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2009.02.02

あまがしの謎

 昨日「極東ブログ: [書評]大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)のエントリを書いたあと、なにか心にひっかかるものがあって、しばし手元の沖縄料理の本などを読んでいた。が、よくわからず、さて翌朝の粥でもスロークッカーで仕込むかなと思って、ああそうかと思った。その話は後でするとして。
 「大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)では食材ごとに『御膳本草』の項目の読み下しがあるだが、その「ムギノコ」の項目に「薄くハウハウを作り」とあり、また「寒具」に「寒具とは『ケンビン』『ハウハウ』『ハンビン』」とある。同書を読む限りは、ハウハウとケンビンに漢字を充てていない。これがポーポー、チンビンを指すことは解説にある。


ここでいう「ハウハウ」とは、旧暦五月四日に行われるハーリー(爬竜舟競漕)の時などに作られるおやつ「ポーポー」のことで、


「ケンビン」とはチンビンと呼ばれている黒糖入りの沖縄風クレープ。

 改めて読み返すと漢字は充てていないが、ポーポーは「餑々」であろうし、チンビンのビンが「餅」であることは間違いないだろう。
 古波蔵保好「料理沖縄物語」(参照)ではこう推測している。

 ところで、いったい「ぽうぽう」というあいきょうのある名はどうして現れたのだろう。
 ある時、中国料理について書かれた記事を雑誌で見つけ、読んでいくと、「ポポ」という言葉に出合ったのである。
 中国の東北、すなわち旧満州の昔むかし、肉をコロモに包んでたべるということがはじまり、これを「餑々」(ポポ)と名づけたそうで、清朝になったころから、満州地方ではじまった「餑々」が中国全土に広がり、正月の食べものになったらしい。
 古くから中国と縁の深かった沖縄にも伝わり、沖縄の人たちが手もとにある料理道具や材料を使って作りやすいようにした結果、沖縄風の「ぽうぽう」ができたのではないか、とわたしは考えた。
 いずれにしても、中国東北で始まった「ポポ」が「餃子」の元祖だとすれば、「ぽうぽう」は、今の私たちが好んで食べるその「餃子」の親戚だといえるのではないか。

 餃子は日本と中国では実際には異なる食べ物なので、これは実際の食べ方から考えると、空心餅、つまり西太后が好んだ肉末焼餅ではないかと思うが、ぐぐってみるとブログ日々是チナヲチ「国野菜の輸入量4割減!ところで胡錦涛って誰?」(参照)に次の興味深い話がある。

 しかも拙宅の場合、手作り餃子といえば本場の中の本場仕込みである恩師がおりますので、ニラの浸し方に始まって何から何まで電話で伝授してもらうことができます。ちなみに恩師によると旗人言葉では「煮餑餑」と呼ぶのが正しいのだそうです。小さいころ「餃子」とか「水餃」なんてうっかり口にすると、親から「お行儀が悪い!」と叱られてゴツンとやられたとか。

 旗人の呼び方かどうかはわからないし、水餃子を「煮餑餑」と実際に呼ぶのかはわからないが、古波蔵の考察に近い。他、餃子の起源でも「餑々」説は多いようだ。
 チンビンについてだが、古波蔵は「この名にも中国語の匂いをわたしは感じるが」としながらも漢字は充てていない。
 孫引きだが「琉球国由来記」では「五月五日箕餅、唐の粽子になぞらえて作りける。箕の形に似たるよし」とあり、ここでは、チンビンは「箕餅」とされている。
 しかし、これも実際の食べ方や形状から考えると「春餅」と考えたほうがよいように思われる。ただ、「春餅」は元来は「荷叶餅」であり、「春餅」の名称は立春の食べ物の由来がある。餃子も始終食されているものの立春の思いの深い食べ物でもあり、これらになにか関係があるのかもしれない。
 「琉球国由来記」に戻ると箕餅説は、粽子の連想からというのは説得力があるといえばある。が、御膳本草の「寒具」ことケンビンの関係はわからない。
 以上は前振りで、五月五日といえばあまがしである。そして五月四日といえばゆっかぬひーである。古波蔵もこう浮き立つ思いを書いている。

 コドモたちが、たいへんシアワセな気分になるのは、旧暦五月四日だった。何の節句といった呼び名はなく、単に「四日の日」---沖縄風に発音して「ゆっかぬふぃ」という。
 コドモたちが、好きなオモチャを買ってもらえる日だったのである。

 私は沖縄暮らしでこの「四日の日」の賑わいになんども遭遇した。かつての子どもだった大人や老人までも古波蔵のように浮き立つ心でいることを知ったものだった。玩具はハーリーの裏の屋台のような玩具市で買うのであった。

 こうして沖縄が真夏のカンカン照りとなってつぎの日---五月五日、家々では「あまがし」をつくる。

 作り方だが、大琉球料理帖とは異なる。

 首里の旧家で育った人の話によると、「あまがし」とは大麦を臼でついて割り、水タップリの粥に炊いてから青こうじを入れて、一晩醗酵させたもののことだったそうである。
 いわば大麦の粥で、酸味のある飲みものだ。椀にとって、すする前に、少しの砂糖を加えて、味をととのえたらしい。

 私はこの話でバリ島で飲んだライスワインを連想するが、どぶろくの前段のものではないようだ。古波蔵はこうも語る。

 いつのころからか、そういう「あまがし」は忘れられて、わたしの家でつくったのは、モヤシの材料にも使われる青い豆---「ささげ」といわれる豆と大豆を煮て、黒砂糖の甘さを加えたものだった。
 現在、「あまがし」といわれているのは、すべてこの大麦と青豆による甘い汁である。

 古波蔵の話からすると、酸味飲料があまがしの原形のようでもある。が、大琉球料理帖に掲載されている青豆善哉であるあまがしが古波蔵の家のあまがしでもあった。
 この関係はどうなっているのだろうか。
cover
北京のやさしいおかゆ
やさしく作れて体に
優しいおかゆレシピ
ウー・ウェン
 単純なところ、材料としての緑豆と大麦の関係、またその製造方法から祖型が理解しづらい。緑豆善哉が祖型でそれに大麦を補ったのか、大麦がベースで緑豆を加えたのか。後者はやまとの赤飯や沖縄のふちゃぎのように豆を風味として使う応用だ。(余談だが、古波蔵は緑豆をささげとしているが、緑豆はVigna radiataであり、ささげはVigna unguiculataであり、広義にはササゲ属になる。が、それをいうなら小豆もササゲ属である。緑豆がささげと呼ばれていた経緯も気になるところだ。)
 と、疑問に思っているときに、ふと、「水タップリの粥に炊いて」ということから、これは粥ではないかと気が付き、そういえばとウー・ウェン先生の「北京のやさしいおかゆ」(参照)の大麦粥を思い出した。北京風ではこれに黒糖を載せて食べる。

 黒砂糖をのせる食べ方は、昔からのもので、消化を助け、滋養もあると言われています。

 これはどう考えてもあまがしと同起源の食べ物だろうとしか思えない。だとすると、北京の大麦の食べ方が沖縄に入り、あまがしになったと推察してよさそうだ。でなければ、沖縄のあまがしが北京に広がったということもあるかもしれない。
 ただ、緑豆を甘くするのもそうだが、この味付けはおそらく陰陽五行のように漢方によっているので自然の発想と見ることもできるかと思うが、黒糖の利用といい、形状といい、やはり同起源の食べ物だろう。
 とすると、緑豆善哉系のあまがしと、大麦型のあまがしは別の系列なのだろう。
 が、調べていてもう一つ気になることがあった。これは古波蔵の説明にある「青こうじ」との関連だ。この手の話はウィキペディアでは歯が立たないだろうと思ったが、ためしに引いてみると奇妙な記載があった(参照)。

また、古くは麦の粥に米麹を入れて二、三日発酵させるやり方であった。

 この典拠がわからないが、米麹であるとするとこの製造法からすると、やまとの甘酒が連想される。つまり、甘酒が原点にあってそれが沖縄風に大麦と青麹で変化したものだろうか。また、なぜ青麹なのだろうか。
 そうしているうちにさらに奇妙なことに気が付いた。「あまがし」、というと、つい「甘菓子」を連想していたが、うちなーぐちから考えれば、そのほうが不自然だ。「琉球国由来記」では「飴粕と菖蒲酒を祖先竈神に供え食する」として、「あまがし」に「飴粕」を充てている。
 飴粕とは何かなのだが、字引では「飴の材料から飴をしぼったあとのかす。牛・豚などの飼料とする」とあるが、これが間違いではないが、琉球国由来記の意味とは異なるだろう。カスを神に捧げるとも思えないからだ。飴といい大麦といえば麦芽糖の連想が働くが、麦芽糖なら麹菌は使わない。
 沖縄のことを調べていくと、逆にやまとの民俗の古型が見えてくることがあるが、あまがしを麹を使った甘酒ふうの初夏の飲み物であるとすると、ここにも符丁がある。甘酒というと現代では初詣に振る舞われるなど冬の飲料のように思われているが、元来は夏の飲料であることは季語として夏に分類されていることでもわかる。日本名門酒会のサイト(参照)にはこうある。

甘酒の季語は夏。「甘いっ、甘いっ」と天秤棒をかついで甘酒を売り歩く声は、江戸時代の夏場の風物誌でした。クーラーも冷蔵庫もなかった江戸時代、夏の猛暑をのりきる知恵として飲まれたのが、麹でつくる「甘酒」なのです。

 おそらく「冷やし飴」も同系統の飲料であろう、ということで、どうも飴というと現代の我々は固体の飴を連想するが、飴湯を飴と略せるとすると、先の飴粕とは呼応する。
 話が散漫になり混乱してきたが、おそらくあまがしの原形は、甘酒の同系統のものではなかったか。
 それが北京風の大麦粥に入れ替わったのだろう。
 残る、緑豆善哉の系統だが、これは別の系統だろう。たぶん、緑豆爽や緑豆沙の類するものではないか。おそらくやまとの汁粉や善哉もこの起源だろう。なお、沖縄で善哉といえば、やまととはまったく異なるものが供されるがその話はまた別の機会に。
 緑豆煮については甘味ではないだろうが、吉田よし子先生の「マメな豆の話―世界の豆食文化をたずねて (平凡社新書)」(参照)にこういうエピソードがある。

cover
マメな豆の話
世界の豆食文化をたずねて
吉田よし子
 日本で勉強しているスリランカの学生は、日本人が午後の授業でよく寝ているのを見て、お昼にお米のご飯を食べるのを止めて、リョクトウを煮て食べれば眠くならないのよと教えてくれた。リョクトウにそんな効果があるなら、ぜひ試してみたいものだ。

 案外あるかもしれない。

追記
 エントリを書いたあと、「あまがし」はおそらくないちの「あまざけ」と同起源であろう。そして、これもまた室町時代の文化に関係するのだろうとぼんやり思っていて、ふと、日本書紀にある天甜酒のことを思いついた。
 天甜酒は「あまのたむさけ」と訓じられ、酒の起源とされている。


時に神吾田鹿葦津姫、もって田を卜定へ、號けて狹名田と申す。その田の稻をもって、天甜酒を釀みこれを嘗す。(時神吾田鹿葦津姫、以卜定田。號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。)

 この天甜酒は、意味で訓じると「あまのあまさけ」で、アルコールの含有はあるかもしれないが甘酒であろう。
 「釀み」は「噛み」と解することもあり、唾液によるとの説もあるが、普通に醸造の釀みであろう。
 ここから「あまかみさけ」のように訓じることが可能なら、あるいはそれに類した名称がやまと側にあったなら、そこからうちなーぐちふうに「あまがし」が出てくるかもしれない。

追記
 「飴粕」については次エントリ「極東ブログ: 節分の謎」(参照)で再考した。

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コメント

きた!って感じです。

なんですかこの展開は。「あまがし」でここまでよくぞ引っ張ってくれましたね。面白いです。

大陸を何回か跨いだ上に、尊敬するウー・ウェンさんのお粥が、ここにも関係していたとは驚きです。

関係ないのですが、ウーさんのレシピで鶏肉を洗って使用するというのが解せなくて、いろいろ調べたら衛生事情が違うからだと分かった時、どうでもいい事とは思えなかったのを思い出しました。

あまがしの謎、甘酒が近いのでしょうか。面白いです。

投稿: godmother | 2009.02.02 19:48

 よかったよかった。

投稿: 野ぐそ | 2009.02.02 20:48

今日からハンドルネームを固定します。

原則、"enneagram"で、話題によっては「洛書」にします。べつに、世の中の何もかもをお見通しって言う意味でもないけれど、運気の下がるハンドルネームを使いたくないというだけのことです。

このエントリーの話は、基本的に醸造以前の段階の話だけれど、どうも、「カビ」と「キバ」は同語源みたいですね。新井白石によれば、「アマ」と「ウミ」も同語源みたいです。

うちなーぐちをよく調べると、日本語の語源もより正確に調べられるのかと思います。

中国と日本の味噌は豆醤だけど、古藤友子先生によれば、ベトナム、フィリピン、タイ、カンボジアなどの味噌は魚醤だそうで、発酵食品の種類の分布も文化圏分類に役立つそうです。

米作文化圏なら、使っている米がジャポニカ米かインディカ米かで異質な文化圏みたいですから、沖縄のもともとの米の品種も知りたいところです。もし、沖縄の米がかつてはインディカ米だったなら、じつは、日本本土と琉球は異質な文化圏だったといえなくもないのです。

投稿: enneagram | 2009.02.04 07:40

本日2月6日は、初午祭で豊川稲荷さんにご祈祷に行って参りました。

福引で2回、1等の賞品を当てられました。帰るときには、お寺の前で托鉢されているお坊さんがいらっしゃいましたので、ささやかながら、喜捨させていただきました。来年の初午まで無事に過ごせますように。二の午も旧暦の初午も無事参拝できますように。

沖縄の泡盛ですが、これは、タイ米を醸造するのだそうですね。タイ米は、まちがいなく、私たちが日常食べるジャポニカ米ではないインディカ米。沖縄の文化は、東南アジア文化に近くて、東北アジア文化圏の日本本土とはずいぶん異なるのでは?と思いました。その日本だって水稲文化で、麦ともろこしの文化の中国の華北地方とは異質なのだけれど。

沖縄というところはとんでもないところだと思います。ここを押さえれば、日本本土も、韓国も、中国沿海部も、台湾も、フィリピンも軍事活動の対象にすることができます。那覇から神戸や横浜への距離は、那覇から香港やマカオへの距離とあまり変わりません。アメリカが沖縄の軍事基地を絶対に手放せないわけがわかります。また、日本も、沖縄を領有しているということは、大きな国際責任を負っているわけで、沖縄に対しては、それ相応の負担は仕方ないことだし、政府はこの点を国民によく説明する必要と義務があると思います。

沖縄に匹敵する地政学上の要地というと何といってもシンガポールだと思います。ユーラシア大陸と太平洋とインド洋の結節点がシンガポールで、今では単なる港湾ではなく、世界的な金融と国際物流の大拠点ですから、ここが華人社会国家であるということは、中国は、東南アジアのみならず、全世界に非常に大きなプレゼンスを持っているということです。イギリスも、ここに難攻不落の大軍港を建設しました。わが国としては、なんとか、シンガポールに大きな権益を確保し、維持すべきでしょう。そして、そうしていると思います。

わたしは、恥ずかしながら、まだ、沖縄にもシンガポールにもいったことがないのです。沖縄とシンガポールの地政学の細目なんかは、リチャード・アーミテージさんはきっとものすごくお詳しいと思うので、クリントン国務長官もアーミテージさんの講義を受けるはずだと思います。

できるものなら、那覇も、シンガポールみたいな国際物流の大拠点にしたいものです。

投稿: 洛書(「落書」ではありません) | 2009.02.06 13:52

とてもおもしろかったです。
「料理沖縄物語」を読んでてやっぱり「青麹」が気になったので
ググっていたらこちらの記事にたどり着きました。
考察が「散漫になり混乱して」いくさまも、
逆にそれが考えてるアタマの中がまるで見えるよう。楽しかった。
「あまがし」はそれ自体が沖縄方言っぽいですよね。
日本語に近いだけに、どこかで混同されたのかもしれませんね。

投稿: furugenyo | 2012.04.23 14:49

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