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2009.03.29

[書評]「食糧危機」をあおってはいけない (川島博之)

 地球温暖化やBRICs国民の消費によって、食糧危機や水資源の危機が深刻に語られるなか、「「食糧危機」をあおってはいけない (川島博之)」(参照)は標題からもわかるように、この問題をシステム工学の視点から冷静に捉えようとした書籍だ。

cover
「食糧危機」を
あおってはいけない
川島 博之
 標題を見てすぐわかるように、同じく文藝春秋から2003年に出されたロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」(参照)をまねている。こちらの書籍は、日本では著者のロンボルグより訳者でもあり評論家であもる山形浩生のほうが著名かもしれない。そのせいか、この「「食糧危機」をあおってはいけない」の帯もこうなっている。

山形浩生 推薦”
(『環境危機をあおってはいけない』の訳者)
「それはウソだ!」
「もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。」

とある。裏表紙にはこうもある。

「目からウロコの真の啓蒙書」
ぼくはすでに四〇年以上生きてきて、これが何度も繰り返されているのを見ている。そして一度たりとも、危機論者のあおるような危機が起きていないのも知っている。それは危機論者たちは根本的にまちがっているからだ。食糧を取り巻く環境についてきちんとした本を読んで、もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。 そのための絶好の一冊が、この本だ。 (山形浩生)

 ちなみにこの寸評は、同氏の書評は文藝春秋社サイトの「ヨタ話の扇動にのらないための絶好の書」(参照)の一部なので、このリンク先も読んでおくとよいかもしれない。
 ダンコーガイ書評風味になってきたが、だめ押し的に帯の裏のキャッチも紹介しよう。

すべて俗説です!
*BRICsの成長で穀物の需要急増?
*「買い負け」で魚が食べられなくなる?
*人口爆発で食糧が不足する?
*水も肥料も足りない?
*地球温暖化で生態悪化?
*バイオ燃料が人々のパンを奪う?

 確かに、これらの問題には答えが書かれていて、ネタ的にも面白い。
 以上のように出版社側の売り戦略としては、環境問題にも論争的な山形路線の延長としてしかけ、それゆえに、町山智浩の「アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない」(参照)と同じく、ややチープな欧米風ペーパーバックスの作りとしたのだろう。コンビニのワンコイン本にも見える、Bunshun Paperbacksのラインで出している。価格は2コインプラスといったところだが、内容的には見合ったものだろう。文藝春秋としても、新書とは違って、30代から40代のちょっと斜に構えた知的な層への、ややエンタイメント的な含みのあるマーケットを狙ったのだろう。ネットでいえば、はてなブックマークスとかで注目されやすいネタだ。実際、まずそうしたネタとして読まれるのではないかと思う
 山形は「ぼくはすでに四〇年以上生きてきて」と切り出していたが、私は東京オリンピック年に生まれた同氏より7年も無駄に年をとっており、「五〇年以上生きてきて」の部類になるので、その分、ローマクラブとかこの手の煽り話にはさらに慣れているし、「緑の革命」を同時代に過ごしたこともあるので、本書を読みながら、「目からウロコ」というより、「ああ、そうだろうな、よく論点がまとめられている」と思えた。
 先回りした言い方をすると、本書は、「食糧危機」を標題とはしているものの、各種の議論が福袋的にまとめられており、その個々の分野では、それぞれの専門家からは、詳細な反論もあるのだろうと予測する(例えば化学肥料問題)。
 というのは、問題のタイプが、ロンボルグなどの環境問題の視点と似ているようでいて、微妙に方法論的な違いもある。環境問題の場合、応用科学という点から各種の科学の総合なのだが、実質的にはある種の主要な科学分野が形成されつつある。主要とは言えないだろうが、例えば、赤祖父俊一(余談だが叔父の友人であった)の、例えば「正しく知る地球温暖化―誤った地球温暖化論に惑わされないために」(参照)のような、やや異なった地球物理の分野からの視点もあり、通常の温暖化問題の議論とは世間的には平和な平行線を辿る。
 また、環境問題はまがりなりにも政治プロセスへの道があるにはある。これに対して、「食糧危機」及び「水資源」の問題はそうした、状態にはまだなっていないのではないかと思う。
 問題の難しさとして見ると、本書のような「目からウロコ」の議論だけでは包括できない部分の多様性はあるだろう。福袋内の個別の専門分野に加え、農政や貿易論も関わる。同書でも農政や貿易論にはかなり目配せができているのだが、それでも本書では一般論が勝ち、個別の日本の農政や貿易の歪みの対処といった、私たちの生活に密接する部分の問題までは十分には議論できていない。
 他にも、今週の日本版ニューズウィーク(4・1)で「遺伝子組み換え作物の出番が来た 食糧問題と気候変動が深刻化するなか、GM作物がタブーから救世主に」でもGM作物の現状が触れられていたが、いわば緑の革命の第二段階の問題も重要なのだが、本書では概括的に扱われている。
 それでも本書を読むと、食糧危機を煽ることの問題性はかなりすっきりと描かれており、また方法論的にも一貫したように感じられるのは、著者のシステム工学的な意識およびその応用だからだろう。
 やや批判的な印象を書くことになったが、本書は、現在の日本人に、マストリード(必読)の一冊には違いない。私もこれは書架で一種のリファレンス本のように扱うつもりだ。この手のマストリード本としては、「世界を動かす石油戦略(石井彰・藤和彦)」(参照)に近い。読んでいないとある議論の水準が保てないタイプの本だし、卑近にいうならこれほどフールプルーフな本はないだろう。マスゴミと呼ばれるような日本のマスコミ言論の質の低下に対するプルーフにもなる。
 だからこそペーパーバックス的な作りであるより、もう少し固い新書の形態で読者の層を広める続巻も期待したい。すでに、同氏の「世界の食料生産とバイオマスエネルギー―2050年の展望」(参照)があるが、こちらはそれはそれでやや専門過ぎるだろう。

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コメント

インターネットが、情報産業と通信産業だけでなく、金融業と流通業の生産性をこれだけ向上させたのだから、運送業の生産性の問題を何とかできれば、つられて、製造業も農業も鉱業も飛躍的に生産性は高まるはずです。だから、楽観していてよいと思います。

ただ、富の再分配という側面になると、自由化することや生産性が飛躍的に向上することは、短期的な社会の大混乱を引き起こすのは避けられないと思います。

まあ、これからの時代は、「中国製品はいやだ」などという子供っぽいことはいわないことです。健全な経済生活を送り続けたいのならば。

投稿: enneagram | 2009.03.29 12:16

 情報ってのは、現実(物質)に対する触媒でしょ。情報それ自体でどうにかなるもんじゃなくて、ある種の現実に対しての「見る角度」「利用する価値観・方法論」として機能するなら、そこで初めて価値があるというだけのこと。根源を喪失したまま情報だけがひとり歩きしたり自己増殖するようになるなら、それは単なる机上の空論。ただの清談。机上の空論が現実の上に乗っかろうとするから、だから駄目なんでしょ。

投稿: 野ぐそ | 2009.03.29 22:24

まあ、上の野ぐそさんのコメントに付けたしさせてもらえば、お金っていうのも、シンボルであり、情報であって、財やサービスと交換機能があるから意味があるのであって、お金そのものは何の意味も持たないわけです。かつての日本からは、大量の金銀が産出されたのに、ほとんど中国や朝鮮に持っていって、書物や絹織物や薬草や陶磁器に取り替えてきたのは、かつての日本の経済の生産力では、単に貴金属だけたくさんあっても、それは、一兆円札を何枚も刷っているようなもので、経済規模に見合わないから自分で持っていても仕方がないんで、それを中国や朝鮮に持っていけばほしいものを何でも引き換えてくれたから金銀を流出させていたわけです。

お金っていうのをこういう風に見ると、拝金主義っていうのは、経済全体、社会全体が健全に機能しているって前提で意味を成すわけで、信用が崩壊すれば、どうしたってバーター、物々交換に後戻りするほかない。お金そのものは意味と価値を失う可能性が常にあるわけです。たとえば、いい例が自国通貨の為替の下落。

それで、私が、finalvent先生が私と一緒に不意打ちで、いずれは講談社系のメディアにプライバシーを暴露されるかもしれない危険を承知で、銀座まるかんの斉藤一人社長の悪口を執拗に書き立てるのはそういうわけなんです。

ホリエモンの場合は官憲が討ち取りました。かれのひけらかす扇情的な虚構論理と金融市場の悪用を、公権力が放置できなかったからだと思います。

わたしも、斉藤社長の漢方医学の流通業の仕事は一切攻撃する気はないんです。きちんとした商売をされているのだろうから。

でも、拝金主義を疑似科学や疑似宗教とセットにして、書物で世の中に普及させたり、講演会を開いたりする、斉藤社長の知的権威に対しては疑義を唱えたいわけです。こういうものは、社会が行き詰ったときに、ナチズムまがいの全体主義の思想的温床の源泉のひとつになりやすいから。

だいたい、従業員のことは、10人でできる仕事を5人にやらせれば経営者は自動的に儲かる、と言いながら、お金をこき使うのはかわいそうだから自分はマネーゲームは一切やらない、と自著の中で言ってのける経営者に社会的信頼をできますか。

斉藤社長は知的権威をすごくほしがっているようですが、かれの歴史の知識はまずほとんどが歴史小説由来の知識です。歴史小説というのは、たいていは、舞台が過去なだけで、登場人物の感情のあり方や行動の道理は現代人そのものということが少なくないのです。こういうものをまっとうな歴史学と混同されてはたまらないのですが、斉藤社長のレトリックが世の中の主流になれば、常識がそうなってしまう。歴史の知識と歴史小説の知識の違いを圧殺できるようになってしまうわけです。

まあ、歴史の話が出たから、西尾幹二先生にしつこい理由も少し言い訳させてもらえば、ニーチェは、なぜ科学に対して価値や美意識を持ち込んではならないのか、そもそも純粋な客観は可能なのか、という問いを提示したのだけれど、西尾先生は、人文科学の客観的なデータをアカデミックに取り扱って、かつジャーナリズムの場でそれを、文芸春秋や産経新聞社の価値観に合うように組み立てるという商売をしたから悪口を言いたかったんで、西尾先生がニーチェの学徒でなければそんなにむきにもなりません。西尾先生は、渡部昇一先生たちのやっていることを、うまい商売だ、自分はもっと上手にやってのけられる、と思ってはじめたのだろうと、私は思っているのだけれど、手本ともいえる渡部先生に対してはそれほど執拗ではないでしょ。

長くなったから、阿含宗の桐山管長の人文科学的知識の剽窃の悪質さの話はこまごまとはしません。また、そんなことに労力をあまり費やしたくないし。

あんまり、極東ブログに斉藤一人社長の悪口が書き込まれることで、講談社が極東ブログを目の敵にして攻撃するようになったら、講談社資本の出版社群の稼ぎ手としての斉藤一人社長もたいしたものだし、極東ブログもたいしたものなのだろうと思います。

まあ、そんなことがあったら、finalvent先生が極東ブログを封印されてしまったらそれまでだけれど、講談社がそういう出方をしてきたら、きっと、後で困るのは、野間一族の方ではないかと思います。今まで何でも許されてきた権力者だったからといって、これからもそれが通じ続けると思ったら大間違い。相撲協会だって、提訴に踏み切ったことだし。

投稿: enneagram | 2009.03.30 12:23

もう少し付け加えれば、銀座まるかんの斉藤一人社長の商品価値を下げられた報復を、講談社なり、系列出版社なりが極東ブログに対して開始してくれれば、案外、世間が滝沢克己先生や八木誠一先生や岡野守也先生や竹村牧男先生や横山紘一先生の固くて内容のまともな書物にもっと関心を持ってくれるようになって、講談社自体が出版姿勢を改めなければならないことに気がつくかもしれません。

さらに、日本の古流武術に対して、興味本位でないまともな関心を持つ識者が増えてくれて、カール・フライデー(Karl Friday)先生の、日本の古流武術に関する体系的紹介書("Legacies of the Sword"と言うタイトルのはずです)を入手する人が増えれば、私自身が社会的抹殺されても、世の中のためには私は少しはよいことをした後に死ねるのかもしれません。

投稿: enneagram | 2009.03.30 12:52

銀座まるかんの斉藤一人社長については、今のところ釘を刺しておきたいことはもうひとつだけ。

斉藤社長は知りもしないで政治家のことをまとめて悪く言って馬鹿にするけれど、まともな政治家たちは立派な人たちです。

まともな政治家たちは、採算の取れない民営のバス路線でも、どうしても必要な路線は何とか存続させようと必死に努力しています。まともな政治家たちは、地下鉄の駅で、近接していて乗り換えられれば便利な駅同士であれば、地下道を作って乗換えを容易にできるようにつねに官庁や関係自治体に働きかけています。まともな政治家たちは、まだよその選挙区の駅にエスカレーターやエレベーターが設置されていなくても、自分の選挙区のお年寄りや身体に障害のある人たちが一日も早く交通弱者でなくなるために、最寄り駅のエスカレーターやエレベーターの設置運動をしてきました。

政治家だけが悪いのではない。有権者の質も低いのです。

銀座まるかんが流通業者として利益を上げられるのは、高価な商品の価値を理解できる優れた消費者がたくさんいるおかげです。

政治家にもっと有益な仕事をしてほしいのなら、政治の消費者ともいうべき有権者がもっと質を向上させなければいけません。

斉藤一人社長のような社会的影響力の大きな有権者こそもっと有権者としての質を向上させる必要があるのです。

投稿: enneagram | 2009.04.01 13:15

ちょっと今、講談社と三笠書房と総合法令出版について調べたのだけれど、講談社と後者2社の出版社は表向きは主従の関係がないことを確かめられました。

そんなわけで、斉藤一人社長の著書の出版社として、背後で中心になっているのは講談社であろうと邪推してしまったのだけれど、これは、間違っていたら、ひどく迷惑な話なので、講談社と、斉藤一人社長の著作の主力出版社である三笠書房および総合法令出版が基本的に無縁で、独立関係であるのなら、講談社と野間一族の方々への非難は的外れでした。

もし私が申し上げたことがまったく不適切でしたら、すみませんでした。お詫び申し上げます。

投稿: enneagram | 2009.04.01 13:33

「食糧危機」の問題は、海洋開発の能力と技術が進歩すれば、比較的容易に解決されてしまうのでは?と思います。いままで、人類は、基本的には陸上のそれほど広大とはいえない部分しか有効利用できなかったのだから。海洋開発によって解決できる問題は多いと思います。

話は変わるけれど、私は、斉藤一人社長にしても、船井幸雄先生にしても、漢方医学の本業や、流通業経営コンサルタントの本業については何も悪口を言ったことはありません。中身をほとんど知らないし、相手の専門分野については無知だから、無責任な非難などとてもできません。私は、この点では最低限のルールは守っているつもりです。

投稿: 洛書 | 2009.05.07 09:04

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 私が小学生の頃の話ですが、小学生の間で当たり前のように信奉されていた、ある思想が存在しました。  それは末法思想ならぬ、『世紀末終末思想』なのです!  かんたんに言ってしまえば、20世紀末には何らか... [続きを読む]

受信: 2009.03.30 14:55

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