はもっとギャップがあるように推測していたが、なにかとしかたないでしょう。
 そういうわけで、麻生さんを叩いて総選挙総選挙と騒いでいた勢力も少しは沈静するのかなと今朝の大手紙の社説を眺めたら、いやなかなか手厳しい。朝日新聞社説「15兆円補正―大盤振る舞いが過ぎる」(参照)より。


 米国政府に「国内総生産(GDP)の2%相当の財政刺激」を約束した麻生首相は2%、つまり10兆円規模の財政支出を指示していた。しかし、総選挙を控えた与党の議員から「需要不足が20兆円超とされるのに足りない」といったむき出しの要求が高まり、膨れ上がった。
 この結果、すでに決定ずみの対策も合わせると、今年度の財政出動はGDP比3~4%程度となる。超大型景気対策をとっている米国や中国とも肩を並べるような水準だ。いくら深刻な経済危機に直面しているとはいえ、先月成立した経済対策の予算執行が始まったばかりの段階で、これだけ大規模な追加対策が必要だったのだろうか。

 自民党員がごり押しして10兆円増やしたが、こんな大規模追加は不要だったのではないかというのが朝日新聞さんの御主張なのだが、え? 需給ギャップ、知らないのか。
 いやそう無碍に否定するのではなく、朝日新聞はどういう理屈なのかというと。

 「規模ありき」で性急に検討が進んだため、メニューには不要不急の項目がかなり紛れ込んだようだ。

 不要不急の項目があるからイカンということらしい。しかしな、そんなことに手間どっている事態じゃないと思うが。
 他の社説はどうかと見るに、読売新聞社説「緊急経済対策 「真水15兆円」を賢く使え」(参照)はごく妥当な見解。

 15兆円の財政出動で約20兆円の需要が生まれるとの試算がある。日本経済の需要不足を穴埋めできる数字だ。内閣府は、7%台に上昇しそうな失業率が5・5%程度におさまると見込む。経済情勢からみて規模は妥当と言えよう。
 政策メニューには、雇用対策や中小企業の資金繰り支援など不況の痛みを和らげる応急策に加え、消費や投資など内需を呼び起こす政策も幅広く並んだ。米国など海外経済は早期回復の道筋が見えず外需に期待できないためだ。

 毎日新聞社説「15兆円対策 大盤振る舞いの結末は」(参照)は、予想通りのご意見なのだが、需給ギャップに触れてないようなあたりがちょっと痛過ぎる。日経社説での言及はなかった。明日に触れるのだろうか。
 社説で朝日と毎日のトーンが合うのはたいていはイデオロギー的なものが多いのだが、今回の件はごく経済の基本ということだと思うのだが……と考えていや、これってイデオロギー的な問題なのか。両方とも総選挙総選挙と吹かしていたから、それで経済の話もねじ曲がっているのだろうか。よくわからない。よくわからんのは、今回の真水だが、全体象で見るなら民主党も20兆円規模で大して変わるわけでもない。目下の政局で問われているのは経済なんで、そこに選択肢がない状態で企業献金がいかんとかわけのわかんないことでがたがた騒いで総選挙してもしかたないじゃん、と思うのだけど。
 そういえば、真水発表のちょっと前になるが、フィナンシャルタイムズは麻生内閣を評価しているようだった。gooあたりに翻訳記事が出るかと思ったし、他でも外信のネタになっているかなと思ったが、特に見当たらなかった。フィナンシャルタイムズが麻生内閣を批判すると日本では記事になるのに、褒めると記事にはならないものなのか。
 5日付けのフィナンシャルタイムズ社説”Not time to pause”(参照)ではこう指摘した。

The government, on the other hand, now seems to see the depth of Japan’s predicament. It is preparing a further stimulus – its third this year – to be unveiled in April. From the current vague plans, the content seems good; putting money in the wage packets of low earners who have not enjoyed income growth for years is socially fair and will help increase domestic demand. Health and social care are also perfect areas for public investment in an elderly and ageing economy.

他方、日本政府はようやく、日本の困窮の深さを理解したようだ。4月に公表されることになっている、今年三度目の追加刺激策を見るとわかる。現状の曖昧ではあるが計画によると、内容は良いと言える。例えば、近年の経済成長の恩恵を受けてこなかった低所得者の賃金増加策は社会的にも公正である。また、それは国内需要を高めることに寄与するだろう。高齢化の進む経済では、健康保険・社会保障は、公共投資に最適な分野である。


 規模については言及してないが、麻生内閣の経済対策を概ね是としている。一番の評価ポイントは三度目という追加部分であるだろう。
 麻生総理への期待も高い。

Taro Aso, the prime minister, had trouble getting budgets through the Diet earlier in the year because of his weak position in the governing coalition. He seems to have done enough to quell this parliamentary mutiny, delaying the need for an election. Japan’s political paralysis has, for the time being, cleared up. But Mr Aso must now be brave and use his authority to push through the stimulus measures he has proposed. Japan can ill afford to wait.

麻生総理が今年始めの国会で予算通過に苦戦したのは、連立政府内での弱い立場によるものだが、総選挙の要請を遅らせつつ、国会での反対勢力を十分に押さえ込んだもようだ。日本の政治的な麻痺状態は、しばらくの間ではあるが、解消している。だから、麻生総理は今や勇気をもち、その権限を使い、提案された経済刺激策を押し通さねばならない。日本に停滞している余裕などないのだ。


 すでに経済刺激策がごりっと進むことになったので、フィナンシャルタイムズ的にはアッパレ麻生総理というところだろうし、これは国際的にもそういうことなのではないか。
 ところで同社説だが、日銀にも言及している。「他方、日本政府は」という前段ではあるが。

Through this crisis, as before, the Bank of Japan has been overly hesitant. It must reflate the economy; after months of fiddling with micro-cuts in interest rates, it is, finally, edging towards unconventional measures. It must be bolder, and boost the supply of money to the economy by a greater degree. It is time for Japan to return to formal quantitative easing.

今回の経済危機にあって、以前と変わらず日銀は過度に及び腰だった。日銀はリフレ政策を実施しなければならない。ご機嫌うがいよろしく金利をちょぼちょぼと下げてみる数ヵ月の後に、ようやく、前例無き手法に向かいつつある。日銀はより大胆にならなくてはならない。かなりの規模で、日本経済に貨幣供給を行わなければならないのである。今や、日本は、公式に量的緩和に戻るべき時期にある。


 だから、リフレしろ、日銀、と。
 ああ、なるほど、もしかしてこの社説があまり話題にならなかったのは、麻生頑張れというより、日銀への強いご意見への日本のメディアのご配慮だったりして。どうなんでしょうね。まあ、リフレしろよ、日銀、だろうと思うけど。

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2009.04.05

ファー!

 長距離弾道ミサイル「テポドン2」改良型に搭載された人工衛星が北朝鮮から打ち上げられ、一段目は秋田県西の日本海、さらに日本上空を越えて二段目は太平洋に落下した。懸念された日本領土内への落下物はなかったようだ。人工衛星として成功したかどうかについては、いずれ北朝鮮から音曲豊かな報道があることだろう。とりあえずこの数日の、日本国内の大騒ぎは終わった。
 今回の打ち上げだが、私は初期の段階で失敗するのではないかと思っていた。理由は、燃料やエンジンのテストが十分にできておらず、しかも国際社会での北朝鮮のプレザンスに焦る印象が感じられたからだ。また「極東ブログ: 北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連」(参照)でも触れたが、あの事件はミサイルと関連があるのではないか、ミサイル燃料の扱いに不慣れなのではないか、という憶測を持っていた。
 私の予想に反して、北朝鮮の「人工衛星の打ち上げ」は、射程を伸ばせた点で、成功した。見事と言っていいのではないか。
 1998年8月にテポドン1号が日本上空を超えたものの、2006年7月のテポドン2号は飛翔に失敗している。この間、十分にエンジンや燃料のテストをしたふうでもない。無理でしょ、ダメでしょ……しかしもし成功したなら……とよからぬことも僅かに思った。私はこうした問題にはけっこう楽観主義なので、失敗するでしょうと高を括っていたのだが、間違った。なので、よからぬ話を少し。
 今年の2月、イランは人工衛星を搭載したサフィール2の打ち上げに成功したが、この技術もまた弾道ミサイル開発・改良にも転用可能なものだった。成功に至るまでは、人工衛星を搭載せずに3回ほど実験している。そのくらいは普通する。なので、いくらこれまでイランにノドン技術を提供したミサイル技術先進国の北朝鮮でも、新型の実験をしないことにはね、と思っていたのだが、これは逆に考えることもできる。北朝鮮がイランの実験をパクっていたのかもしれない。ただ、サフィール2とテポドン2の関係は私にはよくわからない。
 2007年2月にイランは前段となる観測ロケット打ち上げに成功しているが、これについて米民間軍事研究機関グローバル・セキュリティーはテポドン2の技術をベースにした可能性を指摘している。また、英軍事情報企業ジェーンズ・インフォメーション・グループはイランのロケットについて、テポドンの組み立て施設に類似していると指摘していた。フカシのようだが、一応専門スジの観測なのだろう。
 これに対して、2008年11月にイランが実験した地対地ミサイルであるセッジールのほうは、ノドンに起源をもつシャハブ3を改良したものだった。なので近年までイランと北朝鮮のミサイル技術協力があるかというのがこのミステリーを解く鍵になる。この年、実験に先立って、イラン反体制組織・国民抵抗評議会はそうアナウンスしていた。読売新聞「イランの核弾頭開発、北朝鮮が支援」(参照)より。


 同評議会によると、テヘラン南東部ホジルの丘陵地帯に秘密開発拠点があり、北朝鮮技術者が核弾頭の形状やミサイルの空力設計で協力している。北朝鮮技術者の関与は約2年前から強まり、専用の宿泊施設があって、多いときは数十人が滞在。秘密拠点には地下施設もあり、核爆弾を起爆する高性能爆薬の爆発試験が行われているという。

 こうした情報の系列だが、3日読売新聞「北朝鮮のミサイル開発、イランが協力か…米専門家指摘」(参照)では、グローバル・セキュリティーの情報からこう指摘していた。

 3月26日に公表された、北朝鮮・舞水端里(ムスダンリ)に設置されたミサイルの商業衛星画像を見て、米民間研究機関グローバル・セキュリティーのミサイル専門家チャールズ・ビック氏は「発射場でほこりを防ぐ構造がイランの設備とそっくり」と述べ、ミサイル組み立て施設のレイアウトもイランの建物と酷似していると指摘する。
 衛星写真を解析すると、管制設備の付近にバスや賓客用乗用車が確認できたという。ビック氏は「テヘランからの客だろう」と話す。同氏によると、イランには北朝鮮のための専用エンジン試験場があり、今回発射されるとみられるテポドン2改良型のエンジンもイランで燃焼試験が繰り返されたとみられる。
 また、米政府当局者は本紙に「イランの技術者は、たびたび北朝鮮を訪れている」と明言する。

 こうした情報の真偽はなかなか日本からは確認できないが、私としては、テポドン2がすんなりお見事に成功したということが、これを多少なりとも裏付けてしまう面があるのではないかと思うし、おそらく米国や西欧社会にとって、テポドン2はイランの文脈の意味を持つのではないか。
 あと余談めくが、テポドン2発射アナウンスに呼応したように沖縄にF22が16機もやってきて演習していた。関連の暗黙のメッセージを北朝鮮や中国にデモンストレーションで伝えるというということなのだろう。実際の人工衛星発射予定日前には撤収した。F22については、当初オバマ政権下では開発・生産縮小の声もあったようだが、免れるようだ。
 今回の北の人工衛星も結果的にMD産業を支えることになったし、F22も同じく栄えていくのではないか。ぶっちゃけ、MDというのは北朝鮮の脅威というより米国の長期的な対中国の軍事的な問題だし、F22もそうした流れにある。北朝鮮の脅威というならテポドン2ではなく、300発もあるといわれるノドンのほうで、今回の「ファー!」は日本の国防という点ではあまり関係ないようだが、世間の空気はけっこう変わったなという印象はもった。

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2009.04.02

やっぱり、ガイトナー案はアンクルサムのヘッジファンドだね

 先日の読みづらくわかりづらいエントリ「簡単ガイトナー案」(参照)を書いたおり、ぶっちゃけ日本のジャーナリズムのガイトナー案理解って違ってんじゃないのという疑念があった。他、経済関係のブログでもそれほど話題にしている風もないように思えた、もっとも「寡言にして」ということかもしれない。もうちょっと言うと、ガイトナー案を受けた米国のエコミストたちの緒論を観賞している風の趣に過ぎなかったように思える。まあ、どっちでもたいしたことはないけど。
 で、私は、これってようするに、民間のヘッジファンドがへたれたから、今度は米国国家がヘッジファンドをやりますよ、ということだと思った。


ようするに手元の持ち金のない人でも、公的機関というか日本でいったら日銀がカネ貸すから、ちょっくらヘッジファンドやってみないかね、そこのお兄さん、みたいなことでは。っていうか、国家がヘッジファンドに加わるのかよ的なことなんじゃないか。

 そこがポイントじゃないかな、と。そうしたらサミュエルソンがやはりずばりそこを突いてきたので、思わず膝ポンだった。”Geithner's Hedge Fund”(参照)より。

Call it Uncle Sam's hedge fund. The rescue of the American financial system proposed by Treasury Secretary Timothy Geithner is, in all but name, a gigantic hedge fund.

これは「アンクルサムのヘッジファンド」と呼ぶべきものだ。ガイトナー米財務長官が提案した米金融システム救済案は、事実上、巨大ヘッジファンドである。


 やっぱり。
 となれば、なぜ国家がヘッジファンドをやりますよということなのか、が、その成否の予想以前に問われることになる。が、どうも、その議論もまた「寡言にして」知らない。というか、話が少しずれるが今週のニューズウィーク日本版でもそうだけど、どうも、端的に言うと、偉大なる批判者というかクルーグマンに関心が向きすぎているように思える。
 クルーグマンはガイトナー案を否定している。ご本人のブログをフォローすればわかることだし、そのフォロワーは日本にも少なからずで、そのご託宣をそのまま鵜呑みにしているふうでもあるが、ここではニューズウィーク記事「オバマを揺さぶるノーベル賞の声」から孫引きすると。

 クルーグマンのコラムやブログ「リベラルの良心」によれば、ティモシー・ガイトナー財務長官らは「ウォール街の手先」だ。


2月10日、ガイトナーがオバマ政権の金融安定化策を初めて発表した日のコラムで、クルーグマンは「絶望した」と記している。

 本来なら、問題は、ガイトナー案とクルーグマンの批判の、金融についてのテクニカルな部分になるはずなのだが、同記事が指摘しているように、話題としてはオバマ政権をどう見るかになっている。
 このあたり簡単にばさばさと言ってしまうと、ブッシュ政権のときは、朝日新聞を筆頭に日本のジャーナリズムは大義なき戦争を進めた論外の武力行使の政権であり、しかも世界金融を崩壊させた張本人というくらいの安易な理解で論を張っていられたが、実際、希望の星、オバマ政権になって、ふと現状を見渡すと論はない。せめて過去を責めるくらいなことしかできない。米国でも似たようなことになっている。

 自分達の選んだ政府を基本的に信頼している国民は、クルーグマンの言葉に動揺せずにいられない。


 クルーグマンは、金融システムの腐敗度やオバマ政権の過ちを誇張しているかもしれない。だが彼の意見が、たとえその一部でも正しいとしたら? 銀行を国有化しなければならず金融システム再建のチャンスは失われ、アメリカ経済が総崩れになるのだとしたら?

 この雰囲気は、私は、一種のクルーグマン教とでもいうような、宗教的な雰囲気に高まってしまったように思える。あえてわかりやすく言えば、ブッシュがいたときはクルーグマンはリベラルだっただろうけど、現況ではオバマが妥当なリベラルであってクルーグマンの主張はなにか別のもの---たぶん社会主義---になっているような印象を持つ。同記事にもあるが、クルーグマンが例にあげるスウェーデンの例は米国のような大国には基本的に当てはまらないだろう。
 あえてこの「クルーグマン教」の文脈でいうなら、ガイトナー案は失敗する運命にあり、そして米国銀行はすべて国有化するしかないのだろうか。
 それ以前に、ガイトナー案はどう評価されるのかに戻らざるを得ない。
 話をサミュエルソンに戻すが、私が信奉する(まあ、若干それも宗教的な印象はあるだろうが)彼はこの事態をどう評価するか。結論から言えば、不可能ではないが、困難だろう、というくらいだ。"Maybe, though obstacles around"というのは、いろいろ困難もあって可能性は半分くらい、ということだろう。
 なぜそう言えるのか。サミュエルソンのコラムでは、ジャーナリズムならでのコラムニストとしてガイトナー案を簡単に説明したあと、それがうまく行く可能性を、イエール大ジョン・ジーナコプロス(John Geanakoplos)教授の"leverage cycles"に求めている。私の無理解かもしれないが、レバレッジにはサイクル変動があって、今が最悪ではないのに、ヘッジファンドのカネが枯渇したなら国家が肩代わりすることでうまく行く可能性はあるだろう、ということのようだ。つまり、ガイトナー案は、健全な経済に戻すべく、さあみんなでヘッジファンドをやろう、ということだ。
 問題はいろいろとある。やはり購入価格は決まらないというのが元になるようだが、サミュエルソンはさらに、これがうまくいったときの懸念を先取りしている。
 ガイトナー案が成功するということは、ある意味で国家のカネで一部の人が濡れ手で粟ということになる。そうなれば、国民感情が許さないだろうというのだ。まあ、AIG退職金の大騒ぎを見ているとそうかなとも思う。
 私としてはサミュエルソンは触れていないけど、アンクルサムのヘッジファンドって、一見、米国民の血税のように見えるけど、投資するのは実際には、日本、中国、オイルマネーということなのではないか。だから、中国がブーたれているのではないかと思う。まあ、日本には選択権はないけど、こうなってしまうと国富を移動しづらく頑張る勢力がいても不思議ではないなという感じはする。それに日本人は不況に慣れているし……。

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2009.04.01

天皇皇后両陛下御成婚五十年記念、一万円紙幣発行へ

 天皇皇后両陛下の結婚満五十年を記念して一万円紙幣の発行が決まった。麻生首相直轄の私的懇談会「天皇皇后両陛下御成婚五十年記念紙幣に関する会合」(座長・高橋洋一 東洋大教授)は、一日、天皇皇后両陛下の御成婚五十年記念事業として発行する記念紙幣についてプラスチック素材の一万円札のみとし、発行額は二十五兆円とすることで一致し、政府も閣議で決定した。流通は銀行を通して七月七日から開始される。
 図柄は、表面が天皇皇后両陛下の肖像、裏面が皇太子時代の天皇陛下と皇后陛下の恋の舞台となった軽井沢会テニスコートの初夏の風景になる。全体の色調も従来の紙幣に比べ明るく鮮明で、天皇陛下のご意向もあり天皇家を暗示する菊の紋章などのシンボルなどは意図的に排除された。プラスチック素材については、耐用性に優れ、偽造防止の点でも優れていてことから、すでにオーストラリアなど各国で利用されている。
 今回の記念紙幣発行は、通貨法第四条「貨幣の製造及び発行の権能は、政府に属する」を元に、同法五条「国家的な記念事業として閣議決定を経て発行する貨幣の種類は、前項に規定する貨幣種類のほか、一万円、五千円、千円の三種類とする」とのことから、上限の一万円が選ばれた。
 日本における記念貨幣の発行は、近年、ほぼ毎年実施されており、昨年もブラジル交流年記念で五百円が四八〇万枚発行された。皇室関係では、十年前に特別法によって、天皇陛下御在位十年記念として、一万円が二〇万枚、五〇〇円が一五〇〇万枚発行された実績がある。発行済み政府貨幣の総額は現在四兆三千億円程度と想定されるが、政府の負債勘定には計上されず、造幣益は政府の財政収入として一般会計に繰り入れられている。
 耐用性の高いプラスチック素材を使った今回の記念紙幣は、従来の記念貨幣とは異なり、所有しておくための記念品としてではなく、御成婚五十年記念を国民が日常の生活で祝賀するために、紙幣として流通しやすい形態としているのが特徴的だ。
 一部で問題視されていた券売機やATMの対応の遅れだが、コンビニ・スーパー業界ではその間の流通促進のために、特別のポイントサービスを付けることにした。記念紙幣を使うことで実質消費税一%減の効果があると見られる。
 さらに政府は記念紙幣発行に合わせ、地方自治体を通して平成二〇年から二二年の間の成婚カップルに記念紙幣を百万円分を贈ることを検討している。麻生首相は、結婚難民と呼ばれる世代に向け、「両陛下からの幸福な結婚のお勧めと理解していただきたい」と述べた。総務省でも、結婚や出産の話題を活発にしてほしいとして、広告代理店を通じて、新しくパパとなる影響力の高いブロガーにキャンペーン参加を打診している。
 記念紙幣は発行規模が二十五兆円と大きいことから、自民党内では菅義偉選対副委員長らが中心となって進めてきた政府紙幣発行プランとも重なり、中堅議員からも好評を得ている。山本一太参院議員は「景気刺激にも効果がある」と評価し、自民党を離党した渡辺喜美衆院議員も「二十五兆円規模の発行なので、現状のデフレと円高を是正し、一パーセントから二パーセントの物価上昇と一ドル一二〇円の円安が期待できる」と経済効果を強調した。民主党も一部では異論もあるものの好意的に受け止めている。
 日銀も従来政府紙幣の発行には批判的だったが、意見を求められた白川総裁は「こうなる前に政府の長期国債を大量購入すればよかったとも言えるだろうが、なかなか決断できず背中を押されたかたちになった。しかし、政治的な決断が示された以上、日銀としては通貨の信認や財政規律を損ねることがないように支援したい」と賛意を示した。
 記念紙幣発行に至る経緯はかなりの部分が非公開で、「天皇皇后両陛下御成婚五十年記念紙幣に関する会合」に検察側が捜査をしているとも噂もあったため、同日短いながらも検察は異例の説明会を行った。東京地方検察庁谷川恒太次席検事は、「今回の決定は、国会議員の政治団体が多くの輸出向け製造業者から不法とはいえないまでも、長年にわたり多額の金銭の提供を受け、物づくり・貿易立国といった美名のもとに、国内消費の推進という政治・経済的な課題から国民の目から覆い隠した結果とも言えるものだが、政治資金規正法の趣旨に照らせば看過したほうがよい軽微・良質な事案である」と説明した。記者からは高橋座長についての質問が出されたが、谷川次席検事は「何も言えない」と回答した。

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