[書評]水辺で起きた大進化(カール・ジンマー)
以前ニューヨークタイムズでカール・ジンマー(Carl Zimmer・参照)による生物学のコラムを読んで、この人は面白いな、何か邦訳本でもあるかなと思って買ったのが「水辺で起きた大進化(カール・ジンマー)」(参照)だった。購入時にざっとサマリーを知るべく速読したものの、これはじっくり読むタイプの本だなと思いつつ積んでおいたのを崩して正月に読んだ。面白かった。かなり読み応えがあり、いろいろ考えさせられた。
![]() 水辺で起きた 大進化 カール・ジンマー |
オリジナルタイトルは「At the Water's Edge: Fish With Fingers, Whales With Legs, and How Life Came Ashore but Then Went Back to Sea」(参照)なので、副題を訳すと「指のある魚、脚のあるクジラ、そして水辺の生命は海に戻った」と冗長になるが、実際に内容は指と脚の進化にかなりの論を割いているので正確だろう。
訳書の出版側の説明は以下だがこれもそれなりに要領よくまとめている。
かつて水辺では、“魚が海から陸へあがる”という進化史上の一大事件が起き、さらに陸にあがった生物のなかから、クジラのように水中生活へと戻っていくものが出現している。この2つの“大進化”がなぜ、どのようにして起こったのかという謎が、進化生物学者たちを長年にわたって悩ませてきた。しかし、近年の分子生物学などにおける長足の進歩が、状況を一新した。魚のひれが指のついた手へと変わっていった経緯や、クジラが何から進化したのかという類縁関係が最先端の研究によって解明され、驚くべき真相が明かされるにいたったのだ。気鋭の科学ジャーナリストが、進化学草創期のエピソードから、今日の研究現場の臨場感あふれるレポートまで、興味のつきないトピックをまじえて綴る、水辺をめぐる変身物語。古生物の在りし日の姿を再現したイラストも多数収録。
進化論的な議論として興味深いのは、いわゆるエルンスト・ヘッケルのテーゼの逆でもある「系統発生は個体発生を繰り返す」とも言える、ホメオシスについて一般向けの解説にもなっていることだ。大進化の説明についてはこれを大きく援用している。
精読していて面白いなと思ったのは、そういう進化論的な議論もだが、19世紀のプレ・ダーウィンからダーウィンまでの時代を、地層学や分類学、解剖学などといったこの時代を特徴付ける知識のあり方のなかでいきいきと描き出しているところだ。ラマルクなどがかなり強い勢力をもっていたようすや、ある意味で現在のID論のネタになりそうな反ダーウィニズムの当時のエピソードなども面白く、先のヘッケルもそうしたコンテクストにあったことがよくわかる。本筋ではないのだろうが、チューリングが進化論に関心をもって論文を書いていたというエピソードも興味深かった。
個別には、後半のテーマである、クジラ(つまりイルカを含む。余談だがクジラとイルカは呼び名の差でしかない)に至るまでの進化の途中の種についての考察が面白い。大半は考古学的・解剖学的に問われているのだが、この研究者たちの冒険心というか、パキスタンでの大活躍など現代の冒険譚とも読めるし、科学というのは取り澄まして理系な理論を扱っているんじゃなくて、まさに無謀ともいうか夢に駆られる腕力みたいなところがあるものだなとしみじみ思えた。
本書のテーマである「大進化」については、かなり学問的に書かれているのだが、だからこそ、うまく定義できないのだろうと私は受け取った。実は本書を読もうと思ったのも、90年代の進化論について遺伝子の側だけ追っていけばよいのではないかな、となんとなく前提のように思っていたことの反省もあるのだが、それが間違いとも言えないまでも、進化論というのは実に難しいなと痛感した(いうまでもなく進化論の否定といった愉快な話ではなくね)。
本書でも、終盤で遺伝子の近隣性からみたクジラの系統と、考古学を元にした解剖学というか形態な考察との差異が厳しく問われるのだが、明確な議論にはなっていない。著者はできるだけ議論を明解にしているが、そもそもホメオシスや、ピアジェ的な表現型を考慮すると遺伝子のそのままの情報と、それが実際にどのような生物として出現するかはそう直線的には結びつかないのだろうとは思う。が、それにしても、本書執筆時事点での乖離はなんだろうと疑問が残る。
本書は1998年の刊行でしかも90年代の知見がかなり盛り込まれているので、その後の10年でこの問題はどうなったのか、続編が知りたいとも思うが、そのあたりの総合的な概説書みたいなものはあるのだろうか。日本だと科学分野の概説書はつい新書的なレベルでこじんまりとまとまってしまって、本書のように議論のフレームワークや歴史、そして最新の状況までが読み込める本というのはむずかしいのだろうか。
カール・ジンマーの邦訳書はあと二点あるのだが、最新のものはない。最新の「Microcosm: E. coli and the New Science of Life」(参照)は私が特に関心を持つ分野でもあるので、読みたいと思うが英書で読むのは手間がかかって難儀だなともつい思う。そういえば、「水辺で起きた大進化」でさらっと、クジラに至る種の草食と肉食について議論されていたが、考えてみると、草食が出来るというのは腸内細菌と共生が可能になったということで、その意味はたぶん人間にとっても大きなことなんだろう。
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コメント
その後の議論の深化は、Evo/Devoだと思います。
これに詳しいです。
http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/116254.html
投稿: みけ | 2009.01.03 17:06
あけましておめでとうございます。
既読かもしれませんが、倉谷滋の「動物進化形態学」などいかがでしょう。
著者はWebでも詳細な(私的)年表などを発表しており、これを見るだけでも相当楽しめました。
投稿: trickstar | 2009.01.03 17:37
この話題に関しては上で上げられている
『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト』がよいですけど、
同じカール・ジンマーの『パラサイト・レックス』も
また最高に面白いですよ。
寄生という題材は一見引きつけられるものではないですが、
考えさせられるという点ではこれよりもずっと深いです。
まだでしたら是非おすすめします。
投稿: 木戸孝紀 | 2009.01.03 19:23
「生命は常に試行錯誤している。」
この命題を受け入れないと、生物の進化について、納得のいく説明は得られないと思います。主体性とか、意思とか、「実存」とか、そういったものを受け入れないと、なぜ飛躍するのかわからない。もちろん、物質的には、後からなら、開いた系の非平衡とか、染色体の異常とかで説明できるのだけれど。
一応、「人間は、努力する限り迷う存在だ」(ゲーテ)と申し上げておきます。
投稿: 試行錯誤 | 2009.01.05 09:28
ブルース・リプトン著 西尾香苗訳 「思考のすごい力(The Biology of Belief)」(PHP研究所)という本を近日古本屋で入手して、今読んでいます。面白い本です。
リプトンは、DNAはメモリーで、生命活動の生命活動であるゆえんは、細胞膜の活動である、としています。また、細胞膜の構造と機能を、電界効果トランジスタの比ゆでも説明しようとしています。読み終えていないけれど面白い。
生命とか、生物というのは、氏も育ちも乗り越えられるというのが筆者リプトンの意見。
わたしなんかも、大学時代は、ゾウリムシの膜電位と繊毛活動の研究の泰斗の内藤豊教授に直接教えを受ける機会をもてたのだから、内藤教授の含蓄ある膜電位の話をもっと熱心に聴いておけばよかったと後悔しています。
リプトンの細胞仮説は、生態学起源の今西進化論の説明理論としても使えるかもしれない。
リプトンのこの本は、レファレンスもしっかりしていて、普通のオカルト系ゾッキ本とはかなり異質です。神経生物学を研究している人たち、神経生物学に関心のある人たちにぜひ読んでいただきたいと思います。
投稿: enneagram | 2009.07.08 15:35