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2009.01.06

[書評]鷹は昼狩りをしない(スコット・オデール)

 なんとなく積ん読にしてあった「鷹は昼狩りをしない(スコット・オデール)」(参照)をこの正月に読んだ。もっと早く読んでもよかったのだろうが、好きな物は最後まで残すといった心理がついにここまで引っ張ったことになった。25年以上か。読んで、とても面白かった。深く感銘した。

cover
鷹は昼狩りをしない
スコット・オデール
犬飼 和雄
 話は、結果として欽定訳聖書の元になった聖書を翻訳をしたウィリアム・ティンダルのエキザイル(国外逃亡・流浪)と船乗りのトム・バートン少年がその間青年になる物語だ。ティンダルについてはウィキペディアの日本語にはごく簡素な説明しかない(参照)。

ウィリアム・ティンダル (William Tyndale, 1494年あるいは1495年 - 1536年10月6日) は、聖書をギリシャ語・ヘブライ語原典から初めて英語に翻訳した人物。宗教改革への弾圧によりヨーロッパを逃亡しながら聖書翻訳を続けるも、1536年逮捕され焚刑に処された。

 邦訳書のほうはすでに絶版だがアマゾンを見ると古書の入手は可能だし、地域の図書館には残っているところもあるかもしれない。ティンダルと聞いて、えっと身を乗り出す人には、ティンダルの人柄が彷彿とさせられるという意味で楽しい読書になると思う。
 当然ながら英語のウィキペディアの項目は詳しい(参照)。中でも、多少私には意外に思えたのは、ヘンリー・フィリップスの記載もあったことだ。が、そのあたりの史実は、本書を普通の書籍として読む人には、多少ミステリー仕立てにもなっているので、とりあえず知らないほうがいいかもしれない。
 ティンダルについては、近年田川健三先生が翻訳されたデイヴィド・ダニエルによる「ウィリアム・ティンダル―ある聖書翻訳者の生涯」(参照)があるが、その価格に恐れをなして私はまだ読んでいない。勁草書房のサイトには同書の目次が掲載されていて(参照)、内容への想像がつく。先のヘンリー・フィリップスについても詳細な話がありそうなので、聖書学や史学的な関心以外に史実的な興味も満たされるようにも思う。いずれ読むことになるだろう。
 私がティンダルについて関心を持ち、本書を知ったのはもう25年以上も前になる。NHKで放映されたアニメ「太陽の子エステバン」(参照)の原作「黄金の七つの都市」(参照)の作者ということでスコット・オデールを知り、そして彼がティンダルの物語を書いていることを知った。
 エステバンの放送は1982年から1983年の1年間で、本書「鷹は昼狩りをしない」(邦訳書)は1980年に出ている。「黄金の七つの都市」の邦訳書は1977年なので、「鷹は昼狩りをしない」の翻訳はテレビの影響ということはない。そして長い間、私はこの本をなぜか読みたいと思いつつ読まないでいた。
 版元の「ぬぷん児童図書出版」は1985年には倒産したようだが、ググってみると、「Alisato's 本買い日誌 2003年 01月 下旬」(参照)に、そうなんだろうなと思うことが書かれている。

ジリアン・クロス作/安藤 紀子訳/八木 賢治画『幽霊があらわれた』(ぬぷん児童図書出版,1995.11,, ISBN4-88975-149-1)読了。

版元が倒産したかなにかで、在庫がブックオフに流れていたのを拾った。(bk1でも取り扱い不可だから、多分倒産。)ぬぷん児童図書出版はピーター・カーター『果てしなき戦い』のような硬派の児童文学を出していた版元でしたが、硬派すぎてイマドキの子供には受けなかったんでしょうね。 これも割と硬派な作品。児童書の体裁ですが、ヤングアダルト向けプロブレム小説に近い。初期の三原順の短編のようです。


 「鷹は昼狩りをしない」と同じく「心の児童文学館シリーズ」の作品である。たしかに、「鷹は昼狩りをしない」は「イマドキの子供には受けな」いかもしれないが、けっこう絵にもなるシーンもありストーリーも面白いのでアニメにして再現されてもかなりいけるだろうが、それでもティンダルが大きく取り上げられるということは日本ではありえないかもしれない。
 金原瑞人さんのホームページにも興味深い話「金原瑞人のあとがき大全(1)」があった(参照)。

 金原瑞人という名前で出した最初の訳書が、『さよならピンコー』(じつは、それ以前に数冊、ハーレクインを訳したことがあるが、そのときはペンネーム) いやあ、なつかしい。たしか八六年の発行だったと思う。十五年前。大学院の博士課程を修了して(正確にいうと「単位取得満期退学」)、あちこちの大学で非常勤講師を務めていた頃だ。出版社は昨年倒産した「ぬぷん児童図書出版」。なぜ、ぬぷんから訳書を出版することができたかというと、当時そこの選本や翻訳を担当していた犬飼和雄先生が、「訳してみないか」といってくださったから……なのだが、そこへいくまでにはかなり長い話がある。

 この犬飼和雄が本書の翻訳者でもある。金原の話の続きも面白い。

 一九七八年、つまり大学四年生の十一月、いくつかの出版社を落ちて、卒業後どうするかという決断に迫られた。そこでカレー屋をやることにした。その頃東京にきていた妹と妹の彼氏(わが高校の同級生で、現在、わが弟になっている)を巻きこんで、屋台のカレー屋をやることにしたのだ。そして一ヶ月ほどカレーばかり作っていた……ところ、大学で卒論の指導教授だった犬飼先生とばったり会ってしまい、「やあ、金原君、就職はどうなったね」ときかれ、「全部だめだったので、カレー屋をやります」と答えたところ、「カレー屋はいつでもできるから、大学院にこないか」と誘われてしまった。恥ずかしながら、当時は大学院がなんのためのものかちっとも知らなかった。いや、そもそも法政大学に大学院があることさえ知らなかった。

 人間には未来を見る能力はないが、その時代から到達した今という未来からそのエピソードを顧みると感慨深いものがある。
 話を戻すと、たぶん、「鷹は昼狩りをしない」(スコット・オデール)を翻訳しようと選定したのも犬飼和雄であっただろう。その後、犬飼先生はどうされているのか調べてみると、昨年4月27日の読売新聞「ほのぼの@タウン」という記事にこうある。

◆甲府市 「やりたいことがあると人生は楽しい。夢はあきらめないこと」
 法政大名誉教授の犬飼和雄さん(78)(酒折)は、様々な夢を追い求めて半生を生きてきた。
 入学した東京大学では理2が希望だったが、小説を書きたかったこともあり、芥川龍之介や夏目漱石をまねて英文科に。何度も行き詰まったが選んだ道だと自分を納得させ、33歳で文学界新人賞を受賞した。
 27年前からは、2~3000年前の古代中国語を学んでいる。古代の甲斐の国を知るため、「百子全書」などの書を読み解きたいからだ。ペースはゆったりで「200単語を暗記しても300単語は忘れるため、あと30年以上はかかる」と冗談も飛ばす。
 中国文化研究所を設立したのは10年前。収集した資料の情報を共有する目的からだが、訪ねてくるのは中国人学生ばかり。レプリカだが甲骨文字が刻まれた亀の甲羅やヒスイの白菜、守墓神など珍しい物もあり、日本人も「気軽に来てほしい」と呼びかける。
 子どものころは、授業中に試験問題がひらめくことが多かった。基礎知識に乏しいのは要領よく勉強してしまったためだと思う。漢字に不必要な「、」を付けたり、46歳のときまで喉(のど)を「のぞ」と発音していたり。
 いまでも、人に言えないような失敗を犯し、落ち込むこともある。でも、「夢を持っているから」乗り越えられると思う。

 ご健在のようす。
cover
The Hawk
That Dare Not Hunt by Day
Scott O'Dell
 「鷹は昼狩りをしない」に話を戻すと、邦訳書は他社にも継がれず絶版の憂き目のままのようだが、オリジナルの「The Hawk That Dare Not Hunt by Day(Scott O'Dell)」(参照)ほうでは古典として定着しているようだ。

Tom Barton and his Uncle Jack live on the edge of danger, smuggling goods under the very nose of the king's searchers. Shrewd, brave, desperate at times, they make run after run across the Channel, braving rough seas, heavy winds, and a growing restlessness among their countrymen. All Europe is aflame with the writing and preaching of Martin Luther.
(トム・バートンと叔父のジャックは、王監視下にありがなら密輸というやばい仕事をしている。悪知恵と勇気を持ち、時にはやけっぱちでありながら、彼らは運河を渡り、荒くれた海や嵐を勇敢に越え、同国人のなかにあって不穏ながらも成長する。全欧州はマルチン・ルターの文書と説教で燃えている。)

Tom and his uncle come into contact with another man, William Tyndale, whose work and prayer is to put an English Bible into the hands of the common people. While Uncle Jack sees only the profit in a religious Reformation, it is Tom who sees in Tyndale's work the dawning of a new age and a new way of life for himself and England.
(トムと叔父は、ウィリアム・ティンダルと面識を持つ。彼の仕事と祈りは、庶民の手に英語の聖書を渡すことだ。叔父ジャックが見るものは宗教改革による利益だが、トムはティンダルの作品が新時代とをもたらし、また彼の人生と英国に新しい道をもたらすことを知っている。)

William Tyndale was the hawk that dare not hunt by day. Hunted, hated by many, a fugitive in several countries, this humble man's pen changed the course of history. For modern Christians, he is the symbol of scholarship and courage, determination and meekness. For Tom Barton, he was father and friend, teacher and comforter, and the first true testimony of Christ in a godless age.
(ウィリアム・ティンダルは、昼はあえて狩りをしない鷹であった。お尋ね者であり、多くの人に憎まれ、国々を逃亡したこの謙虚な男のペンは歴史の流れを変えた。現代のキリスト教徒にとって、彼は学問と勇気、決意と柔和の象徴でもある。トム・バートンにとって、彼は父でもあり友でもあったし、教師でもあり安らぎを与える人でもあった。そして、神無き時代のキリストの最初の真の証人でもあった。)


 ということで、The Hawk That Dare Not Hunt by Dayはティンダルを指すのだが、私にはその含みがいま一つわからない。そして率直にいって、邦訳のタイトルは誤訳とまではいえないにせよ、失敗だろうと思う。
 英語ペーパーバックの説明では叔父ジャックを利益にこだわる人間のように描いているが、実際に読んでみるとそう断定もしがたい。むしろこの時代のハンザ同盟の気風をモデルにしているふうでもある。
 本書を読みながら、グーテンベルクの貢献は聖書の印刷にこそ意味があったのだろうなという印象を深めた。また時代はヘンリー八世の時代でもあり、短い物語ながらもこの時代の空気をうまく伝えている。
 物語では主人公トムは当初文盲であり信仰もない少年だったが、ティンダルから文字を学び、そして静かに敬愛を深めていくようすが、抑えた筆致で感動的に描かれている。

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コメント

カトリックの正統のはずのトマス神学は、ウルガタ版のラテン語訳聖書に立脚しているはずです。

現代の異教徒や新教徒や東方正教会の信者たちにローマカトリックを理解させるためには、ウルガタ版ラテン語訳聖書が基本的にどういうもので、トマス神学の要約がどういうものかを、カトリック教会が親切に説明すべきなのでは?と思っています。新教徒や東方正教会の信者もずいぶん勉強になって、自己認証(アイデンティティの確立)のためにすごく役に立つと思います。ローマカトリックには、中世は暗黒だったなどという妄言にだまされないで、カトリックの歴史を大切にしていただきたいものだと思っています。

私なんかも、パーリ原典やサンスクリット原典やチベット語訳仏典の話が好きだし、サンスクリット原典については、ローマ字表記の校訂本だけでなく、現代のインドで出版されているさまざまの版のデーヴナーグリー文字本に、つづりの多少の違いを含めてどういう内容の異同があるかまで穿鑿したがる方だけれど、いまさら日本仏教の各宗派がサンスクリット原典に基づいて儀式の作法から教理まで全部変更させることなど不可能なのも知っているから、宗派の伝統と既存の漢訳仏典を大切にして、鳩摩羅什、真諦、玄奘、不空といった訳経家たちの仕事に敬意を払うべきであると考えています。今後、奇跡的なことが起きて、高麗版大蔵経の完全復元が可能になれば非常にうれしく思います。

だれでも、何が根本の真理なのか、をアカデミックに追求したがるし、そのほうが説得力があってかっこもいいのかもしれないけれど、その結果出てくるのがオウム真理教なのではどうしようもないわけで、これまで安心して使い込んできた使い慣れた道具を工夫して上手に使って、いまある現実をあせらず少しずつ改良できるところから改良していく、エドマンド・バーク流のプラグマティックな保守主義っていうんですか、これは、アングロサクソンの新教徒でなくても、学ぶべき範囲で学べるところから学ぶべきだろうと思っているんです。なにも、切込隊長みたいに、自分はバーク主義者だと宣言する必要もないとは思うのですけれど。

投稿: enneagram | 2009.03.22 10:42

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