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2009.02.26

PKO(株価維持政策)より大切なことがあるよとフィナンシャルタイムズは言う

 私のようなものが考えても詮無いことなのだが、どうなるんだろうかね、日本経済。
 と、先日のフィナンシャルタイムズ”Japan still needs a government”(参照)を読んで思った。標題は、「この期に及んでも日本には政府が必要だ」ということで、要するに目下の日本の経済的な無政府状態を嘆くわけだが、が、というのは、経済政策を打ち出すことができる政府が日本にあれば、どうにかなるものなのか、私にはわからない。
 目下の日本経済の問題は株価の暴落で、ようするにまた銀行危機になりそうだ。24日ロイター”大手銀に自己資本危機リスク、日経平均7000円割れ目前で”(参照)より。


日経平均が7000円割れ目前まで下落する中、大手銀行グループの自己資本危機が再燃しかねない情勢となってきた。株安で保有株式の評価損が膨らみ、自己資本をき損して国際的に健全とされる自己資本比率10%を割り込む危険性が浮上している。


 08年12月末時点の連結自己資本比率は、三菱UFJが10.72%(Tier1比率は7.51%)、みずほFGが11.28%(同7.29%)、三井住友フィナンシャルグループ(8316.T: 株価, ニュース, レポート)が10.32%(同7.68%)。各グループとも国際的に健全とされる自己資本比率10%を上回った。

 当然これでは貸出抑制ということになり、あっちっち。
 なので、「暴論」が出てくる。

このまま株価の下落が進めば、大手銀行に対する公的資金注入も暴論ではなくなってくる」との指摘も出ている。

 「暴論」なのか? まあ、暴論か。よくわからない。
 その手前で株価下落を防げということにはなる。同日毎日新聞”株安:政府・与党が株価下支え策検討 直接買い上げが焦点”(参照)では、標題どおり株価維持政策(PKO)が取りざたされる。

 24日の東京株式市場で日経平均株価が一時、約26年ぶりの安値を付けたことを受け、政府・与党は株価下支え策の検討に入った。政府・日銀はすでに金融安定化策の一環で、銀行保有株の買い取り策を打ち出しているが、新たな対策の検討では公的資金などで市場から直接株式を買い上げる措置の是非が焦点だ。ただ、過去の事例を見ると株安に歯止めが掛からず、市場をゆがめただけに終わったケースも多い。


 そこで与党を中心に浮上しているのが、日銀や取得機構を活用したり、官民が共同でファンドを作るなどして市場から直接、数十兆円規模で株を買い上げる案だ。これなら「外国人投資家などの売り圧力を吸収し、株価維持が図れる」(自民党幹部)との算段だ。
 しかし、株価維持策(PKO)はバブル崩壊以降の株価急落時に、政府・与党が郵便貯金・簡易保険、年金資金なども活用しながら何度も試みたものの、いずれも失敗に終わり、「愚策」のレッテルをはられた。

 PKOは愚作なんだろうか。確かに過去の経緯をみるとそうとも思えるが。
 ちなみに23日の時点で、日本経団連の御手洗冨士夫会長は25兆円の予算を求めている。ブルームバーグ”経団連会長:株価維持に買い取り機構新設を-公的資金の活用で”(参照)より。

日本経団連の御手洗冨士夫会長は 23日の定例記者会見で、最近の株価低迷が金融システムなどに与える 影響に懸念を示し、公的資金によって株価を買い支える新たな機構設立 を政府に訴えた。また景気対策として2009年度に25兆円規模の補正 予算を組むよう求めた。


 御手洗氏は、買い取り機構が必要な理由について、年度末を控え資 金繰りに苦労している会社が多く、株価低迷で自己資本規制に抵触する 可能性がある金融機関が「どうしても貸し渋る状況」にあることを挙げ た。日銀による社債やCP(コマーシャルペーパー)買い取りだけでな く、株式買い取りを通じた資金繰り支援策が必要だと強調した。

 その効果は実際にはどのくらいで、そしてそれは可能なのだろうか。できもしないことを考えても無意味だしなとなんとなく私は思っていた。
 が、冒頭のフィナンシャルタイムズ社説ではこれを否定してみせていた。

Falls in the stock market are now causing problems in the banking sector, but a proposal by an industrial umbrella association to prop up share prices is misguided.

株価低迷は銀行に大きな問題を起こしたとはいえ、日本経団連による株価維持提言は方向性が間違っている。


 フィナンシャルタイムズはPKOを否定している。銀行の増資という提案に加えてこう書いている。

One proposed response is to start “price-keeping operations” – spending 25,000bn yen of public money to prop up the stock market. This is an old staple for Japanese policymakers, and a smaller plan has already been put forward by the government but – predictably – is being held up in the Diet. Either version would be expensive and the breathing space it would buy for banks would only be temporary.

25兆円の公的資金を株価維持に費やす株価維持策(PKO)の開始も提案されている。日本の政策立案者による古くからの対応だし、すでに小規模案はすでに政府が実施しているものの、予想通り、国会でちゅうぶらりんの状態である。どちらの施策でもカネがかかり、銀行が一息付けるのは一時的なものに終わるだろう。


 ではどうしたらよいか。結論からいうと抽象論になっている。というか、毎度の議論だ。

The Japanese should, instead, focus on rebalancing their economy.
日本はそうではなく経済のバランス正常化に取り組むべきだ。

In addition to a real fiscal stimulus to jolt its citizens to spend, the government needs to stop Japanese companies retaining unproductive cash.
日本の庶民がカネをもっと使えるように財政的に刺激することに加え、日本政府は企業が再投資されない内部留保を押し止めなくてはならない。


 まいどの、老人はカネを使え、なのだが、これに企業の内部留保ヤメレが加わるのだから、考えようによっては、ここで一気に賃上げしろ、と取れないこともない。

If Japan needs to recapitalise its banks, it should do so directly – not by supporting the stock market.
日本政府が国内銀行に資本投入をする必要があるなら、株価維持政策ではなく、直接投入すべきだ。

The virtues of these policies, however, remain academic when the Aso administration is so weak. It is time for an election. There is little point to paralysed governments.
銀行への直接資本投入の効果は、麻生政権がかくも弱体では机上の空論にすぎない。かくなるうえは、選挙の時期なのである。麻痺した政府の存在には意味はない。


 いや、ちょっと試訳しながら考えこんだな。当初、フィナンシャルタイムズの社説を読んだおりは、あははまたこれかと思っていたのだが。
 私としては、麻生政権を潰しても自民党に代わりがあるわけではないし(小池が出てきたら応援するとは思うが)、民主党の経済政策って皆目わからない。未知なものに賭けるといっても、まっさらに賭けるのは無謀過ぎると思っていた。
 ただ、あれかな、意外とここで春闘とかで労働団体が頑張って正規雇用のみなさんとかだけでも賃上げしたほうがよいのかもしれないなとも思う。

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2009.02.25

[書評]非モテ!― 男性受難の時代(三浦展)

 こういうとイヤミみたいだけど三浦展の本や対談集や解説はどれを読んでも、はぁ?ネタ?とか思うくらいで特段に面白いということはなかったし、なんというのか年齢は私と一歳違いで同世代感はあるのだけど、自分なんかとは基本的に全然違う資質の人かなと思っていたが、そしてただの暇つぶしに買った本だったのだけど、「非モテ! ― 男性受難の時代 (文春新書)」(参照)は面白かった。

cover
非モテ!―男性受難の時代
三浦展
 というか、三浦にとても親近感すらわいた。ぞろぞろと本を出す人だし、この本も企画本というか他のライターを混ぜ、おそらく資料作成は別の人に依頼して編集的に作ったのではないかと想像するけど、意外と三浦展という今の人を逆に描いている感じがした。そこも面白かったというべきなんだろう。
 話は、標題通り「非モテ!」論である。ああ、そんなのはてなダイアリーでこってり見ているよと思ったのだけど、なんというのか、もうちょっとオサーン的な切り口はあってもいいだろうし、なんというか、はてなダイアリーって七月の夢精朝のパンツみたいな濃度があってちょっとななので、スタバで読める感じの文春新書とかいいんじゃないのと思って、読み出した。捲り始めて、内容もなんだけど、誤字脱字王の私がいうのが風流というところなんだけど、26ページに校正漏れがあって、わっはっは、と王様笑いをしてみたものの、読み進めるにけっこう引き込まれた。
 一応表向きの切り口は、非モテ論でそのケツにつくびっくりマークもほんまもんなんだが、とりあえず、こういうテーマ。

若者(男性)世代では「容姿」が格差意識の原因となりつつある。「プレゼン力」「人間力」重視の果てにある「容姿決定社会」の実態とは

 で、出版元からも(参照)こうある。

「見た目」の重要性がさけばれる昨今ですが、秋葉原殺人事件の犯人はネットに、自分が「不細工」で「彼女がいない」ことの絶望感を執拗に書き込んでいました。これに注目したのが『下流社会』の三浦展さん。三浦さんは、容姿やモテへのこだわりは彼だけの問題ではないと指摘します。若者への意識調査から、男性の間で「容姿が悪いと人生に希望が持てない」ほどの容姿重視傾向があることがわかったのです。なぜ男が外見を気にするようになったのか。そこに問題はないのか。行き過ぎた「見た目」重視現象に警鐘を鳴らします。

 そういうことでもあるし、率直にいって、秋葉事件のときの現代思想・社会思想みたいなアホ臭い説明にくらべると、この切り口のほうが重要だろうなというのはある。
 まあ、そのお喋りでもオッサン向けに聞きますかなという感じだったのだが、なんというのか、微妙に三浦が乗り出してくるのだ。このオッサンの乗り出しというのは、いや、私がいうと洒落にならないのだけど、口説きとか、プロジェクトを畳むぞぉうぉの迫力みたいなガクブル感があって、だいたい、この変なパワーは三浦とか私の世代で終わり。これが団塊世代だと少年時代に貧乏と腹減った無意識彫り込みがあるからその後の精子製造も60歳くらいまで現役……話がそれているが、そのあたりの、三浦の乗り出し方が面白い。
 グラフとかうざうざ付いているけど、ネットで集めたとかだし、それって統計学的に意味あんの?と突っ込むのもなんだし、話も微妙に逃げがあちこちあって、ネタとして読んでね感もあるのだけど、微妙に迫力だけはある。
 それにしてもモテの最大要因の容姿とかってそんな大したことかと、私というか私の世代くらいまでは思うものだが、三浦はこう切り込む。

 そして、本書の読者に多く含まれるであろう40代以上の既婚男性であれば、たしかに若い時は自分も容姿への自信なんてなかったが、そんなコンプレックスは年を取ると共に克服されていったなあという人が多いはずだ。仕事で鍛えられて、自分という人間の幅が広がって、自信がついていくと、顔がどうとか、スタイルがどうとかいうことは些末なことで、女性にモテかどうかも最後は人間としての魅力如何だよと思っている人が多いだろう。

 んだなの感じと、いや内心そうでもないなというのは私などにはあるが、が、というのは、この「んだな」はたぶん、今の40代の前半から下の世代では愕然と隔絶しているのだろう。だから、三浦はあえて乗り出しているし、そのエンタ性は、ちょっとただならぬものがある。ちょっと踏み出していうと、三浦は社会に対して怒っているのだ。オッサン怒るよな、という共感は私もある。
 今の日本はこんな社会に確かになっていると思う。こんな(文章の改行の躍動感がミソだ)。秋葉事件の容疑者をKとして。

 時代や社会が置き換え不可能な運命だから、顔もまた運命として意識されたのか?
 いや、違う。
 顔が置き換え不可能な運命だから、時代や社会も運命に感じられるのではないか?
 だから私はあえて言おう。
 KにとってKの顔は十分に悪いのだ。
 今のいう時代の中で悪いのだ。
 彼の世代の中でも悪いのだ。
 そう感じさせるほど現在の日本社会は、「モテ」や「容姿」を重視する社会なのだ。
 そして、容姿の悪さをその他の何かで埋め合わせることができないと感じさせる社会なのだ。
 時代や社会に絶望するから、顔に絶望するのではなく、
 顔が悪いから時代や社会に絶望しているのだ。

 これは、というか、この三浦の熱気の、ネタとも思えない部分のリアリティはなんなのだろうと思う。なぜ「私はあえて言おう」なのか。
 エンディングでのヴァーグナー的な盛り上がりの次の部分で、全オレが泣いた……

 そもそも私に言わせれば、現代ほど、こんな女にモテたい、こんな女と結婚したいと思えるようないい女が少ない時代もない。男性から見れば、「いい女がいない。いたとすると必ずもう結婚している」のである。私は大衆の深層心理をあけすけに書くのが仕事なので敢えて失礼なことを書くが、普通の男性は女性に優しいからそんなことは言わないだけである。だが、ほとんどの男性は心の中で、女性がすべて井川遥みたいで、そんな女性と結婚できるなら、俺だって必死に働くさと思っているにちがいなのである。

 まあ、そんなところかな。NHKの語学番組になぜか出てくる女性とか、そのあたりのストライクゾーンだしというのも、まさにマーケッターとして「大衆の深層心理をあけすけに書く」仕事師の三浦的なものから見えるものだろう。
 が、この私についてもうちょっと正直にいうと、全オレが泣いた……ということはない。私は、ある意味、世捨て人なので、世間のことは女も含めて、もうどうでもいいやと思っている。というか、全部そうじゃないから、三浦がおぅぉぉぉぉ!と言えば、反響するものはある。でも、この社会、どうしようないな、そうなるべくなったのだしと思っている。というか、私は、女性の母性的なものが嫌いだ。
 そこまでも、三浦はこそーりと思索しているようでもある。

男女平等というなら、非正社員で未婚で一人暮らしであっても、家では、女性のようにアロマたっぷりのお風呂につかって、ゆっくり紅茶を飲んで、甘い物食べて、お肌と爪の手色をして、レースを編んで、それが楽しいという男性がいても白眼視されてはいけないのである。

 それはそうだし、「アロマたっぷりのお風呂につかって、ゆっくり紅茶を飲んで、甘い物食べて」は、それなんてオレだし……ただ、この図式から、草食系男子というのも違うようには思うし、そのあたりはまだまだ続編は続くだろう。というか、マジこいて、男性の解放と思索が今の社会のアクチュアルな課題になっているのだろうし、まあ、オレはブログを書くよ。
 この本、いろいろ語りたいことが他にもあるけど、あと一つだけ書いてエントリは終わりにしよう。
 この本には、ひょっこり「はてな」が出てくる。というか、そこで出るでしょというところで出てくる。そして、Kの話は松永英明さんの「閾ペディアことのは」が典拠になっている。そして、三浦はその典拠の典拠性は問うていない。

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2009.02.24

[書評]足もとの自然から始めよう(デイヴィド・ソベル)

 勧められて読んだ本だが、勧めた人の気持ちがわかった気がした。同時に私というブロガーを理解してくれたようにも思え嬉しい感じもした。これほど共感できる主張の本というのも珍しく思えたほどだった。

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足もとの自然から始めよう
デイヴィド・ソベル
岸由二(訳)
 「足もとの自然から始めよう(デイヴィド・ソベル)」(参照)の趣旨は、サブタイトル「子どもを自然嫌いにしたくない親と教師のために」によく表現されている。子どもの成長に合わせて自然に自然環境を愛するようにするにはどうしたらよいか。環境教育の独自の提言がなされている。
 どちらかといえば小冊子なので二時間くらいで読める本だが、人によっては深い印象を残すだろう。私はいろいろ物思いや、子どものころの回想をした。本書のオリジナルは、「Beyond Ecophobia: Reclaiming the Heart in Nature Education (David Sobel)」(参照)で、1996年が初版の作品だ。意外と古い本とも言えるので訳書もそれなりに古いのか再出版かとも思ったが新刊であり、出版の経緯は邦訳書の訳者解説に詳しく書かれていた。

野の花のように優しい小冊子だが、今環境危機の只中にあるアメリカで台頭する、「子ども期」をターゲットとした環境教育の見直しの大きなうねりの中心に位置し、いずれは記念的著作と呼ばれることになってもよいはずの書籍であると、私は考えている。

 訳者岸由二氏は同じくソベル氏の著作「Children's Special Places」(参照)に共感したという。

その本でソベルは、秘密基地活動に代表される特別な場所づくりの活動が、世界各地の子どもたちにおいて同年齢で発現するヒトに普遍的な活動であり、これに配慮した教育の必要を主張していた。まことに衝撃的な内容で、ぜひ翻訳をと、出版社を通して努力もしたのだが、実現せず、その翌年に出版されていた本書「Beyond Ecophobia」を手にできたのは、なぜかそれから10年近くもたった2005年のことだった。インターネットで本書の存在を知った私は、急きょ20部ほど取り寄せ、NPO活動に参加する学生、スタッフと勉強会を開始した。

 「Children's Special Places」の意味は「子どもの秘密基地」である。翻訳者岸氏は1947年の生まれで、私より10歳年長であるが、その私も子どものころに秘密基地を作ったことがある。まだ戦争の跡がありそれを利用したこともある(危険といえば危険だったが)。そうした秘密基地活動は、藤子不二夫の漫画にもよく出てきたものだが、どのくらいの年代まであるだろうか。もちろん地域の差というものもあるだろう。
 先日「極東ブログ: 赤塚不二夫のこと」(参照)で紹介した赤塚不二夫も満州から引き揚げてからは似たように子どもたちで自然のなかで遊んでいたものだし、昔の子どもは総じて似たようなものだろう。
 話を戻すと、本書ではそうした秘密基地とかを作りたがる子どもの心の成長を環境への認識に段階的に関連付けることで環境教育を実践しようと提言している。ある意味、子どもの心のファンタジックなありかたから、自然や環境への愛情を導く教育方法論だとも言える。
 ソベルはピアジェ学派らしく、私もわけあってピアジェに傾倒したものだが、同書を読んだ印象では必ずしもピアジェの思想というものでもないようには思えた。訳者はこうソベルをこう評している。

 なお、ソベルには、上記に紹介した著書のほか、最新刊「Childhood and Nature」(2008)がある。子どもと自然をつなぐ原理として、冒険、ファンタジーと空想、動物の友だち、地図と道、特別な場所、小さな世界、狩猟採集の七つの視点を挙げ、これをいかに組み合わせて有効な環境教育をデザインするか、事例をもって指導する力作である。本書「Beyond Ecophobia」における事例選びの上品さやいささかの躊躇は見事に吹き飛んでおり、大地と子ども、大地と地域コミュニティーをつなぐ遊びそのものの深い意義にも自在に論及して、すばらしいできだ。

 批判というのではないが、自然環境とファンタジーや空想との組み合わせというと、あくまで例えばということだが、シュタイナー教育や「水からの伝言」といったものはどういう位置づけになるか考えさせられる部分があるにはある。つまり、環境教育に内包されたファンタジー性を科学・非科学といった基準で切り捨てることなく、上質なファンタジーの情感を活かしつつ、にも関わらず、科学的な心にまで教育するにはどうしたらよいのか。おそらく一つの答は、ソベルが導入しているような段階性だろう。しいて言えば、上位の段階で科学観を強化するということかもしれない。
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Beyond Ecophobia:
Reclaiming the Heart
in Nature Education
David Sobel
 本書の標題に含まれるEcophobiaという独特の言葉は、Ecology(エコロジー)へのfobia(恐怖症)という意味合いを持つだろう。この用語がどのくらい広まっているかざっとグーグルを検索した印象ではそれほどの定着はなさそうだった。もともとEcologyのEcoは、Economiy(エコノミー)でも共有するが、ギリシア語のοἶκος(家)に由来するもので、そのまま家への恐怖症とする用例もあるようだった。
 本書では、子どもが自然環境への恐怖症にならないようにするにはどうしたらよいかという視点で書かれているのだが、なぜそのような問題提起があるのだろうか。
 その提起にこそ私は深く共感したのだが、こういう次第だ。

 ”環境保護的に正しい”とされるカリキュラムは、現在進行している悲惨な事態を目の当たりにすれば、子どもたちのなかに現状を変えていこうという意思が育つにちがいないという思い込みの下に進められている。しかし、実際にはそうした悲惨なイメージというものは、自己、そして時間と場所の感覚を形成する途上にある幼い子どもに対して、始末におえない、悪夢のような影響力を与えている。

 環境を守らなければならないという切迫感を恐怖のイメージで描くことで、子どもは自然に対して恐怖のイメージを持ってしまい、逆効果になるというのだ。私もそう思う。さらに言えば分野は違うが、平和教育というものにも幼児に対しては恐怖のイメージを含ませないようにすべきではないかとも思う。

 もし教室が地球環境破壊の話題で埋め尽くされていたら、子どもたちはそうした問題から距離をとろうとするだろう。肉体的・性的な幼児虐待に対する反応と同様で、苦痛から逃れるため、そこから距離をとる技術や手段を身につけてしまうのだ。深刻な場合は多重人格となり、苦痛に満ちた経験に気づいていない新たな人格を形成してしまう。


私が恐れるのは、現在の我々の、それとしては正しいかもしれない環境教育カリキュラムは、子どもたちと自然をつなげるのではなく、引きはがすことになっているのではないか、ということなのだ。自然界が虐待される様を目の当たりにさせられ、子どもたちはかかわりをもちたくないと思うようになっている。

 ソベルは無意識の概念を導入していないが、こうした忌避の心理機構は無意識的に、しかも子どもの心の基底に定着する恐れはあるだろう。
 であれば、環境教育は別の方向性を取らなくてはならない。

 子どもたちにもっと元気に、力強い大人となってほしいと願うなら、地球を守れと言い聞かすまえに、まずは、子どもたちがこの大地を愛せるように彼らを支えることから始めよう。

 そしてその、自然への愛をはぐくむ教育には、ヒトの心性の発達過程とそのファンタジー性を上手に教育に繰り込む必要があり、そこからソベルの思想が展開される。
 本書を読みながら、私は自分が若い日に傾倒した哲人の言葉を思い出していた。正確な言葉ではないが、子どもの教育にも打ち込んだその哲人は、子どもから、「わたしはリスが好きなのに、わたしが近づくとリスは逃げてしまいます。どうしらたいいのですか」と問われた。彼の答えは意外なものだった。そしてその答えは、私の心にずっと残った。彼の正確な言葉は忘れたが、こんなふうに答えた。「リスがきみに安心感が持てるように、毎日リスのいる木の下でじっとしていなさい。何日も何日も。」 その奇妙な答えは彼自身が自然のなかの暮らしで実践していたものだった。大樹の下で禅定ともなく静かに日々座って、リスや山の動物たちが彼を恐れなくなるまで慣れさせ、そしてやがて彼の体にリスが乗り駆け回るようまでなった。猿がやってきて握手を求めたともあった。
 猿の握手。私はそんなバカなと思ったが、別途動物学の本で、仕込んだわけでもなく自然の猿にそういう習性があるのを知った。

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2009.02.19

浪費家相手の商売人は浪費家のカネが尽きればお陀仏

 英語のことわざ。"If you get rich by selling goods to wastrels, do not expect to survive when your customers run out of money. "、訳すと「浪費家相手の商売人は浪費家のカネが尽きればお陀仏」といったところか。いやいや、ウソウソ。英語のことわざではない。フィナンシャルタイムズ”Japan cannot afford to wait”(参照)の出だしの文章。


Japan cannot afford to wait
日本に猶予なんかない

If you get rich by selling goods to wastrels, do not expect to survive when your customers run out of money. The Japanese government has been loath to take measures to stimulate domestic consumer demand and reduce Japan’s export-dependency as the big spending deficit countries have fallen into recession. But as Japan’s recent economic results demonstrate, the surplus countries can ill afford to wait for a world recovery. The Tokyo government must get Japan’s frugal savers to spend freely.

あなたが浪費家相手の商売人なら、浪費家のカネが尽きてなお、お陀仏にならずに済むなんて期待はもてない。膨大な貿易赤字を抱える国が景気後退に入ったのに、日本政府は国内消費を刺激することや、輸出依存を減じようとしてこないでいる。しかし、このところの日本経済が示すように、世界経済の回復を待つ余裕などない。日本政府は、清貧な貯蓄家がもっと自由にカネを使えるようにしなければらならない。


 普通に正論だろうとは思う。なので毎度のように空しい正論をお笑いでぶちかますのかなと読んでいくと、ちょっと雲行きが違う。
 話はまず現下の世界経済と日本の状況をサーベイしたあと、特に円高に言及、そして。

Japan’s politicians have long been timid on the need for reform, shying away from challenging the country’s prevalent corporatism or its massive export-dependence.

日本の政治家は改革の必要性に臆病になっており、輸出依存の巨大企業志向を改善するのに尻込みしている。


 というか、マスコミも連日輸出依存企業の不況ばかり報道している点で政治家と同じ。
 そして日本の政治を普通に批判するのだが。

Taro Aso’s Liberal Democratic party government does not look up to the task.

麻生太郎率いる自民はこの仕事をする気がない。

The government lacks control of the upper house and may not be able to push through its current modest stimulus plans.

日本政府は参議院で操縦不能になっており、現在のごく控え目な景気刺激策ですら押し通すこともできないかもしれない。


 え?と思ったのは次だ。

Shoichi Nakagawa, the pro-stimulus finance minister, has resigned following erratic behaviour at a meeting in Rome.

景気刺激策に前向きな中川昭一は、ローマ会議の失態で辞任している。


 え? というのは、フィナンシャルタイムズにしてみると、中川昭一に景気刺激策を期待していたのかというか、そこに眼目があったのか。してみると、後釜に与謝野さんというのは、かなりしょっぱい話であったのだろうな。
 この待ったなしの日本の状況をどうすべきか。

The opposition, the Democratic party of Japan, opposes fiscal stimulus. And the political debate does not yet reflect the depth of the crisis.

対立する民主党は、景気刺激策に反対している。政治議論はいまに危機の深刻さを反映していない。


 ということで民主党なんか論外。
 じゃあどうするのというともうヤブレカブレ。

Even so, if the government is unable to act in the country’s interests, it should call an election. At this moment, it is dangerous for an administration to continue in office when it has already lost power.

にもかかわらず、政府が国益に対応できないなら、選挙をするしかないでしょ。すでに無力となっている政府が政権担当しているというのは危険なことだ。


 苦笑で済む問題ではないのだが、民主党でもダメなのに、選挙して、景気刺激策に期待がもてる政治勢力が出てくる気配もないのに、どうせいっていうのだろうか。
 与謝野への言及はないけど、入院したほうがいいよ中川さんというより、世界経済にとっては、与謝野が出てきたことが、ガーン!なインパクトだったのではないかな。

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2009.02.18

村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳

 村上春樹がエルサレム賞を受賞した際のスピーチの試訳です。

Always on the side of the egg参照
By Haruki Murakami

いつでも卵の側に
村上春樹

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.

今日私はエルサレムに小説家として来ています。つまり、プロのホラ吹きとしてです。

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

もちろん、小説家だけがホラ吹きというわけじゃありません。政治家もそうだというのは、みなさんもご存じのはず。外交官や軍人も状況によってそれなりにホラを吹くし、自動車営業マンやお肉屋さんや建設業の人も同じです。でも、小説家のホラ話に違いがあるとすれば、それを語ってもなんら不謹慎だと非難されないことです。実際、小説家のホラ話が大ボラで手が込んでいて創造性に富んでいるなら、その分、社会の人や批評家から褒められるものです。何でそうなっているんでしょうか?

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies.

私はこう答えたいと思います。つまり、創意のあるホラ話を語ることで、なんていうかな、作り話を真実であるように見せることで、小説家は新しい場所に真実を生み出し、新しい光をあてることができます。たいていは、現実のままのかたちで真実を掴むことや正確に描写することは不可能です。だから私たち小説家は、真実というものの尻尾を捕まえようとして、そいつを隠れた場所からおびき出し、虚構の場所に移し替え、虚構という形に作り直そうとするのです。しかし、これをうまくやり遂げるには、最初に自分たちの内面のどこに真実があるのかをはっきりさせておく必要があります。いいホラ話を作るのに重要な才能というのは、これです。

Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.

とはいえ今日私はホラ話をするつもりはありません。できるだけ誠実でありたいと思います。一年の内で一生懸命ホラ話をするのを差し控える数日が、たまたま今日に当たったわけです。

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came.

じゃ、ホントの話をしましょう。少なからぬ人が私にエルサレム賞を受賞に行くのはやめなさいとアドバイスしてくれました。君が行くというなら君の小説のボイコット運動を起こすよと警告した人もいました。

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.

理由は言うまでもありません、ガザで荒れ狂う激戦です。国連の報告では封鎖されたガザ市街で千人以上が命を落としました。非武装の市民もです。子どもや老人もです。

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott.

受賞の知らせを受けてから何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルに行き、文学賞を受賞するというのは、適切なことなんだろうか、と。また、紛争の一方に加担したり、圧倒的な軍事力を行使する国家の政策を支持したりといった印象を与えることになるのではないか、と。もちろん、私はそんな印象を与えたいと願っているわけはありません。私はいかなる戦争も是認しませんし、いかなる国家も支援しません。それに、自分の小説がボイコットされるのは望みません。

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands.

でも結局、いろいろ考えたすえに、ここに来ることを決心しました。決心の理由の一つは、私が行かないほうがいいとアドバイスしてくれた人が多すぎたことです。そのですね、他の小説家もそうだけど、言われたこととちょうど逆のことをしたがるものなのです。人が私に「おまえはそこに行くな」「そんなことはするな」とか言ったり警告したりすると、私は行きたくなるし、やってみたくなる。それが自分の性分だし、まあ、それが小説家というものです。小説家というのは生まれつきそんなやつらなんです。こいつらは根っから、自分の目で見て自分の手で触ってみないかぎり、何も信じないのです。

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing.

それが私がここにいる理由です。私は欠席ではなく出席することにしました。見ないでいるより自分自身で見ることを選んだのです。何も言わないでいるより、あなたたちに語ることを選んだのです。

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.

私がここに来たのは、政治的なメッセージを届けようということではありません。でも、もちろん善悪を判断しようとするのが小説家の重要な責務の一つです。

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

小説家がどんなふうに判断を伝えるか。その方法を決めるのは、なんであれその小説家に任されています。私はといえば、現実性を見失いがちだとしても、それをお話にしたいと思います。それが、政治的なメッセージを直接伝えようとみなさんの前にやってきたわけではないという理由です。

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

私の個人的なメッセージになるをお許し下さい。それは私が小説を書くときいつも心に留めていることです。メモ書きして壁に貼っておくとかまでしませんが、それでも私の心のなかの壁に刻み込まれているものです。こんな感じです。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

「私が、高く堅固な一つの壁とそれにぶつけられた一つの卵の間にいるときは、つねに卵の側に立つ。」

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

ええ、壁が正しく、卵が間違っていても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているか決めずにはいられない人もいますし、そうですね、時の流れや歴史が決めることもあるでしょう。でも、理由はなんであれ、小説家が壁の側に立って作品を書いても、それに何の価値があるのでしょうか。

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

この例え話の意味は何でしょう? 場合によっては、単純明快すぎることがあります。爆撃機、戦車、ロケット砲、白燐弾が、高く堅固な壁です。卵はそれらによって砕かれ焼かれる非武装の市民です。それがこの例え話の意味の一つです。

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

でも、この例え話の意味はそれだけに限りません。より深い意味があります。こう考えてみましょう。誰でも、多かれ少なかれ、卵なのです。誰もが、薄い殻に包まれた、かけがえのない、取り替えのきかない存在なのです。これは私には真実ですし、あなたにとっても真実です。私たちはみな、程度の違いはあれ、高く堅固な壁に向き合っています。壁には「大いなる制度(ザ・システム)」という名前がついています。「大いなる制度」は私たちを守ろうと期待されている反面、時に独走して、私たちを殺害しはじめ、他国民を殺害するように仕向けます。それは冷血に、効率よく、制度的に進行するものです。

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

一人ひとりの人間が貴重な存在であることを表現し、光をあてること以外に、私が小説を書く理由はありません。物語の目的というものは、私たちの存在が、その蜘蛛の巣に絡み取られ卑小なものにされないように、警笛を鳴らし、「大いなる制度」に光をあて続けることです。小説家が絶え間なくすることは、かけがえのない人間の存在というものを、生と死の物語、愛の物語、悲しみや恐怖に震える物語、腹がねじれるほど笑える物語、そうした物語を通して丹念に描くことなのだと私は確信しています。だから私たち小説家は日々一生懸命、物語を紡いでいるわけです。

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.

私の父は昨年90歳で死にました。父は教員退職後、お坊さんのアルバイトをしていました。父は大学院在籍時代に徴兵され、中国に送り込まれました。戦後に生まれた子どもとして私は、父が毎日朝食の前に仏壇で長く心に染みるお経を唱えていたのをよく目にしたものでした。私は父に一度理由を聞いたことがあります。父の答えは、戦争で死んだ人たちの供養ということでした。

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

父は、死者すべてを供養するのであって敵も味方も同じだと言いました。仏壇を前にした父の背を見ながら、私は私なりに、彼を取り巻く死の影を感じ取りました。

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

私の父は、私がけして知り得ないその記憶とともにこの世を去りました。なのに、父に寄り添い潜む死というものの存在は私の記憶に残っています。それは父から継いだ数少ないものですし、もっとも貴重なものの一つです。

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

今日私がみなさんに伝えることができたらと願うのはたった一つのことです。私たちはみな人間です。国籍や人種や宗教を越えることができる個人です。そして「偉大なる制度」と呼ばれる堅固な壁に向き合う壊れやすい卵なのです。見たところ、私たちには勝ち目がありません。壁は高くあまりに堅固で、そして無慈悲極まるものです。もしなんとか勝利の希望があるとすれば、それは、私たちが、自身の存在と他者の存在をかけがえなく取り替えのきかないものであると確信することからであり、心を一つにつなぐことのぬくもりからです。

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

もう少し考えてみてください。誰だって自分の存在は疑えませんし、生きていると確信しています。「大いなる制度」はそれとはまったく違う存在です。私たちは「大いなる制度」とやらに搾取されてはなりませんし、独走させるわけにはいきません。「大いなる制度」が私たちを作ったのではなく、私たちが「大いなる制度」を作為したのです。

That is all I have to say to you.

私が言いたいのはそれだけです。

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

エルサレム賞をくださることに感謝します。私の作品が世界中で読まれていることに感謝します。そして、今日、ここで、あなたたちに語る機会を得たことを嬉しく思います。

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2009.02.17

[書評]マーケティングとPRの実践ネット戦略(デビッド・マーマン・スコット)

 「マーケティングとPRの実践ネット戦略(デビッド・マーマン・スコット)」(参照)は、2007年6月に出版された「The New Rules of Marketing and PR: How to Use News Releases, Blogs, Podcasting, Viral Marketing and Online Media to Reach Buyers Directly(David Meerman Scott)」(参照)の翻訳で、米国アマゾンでの読者評(参照)を見ても伺えるように、マーケティング部門で高い評価を得ているようだ。

cover
マーケティングと
PRの実践ネット戦略
デビッド・マーマン・スコット
 内容は、「新ルール」が強調されている、オリジナルタイトルがわかりやすいかもしれない。つまり「マーケティングとPRの新ルール:書い手に直接届くオンラインメディアとして、ニュースリリース、ブログ、ポッドキャスティング、バイラル・マーケティングの利用方法」ということで、具体的に、これらのメディアをリーチという視点からどのようにマーケティングにおいて活用するかという具体的なノウハウに満ちている。さっと捲ると、研究所などから数十万円で販売される報告書に似ているという印象もある。別の言い方をすれば、Web関連の企業のみならず、これからどれほど不況に陥るとしてもWebメディアが広告やマーケティングに占める重要性は変わらないのだから、大半の企業において本来ならそれだけの対価で購入される情報がコンサイスにまとまっているというお得感はある。
 反面、私のように結果としてブログの世界に浸かっている人間からしてみると、本書で描かれている内容はある意味でごく普通な見解であって特段新規なノウハウはないようにも思える。が、そうではない。「こんな内容は当たり前だ」と評するいう人がいたら、「ではなぜオリジナル及び邦訳書において著者名にミドルネームが入っているのですか」と質問してみるとよいだろう。答えは本書にまさに新ルールの視点で書かれているが、こうしたディテールを読み落として、こんな内容を知っているというのではなさけないことだ。
 また、社員ブログについて提唱される、次のような視点はいまだ日本では新ルールとしては認識されていないだろう。

ただ、私の考えでは、企業はブログなど新しい媒体についてだけでなく、あらゆるコミュニケーション(口頭、メール、チャットなどを含む)について方針を定めておくべきだ。どんな手段についても、セクハラや中傷、機密情報の漏洩などについて方針を決めておくことは可能だし、そうすべきだと強く思う。

 その上で以下は重要な新ルールだろう。

方針が決まれば、それ以上は社員のブログに余計な制約をかけるべきではない。ブログのルールをどう定めるかは企業次第だが、社内ブロガーにしてみれば広報部門や弁護士が自分の記事を検閲するのはうれしくないはずだ。検閲が行われるようなことがあれば、せっかく書いた記事が世に出る前に、記事に込められた情熱が失われ、もったいぶったマーケティング文句に書き換えられてしまう可能性もある。

 この新ルールの背景には、従来のメディアで使い回されたマーケティング文句よりも、個人が発する情熱の力を正確に評価するというスコットのいわば哲学がある。つまり、ブログなど新しいメディアの読者は、この情熱を正確に読み取るという前提の認識があるわけだ。この認識こそ本書を類書を区別する、現場の新しい動向の感覚を伝えている。その上で、各種の新ルールが提唱される。
 本書自体の欠点ではないのだが、オリジナル出版時点から邦訳書が出版された現時点の状況変化と、日米間の差異については留保する部分がある。もちろんこの点は翻訳者にも意識されていて「訳者あとがき」でその要点は指摘されているものの、さらに踏み込んだ解説を附帯してもよかっただろう。
 そう期待してしまうのは、この邦訳書が出版されるに至る経緯に、日本のWebマーケティングの先端にいる人の大きな関わりが見えるからだ。加えて、ややプライバシーに関わる話になるがすでにご本人が公開されているので言及してもよいかと思うが、スコット氏の奥さんは、直木賞候補作ともなった「ノーティアーズ」(参照)の著者渡辺由佳里氏であり、ご夫婦のプロフェッションの分野は異なるとはいえ、スコット氏は日本により深く関われる有利なポジションにいる。その点をより強く活かされてもよいだろうと期待するが……それは少し踏み込んだ期待になるかもしれないが。

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2009.02.16

日本では報道されなかったみたいだけど彼の勝利の背景には

 先月イスラエルがガザ地区のハマスを攻撃した後、は、イスラエルがガザにした仕業をジェノサイド(民族抹殺)と呼んだ。さらに、は、テレビに出演して大声でこう叫んだ、「ユダヤ人はホロコーストを拒否するのではないか。なのに、それは私たちがまさに目撃しているそのものではないか」と。は、こうも言った、「私たちは、ユダヤ人コミュニティーがこの残虐な状況に抗議することを期待しよう」とも。

 とは誰か?

 この段落は12日付けワシントンポスト社説の一部を、について伏せて抄訳したものだ。オリジナルはこうだった。


After Israel's offensive against Hamas in the Gaza Strip last month, the caudillo expelled Israel's ambassador and described Israel's actions in Gaza as "genocide." Then Mr. Chávez turned on Venezuela's Jews. "Let's hope that the Venezuelan Jewish community will declare itself against this barbarity," Mr. Chávez bellowed on a government-controlled television channel. "Don't Jews repudiate the Holocaust? And this is precisely what we're witnessing."

 は、the caudillo(参照)、ベネズエラのチャベス大統領である。そしてこの社説”Mr. Chávez vs. the Jews”(参照)では、「ユダヤ人コミュニティー」の前に、ベネズエラが冠せられている。
 そして、どうなったか。

Government media quickly took up the chorus. One television host close to Mr. Chávez blamed opposition demonstrations on two students he said had Jewish last names.

政府系メデイアはすぐにこれ唱和した。チャベス氏に近い考えのテレビ番組司会者は、敵対するデモ中の、ユダヤ人家系名を持つ二人の学生を非難した。

On a pro-government Web site, another commentator demanded that citizens "publicly challenge every Jew that you find in the street, shopping center or park" and called for a boycott of Jewish-owned businesses, seizures of Jewish-owned property and a demonstration at Caracas's largest synagogue.

政府寄りのWebサイトでは、別のコメンテーターは、市民に「社会のために、街中やショッピングセンターや公園で見かけるユダヤ人全員に抗議」を求めた。さらに、ユダヤ人経営のビジネスをボイコット、ユダヤ人資産の押収、カラカス最大のシナゴーグ(ユダヤ人集会所)でのデモを求めた。


 イスラエルに抗議するためにエルサレム文学賞の受賞のボイコットを求めるの比ではない。
 そしてどうなったか。

On Jan. 30 the synagogue was duly attacked by a group of thugs, who spray-painted "Jews get out" on the walls and confiscated a registry of members.

1月30日、該当シナゴーグは、きちんと、暴徒集団に攻撃され、彼らは「ユダヤ人は出て行け」と壁にスプレーで書き残し、登録を押収した。

Mr. Chávez denied responsibility; days later, the attorney general's office said that 11 people detained in connection with the attack included five police officers and a police intelligence operative.

チャベス氏は責任を否定しているが、後日、検事当局は、襲撃に関連して拘留される11人うち、5人の警官、1人の諜報工作員が含まれていると述べた。


 ところで、このニュース、私は日本のメディアでは見かけなかった。
 邦文で私が見かけたのはCNN”武装集団がシナゴーグ襲撃、差別的落書きも ベネズエラ ”(参照)だけだったが、これにもチャベス大統領の話は含まれていなかった。

南米ベネズエラの首都カラカス市内のシナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)が1月30日夜、武装した約15人の男に襲撃された。犯行グループは管理事務所に反ユダヤ的な落書きをしたうえ、ユダヤ教の聖典「トーラー」が保管されている部屋を荒らした。当局者が明らかにした。

事件は午後10時頃発生し、犯行グループは31日午前3時頃までシナゴーグ内に留まっていた。部屋を荒らす前には、シナゴーグの警備員を縛り上げた。事務所の落書きには「くたばれユダヤ人」「ユダヤ人は出て行け」などの人種差別的な言葉とともに、悪魔の絵が描かれていた。


 背景を示唆するのは最後のこれだけだった。

シナゴーグは、イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザ侵攻への反発を恐れ、ここ数週間儀式を中止していた。ベネズエラはガザ軍侵攻に抗議するため、ベネズエラ駐在のイスラエル大使を国外追放済み。

 フォーブスでは「The Threat Closer to Home: Hugo Chavez and the War Against America」(参照)の著者たちの意見”Hugo Chavez And Anti-Semitism(参照)”を掲載していたが、そのトーンは当然ながらワシントンポスト社説より厳しいものだった。
 さて、関連する話がある。今日の朝日新聞”ベネズエラ、大統領再選制限の撤廃へ 国民投票賛成多数”(参照)より。

 南米ベネズエラで15日、大統領の3選を禁じる再選制限を撤廃する憲法修正案の是非を問う国民投票が行われ、チャベス大統領の修正案が賛成多数で承認された。これにより4年後に任期切れとなるチャベス氏の再選が可能となる。「21世紀の社会主義」の継続を訴えたチャベス氏の長期政権を国民が事実上容認する結果となった。
 中央選管によると、午後9時35分(日本時間16日午前11時5分)現在、開票率94%で、賛成が54.36%、反対が45.63%だった。投票率は約67%。
 チャベス大統領は「人民の勝利だ。社会主義を、革命を、そしてチャベスを国民が求めたのだ」と勝利宣言をすると、支持者が「チャベス万歳!」「チャベスは去らない!」と勝利を祝い、カラカス市内に花火が上がった。

 つまり、ロイター”ベネズエラ、大統領の再選制限撤廃を国民投票で可決”(参照)が言うように。

チャベス大統領の現在の任期は2013年に切れるが、今後は無制限に再選が可能になった。

 ということだ。
 私は2007年12月3日に「極東ブログ: ベネズエラ国民の選択に賛意を表したい」(参照)でこう書いた。

 民主主義というのは手順によっては独裁者を生み出しかねない。憲法というのはそうした強い権力への最終的な歯止めとして存在する。今回の事態は、憲法のそういう本質が揺るがされる可能性(公益が個人の利益に優越し公益認定で国家に接収が容易となる、報道の自由が優先されなくなるなど)がある例となって困ると不安な気持ちで見ていた。
 ブログには書かなかったが、私は冷静に見れば、今回のベネズエラ国民投票は改正案可決に向かうのではないかという予想を立てていた。

 あのときは予想は外れたかに思えたものだった。

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2009.02.15

[書評]グローバリズム出づる処の殺人者より(アラヴィンド・アディガ )

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グローバリズム
出づる処の殺人者より
 「グローバリズム出づる処の殺人者より(アラヴィンド・アディガ )」(参照)、オリジナル・タイトル「The White Tiger(ホワイト・タイガー)」(参照)は、「世界で最も権威ある文学賞の一つ」とよく言われるブッカー賞(参照)の昨年の受賞作だ。ウィキペディアを借りると(参照参照)。
その年に出版された最も優れた長編小説に与えられる。選考対象は、イギリス連邦およびアイルランド国籍の著者によって英語で書かれた長編小説。小説に与える賞であるため、同一作家が複数回受賞することもある。
 対象は純文学の長編。日本の芥川賞が新人作家登竜門として事実上短編を対象、また直木賞が大衆小説を対象としているのは違う。また、これらが作家に与えられる賞である点もブッカー賞とは違う。
The Man Booker Prize for Fiction, also known in short as the Booker Prize, is a literary prize awarded each year for the best original full-length novel, written in the English language, by a citizen of either the Commonwealth of Nations or Ireland.

ブッカー賞と略されるマン・ブッカー賞小説部門は、英語で書かれた毎年最高の長編小説に与えられる賞で、アイルランド及び英連邦諸国民によって選ばれる。


 大英国的な意味合いは強い。今回の「The White Tiger」ではそこがいっそう強く感じられる。が、それ以前に国際的な読書人なら必読というか、時代を象徴するマスト・リードの作品でもある。原書は昨年4月に出版されているので翻訳から出版までは1年もかかっていない。日本の読者にも待望であると見込まれていたのだろう。
 今回のブッカー賞では処女作で栄誉を得たこともあり、著者のアラヴィンド・アディガ(Aravind Adiga)も話題になった。報道例としては、昨年10月にAFPの報道「2008年ブッカー賞は、インド出身の新人作家デビュー作」(参照)がある。

 ブッカー賞審査委員長のマイケル・ポーティロ(Michael Portillo)氏によると、「インドの闇」を描いたオリジナリティがそのほかの候補作とは一線を画していたこと、衝撃とエンターテインメントが均等に含まれていることなどが選出理由になったという。
 アディガ氏は1974年10月23日にマドラス(Madras)で生まれ、現在はムンバイ(Mumbai)に在住。「この賞をニューデリーの人々に捧げる」と受賞の喜びを語り、「300年前は地球上で最も重要な都市だったニューデリーは、再びそうなる可能性を持っている」と付け加えた。

 作品理解に重要だろうと思われるので、アティガの経歴も少し見ておきたい。同書カバーには簡素に書かれている。

1974年、マドラス生まれ。現在ムンバイ在住。コロンビア大学のコロンビア・カレッジで英文学を学んだのち、経済ジャーナリストとしてのキャリアを開始。フィナンシャル・タイムズ、ウォールストリート・ジャーナルなどに寄稿し、南アジア特派員としてタイムに勤務する。はじめての小説作品である『グローバリズム出づる処の殺人者より』で、2008年度のブッカー賞を受賞した。

 ウィキペディアによれば(参照)、作者アディガが育ったのはこの作品と関係するバンガロールのあるカルナータカ州マンガロールである。同地の高校で最高位の成績を収めたのち、オーストラリアのシドニーに家族と一緒に移住し高校生活を続け、後にコロンビア大学に入る。「フランス革命の主役たち」(参照)や「風景と記憶」(参照)で著名なサイモン・シャーマに学んだという。ここでも優秀な成績を修めた。
 私の印象に過ぎないが、オーストラリア移住は親が息子の突出した才能に賭けたのかもしれない。
 作品は端的に言って面白い。現代的なドライなユーモアとアイロニーのなかに、途上国の経験なくしてはわかりづらい込み入った心情があり、さらに、従来の文学の技巧をさり気なくちりばめた文体でありながら書簡を模しているため読みやすい。高校生でもなんなく読めるだろう。
 そう、この作品は温家宝に、インドの新興企業家にして殺人者のホワイト・タイガーと名乗る若者が充てた手紙という人食った設定になっている(おそらく出版時から想定して北京オリンピックを当て込んでもいたのだろう)。

中国の
首相官邸内で
たぶんぐっすりお休み中の
温家宝閣下机下

起業家問題に関する
閣下の深夜の教育係
ホワイト・タイガー拝


 なぜ温家宝充なのか。なぜ新興企業家にして殺人者が長い手紙を書くのか。温家宝がインドの起業家に会ってその成功の物語を聞きたいとラジオで言ったのを、ホワイト・タイガーこと主人公のバルラムが聞き、それではその秘密を語ろうという趣向だ。
 出版社の概要はそこを基本に描いている。

 究極の格差社会インドから中国首相に送られる殺人の告白。グローバリズムの闇を切り裂き、人間の欲望と悲しみを暴く挑発的文学
 グローバル経済の波に乗り、光を浴びるインド。だがそこには暗く淀んだ闇が――。
 貧困の村に生まれ、その才覚により富裕な街バンガロールで起業家の従僕となった男。究極の格差社会をのしあがるべく、男は主人を無残に殺害……。インド訪問を控えた中国首相宛ての手紙として綴られるインドの闇と汚濁。異様な緊迫感の漂う本書を書き上げたのはインドの実業界をつぶさに見てきたジャーナリスト、だからここにはインドの真の姿があります。

 それゆえに邦訳本の標題が「グローバリズム出づる処の殺人者より」とされたのだろう。そういう視点から作品読んでもよいのだが、おそらくテーマは逆だ。
 グローバリズムが生み出す暴虐性よりも、作品はそれをもってしか揺り動かすことのできないインド大衆の「檻」の心性を描いている。そしてそれが中国でも同じであろうというのがこのお笑い仕立ての背後にあり、それをきちんと読み取れるのは英国本国よりコモンウエルスの国であり、途上国からのし上がろうとしている中国であり、そしてのし上がった経験を持つ日本の読者でもあるだろう。
 それにはなぜ標題が「ホワイト・タイガー」なのかにも関連する。ホワイト・タイガーとは檻のなかにいる暴虐の象徴でもある。作品では、その暴虐を誘惑に変えるニューデリーの光景、加えてそこに対比させるインド農村の丘の光景の描写が最上の文学の文体で描かれている。
 作品の展開では「インドの真の姿」に殺人事件を介在させるため、多少推理小説的な展開で読者の興味を繋げていく。もちろんと言ってのだが、推理小説のような殺人の動機やトリックが主題ではない。むしろ、途上国の起業家が抱え込むある心理とも倫理ともいえぬあり方の暗喩としての殺人が問われている。結論を急ぐようだが、成功者でもあるアディガの心にうずく文学的な感性による罪責感でもあるだろう。作品はユーモアとアイロニーに満ちていて、ところどころ爆笑してしまうのだが、その爆笑から陥穽に嵌るように悲哀の心情に突き落とされるようなシーンがいくつもある。
 ホワイト・タイガーと名乗る男の人生はガヤ州の陰惨な農村から始まる。社会主義政権下の腐敗のインドだ。滑稽な筆致ではありながら、社会主義・共産主義が理想として語られつつ現実の汚辱にまみれている世界が、その内側から描かれている。
 ガヤ州はベンガルに近く、アディガの生まれ育った南インドとは異なる。その点で作品内の描写は彼自身の体験とは異なるのかもしれないが、その後のニューデリーからバンガロールの情景のリアリティはまさに作者がお得意であろう現代のそれになる。現代インドのスラップ・スティックスの描写はジャーナリストの目も含まれている。
 作品では、両極のダイナミズムとして、グローバリズムの暴虐の世界を、その対面にあるアジア的な汚辱の世界と摺り合わせ燦めかせながら描くことで、主題に強い線を与えている。
 米国はかつて奴隷とした黒人を象徴する者を大統領に据えた。この英国で賞を得た作品は大英帝国の支配の陰画を文学として映し出した。そうせざるをえない歴史の力というものもグローバリズムの暴虐とは無縁なものではないだろう。

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2009.02.14

XOじゃん

 世の中はバレンタインデーらしいが、私の身の回りでは特にそんな話題もない。私自身は40歳過ぎてからはこの季節はけっこう好きで、なんか変わったチョコレートはないかなと洋菓子屋を見て回る。今年はピンクペッパーのチョコが面白かった。
 関心はそのくらいで、13日の金曜日の次の日がバレンタインデーだとすっかり失念していたのだが、リマインドしてくれたのがGoogleのロゴだった。


valentines09ver1


cover
XO醤
 なかなか面白いじゃん、XOじゃん、と思った。
 先日の「極東ブログ: 何故ダーウィンは結婚したのか」(参照)で見せてくれた、建国記念の日はガン無視(さらにダーウィンもガン無視)のGoogle Japanの批判精神としてはなかなかええんでないの……と、は、いえ、これって日本向けか?
 っていうか、この洒落、日本人に通じるのか? XOXOだよ。ルージュの伝言じゃないんだってば。
 つまり。



誰かが 誰かを愛してる
それが世界の始まりだ
KISS AND HUG 本当の笑顔で
KISS AND HUG 嬉しいときは
KISS AND HUG ララララララ
うその笑顔はいらないよ

 ていうか、日本語的には。

 ウィキペディアとかにあってもよさげと思ったら、あった(参照


Hugs and kisses, also love and kisses, is a term for a sequence of the letters X and O, e.g. XOXO, typically to express affection or good friendship at the end of a written letter, email or SMS text message. [1] [2] [3] [4]

キス&ハグ、つまり、ラブ&キスは、XとOをつなげたXOXOと書くのだけど、手紙やメールやとかの末技に、好きだとか仲良しとかを示すのに使う。



The Oxford English Dictionary states that X is "used to represent a kiss, esp. in the subscription to a letter."[1]. There is no general consensus on the origins of the O as a hug. The O could relate to the shape formed when two hands are crossed in a hug, forming a type of O. The 'X' may also refer to the pursing of the lips when kissing.

オックスフォード英語辞書だと、Xは「キスを示す、特に手紙につけたす」とある。Oでハグを示す由来についてはよくわかってない。たぶん、腕を回して抱いている形だからOということなんだろう。Xのほうはたぶん、キスマークだろう。


 起源はよくわかってないらしい。私が青春のころには、すでにxxxxxとかあったものだった(遠い目)。
 いずれにしても、このGxogleロゴは洒落てるじゃん、と思ったら、現在はつまらんロゴにすり替えられている。なんで?
 Gxogleは、夜から朝向けだったのか。どうなんだろと、ちょいとググってみたら、このロゴ、どうやら日本と中国でしか閲覧されてなさげ。事実上英語圏にはないっぽいのだが、どうなんだろ。謎は深まる。
 考えてみると、欧米圏でバレンタインデーだからってXOXOってことはないような。
 そういえば、バレンタインデーについてカトリック教会は粋なことを言っていた。BBC”St Valentine 'not saint of love'”(参照)より。

Britain's Roman Catholic Church is advising lovelorn singles to direct their February 14 requests for love to St Raphael, rather than St Valentine.

英国ローマカトリック教会曰く、失恋した独り者なら、2月14日には、聖バレンタインに祈るより、聖ラファエルに祈りなさい。


 たしかに聖バレンタインはすでにできているカップルを祝福するほうで、童貞・処女歴実年齢派の場合は、ちょっと違うかな。
 ついでに先日グローブ&メールのニュースで”Cupid strikes: Love is still in the office air”(参照)という記事を見たのを思い出した。

Four out of 10 workers say they have dated a co-worker at some point in their career, 18 per cent of them two or more times.

40%の労働者は多少昇進の都合もあって異姓の同僚とデートをしたことがあり、18%は一度じゃすまないよ、と言った。

And 31 per cent said they turned their office date into a married mate, a new survey finds.

31%は職場恋愛のデートでケコーンに至ったと、最新の調査が明らかにした。

It's not all among equals. Thirty-four per cent said they had dated someone in a higher position, 42 per cent of them their boss.

ばらつきはある。42%が上司とのデート、34%が上司スジだと言っている。


 んなのありかよ。

While 72 per cent said they never felt any need to keep a relationship secret, 7 per cent did leave a job because of an office romance.

72%はオフィスラブを秘密にする必要はなかったと言うが、7%はオフィスラブが原因で仕事を辞めることになった。


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Royal Chocolate Flush: MISIA
 北米だとそういうことかな。

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2009.02.11

何故ダーウィンは結婚したのか

 ブログに書きたいことがないわけでもないし、書評もどきのエントリのネタになる本とかも読むには読むのだけど、なんとなくブログを書くのが億劫な気持ちになる。と、していてもなんなので雑談というか雑談風に。
 今日は建国記念の日だがその話は以前「極東ブログ: 建国記念の日というのは春節、つまり旧正月なのだ」(参照)に書いた。が、今日Googleのロゴを見ると、今日はGoogle的には建国記念の日というより伊能忠敬の誕生日とあり、「Google Japan Blog: 本日2月11日は、伊能忠敬の誕生日です」(参照)というわけだ。


地図を作る仕事に関わっているうちに、自分たちが住んでいる土地や国、この世界や地球について、もっと詳しく知りたいという純粋な思いに突き動かされていることが多々あります。きっと伊能忠敬もこのような思いで綿密な作業に取り組んでいたのではないか、その思いの強さがあれだけの偉業に至ったのではないか、と考えるようになり、改めて畏敬の念を覚えます。

 そんなふうに改めて畏敬の念を覚えるというのも別段かまわないが、私なんぞは、伊能先生、婿養子になり家を盛り立てきちんと家督を嫡子景敬に譲って隠居して、しかも50歳だよ、きちんとやって、人生を半分降りる、その道楽的な生き方の勧めみたいなものに心惹かれる。
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四千万歩の男〈1〉
井上ひさし
 私も50歳になり、人生を半分引きずり下ろされたが、伊能先生のような四千万歩の男の生き方はできっこないと思いつつ、先生も喘息持ちで健脚長寿を思ってもいなかったのだろう。してみるに、夢こそ全てか。改めて畏敬の念を覚えます。
 おっとそんなエントリを書くつもりではなかった。Googleが今日スペシャルロゴにしたということは明日もそうすることはないんだろうなと、なんとなく思った。明日、12日はチャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)の誕生日、しかも1809年2月12日だから、ちょうど200年目になる。仮面ライダー・ディケード20人分だな。英語のGoogleのほうはたぶん、そのあたりがロゴネタになるんじゃないかなと思うが、意外とオバマさん人気で同日生まれのエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)という悪趣味もありかもしれない。
 ま、それはないか。というのもこのところメディアではダーウィンのネタが多い。なにを今更ダーウィンとも思うし、またぞろID論批判といったつまんねえ話もあるまいにというか、私はそれほどダーウィンに関心もなかったのだが、先日「極東ブログ: [書評]水辺で起きた大進化(カール・ジンマー)」(参照)の本を読み、同時代的な視点からのダーウィンというものに関心を持った。というか、あれだな未読だが「進歩の発明―ヴィクトリア時代の歴史意識(ピーター・J・ボウラー)」(参照)ではないが、ダーウィンがというより、ヴィクトリア時代の歴史意識としての進歩の発明というのが重要なのではないかなとも。ということで、まずは同じくボウラーの「チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響」(参照)からでも読んでみるかなと思っていた。これは近く読む予定。ついでに「ダーウィン革命の神話」(参照)も。でも、エントリとか書かないかも。いや書くかな。よくわからない。
 とか思っているうちに一昨日APで「On Darwin's 200th, a theory still in controversy」(参照)という面白いコラムを読んだ。標題からすると、ダーウィン理論は依然議論の的であるみたいな、うへぇな感じがあるが、中身はちょっと違っていた。冒頭こう。

It's well known that Charles Darwin's groundbreaking theory of evolution made many people furious because it contradicted the Biblical view of creation. But few know that it also created problems for Darwin at home with his deeply religious wife, Emma.

(チャールズ・ダーウィンによる進化についての革新的理論は多くの人を激怒させた。というのもその理論は聖書の創造説とは矛盾するからであったからだ。しかし、ほとんど知られていないのは、この理論がダーウィンの家庭の問題を引き起こしていいたことだ。特に、宗教心厚い妻のエマの間に。)


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エマ (1) (Beam comix)
 おお、この手の夫婦関係のいざこざっていうのは私のちょっとツボ。というか、宗教心厚い妻のエマというところに、萌えるものがあるじゃないですか、って、そっちのエマじゃないってば。

Darwin held back the book to avoid offending his wife, said Ruth Padel, the naturalist's great-great-granddaughter. "She said he seemed to be putting God further and further off," Padel said in her north London home.

(ダーウィンは妻の心を傷付けまいと自著を控えた、とルース・パデルは言った。彼女はダーウィンの曾孫娘だ。彼女は「エマはチャールズが神を遠ざけているようだと言っていた」と北ロンドンの自宅で語った。)


 なんか絵が浮かぶな。で、どうなったか。

"But they talked it through, and she said, "Don't change any of your ideas for fear of hurting me.'"

(でも彼らは徹底的に語り合い、エマは「私の心を傷付けるのを恐れるあまり、自分の思想を変えるのはやめて」と言った。)


 というのを夫ダーウィンはマジで受け取ったということなのでしょう。
 いやそういう夫婦生活は想定済みだったのかもしれない。彼の日記はたぶん童貞時代から続いていて、ケコーンについてはこうメリットとデメリットの視点から考察されていた。

The advantages? A wife would be a constant companion, a friend in old age, and fill the house with music and feminine chitchat.

(ケコーンのメリットは何か? 妻というのはいつもそばにいてくれるし、年を取っても親しくしてくれるし、家庭を音楽と声優みたいな声の会話で満たしてくれる。)

The cons? Losing the freedom to come and go as he pleased and to read as much as he wanted at night. Visiting relatives. And he would have to spend money on children, not books.
(ケコーンのデメリットは? 好き勝手にほっつき回るわけにもいかなくなる。夜中に好きなだけ読書っていうのもできなくなる。親戚回りもしないとな。本にカネを使うわけにはいかないのは、子どもにカネを使わなくてはならなくなるしな。)


 ま、その、これが200年前の男が思ったこと。なんか、あれだね、生物は進化しているが、男は進化してないんじゃないか。
 で、結局どういう結論になったかは歴史が示すとおり。

After much deliberation, Darwin renounced the single life: "One cannot live this solitary life, with groggy old age, friendless & cold, & childless staring one in ones face, already beginning to wrinkle," he concluded.

(悩み抜いたあげく、ダーウィンは独身生活に別れを告げた。曰く、人はみな一人では生きていけないものだからぁ♪、特にぼけ爺になるとだ。友だちいません、寒いよ、子どももいません、と鏡に映る自分の顔を見ながら思う老年か。もうすでに顔に皺があるじゃんか。)


 ということで30歳で結婚。目立つ白髪で電車の席を譲ってもらったとか、後年その肖像で知られる禿とかはまだ気にならなかった。
 ほいでダーウィンはケコーンして夜の読書も減らして、子どもを10人なし、曾孫は72人。適者生存というか勝者生存というか、まあ、よかったねでだけど、子どものうち二人を幼くし、彼も悲しんだようだ。「思い出のケンブリッジ―ダーウィン家の子どもたち」(参照)とかも面白そうだが、中古本プレミアムか。
 さらに後年、原因不明の病にも苦しんだようだ。記事には書いてないが英語版のウィキペディアに詳しい話がある(参照)。
 記事は曾孫による、ダーウィンが今生きていたらという想像の話でありがちに締められているが、話はそうありがちでもない。

What would he be doing if he were alive today?
(ダーウィンが現代に生きていたら何をしていだしょう?)

Padel thinks he would probably be studying DNA and the immune system. And she thinks the great scribbler would be online much of the time.

(曾孫のパデルは、ダーウィンならDNAと免疫の研究をしているでしょうと想像している。そして、ブログとかにいろいろ書き散らしているんじゃないの、とも。)


 そうかもね。なんかわかるな。あー、ブログっていうは誤訳か。

"He'd be a demon at e-mail," she said.

(彼はメールデーモンみたいなのになっていたんじゃないの、と曾孫のパデルは語った。)


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2009.02.07

ロシア関連の報道がどうも変だ

 ロシア関連の報道がどうも変だ。陰謀論を取りたいとは思わないし、ある程度は可視になっているのだから、それなりのスジが見えそうに思うのだがよくわからない。ただ、このまま過ごしていいとも思えないので、多少想像で補うかたちでメモ書きしておきたい。
 自分の個人的な感覚の問題かもしれないが、率直に言って「ビザなし交流」の大手紙社説がそろいもそろって薄気味の悪いものになっていた。なぜなのか。反露感情というだけのことか。
 先月30日朝日新聞社説「ビザなし交流―長年の努力を無にするな」(参照)より。まず、話の背景についての説明だが。


 人道支援物資を積んだ船で北方領土の国後島に向かった日本の訪問団が、上陸を断念して帰港した。ロシア側に出入国カードの提出を求められ、それに応じれば「四島をロシア領と認めることに等しい」と判断してのことだ。
 この人道支援事業は、北方領土の主権を主張するロシアとの間で「双方の法的立場を損なわない」との了解のもとで94年から始まった。旅券や査証(ビザ)なしで日本側が四島を訪問できる仕組みだ。

 朝日新聞の考えはこうだ。

 今回、ロシア側は「国内法が改正された」として、出入国カードという新たな手続きを要求した。これは両国が合意した実施手続きの一方的な変更であり、受け入れるわけにはいかない。
 ロシア側は墓参を含めて全面的にビザなし交流をストップさせるつもりなのか、その意図ははっきりしない。だが、四島周辺に安定した隣国関係を築こうというこれまでの取り組みに冷や水を浴びせるものだ。

 朝日新聞はなぜか「意図ははっきりとしない」として「冷や水を浴びせる」と流しているが、わずかにロシア側の考察を次のようにしている。

 ロシア側では、領土交渉を担当する外務省と、出入国管理を担当する連邦移民局とのあつれきといった事情も絡んでいる。

 翌日の読売新聞社説「ビザなし交流 ロシアは国際信義を守れ」(参照)はこう。

 ロシアの出入国手続きに従うことは、ロシアの管轄権を認めることにつながる。河村官房長官が「理解できない」と反発し、日本政府として撤回を求めたのは、当然のことだ。


 ところが、ロシアは今回、2006年の国内法改正を理由に出入国カードの提出を要求した。今後、ビザなし交流などで訪れる場合も例外は認めないという。

 読売新聞も多少ロシア側の意図への推測があり、朝日新聞と同じだ。

 背景には、出入国管理の厳格化を主張する連邦移民庁を、外務省が抑えきれなくなったという事情もあるようだ。

 ここはかなり重要なのだがそれ以上の補足はない。
 つまり、朝日新聞と読売新聞の社説では、なぜロシア連邦移民庁が出入国管理の厳格化を主張しはじめているのかという考察は避けられている。
 今月2日と出遅れた毎日新聞社説「ビザなし交流 継続へ日露は知恵を出し合え」(参照)は率直に言って社説の品質が悪い。

 ところが日本の外務省によると、今回ロシア側は訪問団出発の直前に「06年の国内法改正で出入国カードの提出が必要になった」と外交ルートで連絡してきたという。これでは一方的な約束違反と言うしかない。

 毎日新聞は後出しであるにも関わらず、あるいはしかたなくせっつかれて出したかのような印象もあるが、外務省発表の垂れ流しでかつロシア側への考察は微塵もない。
 この点、朝日新聞社説と同日の産経新聞社説「人道支援中止 ロシアは約束守るべきだ」(参照)は、朝日、読売、毎日と同じくロシアを非難したのち、多少奇妙にも思えるが、ロシア内政の権力構造を考察している。

 今回、出入国カードの提出を求めた移民局は、プーチン首相の出身母体の旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後継機関である連邦保安局(FSB)が管轄する。ロシアでは、プーチン氏の登場以来、旧KGB出身者らで構成する「シロビキ(武闘派)」たちが急速に台頭し、事実上、同国の政治と経済を牛耳ってきたが、今回の事件は、そのシロビキ主導をより鮮明にした形だ。

 今回のロシア側の動きがシロビキ主導ではないかとするのは、恐らく正しいだろうと私も思う。さらに産経はこうも指摘する。

 さらに、時を同じくしてやはりFSBの管轄下にあるロシア国境警備局が鳥取県境港市のカニかご漁船第38吉丸を拿捕(だほ)する事件が発生した。

 この産経の読みでいうなら、ロシア内により広範囲にシロビキを巡る抗争があるというわけだ。これもおそらくそうだろうと思われるので、むしろ朝日新聞社説の結びの言葉が滑稽味を持っている。

 ロシアのメドベージェフ大統領は最近、麻生首相と電話で話し、極東のサハリンで2月中旬に会談することを提案した。「二国間のすべての問題を話し合いたい」と日ロ関係を前進させる意欲を伝えてきたばかりだ。プーチン首相も今春にも日本を訪問する方向で準備が進んでいる。
 資源価格の急落や世界経済の混迷もあって、ロシアは対日関係により積極的になろうとしているのだろう。ロシア側が力を入れている極東・シベリアの開発には日本の資金や技術が必要だし、中国が台頭する中でアジア太平洋地域に存在感を強めたいという思惑もある。
 だが、いくら関係改善に意欲を示しても、長年の交流の積み重ねを突き崩すような行動をとっては、日本側のロシアへの不信は深まる。そのことを、ロシアの指導者たちははっきりと認識する必要がある。

 今回の強硬措置がシロビキ主導なら、「ロシアの指導者たちははっきりと認識」した結果のことでもあろう。が、同時にプーチン首相もメドベージェフ大統領も日ロ関係の改善を望んでいる。彼らはシロビキと対立しているとでもいうことだろうか? まさか。
 この奇妙な事態の構図の基本線をまずすっぱりを描いているのが5日の予算委員会質疑だった(参照・参院TV参照)。

○鈴木(宗)委員
 とにかく、総理、私は、日本側からカードを切って動かす、これが大事だと思っていますね。また、向こうも総理ならば話ができるという認識を持って電話が来たというふうに思っておりますので、その点は頑張っていただきたいと思いますね。
 そこで、最近不幸なことが起きました、日ロ間で。それは、例の人道支援の品物が行かなかったことですね。
 私は、ロシアが一方的に出入国カードを出せと言ってきたと外務省は説明していますけれども、これは外務省は正しく国民に説明していないと思っているんです。なぜか。
 昨年の十月二十一日に、既にもうロシア外務省のソロスというサハリン代表は、来年からはビザなし支援でもカードが必要ですよということは記者会見で言っているんですよ、根室における記者会見で。それを、私は質問主意書を外務省に出しました。そういう要請はないから答える立場にないという、全くけんもほろろ。十二月にも私は出しました。私は、今回の事件は外務省の不作為だと思うんですよ。
 中曽根大臣、この点、質問主意書で私は既に言っている。全く動かなかったのは外務省なんですけれども、なぜ動かなかったのか。事前にユジノサハリンスクの総領事館なりモスクワ大使館なりに動く時間はあったんですから。なぜそれをしなかったのかをはっきりさせていただきたいと思います。
○中曽根国務大臣
 お話しのように、昨年の十月でございましたか、ユジノサハリンスク外交代表が、根室で開かれた記者会見において、来年度以降、四島交流で日本側訪問団が訪問する際には出入国カードが必要となる旨の発言をされたという報道がありました。ただ、我が国には何ら通知はございませんでした。


○鈴木(宗)委員
 中曽根大臣、経緯は知っておるからいいんですけれども、ただ、私が言いたいのは、去年の十月の二十一日に、サハリンの外務省代表はロシア外務省の方なんですから、その方が記者会見したということはやはり重いんですね、このノソフさんが言ったのは。そのときに、ユジノサハリンスクの総領事館やモスクワ大使館が去年のうちにきちっとやっておけば、こういう無駄なことはなかったわけですよ。
 そこで、ビザなし渡航というのは、もう大臣知っているとおり、平成三年にゴルバチョフ・海部会談で決まった話です。そこで、十月に、当時の中山大臣が行って調印した話。お互いの立場を害さないということになっているんですよ。
 私は、出入国カードを出す出さないの議論も大した話じゃないと思っているんです。なぜかというと、皆さん税関申告書は出すんですよ。ビザとパスポートは持っていかないけれども、それにかわる身分証明書はちゃんと出しているんですから。
 これはお互い知恵を出したんです。お互いの立場を害さぬということでスタートしているんですから、この出入国カードを出したからロシアの主権だと、北方四島を認める話にもならないんですよ。
 私は弾力的に、流氷も来る、もう船も行けなくなる、そんなことよりももっと、では今回限りの措置だとか、いろいろやり方はあったんじゃないか、こう思うんですね。

 つまり、今回の「ビザなし交流」問題は突然のことでもなく、予定されていたことで、しかも、日本の外務省がそれを知らないとうものでもなかった。
 つまり、これって何の出来レース?
 日本外務省がロシアとの軋轢を望んでいた? そこまでは言えないにせよ、そして、毎日新聞はさておき、朝日、読売、産経はこの経緯を知っていた臭い(突然の事態という認識はないようだ)。
 日本の対露報道で何が起きているのだろうか?
 そこがよくわからないのだが、この間のロシア情勢には、日本が深く関わっているとしか見えない。ちょうどこの間ロシアでは首相辞任を求める大規模デモが起きている。1日中日新聞「ロシアで1500人デモ行進 「首相辞任」要求、与党は対抗デモ」(参照)より。

輸入自動車関税引き上げへの反発が強まるロシア極東のウラジオストクで31日、政府への抗議行動があり、市民は生活向上を訴え、プーチン首相の辞任も求めた。


 ウラジオストクでは共産党員やインターネットでの呼び掛けで集まった市民ら約1500人が主要道路をデモ行進した。1月12日に発効した輸入車関税引き上げが、日本からの中古車輸入に携わる多くの市民を苦境に追い込んでいるとして撤回を要求。公共料金下げなども求め「プーチン首相は辞めるべきだ」「統一ロシアは退け」などと訴えたが、大きな混乱はなかった。

 共産党員と市民が反「統一ロシア」、つまり、反プーチンデモを極東ウラジオストクで行ったのだが、その原因がようするに日本車である。
 統一ロシア側にも多少の動きはあった。

 一方、統一ロシアはほぼ同時刻に市中心部で約2000人規模の集会を開催。党現地支部幹部らがメドベージェフ大統領やプーチン首相の政策を支持する演説を行った。ただ、参加者の多くは公務員や政府系企業関係者らで、集会もわずか30分足らずで終了。ただ地元テレビでは統一ロシア側の集会だけを報じた局が多く、政権の影響力が露骨に表れた形となった。

 これが先のシロビキの構図とどう重なるのかよくわからない。全然違うのかもしれない。
 しかし、日本車がウラジオストク市民の死活問題であることは確実だ。4日北海道新聞「中古車輸入規制 大統領らに撤廃要請へ ロシア極東 不満強まる」(参照)より。

ロシア政府が日本製などの中古車の輸入規制を強めている問題で、サハリン州議会は沿海地方議会と協力し、メドベージェフ大統領とプーチン首相に規制撤廃を近く求める方針を決めた。国内産業保護の必要性を訴える政府に対し、日本車排除の打撃を受ける極東では地域への影響が深刻化し、中央への不満はさらに強まっている。

 これが深刻なのは反政府勢力ではなく、地方政治の民主主義的な決定だという点だ。

 インタファクス通信によると、ウラジオストク港を抱え、中古車の輸入が多い沿海地方議会が呼び掛け、サハリン州議会経済発展委員会が一月末に賛同した。両議会は一月十二日から実施された中古車の輸入関税の大幅引き上げ撤廃を求める。
 さらに政府の措置は極東経済に被害を与え、人口流出に拍車をかけると指摘。日本車を標的にした右ハンドル車の輸入禁止法案が提出されたロシア下院には同案に賛同しないよう要請する。

 この動向が、ウラジオストクを含む極東地域の問題なのか、ロシアの他の地域でも反統一ロシアとして起きているのかよくわからない。テレグラフ「Vladimir Putin faces signs of mutiny in own government as protests break out in east 」(参照
は極東域に限定されるものではないだろうという含みはあるにはある。
 この地域の確執が先の胡散臭い「ビザなし交流」問題とどう関わるのかわからないが、ここで、日本側からなんらかの形でサハリン州議会支援のような動向があれば、プーチン首相・メドベージェフ大統領に決定的な打撃を与えることは確実だし、これを外交カードとして使われたらロシアはたまったものではない。なので日本外務省がプーチン首相・メドベージェフ大統領に助け船を出したか……というと、大手紙の反ロシア的なトーンからしてもそれはないだろう。
 NHKも今回ばかりは胡散臭いメッセージを出している。「 おはようコラム 「北方四島人道援助中止の波紋」」(参照)より。

Q3:ロシア側は、なぜそのような行動に出たのでしょうか。
A3:まさに、そこなのですが、近々、サハリンで行われる予定の日ロの首脳会談に関係していると思われます。
この会談は、メドベージェフ大統領がサハリンの日ロの合弁事業の完成式典に麻生総理大臣を招き、そこで領土問題を念頭に「2国間の全ての問題について話し合いたい」と持ちかけたものです。

Q4:漁船拿捕や人道支援事業に対する強硬な姿勢と会談の呼びかけは、矛盾していませんか。
A4:いや、したたかなロシアの外交戦術だと思います。
といいますのも、ロシアは、これまで好調だった経済が一気に落ち込み、打開策として日本を含めたアジアに目を向けようとしているのです。
だからこそ経済的弱みを見せないで強硬な姿勢で強いロシアを印象づけたいのでしょう。
麻生総理大臣は、こうしたロシア側の戦術に惑わされることなく、戦後64年、元島民が訴え続けてきた北方領土問題の解決に一歩でも近づけてほしいと思います。


 「強硬な姿勢で強いロシアを印象づけたい」は違うだろ。
 この構図なかでプーチン首相・メドベージェフ大統領がロシア極東地域の経済改善に必死であることがわかるし、親日的な傾向が現時点ではむしろ頂点に達している、というか、ここをうまく使えば北方領土問題の進展すらありうるだろうと思うのだが。
 そしてその経済改善の切り札はサハリン2だろう。6日共同「「日本へガス安定供給」 3月に輸出開始とロ企業幹部」(参照)より。なお、当たり前のことだがメドベージェフ副社長は大統領とは別人。

ロシア政府系天然ガス企業ガスプロムのメドベージェフ副社長は6日、共同通信など一部日本メディアと会見し、サハリンから日本への液化天然ガス(LNG)輸出開始は3月になるとの見通しを示し、長期にわたり安定的にLNGを供給する意向を明らかにした。


 サハリンからのLNG輸出開始は、これまで欧州に集中していたロシアのガス輸出をアジアにも振り向ける重要な転換点となる。

 ロシア側にしてみると、天然ガス資源を安定的に購入してくれるお客こそ上客で、これまで日本と中国を天秤に掛けてきた。
 しかし、ガスプロムというと欧州側からは恐怖をもって見られているが、これもロシア側にしてみると中抜きの脅威でもある。なので、次の説明はロシア側からすれば笑い話ではない。

 1月にはウクライナ経由のロシア産ガスの欧州向け供給が約2週間にわたって停止したばかり。副社長は、ロシア初となるLNG輸出はパイプライン輸送と違って第三国が輸送を妨げるリスクがないと強調。日本企業とは長期契約を結んでおり、供給に懸念はないと説明した。

 ここで疑問点が二つ浮かぶ。
 ガスプロムはまだ日中を天秤に掛けているのか。その場合、中国への保険がどのくらいか。
 もうひとつは、LNGを苦々しく思う勢力があって政治的な攻勢を掛けているのだろうか。

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2009.02.04

[書評]精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション(マイケル・アダムス)

 書店で見かけ、標題「精神分析を受けに来た神の話―幸福のための10のセッション(マイケル・アダムス)」(参照)が気になって手にした。ぱらっとめくったものの、未読の「神との対話」(参照)とか、ありがちなスピリチュアル系の話かなと思って書架に戻した。が、その後、巻末の問い掛けが心に残り、なんとなく気になってアマゾンでポチっと買った。昨晩、寝るかなと思って退屈げな本のつもりで読み出したら止まらず、睡眠時間を削ることになった。

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精神分析を受けに来た
神の話
 面白いといえば面白かった。二時間か三時間くらいで読める本だが、たぶん、この業界というのもなんだが精神分析というかカウンセリングの内側を知っている人にはいろいろ業界的な発想が伺える面白さもある。
 書店の紹介にはこうあるが。

「私」 と 「世界」 をつなぐ幸福のヒント。ある日、「神」 を名のる男が精神科医のもとを訪れた。対峙する両者。思いがけぬ事態の展開に導かれ、徐々に変貌する心の風景。善と悪、信念と寛容、真の救いとは、生きることの意味、そして究極の幸福とは・・・・・・気鋭の精神病理学者が描くスリルと機知に富むサイコドラマ。ベテラン精神科医と 「神」 を名のる患者が辿り着いた結末とは?

 いやそれほどという話でもない。「神」を名乗るというのはそのぉ、つまりありがちなリアル気違いなので主人公の医師も普通にそう対応しているが、この話「 [書評]あなたがあたえる 大富豪ピンダーの夢をかなえる5つの秘密(ボブ・バーグ、ジョン・デイビッド・マン」(参照)と同じように、ファンタジー仕立てになっているので、ありがちな超自然的な能力を「神」と称する男に付与している。まあ、そのあたりは笑って読め、なのだが、ちょっと深入りすると、精神科医を長くやっている人はウンザリするようなテンプレの狂気のなかに、まれに超自然的な現象に出くわしているのではないかと思う。というか、そういうこともあるさくらいで過ごしているのではないか。
 副題には「幸福のための10のセッション」とあり、オリジナルも「Gods Shrink: 10 Sessions and Life's Greatest Lessons from an Unexpected Patient」(参照)となっているのだが、「あなたがあたえる」のようなありがちな自己啓発系の本とは違って、10個のリストがあるわけではない。むしろ多少サイコドラマ的な展開になっている。が、スポイラーにする意図はないが、本書を読み終えても大きな感動というのはないし、別段、神がどうたらという感慨を持つこともないと思う。つまり、この本は、よく抑制して書かれている。
 それほど神学的には書かれていない。バルトやティリヒといった神学者が洩らすぞっとするような深淵はない。また「極東ブログ: [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳)」(参照)のような文学性もない。その意味では、内容的にも薄っぺらな書籍とも言えるのだが、本書の価値はそこではない。
 たぶん、この本は、主人公に模せられているように50歳近い人が読むと、かなり味わいが違うと思う。神が存在するのか、神が存在するならこの世界はなんなのかみたいな熱いというか暑苦しい問い掛けで挫折した40代から50代の人が読むと、後半の思い出の旅などに、静かにじんとくるものがあるだろう。人は生きていると、その心のなかに死者を抱えていくようになる。死者をどうなつかしく思うのか。死者の意味をどう考えるのか、自分もまたその参列にどう加わるのか、そういうことを自然に考えるものだ。
 話を戻して私の心にひっかかったのは巻末の次の問いかけだった。読後用に「討議のための問いかけ」が十二個ある。

一、あなた「神が存在するか、しないか」の確たる証拠が将来明らかにされると思いますか?

 私はこの問いに最初失笑した。ナンセンスだと思ったからだ。

四、セッション2でゲープとリチャードは完全無欠な存在としての神を議論しています。あなたは、神が完全無欠でなければならないと思いますか。

 神が完全無欠かについては、ある意味神学的には稚拙な問い掛けとも思うが、いわゆる無神論者の神概念はここに稚拙に集結しがちだし、普通の人も、いや聖書学者ですら「極東ブログ: [書評]破綻した神キリスト(バート・D・アーマン)」(参照)のように悩むし、私も含めて、心のどこかでこの問題は考えている。そしてアーマンが暫定的に評価したように、ユダヤ教のラビであるクシュナーによる「なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)」(参照)のように、神の万能性については留保することになる。というか、神というものをより人間的な倫理的なものに捉え直す。
 というか、欧米風の無神論の課題は伝統的な倫理性なくどのように人が倫理を打ち立てられるかという倫理の問題であって、神は存在しないのだとバカ騒ぎする問題ではない。本書でも、その意味で、神とはつまり倫理の根拠性として妥当な受け入れをしようということで、どうやらそのことで、結果的に神に苦しむ人に対するカウンセリング的な意味合いを持っている。ざっくり言えば、本書は宗教を薄めて実用的にしたいという目的もあるだろう。
 問いを進める。

八、あなたは、我々はある程度の「自由意志」を持っていると考えますか?

 これもまた稚拙な問いようだし、自由意志の有無というのはモデル的に思考されがちだが、本書ではもっとプラクティカルに問うている。つまり、社会や世界を変えるという文脈で自由意志とはなにか?
 ガザ空爆では、報道カメラが入ってから日本のメディアも騒ぎ出したが、この間、ずっとダルフールではスーダン政府による空爆が続いていた。そのことは日本ではあまり報道されない。どちらも政府による戦争犯罪でありながら、重視されかたは異なる。なぜか。いろいろな理由はあるだろうが、報道には背景があり、陰謀論というほどではないが、権力の力学が存在する。
 この社会や世界にとって、実際的な意味での自由意志とは権力の度合いを示している。であれば、ジンバブエでコレラによって自我を確立する年齢に至らぬ内に死ぬ人間存在にどのような自由意志の意味があるだろうか。つまり、そういう問題だ。
 本書ではそれを正面から取り上げている。そこで、能力のある人間、力のある人間は、善を実行して世界を変える責務を負うというテーマになってくる。ただ、そこはそう強くは主張されてはいない。
 私はこの問題は、本書でしばしば考え込んだところだ。たとえば、この私にはなにか社会に役立つ能力があるのか。それを使っているのか。ブロガー? いや自分でも失笑していますよ。
 そして一番心に引っかかったのは、次の荒唐無稽な問いだ。

十二、あなたが神と対話する機会に恵まれた場合訊きたい質問は何ですか? 三つあげてください。

 たぶん、普通の日本人の常識人なら「神と対話」するというのは意味をもたないだろうと思う。日本人はたぶん神は、天皇のように、形だけ敬っておけ終了、みたいな存在で、天皇はそうでもないが神については御利益あるべしと、賽銭箱に五円玉くらい投げ入れ、五円相当のラッキネスを期待する。
 私は自分を特殊だとは思わないが、正直にいえば、私は神に対話したいと思っている。私の人生の意味はなんですか、世界はなぜこんな悲惨なのですか、すべての存在はどうせ消滅するものではないですか、おっと、あっという間に三つあがってしまう。
 このあたりで率直にいって、自分のそういう稚拙な正直さを恥ずかしいとも思うし、しかしそれがまた自分の愚かな正直さでしかないことに困惑する。そしてそれはいくばくか狂気を孕んでいる。本書の主人公もそうした狂気に似たものに揺れ動いている。
 まあ、結論はない。ただ、本書を読んでそう空しいものでもない。
 神学的に見るなら、本書の考えは、神もまた進化論的な創造のプロセスに組み込まれているという意味で、テイヤール・ド・シャルダン(参照)に近い。著者に宗教的な背景でもあるかと英語の情報を探ってみたが、特にない。おそらく普通にカトリック的な信仰をもつ医師というだけだろう。
 類似の神学観には、私が好むベルクソンのそれもある。ベルクソンはテイヤールほど暢気ではない。神を宇宙全体の創造のプロセスとしてものっぴきならぬ危機を含んだものだと見ていたのだろう。

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2009.02.03

節分の謎

 節分である。私は節分行事にはほとんど関心がない。豆をまくのにはなんか由来があるのでしょ、くらいな認識。恵方巻に至っては、そんなもんほんとにあるんかいな知らんなくらい。しかしなぜ関心がないかというと、うまく直感に結びついてこないからだ。背景がわからないというのもある。背景というのは中華圏とのつながりのことだ。そこがわからない。そこがわからないとバレンタイン・デーのチョコレートのような偽物感がある。
 中国とのつながりは道教とのつながりといってもいい。私は日本の文化風土はざっくり言えば道教だと思っている。なにより葬式そのものが道教(儒教)だ。しかもこれは近世になって入りこんだ。靖国神社も道教でしょと思う。だから韓国や中国は気にするのだろうけど。
 日本の古代も道教の世界だし中世でもそう。そして近世でも、と、時代時代に道教が入り込んで日本の民俗が形成されている。つまり日本というのはやや特殊ではあるけど中国からすれば辺境の少数民族の世界なのだろう。で、どこが特殊かというと少数じゃないということだ。中国は13億人と言われているが、実態は地域で民俗や言語はかなりばらけているし、基本的に軍閥と商社元締め的皇帝制度でしかない。歴史的にもいわゆる中国4000年とかはなく、ようするに遊牧民による被支配の累積と言っていいだろう。清朝を打ち立てた満人ヌルハチは扶桑ヒデヨシの後継者とも言える。東海にはろくでもないでかい異民族がいるということではないか。
 で、節分。なぜ豆をまくのか。ぐぐると、暮らしの歳時記 All About「節分3:押さえておきたい「豆まき」のツボ」(参照)ではこう書いてある。


どうして豆まきをするの?
本来、節分とは季節の変わり目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいいますが、春を迎えるということは新年を迎えるにも等しいぐらい大切な節目だったため、室町時代あたりから節分といえば立春の前日だけをさすようになりました。

また、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられており、新しい年を迎える前に邪気を払って福を呼び込むために、宮中行事として追儺(ついな)という行事が行われるようになり(俗に鬼やらいや厄払いとも呼ばれます)、その行事のひとつ 豆打ちの名残りが 豆まきというわけです。


 ツッコミどころ満載というか野暮な話はするなよなのか。後者だろう。いずれにせよ追儺だろうというのはよく言われる。が、追儺というのは、旧暦の大晦日であって陰暦の行事だが、それが立春・二十四節気という太陽暦に移動するのは農暦的なシフト、つまり農村行事だからと言えないこともないが、が、というのは農村でも正月といえば日本でも旧暦・陰暦で行ってきた。うまく説明がつかない。とはいえ鬼が出てくるのは追儺が由来だろうとは思う。問題はマントだ。違う、豆だ。
 節分の行事は立春・二十四節気という太陽暦に基づくと考えると、どうもそれに相当する中華圏の行事はない。というか私は知らない。なさそう。問題はマントだ。違う、豆だ。

どうして大豆なの?
大豆には霊的な力が宿ると信じられており、昔から神様への供え物として使われていますが、昔々、京都鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけて退治したという話があり、魔の目(魔目=まめ)に豆を投げつけて魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じるそうです。

ただし、豆まきに用いられる豆は炒り豆でなくてはいけません。これは、生の豆を使って拾い忘れたものから芽が出てしまうと縁起が悪いとされているから。「炒る」が「射る」にも通じます。大概、節分用に市販されている大豆は炒ってありますが、一応ご注意ください。


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カミナリさまは
なぜヘソをねらうのか
吉野裕子
 そんな話も聞いたことがあるがこれも典拠というか、伝承の経緯がわからない。古事記ではないがどうせぶつけるなら桃だろうし、たしか追儺では桃の弓を使う。桃と言えばようするにアレだからいっそアレとかとかも思うが、アレの話は割愛。
 こんなときは吉野裕子先生に頼るしかないのだが、「カミナリさまはなぜヘソをねらうのか」(参照)ではこう。

豆は丸くて堅いというところから、先人たちはこれを「金気」の象徴だと考えたのです。
 ですから、ニワトリの羽根を突くように、この豆を痛めつけることで「金気払い」をしようとしたのが、豆まきのいわれです。言葉をかえていえば、「豆まき」は、「豆いじめ」でもあるわけです。

 ほぉ、「豆いじめ」か。お下劣な連想なしとしてにわかには信じがたい。

 「鬼」の話はまた後にするとして、とにかく、節分の豆まきは、邪気祓いだけが目的のように伝えられていますが、実は「金気」の代表としての豆を退治するための行事でもあるわけです。
 つまり、陰気の鬼を退散させると同時に、「木気」の春に敵対する「金気」の豆も、鬼もろともに屋外に投げ出すという、二重構造の迎春呪術なのです。

 ほかにも「陰陽五行と日本の民俗」(参照)では、柊と鰯については、「柊」は冬を追い出す、鰯は弱い冬を追い出すとしている(魚の水気も論じているが)。
 吉野裕子先生のご説はこれだけ聞くと、All Aboutにあるような流布説より信頼性がないかのようだが、が、というのは先生はこれで民俗を統一的に明かしているのでその総体を見ていくと、そ、そ、そうかもしれへん、みたいな気になってくる。というか民俗学というのはそもそも近代の擬制による派生なのだろう。きっちり道教で考えてよさそうに思うが。
 いずれにしても、これは陰陽五行という点では道教的だが日本で発生した民俗のようだし、発生時期は近世のようでもある。
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太陽と稲の神殿
 さて、問題はマントだ。違う、豆だ、とおちゃらして来たが、問題は実は豆ではない。問題は太陽暦にある。節分は太陽暦だからだ。単純に考えれば農歴だからと言えるのだが、どうも血なまぐさい問題がある。十分に調べてないので直感的な話になるが、祈年祭との関連だ。
 祈年祭は節分というより正月(春節)としてよいのだろうが、どうもそうも確定してないのではないか。太陽暦からの連想だが、太陽神について考察した小島瓔礼「太陽と稲の神殿―伊勢神宮の稲作儀礼」(参照)を読むと、祈年祭にこう触れている。

 田作り祭りのような種まきに先立つ初種儀礼に、獲ったばかりの獣を供えるというと、いかにも特殊な神事に聞こえるが、朝廷の初種儀礼であった二月の祈年の祭りでも、すでに『延喜式』巻八「祝詞」でみたように、もともとは、やはり動物を供えていた。祈年の祭りの祝詞では、御年の皇神に白い馬、白い猪、白い鶏を供えるという。

 ここなのだが、供えるということは要するに食うわけで、それには殺すことで、血がドバーなスプラッタなお祭りである。『古語拾遺』に触れてこう続く。

 ここまでが前段で、『令集解』に引く『古記』が伝える、葛木の鴨の御年の神の祭りの起源談にあたるが、猪と馬と鶏を供えるほかに、他の記録にはない牛の肉が見えているのが特異である。大地主の神は、御歳の神をまつるために田に牛の肉を供えたが、自分の田で働いている農夫にも、牛の肉を食べさせた。


 神饌だけにしろ一般に食べる習慣があったにしろ、牛の肉を祭りの日に食物にしていたことは重要である。

 というわけで、日本人も二月の節日には牛の肉を食っていたのである。近代以前にもうもう牛の肉。もしかすると鬼というのは牛の変形だろうか。まあそれはないか。
 節分の話はそれだけなのだが、この話を書こうかと思っていたのは昨日のエントリ「極東ブログ: あまがしの謎」(参照)を書き、さらに追記したあと、どうもさらに心にひっかかることがあり書架の本を捲っていてあっと気が付くことがあった。「あまがし」が「飴粕」であるのところだが、これは昨日のエントリの考察では粕なわけないだろうとしていたが、どうも粕でよさそうなのだ。重要なのは、あまがしを捧げるのは竈の神という点だ。

「琉球国由来記」では「飴粕と菖蒲酒を祖先竈神に供え食する」として、「あまがし」に「飴粕」を充てている。

 竈神といえば当然竈の神だし、祖先竈神とあると祖神ともとれるが、これは普通に竈神であろう。であればこれだな。「中国人は富家になるために食べ続ける(槇浩史)」(参照)より。

 中国では元旦を「大過年」といい、「カマド祭り」の日を「小過年」と称しているが、これは小さなお正月という意味である。
 カマドの神様の名前は「灶君」といい、その家の一番えらい神様として、一家の「吉凶禍福」をにぎっているとされている。常にその家の人たちの善行と悪行の行動を監視し、毎年旧暦十二月二十三日の夜中に、その家の一年にわたるできごとをメモしたブラックリストをもって天に昇り、もろもろの神様の大ボスである「玉皇上帝」に報告するのである。

 灶君はつまり竈君である。
 この祭りで酒粕と飴を供える。

 この祭りの祭壇に供え酒粕と飴は「灶君」を酒で酔っぱらわせ、飴で口を粘らして上帝に悪い報告ができないようにするためのものである。

 ということで、竈神に捧げるもっとも象徴的な品目が酒粕と飴なら、まさに飴粕というわけだ。つまり飴粕が「あまがし」の名称の起源なのだろう。
 ところで小過年の後はどうか。

 こうして祈りが済むと、古い神像や供えものなどを庭にもち出して焼き払ってしまう。
 カマドの神様はその煙とともに昇天されるわけで、この瞬間、待っていましたとばかりに用意の爆竹に火をつけて、ドラを叩き、ドンチャカ、パチパチの大騒音の伴奏で「灶君」の壮行を祝し、悪鬼を払うのである。

 ということで、ここにも悪鬼払いの発想が出てくる。
 やまとでは竈神は荒神様になっていくようだ。ウィキペディアを借りる(参照)。

屋内の神は、中世の神仏習合に際して修験者や陰陽師などの関与により、火の神や竈の神の荒神信仰に、仏教、修験道の三宝荒神信仰が結びついたものである。

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中国人は富家になるために
食べ続ける
 ただ中国の民俗と日本の民俗とはここでも乖離していくようだ。
 なんとなくだが、節分の豆は灶君壮行の爆音の代用なのではないか。

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2009.02.02

あまがしの謎

 昨日「極東ブログ: [書評]大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)のエントリを書いたあと、なにか心にひっかかるものがあって、しばし手元の沖縄料理の本などを読んでいた。が、よくわからず、さて翌朝の粥でもスロークッカーで仕込むかなと思って、ああそうかと思った。その話は後でするとして。
 「大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)では食材ごとに『御膳本草』の項目の読み下しがあるだが、その「ムギノコ」の項目に「薄くハウハウを作り」とあり、また「寒具」に「寒具とは『ケンビン』『ハウハウ』『ハンビン』」とある。同書を読む限りは、ハウハウとケンビンに漢字を充てていない。これがポーポー、チンビンを指すことは解説にある。


ここでいう「ハウハウ」とは、旧暦五月四日に行われるハーリー(爬竜舟競漕)の時などに作られるおやつ「ポーポー」のことで、


「ケンビン」とはチンビンと呼ばれている黒糖入りの沖縄風クレープ。

 改めて読み返すと漢字は充てていないが、ポーポーは「餑々」であろうし、チンビンのビンが「餅」であることは間違いないだろう。
 古波蔵保好「料理沖縄物語」(参照)ではこう推測している。

 ところで、いったい「ぽうぽう」というあいきょうのある名はどうして現れたのだろう。
 ある時、中国料理について書かれた記事を雑誌で見つけ、読んでいくと、「ポポ」という言葉に出合ったのである。
 中国の東北、すなわち旧満州の昔むかし、肉をコロモに包んでたべるということがはじまり、これを「餑々」(ポポ)と名づけたそうで、清朝になったころから、満州地方ではじまった「餑々」が中国全土に広がり、正月の食べものになったらしい。
 古くから中国と縁の深かった沖縄にも伝わり、沖縄の人たちが手もとにある料理道具や材料を使って作りやすいようにした結果、沖縄風の「ぽうぽう」ができたのではないか、とわたしは考えた。
 いずれにしても、中国東北で始まった「ポポ」が「餃子」の元祖だとすれば、「ぽうぽう」は、今の私たちが好んで食べるその「餃子」の親戚だといえるのではないか。

 餃子は日本と中国では実際には異なる食べ物なので、これは実際の食べ方から考えると、空心餅、つまり西太后が好んだ肉末焼餅ではないかと思うが、ぐぐってみるとブログ日々是チナヲチ「国野菜の輸入量4割減!ところで胡錦涛って誰?」(参照)に次の興味深い話がある。

 しかも拙宅の場合、手作り餃子といえば本場の中の本場仕込みである恩師がおりますので、ニラの浸し方に始まって何から何まで電話で伝授してもらうことができます。ちなみに恩師によると旗人言葉では「煮餑餑」と呼ぶのが正しいのだそうです。小さいころ「餃子」とか「水餃」なんてうっかり口にすると、親から「お行儀が悪い!」と叱られてゴツンとやられたとか。

 旗人の呼び方かどうかはわからないし、水餃子を「煮餑餑」と実際に呼ぶのかはわからないが、古波蔵の考察に近い。他、餃子の起源でも「餑々」説は多いようだ。
 チンビンについてだが、古波蔵は「この名にも中国語の匂いをわたしは感じるが」としながらも漢字は充てていない。
 孫引きだが「琉球国由来記」では「五月五日箕餅、唐の粽子になぞらえて作りける。箕の形に似たるよし」とあり、ここでは、チンビンは「箕餅」とされている。
 しかし、これも実際の食べ方や形状から考えると「春餅」と考えたほうがよいように思われる。ただ、「春餅」は元来は「荷叶餅」であり、「春餅」の名称は立春の食べ物の由来がある。餃子も始終食されているものの立春の思いの深い食べ物でもあり、これらになにか関係があるのかもしれない。
 「琉球国由来記」に戻ると箕餅説は、粽子の連想からというのは説得力があるといえばある。が、御膳本草の「寒具」ことケンビンの関係はわからない。
 以上は前振りで、五月五日といえばあまがしである。そして五月四日といえばゆっかぬひーである。古波蔵もこう浮き立つ思いを書いている。

 コドモたちが、たいへんシアワセな気分になるのは、旧暦五月四日だった。何の節句といった呼び名はなく、単に「四日の日」---沖縄風に発音して「ゆっかぬふぃ」という。
 コドモたちが、好きなオモチャを買ってもらえる日だったのである。

 私は沖縄暮らしでこの「四日の日」の賑わいになんども遭遇した。かつての子どもだった大人や老人までも古波蔵のように浮き立つ心でいることを知ったものだった。玩具はハーリーの裏の屋台のような玩具市で買うのであった。

 こうして沖縄が真夏のカンカン照りとなってつぎの日---五月五日、家々では「あまがし」をつくる。

 作り方だが、大琉球料理帖とは異なる。

 首里の旧家で育った人の話によると、「あまがし」とは大麦を臼でついて割り、水タップリの粥に炊いてから青こうじを入れて、一晩醗酵させたもののことだったそうである。
 いわば大麦の粥で、酸味のある飲みものだ。椀にとって、すする前に、少しの砂糖を加えて、味をととのえたらしい。

 私はこの話でバリ島で飲んだライスワインを連想するが、どぶろくの前段のものではないようだ。古波蔵はこうも語る。

 いつのころからか、そういう「あまがし」は忘れられて、わたしの家でつくったのは、モヤシの材料にも使われる青い豆---「ささげ」といわれる豆と大豆を煮て、黒砂糖の甘さを加えたものだった。
 現在、「あまがし」といわれているのは、すべてこの大麦と青豆による甘い汁である。

 古波蔵の話からすると、酸味飲料があまがしの原形のようでもある。が、大琉球料理帖に掲載されている青豆善哉であるあまがしが古波蔵の家のあまがしでもあった。
 この関係はどうなっているのだろうか。
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北京のやさしいおかゆ
やさしく作れて体に
優しいおかゆレシピ
ウー・ウェン
 単純なところ、材料としての緑豆と大麦の関係、またその製造方法から祖型が理解しづらい。緑豆善哉が祖型でそれに大麦を補ったのか、大麦がベースで緑豆を加えたのか。後者はやまとの赤飯や沖縄のふちゃぎのように豆を風味として使う応用だ。(余談だが、古波蔵は緑豆をささげとしているが、緑豆はVigna radiataであり、ささげはVigna unguiculataであり、広義にはササゲ属になる。が、それをいうなら小豆もササゲ属である。緑豆がささげと呼ばれていた経緯も気になるところだ。)
 と、疑問に思っているときに、ふと、「水タップリの粥に炊いて」ということから、これは粥ではないかと気が付き、そういえばとウー・ウェン先生の「北京のやさしいおかゆ」(参照)の大麦粥を思い出した。北京風ではこれに黒糖を載せて食べる。

 黒砂糖をのせる食べ方は、昔からのもので、消化を助け、滋養もあると言われています。

 これはどう考えてもあまがしと同起源の食べ物だろうとしか思えない。だとすると、北京の大麦の食べ方が沖縄に入り、あまがしになったと推察してよさそうだ。でなければ、沖縄のあまがしが北京に広がったということもあるかもしれない。
 ただ、緑豆を甘くするのもそうだが、この味付けはおそらく陰陽五行のように漢方によっているので自然の発想と見ることもできるかと思うが、黒糖の利用といい、形状といい、やはり同起源の食べ物だろう。
 とすると、緑豆善哉系のあまがしと、大麦型のあまがしは別の系列なのだろう。
 が、調べていてもう一つ気になることがあった。これは古波蔵の説明にある「青こうじ」との関連だ。この手の話はウィキペディアでは歯が立たないだろうと思ったが、ためしに引いてみると奇妙な記載があった(参照)。

また、古くは麦の粥に米麹を入れて二、三日発酵させるやり方であった。

 この典拠がわからないが、米麹であるとするとこの製造法からすると、やまとの甘酒が連想される。つまり、甘酒が原点にあってそれが沖縄風に大麦と青麹で変化したものだろうか。また、なぜ青麹なのだろうか。
 そうしているうちにさらに奇妙なことに気が付いた。「あまがし」、というと、つい「甘菓子」を連想していたが、うちなーぐちから考えれば、そのほうが不自然だ。「琉球国由来記」では「飴粕と菖蒲酒を祖先竈神に供え食する」として、「あまがし」に「飴粕」を充てている。
 飴粕とは何かなのだが、字引では「飴の材料から飴をしぼったあとのかす。牛・豚などの飼料とする」とあるが、これが間違いではないが、琉球国由来記の意味とは異なるだろう。カスを神に捧げるとも思えないからだ。飴といい大麦といえば麦芽糖の連想が働くが、麦芽糖なら麹菌は使わない。
 沖縄のことを調べていくと、逆にやまとの民俗の古型が見えてくることがあるが、あまがしを麹を使った甘酒ふうの初夏の飲み物であるとすると、ここにも符丁がある。甘酒というと現代では初詣に振る舞われるなど冬の飲料のように思われているが、元来は夏の飲料であることは季語として夏に分類されていることでもわかる。日本名門酒会のサイト(参照)にはこうある。

甘酒の季語は夏。「甘いっ、甘いっ」と天秤棒をかついで甘酒を売り歩く声は、江戸時代の夏場の風物誌でした。クーラーも冷蔵庫もなかった江戸時代、夏の猛暑をのりきる知恵として飲まれたのが、麹でつくる「甘酒」なのです。

 おそらく「冷やし飴」も同系統の飲料であろう、ということで、どうも飴というと現代の我々は固体の飴を連想するが、飴湯を飴と略せるとすると、先の飴粕とは呼応する。
 話が散漫になり混乱してきたが、おそらくあまがしの原形は、甘酒の同系統のものではなかったか。
 それが北京風の大麦粥に入れ替わったのだろう。
 残る、緑豆善哉の系統だが、これは別の系統だろう。たぶん、緑豆爽や緑豆沙の類するものではないか。おそらくやまとの汁粉や善哉もこの起源だろう。なお、沖縄で善哉といえば、やまととはまったく異なるものが供されるがその話はまた別の機会に。
 緑豆煮については甘味ではないだろうが、吉田よし子先生の「マメな豆の話―世界の豆食文化をたずねて (平凡社新書)」(参照)にこういうエピソードがある。

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マメな豆の話
世界の豆食文化をたずねて
吉田よし子
 日本で勉強しているスリランカの学生は、日本人が午後の授業でよく寝ているのを見て、お昼にお米のご飯を食べるのを止めて、リョクトウを煮て食べれば眠くならないのよと教えてくれた。リョクトウにそんな効果があるなら、ぜひ試してみたいものだ。

 案外あるかもしれない。

追記
 エントリを書いたあと、「あまがし」はおそらくないちの「あまざけ」と同起源であろう。そして、これもまた室町時代の文化に関係するのだろうとぼんやり思っていて、ふと、日本書紀にある天甜酒のことを思いついた。
 天甜酒は「あまのたむさけ」と訓じられ、酒の起源とされている。


時に神吾田鹿葦津姫、もって田を卜定へ、號けて狹名田と申す。その田の稻をもって、天甜酒を釀みこれを嘗す。(時神吾田鹿葦津姫、以卜定田。號曰狹名田。以其田稻、釀天甜酒嘗之。)

 この天甜酒は、意味で訓じると「あまのあまさけ」で、アルコールの含有はあるかもしれないが甘酒であろう。
 「釀み」は「噛み」と解することもあり、唾液によるとの説もあるが、普通に醸造の釀みであろう。
 ここから「あまかみさけ」のように訓じることが可能なら、あるいはそれに類した名称がやまと側にあったなら、そこからうちなーぐちふうに「あまがし」が出てくるかもしれない。

追記
 「飴粕」については次エントリ「極東ブログ: 節分の謎」(参照)で再考した。

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2009.02.01

[書評]大琉球料理帖 (高木凛)

 沖縄には八年近く暮らしたし、その食文化にも随分関心をもったし、今でもときおり琉球料理も作るということもあって、広告を見てそのままポチッと「大琉球料理帖 (高木凛)」(参照)を買った。写真がきれいだし内容も面白いのだけど、当初思っていた期待とは違った本だった。

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大琉球料理帖
 私は何を期待していたのか?
 王朝料理が知りたかった。いちおう東道盆(トゥンダーボン)とかについては、他の書物などで知っているのだが、もっと体系的に知りたいという思いがあった。アマゾンの紹介にはこうもあったし。

「食はクスイムン(薬物)」の心をいただきます。これぞ、沖縄の伝統料理! 琉球王朝時代の食医学書『御膳本草』を基に、60の食材、70の料理を再現。これまでの琉球料理への認識を新たにする、料理本の誕生。

 まったくその趣向がないわけではないのだが、これは私は違うと思った。「60の食材」は本草書の項目解説ということで挙げられているのだけど、「70の料理を再現」と言われると、これは違うでしょ。もちろん、掲載されている料理はすばらしい出来だとは思うのだけど、歴史的な再現ではないように思えたということだ。
 例えば、緑豆だが、これで水羊羹と「あまがし」が出てくるのだが、王府時代に羊羹はあるかもしれないが水羊羹はないでしょというかこれはずんだの水羊羹の変形のようだし、なによりあまがしのほうは困惑した。現在の沖縄のあまがしというと、押し麦に金時豆というものが多いが元来は緑豆であった。そこまではよいのだが、古波蔵保好「料理沖縄物語」(参照)を読むに原形は酸味の飲料でもあったようだ。
 塩の項目にはマース煮が掲載されていて、それはいいのだが魚はグルクンである。グルクンでマース煮ができないことはないし、写真もきれいなのだが、率直にいって、ある年代以上のうちなーんちゅが見たらずんと引くのではないだろうか。私もないちゃーだからそのあたりの感覚は違うのかもしれないし、沖縄といっても地域で文化がいろいろ違うのだが、グルクンのマース煮というのは初めて見た。が、ぐぐってみるとあるにはある。私は海辺を転々と暮らしたこともありうみんちゅをよく見てきたのだが、彼らはグルクンを魚とは見ていかなかった。いやもちろん魚ではあるのだけど、セリでそれ相応の根のつく売り物になるような魚ではなかった。おじさん(という魚)などもその部類だし、イラブチャなどもあまり好まれていなかった。同書にはアバサも掲載されているがその部類だった。
 どうも否定的な話が先にきて申し訳ないし、著者の意図ではないのかもしれないが、「大琉球」というのもいただけない感じはした。いちおう現在の台湾を小琉球として区別するための呼称というのがないわけではないが、本書でその意図はないだろうし、であれば、大日本や大セルビア主義など、大のつく国家にろくなものがない。歴史評価としては微妙な部分があるが、王府はヤエマに対しては圧政の主体でもあっただろうし。
 これもありがちなないちゃーの本かなというふうにちょっと醒めた感じでめくっていくと、チンビンやポーポーも出てきて、これが王府の料理なわけないだろと苦笑したものの、いや逆に御膳本草にはこれが掲載されていることがわかった。こうした点はちょっとはっとさせられるものがあった。ただ、チンビンも御膳本草を読むとわかるがこれの一種は韓国の貧者餅の類のようでもある。
 どうもそのあたりの、どこまで琉球的なのか、ないちゃーによる擬古再現なのか、どこまでがうちなーんちゅの感覚なのか、ないちゃーの幻想なのか、島ラッキョウの天ぷらの写真を見ると、おおこれはうまいんだよなと思いつつ、その天ぷらはないち風の揚げ方になっている。
 こうした幻惑的な思いで対照的なのは、山本彩香の「ていーあんだ」(参照)でこちらは、明確に現代沖縄料理としての自覚があるのだが、感性の根はまさにうちなーんちゅとしかいえないし、なにより彼女の母がちーじの料理を担っていたことからも料理の感性は、ちーじから王府に繋がるむしろ正統性がある。
 というあたりで、大琉球料理帖のこの記述は、高良先生の話でもあり正しいのだろうが、困惑する。

『御膳本草』が著された当時、琉球では士族以外の者は文字を解しませんでした。それがなぜ島々の民衆の暮らしの中に根づいたのでしょうか。その「何故」はずっとわたしの心に残っていたので、本書を著すにあたって、琉球大学の高良倉吉さんにお訊きしてみました。高良さんによると、それは王府と琉球各地との間を行き来する医師たちよって、伝えられていったことは想像に難くないというのです。

 そういうこともあるだろうが、私は沖縄の食文化はちーじとまちぐゎによるのだろうと思う。その女の世界が生み出したものだろう。そしてのそのちーじとまちぐゎの世界とは、やまとの室町時代のものの延長だろうとも思う。ぶくぶく茶もその時代のやまとのまちぐゎにあったもののようだ。
 ネガティブな話が多くなってしまったが、自分の期待とはすれ違ったせいもある。が、期待そのものの部分もあった。特に、尚泰即位の冊封使料理の初段大椀四の再現は心ときめくものがあった。これがすべて再現され、解説されたらどんなによいだろうと夢想した。
 赤玉子に鳥心豆が美しい。この赤は紅麹だろう、現代の苺ヨーグルトと同じ色素だ。鳥心豆は陰陽五行から緑ゆえに緑豆とばかり思っていたが別の、大豆のような豆だ。ひたし豆であろうか。松の実は琉球の産であろうか。金華ハムはこの時代に琉球で作られていただろうか。限りなく夢想が沸く。
 そういえば、本書では、るくじゅう(ロクジウ)が出てくるが、その料理は出てこない。素材が入手できないせいもあるだろうが、豆腐からこれを作る人が出てくると食中毒などの危険があるかもしれない。「イタミ六十」の名前のとおり、これは豆腐を塩して干したものだがただ干すのではなく、イタミがかる。腐りかけの肉が旨いの部類だ。私は沖縄で自作したことがある。クリーミーな仕上がりになる。どうイタミにするかで微妙な味わいが出る。ああ、食いたい。(ちなみにるくじゅうがあってこそ紅型ができる。)
 ああ、食いたいといえば、私は借りた家の庭で、んじゃなばを育ていた。いや、主だった老婆が育てていたものだった。近隣の人がよく貰いにきていた。本書のような上品なチムシンジではなく、実用性のあるチムシンジを作るには丸大の専用セットを買って、そして、んじゃなばを入れる。チデークニも入れる。チデークニがなかったらキャロットを入れる。んじゃばなを入れない地域もあるようだけど。
 ンジャナバは薬草としてではなく、さしみと和えてもうまい。

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