[書評]大琉球料理帖 (高木凛)
沖縄には八年近く暮らしたし、その食文化にも随分関心をもったし、今でもときおり琉球料理も作るということもあって、広告を見てそのままポチッと「大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)を買った。写真がきれいだし内容も面白いのだけど、当初思っていた期待とは違った本だった。
![]() 大琉球料理帖 |
王朝料理が知りたかった。いちおう東道盆(トゥンダーボン)とかについては、他の書物などで知っているのだが、もっと体系的に知りたいという思いがあった。アマゾンの紹介にはこうもあったし。
「食はクスイムン(薬物)」の心をいただきます。これぞ、沖縄の伝統料理! 琉球王朝時代の食医学書『御膳本草』を基に、60の食材、70の料理を再現。これまでの琉球料理への認識を新たにする、料理本の誕生。
まったくその趣向がないわけではないのだが、これは私は違うと思った。「60の食材」は本草書の項目解説ということで挙げられているのだけど、「70の料理を再現」と言われると、これは違うでしょ。もちろん、掲載されている料理はすばらしい出来だとは思うのだけど、歴史的な再現ではないように思えたということだ。
例えば、緑豆だが、これで水羊羹と「あまがし」が出てくるのだが、王府時代に羊羹はあるかもしれないが水羊羹はないでしょというかこれはずんだの水羊羹の変形のようだし、なによりあまがしのほうは困惑した。現在の沖縄のあまがしというと、押し麦に金時豆というものが多いが元来は緑豆であった。そこまではよいのだが、古波蔵保好「料理沖縄物語」(参照)を読むに原形は酸味の飲料でもあったようだ。
塩の項目にはマース煮が掲載されていて、それはいいのだが魚はグルクンである。グルクンでマース煮ができないことはないし、写真もきれいなのだが、率直にいって、ある年代以上のうちなーんちゅが見たらずんと引くのではないだろうか。私もないちゃーだからそのあたりの感覚は違うのかもしれないし、沖縄といっても地域で文化がいろいろ違うのだが、グルクンのマース煮というのは初めて見た。が、ぐぐってみるとあるにはある。私は海辺を転々と暮らしたこともありうみんちゅをよく見てきたのだが、彼らはグルクンを魚とは見ていかなかった。いやもちろん魚ではあるのだけど、セリでそれ相応の根のつく売り物になるような魚ではなかった。おじさん(という魚)などもその部類だし、イラブチャなどもあまり好まれていなかった。同書にはアバサも掲載されているがその部類だった。
どうも否定的な話が先にきて申し訳ないし、著者の意図ではないのかもしれないが、「大琉球」というのもいただけない感じはした。いちおう現在の台湾を小琉球として区別するための呼称というのがないわけではないが、本書でその意図はないだろうし、であれば、大日本や大セルビア主義など、大のつく国家にろくなものがない。歴史評価としては微妙な部分があるが、王府はヤエマに対しては圧政の主体でもあっただろうし。
これもありがちなないちゃーの本かなというふうにちょっと醒めた感じでめくっていくと、チンビンやポーポーも出てきて、これが王府の料理なわけないだろと苦笑したものの、いや逆に御膳本草にはこれが掲載されていることがわかった。こうした点はちょっとはっとさせられるものがあった。ただ、チンビンも御膳本草を読むとわかるがこれの一種は韓国の貧者餅の類のようでもある。
どうもそのあたりの、どこまで琉球的なのか、ないちゃーによる擬古再現なのか、どこまでがうちなーんちゅの感覚なのか、ないちゃーの幻想なのか、島ラッキョウの天ぷらの写真を見ると、おおこれはうまいんだよなと思いつつ、その天ぷらはないち風の揚げ方になっている。
こうした幻惑的な思いで対照的なのは、山本彩香の「ていーあんだ」(参照)でこちらは、明確に現代沖縄料理としての自覚があるのだが、感性の根はまさにうちなーんちゅとしかいえないし、なにより彼女の母がちーじの料理を担っていたことからも料理の感性は、ちーじから王府に繋がるむしろ正統性がある。
というあたりで、大琉球料理帖のこの記述は、高良先生の話でもあり正しいのだろうが、困惑する。
『御膳本草』が著された当時、琉球では士族以外の者は文字を解しませんでした。それがなぜ島々の民衆の暮らしの中に根づいたのでしょうか。その「何故」はずっとわたしの心に残っていたので、本書を著すにあたって、琉球大学の高良倉吉さんにお訊きしてみました。高良さんによると、それは王府と琉球各地との間を行き来する医師たちよって、伝えられていったことは想像に難くないというのです。
そういうこともあるだろうが、私は沖縄の食文化はちーじとまちぐゎによるのだろうと思う。その女の世界が生み出したものだろう。そしてのそのちーじとまちぐゎの世界とは、やまとの室町時代のものの延長だろうとも思う。ぶくぶく茶もその時代のやまとのまちぐゎにあったもののようだ。
ネガティブな話が多くなってしまったが、自分の期待とはすれ違ったせいもある。が、期待そのものの部分もあった。特に、尚泰即位の冊封使料理の初段大椀四の再現は心ときめくものがあった。これがすべて再現され、解説されたらどんなによいだろうと夢想した。
赤玉子に鳥心豆が美しい。この赤は紅麹だろう、現代の苺ヨーグルトと同じ色素だ。鳥心豆は陰陽五行から緑ゆえに緑豆とばかり思っていたが別の、大豆のような豆だ。ひたし豆であろうか。松の実は琉球の産であろうか。金華ハムはこの時代に琉球で作られていただろうか。限りなく夢想が沸く。
そういえば、本書では、るくじゅう(ロクジウ)が出てくるが、その料理は出てこない。素材が入手できないせいもあるだろうが、豆腐からこれを作る人が出てくると食中毒などの危険があるかもしれない。「イタミ六十」の名前のとおり、これは豆腐を塩して干したものだがただ干すのではなく、イタミがかる。腐りかけの肉が旨いの部類だ。私は沖縄で自作したことがある。クリーミーな仕上がりになる。どうイタミにするかで微妙な味わいが出る。ああ、食いたい。(ちなみにるくじゅうがあってこそ紅型ができる。)
ああ、食いたいといえば、私は借りた家の庭で、んじゃなばを育ていた。いや、主だった老婆が育てていたものだった。近隣の人がよく貰いにきていた。本書のような上品なチムシンジではなく、実用性のあるチムシンジを作るには丸大の専用セットを買って、そして、んじゃなばを入れる。チデークニも入れる。チデークニがなかったらキャロットを入れる。んじゃばなを入れない地域もあるようだけど。
ンジャナバは薬草としてではなく、さしみと和えてもうまい。
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コメント
沖縄の話が多い、というのは、沖縄に愛着がある、ということなのだろうけれど、愛着があっても生活や社会活動のことを考えるとそこに定住できない、ということでもあるのだろうと拝察いたします。
私も正直、東京というところが本当に人間の住むところなのかなあと疑問に思うことしばしばです。でも、便利だし、東京ネイティブだから東京に愛着もある。でも、これ以上東京に人口と経済が集積したら、生活水産業水の確保や災害対策を将来どうするつもりなのかと不安にもなります。
そんなわけで沖縄ですが、沖縄の人たちは、まだ、それ以外の日本の人たちよりも、狂気との付き合い方、狂気の飼いならし方は上手なのではないか、とも思われます。
沖縄の料理だけでなく、沖縄の墓相とか、沖縄の集団舞踊の様式なども紹介していただけると、世の中の役に立つことが多いのではないでしょうか。もっとも、そう思うのなら、私が沖縄の風水をしらべて、それを紹介すればよいのでしょうが。
ドクター・コパなんか、狂気との上手なつきあいかた、狂気の上手な飼いならし方の入り口をやさしくわかりやすく紹介してくれたのだろうと思いますが、あれでは、スマートでデオドラント過ぎるのでしょう。でも、もっとどぎつくすると、詐欺まがいになるので、あまりポピュラーにもできなくなります。
中沢新一的でないチベットとか、喜納昌吉的でない沖縄とか、現代の行き詰まりに対して、解決のヒントを与えてくれる発想と着想の源泉は、探せばいくつもあるかと思います。
投稿: 付き合い方、飼いならし方 | 2009.02.01 14:56
知らずに食べている現代の料理や食材ににもルーツがあって、手繰って行った先に、昔の人の知恵ある暮らしなどが見えてくると、ぞくっとします。こういう感覚というのは、理屈抜きに個人的な楽しみの範疇のことです。現代と当時を一瞬にして結び付けてもらえたことが、この上も無く幸運に思えてきたり。
私はその類なので、これが、沖縄だろうと中国だろうとどこでも良くて、兎に角、人が興味深く関心を寄せているものに関心を持つきっかけがあるので、こういうお話しは大好きです。ですから、それも本物でないと納得がいかないのです。
「大琉球」と表題にあるなら、それ相応のものを期待するというのも、期待外れというのも分かります。本当の部分を的確に伝えてくれるものでなければ、好奇心を満足させられない「凝り」の性分なのですよ。(一緒にしないでくださいと言われそうですが。)今回の書評からはそういうことが伝わってきましたけど。
私事ですが、食用の松の実の事を知って、その松毬を目にした時は感激でした。でも、多くの人が興味を持たないみたいですけど。馬鹿みたいですが、そんなもんですね。
投稿: godmother | 2009.02.01 17:26