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2009.03.06

ダルフール紛争が日本にも問われている理由

 昨日のエントリ「極東ブログ: ニコラス・クリストフ記者によるダルフール問題 Q&A 要約」(参照)で、ダルフール危機と国際刑事裁判所(ICC)から出されたスーダンのバシル大統領への逮捕状についてのメモ書きをした。これは基本的に米国向けの含みが強く、日本がこの問題にどのように問われているかはわかりづらい。
 これまで日本のマスメディアおよびジャーナリズムではそれほどこの問題について報道しないか、あるいは報道しても微妙な含みがあるように思えたものだが、さすがにバシル大統領への逮捕状の報道は日本でも広く知られた。せめて大手紙も明日あたりに取り上げてくれるとよいと思うのだが、こうした期待が皮肉に誤解されてしまうような印象もある。
 関連のフィナンシャルタイムズ社説”Prosecuting war crimes in Sudan”(参照)は4日にすでに上がっているものの、その紹介の前にニューヨークタイムズのニコラス・クリストフ記者の記事の紹介が先だったほうがよいのではないかと慌てて昨晩メモ書きを作った。フィナンシャルタイムズ社説のほうは、より概括的に、結果として日本も視野に含めた形になるので、もう少し丁寧に見ていきたい。
 状況の概要と逮捕状に至るまでの簡素な説明に続いて、展望は次のように語られている。


What happens next, however, is less clear cut. In the most optimistic scenario, Mr Bashir’s indictment will act as a catalyst for change. A more pragmatic group of leaders will emerge from within the fractious Khartoum regime. They could hand Mr Bashir over to face trial, and then pursue a negotiated solution to Sudan’s conflicts in the interests of peace as well as their own political survival. Yet it would be a miracle if the political outcome of the ICC’s legal decision were to prove so smooth. For one, Mr Bashir’s arrest in the near term is unlikely.
(何が次に起きるかは明確にはならない。楽観的なシナリオとしては、バシル大統領告訴が変化を促進し、政争の多いスーダン政府から現実的な指導者が立ち上がり、その指導者のもとでバシル大統領を裁判にかけることだ。そうなれば、平和を求める観点からスーダンの抱える紛争解決の交渉となり、さらに政府の存続にもなる。しかし、国際刑事裁判所(ICC)の決定がすんなりいくとすればそれは奇跡というものだろう。今日明日にバシル大統領が逮捕されることはない。)

Second, while as head of state he certainly has a case to answer, he is not the all-controlling dictator that the ICC prosecutor has portrayed. Experts believe others in the regime have played a more direct and powerful role in orchestrating war crimes. If the interests of justice are to be served, they must be indicted too, although the temptation will be to let them off in exchange for surrendering Mr Bashir.
(論点はもう一つある。バシル大統領が国家元首として対象となる裁判ではあるものの、彼はICCが描いているような独裁者ではない。この問題の専門家は、政府内の別グループが組織的な戦争犯罪を直接推進していると見ている。正義が希求されるのであれば、彼らも告訴されなければならないが、バシル大統領を身代わりにして彼らを不問にして済まそうとする誘惑はあるだろう。)


 クリストフ記者の考えとは微妙に異なっている部分が重要になる。まず、今回の逮捕はダルフールのジェノサイドを問うものではなく、人道上の罪を問うものであるが、バシル大統領にすべて責任を帰せるほどの独裁者ではないだろうということだ。これは同時に、本来の罪責が問われるべきグループをどうするのかということでもある。ある意味では、戦争犯罪の裁判につきまとうありがちな問題ともいえるし、日本の歴史にも苦い連想が及ぶ人もいるだろう。
 フィナンシャルタイムズ社説では、続いて今回逮捕状が出たことで南北問題がよりこじれる可能性を指摘しているが、この点については、クリストフ記者の洞察が重要ではないかと私は見ている。南北問題は再燃する可能性があり、近い将来に直接的に日本が問われることになるだろう。
 クリストフ記者が触れていないフィナンシャルタイムズの論点で重要なのは、ICCとそれを支える諸国の問題である。

The stakes could not be higher. The Sudan case provides a fundamental test of the rigour as well as the legitimacy of the ICC. The onus is now on all those countries that supported the court’s creation to redouble efforts to end Sudan’s agonies and to ensure that the interests of peace as well as justice are served.
(賭け金は増やせない。今回のスーダンの事例は、ICCの厳正性と正当性について、その根本を問うテストケースになる。ICC創設を支持した諸国はスーダンの惨苦を終結させる努力を強化し、正義のみならず平和を享受できるようにする責務を負っている。)

For if the ICC bungles this case, and the world stands by as Sudan crumbles, there is a risk that Wednesday’s decision will prove no triumph for human rights.
(もしICCがこの問題をしくじるなら、スーダンの崩壊に世界は直面し、ICCの決定は、人権の勝利など存在しないことの証明になってしまうだろう。)


 ICCを支える諸国がこの問題を解決できないなら、人権そのものが空文に帰してしまいかねない。では人権というものを支える、その諸国はどこにあるのか。ここだ(濃緑の部分)。

map

 米国は含まれていない。中国は含まれていない。ロシアは含まれていない。中東とアジアも少ない。日本はというと韓国と共に含まれている。日本が加盟したのは、2007年10月1日である。105カ国目の締約国だが、斎賀富美子(参照)が18人の裁判の1人となっている。
 今回のスーダン、バシル大統領逮捕は日本に問われている部分も大きいはずだ。

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コメント

ICC条約締約国には、被疑者を逮捕し、ICCに引き渡す義務が生じるので、被疑者にとっては逃亡先が限定されるというのもICC条約の意義の一つですね。

しかし、中国やアメリカに逃亡した場合、どう処理するのやら興味がありますね。

投稿: ラッコ | 2009.03.06 19:16

 格闘ゲーマーって毎日、 ゲーセンに通い、 毎日、顔を会わせても少しも打ち解けた...
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1019944965?fr=top_mantenna

 近い話。ベストアンサー(笑)の人は、最後の文節を読む限り相当な根性曲り(笑)だなって思うんですけど、根性曲りなくらいじゃないと、覇権って手に出来んのですよね。根が素直で生真面目ないい人タイプだと、それが枷になって必ず行き詰まる。

 行き詰まりは停滞と不平を生むから、なるべく行き詰まらないよう、(場合によっては)どんな手を使ってでも勝利を至上命題としなきゃならん部分も、ある。
 でも逆に、そこに拘る気持ちが強すぎると…覇権主義(グローバリズムも商業主義も同じようなもん)的な性向が強くなると、どっかしら「嵌め技」に相当する汚い手口を使わざるを得ず、下手に「そういう類をシステムに組み込む」真似したら、客が逃げちゃうんですよね。

 嵌め技をゲームシステムを組み込んだら、勝者の爽快感が増す代わりに高度化せざるを得なくなる(だから面倒くさい)し、敗者?の屈辱感が増大する。負けず嫌いか銭持ってるかで何度でもチャレンジしてくれるヤツ相手なら商売として成り立つけど、まぁ大抵の場合銭が無いから続かないし、「なんだコイツ、もういいよ」で相手しなくなって、逃げちゃう。漫画の『バガボンド』でも今んところそういう流れになってるし、弁当翁さんのエントリーで言えば

『浪費家相手の商売人は浪費家のカネが尽きればお陀仏』

 …に繋がる。ある程度ほとぼりを冷ませばブームの再燃もあるかもしれんけど、大体退場者は「以前の状況を覚えてる」もんだから、「どうせまた○○のような手合いが伸し上がるんだろ?」としか思わんから、どんだけ頑張っても行く末先細って現場が阿鼻叫喚の地獄絵図になるだけなんよ。

 伸ばした方がいい部分と、これ以上伸びてもしょうがないから他所逝けよ?って部分。そういうのを誰かが差配しないと、どんな勝者も奈落の底へ堕ちるようになってんだよね。世の中ってヤツは。ブームなんて、2,3年で全滅が基本でしょうに。何度やっても懲りねーな? って感じなんですけど。


 諸外国がどういった思惑で国際刑事裁判所(ICC)を構成してるのか知らんけど、日本には少なくとも「諸行無常」って感覚があって、それを土台に独特の立ち位置をこさえることも出来るんでね。そこが付け目じゃないのかな? って思いましたとさ。

投稿: 野ぐそ | 2009.03.07 02:29

濃緑図を単純に見ると、ローマ的元老院システムの復古を予期させるよね。そういう意味で、米露中印は周辺野蛮国。

投稿: 野ぐそ | 2009.03.07 04:19

幕末に、大儒学者藤田東湖が、若き日の西郷隆盛に対して、「西郷君、君は薩摩の西郷ではなく、日本の西郷になれ」と励ましたという話があるそうです。

現代の日本人で社会のリーダーシップをとるべき人ならば、内政や国内市場のことばかりを考えずに、世界全体の人権問題を考えに入れて行動すべき時代に入って久しくなっていると思います。

またピーター・ドラッカー先生のアフォリズムですが、「貧しい人たちがいつまでも貧しいままでは、豊かなものたちもいつまでも豊かではいられない」のです。

遠いアフリカや中東やバルカン半島やラテンアメリカで起こっていることも、いつかは回りまわって自分たちの問題になると考えるべきなのです。ただ、資金も人材も有限であり、物事にはどうしても優先順位をつけないわけにはいかないから、日本の場合は、東南アジア支援が優先されることになるしかない、ということであると考えるべきだと思っています。

投稿: 洛書 | 2009.03.07 11:04

関心がある人は、ポール・ケネディ著「人類の議会」(原著"The Parliament of Man")を読まれるとよいと思います。

ダルフール以前にも、カンボジアでも、ルワンダでも、シエラレオネでも、ユーゴでも、東ティモールでも困難が大きかったことが著述されています。

国連の機構と機能もさることながら、国家主権というもののありかたも、抜本的な見直しが要求されているということであろうと思われます。

また、経営学に無知な経営者の存在を許すべきでないように、政治学に無知な政治家の存在も容認すべきではない、ということであろうと思われます。

投稿: enneagram | 2009.03.09 16:04

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