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2009.02.15

[書評]グローバリズム出づる処の殺人者より(アラヴィンド・アディガ )

cover
グローバリズム
出づる処の殺人者より
 「グローバリズム出づる処の殺人者より(アラヴィンド・アディガ )」(参照)、オリジナル・タイトル「The White Tiger(ホワイト・タイガー)」(参照)は、「世界で最も権威ある文学賞の一つ」とよく言われるブッカー賞(参照)の昨年の受賞作だ。ウィキペディアを借りると(参照参照)。
その年に出版された最も優れた長編小説に与えられる。選考対象は、イギリス連邦およびアイルランド国籍の著者によって英語で書かれた長編小説。小説に与える賞であるため、同一作家が複数回受賞することもある。
 対象は純文学の長編。日本の芥川賞が新人作家登竜門として事実上短編を対象、また直木賞が大衆小説を対象としているのは違う。また、これらが作家に与えられる賞である点もブッカー賞とは違う。
The Man Booker Prize for Fiction, also known in short as the Booker Prize, is a literary prize awarded each year for the best original full-length novel, written in the English language, by a citizen of either the Commonwealth of Nations or Ireland.

ブッカー賞と略されるマン・ブッカー賞小説部門は、英語で書かれた毎年最高の長編小説に与えられる賞で、アイルランド及び英連邦諸国民によって選ばれる。


 大英国的な意味合いは強い。今回の「The White Tiger」ではそこがいっそう強く感じられる。が、それ以前に国際的な読書人なら必読というか、時代を象徴するマスト・リードの作品でもある。原書は昨年4月に出版されているので翻訳から出版までは1年もかかっていない。日本の読者にも待望であると見込まれていたのだろう。
 今回のブッカー賞では処女作で栄誉を得たこともあり、著者のアラヴィンド・アディガ(Aravind Adiga)も話題になった。報道例としては、昨年10月にAFPの報道「2008年ブッカー賞は、インド出身の新人作家デビュー作」(参照)がある。

 ブッカー賞審査委員長のマイケル・ポーティロ(Michael Portillo)氏によると、「インドの闇」を描いたオリジナリティがそのほかの候補作とは一線を画していたこと、衝撃とエンターテインメントが均等に含まれていることなどが選出理由になったという。
 アディガ氏は1974年10月23日にマドラス(Madras)で生まれ、現在はムンバイ(Mumbai)に在住。「この賞をニューデリーの人々に捧げる」と受賞の喜びを語り、「300年前は地球上で最も重要な都市だったニューデリーは、再びそうなる可能性を持っている」と付け加えた。

 作品理解に重要だろうと思われるので、アティガの経歴も少し見ておきたい。同書カバーには簡素に書かれている。

1974年、マドラス生まれ。現在ムンバイ在住。コロンビア大学のコロンビア・カレッジで英文学を学んだのち、経済ジャーナリストとしてのキャリアを開始。フィナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルなどに寄稿し、南アジア特派員としてタイムに勤務する。はじめての小説作品である『グローバリズム出づる処の殺人者より』で、2008年度のブッカー賞を受賞した。

 ウィキペディアによれば(参照)、作者アディガが育ったのはこの作品と関係するバンガロールのあるカルナータカ州マンガロールである。同地の高校で最高位の成績を収めたのち、オーストラリアのシドニーに家族と一緒に移住し高校生活を続け、後にコロンビア大学に入る。「フランス革命の主役たち」(参照)や「風景と記憶」(参照)で著名なサイモン・シャーマに学んだという。ここでも優秀な成績を修めた。
 私の印象に過ぎないが、オーストラリア移住は親が息子の突出した才能に賭けたのかもしれない。
 作品は端的に言って面白い。現代的なドライなユーモアとアイロニーのなかに、途上国の経験なくしてはわかりづらい込み入った心情があり、さらに、従来の文学の技巧をさり気なくちりばめた文体でありながら書簡を模しているため読みやすい。高校生でもなんなく読めるだろう。
 そう、この作品は温家宝に、インドの新興企業家にして殺人者のホワイト・タイガーと名乗る若者が充てた手紙という人食った設定になっている(おそらく出版時から想定して北京オリンピックを当て込んでもいたのだろう)。

中国の
首相官邸内で
たぶんぐっすりお休み中の
温家宝閣下机下

起業家問題に関する
閣下の深夜の教育係
ホワイト・タイガー拝


 なぜ温家宝充なのか。なぜ新興企業家にして殺人者が長い手紙を書くのか。温家宝がインドの起業家に会ってその成功の物語を聞きたいとラジオで言ったのを、ホワイト・タイガーこと主人公のバルラムが聞き、それではその秘密を語ろうという趣向だ。
 出版社の概要はそこを基本に描いている。

 究極の格差社会インドから中国首相に送られる殺人の告白。グローバリズムの闇を切り裂き、人間の欲望と悲しみを暴く挑発的文学
 グローバル経済の波に乗り、光を浴びるインド。だがそこには暗く淀んだ闇が――。
 貧困の村に生まれ、その才覚により富裕な街バンガロールで起業家の従僕となった男。究極の格差社会をのしあがるべく、男は主人を無残に殺害……。インド訪問を控えた中国首相宛ての手紙として綴られるインドの闇と汚濁。異様な緊迫感の漂う本書を書き上げたのはインドの実業界をつぶさに見てきたジャーナリスト、だからここにはインドの真の姿があります。

 それゆえに邦訳本の標題が「グローバリズム出づる処の殺人者より」とされたのだろう。そういう視点から作品読んでもよいのだが、おそらくテーマは逆だ。
 グローバリズムが生み出す暴虐性よりも、作品はそれをもってしか揺り動かすことのできないインド大衆の「檻」の心性を描いている。そしてそれが中国でも同じであろうというのがこのお笑い仕立ての背後にあり、それをきちんと読み取れるのは英国本国よりコモンウエルスの国であり、途上国からのし上がろうとしている中国であり、そしてのし上がった経験を持つ日本の読者でもあるだろう。
 それにはなぜ標題が「ホワイト・タイガー」なのかにも関連する。ホワイト・タイガーとは檻のなかにいる暴虐の象徴でもある。作品では、その暴虐を誘惑に変えるニューデリーの光景、加えてそこに対比させるインド農村の丘の光景の描写が最上の文学の文体で描かれている。
 作品の展開では「インドの真の姿」に殺人事件を介在させるため、多少推理小説的な展開で読者の興味を繋げていく。もちろんと言ってのだが、推理小説のような殺人の動機やトリックが主題ではない。むしろ、途上国の起業家が抱え込むある心理とも倫理ともいえぬあり方の暗喩としての殺人が問われている。結論を急ぐようだが、成功者でもあるアディガの心にうずく文学的な感性による罪責感でもあるだろう。作品はユーモアとアイロニーに満ちていて、ところどころ爆笑してしまうのだが、その爆笑から陥穽に嵌るように悲哀の心情に突き落とされるようなシーンがいくつもある。
 ホワイト・タイガーと名乗る男の人生はガヤ州の陰惨な農村から始まる。社会主義政権下の腐敗のインドだ。滑稽な筆致ではありながら、社会主義・共産主義が理想として語られつつ現実の汚辱にまみれている世界が、その内側から描かれている。
 ガヤ州はベンガルに近く、アディガの生まれ育った南インドとは異なる。その点で作品内の描写は彼自身の体験とは異なるのかもしれないが、その後のニューデリーからバンガロールの情景のリアリティはまさに作者がお得意であろう現代のそれになる。現代インドのスラップ・スティックスの描写はジャーナリストの目も含まれている。
 作品では、両極のダイナミズムとして、グローバリズムの暴虐の世界を、その対面にあるアジア的な汚辱の世界と摺り合わせ燦めかせながら描くことで、主題に強い線を与えている。
 米国はかつて奴隷とした黒人を象徴する者を大統領に据えた。この英国で賞を得た作品は大英帝国の支配の陰画を文学として映し出した。そうせざるをえない歴史の力というものもグローバリズムの暴虐とは無縁なものではないだろう。

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コメント

>>ガヤ州はベンガルに近く、アディガの生まれ育った南インドとは異なる。その点で作品内の描写は彼自身の体験とは異なるのかもしれないが、その後のニューデリーからバンガロールの情景のリアリティはまさに作者がお得意であろう現代のそれになる。

こういう推測?読解?が全くの無意味だということが分かったのが、ヴィルコミルスキー事件だったのですよ。要するに「文学は無意味」。
どこどこの賞を取ったとか作者のバックグランドとかそんなのばっかり。結局誰が書いたのか分からない文として提示されたら対して評価もされなかっただろうなあ。

それに「格差」とか「グローバリズム」とかなんか非常に「若い」言葉が一杯出てきますよね。出版社は敏いなあというか、いかにも「非普遍的」で「今風」の話題を文学とするなら、そこらへんのファッション雑誌の方がよっぽど文学ですな。

「最上の文学の文体」って具体的に何ですか?

「この小説は「今」を写している!(笑)」ってこれはひどい。グローバリズムとか温家宝とかを取り上げればそれは「今」になるでしょう。

「文学的な感性による罪責感」これってどんなものですか?

それから「爆笑してしまうところもある」、とした後に「しかしその滑稽さもあいまってこの作品は完成度の高いものになっている」というタイプの感想文もまた非常に多いですよね。

とにかく旦那、ヴィルコミルスキー事件ですよ。

投稿: アゲサゲ | 2009.02.15 18:34

 ヴィルコミルスキー事件って何だ!? ってのがよく分からなければ、「ネットで言うところの緑運動公園と同じようなもんだ」「あそこのオッサンは適宜嘘を混ぜ込むから、自分でも何が本当なんだか分かってないんじゃないか?」くらいに得心しとけば、それでいいでしょう。

 あとね。「記憶したこと」ってのは存外曖昧で、3分前に知ったことを今すぐ書け、くらいにシステム化しないと。何年も何十年も前の「強烈な経験」なんかは、大抵風化美化されてるのを承知の上で、織り込んだ上で、書くか読むかしないと。あっちゃこっちゃに誤謬があるのは当たり前なんだから、そこを一々突っ込んで偽書ですねって言い出したら、学位論文でさえ「数年後には結果的に偽書になる」化膿性があるとしか言いようが無いんだよね。何のために勉強しとるんや? って話でしょ。

 まぁ、美化に依らず風化に任せるくらいの心象で居るのが、最低限の良心なんじゃないかな? とは思いますけど。女で言うところの化粧、男で言うところの格好付け、双方に通じるところの負けず嫌い精神なんかがあると、風化に依らず美化に走っちゃったりするんですけどね。

 そこを精査するのは読者の力量ってヤツですから。「あくまで読者として」「野暮天承知で与太垂れる」「真に迫るか偽に遠ざかるかはご覧あれ」…って感じで、最終的には「私の人間性をも踏まえた上で」判断して頂ければ、それでいいですくらいのもんなんよ。
 直接の原資料だって、そもそもそーゆーもんなんだから。また聞きの子話の孫伝えの…って伝言ゲーム状態になって、そこで「真実とは!?」なんて、ちゃんちゃら可笑しいっちゃ可笑しいんですよ。本来は。

 尚それさえも踏まえた上で真に迫ろうという気概とか努力があるなら、じゃあそれは「とりあえず買い」でいいんじゃないか? ってことで。

 数年お邪魔してますけど、弁当爺さんの書評で、モノがあれば買おうと思ったのは初めてですよ。良かったですね。話の内容やセンスに合わない面があるから楽しめるかどうかは未定ですけど、まぁ多分、いい買い物になるんじゃないかな? とは思います。

 ありがとさんです。

投稿: 野ぐそ | 2009.02.16 08:43

 一国内高度経済成長が期待できない局面…端的にグローバル経済圏が拡大・確立されたら、従来型の学歴・年功・序列・競争主義は意味を成さないんですけどね。むしろ逆に「今まで超頑張って偉くなった筈なのに、なんで俺らはこんなに報われないんだよ!?」に成り下がってしまう。

 そうなってくると、比較的単細胞なヤツから順繰りに不正行為や企業犯罪や「辞め検弁護士@ヤクザ専用」みたいになってきて、秩序維持や綱紀粛正のために厳格主義と重刑主義が台頭して、それが更なる現場の委縮化と爆発的反動を呼んで、行く末荒廃するわけです。

 そうなったとき、そこで「明らかに得をするのは誰なんだ?」ということを考えると、見えない誰かの、見えない次の手は、見えてくるわけです。見えたら、それに応じて「次善の」策を「事前・慈善に」立てておけばいいだけのこと。です。高卒馬鹿でも出来る、単純な処世術ってヤツです。

 分からないヤツが滅びるのは、しょうがないのかもね。それは勿論「自分も」「むしろ自分が」なんですけどね。ふっふっふ。

投稿: 野ぐそ | 2009.02.16 09:55

 今年に入ってからバブル馬鹿は相手しない芳香性で祈念してるのもあって、2月に入ってからホームページをアホー!! に設定してMSんはあんまし見なくなったんですけど、久方ぶりに見たらこんな記事が。

GSAT(オタクの社会適性テスト)
ttp://digitallife.jp.msn.com/article/article.aspx/genreid=120/articleid=391246/

 ふーん、でチェックしたところ。

13.週末は昼間は寝て、夜は一晩中パソコンの前に座ってすごしている
(晴耕雨読なんで、気が向けばいつでも。今でも)
28.何かの熱烈なコレクターである
(書籍を3000冊程度所有。最盛期は1万冊くらいかな。12,3年前はゲーセンの基盤を200枚くらい持ってたなぁ。要らんのは全部売ったけど)
30.飼ってる猫を溺愛している
(飼ってないけど来たら受け入れるし膝の上に乗ったら抱っこするので結果的に溺愛)
31.ブログや掲示板のtypoを指摘することがよくある
(気が向いたら。あと弁当爺さんみたいに訂正に熱心で無い人に言っても無駄なんで、そういう場合は放っとく)

 あたりが該当。

 そもそも設問の仕方自体が狭いんで、ピタリ合うのって無いよね。狭いことばっかり言ってるから50も項目作らんとやっとれんのだろ。そーやって無駄に項目増やすからオタが治らんのだ。結果的にオタであることを自慢したいんだったら、じゃあ最初っからオタ凄いって言い張ってりゃいいじゃんか、っていう。それはそれで別にいいんだから、もっと自信持てば? っていう。

 風見鶏ばっかりで自身が無いんだったらそのまま餓えて死ねと思いました。MSんは、やっぱ要らん。

投稿: 野ぐそ | 2009.02.16 11:01

日本は資本主義を導入するにあたって親(伝統?)殺しはしてないようなかんじですか・・・中国やインドはそこまでしているのか、その辺が伺えるような伺えないようなよくわかりません。

私はこれけっこうかっこいいんじゃないかと思ってしまいましたが俗っぽいですかねテヘヘみたいな

投稿: ハニャーン | 2013.08.15 18:19

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